2020年1月31日金曜日

コロナ騒動に見る現代資本主義の欠陥

中国発の新型コロナ肺炎ウィルス騒動によって、世界経済が大きな悪影響を受けるとマスコミが報道しています。最も卑近な例を挙げるなら、観光産業への影響です。中国からの観光客の減少により、観光産業の売り上げが減少し、景気に悪影響を与えるというのです。

つまりこうです。新型コロナウィルス騒動によって中国からの観光客が減ると、観光産業を中心に売り上げが減少し、そこに関連する人々の所得を押し下げ、購買力を減らします。すると、それらの人々の消費が減り、社会全体としての消費も落ちてしまう、というわけです。つまり観光産業から連鎖的に社会全体の景気が悪くなる、ということです。

では、なぜこんなことになるのか?

こうした災害に伴う不況の問題は、今回のような伝染病に限らず、様々な災害などの場面においても生じる現象です。例えば台風による広域災害、猛暑あるいは雪不足のような問題です。それらが景気を悪化させるのです。しかし、その原因について根本的に、あるいは経済の原点に立ち返って考えるような記事は、マスコミにはまったく見られません。お決まりの、どこかに書かれてあるような常識論が語られるだけです。しかし、経済のシステムの本質的な視点からこの現象を考えるなら、おそらく、現代資本主義の欠陥部分に行き着くのではないか、と思います。

現代の資本主義社会は市場経済であり、市場経済は、その原点が「交換によって成り立つ経済システム」「交換経済」です。つまり、それぞれの経済主体が生産した財(モノやサービス)を交換することでなりたちます。ということは、交換するための何かが常に必要であることがわかります。

そして、もし、ある経済主体が何らかの原因(災害など)によって財の生産ができなくなると、たちまち、この「交換システム」は機能不全になります。

例えば、AさんとBさんがいて、Aさんがお米を100生産し、Bさんがお魚を100生産し、互いにお米とお魚を50ずつ交換して生活していたとします。ある時、大干ばつがこの土地を襲い、Aさんはお米がまったく取れなかったとします。すると、AさんはBさんからお魚を得ることができなくなります。一方、Bさんはいつも通りにお魚100を生産しますが、Aさんがお米と交換できないため、取れた魚100のうち50は腐って捨ててしまいます。

はて、これがあたりまえなのでしょうか?今のマスコミに問えば「あたりまえ」「しかたない」と答えるでしょう。しかし、少し考えてみてください。

小さい頃、みなさんは、学校で「社会はそれぞれの人が分業して必要なものを生産しているのだ」という風な話を聞かされてきたのではないでしょうか。あるいは、なんとなく、そのように思い込んできたのではないでしょうか。社会は共同体であると。分業とは、互いに生産したものを分け合うことが前提となります。もし、みんなが必要とするものを、みんなで分業生産してるのだとしたら、仮にそのうちの誰かの生産が滞ったとしても、基本的には分業に携わってきた以上は、生産された財が、その人にも分配されるはずです。

例えば、今日では「会社」がこれに当たります。同じ会社に属して、様々な仕事を分業しているのですから、仮に会社のある収益部門の売り上げが何らかの理由で一時的に減少したとしても、その収益部門だけ報酬がなくなる、なんてことはありません。なぜなら、会社のような組織は「分業と分配」が基本システムにあるからです。もちろん、ある収益部門が慢性的に売り上げが少ない場合は、商品や販売組織の改変が必要なのは言うまでもありません。そうではなく、短期的な話です。つまり、一時的な生産の変動に対して、こうした「分業と分配」のシステムは、安定的であるという点が重要になりますです。

では、分業と分配という考えに基づいて、前例におけるAさんとBさんの場合について考えてみましょう。社会が生産共同体であるなら、Aさんはお米の分業を担ってきたと考えられます。そうなら、たとえ不運にしてAさんが干ばつでお米が生産できなかったとしても、Bさんの生産したお魚のうち、50がAさんに分配されるでしょう。そうすれば、生産されたお魚は無駄になりませんし、Aさんもお魚を得ることができます。これが分業と分配です。

ところが、現代の資本主義社会では、そうはなりません。BさんがタダでAさんにお魚をあげるのは「損した」ことになるわけです。なぜなら、頭が「交換経済」という考えに支配されているため、交換するものもないのに、与えることはできない、となるわけです。先ほどの会社の話を聞けば、会社組織における「分業と分配」には、みなさん、それなりに納得する点があると思うのですが、こと、市場における「交換経済」になると、「損した」となるわけです。常に交換するもの、代価がなければ成り立たない、これが市場経済の欠陥であり、それを前提として成り立つ現代資本主義の欠陥でもあるわけです。

つまり、子どもの頃に聞いたことがある「社会はそれぞれの人が分業して必要なものを生産しているのだ」は、実は嘘だったことがわかるのです。社会とは、実は、協働の場ではなく、交換の場に過ぎなかったわけです。あるいみ、それはコミュニティとは無縁の、何か殺伐とした無機質の機械のような印象を与えます。

一方で、社会主義(あるいは共産主義)の考え方は「分業と分配」であり、仮に何らかの災害によって、生産ができなくなってしまったとしても、その人たちにも、きちんと分配がされることになります。ただし、分業と分配に基づく社会主義経済は、市場の働きを無視する側面があるため、生産システムとして、資源の最適配分の機能に支障をきたすことは言うまでもありません。つまり、「交換の経済」と「分業と分配の経済」には、それぞれに一長一短がある、両者ともに不完全なシステムである、と考えられます。

では、現代資本主義の社会において、これに何らかの改善策はないのでしょうか?

実は、貨幣経済には、こうした市場経済の欠陥を和らげる働きがあります。市場経済は交換経済であり、基本的には生産した財を互いに交換することが求められます。しかし、貨幣経済においては、交換するものが財(モノやサービス)である必要はないのです。つまり、貨幣と交換することを介して経済が成り立つため、仮に財がなくても、貨幣があれば経済が機能することがわかります。これがいわゆる「売り上げ」です。

もちろん、これらの貨幣は、最終的には財と交換されることで、貨幣を仲介した財と財の交換を成立させるのですが、そもそも、貨幣の多くはため込まれて交換に利用されない場合も多いため、こと「交換」に関しては、ゆるい、タイムラグのある働きをしています。つまり、貨幣とは、交換経済において緩衝材のような性質も備えていると考えられるのです。

例えば、先ほどの例で言えば、仮にAさんがまったくお米を生産できなかったとしても、Aさんにおかね50があれば、それをBさんのお魚50と交換することで、Bさんは「損した」気分を味わうことなく、喜んでAさんにお魚50を渡すでしょう。だから経済が機能するのです。もちろん、実際にお米の生産が減っているわけですから、経済全体としての財の総生産は減っています。しかし、おカネさえあれば、災害が多方面に連鎖的に悪影響を与え、経済全体が悪化する事態は避けることができると考えられます。

つまり、Aさんがお金持ちであれば、経済への悪影響は軽減されます。貯蓄や内部留保をため込んでいる場合です。しかし、今の日本では貯蓄のない人も多いでしょう。資本主義社会では、災害保険がそれを補う働きをしています。仮に干ばつでお米が生産できなかった場合でも、Aさんが保険金として貨幣を外部から調達できるなら、影響は軽減されます。

しかし、保険はそれなりに高額ですし、すべての人が、そうした保険に加入するほど貨幣的な収入に余力があるとは限りません。今日のような慢性デフレ不況の状態では、ぎりぎりで、なんとかやりくりしている人も多いでしょう。ですから、自己責任だけで災害による不況を防ぐことは現実的とは思えないのです。そして、貨幣の調達は何も保険金に限る必要はありません。政府から調達することも可能なのです。

にもかかわらず、財務省は、なにかといえば「財源がない」と言ってカネを出し惜しみする。ゆえに、ウィルス騒動によって売り上げが落ち込んだ観光産業の人々の購買力が低下し、消費が落ち込み、それが引き金となって経済全体が連鎖的に不況になる。おそらく、緊縮と財政再建を企む今の官僚大国日本では、それが避けられないのです。実にばかばかしいと思います。

保険に頼ることなく、社会全体としてこうした事態に対応するために、政府が果たすことのできる役割は極めて大きいと考えます。なぜなら、貨幣の調達において、通貨発行権を有する「国家」こそ、最も強力だからです。何のことはありません、政府がおカネを発行すればいいだけです。何も特別なことではありません。今でも毎年のようにおカネは発行されているのですから、その量をすこし増やせばいいだけです。

具体的に言えば、例えば今回の新型肺炎ウィルスによる景気の落ち込みを回避するには、政府が通貨を発行し、観光産業の人々の所得が落ちないよう、あるいは、従業員が解雇されないような支援を行う方法があります。あるいは、政府が国民に旅行クーポンを発行して、中国人観光客の減少を日本人の観光の増加で補い、利用代金の支払いのために政府が通貨を発行する、といった方法もあると思います。

このように、貨幣は、経済を維持活性化するために利用できる手段の一つであり、あたかも貨幣を神聖視して出し惜しみするような真似はやめるべきです。貨幣を神聖視しても、私たちが貨幣の奴隷になるだけです。我々にとって大切なのは、貨幣の価値(貨幣の希少性)ではなく、経済活動そのものであり、財をより多く生産し、人々に行き渡らせることです。そのために、貨幣は利用すべき一つの手段にすぎません。

政府はカネを発行して国民に配りなさい。そんなことすらできないのであれば、経済システムとしての、今日の資本主義には重大な欠陥があると、断言せざるを得ないのです。


2019年11月16日土曜日

所得倍増は簡単にできる

所得倍増とは、私たち家計の収入(多くの場合は賃金)が2倍に増えることです。ところで今のデフレの時代は、所得が増えるどころか、ジリジリと減り続けています。しかし所得が減るようになったのは1990年代のバブル崩壊以後であり、それ以前は日本人の所得は増え続けていたわけです。高度成長期の1960年には、当時の池田内閣が所得倍増計画をぶち上げ、それを実現したわけです。

 では、もはや日本で所得が倍増することは二度とないのでしょうか?そもそも、どうすれば所得が2倍になるのでしょうか?高度成長期のようにモーレツに働けば所得が2倍に増えるのでしょうか?多くの良識的といわれる識者は、したり顔で「所得を倍増するなんて不可能だ」と、考える前から諦めているに違いないでしょう。こんな無気力な連中に未来の日本を任せるわけにはいきませんね。どうすれば所得を2倍にできるか、考えてみましょう。実は、所得を2倍にするための基本的な考え方は簡単なのです。まず、そこからスタートしなければなりません。

所得倍増の条件とは?

①世の中のおカネの量を2倍に増やすこと

きわめて当然なのですが、所得が2倍になるためには、世の中のおカネの量を2倍しならなければなりません。なぜなら、世の中のおカネはわたしたち消費者(家計)と生産者(企業)の間をぐるぐる回っており、その回っているおカネの量が、所得の額を決めているからです。ぐるぐる回るおカネは、賃金(所得)として消費者に流れ、消費者がそのおカネで企業からモノやサービスを買うことで、売り上げとして企業に戻ります。ですから、このぐるぐるまわる「循環するおカネの量」が2倍に増えることが、所得倍増の必要条件であり、そのためには、世の中のおカネの量が2倍に増えなければなりません。そうしなければ、いくら頑張っても所得は絶対に2倍になりません。

とはいえ、単純に世の中のおカネを2倍に増やせば所得が2倍になるとは限りません。なぜなら、世の中には「動かないで貯め込まれてしまうおカネ」というものがあります。ですから、次のような条件も必要となります。

②増やしたおカネを誰かが死蔵しないこと

 世の中のおカネをどれほど増やしても、それを誰かが大量に貯めこんでしまうと、「循環するおカネの量」は増えません。この貯め込まれるおカネとは、家計の貯蓄、企業の剰余金、政府の埋蔵金に該当します。消費者の所得を増やすために政府がおカネをいくら発行しても、それを誰かが貯めこんでしまえばキリがありませんね。ですから、場合によっては、こうして貯め込んだままのおカネに課税して、世の中に再循環させる必要性も出てくるはずです。これが所得を倍増させるための十分条件となります。つまり①世の中のおカネの量を2倍に増やし②それを確実に循環させること、これができれは、間違いなく所得は2倍になります。基本はおそろしく簡単で、当たり前の話なのです。マスコミの良識的な識者は決して言いませんがw。

そして、世の中のおカネの量を増やしたり、おカネを再循環させることはそれほど難しいことではありません。なぜなら、それは単なるルールであり、そのような仕組みを法律で決めて行政で実行すれば良いだけだからです。例えば、政府(日銀を含む)には通貨を発行する権限を国民から委託されています。その権限に基づいておカネを発行することは可能です。あるいは、徴税権に基づき、貯めこまれて死蔵されているおカネを徴収して、給付金などとして世の中に再循環させればよいのです。これらはルールの問題に過ぎません。つまり所得倍増は、本気になれば、とても簡単に実現できることがわかります。

③実質所得の向上には供給力が欠かせない

 とはいえ、ただ単に所得を2倍にしただけでは、必ずしも国民の豊かさが2倍になるとは限りません。なぜなら、インフレの問題があるからです。つまり、名目上の所得(手取り額)を2倍にすることができても、実質的な所得(得られる財)を2倍にできるとは限らない。そこで、実質的な所得を2倍にするには、モノやサービスの供給力を2倍にする必要があるわけです。

 所得を2倍にすることは、単にルールを実行するだけで実現できます。しかし、供給力を2倍にすることは簡単ではありません。供給力を増やすためには、生産設備を増強したり、設備の生産性を向上させたり、資源の調達を増やしたり、新しい技術を研究開発する必要があります。これは単にルールを決めただけで実現できるものではありません。さまざまな分野に投資が必要です。従って、所得を倍増することは比較的簡単にできるのですが、実質的な生活向上につなげることは一筋縄ではいかないわけです。ですから、やたらに名目所得だけ増やせばよい、というわけではありません。

しかし、今の新聞マスコミに出てくる識者や政治家は、名目所得を上げること「すら」しようと考えないのです。こんなことでは、初めから所得など増えるはずがありません。なぜ世の中のおカネを増やして国民の所得を増やそうとしないのか?所得だけ増えても、供給力が増えないから意味がない、と考えているからでしょうか?いえいえ、そんな頭の良い識者も政治家もほとんどいません。何もわかっていないのです。民間企業で営業や経営の仕事をしたことがないから、わからないのでしょう。

 というのも、名目上の所得が増加することは、それだけでも経済活動にとって十分に意味があるからです。なぜなら、経済活動は実質値ではなく「名目値で動く」からです。一番身近な例では賃金があります。例えば、賃金の支給額が上がらなくても物価がデフレだと実質賃金は増えます。しかし、人々は実質賃金が増えても、「賃金が増えた」とは感じません。あくまで給与明細にある名目賃金の増加が人々に影響を与えるのです。そして名目の所得が増えれば、財布の紐を緩め、消費が増える可能性が出てくるわけです。

企業の場合もそうです。企業は「売り上げを何パーセント伸ばすか」、という目標を立てます。これも名目上の売り上げが論点となります。デフレだから売り上げ金額が伸びなくても、実質売り上げが増えたから良し、なんて話はありません。名目上の売り上げが伸びるからこそ企業は設備投資するのです。利益率もそうです。投資家が投資するのは、名目上の利益率で判断するわけです。左様に、世の中は実質ではなく、名目上の金額を元にして動きます。だからこそ、名目上の所得が増えることにも、十分な意味があるのです。

 しかし、新聞マスコミは、そんなことすら考えません。さらに酷いのになると「賃金が伸びないのは日本の労働者の生産性が低いからだ」などと真顔で話す識者まで出てくる始末です。呆れるばかりです。実際には、賃金向上にとって労働者の生産性などほとんど無関係であり、世の中のおカネの量を増やし、貯めこまれているおカネを再循環させるだけで賃金はどんどん増えるのです。なぜなら、おカネはぐるぐると世の中を循環するからです。この件に関しては与党・野党を問わず、政治家の大部分も似たような認識レベルであり、まったく期待のできる政治家はいません。

 新聞マスコミも政治家も官僚も馬鹿なのですから、せめて国民だけでも賢くなって欲しいと思うのです。

(サイトに同時掲載)


2019年8月24日土曜日

緊縮・MMT・政府通貨制度の違い

2019.8.24

(ねこ)
リフレとかMMTとか、経済論には考え方がいっぱいあって、なんだか違いがよくわからないにゃ。違いを説明して欲しいにゃ。

(じいちゃん)
そうじゃな、では、今回は経済的な派閥として「緊縮派」「リフレ派」「MMT派」そして「政府通貨制度派」について、その違いを説明しようと思う。なお、各派閥の主張に関しては、人によって認識に違いがあるから、その点は、あらかじめお断りしておくのじゃ。

(ねこ)
そうだにゃ。じいちゃんは学者先生じゃないから、アカデミックな正確さは求めないにゃ。それより「わかりやすく」説明して欲しいのですにゃ。

(じいちゃん)
さて、まず各派について簡単に説明しておく。まず「緊縮派」じゃが、これは財務省の考えとほぼ同じだと思えばよい。税収と財政支出のバランス(プライマリーバランス)、財政の収支をあわせることを最も重視している派閥じゃ。彼らは、さかんに財政危機を煽り、消費増税の必要性を唱えておる。また、日本の大部分の新聞・マスコミも、この緊縮派に沿った論陣を展開している。

次に「リフレ派」じゃが、これはアベノミクスに近いと思えばよい。アベノミクス三本の矢の金融緩和政策に該当する。世の中におカネを供給することを重視しており、金利を下げて銀行からの貸し出しを増やそうとする。銀行からの貸し出し増加によって投資を刺激し、景気を活性化するものだ。

「MMT派」は最近になって注目されてきたが、昔からあるケインズ主義に近い流れじゃ。金利操作ではなく、財政出動によって世の中におカネを供給し、消費を刺激し、景気を活性化する手法になる。

「政府通貨制度派」は、まだまだ少数派だが、ワシが最も重視しておる考え方であり、あえてここで説明する。最近、スイスで「ソブリンマネー」の導入に関する国民投票が行われたが、ソブリンマネーとはまさに、この政府通貨制度のことじゃ。

では、以下の表に、各派の各政策に関するスタンス(考え方)を一覧表にしたので、見て欲しい。これを用いて、各派の考え方の違いを説明しようと思うのじゃ。



<緊縮派>

緊縮派は、何よりも財政の収支を重視する。財政の収支をプライマリーバランスと呼ぶ。具体的には税収と財政支出のバランスのことじゃ。財政支出はあくまでも税収によって国民(企業含む)から吸い上げた税金の範囲に収め、国債の発行による財政支出は避けたいとする。極端に言えば、仮にデフレ不況が深刻化しようと、経済が衰退しようと、財政の収支(プライマリーバランス)さえ黒字ならよしとする考え方なんじゃ。人々の生活より、帳簿の収支が大切だという、とんでもない連中じゃな。

そのため、日本経済の状況や世界経済の状況がどうあろうと、とにかく「消費増税」することに執念を燃やしている。

驚くべきことに、彼らは金融緩和、つまり世の中のおカネを増やすことにも否定的なんじゃ。まったく意味がわからないのう。というのも、世の中のおカネの量が増えて経済が活性化すれば、税収が自然に増加し、彼らの目的である財政の収支も改善することは明らかだ。にもかかわらず、金融緩和による税収の増加に対しては否定的であり、とにかく、税金の「税率を引き上げる」ことに固執する。

金融緩和に否定的なため、インフレターゲット政策に関しては懐疑的だ。インフレターゲット政策は、インフレ目標、すなわち、現在であれば2%の消費者物価上昇率に到達するまで、金融緩和を拡大あるいは維持する考え方だが、金融緩和を重視していないのだから、当然、この政策に対して懐疑的になる。それどころか、「2%に到達しなくてもいいじゃないか」と、金融緩和の中止や中断を促し、出口戦略と称する「金融引き締め(世の中のおカネを減らそうとする政策)」の必要性に言及する。それは、あたかも、金融緩和による税収の自然増を阻止しようとする動きに見える。何としても、「税率」を上げることに固執するがゆえであろう。

だから、緊縮派にとって「消費増税は絶対」であり、「プライマリーバランスの黒字化は絶対目標」となる。当然ながら、プライマリーバランスを悪化させる「財政出動の増加」には強く反対するし、「国債の増加」にも反対する。彼らの行動は「税金の税率を引き上げて国民からカネをむしり、財政出動を抑制して国民に流れるおカネの量を減らし、ひたすら政府の負債を減らそうとする」に集約できる。

ところで、表にある「市中銀行の信用創造」とは何か?現在の通貨制度(準備預金制度)においては、世の中を流通しているおカネのほぼすべては、市中銀行からの借金によって作り出されている。この、「借金によっておカネが作り出される過程」を信用創造と呼ぶ。つまり、市中銀行からの借金によっておカネが作り出されるという現在の金融システムに対して、それを積極的に肯定するか、否定するか、という立場の違いが生じる。

ちなみに、緊縮派は市中銀行の信用創造については、あまり関心は示さないと思われる。彼らは金融緩和に否定的であるし、興味の中心は「増税」にあるからだ。

<リフレ派>

リフレ派の政策は、基本的に金利操作にある。銀行からの貸出金利を引き下げることで銀行からの貸し出しを増加し、投資を刺激し、世の中のおカネの量を増やす(あるいは循環を良くする)政策になる。実質金利という、実際には存在しない概念も導入するなど、あくまで金利操作に固執する。リフレ派は、世の中のおカネの量を直接増やそうとしない、という点に注目すべきじゃ。

リフレ派はインフレターゲットを重視している。というのも、リフレ派の重視する実質金利の概念を有効にするには「インフレ率が2%になります」と人々に信じ込ませる必要があるからじゃ。人々が「インフレになる」と信じることをインフレ予想という。もし、誰もインフレ率が2%なると信じなければ、実質金利という考え方が成立しない。だからインタゲは非常に重要になる。もちろん、インフレターゲットに達するまで金融緩和を行う、という指標として重要だ。

消費税の増税に関しては否定的だ。というのも、人々に「インフレになるぞ」と思い込ませたいにも関わらず、消費税を増税なんかしたら、人々のインフレ予想は消えてしまう。予想だけではく、現実的にもインフレ率(増税分を除く)は上がるどころか下がる可能性が大だし、そうなれば、リフレ政策の失敗は目に見えている。実際、2014年の消費増税によってリフレ政策は失速してしまった。

とはいえ、リフレ派はいわゆる「自由主義経済」の流れを汲むため、財政出動に関しては消極的であり、あくまでも「補助的手段」として、必要最低限の範囲で認めているだけじゃ。景気刺激策としては、その基本は金融緩和にあると考える。というのも、自由主義経済では、市場原理を重視するので、財政出動は市場(需要と供給の関係)をゆがめるから良くないと考えるからだ。

従ってリフレ派は、どちらかと言えば、財政収支の黒字化(プライマリーバランス)についても肯定的な考えを持つことになるのじゃよ。というのも、もし財政収支を拡大すれば、それだけ市場をゆがめることになるからじゃ。そのため、できるだけ税収を減らし、財政支出も減らし、政府が経済に関与しない「小さな政府」を指向する。

当然ながら、国債については、あまり増やしたくない。増やすことは、つまり、財政支出を増やすことに繋がりかねないからだ。

そして市中銀行の信用創造については、極めて積極的だ。というのも、リフレ派は世の中のおカネを増やすことをひとつの目標とするが、それはこの「市中銀行の信用創造」によって成されるからだ。リフレ派は直接に世の中のおカネを増やそうとはせず、あくまで、市中銀行からの借金の増加によって世の中のおカネを増やそうとする。

ただし、この方法だと、実体経済だけではなく、マネーゲームにも膨大なおカネを供給することになる。それがバブル経済を引き起こすリスクがあり、経済の不安定要因となる。

<MMT派>

MMTとは現代貨幣理論のことで、おカネの発行の仕組みについて正確に理解することを出発点とする考え方じゃ。間違っても「政府の借金を無限に増やしても良い」という考えではないw。MMTのおカネに関する考え方はまったく正しい。すなわち「現代のおカネは、ほぼすべてが銀行からの借金によって作られている」のじゃ。これがすなわち信用創造である。この場合の銀行とは、日銀も市中銀行も含まれる。

世の中のおカネがすべて銀行からの借金によって作られるのであれば、世の中のおカネの量を増やす、あるいは維持するためには、常に誰かが銀行から借金をしなくてはならない。では、いったい、誰が借金を負うべきなのか?それが問われるのはあまりに当然なのだが、驚くべきことに、それがこれまで真剣に論じられてこなかったのじゃ。アホみたいな話じゃなw。

つまり、政府の借金が増える理由も、現代のおカネのシステム(金融システム)に根本的な原因があることが明白なんじゃ。すなわち、経済規模が大きくなり、世の中のおカネの量が増えれば増えるほど、それだけ多くの借金を誰かが背負わねばならないシステムになっている。

であれば、政府の借金が増えるのは当たり前の現象だし、今日のように、民間が借金を引き受けたがらない時代になると、政府が借金を引き受けなければ、借金の引き受け手が不足して、経済が成長できなくなる。そのように考えるのがMMT派の考え方になる。だから、政府の借金は悪ではなくむしろ「善」となる。

そして、政府が借金しておカネを作り出し、それを財政支出すれば、世の中のおカネの量を直接に増やすことができる。この場合、貸出金利は関係ない。だからインフレ予想があろうがなかろうが、財政支出によって世の中のおカネを確実に増やすことができ、景気を活性化することができる。これは、デフレを脱却するための効果がリフレ政策よりも強いことを意味する。

とはいえ、無限に政府が借金を増やして無限に財政支出を拡大できるはずがない。実際には世の中のおカネの量が増えると消費が拡大して供給が追いつかなくなり(供給制約)、インフレが生じてくる。だからMMT派はインフレターゲットを重視し、その範囲内で財政支出の拡大をすべきだとする。

それらのことから、MMT派は国債の増大は問題としない。また、プライマリーバランスの黒字化が必要であるとも考えない。世の中おカネがすべて誰かの借金から出来ているのだから、むしろ、プライマリーバランスが赤字であることは当然となる。

市中銀行の信用創造については、中立的な立場にある。つまり、リフレ派のように、金利操作によって市中銀行の信用創造を活性化する必要はないが、民間銀行の信用創造に反対するわけでもない。銀行が国債を買えば、それで財政支出ができるからだ。

<政府通貨制度派>

政府通貨制度の考え方は、人によって違いがある。これが絶対という考えはない。自分が考えるところでは、MMTの考え方にとても近いと思う。というのも、「世の中のおカネはすべて銀行からの借金によって作り出されている」という点を認識するところからスタートしているからなんじゃ。

ただし、MMTは「世の中のおカネはすべて借金からできている」という事実を受け入れて、肯定し、それを前提として政策を組み立てようとするのに対して、政府通貨制度派は「世の中のおカネがすべて借金から作られるのはおかしい、おカネが借金である必要はないはずだ」という考えを持つ。

つまり「そもそも通貨発行権を持つはずの国民の代行者たる政府が、なぜ、わざわざ銀行から借金をしておカネを調達しなければならないのか。そして、銀行に国債の金利を払うために国民から税金を徴収するのか。借金をせずに通貨を発行すれば良いではないか。」と考えるのが、政府通貨制度の考え方になる。

つまり、MMTが国債を発行しておカネを作り出すのに対して、政府通貨制度では、おカネを発行しておカネを作り出すのである。一見すると違うように見えるが、「政府がおカネを作り出す」という意味においてはMMTも政府通貨制度も同じである。

そして、政策としては基本的にMMTの考えに近い。例えば政府通貨制度派は、財政出動には積極的である。なぜなら、世の中のおカネを増やすには、財政出動を行う必要があるからじゃ。民間銀行が勝手におカネを増やすことはできないので、おカネを増やすには政府がおカネを発行するしかない。

例えば、現在の日本のおカネ(M1+M2)はおよそ1000兆円であり、これを年間5%のペースで増やすとすれば、年間50兆円のおカネを発行し、これを財政支出として世の中に供給する必要がある。この50兆円が歳入に加えられるのだから、これまでの税収を加えれば、国債を1円も発行せずに100兆円の財政支出がラクラクできる。年金や社会保障の財源問題など、たちどころに解決する。

とはいえ、MMTの場合と同じく、無限におカネを発行して供給すれば高インフレを招く恐れがあるため、通貨の供給量はインフレターゲットの範囲内でコントロールする必要がある。

政府通貨制度の場合、国債を発行する必要がないため、国民が国債の金利を負担する必要はない。そのため、金利負担の軽減分だけ、より多くの財政支出が可能となる。また国債を発行しないのだから、財政が破綻するリスクは、まったくない。よって、消費税の増税の必要はない。

また、歳入が不足しても、不足分は通貨発行で賄われるのだから、プライマリーバランス(財政収支)という概念そのものが存在しない。ただし高インフレにならないように、財政支出の総額はインフレターゲットによって、毎年、見直される必要があることは言うまでもない。

なお、どのような分野に財政支出を行うか、という点については、様々な議論があってよいと思う。自由主義的な立場であれば、ベーシックインカムのような給付金として国民に支給する方が市場を歪める恐れはないが、一方、教育・科学振興や国土強靭化もまた重要であるから、そうした分野への支出も検討されるべきだろうと思う。

<MMTと政府通貨制度の違い>

非常に似ているMMTと政府通貨制度の考え方じゃが、一つ、大きな違いがある。それは、民間銀行の信用創造に対する考え方の違いじゃ。

政府通貨制度の最も大きな特徴は、世の中のおカネは「すべて政府が発行する」ことにある。今日の準備預金制度のように、民間銀行が勝手におカネを作り出すことは禁止される。つまり、政府通貨制度においては、民間銀行の信用創造を停止する。

一方、MMTの場合、民間の信用創造を禁止しない。これはリスクの原因になると考えられる。一つは、主流派がさかんに主張する「MMTはハイパーインフレになる」というものじゃ。というのも、インフレターゲットで世の中のおカネの供給量をコントロールしたとしても、もし、民間銀行の信用創造を放置していたなら、景気過熱に伴って、民間銀行の信用創造が暴走を始めるリスクがある。そうなったら、財政支出を抑えても、民間銀行からのおカネの供給が止まらなくなり、ハイパーインフレに至る恐れもある。

そうした場合、金利を引き上げて信用創造を抑制するという方法もあるが、そもそも金利による通貨供給は非常に不安定で崩壊し易い。バブル崩壊がその例だ。市場が連鎖的に反応するため、暴落、暴騰がおきやすい。金利の引き上げが、経済を混乱させてしまう恐れもある。従って、本来であれば、MMTにおいても、民間銀行の信用創造を停止した上で、政府支出による通貨供給を行う方が、より安定的な経済運営が可能になるはずだ。

また、民間銀行の信用創造を停止することで、主流派がMMTを批判する「インフレが止まらなくなる」という指摘を完全に封じることができる。なぜなら、政府だけがおカネを発行するのであれば、世の中のおカネの量をコントロールすることが容易になるし、勝手におカネが増え続けるといった心配が一切ないからだ。

また、民間の信用創造はバブルとバブル崩壊の主たる原因であるため、MMT政策に伴う財政出動によって景気が過熱すると、資産バブルを引き起こすリスクがある。バブルとバブル崩壊は経済を不安定化させ、人々の生活に多大な悪影響を生じる。政府が国債を発行することでおカネを供給できるのだから、あえて民間銀行の恣意的な信用創造を認める必要はない。

国債は日銀がすべて引き受ければ良い。国債の日銀引受は通貨の発行そのものである。そして、民間銀行の信用創造を禁じることで、バブルとバブル崩壊に伴う経済の混乱を根本的に解決することができる。

と思うのじゃが、なぜか、彼らはそう考えていないようだ。

このように、民間銀行の信用創造に対する考え方において、MMT派と政府通貨派には大きな違いがあるものの、それ以外の部分においては、共通点が多いと思うのじゃ。

(ねこ)
う~ん、やっぱりむずかしいにゃ。でも、なんとなくわかった気もするにゃ。

(じいちゃん)
そうじゃな、今回は各派の違いを比較する記事なので、各派についてさらに突っ込んだ解説は行わなかった。より深い理解のためには、それぞれの派閥の考えを掘り下げる必要はあるじゃろうと思う。まあ、あまり長い記事だと読み飽きてしまうだろうから、このへんにしようと思うのじゃ。

(サイトに同時掲載)



2019年8月12日月曜日

「一億・総公務員社会」を実施せよ

一億・総活躍社会なんてやめて、「一億・総公務員社会」を実現したほうがいいと思います。そして公務員には、もれなく基本給を支給するわけです。これでデフレ脱却間違いなしw。

「一億・総公務員社会」では、とりあえず、日本国民全員を国家公務員として雇用します。赤ん坊から高齢者まで、1人残らず雇用するので、完全雇用まちがいなしですわ(あたりまえ)。名称は「基本公務員」とか適当につける。日本国民はすべて基本公務員。それで、すべての基本公務員に基本給を支給するのです。

現時点で、普通の会社に勤めている人はどうするのか?基本公務員が政府から「派遣されている」ということにします。政府派遣事業w。泣く子も黙る派遣労働w。でもマージンをはとらない。なにせ、国民はもれなく税金を国に払っているわけだから、それがマージンみたいなもの。そして今までの会社の給料に、基本公務員としての基本給が上乗せされるわけです。

現時点で公務員の人は、やはり公務員なんですが、「格が上がります」。クラスアップですわw。といっても、名称を「正規公務員」とかなんとかにするだけですね。そして、いままでの給料に、基本給が上乗せ。

こうして、すべての国民を公務員化することで、全国民の所得が増えるわけ。といっても、基本公務員の基本給として、いきなり法定の最低賃金の額を払えるかというと、さすがにそうはいかないので、例えば「基本給=毎月5万円」くらいの支給からスタートするわけです。

無職のヤツにカネを配るな、という緊縮脳の人がいるので、全国民を公務員として雇用してしまえば問題ないでしょうw。無職の人はいなくなりますし、国民におカネが行き渡るので、デフレ脱却間違いナシですよ。

基本公務員の仕事は何かって?それは、「きちんと生活すること」です。犯罪を犯さず、ルールを守って、みんな仲良く生活するのが仕事です。あるいは選挙に行って投票する、地域の活動に参加する、ゴミをポイ捨てしない。それって、結構大変なのです。実際、出来ない人がおおいですよねw


みんなが気持ちよく生活できる社会にすること、それが基本公務員の大切な仕事です。

2019年7月29日月曜日

「財源の裏づけ」は要らない

政治家や評論家が、したり顔で「野党の政策には財源が無い」と批判することが、しばしばある。しかし「財源が無い」はナンセンスな批判に過ぎません。

経済の本質はカネではありません。財(モノやサービス)を生産し、市場を通じて分配する活動そのものが経済の本質です。カネはそのときに利用されるツールの一つに過ぎず、そもそも、カネそのものには、何の価値も無いのです。なぜなら、もし財が生産されなくなったら、カネなど、まったく無意味な存在に過ぎないからです。

それが理解されるなら、「おカネが無い」という意味での「財源」(通貨の調達)は、本質的な問題ではないことが理解できます。おカネは必要に応じて、いつでも、簡単に発行することができるからです。おカネが足りないなら、発行すれば良い。もちろん、おカネの発行量にもルールは必要ですが、原則的には、必要に応じて発行すれば良いだけですから、超カンタンです。

一方、「財(モノやサービス)」が足りない場合は、簡単ではありません。おカネは指先一つでポンポン増やせますが、財を生産するためには、技術、生産設備や資源、労働力などが必要になるため、もし、財が不足すれば、その供給を増やすことは容易ではありません。教育や学問研究に対する投資、生産設備に対する投資、インフラなど、社会の生産基盤全体を底上げする必要があり、時間も必要です。

ですから、本質的に言えば、もっとも重要な点は「財の供給力」であり、カネの問題など「どうにでもなる」のです。

そして、財の供給力が十分にあるのであれば、それを余すところなく、市場で分配すれば、人々の生活は向上します。ところが、今、日本を低迷させているデフレとは、せっかく生産された財を「余してしまう」あるいは、「供給力を100%発揮せずに、ぶらぶらしている」ような状態のことです。これは、実にムダな話です。

しかも、ムダだけでは済まされない危険性も孕んでいます。もし、デフレの状態が長く続けば、社会の生産基盤全体に対する投資が低迷することになるからです。企業の売り上げが伸びず、おカネが無いため、教育や学問研究、設備投資、人への投資が低迷します。税収も減るため、公共投資も落ち込みます。すると、社会全体の供給能力がどんどん低下して、やがて必要な財を供給できなくなる恐れがあるからです。もちろん、世界経済の進化にも、日本だけが取り残されることになります。

では、なぜデフレなのか?生産された財を市場で交換するためのおカネが不足している、つまり、「人々におカネがないから、財を買えない」状況が生じているわけです。

であれば、解決は極めて簡単です。財の供給力は十分にあって、カネが足りないだけなら、単にカネをポンと発行し、それを国民(消費者)に分配すれば良いだけです。財が足りないなら大変ですが、カネが足りないだけなら、簡単です。すべての国民に、例えば毎月1万円(年間12万円)を給付すれば良いのです。

給付金の話をすると、必ず出てくるのが「財源が無い」というセリフですが、すでにご説明したとおり、この批判にはまったく意味がありません。カネが足りなければ、発行できるのですから。そして、日本の供給力は十分にあるのであり、しかも、デフレを脱すれば企業の投資が増え始めるため、供給力はさらに増加し、経済は成長軌道へと回復するのです。

「財源がない」は、理由にならない。「財源がない」は、子供だましの理屈に過ぎないのです。