2018年12月14日金曜日

水道民営化の何が問題か

水道事業は役人が経営するより、経営ノウハウを持つ民間が経営したほうが効率化が図られることは間違いないでしょう。では民営化の何が問題なのか。

問題は、水道事業を経営した結果生まれた利潤が株主に配当される点にあります。つまり、「公的な事業から、カネ(不労所得)が第三者に抜き取られる」わけです。公的な投資によって整備されたインフラの上に成り立つのが今の水道事業です。ですから、本来であれば、水道事業で計上される利潤、つまり剰余金はすべて地方自治体に還元されなければならない。あるいは、水道料金の値下というかたちで、利用者に還元されなければならない。それがあるべき民営化の姿です。

もし、民営化の効果がすべて国民あるいは自治体に還元されるのであれば、民営化に反対する理由はありません。しかし、今のままでは、必ずしもそうならないのではないか。公的な事業からカネを抜き取る資本家が、カネを抜き取るための道具として水道事業を利用するのではないか、との疑念を払拭することができません。

そもそも、経営の効率化は、経営者の手腕であって、株主は関係ない。もし水道事業の効率化とサービス向上に成功すれば、経営者にそれ相応の報酬が支払われるのは当然です。しかし、株主は関係ない。今まで水道事業に膨大な投資してきたのは、公的部門であって株主ではない。

仮に株主に配当が支払われるのであれば、株主は100%自治体であるべきでしょう。そうであれば、どこかにカネが抜き取られることはないからです。株主が100%自治体であっても、経営者は民間の経営者なのですから、立派な民営化です。

不思議なことに、こうした議論を見かけることはあまりありません。民営化は全部反対、あるいは民営化が全部正しい、という話しか見えません。しかし、本質的に考えてみれば、誰が経営するかに関係なく、公的サービスのすべての利益が、誰かに抜き取られることなく、すべて国民に還元されれば問題ないはずです。

水道事業は、値上げしない限り、おそらく黒字化しないでしょう。設備が老朽化して、今後ますますコストが上昇することが明白だからであり、しかも、地方は利用者も減少するから、売り上げも低下する。ですから、さらに税金を投入しない限り、水道事業は維持困難になります。そこで、緊縮財政をたくらむ財務省は、水道事業の切り離しを狙っているのです。これこそ、最大の問題です。

財務省の水道切捨て作戦に対抗し、公的支出によって水道事業を維持しなければなりません。そのためには、効率化によって、支出をなるべく抑える努力も必要でしょう。しかし、効率化を口実にして、カネを抜き取られては意味がない。だから、第三セクターのような形態に限定するなど、私企業の利益追求の道具にされないような配慮が必要です。

それでも、どんなに効率化したところで、本質的に黒字化するのは不可能です。効率化しつつ、公的な支出によって支える必要があるはずです。そのためにも、財務省を黙らせる必要があると思います。


2018年12月12日水曜日

サンタさんは、ばら撒きの悪人

(注)これは、クリスマス時事のナンセンス・ストーリーですw。特に深い意味はありません。

先生「みなさん、まもなくクリスマスですね。さて、今日はサンタさんについて考えてみましょう。サンタさんについて、みんなはどんな思いを抱いていますか?」

Aくん「はい、ボクは、サンタさんは、ばら撒きをする悪い人だと思います。サンタさんはプレゼントをばら撒いていますが、ばら撒きは良くないと新聞に書いていました。」

先生「いや、あれはプレゼントだから、いいんじゃないかな。」

Aくん「プレゼントでも、ばら撒いていることに違いないと思います。ばら撒きは良くないです。」

Bくん「ボクもそう思います。そもそも財源はどうするんですか。」

先生「財源って・・・それは、どこかのおじさんがサンタさんに寄付してくれるんじゃないかな。」

Bくん「こんなデフレの時代におカネを寄付するほど儲けている大人にろくな人はいません。庶民から搾取している資本家に違いないと思います。」

Aくん「そういえば、ばら撒きは将来世代へのツケを増やすと新聞に書いてあったよ。将来世代って、ボクらのことじゃないかな。つまり、サンタは銀行から借金して、それを財源にプレゼントをばら撒いているんだと思います。そして将来、その借金をボクたちに押し付けてくるんです。」

Bくん「確かにそうかも知れない。ボクたちが子供の時には、プレゼントをくれるけど、大人になったら増税して、ボクたちから税金を巻き上げる気なんだ。将来の増税の口実をつくるために、ばら撒きしているに違いないと思います。」

先生「いや、増税とか、そんな大それた金額じゃないし。」

Aくん「先生!、今はおカネのない時代ですから、そういう小さなことも見逃してはいけないと思います。ばら撒きは良くない、選択と集中なんです。生産性です。」

Bくん「そうだ、生産性だと思います。選択と集中もせずに、みんなにばら撒きするサンタさんは悪い人だと思います。自己責任の時代なんですから、サンタのことなんか考えるより、英単語や算数の公式を一つでも覚えるほうが就職に有利になります。」

先生「それじゃ、夢がないよね・・・」

Aくん「そんなのは、大人たちの抱く勝手な夢に過ぎません。大切なのは夢ではなくカネです。カネがなければ何もできません。財源がすべてです。ボクたちは、生産性に支配された自己責任の社会へ向かうレールの上に乗っているんです。誰一人逃れることはできません。サンタのプレゼントなんて慰めにもなりません。一日一日、ボクたちは着実にそこへ向かっているのです。」

Bくん「夢とかいってるけど、先生だって過労死寸前じゃないですか。教育現場にもっとカネがあれば、先生の人数が増やせて楽になるのに。それ財源、財源、財源!」

先生「いや、もうサンタなんかどうでもいいわ。プライマリーバランスに呪われた子供をなんとかしてくれ!」

2018年12月11日火曜日

ベーシックインカム動画の第2回UPしました


ベーシックインカム動画の第2回です。1800年ごろから始まるベーシックインカムの思想的な歴史と、一般的な定義についてご説明します。ベーシックインカムは、最近になってにわかに出てきた思想ではなく、長い歴史を持っています。次回は年明け、松の内の公開を目標に制作します。けっこう、大変ですw。
https://youtu.be/btKXGg7SRxM

2018年12月4日火曜日

「財源には限りがある」のセリフは間違い

財務省の手先である緊縮派の新聞や御用学者の常套句である「財源には限りがある」のセリフは間違いです。「財源は無限にある」が正しいのです。

財源に限りはありません。なぜなら財源とは通貨の調達のことですから、何も税金や借金(国債)に限ったことではないからです。通貨は発行すればいくらでも作り出せる。ですから、おカネと言う意味での財源に限りはまったくありません。「財源は無限にある」が正しいのです。

ただし、財の供給力には限りがあります。財とはモノやサービスのことであり、実際に価値のあるものです。これは通貨と違って、ポンポンと簡単に作り出すことはできません。供給力を支える資源も生産資本も数が限られています。ですから「供給力には限りがある」は正しいのです。

しかし、緊縮派の新聞や御用学者は「財の供給力」を無視します。なぜなら、先進工業国である日本には非常に大きな財の供給力があるのですが、それを言い出すと「緊縮できない」からです。それだけ大きな供給力があるのですから、通貨を発行して通達するだけで、社会保障やインフラ投資などを実現することができます。

そこで、緊縮派の新聞や御用学者は「財源に限りがある」と言います。財源は税収の範囲に限られると主張し、それを「プライマリーバランス」と言います。そのようにすることで、通貨の調達に自ら上限を嵌めてしまうわけです。そうすれば、仮に日本にどれほど供給力があったとしても、プライマリーバランスを上限として、供給をそれ以下に押さえることができます。プライマリーバランスという建前によって、日本経済の頭を押さえつけるのです。

このように、財務省は日本経済にプライマリーバランスというレベルキャップを嵌め、意図的に日本経済を押さえつけているのです。そのような意図がなかったにせよ、結果的に、財務省は日本経済を押さえつけているのです。これは陰謀論ではなく、客観的な分析です。

しかし、これは実に馬鹿げた行為です。日本の経済の上限は税収(プライマリーバランス)にあるのではなく、供給力にあります。供給力を100%有効に活用するにはどうするか?その場合、プライマリーバランスをガン無視して、インフレターゲットを採用します。つまり、インフレターゲットを3%くらいに設定して、その範囲で財政支出を行なうわけです。

余談ですが、その場合に問題になるのは、民間銀行の信用膨張がインフレを想定以上に押し上げるリスクです。バブルのリスクもあります。そうした懸念にあらかじめ対処するためには、民間銀行による通貨発行を停止して、政府(日銀)だけが通貨を供給する「ソブリンマネー」の仕組みが有効です。

「財源には限りがある」というセリフは間違いです。重要なのは財源ではなく供給力です。先進工業国である日本では「プライマリーバランス」という発想は、日本経済の頭を押さえつけて、日本経済を停滞あるいは衰退させる原因になるのです。

2018年11月30日金曜日

消費増税するなら万博やめろ

財政が逼迫しているとして消費税を増税する一方、税金を万博やオリンピックに使うという。増税するほど無駄遣いできないなら、万博もオリンピックもやめるべきだ。しかし実際には、財政が厳しいというのは財務省のフェイクである。消費増税を中止した上で、万博もオリンピックもすべきだ。

すでに、本ブロクでは、財政赤字の問題など「ない」と何度も言ってきた。膨大な発行済み国債はすべて日銀が買い取ればいいだけだし、実際、すでに4割ほどは日銀が買い取っている。また、今後の財政支出についても、政府(日銀)が通貨を発行して財政支出を行なえばよく、その程度では過度なインフレが生じないことは過去の状況から明白だ。プライマリーバランスは無意味な呪縛にすぎない。

にもかかわらず、消費税の増税を強行しようとしている。そして、「カネがない」といって国民から税金を搾り取ったうえに、あろうことか、税金を万博とオリンピックという、お祭り騒ぎに使おうという話である。

もちろん、お祭り騒ぎがダメだという話ではない。万博もオリンピックも結構である。しかしながら、かたや増税して国民からカネを毟り取っておきながら、そのカネをお祭り騒ぎに使うなど、まったく国民を馬鹿にしている。消費税は社会保障に使う、などといっても、結局のところ、同じ財布から出て行くカネである。

おそらく、消費税の増税によって国民の消費が落ち込むことが予想されるので、経済界としては、それをカバーするだけの売り上げが欲しいというわけだ。なんのことはない、経済界は消費増税を大人しく受け入れ、国民に負担を押し付けて、オリンピックと万博で手を打とうというのである。

しかし、こんなカンフル剤のようなオリンピックと万博を打ったところで、薬が切れてしまえばそれまでである。残るのは、消費増税後の「カネのない消費者」だけだ。またしても内需拡大を放棄し、アメリカや中国頼みの経済になり、為替相場や関税に振り回される情けない状況のまま。いつまでこんなことを続けるのか。

しかも、オリンピックと万博でどれほど消費が増えるか疑問もある。増税と緊縮財政で国民にはカネがないのだから、仮にオリンピックと万博におカネを使ったとしても、代わりに、他の消費を減らす恐れがあるのではないか。結局のところ、消費増税はオリンピックと万博の経済効果を台無しにする危険性もある。

消費税を増税して、オリンピックと万博をやるのは筋違いだ。
消費増税を中止して、オリンピックと万博をすべし。
それが最も経済効果が高いことは間違いないし、
「国民のお祭り」ならば、それが当然だと思う。


2018年11月26日月曜日

国債は後世への負担押し付けにならず

財政審議会は、国債発行残高を「将来世代への負担押し付け」としているが、これは大きな間違いである。国債は通貨を発行して国が買い戻せばよいだけだからだ。

実際、国が通貨(現金)を発行して国債を買い戻しているのが、日銀の行なっている量的緩和政策である。もちろん、その本来の目的は金融政策であるが、事実上、国が国債を買い戻していることに違いはない。

そもそも、政府が国債を発行する必要など、本来はまったくない。なぜなら、政府(国家)には、通貨を発行する権限があるからだ。円は国家の通貨だからである。にもかかわらず、通貨を発行せずに赤字国債を発行するから、その返済のために大騒ぎになるのであり、しかも、ムダに金利まで支払い、国民に負担を負わせているのである。最初から国債を発行せず、通貨を発行していれば、何の問題もなかったのだ。この点が、根本的に間違っている。

しかも、通貨を発行しようが、国債を発行しようが、世の中のおカネは同じ額だけ増加する。これはバランスシートの仕組みから明白である(どちらも同じ額だけマネーストックを増加する)。つまり、通貨を発行しようが、国債を発行しようが、インフレを引き起こす点では同じなのだ。であれば、何も、わざわざ問題を生じるような国債を発行する必要は最初からないのである。

であるから、過去に発行した国債の発行は「まちがいだった」として、政府が買い戻せばよいのである。そして、それは今日、日銀が量的緩和政策として、過去に発行した国債を買い入れている行為と、まったく同じなのだ。

では、通貨を発行するとハイパーインフレになるかと言えば、全然そんな気配はない。すでに300兆円以上の現金を日銀が発行して国債を買い戻しているにも関わらず、である。なぜなら、すでに世の中のおカネマネーストック)は国債発行時に増加しているのであり、いまさら日銀が通貨を発行しても、世の中のおカネマネーストック)はまったく増えないのだ。これもバランスシートの仕組みから明白である。

すなわち、これは、最初から国債など発行する必要などなかったことを示唆しているのであり、日銀が現金を発行して財政運営を行なってもよかったことを証明しているようなものだ。この程度であれば、現金を発行して財政政策を行なっても、インフレにはならないのだ。裏を返せば、それほどデフレ圧力が強いとも言える。

話を元に戻すと、以上から、国債発行残高は将来世代への負担押し付けには「まったくならない」。日銀が通貨を発行して国債を買い戻せばよいだけだからだ。そして、それによってハイパーインフレが起こる心配はまったくない。国債を買い取っても、マネーストックは増えないからだ。

しかも、発行済み国債の半分近くを、日銀すなわち政府(国家)がすでに保有しているのであり、また、まだ市中にある国債については、償還時点で通貨を発行して買い戻せば良いだけである。

将来への負担はまったくない。
あるのは、「財政審議会の無知」だけだ。


2018年11月21日水曜日

ベーシックインカム第1回動画UPしました


Youtubeをはじめました。これはベーシックインカムについての、やさしい解説シリーズです。第1回目は、ベーシックインカムが、今、注目されている理由です。導入部分になります。制作には早くて3週間はかかるので、次回作は気長に待って欲しいです。
https://youtu.be/Z1FNl55NQYk

2018年11月19日月曜日

ちゃんちゃらオカシイ財政審議会

今日の増税新聞・読売の記事によると、財務省の財政審議会が平成の財政を「ツケを先送りした時代」だと総括したという。本気で笑わせる。こんな稚拙な経済観しか持たない連中に日本を任せていられない。

財政制度等審議会(財務省)が20日に提言する内容が新聞に報じられた。それによれば、平成の財政を「負担先送り圧力に抗えなかった時代」であると総括し、より一層の緊縮財政に向けて圧力をかける内容らしい。マクロ経済を無視し、カネの収支しかアタマにない連中には呆れるほかない。

平成時代は、ツケを先送りしたどころか、むしろ財務省の主導により「デフレ脱却と景気回復を次の時代に先送り」した、極めて遺憾な時代であったと総括するのが、実情からいって正しいだろう。日本の供給力を十分に活用せず、意図的に日本の経済成長を妨げた時代だったといってよい。財務省による緊縮暗黒の30年だった。

なぜか?小学生でもわかる。

平成は「デフレ時代」だったからだ。デフレとは、供給過剰、つまり、モノが余るほどあることを意味する。と同時に、貧富の格差が拡大し、例えば子供の6人に1人は貧困である、という、驚くべき状況まで生じてきた。つまり、生活に必要な物資は十分に供給できるにもかかわらず、生活に必要な物資が手に入らない家庭があることを意味する。これは、経済すなわち、生産と分配の機能が十分に働いていないことを意味する。

供給力が十分にある社会において、貧困や格差の問題を解決する事は極めて簡単である。単に、貧困、低所得の家計におカネを配れば良いだけだからだ。これが途上国のように、供給力そのものが不足している国ならそうはいかない。いくらおカネを配っても、モノがないのだから始まらない。日本の場合は、モノは十分にあるのであって、足りないのは、単にカネだけである。

ゆえに、カネを発行して配れば、それだけで貧困や格差の問題は解決してしまうのである。こんな、小学生でも理解できる簡単な理屈が、大学を卒業した連中がわんさと集まると、とたんに理解できなくなるというのだから恐ろしいw。

なぜ理解できないのか?
政府の財政は、すべて一円残らず税金で集めるべきという、
「プライマリーバランス脳症」だからだ。

財務省が一種の、精神病的な状態にあるため、国民は、する必要のない苦労に苛まれる事になった。これが「平成の財政に関する総括」である。

もし、デフレを解消するために十分なだけの通貨を発行して、貧困や格差の解消、あるいは社会保障、あるいは防災やインフラ整備として財政支出を行なっていれば、「デフレ脱却と景気回復」を、次の世代に先送りするような、ブザマなことにはならなかった。そして、将来の世代に、明るい日本社会を引き継ぐことができたはずなのである。

平成は、財務省による緊縮財政・暗黒の30年だった。次の時代では、ちゃんちゃらオカシイ財務省を国政から追放しなければならない。そして、国民の主権に基づく、政治主導の拡張型財政に移行する必要があるのです。そして、平成の時代に失われた「日本の豊かさ」を取り戻さなければならないのです。


2018年11月13日火曜日

金融政策が難解である理由

大多数の国民は、今日、マスコミに出てくる金融の話(マネタリーベースとマネーストック、量的緩和、予想インフレ率、マイナス金利など)をほぼ理解していません。なぜならそれが「難解」だからです。そして、その難しさの原因は現在の金融制度そのものにあります。

現在の金融制度は、信用創造によって世の中におカネを供給する準備預金制度です。しかも、中央銀行と市中銀行という、二重のシステムから成るため、非常に複雑です。

それに対して、江戸時代やローマ時代のように、時の政府が通貨を発行する方法は非常にシンプルです。これが政府通貨制度です。政府通貨制度とは、政府が通貨を発行し、それをお城の建設や兵士の給料などに支出することで、世の中に流れ出し、それらのおカネが経済活動に使われるものです。ですから、世の中のおカネの量は、政府が発行した通貨の量によって決まります。

しかし、普通の国民は現在の制度でも、日本銀行が発行した通貨(現金)の量によって、世の中の通貨の量が決まるのだと思い込んでるでしょう。それが、一般人の感覚です。

ところが、現在の通貨制度は一般人の感覚とは、およそかけ離れた形でおカネが供給されています。つまり、日銀が発行した通貨(現金)の量よりも、多くのおカネが世の中に流通しているのです。なぜなら、市中銀行が、日本銀行の発行する通貨をはるかに上回る量の通貨(預金)を発行しているからです。

そのことは、取りも直さず、日銀がおカネの供給量を正確にコントロールできないことを意味します。

つまり、日銀が通貨(現金)を増やしても、世の中のおカネの量(マネーストック)が増えるとは限らず、逆に、日銀が通貨の量を増やさなくても、世の中のおカネが勝手に増え続けることが起こりえるのです。

これは、恐らく、一般人の感覚とかけ離れているはずです。日銀の通貨(現金)の発行量によって、世の中のおカネの量が一意に決まるわけではないのです。これこそが、一般国民にとって、現在の金融政策の理解を困難にしている原因です。

準備金制度の場合、世の中のおカネの供給量は、日銀が発行した通貨の量によって決まるわけではない。では何で決まるのか?市中銀行が家計や企業などに貸し出すおカネ(預金)の量によって決まります。その貸出量は金利によってコントロールされます。ゆえに、世の中のおカネの供給量は、日銀の発行する通貨(現金)の量で決まるのではなく、金利で決まるのです。

そのため、世の中のおカネの量をコントロールする目的で、量的緩和やらマイナス金利やら、実質金利やらイールドカーブやら、複雑な話がわんさと出てきます。これが、ますます金融政策を難解にします。

その原因は、すべて「金利を操作して間接的に世の中のおカネの量をコントロールする」ためです。しかしこれでうまく世の中のおカネの量がコントロールできるはずがなく、量的緩和をやって日銀がおカネを発行しても世の中のおカネが増えず、インフレ目標に届かなかったりします。

一方、政府通貨制度であれば、金利を操作する必要はありません。政府(あるいは日銀)がおカネを発行して、それを国民に配ったり、公共投資として利用すれば、そのまま世の中におカネが流れ出して「おカネが直接的に」増えます。ですから確実にインフレ目標を達成できます。何より、「政府がおカネを発行すれば、世の中のおカネがその分だけ増える」というあたりまえの現象が起きるわけです。

準備預金制度の場合は、いくら日銀が通貨を発行しても、世の中のおカネが増えないという「意味不明」の現象が生じますし、逆に、日銀がおカネを1円も発行せずとも、世の中のおカネがどんどん増加してインフレになるという「意味不明」の現象も生じます。

さて国民の皆様にはぜひ考えて欲しいのです。ちょっと聞いてもわからないような、金融政策に関する難解な用語を多用する通貨制度のままで良いのか、それとも、誰でも理解できる、シンプルな通貨システムに改めて、誰でも理解できる金融政策が行なわれる方が良いのか?

そして、ほとんどの有権者が理解できない難解な金融システムと、すべての有権者が容易に理解できる金融システムと、そのどちらの方がより民主主義に相応しいのか?


2018年11月9日金曜日

賃金UPのチャンスも、移民で台無しに

資本主義社会において、賃金は市場原理で決まります。ですから、まさに昨今の人手不足は、待ちに待った賃金UPのチャンス到来であり、経済の好循環のスタートになるはずですが、移民政策がこのチャンスを台無しにします。

これまでの20年以上に及ぶ長きデフレの期間において、人手はずっと余剰であったため、平均的な労働者の賃金は20年以上に渡って下がり続けてきました。労働力が商品である以上、労働力が余れば値下がりは当然です。

しかしついに、人手不足時代の到来です。賃金が上昇するチャンスが巡ってきたのです。人手不足こそ、労働者にとって待ちに待ったシーズンです。なぜなら、マクロ経済から言えば、いくら一生懸命に働こうと、短時間ですごい量の仕事をこなそうと、そんなことで賃金は決して上昇しません。「人手が不足すること」こそが賃金上昇の条件なのです。

実際、バブル景気の日本では、人手不足が問題だと大騒ぎされ、どの企業もやっきになって人を採用しました。そのため、賃金がぐんぐん上昇し、とりわけアルバイトのような非正規雇用の賃金も高くなり、フリーアルバイターが豊かで自由な生活を謳歌していました。ワーキングプアなど、考えられない時代です。

さすがにそこまで回復するのは大変ですが、そのように、労働者が大切にされる時代が再び到来しようとしています。そして労働者の賃金が上昇すれば、消費者の購買力も上昇し、消費が増えて景気が回復し、企業の利益が増加して、再投資が増え、生産が増え、さらに景気を押し上げるという「賃上げによる景気の好循環」がスタートするのです。

ところが、移民政策はこれを台無しにします。今、安倍政権は「人手不足の解消」をやろうとしています。人手不足が解消すると、労働市場では賃金が上昇しなくなります。せっかく巡ってきた賃上げの時代を潰そうというのです。これでは、安倍政権が主張する「賃金の上昇による景気の好循環」は望めません。企業は賃金を上げる必要がなく、外国人労働者を採用すれば良いからです。

そこまでして、労働者に賃金を払いたくないのか?

恐ろしいほどのデフレマインドです。消費者が少しでも高い商品を買うことを避け、安い中国製品をこぞって買い求めることとおなじく、企業も少しでも高い日本の労働者を買うことを避け、安い外国人労働者を買おうとしているわけです。移民依存は企業のデフレマインドです。

企業が外国人労働者を求める理由は、
人手不足なのではなく「カネ不足」です。

賃上げするだけの、売り上げ高、原資が企業にないからです。カネがあるのは一握りの巨大企業だけです。もし、バブル経済の頃のように、多くの企業にカネがあれば、当時と同じように賃金を上げて人手を確保しようとするはずです。しかし、企業にカネがなければ、賃金を上げたくても、上げることは不可能なのです。

そこでヘリコプターマネーです。

ヘリコプターマネーによって、すべての国民に毎月おカネを給付すれば、国民の購買力が向上して消費が拡大し、企業の利益も増加します。企業がカネを持てば、賃金を上げる事が可能になります。まして人手不足なのですから、企業間の賃金UP競争がスタートします。

中小企業は大企業に人材を取り負けるから、やはり困るだろうと考える人もいるでしょう。しかし、中小企業の人材難は、バブルの当時も同じでした。だからといって、当時の中小企業がバタバタ倒産したなんて話は、まるで聞いたことがありません。そんなことより、その後、バブルが崩壊してデフレ不況になったため、中小企業はバタバタ倒産することになったわけです。バブルが崩壊したあとは、人手が余って、いくらでも人を採用できましたが、景気が悪くて利益が落ち込み、社員を採用するどころではなくなったのです。

企業は人手不足で倒産しない、デフレ不況で倒産する。

もし、人手不足で倒産するとすれば、まず真っ先にブラック企業が倒産するでしょう。ブラックな職場を嫌って、労働者がみんな逃げてしまうからです。何か問題でも?

市場がきちんと機能していれば、人々の生活にとってより必要性が高い企業の売り上げが増加し、必要性の低い企業の売り上げが減り、ゆえに、必要性の低い企業からは社員が逃げ出して倒産することになります。必要のない企業(ゾンビ企業)が倒産しても、何の問題もありません。

それどころか、必要性の低い企業が淘汰され、必要性の高い企業が増えますから、必要性の高い企業へ労働力が再配分され、日本の生産性が向上し、企業の競争力も高まります。

こうした労働力の再配分の動きは、カネを潤沢に供給し、インフレ傾向に誘導しなければ機能しないでしょう。おカネがどんどん回って、市場がきちんと機能しなければダメです。

ところが、インフレを極度に嫌っておカネの供給をケチり、代わり移民政策によって、安い労働力に頼るなら、労働力の再配分は行なわれず、ゆえに、生産性の向上が遅れることになるのです。これは、日本の企業の成長戦略とってもマイナスになるでしょう。

労働者の賃上げ、それによる経済の回復、投資の増加、税収増、企業の生産性の向上、すべてを台無しにする移民政策は断じて認められません。

2018年11月6日火曜日

外国人労働者の賃金は2割増しにすべし

新聞テレビが人手不足だと大騒ぎしています。そして安倍政権も人手不足を最大の口実として、移民政策を始めようとしています。ならば、外国人労働者の賃金は日本人の2割アップにすべきです。

外国人労働者には、同じ日本人の労働者よりも、2割増しの賃金を支払うこと。そう主張すると必ず「そんなことしたら意味がない」と言い出すに違いありませんね。はて、何の意味がないのでしょうか?もし人手不足で社員が来ないのであれば、2割増しの賃金だとしても、社員が確保できるから大歓迎のはずです。もし、2割増しにして意味がないというのなら、それは「外国人労働者を安い賃金で使いたい」という腹の中が見え透いているのです。

結局のところ、賃金を2割増しにすれば日本人の社員は来るけれど、それをやりたくない、何としても賃金を上げたくないから外国人労働者を使いたい、という企業の要請に応えるための政策なのです。

これでは、安倍首相の言う「賃金の上昇による、経済の好循環」など絵に描いた餅であると、政府自らが公言しているようなものです。こんな単純な矛盾にも気付かないのでしょうか。

現在、人手不足であるとされる分野、たとえば建築や農業等の分野において、社員が足りないのであれば、外国人労働者を利用して賃金を抑制するのではなく、高い賃金で社員を募集すべきです。そうすれば、労働者の賃金が上昇します。賃上げによる経済の好循環がスタートするのです。

おそらく「賃金を上げると、採算が取れなくなる」と言い出すでしょう。そんなものは、販売する商品を値上げすれば良いのです。すると、物価が上昇し、インフレターゲット2%目標に近づくわけです。日銀も喜ぶでしょうw。

すると今度は「値上げすると、売れなくなる」と言い出すでしょう。これこそ、日銀の言う「デフレマインド」じゃないですか。デフレマインドを払拭すべきと、日銀が言っているでしょうw。こういうデフレマインドが全産業に蔓延しているから、価格据え置きのまま商品のパッケージの内容量が微妙に減るという「シュリンクフレーション」なんて状況が生じるわけです。昨今の検査データ捏造事件も、コストを価格に転嫁できない慢性デフレが影響していないとは言い切れないでしょう。

値上げできないから、賃上げが出来ない。実に馬鹿げています。

こうした、馬鹿げた状況が生じる理由は「国民にカネがない」、これに尽きると思います。国民にカネかないから値上げできないのです。値上げすると、すぐに売り上げが減る。なぜなら、カネがないからです。もし、国民にカネがあるなら、値上げしても売り上げは減らない。だから、賃上げが可能になるのです。

まず、全国民に毎月1万円を給付すべし。

いま早急にすべきことは、移民政策の推進ではなく、国民の購買力を向上させることです。そして、賃上げと物価上昇を実現するための、経済の下地を整えることです。移民政策は、むしろ賃上げと物価上昇の経済に逆行する政策なのです。

それでも移民政策を行なうのであれば、外国人労働者の賃金は、同じ日本人の2割アップにすべきです。本当に人手が足りないのであれば、高い賃金でも、人手不足が解消するのだから、それで良いはずなのです。


2018年11月2日金曜日

金融緩和はニューノーマル(新常態)

時代と共に技術や社会は進化し、経済環境は変化してきました。その中で、現在の金融緩和の状態が生まれてきました。ところが、出口戦略とは、無理に昔の状態に引き戻そうとすることです。

出口戦略という逆行思想を捨てて、
ニューノーマル(新常態)を目指すべきです。

出口戦略とは何をすることなのか?簡単に言えば金融緩和と逆のことをするわけです。ですから、マネタリーベースすなわち「現金」を回収し、現金を抹消することです。現金とは普通の人がイメージしている紙幣や硬貨だけではありません。市中銀行の名義の日銀当座預金もそれに該当します。これら現金を抹消することが、いわゆる「正常化」と呼ばれます。

新聞マスコミや御用学者はもちろん、国民民主党のように、出口戦略に前向きな野党すらあります。しかし、なぜそこまでして現金を消そうとするのか?現金を消すことが、なぜ「正常化」と呼ばれて歓迎されるのか、実に不思議ですね。

ところで、日銀の発行した現金を消滅させるとどうなるか?世の中のおカネが減ると思うかもしれません。しかし、実際にはそれが即、世の中のおカネ(マネーストック)の減少に結びつくとは限りません。なぜなら、企業や家計が保有しているおカネのほとんどは、市中銀行の信用創造によって作り出された「預金」だからです。

ですから、仮に日銀の発行した現金がどんどん抹消されても、代わりに市中銀行がどんどん預金を発行すれば、世の中のおカネが減ることはないのです。

つまり、出口戦略とは何か?
日銀の発行するおカネ(現金)を減らして、
市中銀行の発行するおカネ(預金)を増やすことです。

そんなこと、うまくいくのか?
おそらく、不可能でしょう。

そもそも、日銀はどうやって現金を抹消するのでしょう。現金がどうやって発行されるかと言えば、それは、資産として「国債」を買い入れ、その代金として「現金」を発行します。ですから、この逆の操作が現金を抹消する行為になります。

といっても、日銀が国債を額面で売ったところで誰も買いません。相当な赤字覚悟で売るしかないわけで、そんなことはできません。そんなことをすれば、日銀が大損して、買い手が丸儲けしてしまいます。

しかし、日銀が保有する国債は、やがて償還期日を迎えます。この際、政府から日銀が現金を受け取りますから、この受け取った現金と国債を帳消しにすることで償還が完了します。では、政府が日銀に払う現金はどこからくるのか?国民の払った税金になります。つまり、

国民から税金で集めた現金を帳消しにして抹消する。
これが、金融正常化の正体です。

普通にそんなことをすればどうなるか?世の中のおカネが激減してしまうでしょう。しかも、税金を集めるために、さらなる増税もありえるでしょう。そうなれば、たちまち激しいデフレ不況に見舞われます。ですから、そんなことはできません。

もし現金を減らすなら、預金の増加と同時でなければなりません。すなわち、市中銀行が貸し付けの際に、新規に預金を発行する額と同じ額だけ、それにあわせて、現金を抹消しなければなりません。つまり、景気がどんどん良くなって、銀行から借金する企業や家計がどんどん増えるようになり、税収が増加すれば、現金を抹消することが可能になるでしょう。しかし、

抹消する現金の額は、およそ300兆円。

金融緩和によって日銀が発行した現金は300兆円を超えます。金融正常化とは、300兆円の現金を抹消する行為なのです。日本ではサラリーマンの賃金は低下しており、生活の苦しい人が多いですし、子供の貧困も社会問題化しています。そんな状況で、300兆円の現金を抹消するというのです。これが正常化の正体です。

だから景気が良くならないうちは出口戦略はできない、と日銀が考えるのは当然なのです。

ところが、そんなことおかまいなしに、新聞テレビは「外国は出口戦略を行なっている」「日本も乗り遅れるな」と血気盛んに主張しています。しまいには国民民主党のように、法律で強引に出口に向かわせろ、という始末です。

出口は必要はありません。
今の状態が「ニューノーマル(新常態)」なのです。

少し考えればわかりますが、300兆円以上も日銀が国債を買い入れて、ようやくこんな程度の景気回復なのです。それを強引に元に戻そうとすればどうなるか、火を見るより明らかでしょう。つまり、今日の金融緩和の状態こそが、これからのニューノーマル(新常態)であると認識すべきです。

金融緩和の副作用が騒がれています。しかし、それはマイナス金利政策です。マイナス金利政策は、日銀当座預金の一部にマイナスの金利を課す政策です。なんなら、これは止めたらよいでしょう。日銀当座預金はすべて金利ゼロにすればよいと思います。

ゼロ金利の状態を続けていると、次に金融危機とデフレ不況が生じた際に、金利対策が取れないとの批判もありますが、それは間違いでしょう。ヘリコプターマネーという政策がバッチリ残っていますので、心配ありません。

いつデフレに逆戻りするかわからない経済環境では、金融緩和はニューノーマル(新常態)だと考えるべきでしょう。


2018年10月30日火曜日

おカネがジャブジャブは堀の内側だけ

おカネの世界は、二重構造になっています。つまりマネタリーベースとマネーストックです。マネタリーベースは堀の内側、マネーストックは堀の外側。そして私たちは堀の外側に住んでいます。

堀の内側は、日本銀行、政府、市中銀行の世界、マネタリーベース(現金)で決済される世界です。例えば、日銀が現金つまりマネタリーベースを発行して市中銀行に貸し出す、あるいは、市中銀行間で現金をやり取りする、あるいは、政府が国債を発行して市中銀行がそれを買い入れる、それらはすべて現金ベースで行なわれており、私たちが利用するいわゆる「銀行預金」は使われません。その堀の内側で通貨を供給しているのは日銀です。

堀の外側の世界は、家計や企業の世界です。ここはマネーストック(主に預金)で決済される世界です。労働者は賃金として銀行の預金を企業から受け取りますし、企業の間でもほとんどの取引は銀行の預金を通じて行なわれます。この銀行預金は現金と同等に扱われますが、現金とは異なるものです。現金は日本銀行の信用創造によって作られますが、銀行預金は市中銀行の信用創造によって作られているからです。その堀の外側で通貨を供給しているのは市中銀行です。

そして、堀の内側と外側は直接繋がっていません。深い堀によって隔てられているのです。そして、その堀をまたいでその両側に立って、間接的に堀の内側と外側を繋いでいるのが市中銀行です。

堀の内側と外側は直接繋がっていません。そのため、堀の内側で、いくら日銀がおカネを発行しても、堀の外側のおカネは一向に増えません。しばしば「日銀がおカネをどんどん発行して、世の中のおカネが、じゃぶじゃぶになっている」「ハイパーインフレになる」と騒いでいますが、ちっともインフレになりませんね。その理由は、堀の内側がおカネでじゃぶじゃぶになっても、私たちが生活している堀の外側のおカネは増えないからです。

おカネがジャブジャブなのは、堀の内側だけ。

堀の外側のおカネが増えるには、堀の内側と外側をまたいで立っている市中銀行がおカネを発行しなければなりません。市中銀行がおカネを発行することを信用創造と呼び、これは市中銀行が誰かにおカネを貸し出すときにのみ機能します。つまり、誰かが市中銀行から借金をしなければ、堀の外側のおカネが増えることはないのです。

だから、堀の内側がジャブジャブなのに、堀の外側に住んでいる多くの人々の財布は、干からびているのです。新聞テレビは、決してそれに触れませんが。

おカネの世界は二重構造になっています。

堀の内側は日本銀行の支配する世界(マネタリーベース)、堀の外側は市中銀行が支配する世界(マネーストック)なのです。


おカネの世界の話なら、
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2018年10月26日金曜日

政府通貨発行と政府通貨制度の違い

「政府通貨の発行」と「政府通貨制度」は似ていますが違います。しかし、一般に同じような使われ方をするため、混乱が生じてしまいます。では、何が違うのでしょうか。

政府通貨とは、政府が発行する通貨のことです。今の日本で言えば「貨幣(硬貨)」、500円、100円、50円、5円、1円です。これらは日銀が発行しているわけではありません。日銀が発行する通貨は「銀行券」です。もし、政府が紙幣を発行するなら、これは「政府紙幣」になるでしょう。

政府通貨とは、基本的に、こうした貨幣、あるいは紙幣、あるいは電子通貨のようなものを指します。政府が発行する政府通貨は当然ながら「法定通貨」です。これを発行し、それを財源として政府が様々な政策を行なうことが可能です。これは「政府通貨の発行」です。

一方、今日、流通通貨(マネーストック)のほぼすべては、民間銀行の信用創造によって供給されています。これが銀行預金です。多くの人が誤解していますが、日本銀行の発行する銀行券および日銀当座預金(すなわち現金)は、家計や企業に直接流れてきません。日本銀行の発行する現金(マネタリーベース)は、あくまで信用創造の元本のような形(正確には元本ではない)で使われているにすぎません。実際には民間銀行が通貨発行を行なっています。

では、どうやって民間銀行がおカネを発行するのか?家計や企業に預金を貸し出す際に発行されます。これが信用創造です。つまり、無の状態から、銀行の帳簿上に、資産として「貸し出し債権」、負債として「預金」を同時に発生させるだけです。この預金が家計や企業に貸し出されます。

ですから、貸し出しの際に、民間銀行が保有している(誰かから預かっている)現金を貸し出すわけではありません。現金は貸し出さず、新たに発行した預金を貸します。ですから、原理的に言えば、民間銀行は無限に預金の貸出が可能です。

ただし、それを放置すると世の中がおカネだらけになって「ハイパーインフレがー」になるでしょうw。そこで、今日の銀行制度である準備預金制度においては、銀行の帳簿上の預金金額に対して、その一定割合の現金を日銀当座預金に準備金の名目で積むことが義務付けられています。この一定割合のことを「法定準備率」といいます。この準備率に応じて、銀行は、自らが保有する現金の10倍~100倍の預金を発行して、貸し出すことが可能になります。

政府通貨制度は、こうした民間銀行の信用創造を停止することがその骨格になります。ですから、民間銀行は預金を発行することができなくなります。すると、銀行は保有する現金の量の範囲内でしか貸し出すことはできなくなります。

例えば、民間銀行が100万円の現金をあずかって、これを保有しているとします。銀行が貸し出しを行なう場合、これまでは、預金として1億円を発行し、1億円を貸し出すことができました。そのため、世の中のおカネは9900万円増えるわけです。一方、信用創造を停止すると、100万円の現金しか貸し出すことはできなくなります。

これは、普通の貸し借りと同じです。100万円を保有しているAさんがBさんに100万円のおカネを貸す場合、AさんがBさんに貸せるのは100万円までです。これが普通です。ところが、銀行は100万円しか持っていないのに、1億円を貸すのです。そのため、世の中のおカネの量が銀行の恣意的な判断によって勝手に増えたり減ったりします。

政府通貨制度では、民間銀行の信用創造を停止することが核になります。そうすると、世の中のおカネが増えなくなってしまいますので、必要に応じて、政府が通貨を発行して供給することになります。銀行は預かっている現金の量の範囲でのみ、おカネを貸すことになります。したがって、世の中のおカネの量が勝手に増えたり減ったりすることはなく、政府の供給するおカネの量、税金によって回収されるおカネの量によってコントロールされます。

信用創造を停止すると、銀行の貸し出すためのおカネが足りなくなるのではないか?と思われるかも知れませんが、そんな心配はまったくありません。銀行が貸すおカネが足りないとすれば、それは世の中に供給されているおカネの量が足りないだけの話なのです。もし、必要十分なだけのおカネを政府が政府通貨として供給すれば、それらは家計や企業から銀行に預けられ、銀行の保有する現金の量が今よりも大幅に増加するからです。そうすれば、貸し出すおカネが不足する心配はありません。

以上のように、「政府通貨を発行する」とは、民間銀行の信用創造はそのまま、政府が政府通貨を発行することであり、「政府通貨制度」は、民間銀行の信用創造を停止し、政府が政府通貨を供給すること、という違いがあります。

なお、ソブリンマネーとは政府通貨制度を指しますが、単に政府通貨を指している場合もあり、非常に混乱していますので、ソブリンマネーや政府通貨の話題の際には、「民間の信用創造をどう扱うか」に注意する必要があると思います。

2018年10月23日火曜日

財政赤字の真の原因は

財政赤字の真の原因は、通貨発行権を有するはずの政府が通貨を発行せず、国債を発行して財源を確保することにあります。わざわざ財政赤字にしているのです。

国民には通貨を発行する権利があります。ですから、国民の代理人としての政府に、通貨の発行権があるのは当然です。ですから、もし、公共のためにおカネが必要なのであれば、おカネを発行して財源とすることは、制度として正しいでしょう。法的に言っても、国会で法案を通せばいいだけです。

もちろん、限度があるのは当たり前です。毎年200兆円も300兆円もおカネを発行すれば、高インフレになってしまいます。しかし、毎年、財政に不足する程度、例えば20兆円や30兆円のおカネを発行したところで、インフレの心配はありません。

その理由は簡単で、国債で通貨を調達しても、通貨発行で通貨を調達しても、同じ金額だけ世の中のおカネ(マネーストック)が増えるからです。ですから、たとえば、毎年発行されている30兆円の国債を発行する代わりに、30兆円の通貨を発行しても、世の中のおカネは同じだけ増加します。これはバランスシートから明らかです。

ただし、通貨発行で通貨を調達すると、マネタリーベースが同時に増加することになります。これは現在日本銀行が行なっている量的緩和(国債の買い入れ)と同じことです。ですから、市中銀行からの貸し出しが増加し、マネーストックが増加することがあるかも知れません。これがインフレのリスクです。

しかし、日銀が300兆円のおカネ(マネタリーベース)を発行しても、2%のインフレにすらならないわけですから、30兆円程度の増加で「ハイパーインフレ」などに、なるはずがありません。

ですから、財源が足りないのであれば、通貨を発行すれば良いだけです。そうすれば、国債をこれ以上発行する必要はありませんので、財政再建もなんなく実現できます。もし、通貨発行による財源をプライマリーバランスに参入すれば、即、プライマリーバランスは黒字化します(もちろん、それはプライマリーバランスという指標が、そもそも無意味であることを示していますが)。

財政赤字の真の原因は、政府が通貨を発行せず、国債の発行によって財源を確保しようとすることにあります。


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2018年10月17日水曜日

消費増税は、最悪のタイミング

財務省は安倍首相から来年10月の消費増税を表明させることで、後戻りのできない状況を作って大喜びだろう。しかし、この消費増税は「最悪のタイミング」である。

最悪のタイミングといえば、直ぐに思い起こされるのが過去の消費増税である。3%の消費税が導入されたのが1989年。その後、バブル崩壊によってデフレ不況に突入し、日本は消費税と不況のダブルパンチとなった。1997年には5%への引き上げが実施されたが、その直後にアジア通貨危機が発生し、増税の負の影響が相乗効果となって、経済はみるみる失墜して、税収も減ることに。

まるで、絵に描いたように、
最悪のタイミングで増税を実施するのが財務省。

そして、今度の消費税率10%への引き上げは、すでに最悪のタイミングであることが明白だ。にもかかわらず、新聞もテレビも危機感がまったくない。むしろ増税を喜んでいるのかもしれない。どうして最悪なタイミングなのか?

東京オリンピック効果が終わるタイミングである。当然ながら、東京オリンピックのために行なわれてきた財政出動はすべて終わり、また、その1年後にはオリンピック開催に伴う来場者等の消費がなくなる。すっぽりと、需要がなくなるのだ。

そして、このところ激しさを増してきた米中貿易戦争の問題もある。これに関してはエスカレートするばかりで、解決の先行きはまったく見通せない。中国はメンツにかけても引き下がることはないだろうし、トランプ大統領の共和党が中間選挙で負けたとしても、この方針は代わらないだろう。それどころか、国内の支持を得るため、トランプ氏がますます強い措置を打ち出すことも考えられる。場合によっては日本に噛み付いてくる恐れもある。

何より最大の懸念は「資産バブルの崩壊」である。これまでの経済の歴史に照らしてみれば、資産バブルとその崩壊は必ず繰り返す。そして、資産バブルの崩壊は、中央銀行の金利引き上げによって、生じる。まさに、FRBが金利を引き上げ、日本銀行が新聞マスコミの緩和への批判に負けて、やはり緩和を縮小しつつある。つまり、カウントダウンが始まっているのだ。

このタイミングで、平気で増税を行なう財務省。
それを何とも思わない新聞テレビ。

これで日本の社会が良くなるとしたら、奇跡しかあり得ない。
国民こぞって神様にお祈りしよう。

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2018年10月15日月曜日

NHKマネーワールドは牛肉抜きの牛丼

NHKマネーワールド「借金に潰される」は期待はずれでしたね。マネーに詳しい人の大部分は恐らく不満足だと思います。なぜなら、マネーシステムについての説明がすっぽり抜け落ちているからです。

今日のマネーシステムの根幹は「信用創造による通貨供給」です。ですから、マネーについて考えるときは、まず信用創造を基礎として、考察を始めなければなりません。ところが、番組は市中銀行の信用創造を完全にすっ飛ばして、話を進めているのです。これではマネーに関する国民のリテラシーはいつまで経っても向上しません。子供だまし番組はやめましょう。

NHKはマネーシステムについて、詳しく説明した番組を作るべきでしょう。

今日のマネーシステムである準備預金制度はややこしいシステムですから、説明しても十分に理解できない人は多いかもしれません。しかし、だからといって報道しない、あるいは原型を留めないほど簡略化して説明したのでは、国民のレベルは上がりません。一般国民に「自分はまるでわかっていない」ことを自覚させることもまた、重要なのです。

また、複式簿記の考えもすっぽり抜け落ちています。バランスシートです。バランスシートもマネーシステムそして資本主義の根幹に当たります。それが抜け落ちているため、金融負債の話が出てくるくせに、金融資産の話が出てきません。つまり、金融負債と金融資産は対になって発生あるいは消滅する仕組みになっており、それをベースに考察をすすめなければ意味がないのです。負債だけ、あるいは資産だけみても意味がない。両者を同時に見なければならない、それが資本主義の常識です。

ついでに言えば、「おカネが消える」の回もあいまいでしたね。大部分の国民は「おカネ=現金=紙幣・硬貨」という認識をしています。日常の経験に基づいて判断するからです。しかし実際の現金は日銀当座預金も含まれ、日銀の信用通貨全般のことを指します。しかし、その説明がすっぽり抜けているので、キャッシュレス(紙幣・硬貨を使わない)のことを、おカネが消えると称しているのです。これでは、国民に誤解を植えつけるようなものです。

つまり、マネーワールドという番組は、マネーのもっとも重要なシステムの部分をまったくすっ飛ばしているので、この番組を見ても、マネーのことは何もわからないのです。視聴者を「わかったような気分にさせる」だけです。

まるで、牛肉抜きの牛丼を食べさせるようなものです。

NHKはマネーシステムについて、詳しく説明した番組を作るべきでしょう。

なお、マネーシステムを噛み砕いてわかりやすく、なおかつ、変に省略することなく説明した書籍(電子本)を新発売しましたので、ご購読いただければ幸いです。

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2018年10月13日土曜日

「財政再建は通貨改革でOK」を発売しました

新作「財政再建は通貨改革でOK」(電子書籍)をAmazonにて発売開始しました。そのなかから、はじめに、の部分を以下に掲載します。書籍紹介は本編サイトhttps://sites.google.com/site/nekodemokeizai/home/syoseki/zaiseisaiken_tuukakaikaku

はじめに

 昨今、新聞を開き、テレビのスイッチを入れれば、財政再建の話や消費税増税の話を聞かない日はほとんどないでしょう。政府の借金(国債の発行残高)が国民1人当たり800万円を上回り、このままでは財政が破綻すると騒がれています。2019年に予定されている消費税の10%への増税だけでなく、さらにその先も消費税を増税し続けなければならないという。その一方で景気回復は足踏みの状態であり、財政支出の拡大を抑えるために公的な予算が削減され、トンネルが崩落するなどインフラは老朽化し、教育科学振興に振り向ける支援も伸び悩んでおり、今でこそノーベル賞の日本人受賞に沸いていますが、将来的にはそうした日本のテクノロジーを支える学問も衰退するのではないかと心配されています。

 日本を良くするためには、財政出動して老朽化したインフラを整備し、地震や台風といった災害の多発する日本における安全性を高める、あるいは政府が教育や科学の分野を支援して、日本の将来を支える人材を育成し、技術の開発を促進する必要がある一方、そうした財政出動を行なえば行なうほど、政府の借金が増大し、庶民に対する増税が強化されることになる。そうした増税は、庶民の消費活動を低下させて、ますます景気を悪化させてしまう。こうした状況に対して多くの人が焦燥感を覚えているでしょう。そのため多くの人々が将来への不安を持ち、おカネが貯め込まれるばかりで消費は増えません。

 しかし、新聞もテレビも、政治家も経済学者も、こうした状況に対して有効な手立てを提案できません。その多くは「財政再建を優先させて、人々に痛みを与える」あるいは逆に「財政再建を放棄して、人々を救う」という、どちらかです。つまり「財政再建」と「人々の幸福」のどちらかを取って、どちらかを捨てるという二者択一の方法論なのです。本当に二者択一しかないのか。その両方を同時に実現することはできないのか?ある評論家は「今日の政治家には、国民に痛みを伴う改革を受け入れさせる努力が必要だ」と言いますが、そうでしょうか。本当に必要なのは「財政再建と人々の幸福を両立させるアイディアを作り出す努力」なのではないでしょうか。

 本書では、「財政再建」と「人々の幸福」を両立させる一つの方法として、通貨制度の改革を提案しています。それを理解するには、今現在の私たちの社会の「おかねのしくみ」を正しく知る必要があります。残念ながら新聞やテレビに登場するおカネの話は極めて単純化されており、それだけではおカネの仕組みを理解することはほとんどできません。例えば、もし読者の方が「マネタリーベースとマネーストック」の関係性をスラスラと答えられないのであれば、今日のおカネの仕組みは何も理解していないことがわかります。マネタリーベースとマネーストックは現代の通貨制度の根幹的な知識です。

 従いまして本書では、今日のおカネの仕組みである信用創造や準備預金制度について触れ、それらが政府の借金(国債)と深く結びついている状況を説明します。また、そこから、政府の借金問題を根本的に解決する方法を提案し、同時に消費税の増税が不要であること、プライマリーバランスの考え方も不要であることをご理解いただけるよう筆を進めました。お話の内容はかなり難しいテーマかも知れませんが、できるだけ容易にご理解いただけるよう、対話形式にするなど工夫してみました。読者のみなさまのご参考になれば幸いです。

2018.10.10



2018年10月12日金曜日

アマゾン最低賃金引き上げは労働者の勝利?

最低賃金水準が低すぎるとの労働者たちの批判を受けて、アマゾンは最低時給を15ドルに引き上げる決定をした。これを労働者の勝利と捕らえる人もいますが、本当にそうなのでしょうか。

もし、私がある大企業の経営者だったらどうするか?最低賃金を率先して15ドルに引き上げ、さらなる引き上げも検討する、と発表しますね。それで、世間の会社に対する評価が高くなりますし、ブランドが向上するかも知れません。社長個人の名前も売れます。売り上げの拡大が期待できます。

その一方で、機械の導入を進めます。もちろん、それは内緒w。仮に自給が30%引きあがったとしても、人工知能やロボットを導入することで30%の従業員を解雇すれば、利益率には影響しません。50%の従業員を解雇すれば、賃金を2倍に増やせますので「どうです、わが社は最低賃金を2倍にした、労働者のための会社でしょう」と、世間の喝采を浴びることが出来ます。

労働者たちは、企業に圧力をかけて高い賃金をもぎ取ったと、戦果に意気揚々かもしれませんが、労働者全体で見た場合、失業者が増える可能性があるのです。つまり、時代が変わったのです。

時代が変われば、やり方も変えなければならないと思います。労働者の賃金を上げる方法であれば、それは、労働の価値に依存しなければなりません。今や労働の価値がテクノロジーの進化に伴って、どんどん低下しているのです。企業VS労働者という古典的なミクロの構造ではなく、もっと大きな、社会システムのレベル、マクロのレベルで庶民全体の所得の向上を図る必要が出てきました。

労働組合や活動家は、旧来のような労働の枠組みを超えて、社会全体のシステムとして、所得の向上を目指すべき時代になったと思うのです。

2018年10月9日火曜日

ベーシックインカムの持続可能性

ベーシックインカムの支給額は、テクノロジーの進化に応じて、徐々に増額し続けるべきだと考えます。ところが、そんなことすると、ハイパーインフレになる、地球資源が枯渇して環境が破壊される、という極端な反論が必ず出てきます。しかしハイパーインフレになったり地球を壊すほどおカネを支給しろなどと言っていません。

支給額は「テクノロジーの進化に応じて」なのです。

インフレが生じるのは、需要に対して供給が不足するからです。テクノロジーが進化すれば、生産性が向上することにより供給力が増大します。供給力の増大に合わせて通貨の供給を増大させるなら、経済規模が拡大するだけであって、インフレ率は低く抑えられます。さらに、貯蓄によって通貨が退蔵されたしまう(貯めこんで使われなくなる)点も考慮すれば、それ以上に通貨は供給されるべきでしょう。

一方、テクノロジーの進化に伴って生産性が向上しても、資源が不足すれば供給力を伸ばすことは難しくなります。しかしこれもテクノロジーの進化に伴って徐々に解消されます。その一つはリサイクル技術です。資源を使い捨てていれば、やがて資源が枯渇することは明白です。ですから目標として100%リサイクルを目指す必要があります。

またエネルギー資源については、太陽光を主体とする再生可能エネルギーの利用技術の向上があります。太陽エネルギーは膨大であり、課題はそれを利用するための技術開発だけです。また希少資源に頼ることなく、ごくありふれた物質を資源として利用する、代替資源の技術も有効です。そこらへんにある石、雑草、空気中の二酸化炭素などを資源化するわけです。これにより利用可能な資源の量が増大します。

もちろん、こうした技術の開発には費用も時間も必要です。ですから、一足飛びにベーシックインカムの支給額を増やすのではなく、こうしたベーシックインカムの持続可能性を高めるための技術の進化のスピードを考慮しつつ増やす必要があるわけです。

また、人々の生活が十分に豊かになれば、それほどおカネを必要としなくなると考えられます。ですから長期的にみると、支給額の伸びは徐々に低下し、あまり伸びなくなるのは自然なことです。とはいえ、人々が浪費をしたり、資源を貯めこんだりするなら、必要とする資源に際限がありません。全人類が宇宙旅行などしたら、地球の資源はいくらあっても足りません。ですから、満足すること、足るを知ることも重要です。学校等でそうした道徳教育も大切でしょう。

それと同時に、世界の人口爆発についても考慮が必要になるでしょう。先進諸国では少子化がすすみ、人口は減少傾向にあるものの、アジアの一部の地域や、とりわけアフリカが急激に人口を増やしつつあります。そうした人々も生活の豊かさを求める権利はあるわけですが、爆発的に増加する人々の権利まですべて保障できるほどに地球の資源があるとは思えません。人口増加に歯止めを掛ける方法を早急に検討すべきでしょう。

ただし、短期的あるいは地域的に言えば、日本におけるデフレを解消して経済を活性化することを考えるなら、テクノロジーの進化や人口爆発まで考慮する必要は無く、当面はインフレターゲットを用いて、供給力と支給額のバランスを取ればよいでしょう。

ベーシックインカムの持続可能性については、拙著でも取り上げています。



2018年10月5日金曜日

将来世代へのツケが国民の貯蓄の元

「将来世代へのツケを増やすな」と主張する人がいますが、将来世代へのツケこそが今の国民の貯蓄の元になっています。つまり、将来世代へのツケを増やさなければ、国民は貯蓄を増やすことができないのです。

通貨制度を知らないと、何のことかわからないと思います。現代の通貨制度では、誰かが銀行から借金することによって通貨が発行されています(信用創造)。つまり、誰かが借金を増やさない限り、世の中のおカネは増えない仕組みになっています。

ですから、いま、家計の金融資産が1800兆円あるとされますが、それは誰かの借金、たとえば、政府の負債(国債)1000兆円によって発行されたおカネです。国債とは「将来世代へのツケ」ですね。つまり、将来世代のツケが、めぐり巡って、私たちの貯蓄になっているのです。

ですから、私たちが貯金を増やしたいと願うならば、将来世代のツケを増やさねばならないのです。逆に言えば、将来世代のツケをなくしたいのであれば、私たちの貯蓄の大部分を消し去ってしまう必要があるのです。

なぜ、こんな無茶苦茶な話になるのか?
それは、借金によっておカネが作られているからです。

もし、誰かが借金をするのではなく、政府が通貨を発行したらどうでしょうか。それが「ソブリンマネー(制度)」です。政府が通貨を発行するのですから、誰も借金をする必要はありません。そして、政府が発行した通貨が、めぐり巡って私たちの貯蓄になるのです。その場合、将来世代へのツケが増えることはまったくありません。将来世代のツケを増やさなくとも、私たちが貯蓄を増やすことができるのです。

考えてもみてください。私たちが必死に働いて、節約して、おカネを貯めたとしても、それがなんと「将来世代へのツケ」が元になっているんです。努力しておカネを貯めるほど、将来世代を苦しめるんです。こんな馬鹿げた話はないでしょう。こんな通貨制度は止めるべきです。

ソブリンマネーを導入しましょう。

2018年10月2日火曜日

崩壊しないバブル景気をヘリマネで

バブル景気を知らない世代は、マスコミの誘導もあって、バブル期を単に忌まわしいだけの時代だと思っているかも知れません。しかしそうではありません。バブル経済の功罪を正しく理解することが大切でしょう。

バブル経済は必ず崩壊します。崩壊して長期的なデフレ不況を招き、多くの人を苦しめますから、バブル経済は決して歓迎すべきものではありません。しかし、バブル景気における当時の経済状況は、決して人々を不幸にするものではありませんでした。バブルの時代はどうだったのでしょうか?

一言で言えば「景気がむちゃくちゃ良い」。いま、アベノミクスで戦後最長の経済拡張期だ、などと評する人もいますが、笑ってしまいます。こんなものは好景気とは言えません。バブル経済の時代を知らないから、そんな暢気なことが言えるのでしょう。バブル景気に比べれば、アベノミクスは水増ししたオレンジジュースのようなものです。

バブル期は「一億総中流社会」などと呼ばれました。バブル期において多くの国民の所得が増加し、中間所得層が増加し、低所得層は減少したのです。当時は貧困や格差が社会問題として大きくクローズアップされた記憶はありませんし、もちろん「子供の貧困」など聞いた事もありませんでした。仮に貧困があったとしても、景気が良くて税収が潤沢ですから、社会保障によって手当てすることは容易だったはずです。財源ガー、借金ガーとは無縁です。

当時も人手不足だと騒がれました。しかし、人手不足が経済の足を引っ張るなんてことは、まったくありませんでしたね。そして、人手不足を背景として、賃金が上昇し、とりわけ、アルバイトのような非正規雇用(短期雇用)の賃金がすごく良かったのです。若年者なら正社員よりも良いくらいでした。そのため、正社員にならず、フリーのアルバイター(フリーター)として、おカネにゆとりのある生活を送る人もいました。あの時代こそが、多様な働き方の時代です。

おカネにゆとりがあるため、人々は高級品志向、本物志向になりました。これはムダな贅沢などではありません。質の高い商品、健康に良い食品、満足度の高いサービスを得ることができ、それは人々の生活を健康で豊かにしてくれるのです。それはおカネがあればこそ可能です。

もちろん、商品がどんどん売れれば、企業の投資も活発になります。それは新しい商品やサービスを生み出します。企業の活発な投資によって、企業の国際競争力も高まったでしょう。

当時はおカネがありましたから、多くの庶民がリゾート地へ、つまり地方へ人々がどんどん遊びに出かけました。これは地方の経済を活性化していたと思います。海に山に。今やカネのない庶民は「安近短」の旅行でおカネを使わなくなり、地方経済は外国人観光客だのみの状態です。観光業ですら「外需依存」です。

では、そうした「景気がむちゃくちゃ良い」状況がなぜ生じたのでしょうか?世の中におカネが溢れていたためと考えられます。実際、マネーストック統計を見ればわかりますが、バブル期のマネーストックの伸び(増加率)は、今の3倍くらいあります。それだけおカネが増えれば、当然ながら庶民の懐にもおカネが流れ込んできます。

では、このおカネはどこから出てきたのか?それは「借金」です。すべてのおカネは借金から出来ていますので、当然と言えば当然です。では誰の借金なのかと言えば、一つは投機筋(マネーゲーム)、もう一つは企業(実物経済)です。

バブルは、もう少し詳しく言えば、資産バブルになります。金融資産(株式、証券)、不動産(土地建物)あるいは先物(石油、金属資源)といった資産が、市場で転売され、価格がどんどん上昇する状態です。この取引は、銀行からカネを借りることで、活発に行われます。借金によって、膨大なおカネが発生します。

そして、これはあくまで「借金」なのですが、驚くべきことに、資産が上昇を続ける限り、借金で資産を売買する過程で、借金が「売買差益」つまり利益に化けます。この利益が世の中にどんどん流れ出してきます。これがバブル景気を支えます。

景気が良くなると、それは企業活動にも影響し、企業の投資が増加します。企業はさらなる売り上げ拡大を目指して商品を開発したり、生産ラインを増強します。ただしこの投資も銀行からの借金によって賄われますから、世の中全体の借金はますます増加します。

ところが、資産価格が天井知らずで上昇するなどあり得ません。実体経済の成長を超えて通貨が増え続ければインフレを招きますから、中央銀行が必ず金利の引き締めにかかります。こうして借金して資産を売買しても利ざやが抜けなくなると、ある時点で、売りが売りを呼び、資産価格が連鎖崩壊します。これは避けられません。

バブルが崩壊すると、あれだけ景気が良かったにもかかわらず、あっというまにデフレ不況になります。生産設備も労働力も、バブル崩壊の前後で何も変りません。供給能力は十分にあるのです。にもかかわらず、供給システムが機能不全を起こして、不況になります。カネが動かなくなるという理由だけで。

ですから、バブル景気は絶対に永続できませんし、意図して引き起こすべきでもありません。しかし、バブル期における好景気は悪いものではなく、むしろ歓迎すべきものです。では、バブル期のような好景気を、バブルに頼ることなく起こすことができるのでしょうか。考えてみてください。バブル期を支えたのは「マネーストックの伸び」です。マネーストックを伸ばせば、間違いなく景気が良くなるのです。

ただし、今までの古典的な手法(金融政策)であれば、おカネを増やすには誰かが大量に借金をするしか方法がありません。だから日銀が量的緩和をやって必死に貸し出し金利を下げています。バブル経済の時は、企業、投機筋が莫大な借金をしました。しかし今やそれは無理です。あるいは政府が借金することでおカネは作れますが、すでに景気対策のために、政府が膨大な国債を発行しておカネを作り出してきました。もう、これ以上、誰かに借金を押し付けることは難しいでしょう。では、どうやっておカネを増やすのか?

ヘリコプターマネーです。政府がおカネを発行するのです。

と言っても、無制限にカネを発行しろというのではありません。マネーストックの伸びを今の2倍にするだけでも年間30兆円くらいのおカネができます。これを国民に配るわけです。それでもバブル期のおカネの伸び率には及びません。そんなに心配なら、まず年間15兆円程度(国民1人当たり毎月1万円)から始めてみれば良いと思います。

ヘリコプターマネーによって、決して崩壊しない、バブル期並みの好景気を実現しましょう。これなら、バブル経済のように、突然に崩壊しておカネが回らなくなる心配はまったくありません。もし、心配する必要があるとすれば、それはヘリマネがバブルを誘発するリスクです。こうしたリスクに対しては、あらかじめソブリンマネーを導入することで完全に防止することが可能になるでしょう。

本編サイトにも同時掲載

2018年9月28日金曜日

デフレはなぜ悪いのか

デフレ(デフレーション)が良いと考えている人が今でも居るかも知れません。では、デフレがなぜ悪いのか、デフレのままだと将来どうなるかを考えてみましょう。

<デフレそのものが悪いというより、デフレを引き起こしている経済環境が悪い>

デフレ(物価の下落)そのものは私たちの生活にとって悪いことではありません。物価が下がって得をしている人も大勢居ます。ではなぜデフレが悪いのか?実際には物価の下落そのものというより、デフレを引き起こすような経済環境(デフレ不況)に問題があります。

デフレを引きこすような経済環境とは?それは供給に対して需要が不足している状態です。この状態になると、市場では商品が売れ残り、企業の値下げ競争が始まりますので、物価は下落し、デフレになります。この状態がまずいわけです。デフレとは商品が売れ残る状況ですから、企業は財の生産を縮小します。そのため、社会全体としての富の産出量が減少しますから、社会は貧しい方向に向かいます。これはGDPは縮小を意味します。そもそも供給力が十分にあるのであれば、生産を縮小する必要はないはずです。より多くの財を生産して人々に分配すれば、社会は豊かになるのですから。

ところが、需要が足りないために生産が縮小されてしまいます。なぜ需要が足りないか理由は単純明快であり、それは消費者に購買力が不足しているからです。つまり「買いたくてもカネが無い」わけです。評論家の中には「おカネが無いのではなく、人々に欲がないからだ」などと主張する人がいますが、大きな間違いです。もし欲が無いほど満足な社会ならば、低所得層や貧困などあり得ないからです。彼らは欲が無いから低所得層や貧困なのではありません。カネが無いのです。

どれほど人々に欲求があったとしても、おカネがなければそれは需要に結びつきません。おカネに裏付けられた需要を「有効需要」といいます。デフレとは供給に対して有効需要が不足した状況です。これがデフレの正体であって、単に物価が下がることではありません。この状況が悪いわけです。様々な問題を引き起こす元凶となるからです。

<賃金が減り続け、貧困と格差が増加し続ける>

デフレ不況になると商品が売れ残るため、企業の値下げ競争が始まります。商品を値下するために人件費がカットされることになり、労働者(=消費者)の賃金が下落してしまいます。賃金が下落するため、消費者の購買欲が一層低下し、ますます商品が売れ残るようになります。すると企業の値下げ競争がますます激化する。こうした悪循環はいわゆる「デフレスパイラル」と呼ばれます。

また、賃金が下がるだけではありません。商品の価格を下げるためにリストラ(解雇)が始まります。景気の良い時であれば、解雇された人は容易に再就職できますが、不況下では長期間に渡って失業を余儀なくされるケースも多いでしょう。そうした人々は貧困化しますから、貧困や格差が増えることになります。また、デフレが長期化すると、コストダウンがリストラ程度では済まされず、多くの企業が日本の工場を閉鎖して従業員をすべて解雇し、生産拠点を中国のような途上国に移してしまうことが起きます。産業の空洞化です。

<ブラック企業が跋扈する>

デフレ不況になると失業者が巷に溢れます。現代の社会では(一部の資産家を除いて)働かなければ1円の所得も得られない仕組みになっています。つまり失業=死ぬしかありません。そのため、失業した人は生きるために、どんな苛酷な労働環境の仕事であっても、就職せざるを得ない極めて弱い立場におかれます。もし好景気であればこんなこと起きません。酷い労働環境の仕事であれば、社員がどんどん辞めてしまうからです。こうして低賃金・長時間労働によって社員を酷使することでコストを抑え、低価格の商品やサービスを提供するブラック企業が台頭してきます。

こうしたブラック企業は、従業員を犠牲にすることで強い価格競争力を獲得しています。そのため、従業員を厚遇するホワイト企業はコスト競争でブラック企業に駆逐されることになり、結果として社会全体にブラック企業が蔓延することになります。ブラック企業が雇用を生み出しているというおかしな主張がありますが、実際にはブラックな雇用が増えて、そのぶんホワイトな雇用が減るだけです。

<経済力がどんどん衰退して貧しくなる>

デフレ不況ではモノが売れません。売れない環境では企業の投資は減ってしまいます。利益が減るため投資余力がなくなりますし、投資しても回収の見込みが立たないからです。生産設備への投資はもちろん、研究開発、商品開発も十分に行なわれなくなります。すると、社会の供給力が伸びなくなってきます。これは経済成長率が低下することを意味し、国民の生活水準が伸びなくなることを意味します。また、長期的に投資が行われなければ、潜在成長率も低下します。生産設備が老朽化し、技術やノウハウの蓄積もされなくなるからです。そして輸出競争力が損なわれ、輸出が減退して輸入超過となり、やがてギリシャ化しても不思議はありません。社会は貧困化へ向かいます。

少子高齢化の日本では、ますます投資が必要とされています。なぜなら、技術を開発し、生産設備を増強することによって、生産性を高める必要があるからです。そうしなければ、労働力不足によって供給力が減ってしまうからです。逆に言えば、少子高齢化になっても投資が行われない状況(デフレ不況)にあることは、将来的に大変危険であると言えます。供給力が不足してインフレを引き起こす原因になるからです。このインフレは供給力の低下によって生じるため、悪性のインフレになる可能性が高いのです。このインフレはデフレより遥かに厄介な事態を招くでしょう。

<デフレの時代に再分配する事の難しさ>

貧富の格差問題を、デフレ不況ではなく、所得の再分配の機能不全によるものだと考える人もいるでしょう。しかし考えてみると、デフレの環境で再分配するのは、なかなか難しいものです。なぜなら、デフレになると税収が落ち込むため、再分配するためには、まず「増税しなければならない」からです。いくら「格差是正のため」と美辞麗句を言われても、税金が増えることを喜ぶ人はいません。つまり、デフレ不況のままでは再分配はやりにくいのです。

一方、デフレから脱却して景気が回復すると、市場を循環する通貨の量が増大します。すると、現在の税制によれば、税率がそのままでも税収は増えます。つまり、景気回復すれば増税することなく、税収が増えるのです。この税収が再分配の原資となります。これにより増税することなく社会保障を充実することができます。また、そもそも好景気になると失業が減って所得が向上するため、社会保障に必要とされる経費も少なくなります。

<デフレの被害はまだら模様に現れるので軽視されがち>

デフレを理解する事の難しさは「被害がまだら模様に現れる」ことにあります。たとえば、インフレは国民全員が痛みを感じます。買い物に行って、商品の値段が値上がりしていれば全員が痛みを感じます。しかし、デフレは国民全てが痛みを感じるのではありません。それどころか、商品が安くなるという「うれしい感覚」さえあるという始末です。

インフレはすべての国民に同時に影響しますが、デフレは国民のごく一部の人にだけ、集中的に影響します。デフレの悪影響は、賃下げされる人、リストラされる人、派遣労働者やパート社員といった、社会的弱者に襲い掛かります。それ以外の大部分の人たちにとっては痛くも痒くもない、むしろデフレは快適なのです。

デフレによる犠牲者は「椅子取りゲーム」の敗者のように、一人、また一人とじわじわ増えます。椅子にすわっているうちは、その事に気が付きません。椅子が無くなった瞬間、どん底に落とされる事になります。これは主に会社の倒産、リストラなどによる失職のためです。不況で、職場そのものがジワジワとなくなるのです。デフレ不況ですから、椅子の数は増えません。椅子は奪い合いになるだけで、全員が座ることはできません。

このように、デフレの犠牲者は一部の人にだけに、徐々に現れる。だからこそ、国民全体の危機感としては現れにくいと言えます。そして国民全体に被害が及んで大騒ぎになった時には、すでに手遅れになっている危険性がある。それが、デフレの盲点なのです。

<デフレの解決はインフレより簡単である>

デフレの解決はそれほど難しくありません。供給力に比べて有効需要が不足した状態にあるのですから、消費者(家計)におカネを給付するだけで良いのです。おカネが不足している人は大勢います。おカネが無いから買いたいものを我慢している人もたくさんいます。そうした国民におカネを給付するだけです。財源はおカネを発行するだけで確保できますので、何も難しいことはありません。手続きだけで可能です。

一方、もしインフレなのであれば、これは解決が少し面倒です。インフレは有効需要に対して供給力が追いつかない状況です。供給力を増やすには、生産設備の増強や生産性の向上が必要になります。これはおカネを発行するのとは違って格段にハードルが高い作業になりますし、時間も必要です。もし短期間にインフレを収束させたいのであれば、有効需要を減らす必要がありますので、増税が行なわれるでしょう。ただしこれは給付金とは逆に、国民の反発を招くことになるでしょう。

生産設備や生産性がまだ不足していた時代、たとえば高度成長期の場合は、インフレになりやすい環境にありました。この時代はインフレ対策がとても重要であり、デフレなど起こるとは考えられもしなかったでしょう。しかしテクノロジーが進化して生産設備の蓄積も進んだ21世紀の今日にあっては、インフレではなくデフレが生じるようになりました。これは供給力が大きくなった結果であり、おカネを国民に配って、有効需要を増加するだけで、この供給力を十分に活用することが可能であり、それが国民を豊かにする方法なのです。

本編サイトに同時掲載

2018年9月25日火曜日

ベーシックインカムには種類がある

多くの人は、ベーシックインカムとは一つの統一された考えだと勘違いしているかも知れません。しかしベーシックインカムには考え方の違いによって、複数の種類があることをご理解いただく必要があります。

ベーシックインカムとは、最低所得保障、最低限の生活を保障する制度であると考えられています。多くのベーシックインカムがその意味では同じであったとしても、同じ制度にはなりません。例えば、保障される最低生活がどの程度なのか、それだけでも、考え方に違いがあります。

例えば、7万円で最低生活できると主張する人も居れば、それでは死なないだけであって不十分であり、10万円は必要だと考える人もいます。私は最低でも15万円なければ人間として生活しているとはいえないと考えています。

それだけではありません。財源にしても違いがあります。消費税を増税して財源にすべきとの人も居れば、所得税だ、あるいは私のように通貨発行益を加えるべきだとの考えもあります。

しかし、多くの人はまだまだ「ベーシックインカム」という言葉さえ聞き慣れないのであって、それを最低生活保障であると理解しているだけでも珍しいような状況です。とても、ベーシックインカムに多くの種類があるとは知りませんし、もちろん、歴史的な背景も何も知らないでしょう。

こうした中で、例によってマスコミがベーシックインカムの多様な意見を紹介するのではなく、彼らの都合に合わせて、特定のベーシックインカムを取り上げて「ベーシックインカムとはこうである」とのプロパガンダを開始するのではないか、との不安があります。とりわけ、マスコミは財務省にべったりですから(消費増税の翼賛報道からみて)、財務省に都合の良い、おかしな考えを広げるリスクはあると思います。

ベーシックインカムの種類にも様々な分類の仕方があると思いますが、例えば次のように分類することができると思います。詳しくは、本編サイトも参照ください。

①独占型(資本主義型)

生産の効率性を最大化することが目的となる。そのため、生産性の低い労働者には生産活動から「退場」いただき、死なない程度の最低生活を保障することで、残りの富を生産性の高い労働者と資本家によって独占する。よって、支給額は死なない程度。

②貧困型(清貧思想型)

少子高齢化によって、日本はもう成長しない、衰退する一方である。だから貧しくなることを受け入れよう。再分配を強化して、みんなで貧しくなろう。貧しいことは美しい、これからは精神の時代だ。という価値観を持つ。よって、支給額を増やしてはいけない。

③緊縮型(財政均衡型)

政府の負債を減らして財政再建することを最優先に考えている。そのためには消費増税が必要だが、単に増税するといえば、国民の反発を食うので、ベーシックインカムという社会保障制度を導入して、格差や貧困を解消するとの大義名分はとても役に立つ。ベーシックインカムによって、死なない程度に保障しながら、残りの税収を国債の返済に回す。「痛みを伴う改革」。

④未来社会型

テクノロジーの進化や資本蓄積によって供給力の十分に大きくなった未来社会では、人間の労働なしに財が供給されるようになる。だから、技術の進化に伴って、労働とは無関係に人々におカネが給付されるのは当然だ。よって支給額は、増え続けるべき。

これは、自分の分類なので、他にも分類方法はあるでしょう。しかし、傾向として、こうした違いがあることは、様々なベーシックインカムの主張を観察していると見えてきます。

ベーシックインカムと一口に言っても、実際には多くの考え方があることを知っていただきたいと思います。さもなければ、またまた、マスコミの誘導によって、おかしな方向へ世論が操作されてしまう恐れもあると思うのです。

2018年9月21日金曜日

増税論者は供給力の話をスルーする

相変わらず新聞の紙面には「増税せよ」の論客が次々に登場する。しかし、すべての増税論者に共通する点があるようです。それは一様に「供給力には触れない」ということです。

もちろん、すべての増税派の主張を読んだわけではないので、100%とは言い切れませんが、自分の記憶にある限り、消費増税を主張する論の中に、供給力の話が出てきた記憶はありません。なぜ供給力の話が出てこないのか?供給力の話をすると、増税する必要性のないことがバレるからだと思います。

ほとんどの増税記事に出てくるのは「少子高齢化とカネ」の話でしょう。高齢化によって必要となる社会保障費が増大し、少子化つまり労働力人口の減少によって税収が減るという話が出てくるはずです。もちろん、その部分だけを論拠にするならば、増税やむなしとの結論に容易に結びつけることができるでしょう。

しかし、1900年代の社会ならいざ知らず、経済環境は時代と共に変化し続けているのです。とりわけ生産資本の蓄積と、テクノロジーの進化に伴う生産性の劇的な向上が続く現代では、これまでの時代とは比較にならないペースで供給力が増大しているわけです。それが日本においても「デフレ」つまり、供給力の余剰という形で現れています。

以前から何度も申し上げているように、社会保障を実際に支えるものは、おカネではなく「財」=モノやサービスであり、それらを供給する供給力です。ですから、社会保障制度の持続可能性を決めるのは、おカネつまり「財源」ではなく「供給力」なのです。

その供給力が今の日本では余剰だからデフレなのです。つまり、モノは余るほどある。しかも絶えざる生産資本(工場・生産設備)の増加とテクノロジーの進化(生産性の向上)によって、おそらく少子高齢化を上回るペースで供給力を増大させることも、可能なはずです。

もちろん、供給力を増大させるためには「投資」が必要です。つまり、社会保障を持続可能にするためには、増税ではなく、供給力を増大させるための投資が必要であることは明白です。そして、高齢者の生活や介護を支えるために必要十分な財を供給するだけの供給力さえあれば、財源などどうにでもなる話なのです。逆に言えば、いくら増税によって財源を確保したところで、供給力が不足すれば社会保障は破綻するのです。

ところが、増税論者の話には、供給力の話は出てきません。おそらく、社会保障の本質である「供給力」を論じれば、増税の必要がないことが即バレになってしまうからではないかと思います。財源を確保するだけの話なら、増税をまったくせずに、おカネを発行すれば済む話だからです。

もちろん、供給力が十分にあれば、通貨発行に伴うインフレの心配はありません。なぜなら、供給力が需要を裏付けしているからです。通貨発行がインフレを伴うのは、需要に供給力が追いつかない場合のみです。十分な供給力があればインフレは起こりません。

増税論者は供給力に触れたがらない。供給力は無視して、おカネの歳入と歳出の話だけをする。そして歳入が足りないから、増税しなければ社会保障が維持できないと主張する。こうした欺瞞が新聞マスコミで毎日のように繰り返されているのです。

2018年9月17日月曜日

アベノミクス成功!とは言い難い

アベノミクスに一定の効果があったことは明らかですが、では「アベノミクスは成功!」と胸を張れるかと言えば、そんな状況ではないと思います。

アベノミクスを失敗だと評する人が居ますが、それはさすがに客観的とは思えません。失業率が減少し、企業の利益が増加し、通貨供給も以前よりは伸びてきたからです。ただし、政権発足から5年の歳月を費やしても、まだインフレターゲット2%すら達成できていません。はたして、それが成功と言えるのか?時代はリーマンショックからの回復期にあり、下手をすると、アベノミクスでなくとも、その程度まで回復できたかも知れないのです。

しかも、それはあくまでマクロ指標であって、本当にアベノミクスが成功したと主張するには、少なくとも庶民が景気回復を実感できるほどでなければ意味がありません。マクロ指標は重要であっても、マクロ指標を改善するために政治をするのではない。アベノミクスの低調ぶりは、まさに「伸び悩む消費」にそのまま現れていると思われるのです。

遅すぎる回復のスピード。経済政策として金融緩和だけでは不十分であったといわざるを得ません。アベノミクス3本の矢のうち、もっとも効果の高い「財政出動」が蔑ろにされてきたことに大きな原因があったであろうことは、ほぼ間違いないでしょう。

消費税の増税さえなければ、今頃は・・・・

そう主張するかも知れませんが、アベノミクスは政策ミックスであって、政策の一つである「消費税の増税」もアベノミクスの一環であったわけです。つまり、消費税の増税が含まれるだけでも、アベノミクスには欠陥があるといわざるを得ないのです。

もちろん、財務省をはじめ、自民党議員、マスコミ、御用学者といった緊縮派の面々がひしめく今の日本の政治の中で、それ以上を望むのは酷だとの意見もあるでしょう。しかし、そんなことで「まあいいか」などと国民が妥協していたら、社会を支配する連中の都合の良いようにやられてしまうだけです。

アベノミクスは甘すぎる。

ぬるま湯のような金融政策や財政政策だから、5年経ってもインフレ率2%すら達成できないほど消費が伸び悩み、国民の生活実感が改善しない。消費が増えることで国民の生活が底上げされなければ、アベノミクスに何の意味があるのか。消費増税のお膳立てのためなのか?

今からでも遅くはない。大胆な金融緩和と財政出動を行なうべきだ。それは金融緩和と財政出動のあわせ技である「ヘリコプターマネー」によって可能であり、それは国民の消費を引き上げることで国民の生活そのものを向上させ、それによりインフレターゲットも容易に達成することが可能となるのです。


2018年9月12日水曜日

完全雇用を前提とした社会は時代遅れ

戦前から戦後の時代、完全雇用は政府の目指すべき重要方針の一つであることは疑いのない事実でした。しかし止まることのないテクノロジーの進化は、そうした完全雇用を前提とする社会の終焉を予兆しています。

かつて社会に必要とされる多くの財は、人間の労働によって生み出されてきました。しかし科学技術が進化するにつれ、人間の労働よりも、むしろ機械の働きによって財が生み出されるようになってきたことは周知の事実です。そしていわば人間は機械に仕事を奪われ、その人間が新たな財の生産に従事することによって、社会全体の財の生産量と質を向上させてきたと言えます。

しかし、技術の進化速度はますます速くなり、ついにはロボットや人工知能が登場するに至り、将来的には、研究開発といった仕事を除いて、生産活動に人間の労働を必要としなくなる日が来ることは明白です。もちろん、それは将来の話であるとはいえ、そうした変化は徐々に起きるのであって、今現在も起こりつつあると言えます。

そうした状況において、果たしてすべての人々に仕事を与える、つまり雇用を作り出し、完全雇用の社会を実現することは可能なのか?考えるまでもないでしょう。不可能です。

もし仮に、それでもなお雇用を作り出すとすれば、まったく意味のない作業、それこそ「穴を掘って埋めるだけの仕事」に近いような仕事をさせるしかありません。

今日、安倍首相が一億総活躍社会を目指し、新聞が70歳定年制を書き立てています。そのため、高齢化社会ではそれが当然であるかのように考える人も居るでしょう。

確かに、働く人が減ると経済や社会保障が衰退してしまいます。それはなぜか?人手不足によって財の生産が滞るからではありません。それは戦前・戦後の話です。いまやロボットや人工知能のような「機械」がそれらの生産を担ってくれるからです。では、なぜ働く人が減ると経済や社会保障が衰退するのか?

ほぼ労働によってのみ、消費者におカネが供給されるから。

そのため、働く人が減ると、消費者に供給されるおカネの量が減り、社会全体の購買力が減って消費が衰退すると同時に、税収も減少し、社会保障が維持できなくなるのです。つまり、おカネの大部分が賃金としてのみ消費者に供給されている限り、この問題は永久に解決できません。

にもかかわらず、一億総活躍社会のように、政策として完全雇用を目指し、完全雇用のために延々と仕事を作り出そうとする努力は、完全にテクノロジー社会の進化の方向に逆行しているといわざるを得ないわけです。

しかし、現在の与党・自民党はおろか、野党においてすら、こうした問題を正しく理解している政党はありません。いまだに「労働者VS経営者」なんて話をしていても、この問題を解決する事はできないのです。テクノロジーの時代の変化に対応するためには、「労働によらずに消費者におカネを供給するシステム」が必要とされます。これは将来的には「絶対に避けられない」のです。簡単にいえば、ほとんどすべての仕事が機械化されてしまえば、それ以外に消費者におカネを供給する方法がないからです。

もちろん、あと10年ほどでそうした時代が訪れるとは考えられません。しかし、足元ではすでにそうした変化が着実に進行しているのであり、それが慢性的なデフレ、賃金の伸び悩みといった形で経済に影響していると考えてほぼ間違いないでしょう。

これからの時代に求められるのは、完全雇用のために仕事を作り出したり、あるいは65歳以上の高齢者に仕事を与えたりすることではなく、「労働によらずに消費者におカネを供給するシステム」を構築することです。すべての国民に毎月1万円を支給することから徐々に始めていけば、無理なくそうしたシステムを構築することができると思うのです。


2018年9月9日日曜日

災害不況の防止にヘリコプターマネー

広島・兵庫の豪雨、台風21号、そして地震。災害が多発する日本。災害が招く不況を防止するため、通貨を発行して被災者に給付すべきでしょう。

広範囲の災害は不況を招く恐れがあります。例えば台風や豪雨などで農家が大きな損害を被るとどうなるでしょうか。農家は農作物による収入が減り、また被害の復旧のために費用が必要となるため、購買力が低下してしまいます。

あるいは、家計においても、住宅の浸水、損壊などを修復するために多額の費用が必要とされるため、購買力が低下してしまいます。すると、住宅の修理の需要は増大するものの、それ以外の消費(衣料、家具、家電、趣味娯楽など)は減ってしまいます。

これらの財は災害のいかんにかかわらず、世の中に供給されているわけですから、これらが人々に行き渡る必要がありますし、そうでなければ、それらを生産している企業の売り上げが減少して収益が悪化し、家計に支払われる賃金の伸び、あるいは企業の設備投資に悪影響を及ぼすことになります。つまり、おカネの循環を維持する必要があると考えられるわけです。

そのばあい、通貨を発行して被災者に給付する「ヘリコプターマネー」が有効であると考えられます。財務省などは通貨発行ではなく、これを「増税」で賄おうとするでしょうが、それは意味がありません。なぜなら、増税によって被災者におカネを給付すれば、被災者の購買力は維持されるものの、それ以外の消費者の購買力が損なわれてしまうため、経済全体としてみれば、購買力が低下することになるからです。

経済全体の購買力を維持するためには、増税することなく、被災者に給付金を支給する必要があります。それはヘリマネによって可能です。過度のインフレを心配する必要はまったくないと言えるでしょう。なぜなら、衣料、家具、家電、趣味娯楽など多くの商品の供給力は、被災前とほとんど同じように確保されているからです。

もちろん、農地が被害を受ければ食品の価格そのものは値上がりするでしょうが、それは農産物の供給が不足するからであり、それはヘリマネを実施しようが、実施しまいが、同じことです。どのみち、供給を増やす以外に、農産物の値上がりを防ぐことはできません。

それよりも、被災の悪影響が他の産業全体に波状に広がる事態を防ぐことが重要だと思われます。そのためにヘリマネは有効です。仮にそれによって社会全体のインフレ率が多少上昇したところで、これはいわゆる「インフレ税」に該当するものであり、広く薄く、社会全体で負担することになるわけです。

もちろん、通貨発行をなぜか必死になって阻止しようとする人々が居ることも確かです。そうした場合は、国債によって通貨発行を行っても同じ効果があります。それらの国債は日銀が引き受けることにより、その後の経済状況を見ながら柔軟に国債の償還(税金による世の中からの通貨回収)を行なうことができるはずです。

テクニカルな方法はいろいろあるでしょう。が、基本的な考えは、災害の悪影響が経済全体に波及することが無いように、被災者におカネを給付する政策を積極的に行なうべきというものです。

2018年9月7日金曜日

相次ぐ災害 復興増税誘導に注意

災害が相次ぐ日本。被災地の復興や生活支援に名を借りた「増税」を財務省が企み、新聞を使って増税誘導の提灯記事を出すかも知れないので、注意が必要です。

広島岡山の集中豪雨、台風21号、北海道厚真の地震など、今年は災害が相次ぐ年になってしまいました。しかしここで警戒すべきなのは、こうした被災地のインフラ復興や被災者の生活支援の財源を確保するため、と称して、財務省が「増税」を仕掛けてくる恐れがあることです。

すでに東日本大震災の際に前例がありますから油断なりません。災害に加えて増税すれば、日本経済はますますデフレが悪化し、経済が低迷して、最悪の年になりかねません。

災害の際に増税するとすれば、それは途上国のようなインフレ傾向の国が行なうべき政策です。途上国は財の供給力が弱いため、災害に伴ってさらなるインフレが引き起こされるリスクがあるからです。こうした「供給力が限られている国」では、限られた供給力を被災地の復興や被災者支援に配分するために、増税による再配分が有効であると考えられます。

ところが、日本は先進国であり、しかも供給力が余っているデフレの国です。こうした膨大な供給力を抱える国では、災害によってインフレが引き起こされるリスクは低く、単におカネを発行して潜在的な供給力を稼動させるだけで、被災地の復興や被災者支援に対応できると考えられます。再分配の必要がありません。

つまり、財務省の官僚の頭の中は途上国であることがわかります。

もちろん、災害の規模が大規模で、供給力そのものを過度に破壊する場合があるかも知れません。しかしこれは極めて稀であり、例えば東日本大震災ほどの激烈な災害であったとしても、インフレを引き起こしませんでした。東南海地震の場合はかなりの被害が想定されますが、少なくとも本年に発生した程度の災害であれば、日本の供給力に大きな損失はありません。

ですから、供給力の十分に備わっている日本の場合、被災地の復興、被災者の生活支援のために必要なおカネは「通貨発行」によって供給すべきであり、間違っても増税を行なってはならないと言えます。それでなくとも「自粛ムード」の漂いがちな日本人ですから、増税なんかしたら、ますます自粛してしまいます。

しかし、財務省は増税のためなら、国民の不幸も平気で利用するような連中ですから(東日本大震災の前例あり)、警戒が必要です。もちろん、その先鞭を付けるのは新聞テレビのようなマスコミです。被災者支援の増税と聞けば、多くの国民は深く考えずに安易に賛成してしまうかも知れません。もちろん財務省はそれを狙ってくるわけです。

増税によるのではなく、復興支援のために通貨を発行して対応し、仮にインフレになったとしても、せいぜい数パーセントの話であって、むしろインフレ傾向になれば景気が回復軌道にのる可能性もあるでしょう。そして、通貨発行によるインフレはいわゆる「インフレ税」を意味し、それは、しこたま資産を貯めこんでいる人々ほど負担率が高い構図になるわけです。いわゆる消費税のような逆進性はありません。

いずれにしろ、災害復興を口実にした増税を言い出すマスコミ、御用学者、族議員などが出てこないか、十分な警戒が必要だと思います。


2018年9月4日火曜日

呆れた御用学者の増税主張

財務省の御用学者は「消費増税でも成長は可能」というが、これが大間違いであることは、8%への引き上げの悪影響がいまだに続いていることからも明白です。

読売新聞には定期的に1面トップのコラムに御用学者の記事が掲載されている。内容は消費増税、財政再建を持ち上げる提灯記事である。もちろん、この1面トップの記事に「両論併記」はあり得ない。つまり、ここで消費税増税とは別の方法論を目にすることはないのである。もちろん、提灯記事を繰り返し掲載することで、新聞は財務省から軽減税率の恩恵を受けることができるわけだ。

もとより、新聞は戦前の時代から国民を洗脳するための装置であって、それは戦前は国民を戦争に駆り立てるための世論形成を担っていたのであり、現代は国民を「緊縮財政による貧しい日本」に駆り立てる世論形成を担っていると考えて間違いない。もちろん、彼らにそのような意図が仮に無かったとしても、両論併記を怠ることで、「結果として」そこへ駆り立てているのである。

さて、新聞への苦言はその程度にして、例の御用学者の主張には、つくづく呆れたものである。曰く「消費増税でも成長は可能」だという。その論拠が驚くほど希薄である。

(引用)
たしかに、増税すれば消費者の購買力はその分少なくなるから、GDPの6割を占める家計の消費は減少する。しかし、この「消費の減少」は一時的なものだ。経済成長に伴い所得が増えるから、少し長い目で見れば消費は増大する。

こんな幼稚な理論に騙されるのは小学生か、新聞テレビしか見たことの無い高齢者くらいのものだろう。少し考えれば、そんなうまい話はないことがわかる。うまい話には要注意である。

消費税を増税すれば消費が減少するという。それは企業の売り上げが減少することを意味する。売り上げが減ったら企業はどうするだろうか?給料を減らす、あるいはリストラすることになる。つまり、消費増税によって国民所得が減少するため、そもそも経済成長できないのである。経済成長できないのに、どうして所得が増えるというのか。

しかし、御用学者は臆面も無く、こうした幼稚な理屈を繰り返す。なぜなら、こんな屁理屈でも「大新聞で大学の偉い先生が書いている」というだけで、信じ込んでしまう国民が多いからである。自分の頭で考えることがない。誰彼がこう言っている、ということが根拠になってしまう。イワシの頭も信心から。

では増税が未来永劫に必要ないのか、と言えばそうではない。世の中のおカネを回す上で、税の果たすべき役割は重要だと考えられるからだ。ただし、それが消費税である必要は無い。しかも、増税するには増税するための「仕掛け」(システムの設計)が必要なのだが、そのような視点が現在の御用学者=財務省には完全に欠落している。ただ税率を上げることしか頭に無いのである。

国民の購買力を落とすことなく増税する方法は、実は簡単なのである。増税で所得が減る分だけおカネを発行して国民に配れば良いのである(ヘリコプターマネー)。そうすれば購買力は維持されるから、増税しても消費が減ることはない。つまり増税しても経済成長できる。

しかも、そのカネは税収を押し上げる。世の中を循環するカネの量が増えるからである。もちろん、インフレターゲットも達成できるし、プライマリーバランスとかいう無意味な指標も達成できるだろう。税が足りないから税率を上げるなどという低レベルの話ではなく、通貨循環システムから考えなければナンセンスだ。

いまや昭和の日本ではない。いい加減に頭を切り替えるべきだ。カネを発行して国民に配る。そのことが、すべての政策の原点に据えられるべきなのである。

2018年8月19日日曜日

ベーシックインカム7万円の是非は?

ある有名人がベーシックインカム7万円だけで生活できると発言したことから、ベーシックインカムはブラック政策だとの印象を持った人も多数あったようです。さて7万円は是か非か?

結論から言えば是でも非でもない、つまり「7万円は小額ベーシックインカムに過ぎない」と考えます。つまり、生活保障として考えるにはまったく不十分な水準です。7万円は「生活補助的なベーシックインカム」であり、いわゆる生活保障制度としてのベーシックインカムではないと考えます。給付金あるいはヘリマネといった段階としてのベーシックインカムです。

もちろん、7万円であっても全国民に支給することは十分に効果があるでしょう。しかし小額ベーシックインカムの場合は「社会保障も同時に必要である」ことは当然です。つまり7万円を支給しつつ、社会保障も同時に行なわなければなりません。もし社会保障制度まで含めるなら、最低でも毎月15万円の支給が必要でしょう。もちろん、その場合でも健康保険は現行のままです。本質的に医療保障と生活保障は違うからです。

ですから、7万円はあくまで「初期段階での小額ベーシックインカム」であれば問題はないと思います。7万円支給しつつ社会保障も同時に維持する。そして、7万円から支給額を毎年のように増額し続け、10万円、15万円へと増やしてゆく、7万円とはその過程における一時的な金額の目安に過ぎないわけです。

しかし、もし「7万円が生活保障である」と主張するなら、笑止です。そんなものは生活保障ではありません。あくまで生活補助です。

そして、もし仮に「ベーシックインカムは7万円支給で十分であり、継続的に増やす必要は無い」と主張する論者が居るならば、これはまさに「ブラックなベーシックインカム」であり、貧困の蔓延する未来社会を意図する連中であると言えるでしょう。こうしたブラックな、悪いベーシックインカムの主張に対しては、ベーシックインカムの本来の趣旨を歪曲する考えであるとして、断固として戦わねばならないでしょう。


そもそもベーシックインカムのベーシックとは最低ではなく「基本」であり、最低生活を意味するものではありません。基本生活を保障するものです。そして社会の基本水準はテクノロジーの進化と共にどんどんベースアップするものだからです。

20世紀は生産力の乏しい時代だったこともあり、ベーシックインカムは「最低生活を保障せよ」がスローガンだったでしょうが、いまや時代が違います。ましてこれからの未来では、まるで意味が違います。十分にゆとりある生活が「基本」になるでしょう。

ベーシックインカムの政策内容は政治家や識者が決めることではなく「国民が決める」ことです。大多数の国民が「支給額は15万円かつ社会保障も維持でなければならない」と政府に求めるなら(選挙でそうした政党が勝利すれば)、それが政策になるわけです。それがベーシックインカムです。

結局のところ、ベーシックインカム政策を良くするも、悪くするも、国民の知識と判断力によって決まることになるでしょう。



2018年8月14日火曜日

復興支援には通貨発行も国債発行も同じ

日本では毎年のように大規模災害が発生し、復興支援のための予算が必要になっています。その財源をどうするか。もし国債を発行するのならば、むしろ通貨を発行すべきでしょう。どちらも実質的にほどんど同じだからです。

災害の復興支援として、財務省の役人ならば直ぐに「増税だ」と騒ぐでしょう。しかし、長期デフレから脱却していない日本経済にとって、増税はますます景気を悪くするだけです。そうではなく、増税をせずに、復興支援のために財政出動を増やすほうが、復興需要の拡大によって長期デフレからインフレへと経済局面をかえるきっかけになるかもしれません。

では、増税せずに災害復興の財源をどのように確保すべきか。これまでの常識から言えば、大抵の政治家やマスコミは「国債を発行すべし」と考えるでしょう。しかし、国債を発行するとなれば、すでに大量に発行されている国債をさらに増やすことになりますから、財務省の役人がまたまた出てきて「国のシャッキンガー」と騒ぐことになります。

ですから、国債を発行するのではなく、通貨を発行して財政出動の財源とするべきだと考えます。

ところが、「国債を発行するのよいが、通貨を発行するとインフレになるから良くない。あくまで国債にすべきだ。」と主張する人もいるでしょう。これは認識としては、完全に間違いです。なぜなら、国債を発行した場合でも、結果的には通貨が発行され、世の中のおカネが増えるからです。

つまり、国債を10兆円発行しても、政府・日銀が通貨を10兆円発行しても、世の中のおカネ(マネーストック)は同じ10兆円増えます。ですから、もしインフレを引き起こす経済状況であれば、国債発行であろうと通貨発行と同様なインフレを引き起こします。

では、こうした「国債はインフレにならない」という誤解を招いている原因は何でしょうか。それはマスコミの垂れ流す「国債は民間が貯めているおカネを再利用する方法だ」という、間違った常識があるからでしょう。ところが実際には、銀行が国債を購入すると、おカネ(預金)が発行されることになるのです。これはバランスシートの仕組みから言って明白です。

ですから、復興財源として国債を発行するのではなく、通貨を発行して財源としたとしても、大きな問題はないのです。むしろ通貨発行によって財源を確保すれば、財務省の役人がしゃしゃり出てきて「国のシャッキンガー」「消費税をどんどん上げろ」などと騒ぐ心配はありません。

では、国債発行と通貨発行はまったく同じなのか?通貨供給という点では同じですが、実際には大きな違いがあります。

国債を発行した場合、例えば10年国債の10兆円であれば10年後に10兆円を返済しなければなりません。返済のためには、10兆円のおカネを税金として世の中から回収しなければなりません。すると、世の中のおカネが10兆円減ることになります。つまり、国債の場合は、世の中のおカネを必ず減らすのです。これは10年後の社会にデフレを招く強烈な原因になります。

一方、通貨発行の場合、例えば10年後に、発行したおカネを世の中から回収する必要はありません。世の中のおカネは減らないのです。とはいえ、もしインフレが酷いのであれば、10年後といわず、いつでも増税等によって世の中のおカネを減らすことが可能です。つまりインフレでなければ、無理に世の中のおカネを減らす必要はありませんし、インフレならおカネを減らせばよい。

と、考えてみれば、国債よりも通貨発行の方が政策として柔軟性が高いと思われますね。ですから、国債ではなく通貨発行によって財源を確保するほうが賢いと思われるのです。

国債によって財源を確保する方法は、もはや時代遅れです。生産性が低く、慢性的にインフレを警戒しなければならなかった、昔の時代の手法だと思います。前世紀の遺物ですね。

いまや生産性が飛躍的に向上し、これからは人工知能やロボットによって、ますます供給力過剰な社会になると考えられます。そうした時代の変化に対応し、これからの財源は国債発行に頼るのではなく、通貨発行によって賄う必要があると思うのです。


2018年8月9日木曜日

自由貿易より大切なのは「ヘリマネ」

トランプ米大統領による保護主義的な貿易政策を受けて、新聞テレビは「自由貿易の危機」であると大騒ぎ。しかし、自由貿易が堅持されたところで、庶民の生活が良くなるわけではありません。大切なのは国民所得です。

新聞テレビは、トランプ米大統領による保護主義的な政策によって景気が押し下げられ、経済成長に悪影響があると盛んに喧伝しています。自由貿易の毀損が国民生活を圧迫するといわんばかりです。しかし、冷静に考えてみると、これまで自由貿易の推進が日本の景気を押し上げた実績はあるのでしょうか。この20年間、少なくとも庶民にそんな実感はありませんね。

バブル崩壊後、日本は自由貿易をどんどん推し進め、生産拠点を海外にドンドン移転して、海外で生産された財が日本に自由に輸入されるようになりました。しかし、国内産業は空洞化し、低賃金のサービス業、派遣業が増加し、ブラック企業が跋扈して労働者の国民所得は減り続ける結果となりました。

もちろん、その間、自由貿易によってグローバルな取引を行なうグローバル企業は大儲けしたのでしょうが、それらの儲けは大企業の株主役員、あるいは一部の社員に分配されただけで、庶民に分配されたわけではありません。つまり、自由貿易によって庶民の生活は何も良くならないどころか、むしろ悪化したと思われるのです。

そうした状況から言えば、新聞テレビが「自由貿易の堅持を!」とワンワン叫んだところで、白々しい響きしかありません。庶民の生活のためではなく、財界やマスコミ自身の権益を守るために、必死になって叫んでいるとしか思われないからです。

とはいえ、長い年月をかけて自由貿易を推進してきた結果、サプライチェーンおよび、おカネの循環は、いまやグローバルに依存した状態になっています。ここで急激な保護主義に舵を切れば、そうしたモノやカネの流れを阻害することで、世界経済を悪化させるリスクは否定できないでしょう。すでに世界は自由貿易にドップリ「依存した体質」なのですから、例えるなら薬物依存と同じように、急に抜くことはむしろ危険です。何十年もかけて変えた体質は、戻すのに何年も必要になります。

ところがトランプ米大統領は、何十年もかけて自由貿易依存になった世界経済を、わずか数ヶ月で元に戻そうとするのですから、世界経済に混乱を引き起こす危険性があります。これは避けるべきでしょう。

しかし、ここで重要な点は、必ずしも「自由貿易がよいから守る必要があるのではない」ということです。そもそも自由貿易が推進されたことで、庶民の生活が良くなって来た実績はありません。庶民の生活にとって自由貿易の恩恵はほとんどありませんでした。ただし、もはや自由貿易依存体質になってしまった社会では、急に自由貿易を抜けば害悪だけが出るリスクがある。

つまり、自由貿易を堅持したところで、庶民にとってはマイナスにならないだけであって、何らプラスの側面は無いわけです。最低ですねw。だから新聞テレビが「自由貿易の堅持を!」といくら叫んだところで、白々しい響きしかありません。

では、こうした保護主義的な動きの中で、国民生活を向上するためには何が必要でしょうか?「内需拡大」でしょう。家計消費が景気にとって重要であることは、しばしばマスコミの記事にも登場します。消費を拡大するとは、すなわち国民生活を向上することに他なりません。そして、消費つまり内需によって景気を押し上げれば、マスコミがさかんに騒ぐ「保護主義による経済成長への悪影響」も軽減されます。

消費の拡大は国民所得を引き上げるだけで可能です。拝金主義の経団連をみれば、賃上げによる国民所得の向上はあまり期待できません。ここは国民の通貨発行権を行使することで、ヘリコプターマネーを実施すればよいでしょう。全国民、1人当たり毎月1万円を給付する(年額12万円一括給付でもよい)わけです。これは政治によって可能です。

自由貿易を堅持したところで、グローバル企業の利益は守られるでしょうが、庶民の生活はちっとも良くなりません。ここは自由貿易に固執するより、むしろ、保護主義の台頭を絶好の機会としてヘリマネを実施し、内需を強化して国民生活を向上する政策に方向転換すべきだと思います。


2018年8月7日火曜日

インフレ暴走が心配ならソブリンマネー

国民におカネを給付する政策「ヘリコプターマネー」に対して、インフレが止まらなくなると騒ぐ人々が居ます。それならソブリンマネーを導入すれば良いでしょう。

ソブリンマネーとは、政府(ソブリン)通貨(マネー)のことです。これはとんでも理論などではありません。スイスでは本年、ソブリンマネーの導入の是非を巡って国民投票が行なわれました。残念ながら否決されましたが、国民投票に掛けられるほどの政策なのです。その考え方の起源は世界大恐慌の後にまで遡ることができ、今日の経済学の基礎を築いたフッシャーやフリードマンらが提唱していたほどです。

基本的な内容は簡単です。市中銀行(主に民間銀行)が行なっている通貨発行である「信用創造」を禁止して、政府(基本的には日銀のような中央銀行)だけに、信用創造に基づく通貨発行の権限を限定する、というものです。

早い話が、今は民間銀行が世の中のほぼすべての流通通貨(預金)を発行しているのですが、そうではなく、通貨はあくまでも政府が発行して流通すべきだとする考えです。これがソブリンマネーです。

これによって、民間銀行が恣意的に通貨を発行することを禁止し、民間銀行が通貨を発行することで引き起こされる「資産バブル」を防止し、また信用創造の暴走による通貨供給の過多が引き起こす「ハイパーインフレ」を防ぐことが出来ます。

ところで、多くの人は新聞マスコミの識者に脅されています。つまり通貨を発行して国民におカネを配ると、ハイパーインフレになるという脅かしです。しかし、考えてみればそんな心配はありません。もし仮に世の中のおカネの量が2倍になったら物価は2倍になるかもしれませんが、それ以上に高くなるはずはありません。なぜなら、もし世の中のおカネが2倍になって、物価が10倍になるとすると、おカネが足りなくて、モノが売れなくなってしまいます。すると、市場では物価が下落します。つまり市場原理が働くので、インフレが止まらなくなることは理論的にあり得ないのです。

仮に世の中のおカネの量が2倍になるとすれば、およそ900兆円のおカネを国民に配ることになります。900兆円は1億2000万人の国民1人当たりにして、750万円です。例えば、4人家族の家庭なら3000万円を配ると、物価は2倍になるかも知れません。いきなり3000万円配るなどという、馬鹿げたことをしたとしても、その程度であり、実際にヘリコプターマネーを実施するとすれば、国民1人当たりにして、年間12万円とか、24万円とか、そういうレベルでしょう。ですから「ヘリコプターマネーによるハイパーインフレはまったく心配ない」と考えられるわけです。

それでも、恐らく一部のマスコミ識者がこう言うでしょう「一旦、インフレになると巨石が坂道を転げ落ちるようにインフレが止まらなくなるぞー、タイヘンダー」と。しかし、こういう感情論には理論がありません。巨石が坂道を転げるのは、引力という物理法則であって、経済学とはまるで関連性がありません。

もし、インフレが止まらなくなることを経済理論的に説明できるとすれば、それは「民間銀行による信用創造の暴走」です。なぜなら、政府・日銀の発行した現金の量が、民間銀行の信用創造によって何十倍にも膨れ上がるからです。これがハイパーインフレの原因です。

ですから、ソブリンマネーを導入することで民間銀行の信用暴走を禁止すれば、ハイパーインフレの心配は皆無になると断言できるでしょう。物価が上がるのは、おカネの量が増えるからです。しかし、おカネの増えるペースを遥かに超えて、いつまでも物価が上昇し続けることは、理論的にありえません。民間銀行の信用暴走がなければ、ハイパーインフレはあり得ない。ソブリンマネーを導入しましょう。

2018年8月4日土曜日

ヤル気ない日銀の独立性に疑問

日銀がまたまた物価目標の達成目標を遅らせた。インタゲを達成する政策は他にもあるのだが、日銀にやる気が無いのである。これは日銀の独立性に疑問を持たざるを得ない。

物価目標(インフレターゲット)を達成する方法が打ち止めになったわけではない。あるのだが日銀にやる気が無いのである。マスコミは物価目標の達成が難しいなどと、相変わらず経済音痴ぶりをさらけ出しているが、強力な政策は他にもある。しかしマスコミが報道することはない。

方法は恐ろしく簡単である。おカネを発行して国民に給付金を配り、国民の購買力を高めることで消費を引き上げるのである。実際のところ、手続きが面倒なだけであって、方法論は極めて単純明快であり、小学生でもわかる。逆に言えば、あまりにもわかりやすいから、かえって、いまさらそんな政策を行なえば「なぜもっと早く行なわなかったのか?と国民から叱責されるかも知れないほどだ。いや、逆に言えば、それが怖くて「いまさら言い出せない」のかもしれないw。

それはさておき、それはいわゆる「ヘリコプターマネー政策」(ヘリマネ)である。この政策は「副作用がー」と騒ぐ連中も居るが、なにせこの副作用は「インフレ」である。つまり、ヘリマネを行なうとインフレ目標を達成してしまうのである。これは大変だ。

ただし、ヘリマネは日銀だけでは政策を完結できない。なぜなら、日銀は通貨を発行できるが、それを国民に給付することはできない(そういう役割を担っていない)からだ。一方、政府は過去にも給付金を支給していることを見ればわかるが、国民に直接おカネを給付する立場にある。だから、日銀と政府がきちんと連携して「政府・日銀」として、国民のための役割を果たすべきところだ。

しかし、日銀の独立性を過剰に意識するがゆえに、日銀と政府が連携することを嫌う向きがあるのではないか。「日銀の独立性ガー」である。日銀は日銀で政府とは無関係に政策を行い、政府は政府で日銀とは無関係に政策を行なうのが、独立性だと思っているのである。

しかし、こうした過度な「独立性信仰」のような考えが、日銀・白川総裁と民主党政権の時代にあって、マスコミもそれを奉り、当時の世界的な大規模緩和の流れに乗らない、日銀の金融緊縮を容認してきたといえる。それが日本の景気回復を遅らせた一つの要因でもある。

そして、安倍政権以後、「日銀は神聖にして侵すべからず」といった、気味の悪い独立性信仰をある程度脱して、政府と日銀の連携による金融緩和がようやく実現した。しかし、まだまだ、国民主権から独立したような、気味の悪い日銀の独立性が存在しているのだろうか。

もしそうだとすれば、日銀の独立性には大きな疑問を持たざるを得ないだろう。デフレを脱却し、経済成長を実現するためには、おカネを回すことが有効であり、それはヘリコプターマネーによって実現することは間違いない。にもかかわらず「日銀が政府から独立しているから、ヘリコプターマネーが推進できない」のだとすれば、そんな独立性は害になるだけである。

大規模金融緩和に踏み切って5年になろうとするが、いまだ物価目標2%すら達成できないようなスローペースである。その間、ヘリマネに関する議論があったにも関わらずこれを無視し続け、「もう一息で達成できる」といい続けて5年も過ぎたのであれば、ほとんど「無策・無能」と言われても仕方の無いレベルだろう。



2018年7月31日火曜日

やればいいじゃん、通貨安戦争w

マスコミは「通貨安戦争だ」とか騒いでいるようですが、個人的に通貨安戦争は大歓迎ですね。とはいえ、為替市場に介入しても面白くありません。カネを発行して国民に配る。世界が「国民にカネを配る競争」こそ歓迎です。

通貨安戦争といえば、一昔前は「為替市場へ政府が介入する」ことでした。例えば「日銀砲」なんていわれましたが、円高に対しては政府が為替市場で円を売ってドルを買う。円をバンバン発行してドルを買うことで、円を安く維持(あるいは誘導)できるわけです。

しかし、政府がドルを買い込んで円安が維持されたところで、国民が直接にその恩恵を受けることはありません。輸出産業が円安で売り上げを拡大し、貿易黒字を出し、そのカネが日本経済を循環するカネの量を増やすことによって、間接的に国民の所得が向上するわけです。あくまで、間接的ですし、そもそも、輸出が増えないとダメです。

しかし、政府・日銀が円を発行してそれを国民に配れば、国民は直接にその恩恵を受けることになります。輸出産業の輸出が増えようが増えまいが、基本的には関係ありません。そして、国民の消費が拡大することで日本経済を循環するおカネの量が増え、それが、為替市場に波及して円安を招くかもしれません。そして円安が輸出産業の輸出を拡大するかもしれません。

つまり、一昔前の為替介入による通貨安とは「まるで逆の流れ」が生じるわけです。一昔前は文字通りの「通貨安政策」であり、為替介入による通貨安を目的としたものです。その場合、「通貨を発行して為替に介入する→円安になる→輸出が増えて企業が儲かる→国民に波及する」。つまり企業が儲かることが先です。

一方、カネを刷って配ることは通貨安を目的としません。国民所得の向上を目的とします。その場合、「通貨を発行して国民に配る→おカネの循環量が増える→円安になる→輸出が増えて企業が儲かる」。つまり、まず国民が豊かになることが先です。まるで違うわけです。

ですから正確に言えば、通貨を発行して国民に配る政策は「通貨安戦争」ではありません。しかし常に印象操作を目的とするマスコミは、彼らが反対する政策に対しては、読者に悪いイメージを与える報道をするはずなので、恐らく、「どっちも通貨が安くなるから同じ」という理屈を押し出して「おカネを発行して国民に配るのは通貨安戦争だ」と言い出すでしょうね。だから、それを見越してあえて通貨安戦争だと言っておきましょう。

そういう通貨安戦争なら大いに歓迎です。世界中の国がおカネを発行して国民に配る、そういう競争を行なうわけです。国民にどんどんおカネを配りましょう。

もちろん、自国における財の生産能力、生産資本の程度を無視して無茶苦茶におカネを発行するのは論外と言うか、バカな行為です。そんなことは子供でもわかるでしょう。

ではどれくらいのおカネが発行できるか、それはインフレターゲットで決めることができるでしょう。過去の例(経済成長の時代)から考えれば、年率5%程度のインフレなら国民生活に悪い影響を与えるとは思えません。また同様に、過去の通貨供給量から言えば、毎年5%~10%程度(今なら約45兆円~90兆円)の範囲に通貨供給をコントロールすると考えることもできます。もちろん、インフレのコントロールのためにも、ソブリンマネーを導入したほうが良いでしょうね。

世界中が、5%程度のインフレを指標とする範囲で「カネを発行して国民に配る」という競争をすると、世界同時不況など、即座に消し飛んでしまうと思います。


2018年7月28日土曜日

米国に必要なのは関税ではなくヘリマネ

トランプ米大統領は自国の貿易赤字を問題として、関税の引き上げに踏み切りました。しかし米国民の生活向上と貿易赤字解消には、関税よりもヘリマネによる国民給付が有効でしょう。

なぜ貿易赤字が問題なのか?その理由として「雇用が増えない」「賃金水準が低くなる」ことがあげられるでしょう。つまり、安い輸入品との競争によって米国内における生産活動が妨げられ、米国民の失業が増え、また生産コスト競争によって賃金が下がる。そこで海外から輸入される安い商品に関税を掛けて国内価格を上げ、国内生産を維持し、雇用や賃金の向上をもたらそうと考えるわけでしょう。

しかし、いまここで関税を引き上げる必要はあるのでしょうか?おそらく関税よりも、ドルを発行して国民に給付金をどんどん配る「ヘリコプターマネー」の方が方法としてはスマートでしょう。

ヘリマネを実施すれば、雇用や賃金の引き上げによらずとも、米国民の生活水準を確実に引き上げることができるからです。考えてみれば、ドルの発行に必要は原価は、ほぼ「タダ」です。いわば、紙切れをバンバン発行して(電子的には印刷すら必要ない)、海外の労働者が働いて生産した「財」を、実質的に「タダ」で手に入れることができるわけです。

しかも、米国民の購買力を引き上げるだけではありません。トランプ氏は日本などに対して「通貨安を誘導している」と非難していますが、米国がヘリマネを実施すればドルは安くなるでしょうから、ドル安によって貿易赤字が縮小し、米国の輸出産業がダメージを受けることにも歯止めが掛かるわけです。

そもそも現在、米国のFRBが自国の国内的な事情によって金利を引き上げているのですから、ドル高になるのは当然の流れであって、にもかかわらず日本などを「為替安を誘導している」などと非難するのは筋違いも甚だしいところです。

また関税を利用することで貿易赤字を無理に解消することは、これまでの米国の方針を突然に、しかも急激に変更することであり、あまりに唐突な態度です。世界の他の先進国にとって、そのやり方は受け入れがたいでしょう。もっと時間や協議が必要です。

ヘリコプターマネーによって米国民の国民所得を引き上げ、その結果としてドル安になれば、必然的に輸入の拡大にも歯止めがかかるようになるはずです。その方が、米国民にとっても、世界の他の先進国にとっても、よりプラスになる対応策だと思うのです。

(追伸)

そういえば、大統領選挙では、中・低所得層の減税も公約にしていた記憶があるけど、ヘリマネで減税という方法もある。




2018年7月25日水曜日

「財源がない」はナンセンスな考え

何か新しい政策を提案すれば必ず出てくる「財源は?」の質問。しかし財源がないとの考え方はナンセンスに過ぎないのです。真に必要な政策であれば、財源を問う必要はありません。

財源とは単に「通貨調達の方法論」に過ぎないからです。もし公的な政策を行なうために通貨が必要であれば、それは単に通貨を発行することで調達することに何ら問題はありません。なぜでしょう。

国民の代表である政府には、主権である「通貨発行権」を国民から預かり、行使する権限を有します。ゆえに政府が公的な理由で必要と判断すれば、通貨を発行することは当然の責務であり、義務だからです。もしそれを怠るなら、国民主権を損なう行為と言えましょう。

例えば豪雨災害あるいは震災による被災地の復興および被災者の生活支援のために、公共投資や公的扶養が必要であれば、その政策のために「財源は?」と問う必要はまったくありません。ただちに日本銀行が通貨を発行し、それらの政策を速やかに実行する必要があります。ですから、財源のために増税をする必要はまったく皆無なのです。

もちろん、日本銀行が通貨を発行するには、政府の新規国債(例えば災害復興国債)を直接に引き受ける、あるいは政府が政府通貨を発行して日本銀行に預け入れる等、テクニカルな方法の検討が必要であることは言うまでもありません。そんなものは手続きに過ぎません。重要な点は「通貨を発行すること」です。

こうした、必要な公的政策のために通貨発行を財源に用いること(=ヘリコプターマネー)は、これからますます重要になってくるでしょう。安易に増税すれば景気を悪化させ、経済をデフレ化するだけだからです。テクノロジーの進化(生産性向上)による供給過多の傾向にある現代資本主義先進国では、増税によって財源を確保する必要性は低い状況にあります。

何か新しい政策を提案すれば、マスコミの記者から必ず出てくる「財源は?」の質問。実にナンセンスですね。おカネが無ければ刷りなさい。それは国民の権利(主権)です。

もちろん100兆円も200兆円もいちどに発行して良いなどという極論ではありません。現在のマネーストック900兆円のおよそ2%を供給する程度で、18兆円もの通貨が確保できるわけです。

そして通貨発行による高インフレの心配もありません。過去には毎年5%以上のおカネが供給されてきたのに、今では3%程度しか供給されていません。ですから、18兆円程度(2%)を発行したところで、逆立ちしても高インフレなどにはならないのです。