2018年9月28日金曜日

デフレはなぜ悪いのか

デフレ(デフレーション)が良いと考えている人が今でも居るかも知れません。では、デフレがなぜ悪いのか、デフレのままだと将来どうなるかを考えてみましょう。

<デフレそのものが悪いというより、デフレを引き起こしている経済環境が悪い>

デフレ(物価の下落)そのものは私たちの生活にとって悪いことではありません。物価が下がって得をしている人も大勢居ます。ではなぜデフレが悪いのか?実際には物価の下落そのものというより、デフレを引き起こすような経済環境(デフレ不況)に問題があります。

デフレを引きこすような経済環境とは?それは供給に対して需要が不足している状態です。この状態になると、市場では商品が売れ残り、企業の値下げ競争が始まりますので、物価は下落し、デフレになります。この状態がまずいわけです。デフレとは商品が売れ残る状況ですから、企業は財の生産を縮小します。そのため、社会全体としての富の産出量が減少しますから、社会は貧しい方向に向かいます。これはGDPは縮小を意味します。そもそも供給力が十分にあるのであれば、生産を縮小する必要はないはずです。より多くの財を生産して人々に分配すれば、社会は豊かになるのですから。

ところが、需要が足りないために生産が縮小されてしまいます。なぜ需要が足りないか理由は単純明快であり、それは消費者に購買力が不足しているからです。つまり「買いたくてもカネが無い」わけです。評論家の中には「おカネが無いのではなく、人々に欲がないからだ」などと主張する人がいますが、大きな間違いです。もし欲が無いほど満足な社会ならば、低所得層や貧困などあり得ないからです。彼らは欲が無いから低所得層や貧困なのではありません。カネが無いのです。

どれほど人々に欲求があったとしても、おカネがなければそれは需要に結びつきません。おカネに裏付けられた需要を「有効需要」といいます。デフレとは供給に対して有効需要が不足した状況です。これがデフレの正体であって、単に物価が下がることではありません。この状況が悪いわけです。様々な問題を引き起こす元凶となるからです。

<賃金が減り続け、貧困と格差が増加し続ける>

デフレ不況になると商品が売れ残るため、企業の値下げ競争が始まります。商品を値下するために人件費がカットされることになり、労働者(=消費者)の賃金が下落してしまいます。賃金が下落するため、消費者の購買欲が一層低下し、ますます商品が売れ残るようになります。すると企業の値下げ競争がますます激化する。こうした悪循環はいわゆる「デフレスパイラル」と呼ばれます。

また、賃金が下がるだけではありません。商品の価格を下げるためにリストラ(解雇)が始まります。景気の良い時であれば、解雇された人は容易に再就職できますが、不況下では長期間に渡って失業を余儀なくされるケースも多いでしょう。そうした人々は貧困化しますから、貧困や格差が増えることになります。また、デフレが長期化すると、コストダウンがリストラ程度では済まされず、多くの企業が日本の工場を閉鎖して従業員をすべて解雇し、生産拠点を中国のような途上国に移してしまうことが起きます。産業の空洞化です。

<ブラック企業が跋扈する>

デフレ不況になると失業者が巷に溢れます。現代の社会では(一部の資産家を除いて)働かなければ1円の所得も得られない仕組みになっています。つまり失業=死ぬしかありません。そのため、失業した人は生きるために、どんな苛酷な労働環境の仕事であっても、就職せざるを得ない極めて弱い立場におかれます。もし好景気であればこんなこと起きません。酷い労働環境の仕事であれば、社員がどんどん辞めてしまうからです。こうして低賃金・長時間労働によって社員を酷使することでコストを抑え、低価格の商品やサービスを提供するブラック企業が台頭してきます。

こうしたブラック企業は、従業員を犠牲にすることで強い価格競争力を獲得しています。そのため、従業員を厚遇するホワイト企業はコスト競争でブラック企業に駆逐されることになり、結果として社会全体にブラック企業が蔓延することになります。ブラック企業が雇用を生み出しているというおかしな主張がありますが、実際にはブラックな雇用が増えて、そのぶんホワイトな雇用が減るだけです。

<経済力がどんどん衰退して貧しくなる>

デフレ不況ではモノが売れません。売れない環境では企業の投資は減ってしまいます。利益が減るため投資余力がなくなりますし、投資しても回収の見込みが立たないからです。生産設備への投資はもちろん、研究開発、商品開発も十分に行なわれなくなります。すると、社会の供給力が伸びなくなってきます。これは経済成長率が低下することを意味し、国民の生活水準が伸びなくなることを意味します。また、長期的に投資が行われなければ、潜在成長率も低下します。生産設備が老朽化し、技術やノウハウの蓄積もされなくなるからです。そして輸出競争力が損なわれ、輸出が減退して輸入超過となり、やがてギリシャ化しても不思議はありません。社会は貧困化へ向かいます。

少子高齢化の日本では、ますます投資が必要とされています。なぜなら、技術を開発し、生産設備を増強することによって、生産性を高める必要があるからです。そうしなければ、労働力不足によって供給力が減ってしまうからです。逆に言えば、少子高齢化になっても投資が行われない状況(デフレ不況)にあることは、将来的に大変危険であると言えます。供給力が不足してインフレを引き起こす原因になるからです。このインフレは供給力の低下によって生じるため、悪性のインフレになる可能性が高いのです。このインフレはデフレより遥かに厄介な事態を招くでしょう。

<デフレの時代に再分配する事の難しさ>

貧富の格差問題を、デフレ不況ではなく、所得の再分配の機能不全によるものだと考える人もいるでしょう。しかし考えてみると、デフレの環境で再分配するのは、なかなか難しいものです。なぜなら、デフレになると税収が落ち込むため、再分配するためには、まず「増税しなければならない」からです。いくら「格差是正のため」と美辞麗句を言われても、税金が増えることを喜ぶ人はいません。つまり、デフレ不況のままでは再分配はやりにくいのです。

一方、デフレから脱却して景気が回復すると、市場を循環する通貨の量が増大します。すると、現在の税制によれば、税率がそのままでも税収は増えます。つまり、景気回復すれば増税することなく、税収が増えるのです。この税収が再分配の原資となります。これにより増税することなく社会保障を充実することができます。また、そもそも好景気になると失業が減って所得が向上するため、社会保障に必要とされる経費も少なくなります。

<デフレの被害はまだら模様に現れるので軽視されがち>

デフレを理解する事の難しさは「被害がまだら模様に現れる」ことにあります。たとえば、インフレは国民全員が痛みを感じます。買い物に行って、商品の値段が値上がりしていれば全員が痛みを感じます。しかし、デフレは国民全てが痛みを感じるのではありません。それどころか、商品が安くなるという「うれしい感覚」さえあるという始末です。

インフレはすべての国民に同時に影響しますが、デフレは国民のごく一部の人にだけ、集中的に影響します。デフレの悪影響は、賃下げされる人、リストラされる人、派遣労働者やパート社員といった、社会的弱者に襲い掛かります。それ以外の大部分の人たちにとっては痛くも痒くもない、むしろデフレは快適なのです。

デフレによる犠牲者は「椅子取りゲーム」の敗者のように、一人、また一人とじわじわ増えます。椅子にすわっているうちは、その事に気が付きません。椅子が無くなった瞬間、どん底に落とされる事になります。これは主に会社の倒産、リストラなどによる失職のためです。不況で、職場そのものがジワジワとなくなるのです。デフレ不況ですから、椅子の数は増えません。椅子は奪い合いになるだけで、全員が座ることはできません。

このように、デフレの犠牲者は一部の人にだけに、徐々に現れる。だからこそ、国民全体の危機感としては現れにくいと言えます。そして国民全体に被害が及んで大騒ぎになった時には、すでに手遅れになっている危険性がある。それが、デフレの盲点なのです。

<デフレの解決はインフレより簡単である>

デフレの解決はそれほど難しくありません。供給力に比べて有効需要が不足した状態にあるのですから、消費者(家計)におカネを給付するだけで良いのです。おカネが不足している人は大勢います。おカネが無いから買いたいものを我慢している人もたくさんいます。そうした国民におカネを給付するだけです。財源はおカネを発行するだけで確保できますので、何も難しいことはありません。手続きだけで可能です。

一方、もしインフレなのであれば、これは解決が少し面倒です。インフレは有効需要に対して供給力が追いつかない状況です。供給力を増やすには、生産設備の増強や生産性の向上が必要になります。これはおカネを発行するのとは違って格段にハードルが高い作業になりますし、時間も必要です。もし短期間にインフレを収束させたいのであれば、有効需要を減らす必要がありますので、増税が行なわれるでしょう。ただしこれは給付金とは逆に、国民の反発を招くことになるでしょう。

生産設備や生産性がまだ不足していた時代、たとえば高度成長期の場合は、インフレになりやすい環境にありました。この時代はインフレ対策がとても重要であり、デフレなど起こるとは考えられもしなかったでしょう。しかしテクノロジーが進化して生産設備の蓄積も進んだ21世紀の今日にあっては、インフレではなくデフレが生じるようになりました。これは供給力が大きくなった結果であり、おカネを国民に配って、有効需要を増加するだけで、この供給力を十分に活用することが可能であり、それが国民を豊かにする方法なのです。

本編サイトに同時掲載

2018年9月25日火曜日

ベーシックインカムには種類がある

多くの人は、ベーシックインカムとは一つの統一された考えだと勘違いしているかも知れません。しかしベーシックインカムには考え方の違いによって、複数の種類があることをご理解いただく必要があります。

ベーシックインカムとは、最低所得保障、最低限の生活を保障する制度であると考えられています。多くのベーシックインカムがその意味では同じであったとしても、同じ制度にはなりません。例えば、保障される最低生活がどの程度なのか、それだけでも、考え方に違いがあります。

例えば、7万円で最低生活できると主張する人も居れば、それでは死なないだけであって不十分であり、10万円は必要だと考える人もいます。私は最低でも15万円なければ人間として生活しているとはいえないと考えています。

それだけではありません。財源にしても違いがあります。消費税を増税して財源にすべきとの人も居れば、所得税だ、あるいは私のように通貨発行益を加えるべきだとの考えもあります。

しかし、多くの人はまだまだ「ベーシックインカム」という言葉さえ聞き慣れないのであって、それを最低生活保障であると理解しているだけでも珍しいような状況です。とても、ベーシックインカムに多くの種類があるとは知りませんし、もちろん、歴史的な背景も何も知らないでしょう。

こうした中で、例によってマスコミがベーシックインカムの多様な意見を紹介するのではなく、彼らの都合に合わせて、特定のベーシックインカムを取り上げて「ベーシックインカムとはこうである」とのプロパガンダを開始するのではないか、との不安があります。とりわけ、マスコミは財務省にべったりですから(消費増税の翼賛報道からみて)、財務省に都合の良い、おかしな考えを広げるリスクはあると思います。

ベーシックインカムの種類にも様々な分類の仕方があると思いますが、例えば次のように分類することができると思います。詳しくは、本編サイトも参照ください。

①独占型(資本主義型)

生産の効率性を最大化することが目的となる。そのため、生産性の低い労働者には生産活動から「退場」いただき、死なない程度の最低生活を保障することで、残りの富を生産性の高い労働者と資本家によって独占する。よって、支給額は死なない程度。

②貧困型(清貧思想型)

少子高齢化によって、日本はもう成長しない、衰退する一方である。だから貧しくなることを受け入れよう。再分配を強化して、みんなで貧しくなろう。貧しいことは美しい、これからは精神の時代だ。という価値観を持つ。よって、支給額を増やしてはいけない。

③緊縮型(財政均衡型)

政府の負債を減らして財政再建することを最優先に考えている。そのためには消費増税が必要だが、単に増税するといえば、国民の反発を食うので、ベーシックインカムという社会保障制度を導入して、格差や貧困を解消するとの大義名分はとても役に立つ。ベーシックインカムによって、死なない程度に保障しながら、残りの税収を国債の返済に回す。「痛みを伴う改革」。

④未来社会型

テクノロジーの進化や資本蓄積によって供給力の十分に大きくなった未来社会では、人間の労働なしに財が供給されるようになる。だから、技術の進化に伴って、労働とは無関係に人々におカネが給付されるのは当然だ。よって支給額は、増え続けるべき。

これは、自分の分類なので、他にも分類方法はあるでしょう。しかし、傾向として、こうした違いがあることは、様々なベーシックインカムの主張を観察していると見えてきます。

ベーシックインカムと一口に言っても、実際には多くの考え方があることを知っていただきたいと思います。さもなければ、またまた、マスコミの誘導によって、おかしな方向へ世論が操作されてしまう恐れもあると思うのです。

2018年9月21日金曜日

増税論者は供給力の話をスルーする

相変わらず新聞の紙面には「増税せよ」の論客が次々に登場する。しかし、すべての増税論者に共通する点があるようです。それは一様に「供給力には触れない」ということです。

もちろん、すべての増税派の主張を読んだわけではないので、100%とは言い切れませんが、自分の記憶にある限り、消費増税を主張する論の中に、供給力の話が出てきた記憶はありません。なぜ供給力の話が出てこないのか?供給力の話をすると、増税する必要性のないことがバレるからだと思います。

ほとんどの増税記事に出てくるのは「少子高齢化とカネ」の話でしょう。高齢化によって必要となる社会保障費が増大し、少子化つまり労働力人口の減少によって税収が減るという話が出てくるはずです。もちろん、その部分だけを論拠にするならば、増税やむなしとの結論に容易に結びつけることができるでしょう。

しかし、1900年代の社会ならいざ知らず、経済環境は時代と共に変化し続けているのです。とりわけ生産資本の蓄積と、テクノロジーの進化に伴う生産性の劇的な向上が続く現代では、これまでの時代とは比較にならないペースで供給力が増大しているわけです。それが日本においても「デフレ」つまり、供給力の余剰という形で現れています。

以前から何度も申し上げているように、社会保障を実際に支えるものは、おカネではなく「財」=モノやサービスであり、それらを供給する供給力です。ですから、社会保障制度の持続可能性を決めるのは、おカネつまり「財源」ではなく「供給力」なのです。

その供給力が今の日本では余剰だからデフレなのです。つまり、モノは余るほどある。しかも絶えざる生産資本(工場・生産設備)の増加とテクノロジーの進化(生産性の向上)によって、おそらく少子高齢化を上回るペースで供給力を増大させることも、可能なはずです。

もちろん、供給力を増大させるためには「投資」が必要です。つまり、社会保障を持続可能にするためには、増税ではなく、供給力を増大させるための投資が必要であることは明白です。そして、高齢者の生活や介護を支えるために必要十分な財を供給するだけの供給力さえあれば、財源などどうにでもなる話なのです。逆に言えば、いくら増税によって財源を確保したところで、供給力が不足すれば社会保障は破綻するのです。

ところが、増税論者の話には、供給力の話は出てきません。おそらく、社会保障の本質である「供給力」を論じれば、増税の必要がないことが即バレになってしまうからではないかと思います。財源を確保するだけの話なら、増税をまったくせずに、おカネを発行すれば済む話だからです。

もちろん、供給力が十分にあれば、通貨発行に伴うインフレの心配はありません。なぜなら、供給力が需要を裏付けしているからです。通貨発行がインフレを伴うのは、需要に供給力が追いつかない場合のみです。十分な供給力があればインフレは起こりません。

増税論者は供給力に触れたがらない。供給力は無視して、おカネの歳入と歳出の話だけをする。そして歳入が足りないから、増税しなければ社会保障が維持できないと主張する。こうした欺瞞が新聞マスコミで毎日のように繰り返されているのです。

2018年9月17日月曜日

アベノミクス成功!とは言い難い

アベノミクスに一定の効果があったことは明らかですが、では「アベノミクスは成功!」と胸を張れるかと言えば、そんな状況ではないと思います。

アベノミクスを失敗だと評する人が居ますが、それはさすがに客観的とは思えません。失業率が減少し、企業の利益が増加し、通貨供給も以前よりは伸びてきたからです。ただし、政権発足から5年の歳月を費やしても、まだインフレターゲット2%すら達成できていません。はたして、それが成功と言えるのか?時代はリーマンショックからの回復期にあり、下手をすると、アベノミクスでなくとも、その程度まで回復できたかも知れないのです。

しかも、それはあくまでマクロ指標であって、本当にアベノミクスが成功したと主張するには、少なくとも庶民が景気回復を実感できるほどでなければ意味がありません。マクロ指標は重要であっても、マクロ指標を改善するために政治をするのではない。アベノミクスの低調ぶりは、まさに「伸び悩む消費」にそのまま現れていると思われるのです。

遅すぎる回復のスピード。経済政策として金融緩和だけでは不十分であったといわざるを得ません。アベノミクス3本の矢のうち、もっとも効果の高い「財政出動」が蔑ろにされてきたことに大きな原因があったであろうことは、ほぼ間違いないでしょう。

消費税の増税さえなければ、今頃は・・・・

そう主張するかも知れませんが、アベノミクスは政策ミックスであって、政策の一つである「消費税の増税」もアベノミクスの一環であったわけです。つまり、消費税の増税が含まれるだけでも、アベノミクスには欠陥があるといわざるを得ないのです。

もちろん、財務省をはじめ、自民党議員、マスコミ、御用学者といった緊縮派の面々がひしめく今の日本の政治の中で、それ以上を望むのは酷だとの意見もあるでしょう。しかし、そんなことで「まあいいか」などと国民が妥協していたら、社会を支配する連中の都合の良いようにやられてしまうだけです。

アベノミクスは甘すぎる。

ぬるま湯のような金融政策や財政政策だから、5年経ってもインフレ率2%すら達成できないほど消費が伸び悩み、国民の生活実感が改善しない。消費が増えることで国民の生活が底上げされなければ、アベノミクスに何の意味があるのか。消費増税のお膳立てのためなのか?

今からでも遅くはない。大胆な金融緩和と財政出動を行なうべきだ。それは金融緩和と財政出動のあわせ技である「ヘリコプターマネー」によって可能であり、それは国民の消費を引き上げることで国民の生活そのものを向上させ、それによりインフレターゲットも容易に達成することが可能となるのです。


2018年9月12日水曜日

完全雇用を前提とした社会は時代遅れ

戦前から戦後の時代、完全雇用は政府の目指すべき重要方針の一つであることは疑いのない事実でした。しかし止まることのないテクノロジーの進化は、そうした完全雇用を前提とする社会の終焉を予兆しています。

かつて社会に必要とされる多くの財は、人間の労働によって生み出されてきました。しかし科学技術が進化するにつれ、人間の労働よりも、むしろ機械の働きによって財が生み出されるようになってきたことは周知の事実です。そしていわば人間は機械に仕事を奪われ、その人間が新たな財の生産に従事することによって、社会全体の財の生産量と質を向上させてきたと言えます。

しかし、技術の進化速度はますます速くなり、ついにはロボットや人工知能が登場するに至り、将来的には、研究開発といった仕事を除いて、生産活動に人間の労働を必要としなくなる日が来ることは明白です。もちろん、それは将来の話であるとはいえ、そうした変化は徐々に起きるのであって、今現在も起こりつつあると言えます。

そうした状況において、果たしてすべての人々に仕事を与える、つまり雇用を作り出し、完全雇用の社会を実現することは可能なのか?考えるまでもないでしょう。不可能です。

もし仮に、それでもなお雇用を作り出すとすれば、まったく意味のない作業、それこそ「穴を掘って埋めるだけの仕事」に近いような仕事をさせるしかありません。

今日、安倍首相が一億総活躍社会を目指し、新聞が70歳定年制を書き立てています。そのため、高齢化社会ではそれが当然であるかのように考える人も居るでしょう。

確かに、働く人が減ると経済や社会保障が衰退してしまいます。それはなぜか?人手不足によって財の生産が滞るからではありません。それは戦前・戦後の話です。いまやロボットや人工知能のような「機械」がそれらの生産を担ってくれるからです。では、なぜ働く人が減ると経済や社会保障が衰退するのか?

ほぼ労働によってのみ、消費者におカネが供給されるから。

そのため、働く人が減ると、消費者に供給されるおカネの量が減り、社会全体の購買力が減って消費が衰退すると同時に、税収も減少し、社会保障が維持できなくなるのです。つまり、おカネの大部分が賃金としてのみ消費者に供給されている限り、この問題は永久に解決できません。

にもかかわらず、一億総活躍社会のように、政策として完全雇用を目指し、完全雇用のために延々と仕事を作り出そうとする努力は、完全にテクノロジー社会の進化の方向に逆行しているといわざるを得ないわけです。

しかし、現在の与党・自民党はおろか、野党においてすら、こうした問題を正しく理解している政党はありません。いまだに「労働者VS経営者」なんて話をしていても、この問題を解決する事はできないのです。テクノロジーの時代の変化に対応するためには、「労働によらずに消費者におカネを供給するシステム」が必要とされます。これは将来的には「絶対に避けられない」のです。簡単にいえば、ほとんどすべての仕事が機械化されてしまえば、それ以外に消費者におカネを供給する方法がないからです。

もちろん、あと10年ほどでそうした時代が訪れるとは考えられません。しかし、足元ではすでにそうした変化が着実に進行しているのであり、それが慢性的なデフレ、賃金の伸び悩みといった形で経済に影響していると考えてほぼ間違いないでしょう。

これからの時代に求められるのは、完全雇用のために仕事を作り出したり、あるいは65歳以上の高齢者に仕事を与えたりすることではなく、「労働によらずに消費者におカネを供給するシステム」を構築することです。すべての国民に毎月1万円を支給することから徐々に始めていけば、無理なくそうしたシステムを構築することができると思うのです。


2018年9月9日日曜日

災害不況の防止にヘリコプターマネー

広島・兵庫の豪雨、台風21号、そして地震。災害が多発する日本。災害が招く不況を防止するため、通貨を発行して被災者に給付すべきでしょう。

広範囲の災害は不況を招く恐れがあります。例えば台風や豪雨などで農家が大きな損害を被るとどうなるでしょうか。農家は農作物による収入が減り、また被害の復旧のために費用が必要となるため、購買力が低下してしまいます。

あるいは、家計においても、住宅の浸水、損壊などを修復するために多額の費用が必要とされるため、購買力が低下してしまいます。すると、住宅の修理の需要は増大するものの、それ以外の消費(衣料、家具、家電、趣味娯楽など)は減ってしまいます。

これらの財は災害のいかんにかかわらず、世の中に供給されているわけですから、これらが人々に行き渡る必要がありますし、そうでなければ、それらを生産している企業の売り上げが減少して収益が悪化し、家計に支払われる賃金の伸び、あるいは企業の設備投資に悪影響を及ぼすことになります。つまり、おカネの循環を維持する必要があると考えられるわけです。

そのばあい、通貨を発行して被災者に給付する「ヘリコプターマネー」が有効であると考えられます。財務省などは通貨発行ではなく、これを「増税」で賄おうとするでしょうが、それは意味がありません。なぜなら、増税によって被災者におカネを給付すれば、被災者の購買力は維持されるものの、それ以外の消費者の購買力が損なわれてしまうため、経済全体としてみれば、購買力が低下することになるからです。

経済全体の購買力を維持するためには、増税することなく、被災者に給付金を支給する必要があります。それはヘリマネによって可能です。過度のインフレを心配する必要はまったくないと言えるでしょう。なぜなら、衣料、家具、家電、趣味娯楽など多くの商品の供給力は、被災前とほとんど同じように確保されているからです。

もちろん、農地が被害を受ければ食品の価格そのものは値上がりするでしょうが、それは農産物の供給が不足するからであり、それはヘリマネを実施しようが、実施しまいが、同じことです。どのみち、供給を増やす以外に、農産物の値上がりを防ぐことはできません。

それよりも、被災の悪影響が他の産業全体に波状に広がる事態を防ぐことが重要だと思われます。そのためにヘリマネは有効です。仮にそれによって社会全体のインフレ率が多少上昇したところで、これはいわゆる「インフレ税」に該当するものであり、広く薄く、社会全体で負担することになるわけです。

もちろん、通貨発行をなぜか必死になって阻止しようとする人々が居ることも確かです。そうした場合は、国債によって通貨発行を行っても同じ効果があります。それらの国債は日銀が引き受けることにより、その後の経済状況を見ながら柔軟に国債の償還(税金による世の中からの通貨回収)を行なうことができるはずです。

テクニカルな方法はいろいろあるでしょう。が、基本的な考えは、災害の悪影響が経済全体に波及することが無いように、被災者におカネを給付する政策を積極的に行なうべきというものです。

2018年9月7日金曜日

相次ぐ災害 復興増税誘導に注意

災害が相次ぐ日本。被災地の復興や生活支援に名を借りた「増税」を財務省が企み、新聞を使って増税誘導の提灯記事を出すかも知れないので、注意が必要です。

広島岡山の集中豪雨、台風21号、北海道厚真の地震など、今年は災害が相次ぐ年になってしまいました。しかしここで警戒すべきなのは、こうした被災地のインフラ復興や被災者の生活支援の財源を確保するため、と称して、財務省が「増税」を仕掛けてくる恐れがあることです。

すでに東日本大震災の際に前例がありますから油断なりません。災害に加えて増税すれば、日本経済はますますデフレが悪化し、経済が低迷して、最悪の年になりかねません。

災害の際に増税するとすれば、それは途上国のようなインフレ傾向の国が行なうべき政策です。途上国は財の供給力が弱いため、災害に伴ってさらなるインフレが引き起こされるリスクがあるからです。こうした「供給力が限られている国」では、限られた供給力を被災地の復興や被災者支援に配分するために、増税による再配分が有効であると考えられます。

ところが、日本は先進国であり、しかも供給力が余っているデフレの国です。こうした膨大な供給力を抱える国では、災害によってインフレが引き起こされるリスクは低く、単におカネを発行して潜在的な供給力を稼動させるだけで、被災地の復興や被災者支援に対応できると考えられます。再分配の必要がありません。

つまり、財務省の官僚の頭の中は途上国であることがわかります。

もちろん、災害の規模が大規模で、供給力そのものを過度に破壊する場合があるかも知れません。しかしこれは極めて稀であり、例えば東日本大震災ほどの激烈な災害であったとしても、インフレを引き起こしませんでした。東南海地震の場合はかなりの被害が想定されますが、少なくとも本年に発生した程度の災害であれば、日本の供給力に大きな損失はありません。

ですから、供給力の十分に備わっている日本の場合、被災地の復興、被災者の生活支援のために必要なおカネは「通貨発行」によって供給すべきであり、間違っても増税を行なってはならないと言えます。それでなくとも「自粛ムード」の漂いがちな日本人ですから、増税なんかしたら、ますます自粛してしまいます。

しかし、財務省は増税のためなら、国民の不幸も平気で利用するような連中ですから(東日本大震災の前例あり)、警戒が必要です。もちろん、その先鞭を付けるのは新聞テレビのようなマスコミです。被災者支援の増税と聞けば、多くの国民は深く考えずに安易に賛成してしまうかも知れません。もちろん財務省はそれを狙ってくるわけです。

増税によるのではなく、復興支援のために通貨を発行して対応し、仮にインフレになったとしても、せいぜい数パーセントの話であって、むしろインフレ傾向になれば景気が回復軌道にのる可能性もあるでしょう。そして、通貨発行によるインフレはいわゆる「インフレ税」を意味し、それは、しこたま資産を貯めこんでいる人々ほど負担率が高い構図になるわけです。いわゆる消費税のような逆進性はありません。

いずれにしろ、災害復興を口実にした増税を言い出すマスコミ、御用学者、族議員などが出てこないか、十分な警戒が必要だと思います。


2018年9月4日火曜日

呆れた御用学者の増税主張

財務省の御用学者は「消費増税でも成長は可能」というが、これが大間違いであることは、8%への引き上げの悪影響がいまだに続いていることからも明白です。

読売新聞には定期的に1面トップのコラムに御用学者の記事が掲載されている。内容は消費増税、財政再建を持ち上げる提灯記事である。もちろん、この1面トップの記事に「両論併記」はあり得ない。つまり、ここで消費税増税とは別の方法論を目にすることはないのである。もちろん、提灯記事を繰り返し掲載することで、新聞は財務省から軽減税率の恩恵を受けることができるわけだ。

もとより、新聞は戦前の時代から国民を洗脳するための装置であって、それは戦前は国民を戦争に駆り立てるための世論形成を担っていたのであり、現代は国民を「緊縮財政による貧しい日本」に駆り立てる世論形成を担っていると考えて間違いない。もちろん、彼らにそのような意図が仮に無かったとしても、両論併記を怠ることで、「結果として」そこへ駆り立てているのである。

さて、新聞への苦言はその程度にして、例の御用学者の主張には、つくづく呆れたものである。曰く「消費増税でも成長は可能」だという。その論拠が驚くほど希薄である。

(引用)
たしかに、増税すれば消費者の購買力はその分少なくなるから、GDPの6割を占める家計の消費は減少する。しかし、この「消費の減少」は一時的なものだ。経済成長に伴い所得が増えるから、少し長い目で見れば消費は増大する。

こんな幼稚な理論に騙されるのは小学生か、新聞テレビしか見たことの無い高齢者くらいのものだろう。少し考えれば、そんなうまい話はないことがわかる。うまい話には要注意である。

消費税を増税すれば消費が減少するという。それは企業の売り上げが減少することを意味する。売り上げが減ったら企業はどうするだろうか?給料を減らす、あるいはリストラすることになる。つまり、消費増税によって国民所得が減少するため、そもそも経済成長できないのである。経済成長できないのに、どうして所得が増えるというのか。

しかし、御用学者は臆面も無く、こうした幼稚な理屈を繰り返す。なぜなら、こんな屁理屈でも「大新聞で大学の偉い先生が書いている」というだけで、信じ込んでしまう国民が多いからである。自分の頭で考えることがない。誰彼がこう言っている、ということが根拠になってしまう。イワシの頭も信心から。

では増税が未来永劫に必要ないのか、と言えばそうではない。世の中のおカネを回す上で、税の果たすべき役割は重要だと考えられるからだ。ただし、それが消費税である必要は無い。しかも、増税するには増税するための「仕掛け」(システムの設計)が必要なのだが、そのような視点が現在の御用学者=財務省には完全に欠落している。ただ税率を上げることしか頭に無いのである。

国民の購買力を落とすことなく増税する方法は、実は簡単なのである。増税で所得が減る分だけおカネを発行して国民に配れば良いのである(ヘリコプターマネー)。そうすれば購買力は維持されるから、増税しても消費が減ることはない。つまり増税しても経済成長できる。

しかも、そのカネは税収を押し上げる。世の中を循環するカネの量が増えるからである。もちろん、インフレターゲットも達成できるし、プライマリーバランスとかいう無意味な指標も達成できるだろう。税が足りないから税率を上げるなどという低レベルの話ではなく、通貨循環システムから考えなければナンセンスだ。

いまや昭和の日本ではない。いい加減に頭を切り替えるべきだ。カネを発行して国民に配る。そのことが、すべての政策の原点に据えられるべきなのである。