2016年12月28日水曜日

来年はもっとベーシックインカムが話題になる

最近は人工知能やロボットによって雇用が奪われる「技術的失業問題」が、さかんに記事に書かれるようになりました。しかし、5年ほど前には、技術的失業の話を取り上げる評論家もマスコミもほとんどありませんでいた。当時からそうした懸念はあったはずなのに、まるでそれに気が付かないかのようだったのです。

これだけ騒がれるようになったのは、人工知能の研究成果が本格的に明らかになってきた、つい最近のことです。つまり、この技術的失業問題の話題は、まだ始まったばかりです。そうした記事は来年はもっと頻繁に見られるようになるはずです。

そして、それと同時に、その対処法として有望である、ベーシックインカムの認知度がさらに高まると断言できます。来年は、ますますベーシックインカムの話題が熱くなるでしょう。同時に、それをどのように社会に導入するか、実現可能な仕組みや手順について具体的に考える人も増えるでしょう。ベーシックインカムを段階的に導入することはそれほど難しくない、と主張する識者が増えるかも知れません。

現在は日本の自民党も民主党も、もちろん共産党も、技術的失業問題についてはスルーを決め込んでいます。はたして、どの政党が本格的にこの問題に食い付いて来るか、来年はそこが見どころかも知れません。あるいはどの政党もあいかわらず技術的失業問題をスルーし続けるなら、いよいよ、既成政党には見切りを付ける必要があるかも知れませんね。

イタリアの五つ星運動のような、インターネットを駆使した、新たな政党・政治運動が期待されますが、はたして、その核になるようなカリスマ性のある人物が登場するかどうか。これについては、残念ながら望みは薄いかも知れません。

一方、来年もデフレ不況が続けば、再びヘリコプターマネー政策の話が出てくるかも知れません。ヘリマネはベーシックインカムの導入にとって非常に有効なステップになりますし、ヘリマネを肯定する経済学者や評論家も大勢います。やろうと思えば短期間で実現可能なヘリマネをどんどん推したいですね。

来年はもっとベーシックインカムの認知度が高まる年になるはずです。みなさんで盛り上げて、ベーシックインカムにとって明るい年にしたいと思います。

2016年12月27日火曜日

銀行と消費者金融の違いは

ある人の金融に関する基本的な理解度を知るためには、その人に「銀行と消費者金融の違いを知っていますか?」とたずねてみるのが良いと思います。銀行も消費者金融も、おカネを貸すという点では同じですが、根本的な違いがあります。

おそらく大部分の人は根本的な違いについて答えることができないと思います。それだけ金融のことは誰も何も理解していません。そんな状況で、新聞マスコミにおいて、金融緩和とか、財政再建とかが論じられているのですから、何か絶望的な気がしてきます。

銀行と消費者金融の違いは、「信用創造できるか、できないか」

銀行は誰かにおカネを貸し出す際、信用創造によって預金を発生させ、この預金を貸し出します。ですから、原理的には無限に貸し出しが可能です。消費者金融の場合は、信用創造できませんので、あらかじめ保有している預金を貸し出します。ですから、保有している預金の量を超えて貸し出すことはできません。ここに大きな違いがあります。

もちろん、銀行は原理的に無限に預金を発生させて、それを貸し出すことが可能ですが、それだと世の中が預金だらけになってしまうので、準備預金制度というルールで規制されています。準備預金制度では、銀行が貸し出しできる預金の総量は、保有する現金(マネタリーベース)によって制限されます。

違いについて、もう少し言えば、

銀行が貸し出しを行う場合、資産として貸出債権を発生し、負債として預金を発生し、この預金を、おカネを借りる人の預金口座に振り込みます。ですから銀行は保有している預金を貸し出すわけではありません、預金を発生して貸し出します。その結果、銀行のバランスシートは拡大します。

消費者金融が貸し出しを行う場合、資産の部にある預金を抜いて、おカネを借りる人の預金口座に振り込み、同時に減った預金に相当する貸出債権を資産に計上します。ですから消費者金融は、保有している預金を貸し出します。その結果、消費者金融のバランスシートは不変です。

銀行と消費者金融の違いはなに?と、多くの人に質問してください。それによって、多くの人々の金融に関するリテラシーが明らかに向上するはずです。人々の金融に関するリテラシーが向上しない限り、人々は新聞マスコミ御用学者や政治家資産家に振り回されるだけだと思います。

2016年12月26日月曜日

自分が翁長氏だったらこうする

アメリカは絶対に沖縄から撤退しません。アメリカの世界戦略上、沖縄は極めて重要な位置にあり、それを手放すことはアメリカの敗北を意味するようなものです。つまり現状で沖縄から米軍基地を追い出すことは100%不可能です。不可能を承知で反対運動を強力に続けるとどうなるか?

軍事に関して沖縄県に圧力をかけるのは筋違いですから、アメリカは日本政府に強力に圧力をかけてくるでしょう。パワーバランスから言って、日本政府がそれを断れるはずもなく、政府は沖縄に厳しく対処することになります。そのため、日本政府だけが悪者になり、沖縄県民の反感を一手に引き受けます。翁長氏がそれを狙っているのかどうか知らないが、そういう構図になる。

しかし、考えれば直ぐにわかりますが、沖縄からアメリカが手を引かないのは、中国共産党が驚異的な勢いで軍拡を進めていることも大きな原因です。また日本政府にとっても、尖閣諸島に公船を派遣して圧力をかけている中国に対抗するため、アメリカ軍基地を利用したいと考えるでしょう。もし仮に、台湾が独立して台湾に米軍基地が作られたら、沖縄の重要性は大きく低下し、沖縄米軍基地はなくなるかもしれません。台湾も自国防衛のためにそれを強く望むはずです。しかし現状でそれは難しいでしょう。

自分が翁長氏だったら、県民感情に配慮して米軍基地反対デモに協力しつつも、米国の相手である中国共産党にも強烈な抗議活動を行います。特に尖閣諸島は沖縄県ですから、そこに中国公船が我が物顔で跋扈している状況は、知事として当然ながら傍観などできないでしょう。毎月のように中国大使館を訪問し、尖閣諸島への侵入を中止するように求めます。

ところが、現状で中国共産党が尖閣諸島から手を引くことは100%ありえません。中国共産党にとって尖閣諸島は軍事戦略上重要だからです。中国が沖縄本島へ勢力を拡大するための重要な足場になります。そして100%あり得ないことを承知で抗議を強力に続けるとどうなるか?

度重なる沖縄県の要請を無視する中国共産党に対する沖縄県民の感情は悪化し、中国もまた悪者になる。そうすればアメリカや日本だけでなく、中国もまた悪いという話になる。沖縄で中国共産党に対する抗議デモが発生するかも知れません。翁長氏がそれを恐れて中国への抗議を一切しないのかどうか知らないが、そういう構図になる。

しかし、それが公平な立場ではないのか。

沖縄はアメリカと中国という大国の軍事バランスに振り回されています。それは日本も同じです。つまり、こうした状況そのものに大きな問題がある。もしそれに抗議するのであれば、米中両方に対して、同じように毅然とした態度を示さねばなりません。

もし米中が軍縮して平和になれば、沖縄に基地などまったく無用なのですから。

2016年12月23日金曜日

嫌韓だが、韓国人が悪いとは思わない

自分は嫌韓ですが、韓国人を悪いヤツらだとは思っていません。彼らは反日教育によって強烈な被害者暗示を刷り込まれており、もはや彼ら自身でそれを解くことすらできない状態に陥っているからです。つまり悪いのは反日教育を意図的に行って、韓国の人々に暗示を埋め込んでいる連中(おそらく北朝鮮と中国の両共産党)です。

韓国人に何を言ってもムダだと多くの人は感じているでしょう。実際、何を言ってもムダです。人間はいったん洗脳されてしまえば、何も受け付けなくなる。しかも集団暗示であるため、もし異論を唱える人が居ても、集団でよってたかって潰してしまいます。オウム真理教や極左の内ゲバを見ればわかります。

さらに彼らは、反日報道を見聞きし、反日の施設を訪問し、反日活動に参加し、反日の仲間と語り合うことで、暗示は常に強化され続けます。こうして、おそらくそのままなら1000年は確実に続くと思われる(そう公言している)、国家的な集団暗示が形成されています。これはもはやナチスドイツ下のドイツ人、あるいは軍政下の日本人に匹敵するほど強固な集団暗示だと思われます。

これは、人類史の中でも、特筆に価する現象です。

そして、徹底した被害者意識を暗示として埋め込まれると、人格にマイナスの影響が出てきます。人間は抑圧状態では性格が変化してしまいます。もちろん、それを意識することはほとんどありません。無意識の下に現れる変化ですから。しかしそのため、知らず知らす、影響が出てきます。韓国に生じている様々な問題には、こうした影響がないと言い切れないでしょう。

こうしたマイナスの影響は、仮に反日教育を行わなければ、生じません。反日教育によって被害者暗示を埋め込まれることによって生じます。これは決して健康的ではありません。人間は抑圧感情を持つべきではない。教育によって、わざわざある種の病的な状態を意図的に作り出しているのです。

何のために?無意味です。

仮に韓国の主張が100%正しかったとしても(ありえませんが)、歴史を正しく知ったからといって、健康で健全な人格が形成されるわけではない。誤解を恐れずあえて言えば、美化された歴史を知るほうが、はるかに健康になれる。もちろんそれは極端な話です。しかし、子供達の健やかな人格形成を思えば、どのような教育歴史をするべきか良く考える必要がある。

おそらく、こうした考えには、韓国や日本国内の左派の人々はまったく理解を示さないでしょう。しかし、精神・心理学的な立場から考え、子供の精神活動の健やかな成長を考えるなら、この意味がわかるはずです。

被害者の歴史観はあまりにも残酷だ。
韓国は歴史教育を見直すべきだ。

2016年12月22日木曜日

鳥インフルエンザ 引きこもる(冗談

鳥インフルエンザが日本各地で猛威をふるっています。幸い人への感染は報告されていません。数年前は、マスコミがパンデミックとか言って大騒ぎしてましたが、すっかり忘れたのか、最近はあまり騒がれていませんね。しかし例によって今年も中国で人への感染が確認されたようです。油断できません。

いよいよ集団感染が始まったら引きこもるしかない。過去にパンデミックとか騒がれたときは、自分は神奈川の人口密集地に住んでましたから、出社拒否で会社を首になっても、自宅で引きこもるつもりでいたんですね。

こんな時はカネは役に立たない。

とりあえず引きこもるには食料が必要。スパゲティ乾麺とパスタに混ぜるだけで食えるやつを大量に買い込んで、押入れに貯め込んでました。なんでコメを貯めこまないのかって?コメは保存してると味が不味くなるんですよねw。これで3週間は一歩も外へ出なくて大丈夫だ。

なにせ関東は地震も来るというので、ライフラインが切れた場合に備えて、ペットボトルの水に加えて、ガスコンロとボンベも押入れにいっぱいありました。今考えてみると、地震でアパートが潰れたらガス爆発して火の海だったかも知れませんねえ。準備万全、よーし、パンデミック始まったら、近隣の住人が全滅して廃墟の町と化しても、生き残ってやるくらいの勢いでしたが、幸い、パンデミックも地震も発生しなくてよかった。

ということで、いま最も心配なのは「消費税の増税」ですね。

2016年12月21日水曜日

財務省が来るぞ!早くヘリマネの実施を

もたもたしている暇はありません。一刻も早く景気を回復しないと、ほら、そこに財務省が近づいてきています。新聞マスコミ御用学者を従えて、消費増税の足音がザンザンと響いています、軍靴の音どころではありませんよ。このまま消費増税に自爆特攻したら、日本経済の玉砕は必至です。

3度目の増税延期はまず不可能と思います。そんなことしたら財務省が発狂してゴジラ並みに暴れまわり、日本にあだをなすでしょう。だから残された時間は決して長くありません。2019年10月。あと2年10ヶ月。その間に景気を回復しなければ、極めて深刻な状況になるでしょう。

逆転満塁ホームランなら、ヘリコプターマネーで決まり!全国民に現金を配ってしまうんです。1年間、毎月1万円支給なら、年間15兆円、2万円なら30兆円の予算で可能です。これは日銀が発行している年間80兆円の現金を、こっちに回せばよいだけです。すなわち財源は無用なり。財源ガーはお引取りください。

しかも、給付金が消費を直接刺激するから、おカネが回って、年間80兆円の現金発行を少なくすることだって可能かも知れません。カネを刷りたくない人には朗報だ。もちろん、このおカネはマネタリーベースとしても働くので、仮に使わずに貯金されても、金融緩和効果がある。つまり一石二鳥。

そして、何よりヘリマネで「税収増」するのが大きい。ヘリマネでおカネが回れば税収は確実に増えます。所得税、法人税、おまけに消費税も増える。これは場合によると、

「税収増えたから、増税しなくていいわ」

ということになるかも。もちろん財務省はこれが困る。増税に命を賭けている財務省は、だからこそ新聞マスコミ御用学者・総動員でヘリマネを潰しに来るでしょう。

財務省が来るぞ!早くヘリマネの実施を

2016年12月20日火曜日

「ベーシックインカムの財源は消費税」に反対

ベーシックインカムの財源として、消費税を当てるべきと主張する評論家もいます。しかし自分は消費税や所得税のような家計への課税をベーシックインカム財源にすることには賛同しません。なぜなら、おカネの循環ルートを考えると不自然だからです。

技術的失業で通貨循環に生じる問題は、企業から家計へのおカネの流れが減少することにあります。つまり、人手が余ると失業者が増え、企業から家計へ賃金として流れ込むおカネの量が減少してしまいます。これがデフレ不況の原因となります。では、家計へ行かなかったおカネがどこに停滞するかといえば、企業に停滞してしまいます。ですから、企業で停滞しているおカネを吸い上げて、家計へ流さなければならないわけです。

一方、所得税や消費税は家計に流れ込むおカネを吸い上げます。それをベーシックインカムとして再び家計に支給しても、家計に流れ込むおカネの総量は増えません。家計に流れ込むおカネの量を増やさなければ意味がありません。ですから、消費税や所得税をベーシックインカムの財源とすることには反対なのです。

企業に停滞するおカネを吸い上げるには、企業に課税するのが有効です。そしてそのおカネをベーシックインカムとして家計へ流す。賃金の代わりに企業から家計へ流す。これが財源の基本になります。ただし世の中全体のおカネの量をやや増やしたほうが課税しやすくなるので、通貨発行も財源の一部にすればよいと思います。これにより、失業者が増加しても、企業から家計へのおカネの流れが維持されます。

一方、家計においてもおカネを必要以上に貯め込む人がいるでしょう。あまりにも家計がおカネを貯め込みすぎると、今度は家計から企業へのおカネの循環が悪くなりますから、もしおカネを貯め込みすぎる人がいるなら、家計にも課税すべきです。しかし、これは例外処理です。

企業に停滞するおカネを回収して、賃金の代わりに家計へ流すような仕組みを作るのが基本であって、家計の消費税や所得税を税源とするのは、仕組みから考えておかしいと思うのです。


※だからといって、いきなり法人に課税しろという話ではありません。物事には手順があるのです。念のためw。

2016年12月19日月曜日

ところで資本主義の将来目標は何なの?

現代の経済は資本主義経済です。共産主義経済は滅亡してしまいましたので、今は資本主義しかないんですけど。ところで資本主義の将来目標って何なのでしょうね。資本主義をずっと続けて、どんな社会にするのか、つまり将来ビジョンはあるんでしょうか。そういう記事は新聞マスコミでは、とんとお目にかかりません。

まさか、このまま資本(マネー)がどんどん無制限に拡大して、超巨大資本が経済システムに君臨する世界を目指しているわけではないでしょう。1%の人が地球の富の99%を保有する世界を目指しているはずはなくて、普通に考えると、すべての人が豊かで幸福に暮らす理想社会を目指しているのではないかと思います。つまり、ある意味で、この目標は資本主義であろうと、共産主義であろうと、グローバリズムであろうとナショナリズムであろうと、同じはずだと思うのです。違うのは、そこにいたるロードマップ、手法だけのはず。

ところで、現代の日本は国民の所得が減少し、貧困がどんどん拡大してますよね。にもかかわらず、政治家やマスコミが推し進める資本主義とグローバリスムをこのままずぅーっと続けると、すべての人が豊かで幸福に暮らす理想社会にたどり着くんでしょうか。そういう根拠が何かあるんでしょうか。それとも、根拠はないけど、いつの間にか格差が縮小して、みんな幸福な社会になると。そんなはずはないですよね、何かを変えなければ、そのままズルズルと行くでしょう。

ところが、世界を支配する政治家や新聞マスコミは、このまま資本主義とグローバリズムをさらに推し進めるしかないという。今までの方向を何ら変える必要はないと。資本主義とグローバリズムをさらに推し進めると、いつの間にか格差が縮小して、みんな幸福な社会になると。

そんなこと信じられますか?だから大衆は怒っているんですね。

いったい、世界の政治家は、新聞マスコミは、御用学者は、どんな未来を描いているんでしょうか。ちっともわかりません。見えるのは、世界中で富が富裕層に吸い取られ、貧困が増加し、デフレが慢性化し、テロや難民が押し寄せ、中国やロシアの脅威が増加していることだけです。

2016年12月16日金曜日

脱グローバル化は時間をかけるべき

トランプ氏がアメリカの次期大統領に決まり、グローバリズムを見直す動きが広がりつつあります。脱グローバル化です。これは各国の経済的な独立性を高め、リスクに強い自立した経済を確立する意味では、とても歓迎すべきだと考えています。しかし、急にやってはいけないと思います。

グローバリズムは前の世紀から、何十年も時間をかけて行われてきた社会システムの「構造改革」です。構造改革にはそれくらい時間がかかります。ですから、何十年もかけて改造された構造を正常化するにも、何年もの歳月が必要とされるはずです。

実際、各国はすでに依存関係にあります。経済の効率化を優先したため、独立性がそこなわれ、他国に依存しなければ経済が成り立たない状況にあります(経済的依存症)。この構造において、各国間のおカネの循環がすでにできており、その通貨循環を前提に経済が動いています。もし急激に構造を変更すると、通貨循環がうまくゆかなくなり、経済が混乱、マヒ状態に陥る可能性があります。

ですから、慎重に、周到な準備を行いつつ、長期的な計画に基づいて脱グローバル化を進めなければなりません。もし拙速な判断で混乱を起こせば、再び依存症グローバリズムに引き戻される危険性もあると考えられます。

グローバリズムの有効性はテクノロジーの進化と共に薄れます。人工知能と完全自動生産工場が普及すると、各国ともさらに生産過剰と人手あまりが増加して、分業どころではなくなるでしょう。しかも、自動生産機械や完全リサイクルが普及するほど、どの国も生産条件が似てきます。つまり、国際分業の必要性が希薄になります

とはいえ、テクノロジーはまだ完全にそのレベルには達しておらず、薄れたとはいえ、国際分業の有効性も残っていると思います。また途上国と先進国の為替差もまだまだ大きい。ですから、急ぐ必要はありません。急げば逆効果です。

そうした点から言えば、トランプ氏が急進的な脱グローバル化を図ろうとするなら、これはあまり賢明な方法とは思えません。

まず、最初にすべきは、これ以上過激なグローバル化が進まないよう歯止めをかけることでしょう(無節操な移民や過度な自由貿易協定)。そのうえで、時間をかけて構造を改革し、他国に依存しない経済的な独立性とリスクへの強靭性を高める。そして、短期的な対策としては、政府支出の増大による内需活性化や、分配政策により、速やかに不満を持つ国民に対処すべきではないかと思うのです。

2016年12月15日木曜日

国の負債は資産と相殺しないと消えない

本当に「国の借金ガー」財務省は執念深い。庶民の生活向上より、帳尻あわせに命を懸けている連中です。しかし、国の借金ガーつまり金融負債は、金融資産と相殺しなければ消えることはない。だから財務省がそんなに財政再建したいのであれば、資産のあるところから持ってこなければならない。いくら庶民から資産を毟ろうとしても、庶民に資産などないぞw。

では、資産はどこにあるのか?日本には家計の金融資産だけで1600兆円もある。しかしその大部分は富裕層や高齢者が保有している。若い世代、子育て世代の保有する資産は非常に少ない。にも関わらす、財務省も自民党も「消費税でひろく負担しましょう」などと寝ぼけたことを言っている。冗談でははない。この1600兆円の資産に課税しないで、財政再建などできるはずがない。

さらに加えて、企業が保有する金融資産も1000兆円ちかくある。本来、企業は資金の「借り手」であり、負債が多いことがこれまでの資本主義の常識です。ところが、企業が資金を貯め込んで、逆に「貸し手」になっているのですから、正常ではありません。企業が資産を貯め込んだまま、財政再建などできるわけがない。

財務省が「国の借金ガー」を、是が非でも解消したいと思うのであれば、金融資産に課税しなければダメです。消費税などで庶民の資産をミチミチ搾り取っても、知れている。どうせ負債と資産を相殺しなければならないのだから、資産のあるところから、直接に資産を取ってきて財政再建するのが、最も合理的ではないか。

それとも、財務省は、
庶民の借金を増やして、そのカネで財政再建を図るつもりか?
BSから言えば、そう解釈もできる。

いい加減にしろ。
帳尻を合わせて、国を滅ぼす財務省。

2016年12月14日水曜日

北方領土は「返していただく」立場にある

ロシアにとって北方領土を返す義務などまったくありません。日本はロシアに平身低頭して領土を返していただく立場にあります。それを忘れて新聞マスコミが騒ぐのは、まったくナンセンスだと思うのです。

戦争で他国の領土を奪うのは、第二次世界大戦の当時としては当然の行為であり、日本が「島を奪われた」と騒いだところで、そんなものは通用しません。ロシアだけではありません。中国共産党を見よ、ウイグルもチベットも、中国共産党が軍事侵略して奪ったのです。それが堂々と今の国際社会でまかりとおっています。国連の常任理事国になり、EUがカネ欲しさに人権を無視してちやほやするくらいです。武力こそ正義、それが国際社会の冷酷な現実です。だから、本当に北方領土を取り返したいならば、ロシアと戦争して武力で奪い返すのが筋。しかし、それは無謀です。

だから、日本人が「領土を返さない」などと文句と言うのが、ロシアにとってはちゃんちゃらおかしい。すでにロシアの領土である。それを武力によらずに取り返すというのだから、これは並大抵の話ではないでしょう。そもそも対等な立場などあり得ない。日本が平身低頭して「返していただく」のです。それでも返さないなら、本当に戦争しかない。でも戦争はできません。

だから、新聞マスコミが「ロシアに経済協力だけ取られ損する恐れ」などと書くのは愚かです。取られて損するくらいの覚悟がないと、ロシアから領土を返していただくのは無理でしょう。日本がこれだけやったんだから、返してやるか、と、ロシアの国民も納得するほどでなければ、返還などかなわない。

日本がアメリカから沖縄を返還していただいたのは、アメリカが良い国だったからではない。沖縄の米軍基地のような譲歩によって、アメリカの国益に利する条件を日本が呑んだからでしょう。もし当時から米軍基地追放などと騒いでいたら、沖縄はいまでも米国領であったかも知れません。まあ、その場合は、基地問題が発生することもなかったでしょうけど。

国際関係が平和主義だとか、自由平等博愛とか、国際法に基づいて動くというのは、あくまで「理想」です。理想も大切だが、それだけで世界が動くわけではありません。それは中国共産党を見ればよくわかる。もちろんロシアも。理想を大上段に振りかざして外交を行うような間抜けな国は滅びます。

北方領土の返還は、本来は武力で取り返すしかないものを、武力によらず取り返すことです。そのためには、日本は相当な譲歩を覚悟するしかないと思うのです。

2016.12.15一部修正

2016年12月13日火曜日

雇用を人質に構造改造されるリスク

グローバリズムにしろ構造改革にしろ、それらを推進する人々の殺し文句は「雇用を生み出す」あるいは「雇用を失う」です。経済成長もセリフとしてよく使われますが、経済成長しても意味がないと反論される場合もあるわけですが、「雇用を生み出す」といわれれば、これに意味がないと反論する人はいないでしょう。今の社会では、雇用されない人は生きてゆけないからです(自営業、利子生活者は除く)。

そのため、どんなに社会の競争が激しくなろうが、格差が拡大しようが、移民が押し寄せようが、「雇用を生み出す」といえば、たちどころに賛成意見が増える。「雇用が失われる」といえば反対意見が増える。ですから、「雇用を増やす」といえば、どれほど副作用の強い改革であろうと、ごり押しすることができます。つまり、雇用を人質に取られているようなものです。逆らえません。こうして、世の中は、資本利益を最大化する方向へ改造されてゆきます。

しかし、こうした強引な構造改革がまかり通ってしまうのは、雇用と所得が極めて強力にリンクしているからです。これがもし、ベーシックインカム(国民配当)のように、国民の最低生活が保障されるようになれば、必ずしも雇用されなくとも生活できるようになります。すると、「雇用を生み出す」というセリフは殺し文句ではなくなります。雇用より、もっと大切なことに目が向けられるのではないでしょうか。

すると、人々にとって政策の優先順位が変わりますし、要望する政策の内容も変わるでしょう。

そうなれば、もはや強引な構造改革は不可能になるでしょう。もちろん逆に、生活が保障されることで、かえって認められやすくなる改革もあるかも知れません。それはそれで問題があるかも知れませんが、少なくとも、雇用を人質に取られて、仕方なく構造改革を受け入れるのとは全然違うでしょう。

こうした観点から、国民配当による最低生活保障は、拝金主義ではなく、より人間らしい政策判断ができるようになる点でも、意味があると思うのです。



2016年12月12日月曜日

ツイッターはケンカ発生装置 改良必要

ツイッターを見ていると、難癖の付け合い、ののしりあいのような不毛なことになっているのを見かけます。特に政治経済、思想信条の話になると、大騒ぎになっています。営業職であれば誰でも知っていますが、お客様と政治経済、思想信条の話をしてはいけません。喧嘩になるからです。それくらいやっかいな分野なんです。

日常生活では、周りの人に面と向かって異論を言いませんし、そもそも、他人と政治経済、思想信条の話をすることは滅多にあるものではありません。多くは仕事の話か趣味の話、他愛も無い話です。ですから、様々な考えを持つ人が周辺にいても、争わず、比較的平穏に生活しています。

ところが、ツイッターなどSNSの場合、いきなりこれらを直球でぶつけ合います。しかも急速150Kmなんかあたりまえの世界で、世界最速で顔面を狙ってきますw。なんでこうなってしまうのか。

会話であれば、特定の相手に話さなければ何も伝わりませんが、SNSの場合、不特定多数にいきなり伝わります。これを見た人の価値感や考え方が発言者と同じであればまったく問題ないのですが、異なる場合、まったく面識のない相手にケンカを売るのと同じ効果があります。発言者にケンカを売る意図などまったくなくても。

つまり、自分と異なる意見を目にした人は、藪から棒に、まるでケンカを売られたような気分になります。なので、多くは感情的になって、反論のリツイートをするわけですが、感情的になっているので、これがかなり強烈な言葉を使う場合が多い。

一方、最初の発言者は、誰かにケンカを売ったつもりが無いのに、いきなり過激な言葉で反論、あるいは罵られますから面食らいます。そして多くの場合は同様に感情的になって、反論。ケンカの火蓋が切って落とされますw。

ツイッターはケンカ発生装置であるw

しかも、こうしたSNSによる罵りあい、異論との接触が多くなると、人間は性格的におかしくなってきます。意固地になって心にゆとりが無くなり、考えが過激化して、しまいには、ちょっとしたつぶやきに対して「お前殺すぞ」くらいの勢いで反応するようになる。SNSによって、そんな人間がどんどん増加し、ネット社会が殺伐となっている気がするのです。

前述のように、こうしたトラブルは実生活では生じにくい。SNSによってこうしたリスクが増大するといえます。相当な人格者か、鈍い人間でもない限り、ツイッターで自分の思想信条をぼろくそに発言するツイートを見て平気で居られる人はいません。とはいえ、発言を禁じてしまうと、ツイッターの意味がない。というか、人間に「理性に溢れた思いやりのある発言だけしなさい」と命じるのは無理です。残念ながら、人間はみな愚かですから。そんなことなら、ツイッターを禁止したほうがよいくらいです。

ですから、ツイッターの機能を改善していただきたい。

日常生活と同じ程度に、異論との接触度が下がるよう、機能を追加すべきです。そうしなければ、ネットは毎日がののしりあいの世界になってしまうでしょう。これには人工知能を利用すべきでしょう。特定の単語を含むツイートをブロックするだけは済まないからです。ある程度、文意を理解してブロックしなければなりません。

あらかじめユーザーの性格や価値観をアンケートなどで絞り込んだり、「いいねボタン」のほかに、「嫌いボタン」(自分にしか見えない)も追加することで、ブロックすべき文意を想定し、フォロワーのリツイートを含めてフィルタリングするわけです。

もちろん、とにかく殴り合い議論好きな人には、そういうのを可能にするデスマッチ金網リングのような場を提供してもよいでしょう。SNSにおけるPVP機能ですw。対戦マッチング機能も追加しましょうw。

もっとスマートな方法があるかも知れません。いずれにしろSNSについては、異論との接触度合いを日常生活並みに調整する機能を持たせなければ、ネット社会が殺伐とするだけでなく、それを利用する人の人格にも悪影響を与え、さらには実社会にも良くない結果をもたらすような気がするのです。


2016年12月8日木曜日

減価する法定仮想通貨

中央銀行が仮想通貨を研究しているという記事がありました。つまり、仮想通貨を法定通貨の仕組みとして利用する可能性もゼロではありません。これはかなり画期的です。これまで不可能と思われていた「減価する通貨」を実現できるかも知れないからです。

時間と共に減価する通貨を物理的に作り出すのは不可能でしょう。紙幣や硬貨であれば、自動的に減価することはありませんし、紙幣ごとにカードチップ型マネーにするにはコストがかかりすぎます。おまけに扱いが面倒です。預金や電子マネーのような口座の場合は、口座にマイナス金利を付しますが、そうした口座は無数にありますし、おまけに海外に送金されたりして、非常にややこしいです。

ところが、仮想通貨であれば、通貨そのものは電子情報であり、特定の口座に依存しない(分散管理)。時間経過にあわせて一定の比率で減価するメカニズムをシステムに組み込んでおけば、いちいち減価する操作をしなくても、自動的に通貨そのものが減価するはずです。通貨のシステムとして減価が組み込まれれば、どこの口座にあろうと、海外にあろうと、必ず減価すると思われます。

これは劇的な変化をもたらします。様々な変化があると思われますが、最も大きいのは、税金を廃止できるだろうという点です。無税国家です。

税金を徴収するのはコストがかかる上に、脱税、節税、パナマへ流出など大変です。ところが、通貨そのものが減価すれば、減価した額だけ新たに政府が通貨を発行し、これを財源とすることにより、事実上、税収を得たことと同じになります。しかも、おカネを貯め込んでいる人(企業)ほど、絶対金額としては多く減額します。つまり資産格差の縮小が可能です。これは預金課税と同じ働きをしますが、税ではないので、脱税は不可能です。徴税や節税にかかわるすべてのコストは不要になります。

そして、たとえば、法定仮想通貨を中央銀行ではなく政府が発行し、減価する通貨の発行益によって政府支出(ベーシックインカム、公益事業など)を行うことができます。しかも発行した通貨は自動的に減価するため、世の中の通貨が過剰に膨張することもありませんので、インフレは低く抑えられます。これにより、貯蓄過剰は解消され、世の中のおカネが回ります。

これが「法定通貨」であることが重要です。法定通貨ですから強制力があり、流通が確保されます。

自分には仮想通貨の技術的な知識はそれほどありませんので、はたして、これが本当に可能かどうかを断定することはできません。しかし、非常に面白い方法だと思います。

2016年12月7日水曜日

「拝金主義VSポピュリズム」なら妥当

イタリアの国民投票やオーストリア大統領選挙の新聞マスコミ記事を読んでいると、きちんとした民主的投票の結果であるにもかかわらず、相変わらず、大衆主義だの、ポピュリズムだの、現在の政策に不満を示した多くの市民をまるで「悪者あつかい」するような表現が溢れています。

こんな、あからさまに一方的な「善・悪」の構図で決め付ける新聞マスコミが、本当に報道の自由とか、中立性などという価値観を持ち合わせているのか疑問に思わざるを得ません。

新聞マスコミが露骨にグローバリズムの立場を支持しているのは明白ですが、だからといって、グローバリズムを「善」「正義の味方」として美化し、反対する立場を「悪」「悪の集団」としてこき下ろすのでは、あまりに一方的です。つまり不公平です。いわば偏向と言えます。

新聞から見て、一般市民の政治行動が「ポピュリズム」「大衆主義」である言うのであれば、逆に市民の立場からすれば、新聞マスコミや既存の政治エリートの政治は「拝金主義」「拝金主義グローバリズム」です。カネのため、資本利益のための政治。ですから、その実態を双方の立場から公平に言えば、

「拝金主義VSポピュリズム」

そうです、ヨーロッパで生じている現象は、拝金主義VSポピュリズム。悪VS悪です。どっちも、ろくなもんじゃねえw。クズ対クズ。これなら表現として公平でしょ。ポピュリズムがクズなら、拝金主義もクズ。

現代は、拝金主義とポピュリズムの戦いだ
お似合いじゃないですかww

2016年12月6日火曜日

ミクロ感とマクロ感はかみ合わない

ミクロ的な感覚とマクロ的な感覚はかみ合わない場合が多い。というか、つまり、自分の体験や身の回りで感じている経済に関わる現象と、マクロ的な考察に基づく理解は異なる。これはいわゆる合成の誤謬のことでもあります。そして、人により、ミクロ的な感覚を重視する人とマクロ的な思考を重視する人がいて、これが対立の大きな原因となっている気がします。

たとえば、公共事業。公共事業はマクロ的に言えば、有効需要を増やして経済を底上げする一定の効果があることは間違いありません。そこで、マクロ的には、これをどんどんやれば良いという話になります。ところが、現場からすれば必ずしも歓迎とは限りません。体験上、公共事業の増加には迷惑していました。

以前に勤めていた会社は横浜にありましたが、住宅建設の中小企業だったので大変でしたね。大企業がカネにモノを言わせて職人をどんどん福島の復興事業など公共事業に持っていき、人件費が高騰、求人しても人がこない。材料も不足して高騰。下請けの外注費用も高騰。しかし、建築受注単価を上げると受注できないから、厳しい状況でしたね。こうなると低賃金の外国人労働者が必要でした。ですから、公共事業を拡大しておいて、外国人労働者の受け入れ制限、などとんでもない話です。中小企業を潰す気満々かと。まあ、厳しかったのは、会社自体の経営にも問題ありましたけどね。

公共事業におカネを投下しても、それがすべての国民の所得の引き上げと消費拡大に向かうには、その間に、何度もおカネがやり取りされなければならない。これは金融緩和の場合も同じです。仮に成長分野で貸し出しが伸びたとしても、そのカネが社会全体に巡るには何年も必要です。現場はそんな気長に待っていられません。今日の売り上げ、明日の資金繰りです。だからこそ、公共事業だけじゃなく、即効性の高い給付金も重要性であると考えているわけです。

それはさておき、こんな感じだからミクロ的な感覚とマクロ的な感覚はあわない場合が多いと思います。どっちが正しいとか、そういう問題ではありません。現場の考えを優先したミクロ的な対策ばかりでは、思い切り「合成の誤謬」に嵌まり込んでしまうかも知れませんし、では現場なんか無視してマクロ理論で突っ走れば良いかといえば、どこかにしわ寄せが行く可能性もあります。

やはり、単純に一つの方法でごり押しするのではなく、諸政策のバランス感覚が重要なのだと思います。

2016年12月5日月曜日

日本死ね発言と別の点が気になる

今年の流行語大賞として、「日本死ね」がトップテンに選出され、表彰されました。「日本死ね」発言については、これが国会で取り上げられた際にも騒がれたのですが、それが流行語大賞でなんと表彰されたことで、また騒ぎになっています。多くの場合、この発言の是非を巡って論争されているようですが、自分はそれよりむしろ、そうした世間の動きの方が気になります。

「日本死ね」の発言そのものは暴言です。死ねという表現が暴言であることに異論はないでしょう。では、暴言を言ってよいか悪いかといえば、これは表現の自由でしょう。たとえば、米国大統領のトランプ氏やフィリピン大統領のドゥテルテ氏は暴言を吐いています。もちろん政治家が暴言を吐くことには慎重であるべきでしょうが、しかし、これも許されるべきものです。

すなわち、暴言であることを理由に非難されるべきものではない。日本死ねも、トランプ氏も。逆に日本死ね発言を容認しておいて、トランプ氏の暴言を批判するのもおかしい。オバマ大統領のように、言葉は上品だが、行動として何もチェインジしなかった場合と、どちらが優れていると言えるものではないでしょう。仮にそれが誰に対する暴言であったとしても。つまり、日本死ねも許されるし、韓国人死ねも許されるべきです。もちろん、発言者の品格が疑われますが。

とはいえ、これをいたずらに何度も発言したり、これを連呼して街頭をデモするのは別です。こうなると目的が違います。たとえば、「韓国人死ね」といってデモ行進すれば処罰されて当然ですし、また、「日本死ね」と言ってデモ行進すれば処罰されて当然でしょう。相手が強者か弱者かなど関係ありません。集団で意図的に相手を貶める行動そのものが許されないからです。

でも、そんなことはあまり気になりません。むしろ、そんなことで大騒ぎしている世間が気になりますね。

たとえば、「日本死ね」が流行語大賞に選ばれたことに違和感を表明したツイートが、ものすごい数の人々から叩かれて、謝罪に追い込まれたり、その逆に、日本死ね発言者を非難する意見が殺到したりする。何なのか。

もちろん、日本を嫌いな人も居れば、国家そのものを嫌いな人も居る、また逆に、国を大切に考える人、国家の存在を最優先に考える人もいる。しかし、どちらが正しいといえるものでもありません。意見は多様であり、多様であるべきなのです。ですから、互いに批判したところで、おそらく、意見が一致することは絶対にありえない、対立は永遠に続くのです。自分の思い通りではないからといって感情的に対立していては、お話になりません。

こんなくだらない事で大衆が互いに対立していて、どうするのか。大衆が怒りを向けるべき敵はもっと別のところにある。実に絶望的な状況です。互いの立場を尊重し、互いに引かなければならない。大衆が二極対立していれば、世の中を支配し、カネをしこたま貯め込んでいる少数の資産家、富裕層、既存政治家が喜ぶだけです。大衆が潰しあえば、安泰ですからね。

だが、そうした大衆の騒ぎよりもっと気になる事があります。マスコミです。なぜなら、「日本死ね」を流行語大賞に持ち出せば、こうした騒ぎが発生することを十分に予測しながら、おそらく、マスコミはあえて「日本死ね」を持ってきたのでしょう。一時期騒がれて鎮火した火事を再燃させたいと思ったのではないのか。これは扇動ではないか。それによって大衆は騒ぎ、結局、世の中はマスコミの思うように動く。ほくそ笑むマスコミ。暴言を吐いてもいいですか。

火付けは止めろ、マスコミ死ね。

2016年12月2日金曜日

不況の原因は簡単なんです

不況の原因は恐ろしいほど簡単です。新聞マスコミ御用学者が、単刀直入に言及するのを避け、回りくどく説明しているから、わかりにくいだけです。ハッキリ言えばいいんです。

資産家や大企業がカネを貯め込んでいるから、
他の人にカネが回ってこない。

麻生太郎も言ってましたね、
「おカネそんなに貯め込んでどうするんですか」。

これです。世の中のおカネの量が一定とすれば、誰かが大部分を貯め込んでしまうと、他の人には回らなくなる。当たり前ですね。これがそもそもデフレの状態を指します。

こうした問題は以前からあるわけですが、それでも経済成長の著しいころは「投資」つまり、資産家が新規発行(既発行ではない)の株式や社債を購入することでおカネが回っていました。しかし、先進国ではすでに投資はほとんど望めない状況になりつつあります。こうなると、その解決方法は2つしかないです。

①貯め込まれたカネに課税して政府支出する(金融資産課税)
②新たにおカネを増やして政府支出する(ヘリマネ)

このどちらかです。もちろん政府支出は給付金でも公共投資でも良いでしょう。ベーシックインカムでも良い。いずれにしろ、多くの消費者におカネを分配し、消費を拡大しないと不況は解消できません(有効需要)。このどちらも否定すれば、不況は永久に解決できないと思われます。

相変わらず成長戦略でおカネを回そうという話を、新聞マスコミ御用学者は大好きなようです。効果が無いとは言いませんが、それで動くおカネなど知れているでしょう。失われた20年にわたって「構造改革で投資を増やす」とか言ってましたが、いったいどれほど効果があったのでしょうか。

難しく考える必要はないと思います。カネを使わず、膨大に貯め込むヤツがいるから、おカネが回らないんです。だったら、その貯め込んだおカネに課税するか、新たにおカネを発行するしか解決法はありません。

片方だけだと影響が大きいので、
両方とも、半々やるのがいいと思います。



2016年12月1日木曜日

富裕層の財産は国の借金のおかげ

「富裕層の財産は彼らが努力したおかげだ」と主張する人がいます。もちろんそうした要素はあるでしょう。しかしそれだけで富裕層がおカネ持ちになれたわけではありません。政府が借金をどんどん増やしたおかげで、おカネ持ちになれたのです。

どれほど努力しようと、世の中のおカネの量が増加しなければ、人々のおカネを巡る活動は、すでに世の中に存在している、一定量のおカネを奪い合う行為になります。つまり、誰かがおカネ持ちになれば、必ず誰かがそのぶん貧乏になる。世の中のおカネの量が一定なのですから、あたりまえです。こんなことは、ちょっと考えれば誰でも気付くはずです。

では、富裕層がおカネ持ちになれたのはなぜか。世の中のおカネが増えているのです。もちろん、財を成した人が努力しなかったとは言いません。しかし、それだけでは財は成せない。世の中のおカネが増えたからこそ、財を成すことができたのです。

その増えたおカネはどこから来たのか?

多くの人は、日銀が現金を発行して増やしたと思うでしょう。しかし、現在の金融制度(銀行制度)の仕組みから言えば、おカネのすべては「信用創造」によって作り出されています。つまり、誰かが銀行から借金することによって、初めて世の中のおカネが増えるのです。それ以外では増えません。だからこそ、日銀が金融緩和で現金を発行して銀行へ渡しても、銀行からの借り手が増えなければ、銀行につんだままなのです。

だれかが借金を増やしたからこそ、世の中のおカネが増えた。

そうです。「国の借金ガー」です。国が借金したおかげで世の中のおカネが増え、その借金で増えたおカネを貯め込むことで、おカネ持ちになれたのです。

新聞マスコミは、こうしたメカニズムは一切スルーしています。報道しない自由を存分に発揮しているのです。しかし、メカニズムを考えると、実際、そのようになっているのは疑いの無い事実です。

そうした点を考慮すれば、「富裕層のおカネは、貧乏人には計り知れないほどの努力の結果である」と声高に主張し、富裕層への課税を否定する考えは、一面的に過ぎない気がするのです。まして投資とは名ばかりの資産ころがしで得たカネであれば。

富裕層は「国の借金ガー」に、もっと感謝すべきでしょうw。彼らが財政再建を主張するなど、もってのほかだと思います。

2016年11月29日火曜日

年金は「保険料の無料化+無条件支給」が正解です

国民配当(ベーシックインカム)を実現するステップとしては、多様な方法が考えられます。もちろん理想的には、毎月10~15万円支給という、最低生活保障を最初から実現する方法でしょうが、自分はこだわりません。一つの考えとしては、年金制度からステップアップする方法もあると思います。

つまり、「年金保険料の無料化+無条件支給」です。これは、いわば年金をベーシックインカムにしてしまおうという話です。高齢者は原則的にいえば、労働人口ではありません。そもそも、総活躍、などと称して、高齢者を無理に働かせようとする考えがおかしいと思います。ベーシックインカム反対論者の多くは「ベーシックインカムを導入すると働かない人が増える」と主張していますが、高齢者であれば働かなくなるのは、あたりまえであって、何の問題もありません。死ぬまで働かされるのがおかしい。

もちろん、高齢者にあっても、企業として必要な人材であれば、企業は喜んで働いてもらうでしょう。しかし、定年延長や再雇用制度によって、無理に高齢者の雇用を維持するのはおかしい。それは「年金生活者の数を減らすための政府の恣意によって、無理やり高齢者を企業に面倒みさせる」だけです。高齢者は働きたくないのに働かされ、企業は雇用したくないのに雇用を維持する。年金財源を減らすためだけに。まさに不毛です。

もちろん、科学技術が進歩せず、生産性が向上しないにも関わらず、寿命だけが伸びている社会であれば、高齢者にも働いて生産活動を行っていただく必要はあるでしょう。しかし現状として生産性の向上は生産年齢人口の減少率より高く、また今後はロボット化、完全自動生産化により、生産性は加速度的に向上するでしょう。

つまり、簡単に言えば、高齢者は早く退職して、代わりにロボットや機械が働けば良いのです。高齢になってまで、無理に働く必要などありません。それを、総活躍、などと称して強制的に労働参加させるのは残酷にすぎません。働きたい高齢者は働いても良い、しかし、それ以外の高齢者は基本的に働く必要はありません。

そこで、「年金保険料の無料化+無条件支給」です。年金をベーシックインカム化するのですから、保険料は必要ありません。そして65歳以上であれば、無条件に支給します。

保険料が無料化するので、現役世代の年金負担は無くなります。これで毎月国民年金税約15,000円払う必要がありませんから、減税と同じ効果があります。景気刺激効果があります。これは非常に大きいです。

なおかつ、無条件に支給なので、国民の年金に対する不安は消えます。将来への不安が消えれば、貯蓄より消費へおカネが流れるといいますから、景気回復にも効果あります。年金支給額としては、国民年金の2倍の約140,000円ほどを毎月支給すれば生活できるでしょう。もちろん、厚生年金や個人年金は上乗せでも良いわけです。

こうして、年金が保証されれば、仮に人生に果敢にチャレンジして、失敗しても、老後は野タレ死ぬ恐怖から開放されます。リスクを恐れない活力が社会に生まれます。

また、高齢者の生活保護は年々増加しており、結局のところ、年金をベーシックインカム化しても同じことです。それならば、中途半端に生活保護で保障するのではなく、高齢者をまるごと完全に保護してしまうほうが、将来への不安を確実に払拭できます。

そして、社会の自動生産化の進展にあわせて、年金支給年齢を引き上げるのではなく、逆に60歳、55歳と、段階的に引き下げます。また、幼児や学生のベーシックインカム化を併用しても良いです。

つまり、高齢者や若年者という「非生産年齢人口のベーシックインカム化」です。非生産年齢の人は、そもそも働く必要はないのですから、それらの人々の生活を保障することから始めるのが一つの方法だと思うのです。

財源は通貨発行+金融資産課税といったところですが、長くなるので、それは別の機会に。

最初から完全ベーシックインカムを導入するよりも、必要な財源は低く抑えられますから、実現可能性はより高まります。一つのアプローチ方法として、ご提案します。

2016年11月28日月曜日

雇用を守ってもユートピアには至らない

古来より人々の夢はユートピア(理想郷)にありました。そこは、人々は苦痛を伴う無味乾燥な労働から解放され、人々が自らの関心や興味だけで、自由に活動できる社会でしょう。こうしたユートピアはSF小説としては、高度な機械文明に支えられた社会として描かれてきました。たとえば人工知能を備えたロボットが人間の代わりに、労働を担う社会です。

そして今日、人工知能の飛躍的な進化と完全自動生産工場の実用化がいよいよ現実味を帯びてきました。人間が無意味な労働から解放されるユートピアに近づきつつあるわけです。ところが、こうした状況にあって、これを労働から開放されるのではなく、労働を奪われるという話になってきました。ロボットに労働=仕事を奪われるという騒ぎです。

一方で、「雇用を守れ」などと騒いでいる政党があります。こんな意味不明のことで騒ぐ状況では、人間が労働から開放される日など永遠に来ません。雇用を守っていても、ユートピアは永遠に実現できないでしょう。

雇用を守るのではなく、
雇用を必要としない社会を実現する

本来、左派であれば、そうあるべきだと思うのです。もちろん、明日からすぐにそうすべきという話ではありません。ただしビジョンとしてそれを掲げ、ロードマップを描くことはできますし、それが必須です。「雇用を守れ」ではなく「雇用を必要としない社会の実現」を堂々と掲げていただきたい。そのためには、コンクリートへの投資でも人への投資でもなく、未来技術への大規模な投資が必要です。公共投資が悪、などといっているようでは話になりません。

一方、与党・自民党は雇用も守らないし、雇用を必要としない社会の実現も目指していない。これではお話にならないとおもいます。雇用を守る必要はないが、それは「雇用を必要としない社会を実現する」という文脈において有効であって、ただ単に雇用を市場原理に任せるのでは不幸を増やすだけです。

つまり、もはや左派政党自民党も、基本的な考えが時代遅れでお話になりません。科学技術の飛躍的な進化が描き出す未来へのビジョンが何も感じられないのです。どちらも前世紀の政党です。

雇用を守るのではなく、
雇用を必要としない社会を実現する

これを打ち出せる政党があるならば、支持したいと思います。

2016年11月25日金曜日

付加価値ではなくシステムがカネを生む

見方を変えると世の中が変わって見えることがあります。所詮、すべては解釈に過ぎないからです。正しい考えなどないと思ったほうがよいと思います。たとえば「労働による付加価値が利潤を生み出す」と考える人がいますが、これも単なる解釈に過ぎません。むしろ「システムがカネを生んでいる」と解釈するほうが理にかなっている、とも思えるのです。

たとえば、資産ころがしなどのキャピタルゲインです。株式投資とか、FXなどもそうです。こうした行為がどのような付加価値を生み出しているかといえば、何も生み出していないことは明白です。ですから、付加価値が利潤を生み出すとする解釈には無理があります。

すべての利潤に共通するのは、そこにシステムが存在していることです。ぶっちゃけに言えば、ポケットまでカネが流れ込む一連のシステムが存在しています。いちど、そのシステムが出来上がると、あとは自動的にどんどんポケットにカネが流れ込んできます。

このシステムを構築する能力が高い人間は、金持ちになります。特に付加価値を生み出す能力が高い必要はありません(もちろん、高いほうが有利ですが)。たとえば、自分が労働するのではなく、優秀な労働者を雇用すればよいわけです。最も重要なのは、システムの構築能力です。

このシステムが稼動するには力学が必要であり、それが人間の欲望です。欲望という推進力を用いたメカニズムを考える必要があります。ここには、様々な欲望があり、付加価値もあれば、恐怖・不安・安心など精神的な動機だけのばあい、宗教、あるいはカネからカネを増やしたいという欲望まで様々です。これがシステムの推進力となります。

このように解釈すると、労働による付加価値は、システムの推進力の一つの歯車に過ぎないことがわかります。そして、このシステムには下部構造があって、それは情報技術で言えば「OS(基本ソフト)」にあたるものが存在します。それが資本主義などの、いわゆる経済システムであるわけです。こうした下部構造の上に、それに適合した上部構造が形成されます。

そして、この下部構造のメカニズムが機能しなくなると、上部構造も機能しなくなるわけです。

そんなわけで、付加価値とか労働とかではなく、システムとしての下部構造と上部構造から社会・経済を眺めると、いわゆる新聞マスコミなどの記事が前提とする常識論とは別のことに気が付くと思うのです。

2016年11月23日水曜日

トランプ氏の二国間交渉も要注意

ついにトランプ氏がTPPの離脱を明言しました。これでTPPは頓挫する可能性が大きくなりましたが、トランプ氏は二国間交渉をすると言い出しました。しかし、トランプの二国間交渉は危険な予感に満ちています。貿易不均衡(日本の対米黒字)を挙げて、強引な交渉を仕掛けてくる可能性があるからです。これはTPPよりさらに面倒なことになる。どう対応するか?素人なりに少し考えてみます。

まず、「米や畜産品の関税撤廃をしないと、自動車に課税するぞ」と恫喝してくると考えがちですが、たぶんそれはないかと。日本の農業生産総額は畜産含めて8兆円程度しかない。米は1.4兆円、畜産が3兆円。自分がビジネスマンなら農業など放置して、「貿易が均衡するまで自動車に課税する」と言います。農業関税よりも、むしろこうなると面倒です。

財務省の貿易統計を確認してみましょう。
貿易統計報道発表H27
http://www.customs.go.jp/toukei/shinbun/trade-st/2015/2015_117.pdf

これによると、日本の対米貿易黒字は年間約7兆円あります。何の策も講じることなく、日本がアメリカからの輸入を増やして7兆円もの黒字を解消することは厳しいと思われます。一つの方法としては、国内の景気回復の点からも、ヘリコプターマネーのような給付金によって国民の購買力を高め、輸入を増やす方法があります。

しかし、それだけだと、アメリカからの輸入が増えるとは限りません。中国からの輸入が増えるだけかも知れません。ヘリマネによる内需拡大は絶対に必要だと思いますが、他の政策も同時に必要かと思うのです。

そもそも日本は対米黒字であるとはいえ、総貿易収支は赤字傾向になっています。日本はアメリカ以外の国からの赤字を抱えているわけです。では、いったい、どの国からの貿易が赤字なのか。中東からの赤字が約6兆円、中国からの赤字が約6兆円です。つまり、アメリカからドルを吸い上げて、中東と中国へ流しています。これにアメリカが不満なわけです。

これを単純に解決しようと思えば、アメリカ以外の国から輸入するのをやめて、代わりにアメリカから輸入すればよい、ということになります。もちろん、自由貿易ですから、言うほどに簡単にできるわけではありませんが、一つの方針としてありえると思います。

たとえば、中東からの赤字は、ほとんど石油などです。ですから中東から石油を買うのではなく、アメリカから買えばよいことになります。これらの輸入額は約9兆円です。仮にこの1/3をアメリカから買えば、アメリカから吸い上げたドルの約3兆円がアメリカに戻ります。トランプ氏はエネルギー資源の輸出規制を撤廃し、エネルギー資源の輸出に力を入れると発表しましたから、これはまさにちょうど良いタイミングです。

次に中国です。日本は中国から膨大な輸入をしていますが、これは日本から中国への産業移転が進んだ結果、そうなったものです。つまり、日本にあった工場を中国に移転し、そこで生産した製品を日本に輸入する形になっています。輸入額は電気機器5兆円、電算機類(コンピュータ)2兆円、衣類など2兆円といった具合です。また、原料(鉄やプラスチックといった素材)も約2兆円あります。

つまり、中国にある工場をアメリカへ移転すればよいわけです。そして中国で生産するのではなく、アメリカで生産し、それを日本に輸入すればよいわけです。たとえば、中国から輸入している電気機器、電算機、原材料のうち、合計4兆円分をアメリカにもっていく。これは対米投資を意味します。アメリカでは設備投資が増加して景気を刺激し、工場の建設で雇用が生まれます。しかも、貿易不均衡は改善します。

ただし、これだけ自由化が進んだ時代にあっては、そう簡単にはいきません。笛吹けど踊らず。市場は市場原理で勝手に動くものです。ですから、政府主導の政策と、長期的なビジョンに基づき、徐々に成果を出すしかないと思われます。手っ取り早いのがシェールオイルや天然ガスの輸入量を増加することで、構造的な変化が必要な対米投資の拡大については、じっくり取り組む。これをもって、トランプ氏と交渉するわけです。

もちろん、未来的には完全資源リサイクルや完全自動生産などの高度テクノロジーにより、各国の経済的独立性を高めて、貿易は最小限にとどめるようにするべきですが、現状は難しいところもあるので、現在のシステムの範囲で考えます。

御用学者に言わせれば、こんなのは素人考えだと批判するでしょうが、では逆に、グローバリズムによって、どうやってアメリカの雇用を生み出し、貿易不均衡を改善するというのか?そんなメカニズムは聞いたことがありません。耳にするのは、美しいお題目ばかりです。

2016年11月22日火曜日

自由貿易はロマンチックな夢想

資本主義のロマンチストである安倍首相は、自由貿易至上主義についての信仰心も高い。自由貿易ですべて解決できると信じて疑わないようです。グローバリズムに対する懐疑的なみかたが広がらないよう国民に説明し、自由貿易の利益をひろく行き渡らせるという。しかし、具体的にどんな方法で行き渡るのか?何の説明も無い。説明のしようがないからです。

自由貿易とは、その実際は国際分業です(リカード仮説)。各国がそれぞれの国内で最も生産効率の高い財の生産に特化し、これを貿易で完全に相互分配することで、貿易国の総生産力が貿易する前よりも高まる。これが経済成長であり、これが人々に行きわたれば、貿易する前より豊かになる。そういう考えです。

確かに、生産能力がまだまだ不十分だった過去の時代において、貿易を行う国全体の総生産量を増加させるために、国際分業が有効だったことは間違いないでしょう。しかし、生産過剰、消費不足、投資不足という、新たな時代に突入した現在、自由貿易で、さらに総生産力を増加して、いったい誰が消費するのか。そんなカネは庶民にありません。

自由貿易の利益が国民に行き渡るためには何が必要か。自由貿易によって庶民にカネが行き渡たることです。そうでなければ、企業と資本家だけが利益を得るのです。グローバル化によって、庶民にカネが行き渡ったのか?実際にはバブル崩壊以降、中国への進出などで産業がどんどんグローバル化しましたが、逆にサラリーマンの平均所得は減少し続け、非正規雇用が増加しました。一方で中国の人々はどんどん豊かになった。これを「日本人が働かなくなって、中国の人ががんばったからだ」のように言った、とんでもない政治家が居たが、そういう根性論の話ではない。

国際分業とは、すなわち、国内における生産効率の高い財の生産に「特化」することを意味します。「特化」ですから、必然的に国内で生産効率の低い産業は潰れます。というか、どれかが潰れないと特化になりませんので、国際分業になりません。つまり、倒産と解雇を前提として成り立ちます。理論的に必ずそうなります。たとえば、繊維産業と自動車産業があれば、繊維産業が消滅して、その際、繊維産業で働いていた人々が自動車産業に就職する。そして自動車産業に特化する。これが国際分業です。

もちろん、それほど単純ではないため、ある程度は産業の多様性は保たれますが、基本的に産業の多様性は否定され、単純化されます。多様性は非効率なのです。

そして、国際分業によって潰れた産業から、特化した産業へすべての人が吸収されることで、すべての雇用が維持され、人々の賃金が貿易により増加し、したがって人々の生活が貿易前よりも向上します。ですから、あくまでも、特化した産業にすべての人が吸収されることが前提の仮説です。これなら理論どおりに、自由貿易によって経済成長と国民生活の向上が実現します。

では、実際にはどうか?国際分業によって潰れた産業から、特化した産業へすべての人が吸収されるのか?されません。

人を採用せず、機械を導入するからです。今後は、ますます機械が増えるでしょう。なにせ、国際分業は生産効率が高い産業に特化するんですから、ますます機械化します。したがって、国際分業の名目で押し出された人々のうち、必ず一定の人々は溢れます。ですから、国内において生産効率の高い、国際分業可能な、新たな産業を作り出さねばならなくなります。しかし実際に容易ではありません。それが難しいから問題が生じているのです。だからこそ、労働市場において人手が過剰となり、賃金水準が低下し、そこへ、「低賃金に特化したブラック企業」が誕生し、そこに人々が吸収されてゆくわけです。

しかも、これは日本だけでなく、自由貿易を行うすべての国で、同時に解決しなければならない課題となる。

そうした根本的な問題に、安倍首相は何か解決策を示したのか?
ロマンチックな資本主義の夢に酔うだけだ。

現実は甘くない。資本主義の理想的なメカニズムに沿って動かない。理想論どおりに動かないことに業を煮やして産業界に圧力をかけて、賃上げを呼びかけるのは、いかがなものか。そもそも、根本的なシステムがおかしいのに、理想的なメカニズムなど機能するはずがない。ロマンチストにはそれが理解できないのでしょう。



2016年11月21日月曜日

安倍トランプ会談 野党も見習え

安倍首相と次期米国大統領トランプ氏の会談のスピード感はすごい。民進党は「朝貢外交」とイメージ論で評しているようですが、実利優先のビジネスの世界を知っていれば、このスピードがどれほど有効か考えるまでもありません。まあ、民進党もこれが安倍じゃなくて他の国の指導者だったら賞賛するのかも知れませんがw。

トランプ氏の政策は、まだ揺れています。具体的な政策がまさに決まりつつある段階です。その時期にすかさず訪問し、自分に少しでも有利な状況に誘導しょうとネゴシエーションに行ったのです。政策が決まってしまってからでは遅いでしょう。しかも、他の先進国、ドイツ、フランス、イギリスなどの政治家は、のきなみトランプ氏を批判してきました。安倍は批判してこなかった。ですから、彼らが対面上、二の足を踏んでいるときに、まさに「トンビにあぶらげ」状態で、いいところを安倍がさらっていったのです。すべての国が「外交的にやられた」と思っているでしょう。

このようなしたたかな老獪さは、中国の政治家にあって日本の政治家になかったものだと感じます。今までの戦後の日本の政治家なら、「大衆主義の懸念がー」とか言って、世界の顔色を見て、趨勢がすべて決まってから、へらへら動くでしょう。

おそらく、次期大統領がトランプ氏でなかったとしたら、早期会談などしなかったと思われます。クリントン氏だったら規定路線なので、訪米するまでもなし。機を見るに敏、この狡猾さを野党は見習うべきです。安全保障もそうだが、おそらく安倍は自由貿易推進論者として、トランプ翻意をしようとするTPP加盟各国の先人を切り、TPPをなんとしても推進するつもりなのだろう。

自分はTPPに断固反対だか、これではヤツに勝てない。

国会で、TPP批准は、どうせ数で押し切られることは目に見えている。野党が必死に反対しているところをマスコミを通じて報道させ、「強行採決」を演出することで自民党支持率を下げる戦略はありだろうが、やりすぎるとなんでも反対のマイナスイメージが逆効果を生むだろう。こんな戦略ばかりでは、国民もやがて飽き飽きしてしまう。

トランプ氏は選挙中にTPP離脱を明確に打ち出していたため、おそらく、そのままTPPを批准するなどということは絶対にできない。必ず再交渉を要求してくる。そのとき日本が絶対に再交渉に応じない、となれば、間違いなくTPPは潰れると思います。だから、TPPの再交渉は絶対に応じない、という点を、確約取るくらい安倍に追求すべきです。そして「再交渉は絶対に応じない」という発言を、マスコミを通じて国民に広く印象付けておく。その上で押し切られるのはやむを得ない。

どんな方法でも良いのですが、野党は安倍政権を逃げの効かない状況に追い込んで、罠に陥れるくらいの方法を考えていただきたいものです。正面から棍棒を持って殴りかかるだけでは勝てない。


2016年11月18日金曜日

「多様性」という言葉に違和感がある

最近、しきりに「多様性」という言葉が使われます。文脈的には、民族や文化、宗教の多様性を尊重する、という意味で使われます。似たような言葉として多文化共生があります。しかし、生物学系の勉強をしてきた自分からすると、どうもマスコミの好きな「多様性」という言葉の用法に違和感を覚えてしまうのです。

生物学における多様性とは、生物学的多様性のことです。この多様性の概念は、民族、文化、宗教の多様性における重要性とほとんど同じであろうと思います。つまり、単一な構成要素からなる集団ではなく、多様な種からなる集団こそ、重要であるとの考えです。

そして、よく考えてみると、「多様性」には二種類の考え方が内在していることがわかります。しかも、その両方が重要であることが理解されるはずだと思うのです。それは、

①個々の多様性が尊重される(価値の同等性)
②個々の多様性が保持される(種の独立性の維持)

つまり、それぞれの民族、文化、宗教が同等の価値として尊重されると同時に、それらが未来永劫に継承され、保持され続けることが、多様性にとって必須となります。では、その成立条件は何でしょうか。

生物学的多様性については、たとえば外来種の問題があります。外来生物を日本国内へ持ち込めば、外来種によって既存種の存在が脅かされ、生物学的多様性は危機に瀕します。生物学的には「地理的隔離」は種の多様性の必須条件なのです。つまり、アメリカザリガニも日本ザリガニも、種として尊重されるわけですが、それらを同じ場所に混在することは不可能です。

ところが、なぜか、これが民族、文化、宗教の多様性となると話が違ってきます。それぞれの民族、文化、宗教を尊重することは大切ですし、仮に混在したとしても、それを尊重し、維持し続けることは、多様性の本来の意義から言って大切です。しかしだからといって、移民政策を推進し、それぞれを意図的に混在させるのとは根本的に違います。これは生物学的多様性から言えば、外来種の問題に該当します。つまり多様性の危機です。

グローバルな視点から俯瞰した際の多様性とは、生物学的には明らかに地理的な隔離によって成立しています。これが種の分化へとつながるわけです。民族、文化、宗教の形成過程においても、かなりの部分において、個々の地理的な隔離が前提となっていると思われます。こうした地理的な隔離をなくしてしまい、すべて同じ場所に混在させるなら、それは分化とは逆の方向、すなわち多様性の消失へ向かうことは間違いないと考えられます。

ですから、多様性を尊重し、かつ多様性を維持するためは、一定の地理的隔離が必要なのであり、多様性を尊重するなどと言いつつ、地理的隔離をこわしてすべてを同じ場所に混在させる「移民政策」は、多様性を危機に陥れる恐れが大いにあると考えます。尊重することと、ごちゃまぜにすることは同じではありません。

もちろん、生物学的には、地理的に隔離されて分化し、それぞれに進化した生物種が、遺伝的な隔離にいたる前に交雑し、新たな種を生み出すこともあるわけです。こうしたことは、民族、文化においても起こりえることであり、たとえばアメリカのように、異文化が混在することで、今までにない異なった文化が生まれることに意味はあるでしょう。しかし、これはあくまでも多様性における副次的な側面に過ぎないと思われます。すべての国をそのようにすることが、多様性にとって理想的ではありません。

しかし、移民政策に対するマスコミあるいは一部の左派の主張を見る限り、こうした視点はほとんど無く、今回指摘したような、多様性の誤った解釈に立脚した人権論、あるいはただ拝金主義的な効率論に立脚しているに過ぎないと思われるのです。尊重することと、混在することを同じにしか考えていません。

「多様性」という言葉を使って、民族や文化を意図的に同じ場所に混在させることの正当性を主張するのは大きな間違いです。尊重することと、意図的に混在させることはまるで意味が違います。それは多様性の成立条件を破壊することになり、やがて世界から多様性は永遠に失われてしまうでしょう。



2016年11月17日木曜日

人類は未来にどこへ行くつもりなの

人工知能が人間の能力を超える時代が近づいているというのに、新聞マスコミはあいかわらず、グローバリズムの推進だの、自由貿易だの、1900年代から同じ事を念仏のように唱えている。もう50年以上にもなるでしょうか。それで世の中が良くなったのですか。

ロボットが人間の代わりに労働するような未来になれば、理想の社会が実現するはずなのに、現実にはどうでしょう。仕事が減れば働かずに済むのですから、すばらしいことなのに、仕事がないから収入を絶たれたり、リストラで所得が減る家計がどんどん増えている。だから何でもいいから雇用を生み出せという。そのためには仕事を作らなければならない。こんなことをしていたら、ロボットが人間の代わりに労働する社会など永遠に来ない。

そうかと思えば、ブラック企業のワタミや電通など、寝る暇もないほど長時間労働せざるをえず、ついに過労死する人まで出てくる。過労死する人は氷山の一角であって、その下には膨大なサービス残業、無報酬労働の巨大な氷塊があるわけです。これが、ロボットや機械が進歩するほどに顕著化してきたのです。こんな状態なのに、政府はのんきに「ロボット産業の推進」とか言っている。国の借金ガーより、日本のエリート政治家どもの、この能天気さの方が危機的です。

1900年代には「資本主義はやがて理想の社会に行き着く」という、まあ、そうなのかなと思わせる未来社会の話がいっぱいありましたが、なんと、格差と過労死、これが資本主義の行き着く先の世界だったのです。

さて、今日に至るまで、グローバリズムと自由競争を推進してきた結果がこれだと言うのに、その蓄積してきた矛盾が、グローバリズムと自由競争をさらに推進すると、やがて解決に至るというのが、新聞マスコミ御用学者の主張である。

主張している彼らがおかしいと思わないのだろうか。

ところが、そんなことはお構いなし。ブレグジットとトランプ大統領の登場で、これまでのマスコミが延々と主張してきた「グローバリズムと自由競争」とは違う考え方が世間に広まったことがわかり、真っ青。面目丸つぶれで権威失墜の危機に追い込まれたマスコミが発狂して、世間に広まった価値観を邪悪であるとして否定しまくる。

こいつら、誰と戦っているのか?

グローバリズムと自由競争の行き着く先はなに、どこ、どうなるの。ビジョンがまるでありません。儲かるの、カネがどんどん貯まるの?それでどうなるの。

いまだに20世紀(1900年代)の舞台において、1人芝居で踊るマスコミは放置しましょう。未来社会の目標は明確です。無味乾燥な労働から解放され、創造的な活動にまい進できる社会の実現。その社会へはグローバリズムと自由主義では、決してたどり着けません。未来社会の理論とかみ合わないからです。

もう時代は21世紀です。
テクノロジーは進化しているのです。
それに相応しい、未来の理論が必要だと思うのです。


2016年11月16日水曜日

「輸出が増えれば豊かになる」は短絡的

新聞マスコミは、何の疑いも無く「自由貿易は輸出を増やすから国民を豊かにする」という。そしてそうした記事を長年にわたり読まされてきた多くの人々も、すでに思考停止状態となり、言われるがままに、自由貿易で輸出が増えれば国民が豊かになる、と信じ込んでいる状態です。しかし、

なぜ、輸出が増えると国民が豊かになるのか?

多くの人々は、その事をきちんと考えたことがあるとは思えません。おそらく、その質問にはこう答えるでしょう。「輸出すれば、おカネが儲かる、だから豊かになる」と。その内容で多くの人々は納得してしまうと思われます。しかし、おカネが儲かったら豊かになるのか?

もしそうなら、輸出するのではなく、日本の政府がおカネをどんどん刷って、そのおカネで輸出用の商品をどんどん買えば、企業は儲かります。過去に発行したおカネであろうと、新しく発行したおカネであろうと、おカネに違いはないため、刷ったおカネで企業の売り上げが増えても同じことです。企業の売り上げが増えれば儲かることになるのですから。

あるいは、外国がおカネを発行して、たとえばアメリカがどんどんドルを発行して、そのおカネで日本から輸出用の商品をどんどん買えば、企業はやはり儲かります。つまり、「儲かるから豊かになる」というのであれば、新たに刷ったおカネで企業が儲けても同じことなのです。

何か変だと思うはずです。そうです、刷った紙切れと商品を交換しているからです。カネという視点だけで経済を考えているからおかしなことになります。「カネが儲かればよい」わけではないのです。カネが儲かって豊かになる理由は何か?それは、

儲けたカネでモノ(財)を買うことで、豊かになる。

つまり儲けただけでは意味が無い。例えば輸出で儲かっても、それは「おカネを手に入れただけ」なのです。紙切れを手に入れただけです。そのおカネで輸入を増やさねば豊かにならない。

すなわち、自由貿易で国民が豊かになるには、輸出をどんどん増やせば増やすほど、輸入も増やさねばなりません。紙切れだけ貰っても豊かになりませんから。では、輸入をどんどん増やすことはありえるのか?未来永劫に輸出と輸入を増やし続けることなど。

たとえば、前世紀(1900年代)であれば、世界の生産力はまだまだ低く、現在のような消費不足&生産過剰の経済状況ではありませんでした。こうした生産力が低い時代では、自由貿易による国際分業は一定の効果があったはずです。モノが足りないんですから。しかし、先進国における生産力はすでに飽和になっており、それぞれの国は輸入を増やすどころか、「オレの国の製品を買え」と、貿易戦争、通貨安戦争まで起きている有様です。

もう、古い時代の常識をそのまま適用することはできません。

生産過剰の時代では、貿易に関しても新しい常識が必要とされているはずです。それは一見すると保護主義であると思われがちですが、第二次世界大戦前のようなブロック経済を意味する、化石のような一国主義とは無関係です。

「自由貿易か鎖国か」、などという極端な二元論で考えることは単純すぎます。新しい時代の貿易は「儲かればよい」という拝金主義から脱し、世界中の社会や人々の暮らしとの、新しい、世界調和的な思想が必要だと思うのです。

2016年11月15日火曜日

マスコミの世論操作強まる~トランプ勝利後

トランプ氏が大統領選挙に勝利した後、予想通り、新聞マスコミはトランプ新政権になると、こうなるぞ、という「不安」「懸念」を盛り込んだ記事を量産しています。

確かに、トランプ氏の主張は、長年にわたって新聞マスコミが大衆を「啓蒙」し続けてきた価値観とは相容れない部分があるわけです。ですから、もし、仮にトランプ氏の主張を許せば、我こそは良識の代表であるという、新聞マスコミの今まで築き上げてきた権威が失墜してしまう。新聞の権威を必死に守らねばならない。

新聞にとって権威こそもっとも重要なもの。それを失えば、人々は新聞マスコミを信用しなくなる。すると、世論操作ができなくなる。これは致命的です。そして新聞マスコミにとって都合の悪い考えが世間に広まることを恐れているのだと思われます。

しかし、トランプ氏は選挙期間中、あまり政策を具体化しておらず、実際のところ何をするかは、しばらく様子を見なければわからない。常識的に考えて、発言そのままに行動することなどあり得ない。ですから日本政府も「予断を持たずに対応する」と言っている。推測で拙速な判断をしないという姿勢です。

ところが新聞マスコミは、自分達の保身のために、何も決まっていない新しい政権について「こうなるのではないか」という予断に基づいて記事を書き、人々の不安を煽り立てています。また、こうした記事を何度と無く繰り返すことで、新聞マスコミを信用している人々は、あたかも、その予断が事実であるかのように思い込むようになり、新聞マスコミの予断に基づいて人々が考え、行動するようになる。

アメリカの新政権に対して、大衆に予断を刷り込んでいる。

まさに大衆操作と言えるでしょう。大衆操作といえば、まさにポピュリズムの手法です。人々の将来に対する不安を煽り、それとは逆の方向へ誘導する、自らの権威を高める。結局のところ、新聞マスコミもまた、ポピュリズムなのです。

新聞ポピュリズム。

英国のEU離脱に関連した新聞マスコミの報道、そして今回のアメリカ大統領選挙に関連した新聞マスコミの報道。すべて「予想外」だという。しかし予想外ではなく「予定外」だったのだろう。新聞マスコミの予定に誘導するはずの記事を書いていたにも関わらず、人々は新聞マスコミの記事に踊らなかった。

新聞に踊らない人々の出現。

これこそ、新聞マスコミにとって最大の脅威、彼らの存在価値の否定です。インターネットが普及しても、高齢者を中心として日本はまだまだ新聞マスコミの権威は強いようですから、何とかして日本という牙城を守りたいと考えているに違いありません。

だからこそ、日本の新聞マスコミは、ブレグジット、そしてトランプ現象に対して、両論併記の原則すら完全に忘れ、ヒステリックとも思われるような批判を頭から繰り返しているのだと思います。

2016年11月10日木曜日

「大統領選が分断を招いた」は本末転倒

マスコミ御用学者のおきまりのセリフが「大統領選挙によって国民が分断された」というストーリー。これは英国のEU離脱を問う国民投票のときも同じだった。「選挙が分断を引き起こす」というのだが、これは原因と結果が転倒している。現実には、「すでに分断していた社会が選挙で表面化した」に過ぎない。

「選挙が分断を引き起こす」というセリフは、あたかも、選挙での勝利者が分断を引きこしたかに見せかける、実に巧妙な印象操作と言えるでしょう。意図的に原因と結果を逆にしたストーリーを作る。マスコミの常套手段ですね。

大統領選挙以前から、すでに既存政治家の政治によってアメリカ社会は格差が拡大し、様々な問題が蓄積し、社会の実情は分断されていた。だからウォール街を占拠せよなどの運動も起こるほどでした。しかし、選挙がなかったから、「一見すると分断が無いように見える」だけに過ぎなかったと考えるのが自然です。

アメリカは選挙前からすでに分断していた。

ここにこそ、問題の本質があるのです。表面的に分断が見えないからといって、選挙前は分断がなかった、とのマスコミ御用学者のポジションは、あきらかに偽善です。もしアメリカ社会に分断が無かったとしたら?国民の大多数がある程度満足できる政治が行われていたなら、たかが選挙で社会が分断することなどあり得ない。大統領選挙によって、分断した社会の実態が明らかになったに過ぎないのです。

マスコミの大好きな、「勝ち組と負け組」の社会。

トランプ大統領は、ここから生まれてきたはずです。もしアメリカ社会が分断されていなければ、トランプ大統領は誕生していたでしょうか。おそらく相手にされていなかったでしょう。

民主主義の危機も、ポピュリズムも、大衆主義も、すべて分断された社会から生まれてくる。その分断を生んだのは、既存の政治であって、それ以外の何者でもない。

マスコミ御用学者がしきりに好んで使う「選挙が社会の分断を招いた」という、おそろしく安易な、偽善な、あるいは意図的な誤解を招くセリフ。マスコミには、本当に苦笑せざるを得ないと思うのです。


2016年11月9日水曜日

政治は変えられる~米大統領選

アメリカ大統領選挙では、新聞マスコミ、御用学者の予想に反してトランプ氏が善戦どころか、トランプ氏が勝利することになりました。これはちょうど英国のブレグジット(EU離脱)の国民投票における新聞マスコミ、御用学者の事前の予想が外れたこととよく似ています。

新聞マスコミがいかに信用できないか、あるいは新聞マスコミが嘘の予想情報で、世論を意図的に誘導していたのではないか、という疑いまで考えざるを得ません。マスコミ大嫌いの自分としては、さもありなん、と言う感じです。

とはいえ、どうせクリントン大統領になるんだろうと思ってましたから、かなり衝撃的な展開でしたね。これは、ある意味で「政治は投票で変えられる」ということを、明確に示した結果だといえます。多くの日本人は「自分が投票しても政治なんか変わらない」と言ってますが、変わるんです。本気になれば。アメリカも庶民の政党離れが進んでおり、日本と同じように無党派層が多く、半数をしめています。

では、日本でなぜ政治が変わらないのか?もちろん大衆の政治意識の低さもあるかも知れませんが、アメリカのように盛り上がらないのは、野党がつまらなすぎるから、アメリカのように、庶民の不満を受けとめる「受け皿がない」のも一つの原因のような気がします。

既得権益集団の塊のような自民党に対して、それ以外の政党も、やっぱり役に立たないと多くの人が考えているのではないでしょうか。少なくとも自分はそう感じています。こんな野党なら、自民党のほうがまだマシだと。

もちろん、日本でも政権が交代したことがあります。2009年に民主党政権(現在の民進党)が誕生したことです。しかし、当時の民主党政権やったことは「消費税の増税」と「沖縄基地問題のかきまわし」でした。他にもあったのでしょうが、ほとんど記憶にありませんね。これを国民が望んで民主党に投票したのか?まさかでしょう。だから民主党政権は倒れたのです。

ところが、日本の野党には自浄作用がありません。民進党は前政権で政策的に大失策をやらかしているにも関わらず、根本的な政策転換はまったく行わず、執行部も刷新されない。あいかわらず同じような顔が並んでいる。所詮は「内輪」から代表を選んでいるに過ぎないからです。だから何も変わらない。

しかし、アメリカは民主党にしろ共和党にしろ、サンダース氏やトランプ氏のような無名の候補者がどんどん出てくるシステムになっています。こうした、政党のシステムこそ、民主政治にとって非常に重要だと思えます。

政治は変えられる。大衆の支持も得られる。そのためには、政党内の内輪で執行部や代表を決めるのではなく、無名の新人まで飛び出すような、新陳代謝の活発な、それこそ下克上のある政党でなければならないと思います。民進党にしろ、どの野党にしろ、こうした、あっと驚くような政党に変わらなければ政治は変わらない、大衆は惹きつけられないと思います。

ちなみに話は変わりますが、アメリカ民主党がクリントンじゃなくて、サンダースを選出していれば、もしかすると違った場面が見られていたような気がします。サンダースVSトランプなら「庶民VS庶民」の対決でしたが、クリントンVSトランプは「既存のエリート政治家VS庶民」ですからね。もう、庶民は既存のエリート政治家に期待していないんです。これがトランプの勝因かと。

さて、良くも悪くも、この変化を日本の国益にどう利用するか、まさに安部政権の力量が問われることになるでしょうね。


2016年11月7日月曜日

「ケインズ主義=公共事業」ではないだろ

様々な場面において、世間では「ケインズ主義=公共事業」という思い込みが強すぎる気がします。そもそもケインズは公共事業「信者」ではなく、流動性の罠の状況下における、有効需要の創出の必要性を指摘したのであり、その方法の一つとして公共事業を取り上げたに過ぎないはずなのです。

有効需要とは「所得に裏付けられた消費意欲」のようなものであり、人々の懐におカネが行き渡らなければ有効需要は生まれません。ですから、金利を引き下げただけでは、永遠に需要不足の経済収縮(デフレ)から脱却できないと指摘したわけです。この「人々の懐におカネを行き渡らせる方法」の一つとして公共事業を取り上げたわけです。ですから、ただ単に失業しておカネが無い人におカネを給付しても同じことです。

ただし、その当時においては、人々の労働力は大切でしたから、こうした労働力を活用して、まだ不十分だったインフラの建設を行えば一石二鳥であると考えられますから、公共事業によって人々の懐におカネを行き渡らせる手法は、単なる給付金よりも大きな意味があったと思われます。

しかし、科学技術の進歩(機械化)により、労働力は急速に過剰になりつつあります。また、戦前とは異なり、インフラもかなり蓄積されております。こうした状況下にあって、有効需要を創出するためには、必ずしも公共事業である必然性は薄れつつあるはずです。

もちろん、過去に作られたインフラは老朽化しますから、こうした部分のメンテナンスや建て替え、あるいは新技術によるインフラの新設もあります。また自然災害への防災、震災の復興、あるいは僻地における適度なインフラの整備など民間が関与しない分野もあります。ですから、公共事業が不要になる、などということは未来永劫にありえないでしょう。

ですから、これからの時代は、こうした状況を見極めつつ、有効需要の創出方法として、公共事業だけではなく、定額給付金、子供手当てなどを含めた、幅広い政策をバランスよく行うことが大切だと思われるのです。

ところが、世間を見てみるとどうも理解できない主張が多い気がします。ケインズと聞けば反射的に「公共事業=ばら撒き」と反応し、頭から公共事業を悪と決め付ける人々がいると思えば、「ひたすら公共事業を推進すれば万事解決する」という人も居て、彼らは給付金を批判してくる。重要なのは公共事業の是非ではなく、有効需要の拡大にあるはずです。

日銀が行う金利政策はあくまでも「民間投資」がなければ機能しませんが、民間投資は利潤がなければ行われないわけです。しかし利潤は必ず時間とともに(資本蓄積とともに)減少するため、やがて投資が減少して、貯め込まれたおカネが死蔵され、デフレから逃れられなくなる。これが現在の経済システムの致命的な欠陥です。利潤とは結局のところ通貨膨張であり、こうしたバブルの上でしか現在の資本主義(民間投資主導経済)は維持できません。

それでもなお、現在の経済システムを維持させるのであれば、通貨を膨張させて企業に利潤を発生させるしかないと思われます。これには金利政策は効果が無く、有効需要の拡大が必要であり、これを行うのがケインズ主義の目的だと思うのです。つまり、公共事業だろうと給付金だろうと、とにかく人々の懐におカネを増やし、有効需要を増加させるべきでしょう。

だから、ヘリコプターマネーと公共事業の両方をやれば良いと思うのです。が、物事を「ばら撒きか、そうでないか」、という判断でしか考えられないマスコミとそれを信じている世間の人々には、残念としか言えません。

2016年11月4日金曜日

銀行の信用創造が有効だったのはなぜか

銀行の貸し出し(=信用創造)とは、銀行が保有している現金を誰かに貸すのではなく、新たに預金通貨を発行してこれを現金と同等であるとして、預金を貸し出します。これは銀行のバランスシートから明らかですが、この行為は、銀行が保有する現金の何倍ものおカネを貸し出すことになりますから、つまり、無からおカネを作って増やしている、いわば「打出の小槌」を銀行は振っているわけです。これが信用創造です。

こんな、怪しげな事が許されてきたのはなぜなのか。それは、銀行制度が「かつて」、経済成長にとって有効だったからではないかと思うのです。どうして有効だったのか、考えてみました。

まず、貯め込まれたおカネを放出する効果があるとおもわれます。この場合は、打ち出の小槌でおカネを増やす話ではなく、たとえば、金庫にある現金を貸すような場合、昔風に言えば、金貨の貸し出しのような場合です。いわゆる一般的な貸金業がこれに当たります。

古今東西、おカネは時間と共に、お金持ちにどんどん集中し、独占的に所有されるようになります。つまり、誰かが金貨を貯め込んでしまうわけです。そして、そのまま金貨が死蔵されると、世の中に流通する金貨、つまり取引に使われるおカネの量が減ってしまいます。こうなるとおカネ不足からデフレが発生しますし、人々の手におカネが行き渡らなくなって経済が低迷してしまいます。

そこで、貯め込んだカネを貸すことによって、世の中におカネを回すわけです。もちろん貸し出す金利を課しますから、金利を払うためには商人や職人などの、おカネを稼ぐ(利益を出す)人が、事業を行う目的で借りるわけです。

ところで、経済の成長速度が加速すると、経済を回すために、より多くのおカネが必要になってきます。金貨は金が採掘されない限り供給できませんから、金貨の供給量には限度があります。つまり経済の成長速度が速いと、金貨で貸し出していたのではおカネの供給が間に合わないわけです。

一方、紙幣であれば、紙に印刷するだけなので、ほとんど無限に増やせます。こうして、最初の段階の信用創造、つまり紙幣が生まれてきました。つまり、銀行は、金庫にある金貨の何倍もの紙幣を発行し、これを貸し出すようになったわけです。

いまでは、紙幣つまり現金の発行は中央銀行だけが行いますが、今度は民間銀行がこの現金を元にして、何倍もの預金を発生し(信用創造)、これを貸し出しています。

こうして、銀行がおカネをどんどん発行することで、金貨の量によらず、何倍ものおカネが供給されることになり、金貨の不足による経済の低迷を防ぐ結果となったと考えられます。

そして、信用創造のすごいところは、「持っていないおカネを貸すことができる」点です。つまり、ある意味、強制的に世の中のおカネを増やすことができるのです。これは金貨にはまねのできない芸当です。錬金術は不可能ですから。しかし、これがなぜ経済を成長させるのでしょうか。

おカネを借りたい人は、つまり事業を起こして、商売や工場などを始めたい人たちです。そうした人たちにおカネを貸してやれば、借りた人が事業を始めることで、新たな商品やサービスが世の中に供給されるようになります。もし金貨のようにおカネの量が限られていたなたら、借りたい人すべてにおカネを貸すことは不可能です。銀行に打出の小槌があればこそ、小槌を振って、借りたい人に潤沢におカネを貸せるわけです。

ところで、世の中の生産能力は限られています。たとえば労働者の人数は一定ですが、この一定の労働力を用いて、経済では「消費財」と「生産財」の二種類の財が生産されます。消費財は食料、衣類などの生活用品、生産財は工場や生産設備のような生産能力を高める財です。

銀行の貸し出しが増加すると、これらのおカネを借りた人は事業を始めますから、そのおカネは生産財の生産に振り向けられ、その結果、生産財の生産に生産力(たとえば労働力)が割かれるようになります。そのため、(たとば人手不足で)消費財の生産が間に合わなくなり、消費財が不足して値上がりする「インフレ」が生じます。つまり、銀行が無理やりにおカネを増やして貸し出すからインフレは発生します。

しかし、もし、銀行が無理やりにでも、起業家におカネを貸さなければ、生産力は延々と消費財の生産を続けるだけになるかも知れません(もちろん企業の売り上げ利益再投資を除けば)。これでは生産能力は高まりません。つまり、インフレと引き換えてでも、生産力を生産財の生産に振り向けることにより、経済が成長できる(生産力が拡大する)わけです。

つまり、通貨貸し出しを通じて、生産力と資源を生産サイドへ投入することができたから、銀行の信用創造には効果があった(もちろん副作用も)。

思いつくままに書きましたので、少々わかりにくいかも知れませんね。そのうち、本編のサイトにでも書こうと思います。

2016年10月27日木曜日

「企業の6割が人手不足」の不思議

財務省の調査によると、企業の6割が人手不足であると回答しているそうです。実に不思議です。人手不足なら労働市場において賃金の上昇が見られるはずですが、実際には顕著な実質賃金の上昇は見られず、政府が前代未聞の「企業への賃上げ要請」をしつこく行っている状況です。

企業いわく「募集かけても人が集まらない」。それって、お前んとこの給料が安いからじゃないのかw、と突っ込みたくはなりますが、まあ、それはさておき、

先行投資を別にすれば、人手不足と言うことは、生産量が増加していることの裏返しのはずです。生産が増えるから人手が足りなくなる。しかし、このところ消費は低迷しており(実質成長がほどんどない)、ゆえにインフレ率も上昇してこない。つまり、生産量はそれほど伸びていないはずなのに、なぜ人手が足りないのでしょう。

生産が増えないのに人手が足りないとなれば、労働人口の減少でしょうか。高齢化によって、日本の生産年齢人口は年率およそ1%のペースで減少しているはず。つまり、生産が増加するから人手が足りなくなるのではなく、高齢の社員が退職するから人手が足りなくなってくる。とはいえ、たかだか年率1%程度の社員減少が原因で、企業の6割が人手不足を感じるとは納得できませんね。だって、1%といえば、100社のうち1社ですから。

とはいえ、「人手不足だー」と言いつつ、すべての企業がロボット化を進めると、すべての企業が人手不足を感じつつも、生産能力は維持され、消費が維持される可能性はあります。しかし、総消費額=総所得額の関係にありますから、消費が維持されつつ労働者数が減少するとなれば、労働者1人当たり賃金が上昇するはず。ですが、賃金は伸びない。

しかし、労働者の賃金が増加しなくても、高齢化にともなって年金支給総額が増加すれば、それが賃金の伸び低迷をカバーして、日本全体の消費量が維持される可能性はあります。ただし年金として政府の債務を増加する可能性がある。これやると、政府の債務が増加して、逆に企業の金融資産が増加する。

う~ん、今はいろんな要素が均衡状態で、この先、どっちへ流れていくか微妙な位置なのかも知れません。それで「景気がいまいち良くないのに、企業の6割が人手不足」という、わけのわからないことになっているのかも。

このまま「人手不足だー」と言いつつ、ロボットを導入し、労働者の実質賃金が伸びないまま、消費が低迷してデフレが長期化するのか。しかも年金カットでさらにデフレ。それとも海外から移民をどんどん入れて、日本の経済が成長するも、国民の1人当たり賃金は伸びないという、企業だけよろこぶ日本になるのか。

このままじゃ、なにも期待できそうにない。

2016年10月26日水曜日

民間VS政府という図式の奇妙さ

ふと思いましたが、民間VS政府という図式が奇妙に思えてなりません。そもそも政府は、民間(大衆)において選挙で選出される議員によって運営されるわけですから、政府は民間の代表であります。にもかかわらず、なぜ民間と政府が対立概念として打ち出されるのでしょうか。これは両者に機能不全があるからではないでしょうか。

両者においてよいパターンと悪いパターンを考えてみます。

民間の良いパターンは自由な民間活力により経済活動が高まり、より社会全体として豊かになるケースです。悪いパターンは、自由の名の下に、通貨や生産財が一部の資産家に独占されることにより、貧困が発生し、格差が固定化される社会になるケースです。

こうした資本や資源の独占と恣意的な利用を防ぐために、政府が独占を緩和し、資源の配分と機会の均等化、あるいは社会全体としての格差の縮小を可能にするのが政府の良いパターンです。悪いパターンは、こうした政府の機能が一部の政治家やそれに癒着する資本家により独占され、公益の名の下に、税金を既得権益集団に分配する構造ができてしまうケースです。

結局のところ、どちらも悪いパターンになれば、ろくでもないことになります。基本的に「法治国家」である以上は、政府の介在は避けられず、法治国家でなければ、民間の権利そのものが保障されない関係にもあります。たとえば、暴力により富を奪うことが堂々と肯定される社会になります。

ことさらに、どちらが悪いとか良いとかいう話ではなく、機能的に考えて、ケースバイケースで使い分けすることが重要でしょう。

それにしても、面白いのは、政府を抑圧者として捉える視点です。確かに政府はその昔、私的なもの、つまり王国貴族こそが政府であり、その抑圧に大衆が対抗する形でした。つまり現代的な意味での民間VS政府とは、まったく違う図式があったわけです。この王侯貴族は財を私的に独占所有する、今日から言えば民間資本でもあるわけで、これに対抗する市民が、今日における民間資本であるという、奇妙な図式もまた成り立つのではないかと。

これは何か、根本的に、ナンセンスなものを感じさせるのです。
単なる醜い欲望の争いかも知れません。
そんな気もします。

2016年10月25日火曜日

中国は世界大戦の道具になるのか

今回は陰謀論ですw。陰謀論というのはある種の仮説ですが、仮説とはその正否に関わらず、物事を判断する上においては常に必要とされてきました。仮説の想定がなければ、科学も今日のような進化はありえなかった。もちろん、仮説が正しいとは限らないわけですが。

それはさておき、自分が一番心配してるのは、中国が世界大戦の道具になるのではないかという懸念です。戦争は昔からカネになるらしい。軍需産業、それに戦費の金貸し。だから戦争を望む連中がいるわけです。

さらに、現代の先進国は大恐慌後の世界と同じような、デフレ不況にあります。生産過剰です。つまり、生産設備が世界的に普及して、生産能力が高く、もうこれ以上の投資が望めなくなりつつあります。

第二次世界大戦によって、世界の生産設備が徹底的に破壊された結果、投資の必要性が劇的に増大したことで、大恐慌後のデフレ不況が吹っ飛びました。これにより、投資による収益が回復し、カネからカネを生む資本主義のシステムが大復活を遂げたわけです。

もし世界をカネの力で動かす「影の支配者」が、その再来を望んでいたら?

世界を動かす連中はおそらく欧米にいるでしょうから、当然ですが、こうした大規模な戦争がアジアで起こることが理想的だと考えるに違いありません。しかし戦争は民主国家では簡単に起きません。第二次世界大戦にしても、それを引き起こしたナチスドイツは独裁国家であり、当時の日本も軍部による独裁政権になっていたわけです。

アジアの独裁国家は中国です。

中国では中国共産党がああいえば、民衆は従うしかありません。反対運動をやれば天安門事件のようになってしまいます。もしアジアに戦争を引き起こそうとすれば、中国を利用することは、確実性の高い方法と考えられます。民衆全体を動かすのではなく、一部の政治支配層を動かせば良いのですから。そして、習近平主席の強権ぶりから見ても、この周辺を動かすだけで中国が動く可能性があります。

中国共産党がカネで腐敗していることは良く知られています。こうしたカネで腐敗する体質をもった独裁政権国家は危険です。カネのために世界の支配者に人民を売るかも知れない。

日本が戦争に巻き込まれるとすれば、中東などではなく、中国が引き起こす、この戦争に巻き込まれる危険性が高いのではないか?

ということで、今回は陰謀論でした。しかし、自分が最も恐れている陰謀論なんです。

2016年10月24日月曜日

財源として国債発行は誤り、通貨発行が正解

政府は財源として国債を発行しますが、それは誤りです。正しい方法は財源として通貨を発行することです。これは以前にも書きましたが、国債に関してマスコミが嘘を繰り返すので、私も正論を何度も書いて対抗しますw。

そもそも通貨発行権を有している独立国が、通貨を発行せずに、わざわざ国債を発行して銀行から借金する必要などまったくありません。ばかばかしいの一言です。マスコミの誘導記事によって、「政府が通貨を発行して財源にするとインフレになる」と思い込まされていますが、とんでもない間違いです。

なぜなら、国債を発行しても、通貨を発行しても、どっちも世の中のおカネが同じだけ増加するからです。世の中のおカネが同じだけ増えれば、同じだけインフレになるのですから、わざわざ借金する必要などなくて、通貨を発行すればよいのです。「国の借金ガー」は、そもそも原点からして間違い。

国債を発行した場合、国債は主に銀行が買い入れます。ところで、銀行が国債を買うということは、おカネを貸すことと同じです。では、銀行がそれだけのおカネを持っているのかといえば、実はもっていません。信用創造によって「預金」として、帳簿上のおカネを増やしているのです。この「預金」は法的に「現金」と同じ扱いになるため、通貨として働きます。皆さんの預金通帳の預金とは、こうして生まれます。つまり、銀行が誰かに貸付することによって発行されます。

この預金は銀行が作り出した通貨です。従って、国債を発行すると、銀行が預金を発行することになり、世の中のおカネが増えます。たとえば、100兆円の国債を銀行が買い入れると、結果として世の中の預金は100兆円増えます。

一方、政府が100兆円を発行すると(または日銀に100兆円を作らせてもいい)、これは現金です。こいつを財源として政府支出を行うと、この現金は、たとえば事業者に支払われたとしても、いずれ銀行に預け入れられますので、預金になります。つまり、政府が100兆円の通貨を発行しても、世の中の預金が100兆円増えます。

預金と現金は同じ扱いなので、どっちでも同じだけ世の中のおカネを増やしますから、政府が通貨発行をしたときだけインフレになる、というマスコミの説明は間違いです。

マスコミがこれに反論しようとすれば、信用創造の仕組みを詳しく説明する必要があるので、信用創造を庶民が知るきっかけになります。これは良いことです。銀行が実は「打ち出の小槌」でおカネをバンバン作って貸していることを、公に認知させることができます。そう、それが狙いです。

世間に広めよう
「財源として国債発行は誤り、通貨発行が正解」。


2016年10月21日金曜日

生産事業でカネを稼ぐのは良いことだが

資本主義社会では企業や個人が生産主体となって事業を行う経済形態を取る以上、こうした事業でカネを稼ぐことは良いことです。政府も事業を行いますが、インフラ整備などのように、生産そのものではないですから、企業や個人の事業がないと、経済が成り立たない仕組みだからです。

だから生産事業でカネを稼ぐことは良いことです。そして、稼いだおカネを再投資して、生産事業を拡大することで社会の生産力、供給力を向上させてきたのが資本主義の歴史です。

しかし今や企業や個人は稼いだカネを投資をしなくなり、貯め込むようになってしまった。しかもどんどん貯め込むようになり、世の中のカネが回らなくなる。こうなると、社会にとって、カネを稼ぐことは無意味化してくる。いくら稼いでも貯め込んでカネを死蔵するなら、稼ぐ行為は通貨退蔵によるデフレを誘発する原因になるだけです。

稼ぐ力は、使う力と同時でなければ意味がない。

新聞マスコミは壊れた機械のように「稼ぐ力」を繰り返すが、それだけです。「使う力」の方は、あまりに軽視されている気がします。稼いだら使え。これは資本主義社会を維持するために必須の条件です。もちろん、使えといってもカネのない庶民では知れています。ローンの支払いに追われる庶民ではなく、カネをしこたま貯め込んでデフレを誘発している企業や富裕層にカネを使うようにもっと尻を叩いたほうが良い。

とはいえ、こうしたカネを貯め込んでいる個人や企業は、「カネを使うことには熱心ではないが、カネを増やすことだけには熱心」だから困ります。カネを転がしてカネを増やす、投機に走ればバブルを引き起こす。こういう「使う力」では意味がありません。

「稼いだら使え」。新聞マスコミはカネを稼ぐ力の話だけでなく、カネを消費する力をどんどん啓蒙して、カネを貯め込んでいる連中の尻を叩く必要があると思います。散財は美徳なのです。

それでも使わずに稼いだカネを死蔵するなら、
もはや課税するしかありません。

2016年10月20日木曜日

「軍縮」の視点はどこへ行った?

「戦争法案反対」と共産党や左派の方は騒いでいますが、どうも理解できません。何かピントがずれているような気がするのです。

確かに戦争は絶対に回避すべき事態です。しかし、日本の武力行使ができる、できないは、世界の戦争にとって何の意味もありません。日本が巻き込まれるかどうかも、日本だけで決まるわけではありません。何もしなければ万事うまくいくなら、世界から戦争などとうの昔に消えているはずです。

なぜ、東アジアの軍事的な緊張が高まってきたのか?中国共産党以外に原因はないわけです。自民党の進める安全法制にしろ、日米同盟の強化にしろ、すべて「中国の軍事的な脅威・威圧行動」が原因です。それに対して日本が何もしなけれれば自然に解決するわけはありません。どのようなアクションを起こすのか。共産党など左派には、そういう代案が何もない。

代案として、なぜ「軍縮」の視点が無いのか。

つまり、原因となっている中国の軍事的な脅威や威圧行動を問題視し、中国に軍縮を呼びかけるのが本筋だと思うわけです。そのうえで、日本に自制を求めるなら理解できます。まず非難すべきは日本政府ではなく、中国共産党でしょう。中国共産党の天井知らずの軍拡や南沙諸島、尖閣諸島での軍事的な威圧行動をスルーしつつ、日本政府ばかり非難してもナンセンスです。

もちろん、日本だけ軍縮しても意味はありません。同時に中国も軍縮するわけです。それを共産党や民進党は、どんどん中国に提案して、可能不可能は別として、まずは交渉すべきしょう。
その上で、戦争法案反対なら大歓迎です。余りにも明らかですが、軍備・軍隊ほどムダなものはありません。戦争も極めてムダです。こんなものは世界から一刻も早くなくさなければならない。軍縮の実現は人類の夢です。

しかし、中国に対して正面から軍縮交渉を口にした外交交渉を見たことがありません。日本政府が中国を相手に軍縮交渉をしたという話は聞いたことがない。もちろんアメリカのオバマの口からも。軍備拡張はその国の好き勝手にやって良いのか。大いに盛り上がっている二酸化炭素の排出削減交渉と、どっちが重要なのか。あきれてしまいます。

もちろん、中国はまったく応じないでしょうが、だからと言って交渉しない理由になりません。軍縮の呼びかけに中国は拒否するでしょう。しかし、何度も軍縮を口にして、そのたびに中国が否定する、を繰り返すと世界の人々の中国に対する印象は悪くなるはず。経済に陰りが見えてきた中国の庶民にとっても、膨大な軍事費は大きな負担になりますし、もちろんアメリカ国民も軍縮したいはずです。

身内相手に騒ぐもの結構ですが、左派政党は中国へ行って行動していただきたいですね。何度も何度も話をするだけで、十分に効果があるはずです。もちろん、政府や自民党も、軍縮という視点をもっと打ち出していただきたい。もし本気でそれをやれば、世界に影響を与えることができます。しかし政府与党にはできないでしょう。

国際関係とは、科学技術がこれだけ進歩した今日ですら、理想とは程遠い、紀元前の時代の原始的な人間の生存本能むきだしの世界ですからね。国際協調なんて欺瞞もいいところです。

2016年10月17日月曜日

おカネは銀行の内側と外側の二重構造

ニュースではさかんに「日銀が金融緩和して世の中のおカネを増やす」というような話をしていますが、実際には日銀が金融緩和しても、それだけでは世の中のおカネは一円も増えない。なぜなら「おカネは銀行の内側と外側の二重構造」になっているからです。

この二重構造をマスコミはきちんと説明しないので、日銀がおカネを発行すると世の中のおカネが増えるという間違った認識が広がっています。まず世間の多くの有権者に対して、このおカネの二重構造を認識して欲しいと思います。

これはおカネの仕組みの基本ですから。

日銀はおカネ(現金)を発行しますが、これは日本銀行券(紙幣)と日銀当座預金の二種類があります。紙幣を印刷するのはわかりやすいですが、民間銀行の日銀当座預金の預金を増やすことも現金の発行です。日銀の金融緩和では、この日銀当座預金を発行して国債を買い取ります。

そして、紙幣も日銀当座預金も、それが増えたところで、あくまでもそれは銀行の内側の話です。世の中のおカネとは銀行の内側ではなく、外側にあるものを指します。なぜなら、銀行の外側にあるおカネが経済を動かすからです。おカネがどれほど銀行の内側にあっても誰も使えませんから。銀行の内側にどんどんおカネが増えても、積んであるだけです。

なので、日銀が金融緩和でおカネをどんどん増やしても、銀行の内側のおカネが増えるだけです。この銀行の内側のおカネは「マネタリーベース」(ベースマネー)と呼ばれます。それに対して、銀行の外側の、世の中のおカネは「マネーストック」と呼ばれます。一般のニュースでこの二重構造をマスコミが明確に説明した場面は、見たことがない。こんな基本中の基本のことなのに。

では、金融緩和で増えた銀行の内側のおカネが、どうやって銀行の外側のおカネを増やすのか?それは銀行の貸し出しです。銀行が金利を課して企業や個人に貸し出したときにだけ、世の中のおカネが増えます。国債も政府への貸し出しですから同じです。つまり、誰かが銀行に借金をしたときにだけ、世の中のおカネが増える仕組みなのです。

しかも、「貸し出す」と言っても、実際には銀行の内側のおカネが外側に流れ出すのではなく、銀行の内側のおカネはそのままなのです。そして銀行の外側に「預金」という信用通貨が、信用創造によって発生します。これ重要です。「銀行の内側のおカネが外側に流れ出すのではない」。流れ出すのではなく、民間銀行によって預金として新たに作られる。この預金が世の中のおカネのすべての基本です。こうして、銀行の内側のマネタリーベースと銀行の外側のマネーストックの二重構造が成り立っています。

これは、普通の有権者の方にも、ご理解していただきたいです。銀行制度の基本ですから。こういう話を、それこそ「そうだったのか」とやって欲しいですが、まあ無理でしょう。銀行の内幕をテレビで詳しくやると、大騒ぎになりますから。

多少詳しい人なら、この程度の事は知っていますが、少数派です。普通の人でも簿記の知識があれば、即わかります。しかし大多数の人はなんにも知らないまま、マスコミがいい加減なおカネの話を広めているだけです。愚民化ですね。それで世の中が動いているのだから恐ろしいです。

もしご興味があれば、本編のサイトに関連記事ありますので、ご覧ください。

2016年10月13日木曜日

日銀の国債保有残高40% 国の借金減る

日銀発表によれば、2016年10月7日時点における日銀の国債保有残高は400兆3092億円となり、政府の発行済み国債のおよそ40%を占めるようになりました。いや~良かった良かった。「国の借金ガー」の40%は返済おわったようなものです。日銀がこのまま(借り換えを含めて)国債を保有し続ければ、拙速な消費税増税の必要はありませんね。

2013年に130兆円だった国債残高が2016年には400兆円を超えたわけでして、日銀は300兆円ちかい現金を発生したわけです。とはいえ、ぜんぜんインフレになりません。なぜなら日銀が現金を発行しても、世の中のおカネを一円も増やしているわけではないからです。このことは本ブログでは何度も書いてますが、初めて見る人が居るかも知れませんので、しつこく書きますw。マスコミが嘘書きまくってるので、これ、大切です。

国債が発行されて財政支出がされた段階で(時差はあるが)、世の中のおカネはすでに増えています。これは国債を買い入れた民間銀行の信用創造によって、おカネが預金としてポンと発生したからです。だから、その時点で世の中の預金は増えています。その預金の裏づけとして、民間銀行が国債を保有しているわけです。

金融緩和、量的緩和の場合、日銀が現金を発生して、この民間銀行の保有している国債を買い取り、代わりに発生した現金を支払うので、民間銀行からみると、国債がなくなって、代わりに現金を保有した形になります。つまり、銀行の保有する資産が国債から現金に換わっただけです。裏づけ資産が入れ替わったですから、世の中のおカネは増えず、インフレにはならないわけです。

では、銀行が手に入れた現金をどんどん使えるかといえば、そういうものではありません。この現金は銀行が過去においてすでに発生した「預金」の裏づけとなっているため、勝手に使えるおカネではありません。銀行ができるのは、このおカネを使って貸し出しを増やすことだけです。が、景気が悪いし、消費も増えないので、おカネを借りる人があまり増えない。だからインフレにならないわけです。

そんなわけですから、日銀が国債をどんどん買い取ってしまっても、インフレを心配する必要はありません。日銀が国債をどんどん買っていただきたいですね。もちろん「オレの国債は絶対売らない」という人もいるでしょうから、すべての国債を完全に買いきるのは無理ですけどね。少なくとも「国の借金ガー」が大人しくなるまで買いましょう。


2016年10月12日水曜日

オタクによる世界征服計画とベーシックインカム

えー、私が総理大臣になったら、日本のオタク文化による世界征服計画を実行するのであります。漫画・アニメなどは広く世界中に広がっておりますぞ。このようにして、日本に対する良いイメージ、日本の大衆文化を受け入れる素地を外国で作り出すことは、とりもなおさず、日本のビジネス拡大、ひいては日本の世界征服を実現する第一歩となりましょう。

その重要な役割を果たしているのがインターネットであります。日本のオタク文化はすでにネットにあふれかえっており、それがインターネットを通じて、全世界へ流れ出して、世界の人々に多大な影響を与えていることは周知のごとくであります。ゆえに、今後は、ますますインターネットを通じたオタク文化の発信を強化する所存であります。

そこで、ベーシックインカムであります。ベーシックインカムを支給すると働かなくなるという話もありますが、逆に、好き勝手な活動を始める人々が間違いなく増加しますな。いまでもネットにはオタクらが作った、へんな動画が氾濫していますし、萌え画像などもますます増殖しておりますぞ。うへへ。これらはカネを稼ぐために作られたものではありませんな。オタクが好き勝手に作って、喜んでいるだけであります。

アルバイトなどの安い賃金労働の合間に、こうした好き勝手なコンテンツをネットに流していたオタクが、ベーシックインカムによって無味乾燥な労働から解き放たれ、一日中、部屋に引きこもって、膨大な量の動画や萌え画像を狂ったように放出するようになれば、ネット上のオタク文化の質と量が向上するだけでなく、何か新しい変化が現れるかもしれませんぞ。

従って、私は、ベーシックインカムによるオタク世界征服計画をぶち上げるのであります。

※本稿は冗談であり、現在行われている不毛な政権争いとは一切の関係はありません。

2016年10月11日火曜日

性格の違い システム主義と人治主義

会社組織や社会の人々を観察していると、人によって何を重視するかが異なっており、どうやらシステム主義と人治主義にわかれるように思われます。

よく、法治主義と人治主義のように比較されますが、その法治とはシステムの一種です。なぜここで法治と言わないかといえば、法治とは法律に限定されるからです。実際には社会のさまざまなシステムを指して「システム主義」と呼ぶのが相応しいと思うのです。

会社の経営者を見ると、面白いことにこの2種類のタイプがいるようです。システム主義の人は会社のシステムにこだわり、人によらずともシステムが動くように組織や仕組みを設計しようとします。それから、そのシステムがきちんと機能するように人事を行うわけです。そして、何かトラブルが発生すれば、それはシステム上の欠陥を疑い、システムに修正を加えてより機能的なシステムになるようにします。ルール違反が無い限り、あまり人の責任は追求しません。

一方、人治主義の経営者もいて、この場合はとにかく優秀な人材を、会社の組織上の要所に配置して権限を持たせ、その人材にあれこれ指示して会社を動かそうとします。そのため組織も人が変わると代わったりします。あまりシステムは重視せず、直感と判断力でその場を切りぬける力がモノをいいます。そして何かトラブルが発生すれば、それは誰かが悪いからだと考え、責任追及を始めます。そして悪い奴に罰を与えることでトラブルが防げると考えるようです。多くの場合、誰かを罰して満足してしまいます。そして、同じような問題を繰り返します。そのたびに憤慨して悪者を探しますが、システムがそのままなので、永遠に同じ失敗を繰り返します。

自分はシステム主義なので、人治主義の経営者とは合いませんでしたね。なにしろ人治主義の社長は「誰が悪いか、悪い奴を切る」ことばかり考えてましたからね。自分はシステムが悪いと考えるのですが、それは責任逃れだというのです。確かにシステムの良し悪しだけで事業を的確に運営するには限界があるんですが、システムが無いのに、社員の能力だけで乗り切るなんて不可能なんです。人治主義の人は、そこが理解できないようです。

さて、これは会社の経営者だけじゃなくて、世間における一般の人の場合もそれが当てはまるようです。政治や経済のことに関しても、人治主義の人は「責任者を探して処罰する」ことが大好きで、非難したりつるし上げたりしますが、それが終わると溜飲を下げてしまう傾向があるように思われます。こうした人は、政治家として良い人を送り出せば政治が良くなると思っているような気がします。逆に政治が良くならないのは政治家が良くないからだと考えます。ですがそんな都合の良い人はいませんから、常に政治家に失望しています。これを永遠に繰り返します。

しかし、システム主義からしてみると、問題は政治家の個人的な能力というより社会そのもの、つまり問題はシステムにあると考えるわけです。ですから、悪い奴を見つけて罰すれば世の中が良くなるなんて、これっぽっちも思えません。なので、端から政治家の能力にまったく期待などしていません。そうではなく、自分の頭の中には「こうあるべきだ」と思うシステムがあらかじめあって、それを実行しそうな政治家がいないかどうかを探します。それが居ない場合に失望します。

人治主義の人たちとはどうも意見が合わないですね。アベが悪いとか、朝鮮人が悪いとか言ってデモしている。そういう人たちはどちらも理解不能です。それに、こちらが「社会システムに問題がある」というと、人治主義の人は「お前は社会のせいにしている」と必ず言うのです。人治主義の人の頭の中は、常に誰かが悪い、人間に原因があると考える傾向があるようです。これじゃあ、何年経っても同じことを繰り返しますよ。まるで話が合いません。

そんなことを、つらつら、考えてしまいます。




2016年10月10日月曜日

ベーシックインカム導入は避けられない

ベーシックインカムに否定的な意見も多いようですが、しかし残念ながら、ベーシックインカムの導入は避けられないでしょう。なぜなら、近い将来、人工知能やロボットの劇的な進化により「生産に労働力をあまり必要としない時代」が到来するからです。

生産に労働力を必要としないようになれば、必ず失業者が膨大に発生することになります。そして失業者が増えるほどに消費者の購買力は低下し、モノが売れなくなって不況が深刻化し、経済はどんどん縮小しまいます。もちろん失業による貧困が拡大して社会も荒廃します。いわゆる「技術的失業問題」です。これを防ぐには、労働のいかんに関わらず、消費者におカネを支給しなければならない、つまり、これをベーシックインカムと呼ぶなら、それを実施しなければならないわけです。

ですから、「ベーシックインカムは不可避」です。残された問題は「いつ、どのようにして始めるか」だけなのです。

これは、多くの識者の間ではすでに自明なのですが、マスコミ、政治家、官僚、御用学者の多くは意識的にスルーしています。気付かないはずがありませんから。なのになぜスルーなのか?これが社会に大変革をもたらす可能性が高いからです。しかも既得権の構造を脅かす可能性がある。だからスルーを決め込んでいるのでしょう。

こうした日本の「事なかれ主義」と異なり、欧州ではベーシックインカムに関する社会の認知も高まり、賛否に関するアンケートが行われたり、投票が行われたりと、活発な活動が行われているようです。未来に対するビジョンを政治が受け止めるだけの能力があるのですね。

一方の日本で、マスコミ、政治家、官僚、御用学者の熱心なのは「財政再建」「増税」「労働法規の改正」です。彼らの頭の中は、相変わらず1900年代のまま何の進歩もないようです。まもなく2020年にもなろうというのに、驚くべき低レベル。

おそらく、問題が抜き差しならないほど深刻化してから、マスコミも政治家も、はじめて気付いたように大騒ぎを始めるんでしょうが、バカバカしいにもほどがあります。こうした技術的失業問題はある日、突然に起こるのではなく、もうすでに現在進行形で進んでいると考えるのが自然です。だから今の世の中、消費者に行き渡るおカネが少なく、消費者の購買力が不足して、景気が低迷している。

ですから、「ベーシックインカムは不可避」です。残された問題は「いつ、どのようにして始めるか」だけなのです。

2016年10月7日金曜日

ベーシックインカム推進論者は多様

ベーシックインカムを推進している人々のベーシックインカムに対する考え方は、さまざまのようです。というのも、立ち位置(目的)の違う様々な人たちがベーシックインカムの必要性を認識し、その導入を主張しているからです。では、どんな人たちが居るのでしょう。思いつくところで書いてみます。

一つ目は、社会福祉から入ってきた人たちです。彼らは、弱者救済、貧困生活者の最低所得保障を最大目的としているようです。そのため、財政の効率化、あるいは経済論、経済システムとしての考え方よりも、理想・思想・人権といった分野における主張を展開します

二つ目は、行政の効率化から入ってきた人たちです。彼らは社会保障制度にからむ既得権益を排除し、非効率を解消し、歳出を削減すると同時により費用対効果の高い社会保障制度の確立を目的としています。もちろん弱者救済の大儀はあるものの、それが最優先ではないようです。

三つ目は、人工知能や自動生産機械などの急速な進歩に伴う、技術的な失業に対応して経済システムを維持するために、労働と所得の分離を図ろうとする考え方です。これは貧困救済の意味もありますが、中心的な目的ではなく、行政の効率化もほとんど関係ありません。自分はこの三番目の入り口から入ったわけです。

この3つ以外に他にもあるかも知れません。

このように、ベーシックインカムの導入を主張する人たちには、多様な立ち位置があるため、同じ推進派の人でも微妙に考え方が異なるのです。これを念頭に置かないと「そもそもベーシックインカムは・・・・」と始めても、話が全然かみ合わなかったりします。

とはいえ、これは、多様な人々がベーシックインカムの必要性を認識しはじめたことの証左であり、やがてベーシックインカム推進派が多数を形成する予感がします。

EUにおけるベーシックインカムの賛否を問う世論調査の結果によれば、賛成が約6割、反対が2割といった結果が出ているようです。つまり、EUにおいては、「総論」でベーシックインカム賛成が圧倒的に多数を占めるようになってきています。

問題は「各論」つまり制度設計です。多くの庶民は「ベーシックインカムを実施すると、貧困層におカネを吸い取られて、自分の生活が逆に苦しくなるのではないか」との不安を抱いているようです。庶民の生活を悪化させることの無い、優れた制度設計があれば、ベーシックインカムの実現は近いかも知れません。


2016年10月6日木曜日

私的にはデフレが有利なのだが・・・

私は自分のブログにおいて、金融緩和や財政出動、インフレターゲットなどインフレを擁護する発言をしています。しかし、私的な状況から言えば、自分にとってはインフレよりデフレの方が有利です。なぜかといえば、老後のために個人年金をやってるからです。

基本的に政府の年金制度はあやしいと思っていたため、仮に政府の年金が破綻しても老後に餓死することがないよう、個人年金にかなりのおカネを突っ込んでます。インフレにならなければ、何とか死なない程度に生活できるよう準備してます。その意味で、実はインフレになると計画がご破算になるかも知れないので不安はあります。デフレの方が良いのはそのためです。

しかし、デフレで日本がますますダメになってゆくのは、見るに耐えないと思うのです。デフレで貧困化する若者を尻目に、自分の老後をデフレに頼るなど不健全です。だから自分はインフレを容認しているんですね。日本を信じているんです。若者を信じている。だから、日本は成長しないとか、山を降りるとか、そういうことを平気で発言して、デフレを容認している連中には賛同できないんです。極めて腹が立つのです。

日本経済は必ず良くなるはず。確かに人口が減れば総額としてのGDPは伸びないけれど、一人当たりの生産力、つまり一人当たりの豊かさはまだまだ伸び続ける。人類の科学技術がそれを必ず可能にするはずであり、それを阻んでいるのは社会の制度的な欠陥であると思うのです。その欠陥を、欠陥と知りながら既得権益集団が自分たちのエゴのためだけに「カネを」守っている、そう考えています。まさに貯め込んだカネを必死に守っている。そのために経済が死んでゆく。

その制度的な欠陥を叩き壊し、科学技術の進歩を人々が正しく享受できるシステムを作り出せば、たとえインフレになったとしても、年金制度は必ず維持できる、むしろ支給額がもっと増加するはずなのです。技術の進歩により国民一人当たりの生産力が拡大すれば、国民が豊かになるのは当然だからです。あまりにも当たり前の話ではないでしょうか。

だから、自分の老後をデフレには頼りたくない。貯め込んだカネにすがるのではなく、未来に達成される財の生産力によって老後の生活を支える方に賭けたいと思っているのです。

カネの価値のために経済を殺すべきではありません。


2016年10月5日水曜日

ノーベル賞の将来は日本よりも中国へ?

今年のノーベル賞(医学生理学賞)に日本人である大隅教授が受賞されたことで、ここ数年の日本人のノーベル賞受賞に世間が沸いています。しかしその大隅教授はむしろ日本の基礎研究の空洞化を心配しておられました。こうした基礎研究の不足に関しては、近年の日本の受賞者も共通して指摘されています。

基礎研究はおカネにならないので、こうした分野は公的な研究助成が欠かせないと思われるわけですが、では日本の近年の公的な研究開発費予算はどうなのでしょうか。これは、経済産業省によるレポート「我が国の産業技術に関する研究開発活動の動向」掲載されています。その2014年版のP.26より以下に図を引用します。



この図より、アメリカがスバ抜けて多いわけですが、その60%近くが軍事研究です。しかし軍事技術の民間転用は十分に大きいわけですから(ちなみにインターネットも軍事技術が起源)、含めて考えるべきでしょう。そして日本が失われた20年で研究開発費が伸び悩む中で、世界各国は徐々に予算を拡大しており、中でも中国の伸びは急激であり、すでに日本の3倍に達する勢いです。

たとえ日本で若い研究者が育ったとしても、彼らを受け入れるべき研究機関が増えなければ、そうした若者は職を得ることができず、海外へどんどん出て行くしかないのです。もしかすると、これからの世界の研究者は中国を目指すことになるのかも知れません。

基礎研究はカネになりません。いわゆる経済的な成果を期待できる分野ではないし、何が後世の役に立つかもわからない研究です。わけのわからないものに、ひたすら挑戦する、ある意味、大いなるムダこそが基礎研究なのです。オートファジー研究なんか、失礼ですが、面白いだけの現象であって、役に立つなんて想像も付かない時代にスタートした話です。私も生物系出身なので良くわかります。

大隅教授の受賞を期に、これをもっと国民が理解し、経済的にムダな研究に多くのおカネを費やすようにならなければ、10年後のノーベル賞は日本ではなく、中国の時代になるに違いないと思います。



2016年9月20日火曜日

ロボットに仕事を奪われない方法は簡単

人工知能やロボットの急速な進化により、人間が仕事を奪われると騒がれています。ではロボットに仕事を奪われないようにするためにはどうすればよいか?ある意味で答えは簡単です。

政府が国民に1人一台の汎用ロボットを支給すれば良いのです。奇抜な考えではありません、現在でも1人一台パソコンを所有していると思われますが、あれがロボットになるだけです。

ロボットに仕事を奪われる理由は、ロボットを企業が独占的に所有しているからです。そうではなく、もし自分が労働する代わりに、身代わりロボットが企業へ行って働き、その使用料を賃金と同じように得られるのであれば、仕事を奪われたことにはなりません。あなたが、仕事をロボットにやらせたのです。その違いは「誰がロボットを所有するか」で決定されます。

さらに言えば、生産システムを企業における集中生産によって行っているから、仕事を奪われるという現象が発生しています。もし、万能3Dプリンタのように、必要な財をすべて自宅で生産できるような装置が開発されたならどうか。企業で生産して、企業から賃金を受け取る必要はなくなります。ですから、企業という場所で働く必要は消失します。生産材料(資源)は必要ですが、それは別の問題です。

なぜ、このように考えると常識がひっくり返ることになるのでしょうか。それは「生産手段を独占的に所有するのが当たり前と信じている」ところから発生しています。その考え方そのものが非常に不自然だからです。それでは、なぜそれが今まで常識として通用してきたのでしょうか。それは生産能力の低い時代では、生産手段が限られていたからです。限られた生産手段で効率的に生産するには、それを効率的に運用できる誰かが独占的に所有して運用したほうが有効だったからです。

ロボットは生産手段の一部です。そのロボットを企業が独占的に所有するのではなく、国民一人ひとりが所有すれば、「ロボットに仕事を奪われる」のではなく、「ロボットが代わりに仕事をしてくれる」ことになります。そして、そもそも人間がロボットを作る理由とは、それであるはずです。

仮にそうなれば、ロボットの使用料が企業から人々に定額で支給されるでしょうから、ベーシックインカムのような仕組みは必要なくなります。というか、同じことです。もちろん、これは一つの思考実験ですが。