2016年9月20日火曜日

ロボットに仕事を奪われない方法は簡単

人工知能やロボットの急速な進化により、人間が仕事を奪われると騒がれています。ではロボットに仕事を奪われないようにするためにはどうすればよいか?ある意味で答えは簡単です。

政府が国民に1人一台の汎用ロボットを支給すれば良いのです。奇抜な考えではありません、現在でも1人一台パソコンを所有していると思われますが、あれがロボットになるだけです。

ロボットに仕事を奪われる理由は、ロボットを企業が独占的に所有しているからです。そうではなく、もし自分が労働する代わりに、身代わりロボットが企業へ行って働き、その使用料を賃金と同じように得られるのであれば、仕事を奪われたことにはなりません。あなたが、仕事をロボットにやらせたのです。その違いは「誰がロボットを所有するか」で決定されます。

さらに言えば、生産システムを企業における集中生産によって行っているから、仕事を奪われるという現象が発生しています。もし、万能3Dプリンタのように、必要な財をすべて自宅で生産できるような装置が開発されたならどうか。企業で生産して、企業から賃金を受け取る必要はなくなります。ですから、企業という場所で働く必要は消失します。生産材料(資源)は必要ですが、それは別の問題です。

なぜ、このように考えると常識がひっくり返ることになるのでしょうか。それは「生産手段を独占的に所有するのが当たり前と信じている」ところから発生しています。その考え方そのものが非常に不自然だからです。それでは、なぜそれが今まで常識として通用してきたのでしょうか。それは生産能力の低い時代では、生産手段が限られていたからです。限られた生産手段で効率的に生産するには、それを効率的に運用できる誰かが独占的に所有して運用したほうが有効だったからです。

ロボットは生産手段の一部です。そのロボットを企業が独占的に所有するのではなく、国民一人ひとりが所有すれば、「ロボットに仕事を奪われる」のではなく、「ロボットが代わりに仕事をしてくれる」ことになります。そして、そもそも人間がロボットを作る理由とは、それであるはずです。

仮にそうなれば、ロボットの使用料が企業から人々に定額で支給されるでしょうから、ベーシックインカムのような仕組みは必要なくなります。というか、同じことです。もちろん、これは一つの思考実験ですが。

2016年9月16日金曜日

人工システムと自然現象の意図的混同

デフレは自然現象だから避けられないとか、失業が増えて格差が拡大するのは自然現象だから避けられないとか、驚くべき説が飛び出しているようです。そして、自然現象には抗えないので、それに適応すべきであるといいます。彼らには人工的に作られたシステムが自然現象に見えるようなのです。

自然の中にシステムを見出すことは可能です。しかしそれは人間の関わらないところにあります。地球が太陽を回るのも、地上の生態系も、そこにシステムを見出すことは可能です。しかしそれは人間が関わるはるか以前からあったものであり、人間とは無関係にそのシステムによって生じる諸現象は自然現象です。

しかし、デフレや失業、格差などは社会システムにおける諸現象であり、人間の作り出したシステムにおける諸現象です。これを自然現象とみなすには、相当な論理的飛躍・無理があります。

ましてや、それを「自然現象だから避けられない、それを受け入れて適応すべき」など、まったくナンセンスです。たとえば、人間の狂ったシステムによって生じる地球環境破壊、公害を自然現象だといって受け入れ、それに適応するようなものです。

こんなことは、少し考えれば小学生でもわかることです。なのに、なぜこんな間の抜けた話が出てくるのでしょうか。ここには、非常に悪意のある論点のすり替えがあります。デフレも格差拡大も自然現象だから避けられないとの考えを、もし大衆が受け入れたなら、既得権益者にとってこんなにおいしい話はありません。

それは何をされても逆らわない「大衆の家畜化」に他なりません。




2016年9月15日木曜日

ベーシックインカムがダメなら農地くれ

人工知能と自動生産工場の普及により、技術的な失業が際限なく増加し、やがて経済システムが麻痺することは明らかですが、それを防ぐ方法がベーシックインカムなわけです。それでもなお、「働かない人ににおカネを渡すわけにはいかない」という人もいるわけですが、まあ、そんなにおカネを渡すのが嫌なら、農地をくれといいたい。

農地があれば農作業して、少なくとも生きていくことは可能です。多くの人にとって、働くことはまったく苦ではありませんが、農地のような「生産手段へのアクセス」が無いのであれば、働くことすらできませんからね。人工知能や自動生産工場の問題は「労働者の生産手段へのアクセス」が無くなることにあります。それでもなお、人々を働かせたいのであれば、国民全員に農地を与えたらよい。現在の農地をすべて国有化し、国民に支給する。

「一億・総兼業農民化」である。

農地を与えてもなお、餓死する人がいるのであれば、それは「自己責任」と言ってもよいでしょう。生産手段があるにも関わらず、労働によって生産しないのだから。これが自己責任の正しい意味です。

もちろん、冗談ですよ。
しかし、意味することの本質は冗談ではありません。


2016年9月14日水曜日

なぜ大衆運動が右派と左派に分離するのだろう

なぜ大衆運動が右派と左派に分離するのだろうか。これは非常に興味深いテーマです。

大衆運動といえば、まず市民運動と自称している人々が居りますが、彼らが左派です。そして右翼などといわれますが、市民運動は当然ながら右派、あるいは保守もあるわけです。右派や保守はあまり街頭に出てこないので、市民運動と認識されにくいのですが、ネット空間では多数派を形成しています。

右派左派いずれも大衆運動です。つまり、多くの庶民が自分達の生活や暮らしのために行動します。そういう意味では彼らの主張には共通点もあります。たとえば、大資本や金融・銀行による経済支配に反対し、ウォール街を批判し、格差の拡大に反対し、新自由主義的な自由貿易に反対しています。

しかし、外交面、移民などに対する考え方、歴史認識、国防面などにおいて、右派と左派は激しく対立しています。このような対立はなぜ発生するのでしょうか。自分達の生活や暮らしのための行動であるにも関わらず、同じ大衆運動であるにもかかわらず、なぜ強烈に対立するのか。

もし、右派と左派の大衆運動が同じベクトルを向くことがあるとすれば、その方向に向かって社会を大きく変えることができることは間違いありません。民主主義ですから、大衆の圧倒的な多数によって、政治は動かざるを得ない。

もし本気で政治を動かそうと思えば、右派と左派を何らかの形でまとめる必要があるのであって、それが可能なのかどうか。それは右派と左派をよく観察することから始めたいと思います。

2016年9月13日火曜日

財源の枯渇は100%あり得ない

財務省と御用新聞は、何かといえば「財源ガー財源ガー」と言っているが、経済学的に言えば、財源が枯渇することなど100%あり得ない。不足するのは、常にカネではなく財(物やサービス)なのです。

もし金本位制≒金貨の流通する時代であったなら、財源が枯渇することはあります。資本家が金貨を貯め込んで放さなくなると、世の中に金貨が出回らなくなり、ある意味で、財源は失われます。

ところが、管理通貨制度の場合、やろうと思えばおカネは無限に作れます。おカネが足りなくなることはありえないのです。ですから、財源の心配をするのはまったくナンセンスです。おカネが無ければ刷りなさい。

しかし、財(物やサービス)は印刷してできるものではないため、こっちが不足します。ですから、普通に理屈で考えると小学生でもわかりますが、財源の心配をするより、財の生産を心配すべきなのです。そして、何よりも財の生産能力が重要であることがわかります。

すると、財の生産能力さえ高めてやれば、おカネはどうにでもなるのです。必要に応じて発行しても良いし、あるいはしこたま貯め込んであるのを回収しても良い。発行したおカネは消えませんから、どこかに溜まっているはずです。

財源が枯渇することなど100%あり得ない。不足するのは、常にカネではなく財(物やサービス)なのです。

ではなぜ、財源が不足するのか?誰とは言わないけれど、
制度設計者が無能で役立たずだからですよ。


2016年9月12日月曜日

「経済成長しない」はあり得ない

経済成長するかしないか、それよりもまず最初に重要なことは「国民の生活がこれ以上豊かになるか、ならないか」です。もし国民生活が豊かになるなら、経済は成長します。逆に国民生活が貧しくなるなら、経済は縮小します。

つまり、経済成長否定論者は、
「国民の暮らしはもう豊かにならない」と言っているのです。

人工知能が進化し、自動生産技術が導入され、今後、ますます社会の生産能力が大きくなる。これはテクノロジーの発展を見れば、明白です。このような生産能力、生産効率が向上していくにも関わらず、国民の生活が豊かにならないとは考えられません。より多くの財が生産されれば、必ず豊かになるからです。

日本は低所得化が進んだため、生活が十分に満たされていない世帯がたくさんあります。TVのインタビューでも生活が苦しいとの話が聞かれます。日本の生産力が向上すれば、どんどん財を生産して、こうした人々に財がゆきわたり、生活が向上するのは小学生でもわかるでしょう。

一方、経済成長は一般にGDP国民総生産の増加率でみます。つまり国民個々の豊かさの総和なのです。ですから、人口が減少すればGDPは減ってしまいます。しかし、一人ひとりの豊かさが増加すれば、GDPは増加するのです。

さて、人口の減少率は0.2%程度です。一方で生産能力の伸び率として、生産性の伸び率は0.9%です。それだけでも、経済が成長することがわかります。ラフに言えば、0.7%くらいは成長するわけです。これは実質成長の話です。

名目成長については、これにインフレ率が加算されます。インフレターゲット2.0%であれば、これを達成すると0.7+2.0=2.7%成長となります。つまり、成長しないほうが難しいのです。

それでもなお「国民の生活はもう豊かにならない」と言いたいなら、
貧乏神には勝手に言わせておきましょう。

2016年9月9日金曜日

労働がすべての付加価値を生んでいるのではない

労働することによって付加価値が生まれる、と多くの人は考えています。確かにそれは間違いではありませんが、実際にはあなたの労働だけではなく、同時に、あなたの利用しているパソコンや工作機械のような「資本装備」が価値を生み出しています。また道路や電気ガスなど、あるいは学校教育などインフラが価値の創出に大きな効果を持っています。つまり、あなたの労働の付加価値の大部分はあなた(=就労者)の労働が生み出しているわけではないのです。

そんなバカな、オレが働かなければ機械は動かず、何も生産されない。だからすべての付加価値はオレが生み出したものだ。と思うかも知れません。しかし、もし人工知能や自動生産機械が普及するようになると、あなたの仕事は、そうした機械の起動ボタンを押すだけになるかも知れないのです。起動ボタンを押すだけで、付加価値がどんどん生み出されてきます。それでも、あなたの「ボタンを押す」という労働がすべての付加価値を生み出したといえるでしょうか。

もちろん、それは極端な話です。しかし、機械をまったく使わない状態のときと比較すると、実は機械(資本装備)が付加価値の大部分を生み出していることに気が付くはずです。

つまり、機械が生み出した付加価値を、あなたが独占しているのです(実際にその利益の大部分は企業が吸い取りますが)。確かにそれは既得権であって、問題ないと思われるかも知れません。しかし、あなたの仕事が自動生産機械の起動ボタンを押すだけだったとしても、そうでしょうか?

もっと問題なのは、あなたの起動ボタンを押す仕事すら、自動化されてしまったら、あなたには何の仕事も残りません。仕事が無くても、既得権として、機械が生み出した付加価値をあなたが独占することは可能でしょうか?

このような矛盾が、科学技術の爆発的に進化する現代社会において、社会構造のゆがみをもたらし、格差や貧困を生み出す背景となっている可能性も否定しきれないと思うのです。その問題を解決する方法が、ベーシックインカムと呼ぶべき、基礎的な通貨循環システムだと考えます。



2016年9月8日木曜日

フィリピンに口を出すならカネも出せ

フィリピンのドゥテルテ大統領による強権的な麻薬取締りや治安維持政策に対して、欧米からは、例によって「人権」を振りかざした干渉が始まりつつあるようです。人権についてフィリピンに口出しするのを止めろとは言わないが、口を出すならカネも出すべきです。

どこの世界に好き好んで人権弾圧をする政治家がいるでしょうか(中国の思想弾圧を除く)。もしフィリピンの国民生活のレベルが高く、格差が少なくて、貧困層が存在しないならば、麻薬問題や治安問題は今ほど酷いでしょうか?おそらく貧困と格差が問題の根底にあるはずです。これは、おカネの問題でもあるわけです。

フィリピンでは、その貧困の解決が容易に進まない状況にあって苦労しているのに、唸るほどカネを持っている欧米の先進国が人権だけ口うるさく言う。欧米の新聞マスコミがこれ見よがしに批判する。そんな行動が褒め称えられるべきものとは思えません。

もちろん、口出しするのを止めろとは言いません。
口出しするなら、カネも出せ。

カネ?ウォール街やタックスヘイブンにあるでしょう。

2016年9月7日水曜日

時間差ヘリマネではなく今ヘリマネすべき

バブル崩壊後に政府が財政出動を行うため、国債Aを発行して、この国債Aを民間銀行などが買い入れて財政出動しました。このとき政府が発行した国債Aを、民間銀行ではなく日銀が買い入れていたなら、それは「ヘリコプターマネー」になります。日銀が通貨発行して国債を買い入れて、政府がその通貨で財政支出するからです。しかし、あのときは、日銀は国債Aを買い入れなかった。だからヘリマネではありません。

さて、今は日銀が量的緩和政策において、通貨を発行して、過去に政府が発行した国債Aを買い取っています。これは何?時間差ヘリマネです。過去に買わなかったけど、何年か後になってから銀行の保有している国債を買う。つまり、過去に国債を買うか、いま国債を買うかの違いに過ぎません。時間差ヘリマネ。

だったら、いまさら買うんじゃなくて、過去の国債発行時に日銀が買い入れていたら、もっと効果的だったんじゃないの?あのとき、単なる国債発行じゃなくてヘリマネだったら、とっくの昔に日本がデフレから脱却してたんじゃね?

そう思いたくなります。

そして、またまた日銀はヘリマネをやらず、昔の国債Aを買っているだけです。その一方で政府は国債Bを発行して、民間銀行などがそれを買っています。近い将来、時間差ヘリマネとして、国債Bを日銀が買うかもしれませんね。

その結果、銀行だけが売買差益で丸儲けしています。
日銀はいつまで銀行にタダ飯を払い続けるんですか?
いい加減に、時間差ヘリマネじゃなく、普通にヘリマネしろよ。

2016年9月6日火曜日

「暗示」を最初に理解すべき

社会や経済の問題について考えたり、議論したりする場合、その前に、人間の精神構造を知り、自分を客観的に見ることができるようになる必要があると思われます。多くの場合、その人の無意識下に刷り込まれている「暗示」が、いわゆる先入観として、客観的な考え方を妨げてしまうからです。

暗示とは、思い込み、固定観念のようなもので、フロイトの超自我と呼んで良いと思います。これを常に意識して行動することはありませんが、意識するなら、心の中では「~~すべし」と命じてきます。そして、人間は無意識のうちの、この「~~すべし」によって意思を決めて行動します。

これの典型的な例が、韓国人にみられる反日です。彼らは反日教育によって、無意識の下に「日本人は悪人だ、すべて日本人が悪い」という暗示が形成されています。そのため、何かを見たり聞いたりすると、考えるより前に、反射的に日本に嫌悪感を抱き、客観的な思考を停止してしまうのです。そのため、思考が「反日ありき」になり、何を言っても、どんな証拠を示しても、結論は最初から「日本が悪い」と決まっており、その理由を探すことに必死になるのです。

これの最悪のケースはオウム真理教の洗脳です。洗脳されてしまった信者に、正常な理屈は通用しません。そして、常に自分たちに刷り込まれている暗示が絶対的に正しいと主張するのです。

暗示の一番の問題は、思考停止です。ダメと決めてかかったら、もう考えることなくダメと思い込む、あるいは「ダメな理由」を考えるようになります。もし財政再建は絶対だという暗示に支配されていれば、財政再建ありきでしか考えることができなくなります。

そして社会でこの暗示を人々に組み込むのが、教育、新聞マスコミ、学者、評論家などです。これらを信じ過ぎてはいけませんし、熱狂的なファンになってもいけません。常に懐疑的な目で見なければ、どのような暗示を仕掛けてくるかわかりません。

また、もうすでに、自分の中に暗示が刷り込まれている可能性は十分にあります。ですから、常に自分の考えを反芻し、矛盾がないように、修正をしなければならないでしょう。これは、自分でも難しくてできないのですが、しかし、これを意識するのと、しないのとでは差があるはずです。


2016年9月5日月曜日

中国に対する戦略について

多くの場合、中国共産党も中国の人々も、ひとくくりで「中国」と言ってしまう傾向があります。しかしこれはあまり賢明ではありません。中国に言及する場合は、中国共産党と中国の人々を意図的に分けて言うべきだと思われます。

日本人にとって最も脅威なのは中国共産党です。ことあるごとに過去の日本の侵略を持ち出し、事実を肥大化して既成事実化し、民族主義を煽っています。尖閣諸島に武装した船を送り込み、AIIBなどで経済的な覇権を目指し、また南沙諸島をはじめ領土的野心をむき出しにしているのは、共産党であって、中国の一般庶民ではありません。どの国も庶民は生活の向上が最大の関心事であって、日本を潰すことではありません。

ですから、中国共産党を打倒する事こそ日本人の利益にかなうわけです。しかし、日本人が直接に共産党を打倒することができるでしょうか?不可能です。日本人には共産党を倒すことはできません。共産党を倒すことができるのは、中国の人だけです。ですから、中国共産党は敵に回しても、中国の庶民を敵にしてはならないわけです。

中国国内でも共産党の独裁や言論などの統制、汚職などに対する人々の不満があり、心のそこから共産党を支持しているわけではないはずです。彼らも自由化を望んでいるはずです。抑圧者である中国共産党が中国人日本人共通の敵であることを、中国の人々に認識していただくのが重要です。

もちろん、共産党はそれを阻止するために、中国人の民族感情を煽ろうとして尖閣諸島にますます圧力をかけてくるでしょう。ここで共産党の手口に乗ってはいけません。中国人への反感ではなく「共産党」を意識的に批判すべきです。中国が独裁であることの危険性を、過去の戦争の歴史をからめて批判するのが良いと思います。そして中国人を褒め、同情し、友好を深め、民主化を支持し、抑圧者としての中国共産党を非難する。

共産党が崩壊して中国が本当に民主化されれば、それだけで日本の脅威は半分以下になると思います。米軍基地も安全法制も、それだけで問題の半分は解決したようなものです。少なくとも中国のような独裁政権が民主政権より危険なことは、歴史が証明しています。まず中国の民主化です。

そのためには、中国の庶民を動かさないといけない。抑圧者としての中国共産党を鮮明にしなければならない。大衆運動だけが、革命を起こす力を持っているからです。

2016年9月2日金曜日

新しいグローバリズムへ変革の時

英国EU離脱を受けて反グローバリズムの動きが世界で活発化しています。こうした動きを新聞マスコミは抑え込もうと必死に誘導を繰り返しています。時代への逆行であるとか、反知性主義であるとか、ポピュリズムといった具合です。

しかし現在のグローバリズムに問題があるからこそ、世界の人々の不満と反対が高まっているのであり、これこそが時代の新たな潮流であると思います。

とはいえ、グローバリズムそのものを否定する人々は少ないでしょう。世界の国々が相互に協力し、関連性を深めることはそれこそ、避けられないからです。問題は、その関連性のあり方にあるはずです。つまり反グローバリズム運動は単なるグローバリズムの全否定ではなく、既存の政治権力集団の目指すグローバリズムとは異なるグローバリズムの再定義、新しいグローバリズムへの変革を追求すべきでしょう。

良く考えるとグローバリズムには種類があり、「グローバリズム」の一言でまとめて片づけられるものではありません。

たとえば、個々の国々が博愛や互助の精神で融和を図ろうとするグローバリズムもあれば、拝金主義で市場原理主義に基づいて単一市場を押し進めるグローバリズムもあります。つまり、グローバリズムは精神面、文化面、物質面、金融面といった多面性を有するのです。ですから、すべてひとくくりにして「良いか悪いか」とは言えないのです。

こうした中で、特に問題となるのが金融面、つまり「拝金主義グローバリズム」です。これは資本収益率の最大化を目的として世界をグローバルな単一市場に変えようとする動きです。世界で推進されている移民促進も労働市場の単一化として拝金主義に関連しています。

本来であれば、グローバル化によって多国間の人々は、連帯できるはずでした。ところがこの「拝金主義」によって、人々の心に憎しみと排斥感情が生まれています。拝金主義こそ、本来あるべきグローバリズムを破壊する元凶だったと考えられるのです。

ところが、新聞・マスコミ・御用学者は、グローバリズムといえば、拝金主義だろうと博愛・互助精神だろうと文化交流だろうと、すべてごちゃまぜにして「グローバリズムだ」と主張し、拝金主義に染まりきったグローバリズムを人々にごり押ししてくるのです。

「本当のグローバリズム」を破壊しているのは何か?
拝金主義グローバリズム、
すなわち「新自由主義・市場原理主義」であると思います。



2016年9月1日木曜日

昆虫のフェロモンと人間の言語

昆虫はフェロモンという化学物質を用いて、同種族の他の個体に影響を及ぼす仕組みを持っている。メスがオスを惹きつける性フェロモンはよく知られているがそれだけでなく、様々な種類がある。ある個体が化学物質を放出し、それを受けた個体がまるでプログラムされたように行動を変化させる。フェロモンという化学物質で個体の行動が支配されることに、とても不思議な感じを覚える。こうした現象は何か原始的な感じだ。

しかし、人間の場合はどうだろうか。人間はフェロモンは作らないが、言葉を作り出す。これは空気の振動の変化から構成されている。ある個体が特定の言葉を発し、これを別の個体が認知すると、その行動を変化させる。その例が感情の変化だ。特定の言葉によってまるで、プログラムされたように人間の感情が変化する。怒ったり、笑ったり、泣いたり、様々な反応を示す。このように音によって行動が支配されるのは、とても不思議な気がする。何か原始的な現象だ。

そのように考えると、相手の心無い言葉にいちいち感情的に反応することの馬鹿馬鹿しさが理解される。ひどく原始的だし、そもそも反応する必要などない。それでもやはり腹が立つこともある。かく言う私も原始的な衝動から逃れられないのは残念だ。