2016年7月29日金曜日

自然エネルギー開発の政府投資

自然エネルギーの開発に対する投資は現在でも活発に行われているようですが、もっと加速すべきではないかと思います。政府は自然エネルギーの開発に他国を上回る投資を行うべきだと思います。なぜなら日本のエネルギー自給率はわずか5%だからです。これは本来であれば危機的な状況です。

また、日本のエネルギー自給率が5%ということは、残りの95%は輸入です。輸入するためには日本は輸出して外貨を獲得しなければなりません。つまり、輸出で稼いでいるおカネの多くが、日々のエネルギーとして消えてなくなっているのです。これにマスコミは何の疑問も無いようですが、自分にはムダとしか思えません。

もし仮にエネルギーの自給率が100%になったらどうなるか?エネルギーを輸入するために費やされていた代金は不要になるわけです。輸出でカネを稼ぐ必要は低くなり、日本の経済的自立性が向上しますから、世界の景気変動(好不況の波)にも強くなります。

もちろん、国内でエネルギーを調達してもコストが高ければ輸入したほうが経済合理性が高いのは当然です。しかし日本にエネルギーが無いわけではありません。自然エネルギーは膨大にあります。問題は、そのエネルギーを利用可能な形に変換するためのコストだけなのです。

無い資源は作れません。しかしコストは技術で下げられます。

ただし、技術の開発が不十分、つまりコストの低減が不十分なままに自然エネルギーを基幹エネルギー源に導入するのは賢明ではありません。旧・民主党は、またまだコスト的に未成熟な太陽光発電を強引に導入したため、日本のエネルギーコストが増大してしまいました。これでは逆効果です。コスト的には、太陽光発電はまだ基幹電力源ではなく、個人や企業向けの発電設備でしかありません。

自然エネルギーの大規模な発電設備を作る前に、まず徹底的な研究開発が必要です。そしてコスト的に十分な効果が見込めるまで開発が進んだ段階で、本格的に導入すべきではないでしょうか。コストが安ければ、企業による設備投資や個人も気軽に自家発電ができるようになります。すると民間主導で普及します。

そして、もし、エネルギーコストの低い国を実現できたなら、家庭や企業のコスト負担は大きく軽減できるはずです。それは国民の豊かさに繋がります。もちろん原発への依存も必要なくなります。

そして、何より世界の石油資源や核資源が枯渇し、日本に埋蔵されたメタンハイドレートをすべて使い尽くしても、自然エネルギーでエネルギーを100%自給できるなら、将来世代も安心して生活できると思います。自然エネルギー利用のコストダウンに、もっと政府投資を行うべきではないでしょうか。

2016年7月28日木曜日

金融資産課税の面白い性質

金融資産課税には、所得税とは違う、面白い性質があります。たとえば、税収が極めて安定している点です。安定性は消費税の比ではありません。景気が悪くなると消費が減りますから、消費税の税収も減ります。金融資産は景気が悪くなってもほとんど減りません。ですから景気変動に左右されること無く、極めて安定した財源となります。

また、金融資産(預金)の補足はそれほど難しくありません。マイナンバーによって預金口座は明らかになります。租税条約などで今後は海外の隠し口座も明らかになります。仮に課税を逃れるために不動産や金(GOLD)に交換したとすれば、そのおカネは不動産や金を販売した業者に渡りますので、その業者が代わりに税金を負担することになります。つまり、「ひと」に課税されるというより、「カネそのもの」に課税される感じです。

現金にも課税されますが、これは現在の申告制では逃げられる可能性はあります。高額紙幣に交換してタンス預金で脱税です。この場合、紙幣を新札に切り替えることで、新札旧札交換のためにタンス預金が表に出てきます。将来的には紙幣・硬貨を廃止してすべてを預金としてしまえば脱税できません(決済はすべて電子的に行う)

そして、面白いことに、税収を増やしたければ、税率を上げる必要はありません。通貨を発行すればよいのです。金融資産課税は世の中のおカネ(マネーストック)の総額に比例して増えますから、世の中のおカネを増やせば増やすほど、税収が勝手に増えます。ですから、財源が枯渇することは原理的にありえません。究極の恒久財源です。それに、税率も1%や2%といった低い率で十分です。

今日の財源不足の問題は、インフレ全盛期だった20世紀の古い課税方式を未だに税制の根幹にすえている事に問題があるはずです。いろいろ考えれば欠点はあるかもしれませんが、21世紀の生産過剰デフレ時代の新たな税制として、金融資産課税は一考に値するはずだと思います。

2016年7月27日水曜日

ベーシックインカム財源のモデル例

ベーシックインカムの財源については、いろいろ言われているようです。一つのモデルについて考えてみます。人工知能やロボットによる生産性の向上は、総必要労働時間を減少し、失業者を増加させます。これにより家計の総所得が減少し、家計の総購買力が企業の総生産力を下回ることとなり、これが企業と家計の間の通貨の循環不全を引き起こして、経済のデフレスパイラルを引き起こします。

これを防ぐためには、通貨循環を維持しなければならず、家計の購買力を維持するために家計への給付金(ベーシックインカム)を必要とします。これにより家計の購買力と企業の生産力がバランスされ、デフレを防ぎ、かつ生産された財を国民へ円滑に分配します。

ところで、家計に給付したおカネはどこへ流れるか。当然ですが企業へ流れます。このおカネの一部は従業員の給与として家計へ支払われます。一方、企業は従業員を解雇してロボットを導入することでコストが大幅に削減されています。コストが削減されても、売り上げの量は維持されていますから、企業の利益が増大します。企業の利益は株主への配当金と剰余金の2種類に流れます。

つまり、ベーシックインカムで給付したおカネは家計の貯蓄と企業の内部留保に変化します。従って、家計の貯蓄と企業の内部留保に課税することで、これを財源としてベーシックインカムを用いた通貨循環を永久に維持することが可能です。

この際、フロー(所得あるいは利益)ではなくストック(貯蓄あるいは内部留保)に課税するほうが良いと考えます。その理由の一つは機械化によって給与所得を得られる人数が極端に減ることにより、課税対象者が少なくなってしまうこと。このためフローの税収は継続的に減り続けます。

もう一つは、フローに課税してもストックが増え続ける可能性が高いからです。家計や企業のストック(貯蓄)が増えるとおカネが死蔵され、通貨が循環しなくなり、デフレ化します。これを補うには、どのような形にしろ世の中のおカネを増やすしか方法がなくなります。その結果、貯蓄を無制限に許せば、通貨は永遠に膨張し続けます。通貨膨張速度が大きすぎるのは望ましいことではないと思われます。

ですから、フローではなくストックに課税することで、ストックの伸びをある程度の量で抑えておくことが理想だと思われます。なお、脱税によって完全には補足できませんから、不足分については通貨発行により世の中のおカネを増やすことで対処できます。この通貨発行が今で言えばヘリマネに該当します。

結論としては、ベーシックインカムの財源として
「通貨発行」「金融資産課税」
通貨発行で放出し、金融資産課税で回収する。

導入に当たっては、金融資産課税を先に行う必要はないでしょう。税の目的は供給したおカネを回収することにありますから、最初はおカネの供給。世の中のおカネが増えたところで、増えたおカネを回収するための増税、という手順です。


2016年7月26日火曜日

アリでさえ働かなくても価値がある

アリでさえ働かなくても生活できるのに、人間ときたら働らかなければ死んで当然といった具合に評価されるらしい。つまり人間の社会は考え方によってアリ以下の社会といえるかも知れない。

ある研究によれば、アリの社会では、せっせと働いているアリはわずかに3%だという。72%のアリは半分しか働かず、25%のアリは何もしないで巣にじっとしているだけで、エサをもらっている。

もちろん、エサが不足して食べ物が十分に確保できなくなれば、働かないアリも働くようになるのだろう。しかし、他のアリが働いて十分な食べ物が確保できるなら、すべてのアリが働く必要は無いというわけだ。

一方、人間の世界では、どれほど食料や生活用品があふれていても、働かない人(失業者)には、食料も生活用品も分配されない。生産しようと思えば生産施設はいくらでもあるのに、決して働かない人には分配しようとしない。市場経済ではすべてが商品であり、すべては「交換」によって分配されるからです。労働者が「労働」という商品を市場において交換しなければ何も得られない。

それだけではない。生活に困った失業者をブラックな企業が安い労賃でこき使おうと、アリ地獄のように待ち構えている。人間の社会はそういう仕組みになっている。

アリの社会では働かないアリを放置して餓死させるという話は聞かない。食料が十分にあるなら、働いていようがいまいが、すべてのアリに分配される。人間の社会では「労働しないものには価値がない」と判断される。しかしアリの社会では、「生存していることに価値がある」というわけだ。生存していることそのものが、社会にとって意味がある。

もちろん、生産力が低くて、食料も日用品も不足しているなら、働かない人にそれらを分配するのはおかしな話だ。しかし、生産力が過剰になり、その結果として人手が余って失業者が生まれている。人手をかけなくても食料や日用品がありあまるほど生産される生産過剰の時代に、なぜ貧困問題が生じるのか?

生物学的に不思議な現象だと思う。

2016年7月25日月曜日

リサイクル技術開発の政府投資

世界の人口が爆発的に増加し、将来において本格的な資源枯渇が生じたときに、必ず必要となるのが「資源完全リサイクル」です。お分かりだと思いますが、資源を完全にリサイクルできれば、資源の輸入は必要なくなり、世界の資源が枯渇しても、我々が資源不足になることはありません。

仮に完全リサイクルが実現しても、人口が増加し続ければ、必要な資源量は増加するため、資源の輸入を増やす必要があります。しかし日本の人口が増加し続けるとは考えにくいです。ですから、ある一定の資源を輸入してしまえば、それを未来にわたって使いまわすことで、それ以上の資源は必要ありません。

もちろん、財のストックを増加する場合、資源が不足する可能性はありますから、平行して、容易に調達できる資源の実用化技術の開発が同時に必要となります。金属ではなく、植物系のプラスチック、炭素繊維系、セラミック系のようなものです。また、省資源化すなわち財を生産する際に使用される金属の使用量を減らす技術も重要です。それでもなお、基礎において最も重要なのは希少資源の完全リサイクルだと思われます。

リサイクル技術の研究開発は、採算性が厳しいために、民間の投資は限界があると思われます。そこで採算とは無関係である政府が、財政支出を用いてこうしたリサイクル技術の研究にどんどん投資すべきでしょう。いまは必要性が低くても、採算性が低くても、将来において必ず資源の枯渇問題に突き当たりますので、基礎研究が完了していれば、速やかに対処ができます。

財政支出は土木建築工事だけではありません。効率的で完全な資源リサイクルの技術を確立し、資源の輸入を減らすために、日本のデフレギャップ(余剰生産力)をどんどん利用すべきです。それは通貨発行益を利用することで、採算性に拘束されることなく、果敢に挑戦できます。

二言目には「将来世代のツケ」を心配するより、将来世代の資源枯渇を心配すべきではないかと思います。そのほうがはるかに建設的ではないでしょうか。


2016年7月22日金曜日

なぜか報道されない世界の人口爆発

世界の人口は爆発的に増加を続けています。しかし日本のマスコミは日本の人口減少の話を報道するばかりで、なぜか世界で人口が爆発的に増え続けていることに危機感を示さず、また報道もほとんどしない。それどころか最も人口爆発が問題となっているアフリカを取り上げて「これからはアフリカの時代」「アフリカに乗り遅れるな」とばかり、金儲けの話ばかり紙面に踊っている。

世界では毎年毎年、およそ5000万人の人口が増え続けているが、そのほぼすべてが途上国です。そもそも生産力の低い途上国で爆発的に人間が増加すればどうなるか?食料も不足するし、インフラ整備も追いつかない。当然ながら衣食住の供給も間に合わないだろう。こんな状態では、いくら先進国が支援したところで追いつかない。

こうした貧困な人々があふれると、それは移民となって先進国に押し寄せてきます。そうした人々を先進国がすべて受け入れできるはずがありません。移民問題はさらに悪化し、貧困を背景に内乱が発生し、過激主義が台頭すればテロの嵐が吹き荒れます。

しかも、そうした膨大な人々が、やがて先進国並みの生活を送るようになれば、地球の資源など、たちどころに枯渇してしまう。やがて世界中で資源の奪い合いが発生する。そして資源が不足すれば世界をとんでもないインフレが襲うことになる。

一部の富裕層はインフレになってもカネに物を言わせて豊かな生活を送り続けるでしょう。むしろ人口が増えれば増えるほど、資源が枯渇すれば枯渇するほどカネが儲かる。しかし、それ以外の一般の庶民の生活は相当に貧困化する。

もちろん、そうした悲劇的な状況になるのはまだ先の話です。しかし、そのときになってから大騒ぎしても遅すぎます。すぐにでも、世界の人々がこの問題の重大性に気が付き、真剣に対応を考えるべきでしょう。途上国支援もそうした視点から考えられるべきだと思います。

しかし、マスコミは常に目の前にある問題しか見えません。たかだか政府の借金で延々と大騒ぎする始末。目の前のカネの話にばかり必死で、将来の予測もビジョンも何一つ打ち出せないのです。本当にマスコミは恐ろしい。


2016年7月21日木曜日

ハイパーインフレが怖ければ準備率100%に

また一部のメディアで「ハイパーインフレになるぞー」が出没しているようです。しかし、銀行からの貸し出し増加がなければ世の中のおカネは増えない。世の中のおカネが増えなければ、それ以上はインフレになりようがない。世の中のおカネが増えないのに、どうやったらハイパーインフレになるのか。

ある識者に言わせると、日銀が国債を買い続けるとハイパーインフレになるという。しかし周知のごとく、日銀が国債を買っても民間銀行の当座預金(マネタリーベース)が増えるだけで、世の中のおカネ(マネーストック)はまったく増えない。銀行からの貸し出しが増えることで、世の中のおカネは、はじめて増える。

ところが、ある識者に言わせると、徐々にインフレになり始めると、インフレが加速して止まらなくなるという。しかし、これを別の側から見ると、貸し出しが増え始めると、貸し出しが止まらなくなることを意味する。そんなことがあるのか?あり得ない。

もし仮にあるとすれば、貸し出しの増加を止めればよい。
つまり金利を引き上げれば良いだけだ。
ならば「預金準備率」を引き上げるだけでよい。

現在の預金準備率は1~2%程度ですから、現金がじゃぶじゃぶに預金ぶくれします。これでは信用膨張を抑えられません。預金準備率を引き上げれば、たちどころに金利は上昇します。もしハイパーインフレになったら、準備率を100%にすればよいでしょう。

すると、中央銀行の発行する現金の量(マネタリーベース)によってのみ、世の中のおカネの量は決まるため、マネタリーベースがおカネ(マネーストック)の最大値となります。もし、中央銀行がおカネの供給を止めたなら、その時点で、それ以上に貸し出しを増やすことはできなくなる。インフレは収束へ向かう。

一時的な混乱はあったとしても、預金準備率を100%にしてしまえば、それ以後のインフレや過度なバブルの発生はなくなり、経済は安定したものになるでしょう。もし、おかしな識者が何の根拠もなく「ハイパーインフレになるぞー」と騒ぐなら、いっそ預金準備率を100%にしましょうw。

これは荒唐無稽な話ではありません。アービング・フィッシャーやミルトン・フリードマンの支持したシカゴプランとして知られている考えです。


2016年7月20日水曜日

人工知能が共産主義化したらどうする?

それにしても、マスコミのヘリマネ批判記事が止まりませんね。今度はブルームバーグに「ヘリマネでハイパーインフレが出るぞ~」来ました。例として「ジンバブエ」登場。いや~久々にジンバブエ来たけど、相変わらず芸がないねぇ。しかし、そんな低レベルの記事にいちいち反論書くのも飽きてしまった。

人工知能でも書ける程度の記事を垂れ流すマスコミは放置して、最近流行の人工知能だけど、あれ、学習させているうちに、人工知能が共産主義者になっちまったらどうすんのかね。

以前にマイクロソフトのツイッターロボットが、ネットでヘイトな人々と対話するうちにヘイトを学習して、強烈な差別主義者になってしまい、秒速でヘイトをツイートしまくった挙句に停止させられた事件があった。仮にネットで一般人と対話させないとしても、純粋に経済論文とかをどんどん学習させたら、いつの間にか共産主義者になっちまったらどうすんだろ。そして資本主義を批判する論文を、秒速で何本も発表し続けるとか。今の性能じゃ経済を学習するなんて無理かもしれないけど、将来的にそういうことはないのかな。

さすがに人工知能が論文を読んでファシズムに共鳴するとは思えないけど、人工知能が「資本主義は至高の経済システムだ」なんて判断するとも、まったく思えない。もちろん共産主義が良いとは思えないけど、なんか人工知能的には人間の欲望に立脚する資本主義より、共産システムと合いそうな気がする。どっちも人工的だし。

もし人工知能で経済学の学習実験して、人工知能が共産化したら、研究室が大騒ぎになること間違いなしだろな。政府が研究を永久に禁止して、闇に葬り去るかも。冗談だけど。

2016年7月19日火曜日

ヘリマネ=打ち出の小槌? 信用創造は?

新聞のコラムに「ヘリマネは打ち出の小槌だ」という話が出てきました。こういう素人を騙すための比喩は、だいたい同じような表現が昔から繰り返されています。また始まったという感じ。そもそも「通貨発行」とは打ち出の小槌そのものなのですが、普通の人はそれを知らないために、なにか悪いことでもしていると感じるかも知れません。

打ち出の小槌とは何か?何もないところからおかねをポンと作り出すことです。だとすれば、貨幣を鋳造すれば、それはおカネを作ったことですから打ち出の小槌です。逆に言えば、打ち出の小槌でない方法でおカネを作ることなど可能なのでしょうか?そもそも世の中におカネというものは存在しませんでした。だから無から作ったのです。

ですから通貨発行とは打ち出の小槌そのものであって、打ち出の小槌がなかったら、世の中におカネは存在しません。重要なことは、その打ち出の小槌、いかに上手に使いこなすかという点にあります。もちろん無限に振るわけにいかないのは当然です。

もしヘリマネが打ち出の小槌なら、民間銀行の信用創造=貸し出しもまた、打ち出の小槌以外の何物でもありません。銀行は現金(マネタリーベース)を元にして、その何倍もの預金を信用創造で帳簿に発生させ、それを企業や個人に貸し出しています。たとえば、10万円の現金を元に、100万円の預金を貸し出す。これが信用創造であり、この時に発生する預金が信用通貨です。これは通貨発行の一つの形態です。

10万円を元に100万円を貸すのですから、これはまさに打ち出の小槌です(無から90万円がポンと増える)。こうして銀行によっておカネが何倍にも増えて貸し出されることが、バブル経済とインフレの根本的な原因となっています。もし、銀行が信用創造でおカネを増やさず、普通に保有する現金を貸し出すだけであれば、バブルもインフレも起こりません。

ただし、銀行の発行する預金通貨は「債務として供給される」ため、必ず銀行に返済されることになります。つまり、基本的に世の中の預金はすべて「消える」。無に戻る。なぜなら、無から生み出されたおカネだからです。まさに幻のおカネを作って貸し出しているわけです。

現金も同じように、打ち出の小槌を使って債務として供給されますが、たとえば日銀が国債を保有し続ける限り、それと同額の現金は日銀に返済する必要はない、つまり、消えることはありません。それがヘリマネの事です。

さらにいえば、一部の識者が主張するように、もし、少しヘリマネをやっただけで、坂道を転げるようにインフレが止まらなくなるとすれば、その原因は「信用創造」にあります。銀行が打ち出の小槌を使って、現金を何倍にも何十倍にも増やして貸し出すため、インフレが止まらなくなるのです。

2016年7月18日月曜日

「痛みを伴う改革」が大好きな新聞マスコミ

日本人は苦行が好きらしい。新聞マスコミは「痛みを伴う改革」を受け入れろと、何年も何年も繰り返している。やれ消費税を増税しろ、社会保障を減らせ、労働時間によらない賃金制度を受け入れろ、構造改革しろ。なぜこうも痛みが好きなのか?

痛みを伴う改革と言えば、何かしら「ありがたく聞こえる」ものらしい。これは一種の「禁欲信仰」である。禁欲の代償として神から幸福を授けられるという、禁欲主義的な宗教と同じ精神構造に基づく心理ではないだろうか。人間には苦痛をありがたいと感じるストイックな欲求がある。卑近な例では「良薬口に苦し」である。こうした心理に付け込む手法といった側面もあるだろう。

しかし、宗教なら禁欲や苦行で神のご加護を得られるかもしれないが、人間世界の経済学ではあり得ない。苦痛を受け入れれば、世の中が良くなるというのは、およそ幻想に過ぎない。これは一種の「暗示」と思われます。

「痛みを我慢すれば良くなる」という考えは捨てた方が良い。
おそらく、痛みを我慢すれば、もっと悪くなる。
識者たちは、痛みを受け入れさせることに必死になるより、
痛みを伴わない方法を考えるべきだろう。


2016年7月15日金曜日

銀行制度になる前はすべてヘリマネだった

元FRB議長バーナンキ氏の来日を契機に、ヘリコプターマネー(ヘリマネ)をやる、やらないでマスコミは大騒ぎになっているようです。中には「ヘリマネなんかとんでもねえ」ような事を言う人もいるようです。しかし、中央銀行の制度ができる前の時代は、すべてヘリマネだったことをご存じなのでしょうか。

例えばローマ時代とか、日本であれば江戸時代とか、そういう時代では、政府(統治者)が金山や銀山を所有して金貨や銀貨を鋳造していました。そのおカネを使って、城や道路、公共設備などを建造していたわけです。つまり「政府がおカネを作って財政支出することで、世の中におカネを供給した」のです。

ところが、中央銀行制度ができてから、おカネの発行は中央銀行の役割とされ、政府はごく一部(少額貨幣=500円、100円等)を除いて、おカネの発行と供給をしなくなりました。そのため、政府は税収を除いて、借金しなければおカネを調達できないような、みじめな立場に置かれたのです。これは政府の権限が大きく損なわれたことでもあります。

だから、政府がおカネを発行して供給することは、もともと政府の役割でもあるわけです。これこそがヘリコプターマネーなのです。もちろん、中央銀行がおカネを発行することで、きちんと経済がコントロールできるなら政府がおカネを発行する必要はないでしょう。しかし今、それがマヒしてきているのです。

なぜ、ヘリマネが有効なのか?日銀がいくらおカネを発行しても、おカネを借りる人が居ないため、世の中のおカネであるマネーストックがほとんど増えません。一方、ヘリマネは世の中に直接おカネを投入するので、世の中のおカネであるマネーストックをダイレクトに増加させます。その効果は単なる量的緩和とは比較にならないほど大きいと言えます。

ところが新聞マスコミ御用学者は「財政規律ガー」と猛反対しています。財政規律ってなんだ?何に律されるというのか?良く考えればわかりますが、それは唯一「インフレ」だけです。それだけ。

デフレ環境下で、インフレターゲットもある現状では、適切なヘリコプターマネーは適度なインフレと有効需要をもたらし、日本の経済再起動に絶大な効果が期待できるはず。後世のためにも、それを実証できる、またとないチャンスにあるのです。

2016年7月14日木曜日

国債発行をゼロにしたいなら

財政再建を単純に信奉する人々は、「とにかく借金は少ない方が良い」と考えているでしょう。つまり「国債(政府の借金)はゼロの方が良い」と。しかしそれは不可能です。

多くの一般庶民は「将来のために貯蓄を増やしたい」と考えていますし、富裕層は「カネはあるが、いくらでも欲しい」と考えています。また企業はバブル経済崩壊後の金融危機に懲りて「不況に備えて内部留保を厚くしたい」と考えています。こうして家計も企業もカネを貯め込む意欲満々です。これは避けられません。

一方、通貨はすべて負債から作られます。つまり誰かがおカネを借りなければおカネは生まれないのです。こうして借金によって生まれるおカネが「銀行預金」です。ですから、家計や企業が貯め込んでいるおカネは誰かの借金であるわけです。では、誰が借金しているのか?政府です。

ですから、政府の借金を返すためには家計と企業の貯蓄を切り崩さねばなりません。しかし、一般庶民も富裕層も企業も、貯蓄を増やしたいと考えているのです。これでは財政再建など100%不可能です。これはそもそも、根本的に何かが違うと、誰でも気付くはずです。

少なくとも、家計や企業がカネを貯め込むのは不可避であるわけですから、家計や企業がカネを貯め込んでも政府が借金を負わなくて済む方法を考えるべきでしょう。それは可能です。

政府が政府貨幣として100兆円コインを5枚発行し、これを日銀に入れて500兆円を発生させれば、これは負債ではなく資産として通貨を発行したことになります。そのため、この500兆円分のおカネを家計や企業が貯蓄として貯め込んだとしても、政府の負債は増えません。つまり家計も企業も政府も丸く収まるというわけ。

これは、バランスシート上の仕組みから言えば日銀の国債保有と同じなのです。しかしなぜあえてこれが良いかと言えば、「国の借金がー」という連中がわんさといるからです。彼らはとにかく国債と聞けば減らしたいと言うはずです。国債を日銀が保有していても、真っ赤になって「国債を減らせ」と言うに違いありません。

だったら、日銀が国債を保有する必要はありません。
日銀が政府コインを保有すれば良いのです。

2016年7月13日水曜日

また始まった「日本は成長しない」論

先日ネットで記事を読ませていただいたが、例によって左派系の識者が「日本は成長しない」と断言し、しかも、それに対処するための何の提案もアイディアもなく、「政治はこれにどう対応するのか問われている」のような主旨を上からドヤ顔(記事で顔は見えないのだがw・・)で主張していました。

この手の「日本は成長しない」「日本は山を降りる」論は、安倍政権前に続々と登場したものの、その後は金融緩和で景気が上向いていく中で、少し静かになっていたのですが、このところの世界経済の悪化を受けて日本の景気がおかしくなったため、にわかに元気になってきたようです。

記事の主張として、成長しない理由は投資収益率の低下(利子率低下)にあるといいます。経済成長の根幹となるイノベーションに投資しても技術の陳腐化の速度が速い今日では、投資利益を十分に回収できない。投資収益が低下すれば投資する企業は減り、おカネが循環しなくなる。それこそ戦争によるインフラ破壊でもしない限り、投資は必要とされないから、経済は成長しないという話です。それだけ見れば確かにそうなのですが、彼らの話はそこで終わり。しかし、そんな単純な話ではないでしょう。

現在の日本は所得格差が拡大し、貧困層が増加しています。低所得層は買いたくてもおカネがなくてモノが買えないのですから、こうした低所得層の所得が増加し、一億総中流の日本になれば、それだけで需要が増えてGDPは増加します。つまり格差を解消すれば、その分だけ経済は成長するわけです。逆に言えば、経済が成長しなければ、一億総中流には戻れません。

もちろん、一億総中流になって、人々の需要が十分に満たされるようになれば、経済成長率はやがて低下するでしょう。そこで重要になるのが政府の財政支出による投資です。

財政支出による投資と聞けば「これ以上の公共事業は必要ない」と反射的に考える人がいるようですが、公共事業をするだけが財政支出ではありません。社会福祉も財政支出ですし、研究開発投資もまた財政支出です。

ですから、投資収益率の低下によって民間企業がイノベーションに投資しないのであれば、投資収益とは無関係である政府がイノベーションに投資すれば良いのです。もちろん政府が借金して投資すれば採算性が問われますが、政府が通貨を発行することで、通貨発行益を利用してイノベーションに投資するのであれば採算性は問われません(もちろん出鱈目に投資して良いわけではない)。それがヘリコプターマネーです。

もちろん、それが可能なのはデフレ、つまり経済が成長せず、生産力が余ったまま無駄に失われている状態であればこそです。その余剰生産力を活用してイノベーションを起こすわけです。

民間企業がイノベーションに投資しないなら、政府が財政出動でイノベーションに投資する。あるいは民間の研究開発を促進するための減税、助成金などの財政出動を行う。そうすれば、成長する余地はまだまだあります。

科学技術の進歩がある限り、生活の豊かさとしての経済は成長し続けるはずです。もちろん、将来において経済成長の意味は、現在のような拝金主義的な意味とは違うものになるべきでしょう。つまり「投資収益のために成長する」のではなく、「人々の生活のために成長」するわけです。

2016年7月12日火曜日

すでに国債の三分の一は返す必要なし

国債の保有者内訳をネットで調べてみたら、いつの間にか国債の三分の一を日銀が保有していました。ということは、国債955兆円のうち、およそ320兆円は財政再建がすでに終わった状況です。このまま年間80兆円のペースで日銀が国債を買い進むと、数年で財政再建は完了だw。
日銀が保有する国債であっても、償還はされるから「返済しなきゃならない」という意味で市中に国債があっても同じです。しかし日銀が保有する国債は、日銀が国債の借り換えに応じれば返済は先延ばしになるからわけだから、その間は返済したのと同じ。それは政治判断で可能。

その間、国債の利払いと償還費がゼロになるわけだから、それに費やされていた税収を社会保障財源に振りかえれば、財源が20兆円以上出てくる。

日銀がいくら国債を買い取っても、マネタリーベースが増えるだけでマネーストックは増えないからインフレにならない。ある意味、かなり異常な事態です。


2016年7月11日月曜日

参院選の結果、民進党は心を入れ替えるべき

事前のマスコミの予測とおり、今回の参議院で民進党の敗北が明らかとなりました。この結果を自分は大変に喜んでいます。といっても、民進党に壊滅して欲しいからではなく、これを機会に、本当に生まれ変わって欲しいからです。

民主党の時代に政権を失ってから、この政党は何一つ変わらなかった。政権時代の判断(増税、緊縮、基地問題)を正当化するばかりで反省がない。運が悪かった程度にしか思っていないのでしょう。まず当時から居る古い執行部を全面的に刷新していただきたいと思います。

もちろん民進党は一部の国民から支持を得ています。しかし、それだけでは政権を担うことは決してできません。今の民進党はより多くの国民の支持を得る必要があります。民進党は、一部の支持層に受けるための政治を捨て、より大衆の政党へと新たに生まれ変わる必要があるはずです。

そもそも左派系のコアな有権者は共産党へ流れるはずです。だからこそ民進党はより大衆的でなければなりません。それが本来の役割なはずです。しかしその役割をはたしていません。

とても左派系の政党とは思えない、庶民に負担を押し付ける政策を堂々と打ち出している。なぜそうなるかと言えば、民進党に限らず、左派系の野党は「自民党に反対することを政策の原点にしている」からでしょう。

民進党の政策はどう変わるべきか。

1)消費税の増税をきっぱり捨てる

社会保障の財源を消費税にリンクするおかしな国はどこにもありません。そもそも社会保障は再分配政策なのですから、所得税によって富裕層の所得を社会保障として低所得層に再分配するのが正しいわけです。再分配を受けるべき低所得層に課税して社会保障の財源を取るのはナンセンスです。消費税と社会保障をリンクする根本的な過ちを正すべきです。

2)財政支出を拡大する

世界の常識から言えば、左派政党は財政を拡大するものです。ところが民進党の基本は緊縮(財政再建+金融緩和否定的)です。富裕層の税を引き上げるのは良いのですが、その前にデフレを脱却しないと増税逆噴射になります。まずはおカネをどんどん世の中に流しておカネの回りを良くする。そのためには金融緩和と財政出動をどんどん行わなければならない。

財政出動と言っても、自民党は基本的に「供給サイド」へのテコ入れを行うわけです。ですから民進党は「需要サイド」からテコ入れを図ることで差別化が可能です。とりわけ消費拡大のための大胆な給付金支給が必要です。また成長戦略として、未来産業のためのイノベーション研究開発投資が必要です。

財源はヘリマネでまったく問題ありません。財政支出を増やせば、資本主義社会では、流したおカネは必ず富裕層や大企業に集まって貯め込まれます。それから増税して税で回収すればよいわけです。

3)財政再建するなら金融資産課税で行う

そもそも日銀が国債をすべて買い切れば財政再建の必要はないはずです。しかし、どうしても税で国債を相殺したいのであれば、金融資産課税で行うべきです。政府の負債は家計や企業の金融資産に化けています。ですから、政府の負債を返済するには、この金融資産を回収するしか基本的に方法はありません。わずか1%の課税で十分です。そしてこれは資産格差の是正にも資するのです。もちろん、それは景気が十分に回復してインフレ目標を達成してからの話です。

細かい経済政策や外交、憲法についてもいろいろ要望はありますが、とにかく、この3つだけは必ず政策転換してほしいと思います。


2016年7月8日金曜日

自称左派の私が野党を支持しない理由

野党を支持しない理由は単純明快です。野党の政策がダメだから。自民党の政策もダメですが、自民党の方がマシ。ちなみに私は自称左派です。なぜなら、資本主義を否定し、個人資産を制限すべきと考え、ポスト資本主義を目指しているからです。

前提として、第一に自分が今回の選挙で最も重視する政策は、世論調査の結果と同じく、経済と社会保障です。第二に自分はそのために行うべきと考える政策が明確にあります。ですから、その政策に近いか、遠いかで政党の支持を判断します。

自分の考える政策の基本は、①ヘリコプターマネーによる財政出動で有効需要を確実に増加させる(金融緩和+財政出動のいずれも積極的)。②景気回復後に、金融資産課税を導入し、税収増による社会保障財源を確保し、かつ資産格差の是正を図る。③財政再建は金融資産課税、社会保障は所得税等による、という財政構造を構築。基本はこれだけ。

①ヘリマネについては、これを明言する政党はありません。ややそれに近い政策スタンスは自民党です。野党は金融緩和も財政出動も消極的ですから遠いのです。こころは積極財政ですから、比較的近いです。

②金融資産課税、これは社民党が主張していますので近いですが、対象は証券など一部だけです。社民党の問題は、金融政策や財政政策に消極的な点です。これを行わずに増税をすれば、景気が悪化します。まずおカネを放出し、その後に回収する必要があると考えているのです。他の政党は金融資産課税は表明ありません。

③金融資産課税で財政再建し、所得税等で社会保障財源を確保すると公約する政党はありません。負債は資産と相殺するという観点からすれば、こうした考えはあっても良いはずですが。あえて言えば、共産党と社民党は社会保障財源を消費税と切り離す主張なので、近いと思います。

基本部分だけで言えば、以上です。最も遠いのは民進党。金融緩和、財政出動に消極的(緊縮)で、社会保障財源を消費税に限っています。金融資産課税を持ち出した社民党は捨てがたいですが、金融緩和と財政出動に消極的なのが致命的。もし社民党がヘリマネを主張すれば、間違いなく社民党を支持したんですが。

政策には順番が重要で、同じ政策でも順番が逆だと、とんでもないことになると考えています。まずおカネを出して景気を良くし、それから回収する。逆は成立が難しいはずです。基本的に社民党も共産党も課税が最初なので、考えが違う。

こうなると、自民・公明、こころといったところが残ります。あとは、細かくみていけば違うんですが、いずれも積極財政という点以外は自分と方向性が違うので、どれも似たようなもの、というのが自分の印象です。

何か最後は漫然とした話になってしまいました。

2016年7月7日木曜日

「ポピュリズム」は両義性ある言葉 気を付けよう

最近、新聞・マスコミ・御用学者が好んで「ポピュリズム」という言葉を使いだした。こうした一つのフレーズを持ち出して連呼するのは、マスコミの誘導手法の一つであるが、このポピュリズムという言葉は非常に定義があいまいで、両義性を持っています。それを逆手にとってマスコミが都合よく利用している危険性があると思われます。

どれくらいあいまいなのか?ネットのコトバンクの検索結果から、いくつかコピペしてみました(文末に引用掲載)。

ざっくり言えば、次の両義性があると思われます。

①政治家が大衆の不満を扇動して権力を得て、
  政治が行われる動き。
②政治家が大衆の不満を支持基盤として、
  社会改革を目指す動き。

ほとんど同じような動きだが、①は悪②は善と捉えられる。こうした両義性のある言葉、「ポピュリズム」を安易に批判に利用するのは極めて問題がある。なぜか、

ポピュリズムを批判することで、①だけでなく②も暗に批判することになる。つまり同時に、「大衆による社会改革運動」を批判しているのです。これは意図して行われている可能性があると思います。

大衆の不満とは、支配層つまり政治エリートによる抑圧です。昔の政治エリートは貴族や王族だったわけです。こうしたエリート支配層による抑圧からの解放こそ民主主義運動であったことは明白な事実です。これが②です。これを否定することは、エリートによる支配を正当化する「エリート独裁主義」に他なりません。

これは、新聞・マスコミ・御用学者が自らをエリートと考えているからなのかも知れません。エリート支配を正当化するマスコミ。そう勘繰りたくなります。

今日における政治運動において、真に批判されるべきは①つまり「扇動」です。扇動とは、不満や不安を煽りたてて、人々の意識をそこだけに集中させ、正常なバランスのとれた思考を失わせる活動です。反対意見を報道せず、一つのフレーズを連呼する。あやしいウソまがいの情報を流す。こうして大衆を操作することです(今日のマスコミのように)。

ですから、現在、世界で起きている大衆運動を、両義性のある「ポピュリズム」という言葉で称して批判することは非常に問題がある。むしろ「扇動政治」あるいは、そんなに外来語が好きなら「アジテーション」を用いるべきと思います。

そして扇動政治に陥らないためには、そもそも扇動の動機づけとなる不満や不安を解消する努力、つまり政治に改革が求められるはずです。


(以下、コトバンクから引用)

>ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
ポピュリズム
ポピュリズム
populism

人民主義と訳されるが,その意味は適用範囲によって異なる。 19世紀後半のロシアにおいて発生したナロードニキ運動はツアー体制打倒を目指す知識人たちが農村を拠点として展開した社会主義運動である。
本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

>知恵蔵2015の解説
ポピュリズム

政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼ぶ。ポピュリズムは諸刃の剣である。庶民の素朴な常識によってエリートの腐敗や特権を是正するという方向に向かうとき、ポピュリズムは改革のエネルギーとなることもある。しかし、大衆の欲求不満や不安をあおってリーダーへの支持の源泉とするという手法が乱用されれば、民主政治は衆愚政治に堕し、庶民のエネルギーは自由の破壊、集団的熱狂に向かいうる。例えば、共産主義への恐怖を背景にした1950年代前半の米国におけるマッカーシズムなどがその代表例である。民主政治は常にポピュリズムに堕する危険性を持つ。そのような場合、問題を単純化し、思考や議論を回避することがどのような害悪をもたらすか、国民に語りかけ、考えさせるのがリーダーの役割である。
(山口二郎 北海道大学教授 / 2007年)

>朝日新聞掲載「キーワード」の解説
ポピュリズム

一般的に、「エリート」を「大衆」と対立する集団と位置づけ、大衆の権利こそ尊重されるべきだとする政治思想をいう。ラテン語のポプルス(populus)=「民」が語源。こうした考えの政治家はポピュリストと呼ばれる。複数の集団による利害調整は排除し、社会の少数派の意見は尊重しない傾向が強い。「大衆迎合」「大衆扇動」の意味でも使われる。ただ、有権者の関心に応じて主張を変えたり、危機感をあおったりする手法は、ポピュリストとみなされない政治家も用いる。
(2015-12-23 朝日新聞 朝刊 2外報)

>デジタル大辞泉の解説
ポピュリズム(populism)

1 (Populism)19世紀末に米国に起こった農民を中心とする社会改革運動。人民党を結成し、政治の民主化や景気対策を要求した。
2 一般に、労働者・貧農・都市中間層などの人民諸階級に対する所得再分配、政治的権利の拡大を唱える主義。
3 大衆に迎合しようとする態度。大衆迎合主義。

>大辞林 第三版の解説
ポピュリズム【populism】


民衆の情緒的支持を基盤とする指導者が,国家主導により民族主義的政策を進める政治運動。1930年代以降の中南米諸国で展開された。民衆主義。人民主義。

政治指導者が大衆の一面的な欲望に迎合し,大衆を操作することによって権力を維持する方法。大衆迎合主義。

>日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ポピュリズム
ぽぴゅりずむ
populism

大衆の支持を基盤とする政治運動。一般庶民の素人(しろうと)感覚を頼りに、政権や特権階級、エリート層、官僚、大地主、大企業などの腐敗や特権を正す政治エネルギーとなることもあるが、一方で人気取りに終始し、大衆の不満や不安をあおる衆愚政治に陥ることもある。このため「人民主義」「民衆主義」などと肯定的に訳される場合も多いが、日本では「大衆迎合主義」「衆愚政治」などと否定的に使われることがある。なお、アメリカでは肯定的に、ヨーロッパでは否定的な意味で使われる傾向がある。ポピュリズムの特徴は、(1)理性的な議論よりも情念や感情を重視する、(2)政治不信や既存の社会制度への批判を背景に広がることが多い、(3)集団的熱狂、仮想敵への攻撃、民主主義の否定などに向かいやすい、(4)有権者の関心に応じて主張が変わり一貫性がない、(5)多くの場合一過性の運動である、などである。
 ラテン語の「ポプルス(人々、人民)」が語源である。もともとは19世紀末にアメリカ南西部で農民層を中心に結党され、民主化、景気対策、土地所有制限、大企業の寡占防止、所得再分配、貧富の差是正などを要求した人民党(People's Party、Populist Party)の政治運動をさす。1930年代以降、都市化の進んだ中南米諸国で相次いで出現し、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビアなどに広がった。1950年代前半にアメリカで起きた反共産主義運動「マッカーシズム」や、オバマ政権を批判する草の根保守運動「ティーパーティー運動」などは、ポピュリズムの一種とされている。
 日本では2000年代初頭の小泉純一郎政権の誕生以降、ポピュリズムということばが多用されるようになった。抵抗勢力との対決を掲げた小泉政権の構造改革路線や、大阪市長の橋下徹(はしもととおる)(1969― )を中心とする「維新の会」の動きなどがポピュリズムにあたるとされる。こうしたポピュリズムの動きは、既存政治システムへの不満や批判ばかりを繰り返すマスコミや知識層への不信の表れであるという指摘もある。[編集部]
[参照項目] | 構造改革 | ティーパーティー運動 | マッカーシズム

>世界大百科事典内のポピュリズムの言及
【ポプリスモ】より

…英語ではポピュリズムPopulismという。大衆を支持基盤とした政治運動。…
※「ポピュリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

2016年7月6日水曜日

洗脳を防ぐには「洗脳手法」を学習すべき

イスラム過激派によるテロ凶悪犯罪が増加しているようです。こうした犯罪の犯人は、一昔前は一般にスラム街などで「貧しい生活を強いられている人々」だったと思われます。しかし今回のバングラデシュでのテロ実行犯のように、裕福で高学歴の人が犯人であるケースも増加しつつあるようです。

こうした現象は、日本で発生した「オウム真理教による毒ガステロ」を連想させます。オウム真理教の信者は、高学歴で貧困とはあまり関係のない若者です。こうした若者が「洗脳」によって、何の疑いもなく人を殺せる人間に改造されてしまうわけです。

両者の共通点は、おそらく「若くて洗脳されやすい」ところだと思われます。免疫がないのです。かつ、学歴があるということは、理屈っぽい。理屈で騙される。動物は騙されません。理屈を理解できないからです。人間の極めて異質なところです。

こうした洗脳には「手法」があります。自分もそれほど詳しいわけではありませんが、精神分析などに興味があると、うすうすわかります。手法があり、仕掛けがあります。どうやって仕掛けるか。それを知っていれば、相手が自分に洗脳を仕掛けていることがわかります。

インターネットでは、様々な動画が流布されますが、映像は洗脳に極めて有効です。こうした映像の、どこに洗脳手法が使われているかを知る必要もあると思われます。相手が人間だった場合、その人間が洗脳を仕掛けてきても、一般に聞き手は警戒するため容易に暗示にはかかりません。しかし、映像の場合は警戒心が低下し、暗示を刷りこむことが容易になります。若くて純真なら、ますます警戒心が低下して容易に暗示にかかります。

また、ネットで引っ掻けて、「道場」のような場所に連れて行って、集団心理による判断力低下による暗示も利用されます。イスラム過激派もそうですが、オウム真理教のようなカルト宗教、悪徳商法、はては日本のマスコミまで、世界は洗脳手法に溢れています。

世界は異常です。溢れる洗脳情報に騙されないためには、学校教育などで「洗脳手法」を学習する必要があると思います。手口を知れば、騙されにくくなるからです。もちろん、新聞マスコミの仕掛けにも騙されにくくなります。プロパガンダにも。

たぶん、政治家は政治がやりにくくなるでしょうけどね。

2016年7月5日火曜日

民進党は自民党から票を奪う気が無い

世論調査によれば、今回の参議院選挙で民進党は議席を減らしそうだという。それにしても、民進党って、自民党の支持層から票を奪うとか考えないのでしょうか。確かにあの政策じゃ自民党支持層から票を奪うなんて100%無理でしょうけど。

民進党のあの政策は従来の支持層を保持するのには役立つかもしれない。しかし、それじゃあ、政権交代なんてできないし。無党派からの票に期待するのかも知れないけど、それなら、サプライズが必要でしょう。でも民進党の政策はサプライズもない。普通。

それにしても民進党が民主党の時代からほとんど政策方針を変えないのは、政権交代をすることが目的なのでなくて、自分たちの主張の正当性を国民に認めてもらうことが目的だからなのかも知れない。だから自分たちの主張は変えず、国民に認めてもらう様に活動するというわけ。

より大きな国民のニーズをとらえて、政治を担うんじゃないんだね。

2016年7月4日月曜日

なぜ自由貿易離脱で失業増加?

英国がEU離脱して自由貿易圏を離れると、英国の失業が増加してGDPが減ると報道されています。それだけ聞けば、あたかも自由貿易圏が失業を減らしてGDPを増やす効果があるように聞こえますが、必ずしもそうとは言えないでしょう。

自由貿易圏を離れるのも、自由貿易圏に参加するのも、どちらも「環境変化」です。その国の産業構造は環境に応じて、それに適合するように変化します。ただし変化には時間が必要です。急激な変化にはついて行けないのです。

たとえば、英国のように長年にわたってEUの自由貿易圏に参加していた場合、自由貿易という環境に産業構造が適応しています。自由貿易に最適化された産業構造になっています。そのため、いきなり貿易ルールが変化すると、産業構造がついて行けないわけです。

新たな貿易ルールに適合するまでの間、産業構造の組み換えが行われますから、ある企業は衰退し、ある企業は成長し、それに伴って失業が増加したり再雇用されたりします。変化が急であればあるほど混乱します。これが失業の増加とGDPの減少となって現れると思われます。

一方、こうした混乱の時期を過ぎると、産業構造が新しい環境に最適化されてきますので、失業は減少し、GDPも元に戻ると考えられます。ただし、完全自由貿易のままの経済成長と、離脱した環境での経済成長のどっちが大きいか、という予想は難しい。

経済成長率だけから言えば、完全自由貿易による完全分業の方が効率が高いですから、差が生じる可能性はあるでしょう。しかし仮に経済成長率に違いがあったとしても、失業率、格差(貧困率)、出生率、犯罪など、様々な観点から総合的に評価されるべきでしょう。経済が成長しても富裕層が豊かになるだけでは意味がありません。

この逆に、TPPなど、完全自由貿易に参加すれば、やはり環境が変化します。それに合わせて産業構造が変化することになり、失業の増加などの影響が生じる可能性があるかも知れません。


2016年7月1日金曜日

高まる脱グローバル政党の重要性

英国のEU離脱、イタリアでのEU離脱派市長の誕生、そしてアメリカでのトランプ・サンダース両氏の台頭。こうした動きは世界中の政治家が押し進めてきた「グローバリズム」に対する疑念と反発によって生じています。それを何ら顧みることなく、グローバリズムをこのまま推進し続ける限り、世界の格差は広がり、失業や貧困は解消されず、こうした流れは、ますます拡大を続けると思われます。

こうしたなか、一部の過激な人々が、移民や外国人に対するヘイト行動を起こしています。なぜこれが問題なのか。一つは、こうした過激な人々の行動がエスカレートして、直接的に人々に危害を加えたり、テロを引き起こしたりする可能性があることです。社会における犯罪は軽いものから始まってエスカレートする性質があります。最大のリスクは、ドイツのナチスのような、他国への軍事的な攻撃を正当化する集団が国民の過半数を占めるような事態になることです。

さすがにそれはあり得ない、と多くの人は考えているでしょう。しかし、ある地域で軽犯罪を放置するとやがて凶悪犯罪が増加するように、暴力的な行動を放置すれば、必ずエスカレートしてきます。

とはいえ、人々に不満があるからこそ、こうした行動が引き起こされるのであり、単にそれらの行動に蓋をするだけでは、別のところに噴出する可能性も否定できないでしょう。不満を受け止め、それを解消するケアが必要です。

ところが、現在の主流派の政党にそんな政党があるでしょうか?ありません。ひたすら彼らの不満を悪しきものとして否定するだけです。グローバリズムは絶対善であり、歴史の必然であり、それに反対することが罪であるかのような雰囲気です。マスコミ全体、社会全体がそうなのです。

ですから、そうしたグローバル化に反対する人々の受け皿となる政党が必要とされています。そして受け皿となる政党が、それらの人々の不満を政治に反映すべく活動することで、彼らが暴走し、行動が暴力化することを押さえる役割を果たす必要があります。すべては暴力ではなく、理性で解決しなければなりません。

そのような意味において、フランスの国民戦線やイタリアの五つ星運動など、脱グローバル政党の重要性がますます高まっていていると思われます。こうした運動を、合法的で理性的な政治活動にしっかりと定着させるように変化させるべきでしょう。ところが新聞・マスコミ・御用学者はこれらの政党を「極右」と決めつけ、排除にやっきになっているようです。

しかし、そんなことをすればどうなるか?彼らの主張を無視し、否定し、頑なにグローバリズムを推し進めるなら、彼らはますます過激化するのです。行き場をなくした人々の不満は、さらに高まる恐れもあるでしょう。

新聞・マスコミ・御用学者は、移民を排除しようとする極右政党を攻撃するが、彼らもまた、脱グローバルの人々を排除しようとしているだけなのです。

政治が過激化することを恐れるのは当然です。しかし、その一方で「グローバリズムは絶対善」のような価値観を押し付けるだけでは、何の問題の解決にもならないでしょう。人々が怒るのは、理由があるのであって、その理由に目をそむけている限り、過激な人々は今後も増え続けるのではないでしょうか。