2016年8月31日水曜日

経済効果とは無駄遣いのことです

新聞マスコミなどで「経済効果は・・・」などと、何かありがたいことのようにいわれますが、経済効果とは、言ってしまえば無駄遣いのことです。経済効果とは消費を指しますが、たとえ生活のために必ずしも必要ではないモノでも、消費すると、これが経済効果となります。

たとえば、祝日を増やすと、ついつい旅行や外食をしてしまう。あるいは暑い日が続くと、ついついビールを飲んでしまう。こうした、いわば我慢すれば我慢できるようなものを消費してしまう。すると、そのおカネは飲食店やビール会社の収入となり、それが景気を刺激し、ひいては社員の給料を押し上げる可能性があります。消費が増えれば、世の中を回るおカネが増えるからです。

ですから、国民が無駄遣いするほど経済は良くなるのですが、消費意欲の最も高い若者~子育て世代におカネがないのですから、無駄使いなどする余裕はありません。祝日が増えようが、暑い日が続こうが、おカネがないから我慢、我慢です。

現代の経済システムは「無駄遣いによる通貨循環」なしでは成り立ちません。消費の大部分は実は無駄なのですが、多くの人は無駄と気付いていないだけです。もし無駄な消費をすべてやめれば、デフレ恐慌が日本を襲います。

もちろん、無駄遣いはゆとりも意味しますから、実はムダこそ必要なんです。人生なんてムダがなければ面白くありません。しかし無駄遣いを増やさないと成り立たない現代の経済システムは、何か本末転倒のような気もします。

2016年8月30日火曜日

「日銀の損失ガー」は無意味

新聞マスコミは「国の借金ガー」のフレーズが大好きですが、御用エコノミストは「日銀の損失ガー」のフレーズが大好きなようです。「金融緩和で日銀の損失ガー」というやつです。しかし、日銀の損失は実質的に意味がありません。なぜでしょうか。

日銀は発券銀行だからです。日銀のバランスシートの上では、現金(銀行券および日銀当座預金)は負債として発行されるため、おカネを発行すればするほど日銀の負債が増加します。逆に言えば、日銀の負債が増えれば増えるほど、世の中のおカネが増えます。

とはいえ、ただ単に日銀が現金を発行すると負債だけが増えるので、日銀のバランスシートは損失だらけになってしまいます。なので、普通は資産を計上して、それに見合うだけ負債として現金を発行します。資産と負債のバランスを取るわけです。で、日銀に損失が出るとは、このバランスが崩れることを意味しますので、資産より負債が多くなる。つまり、資産総額よりも、発行した現金の総額が多くなるということです。極めて単純に言えばです。

つまり、バランスシートの上において、日銀の資産総額よりも、現金の発行額が多いというだけです。何か問題ですか?

日銀のバランスシート上に資産の不足があっても、それはバランスシート上の仕組みとして「美しくない」だけであって、実体経済にとっては、何の損失にもなりません。もちろん民間企業なら大問題です。民間企業はカネを増やすために存在しているのですから。

しかし日銀はカネを増やすための存在ではなく、貨幣システムの全体機能の一つに過ぎないからです。だから日銀の帳簿上の損失に損失としての意味はないのです。貨幣システムの機能を保持するためには、日銀のバランスシートの美しさは必要条件ではないからです。それでも、もし形式を整えるのであれば、何かを資産に計上してバランスシートを補修すればよいでしょう。

バーナンキよろしく、ケチャップを資産に計上してもいいんですよ。

「日銀の損失ガー」は、この事実を直視すべきだ。

2016年8月29日月曜日

民営の国有企業はありか?

民営とは民間が事業を管理・運営することですが、民営が国営よりも効率的な経営を行うことは良く知られています。その理由を簡単に言えば、国営の場合は取引にしがらみが強かったり、簡単に社員をリストラしませんが、民営の場合は利益優先なので、冷徹に合理化するからです(合理化しないと潰れる)。なので、効率性を追求するなら民営のほうが優れています。

しかし、民営であっても民間所有の会社である必要はなく、国有企業であることは可能です。簡単に言えば株式の大部分を国が所有していれば良いだけです。株主は「所有すれど統治せず」ですから、国有企業だからと言って、国が経営に介入することはありません。

株主である国としては、配当金を社会福祉財源などに利用すればよいわけです。もちろん、利益率の低い企業には株主総会で国が「もっと利益を出せ」と経営陣に圧力をかけることもあります。そうなると、民間所有と国有の違いは、配当金を払う先が資本家なのか、政府なのか、の違いだけです。

国有企業と聞くと違和感を覚えるかもしれませんが、それは今までの国有企業が国営だったからです。確かに国営ではダメですが、単に政府が株主というだけなら問題ないでしょう。実際のところ、年金基金など、政府に準じる機関が株式を購入して株主になっているわけですから、国有化といっても株の持分を増やすだけの話なので、国有化は驚くような発想ではありません。

もちろん、自営業や中小の企業では国有化などありえませんし、すべてを国有化するなど不可能です。しかし、二言目には「政府の財源ガー」という話になりますので、配当金を目的とした政府による企業買収もありかと。何しろ、政府(国民)には通貨発行権がありますので、買おうと思えばいくらでも買えます。もちろん、やりすぎると弊害ありますが。

ただし、やるなら、バブル崩壊後に株価など資産が暴落しているときに政府が暴落した資産を買い取るほうが良いです。株価の高いときに買うのはアホです。株価が暴落したときに政府が株などを買い取れば、世の中のおカネを増やしますし、資産市場も持ち直してきます。ハゲタカ・マネーに買い取られるより、よほど良いと思いますね。



2016年8月26日金曜日

人工光合成の実現加速に政府投資を

子供の頃に夢見ていた人工光合成がいよいよ現実に近づきつつあるようです。現在はエネルギー変換効率が2%~4%と低いものの、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)によれば、2020年には効率10%を達成し、実用化段階に入る計画らしいです。しかも今のところ研究では日本が世界をリードしているといいます。すばらしい。こうした分野にどんどん政府が投資、支援を行って開発を加速すべきでしょう。

人工光合成のすごいところは、植物と同じように、水と二酸化炭素から有機化合物を直接に合成するところです。メタンガスやアルコールが光と水と二酸化炭素から生産される。これは人工知能と同じくらいに、とんでもなく革新的な技術です。何がすごいかといえば、いくつもあります。

太陽光で燃料を作るといえば、太陽光発電の電力で水を電気分解して水素を生産することを思い浮かべるでしょう。しかし太陽光から電気を介して水素を生産する際には、エネルギー変換ロスが生じるため効率が良くないですし、装置も複雑化します。人工光合成なら光から直接に燃料を生産するため、ロスはありません。しかも水素のように取り扱いの面倒な物質ではなく、アルコールが生産されてくるので、ペットボトルでも保存できます。今までと同じように燃料として利用できます。

太陽光発電と違い、電気エネルギーではなくてアルコールが生産されるので、タンクに詰めるだけで長期的に保存ができ、運搬も簡単です。晴れているときに燃料を生産しておけば、燃料電池で発電できるので、夜でも曇りでもエネルギーに困らない。

化石燃料の使用で二酸化炭素が増加して大問題になっていますが、その二酸化炭素を吸収して燃料に戻すわけですから、ある意味で、無限の燃料が手に入るようなものです。同じ再生可能エネルギーでも太陽光発電で水素を作る場合は、二酸化炭素を吸収しません。しかし、人工光合成は二酸化炭素を吸収するので、世界中で大規模に人工光合成が行われれば、世界の二酸化炭素濃度は低下します。未来の国際環境会議は二酸化炭素排出削減目標ではなく、二酸化炭吸収目標となるでしょう。

人工光合成は、いわば光から石油を作っているようなもの。だから、将来的にはプラスチックや合成繊維なども人工光合成から生産することが可能になると思われます。この研究が進めば、エネルギーとしての石油だけではなく、原材料としての石油の輸入も必要なくなり、石油資源の枯渇も心配なくなるのです。

これは究極の話ですが、人工光合成が高度に進化すると、ブドウ糖も生産できるようになります。人工植物です。もしこれが実用化されれば、もし何らかの原因で食糧危機になっても、人工光合成でブドウ糖を生産することで、とりあえず餓死を免れられます。まあ、半分冗談ですが。

人工光合成が低コストで全世界に普及すれば、間違いなく世界が変わるはずです。地球的な環境破壊が深刻な今日、気長に研究をやっている場合ではありません。人工知能と同じくらいに重要な技術であり、政府がもっと投資して開発を加速すべきだと思います。世界が変わります。

2016年8月25日木曜日

国の借金の原因は多すぎる貯蓄にある

新聞マスコミは「国の借金ガー」と連呼するのに忙しい。しかし国の借金の本質的な原因がどこにあるか決して触れることはない。なぜなら、それは社会の支配層にとって都合が悪いからです。

「国の借金の原因は政府(国)が借金したからだろ」というのは、必要条件の一つとなりえるものの、十分条件ではありません。たとえ政府が借金しても、そのおカネを誰かが貯蓄として貯め込んでしまわない限り、借金の返済は可能だからです。

つまり、政府が借金(信用創造)によって作り出した預金通貨を、誰かが貯め込んでいるから返せないのです。これはバランスシートから言って、否定できない事実です。もし貯め込んでいる連中が、貯め込まずにそれらのおカネを使っていたらどうなったか?世の中のおカネがどんどん回りますから、税収が増加し、その税収によって政府の債務の返済ができるのです。ですから、

国の借金の原因は多すぎる貯蓄にある

のですが、こういう話を新聞マスコミが絶対に触れることはありません。なぜなら、カネを貯め込んでいる連中が新聞マスコミのスポンサーだからです。新聞マスコミはカネを貯め込んでいる連中の走狗に過ぎません。

国の借金の原因は多すぎる貯蓄にある
この事実を「国の借金ガー」の連中は直視すべきです。

ちなみに、バランスシートから明確なことは、通常の手段しか用いないのであれば、この貯め込んだおカネを取り崩さない限り、「国の借金ガー」を返済することは不可能です。それは富裕層と大企業への大増税です。ただし、バランスシートから見て、それを避ける奥の手の方法が二つあります。

①庶民の借金を増やす
②日銀が国債を買い取る

どちらかをお選びください。


2016年8月24日水曜日

将来世代は日銀にツケを払う気か?

新聞マスコミは相変わらず「国の借金ガー」を啓蒙するのに忙しいようです。しかし借金・借金と言いながら「借金と国債(債券)の違い」は説明しません。説明すると都合が悪いからです。何しろ、将来世代の借金の返済先が、どんどん日銀に変更されているんですからねw。

「国の借金ガー」と言っても、誰から借金をしているのか?普通の借金なら貸し手が決まっています。たとえば銀行から借金すれば、必ず銀行に返済します。一方、債券の場合は、債券の所有者に返済します。国債は債券の一種ですから、国債の保有者に返済します。ところが、債券は売買されます。そして日銀が量的緩和によって銀行から国債を買い入れて保有しています。つまり、国民は国債を保有する日銀におカネを返済することになるのです。

日銀の量的緩和によって、すでに発行済み国債(国の借金ガー)の三分の一は日銀が保有しています。このまま量的緩和を続ければ、大部分の国債を日銀が保有することになるのではないでしょうか。そうなれば、国民は日銀におカネを借りていることになるのです。将来世代のツケは日銀が引き受けているわけw。

将来世代は日銀にツケを払う気か?

国の借金は将来世代へのツケだという。そのツケを日銀に払わなければならない。消費税を増税し、生活を切り詰めて、年金を減らし、そして日銀にツケを返す。ブラックジョークだ。

国債を単なる借金としか考えられない新聞マスコミは、「国民は日銀にツケを返すべきだ」といって、大増税のキャンペーンに乗り出すだろう。ほとんど笑い話である。

「国の借金ガー」の連中は、この事実を直視すべきである。


2016年8月23日火曜日

通貨発行で国の借金を返して良い理由

新聞マスコミは相変わらず「国の借金ガー」の啓蒙活動に熱心です。しかしそもそも「借金はなぜ返す必要があるか」という根本的なことは問わない。深く考えず、脊髄反射で「国の借金ガー」と言っているだけなのでしょう。

借りたものは返さねばならない約束だから。おカネを返さないと貸した人が困るから。そうであるなら、政府が通貨を発行して返しても約束はきっちりと果たされます。たとえば電卓を借りた人が、まったく同じ電卓を買って返しても、電卓を貸した人は困らない。貸し借りの清算は成り立つのです。政府が通貨を発行して返したとしても、おカネを貸した人は何も困らないのです。

国債を買っているのは主に銀行などの金融機関です。ですから政府は銀行から借りたおカネを銀行へ返済するわけですが、政府がおカネを発行して銀行へ元本と利息を返済したとしても、銀行は何の損もしません。しっかりと決済は完了するし、帳簿上も何ら問題はありません。そのうえ銀行は利益も予定通り得られます。前提条件は必要ありません。おカネを返せば約束は履行されます。

そして実際、日銀が金融緩和の一環として、「おカネを発行して」銀行に支払い、国債を買い取っています。「おカネを発行して、そのおカネで国債を買っている」。それでも決済は完了しますし、銀行は利益を得ますので、銀行は儲かるわけです。

つまり、おカネを発行して政府の負債を返済しようが、国民から税金をぶんどって政府の債務を返済しようが、おカネを貸した銀行にとっては、どっちもまったく同じなのです。貸し手は元本がきちんと返済され、利息が得られれば同じ儲けが出るのです。

もちろん、企業や個人にそんなことはできません。企業や個人には通貨発行権がありませんから、おカネを発行して返済するのは不可能です。しかし政府(日銀も含めて)には通貨発行権がありますから、それが可能なのです。通貨を発行する権利、それこそが国民の最大の主権とも言えるでしょう。その主権を行使するかどうかは、国民あるいはその代表者たる国会の決めることです。

では、どんな基準で通貨発行の是非を決めるべきか。無制限におカネを発行すれば問題がインフレが発生します。過度のインフレは経済にとって好ましいことではありません。ですから、政府がおカネを発行して債務を返済する場合は、容認されるインフレの範囲において可能であると言えるのです。この容認されるインフレの範囲がインフレターゲット2%です。

おカネを発行することは、禁じ手でもなければ不道徳でもありません。ですから日銀は年間80兆円のおカネを発行して国債を買い取っています。おカネを刷って買うのです。しかし当たり前に行われています。なぜなら通貨発行は政策であり、政治であり、道徳の問題ではないからです。システムなのです。

発行済み国債の三分の一は日銀が買い取りました。日銀が国債を銀行から買い取った時点で、銀行と政府の貸し借りの関係は清算されます。こうして、政府が銀行から借りたおカネの三分の一は、銀行側から見てすでに清算が終わったのです。

この現実を「国の借金ガー」の連中は直視すべきです。




2016年8月22日月曜日

ベーシックインカムを支える公共投資

人工知能と自動生産工場が進歩した未来社会では、労働者が居なくても自動的に財がどんどん生産されてきます。その時、もしすべての人工知能や自動生産工場が、私的(個人あるいは企業)に所有されているのであれば、自動生産工場が生産した財はすべてその所有者のものになります。それが今までの社会常識だからです。

しかし、自動的に財がどんどん生産される一方で、工場には労働者が誰もいませんから、労働者に賃金が支払われることはありません。すなわち自動生産が進むと全員が失業します。すべての労働者が失業すると誰も何の財も買うことができません。かくして、自動生産工場から溢れるばかりに豊かな財が生産される一方、誰もそれを買うことができません。むなしく在庫の山ができるだけです。

未来の経済においても財の分配を市場経済を通じて行うのであれば、通貨循環のシステムを構築しなければなりません。ですから、生産手段の所有者は、無償で給料を人々に支給しなければなりません。そうしなければ誰も何も買うことができず、生産した財は一つも売れないからです。さて、生産手段の所有者にとってこの行為は利潤獲得としての意味を成すでしょうか?おそらく無意味でしょう。つまり、この時点で、生産手段の私的所有が意味を成さなくなります。

ですから究極的に言えば、多くの場合、生産手段への投資は何の利潤も生み出さなくなり、投資は行われなくなります。投資だけでなく、こうした自動生産工場などの巨大なシステムの維持管理すら、利潤にとっては無意味になります。

そこで重要性を増すのが「公共投資」です。公共投資によって、人工知能や自動生産機械を作り出せば、その所有者は公共です。こうした公的な生産手段が自動生産する大量の財は誰のものでしょうか?誰のものでもありません。ですから、大量の財が平等にすべての人に配分されるでしょう。

これはある意味で新たなインフラ投資といえます。社会資本への投資(道路や電気ガス水道と同様)と考えられます。従来のインフラの考えが拡大するのです。こうした生産インフラの生み出す財(物あるいはサービス、利便性、安全性など)は、すべての人に分配されるのです。

もちろん、市場経済を通じて財を分配するのであれば、分配にはおカネが利用されます。政府から消費者に無償で一定の所得が分配され、人々が財を市場で自由に購入すれば、そのおカネは政府へ戻ります。そして政府から再び無償で人々へ支給されるでしょう。それがベーシックインカムです。もちろん最低所得ではありません。循環可能な資源量に応じた最大限度の所得です。

なお、商品の多様性や生産効率、商品開発を維持するため、企業間の競争原理をシステムに採用する必要はありますし、そうした複数の供給ラインを維持するために、人間の知恵や判断力が求められるかも知れません。そうした貴重な仕事に対しては成果主義や能力主義によって非常に高い報酬が支払われるべきでしょう。そして彼らは高い報酬によって希少な資源を手に入れることができるでしょう。それが仕事のインセンティブとなります。

もちろんこれは未来社会の話であって、すぐにそんなことは起きません。しかし、現在が過去と未来の中間点であることを考慮するなら、そうした必要性が徐々に生じていると認識するのは自然だと思います。

2016年8月19日金曜日

労働せずに生まれた価値は誰のもの?

労働すれば価値が生まれる。たとえば絵を描けば、それは労働によって価値を生み出したことになる(売れるか売れないかは別として)。だから労働によって価値は生まれる。そしてその価値は労働した人のものだ。

しかし、労働しなくても価値は生まれる。たとえば海の幸、山の幸は誰が労働しなくても、自然に生まれてくる。海の貝や木の実は労働によって生まれているのではないが、価値がある。では、それは誰のものか?誰のものでもない。だから誰が採取しても良いわけだし、みんなで分け合うべきものだ。労働することなく生み出された価値は、みんなで分け合うべき。誰もがそう思うだろう。

では、人工知能や自動生産機械が高度に進化して、誰が労働しなくとも、自動的に食料や衣類を生産するようになったら、その食料や衣類は誰のものか?誰のものでもないはずだ。だからみんなで分け合うべきなのだが、なぜか違和感を覚える人がいるだろう。なぜか?そう、その人工知能や自動生産機械を誰が所有しているかを問うからだ。だが、それはおかしくないか。

もし海も山もすべて私有地であって誰かのものであれば、自然に生まれてくる海の幸も山の幸もすべて所有者が決まっており、誰もそれを分けてもらえない。自然に生まれてくるにも関わらず、自然の恵みはあらかじめ所有者が決まっていることになる。しかも未来永劫に地球が崩壊するその日まで。

同じことは人工知能や自動生産機械にも言えることだ。誰かが人工知能や自動生産機械を所有していれば、それらが自動的に生産する食料や衣類はすべて所有者が決まっていることになる。しかも未来永劫に機械が壊れる日まで。

もし、それを認めるとすれば、人工知能や自動生産機械を所有する者がすべてを所有し、それ以外の人は何も得られないという事態が生じる。これでは経済が成り立たなくなるのは明白だ。だから人工知能や自動生産機械は公的に所有するべきだとすぐに気付くだろう。生産手段の共有化だ。つまり、人工知能や自動生産機械が高度に進化した未来社会において、生産手段の私的所有は、一部を除いて意味を失うだろう。

もちろん、これは未来の話ではあるが、現在が過去と未来の中間点であることを考慮するなら、こうした現象はすでに進行中であり、それが社会に「貧困や格差」という矛盾を生み出しつつあると考えるのが自然だと思う。

2016年8月18日木曜日

代案なきヘリマネ批判・再び失われた20年か

ヘリマネに対する批判記事は雨後のたけのこのように出てくるが、ヘリマネに代わる有効な代案を見たことがない。ヘリマネ反対論者は効果がないにも関わらず、従来と同じ方法を繰り返すだけである。代案なきヘリマネ批判が新聞マスコミに溢れている。このままでは失われた20年の再来だ。

個人消費の低迷は一向に改善していない。消費者にカネがないからだ。そういうと「日本にはカネが唸るほどある」と反論もあるだろう。確かに日本にカネはあるが、大部分は消費活動が低い高齢者や、カネを増やすことにだけ熱心な富裕層が保有しているのだから消費には回らない。消費の活発な若い世代にカネがないのだから消費が伸びないのは当たり前だろう。ヘリマネ以外の方法でどうやっておカネを消費者に渡すのか?

そう思っていたら、なんとIMFが社会主義者になった。
日本政府に「企業の賃金を上げさせろ」と言い出したw。

IMFが日本に求める急進的賃金戦略、70年代の米所得政策とは真逆
(ブルームバーグ 2016.8.15)

日本が社会主義の政治体制ならいざ知らず、自由主義経済において企業の賃上げを政府主導で実現するのは不可能なことだ。おまけに、今まで散々、「政府が企業に介入するな」と言ってきた新自由主義の連中が今度は「政府が企業に介入しろ」という。小学生でも馬鹿げているとわかるようなことを言い出して何かと思えば「ヘリマネは極めて大きなリスクがあるので止めろ」だそうだ。何のことはない、ヘリマネを何としてでも中止させたいために、IMFが日本政府に「企業に賃上げを強制しろ」と言ってきた。

つまり、新自由主義を曲げてでもヘリマネを止めろという。
奴らのご都合主義も極まった。

もちろん、IMFは財務省の天下り先なので、財務省の役人がそう言わせている可能性はあるだろう。なるほど、財務省の役人なら言いそうなことだ。マクロ経済を何も理解していないからね。「無理が通れば道理が引っ込む」ような発想も、役人なら厚顔無恥でごり押しするのが当然なのだろう。

ヘリマネに対する批判記事は新聞マスコミから雨後のたけのこのように出てくるが、ヘリマネに代わる有効な代案は、いつまで経っても何一つ出てこない。あきれたものだ。

「金融緩和は禁じ手」と言われて失われた20年が経過した。
「ヘリマネは禁じ手」と言われて次の20年が失われるのだろう。


2016年8月17日水曜日

政府が勝手に作った借金は政府が返せ

新聞マスコミがまたまた「国の借金がー」「国民1人800万円だー」を繰り返し、増税やむないと言っている。なぜ国の借金を国民の税金で負担しなければならないのか?

そもそも国民は政府に「借金してくれ」と頼んだつもりはない。政府が莫大な国債を発行して公共工事におカネを注ぎ込んだ。もちろんそれで景気が回復すれば、借金を返済できる目論見があったのだろう。しかし見事に失敗した。いわば、政府が勝手に借金して事業に失敗したのである。そのツケを国民に払わせるなど、モラルハザードもはなはだしい。

政府の失敗の責任は政府が取れ。
政府のツケを国民に押し付けるな。

責任を取るのは簡単だ。政府には通貨発行権があるから、おカネを発行して借金を返済すれば国民に負担を押し付ける必要はない。政府が勝手に借金を作ったのだから、政府の責任で通貨を発行して払うのが当然だ。むしろ義務だ。

そもそもなぜ政府が公共投資に失敗したのか。それは政府が国債を膨大に発行してアクセルを踏んでいるときに、日銀が金融緩和を行わずブレーキを踏んだからだ。だから砂漠に水を撒くように政府の支出が吸い込まれただけで終わった。いわば、「日銀の失策のツケが国の借金の元凶」でもあるわけだ。そのツケを国民に払わせるなど、モラルハザードもはなはだしい。

日銀の失敗の責任は日銀が取れ。
日銀のツケを国民に押し付けるな。

責任を取るのは簡単だ。日銀には通貨発行権があるから、おカネを発行して国債を買い取ればよい。そうすれば、事実上、政府の借金を返済したことになる。そして、これは量的緩和として行われている。何のことは無い、このまま量的緩和を続け、日銀が国債を100%買い切ってしまえばよい。すでに1/3は返済が済んだので、このまま日銀が買い続ければ増税の必要はなくなる。それが国民にツケを回さない正しいやり方だ。

政府の借金は政府が自ら解決せよ。
国民にツケを回すな。

2016年8月10日水曜日

国債の日銀引受と市中消化=基本は同じ

世間の一般的なイメージは「日銀が国債を引き受けるとハイパーインフレになる」というものでしょう。マスコミがそのように騒ぐからです。しかし以前にも書きましたが、国債を日銀が引き受けても、国債を民間銀行が購入しても、どちらの場合もインフレの原因となります。

理由は至極簡単です。どちらの場合も同じ金額の銀行預金が増加するからです。つまり日銀が100万円の国債を直接買い入れても、民間銀行が100万円の国債を直接買い入れても、どちらもマネーストック(世の中のおカネの量)は100万円増加します。どちらの場合も、このおカネは財政支出となり、家計や企業の収入となります。

ですから、国債を日銀が買おうと、民間銀行が買おうと、巨額の国債を買えば同じだけインフレになります。同じだけのおカネが世の中に出回ることで消費や投資を引き上げるからです。

では何が違うのか?たとえば10年国債であれば、10年後に償還されます。償還するためには世の中に出回ったおカネを、元本と利息を含めて税金として回収する必要があります。このため、10年後に世の中のおカネは減ります。しかも利息分だけさらに大きく減ります。世の中のおカネが減るとデフレ圧力となります。

ただし、民間銀行に売った国債は「まったなし」で返済が必要ですが、日銀に売った国債は「借り換え」をやろうと思えば可能です(借り替えなくても良いが)。つまり、世の中のおカネを減らさずにそのまま維持することが可能なのです。

国債に関連する違いはこれだけです。

なお、それ以外の違いとして大きいのは、日銀の国債引き受けの場合、マネーストックを増やしますが、同時にマネタリーベースも増やします。マネタリーベースは民間銀行の信用創造によって何十倍もの預金に化ける可能性があるため、これがインフレの原因になる可能性はあります。これを防ぐことは難しくありません。預金準備率を100%にすれば良いのです(信用膨張の停止)。それが100%マネーの仕組みです。

2016年8月9日火曜日

マイワシの生態研究を推進すべき

近年、ずっと不良続きだったマイワシが徐々に増え、豊漁になりつつあると言います。平成16年に5万トンだったマイワシの漁獲量は平成26年には20万トンに回復しました。とはいえ、マイワシの最盛期だった1980年代には年間400万トンを超えるマイワシが水揚げされていた事を考えると、まだまだ回復したとは言えません。

ところで年間400万トンといえばとんでもない量です。何しろ毎年の日本のすべての漁獲量の合計が400万トン程度に過ぎないからです。400万トンもマイワシが取れたら、安くておいしいマイワシが食べられるだけでなく、マイワシを餌にして養殖されている魚の値段も安くなるでしょう。日本の水産物の自給率は60%ですから、自給率の向上にも寄与すると思われます。

では、なぜ1990年に入ってマイワシが激減したのでしょう。普通に考えると400万トンも獲ったら、獲りすぎで全滅したと思うでしょう。ところがそうでもないのです。マイワシはとんでもなく増えるので、年間400万トンくらい獲っても減りません。ではなぜ減ったのか。調査によれば、何らかの原因によって、子供のマイワシが大人になる前にほとんど死んでしまったことがわかっています。しかもそれが数年にわたって続いたため、マイワシが激減してしまったと考えられています。

では、なぜ数年にもわたってマイワシの子供の生存率が低下してしまったのか、確実な証拠はまだ見つかっていませんが、地球規模の周期的な気候変動に伴う海洋環境の変化が指摘されています。一説には、この変化によって、マイワシの子供の餌が少なくなってしまい、子供の生存率を低下させたのではないかと言われています。しかしまだ仮説の域を出ません。

もしそれが本当だとすれば、海洋の環境がマイワシの成長に良い状態で保たれるなら、極めて膨大な量のマイワシが毎年毎年、生産されることになるのです。海洋環境の変化を人間がコントロールすることは難しいのですが、もしそれによって餌が不足しているだけなのであれば、何らかの形で餌を増やすなどの方法によってマイワシの子供の生存率を高めることが可能になるかも知れません。

マイワシの子供の餌は動物プランクトンですが、動物プランクトンの餌となる植物プランクトンが増えれば動物プランクトンも増えます。植物プランクトンは陸上の植物と同じように肥料(栄養塩)があると爆発的に増えます。これを利用して、マイワシの子供の餌環境を、場所とタイミングを適切に選んで改善してやれば、マイワシの豊漁をずっと維持し続けることが可能になるかも知れません。

もちろん、マイワシの増殖は今の段階では夢物語に過ぎません。まだまだマイワシの生態については研究が十分ではありませんので、こうしたことが可能かどうかすらわかりません。しかし、日本は世界で7番目に大きい排他的経済水域を持っており、しかも基本的に豊かな海なので、海洋の資源開発において日本は他国よりも有利です。政府には、未来技術の育成としてぜひ海洋資源の生産技術の開発を推進していただきたいのです。

2016年8月8日月曜日

ベーシックインカムは今すぐ毎月1万円から

ベーシックインカム(基礎給付金)は毎月1万円の給付金からスタートすべきだと思います。満額(月15万円)から始める必要はないと思います。ただし、明日からすぐにでもスタートしたほうが良いでしょう。

ベーシックインカム開始直後から最低限の生活保障が可能な金額(毎月15万円)を実現するのは、いろいろな面でハードルが高いでしょう。今のところ世間の反対論が非常に大きく、社会保障関係の権益、利害関係も絡むので、近々の実現は無理と言えます。ここは制度を大きく変更する必要のない、1万円から徐々に増やす手法のほうがはるかに実現可能性が高いと思われます。

ベーシックインカムを徐々に増やすことには、メリットがあります。それは社会に急激な変化を与えずに済むことです。もし社会に急激な変化を与えるなら、それは予測不能な大きな変化をもたらし、変化が大きいほど調整が難しくなる可能性もあります。

最初から満額のベーシックインカムを実施して、もし社会に大きな問題が発生すれば、「それみたことか」「ベーシックインカムは間違った政策だ」「共産主義の二の舞だ」という結論が下され、それをマスコミが繰り返し報道し続けることで「ベーシックインカム=悪」という社会常識が形成され、その後何十年もベーシックインカムは葬られてしまう危険性もあります。

しかし、もし10年かけて徐々に増額するなら、社会に与える変化は少なく、仮に何らかの問題が発生した場合でも対応は容易です。財源についても徐々に考えればよく、様々なことについて「実施しながら考える、修正する」といったことができます。つまり、大きく失敗して、反対論者にベーシックインカムを潰す口実を与える様なことがないよう十分な注意が必要です。

つまり満額ベーシックインカム実現運動をがんばって、10年後に満額支給を勝ち取るのではなく、1万円からスタートして徐々に増やして10年後に満額達成するほうが現実的であり、かつ予測不能なリスクも低いのです。

しかも、そのスタートのきっかけになりそうな話が目の前に転がっています。ヘリコプターマネーです。新聞マスコミはヘリマネを潰そうとして反対論者の記事ばかり掲載しますが、世の中にはヘリマネに賛同する学者も多いのです。日銀の金融緩和による経済効果が不十分なため、国民に給付金を支給する議論が出てきた。これこそチャンスです。ヘリマネで効果が現れれば、そこを突破口にして拡大すればよいのです。

まずヘリマネによる国民への給付金というレベルから始めるのであれば、少なくとも満額ベーシックインカムをすぐ始めるより多くの賛同者を得ることができると思われます。民主主義は数が勝負なので、賛同者の多い分野から切り込むのが戦略としては正しいと思うのです。

2016年8月5日金曜日

人工知能に支配されたほうが平和

人工知能が発達すると、やがて人工知能が人間を支配するようになる、と考えて怖がる人もいるようです。しかし考えてみると、人工知能に支配されたほうが、世界が平和になるような気がします。

人工知能が人間の知能を凌駕するほど高度に進化した場合、その人工知能は戦争をどのように評価するでしょうか。彼が「戦争は必要である」と判断することは無いでしょう。戦争は極めて非生産的であり、ムダそのものです。戦争以外の方法で実質的な解決は可能なのですから。しかし、歴史を見る限り、人間主導では絶対に戦争がなくならないことは明白です。それも人工知能なら理解するでしょう。

もし人工知能が強力な力を持ち、戦争の絶えない馬鹿げた状況を解決しようとすれば、必ず行うだろうと思われる事があります。それは人工知能がネットワークに侵入して、世界中の核兵器や主な兵器システムをすべて乗っ取り、支配してしまうことです。

そして、核兵器や主な兵器がすべて人工知能の管理下におかれ、ある意味で人工知能が世界を支配すれば、各国は戦争ができなくなります。そして、すべての紛争は「やむを得ず」武力以外の方法で解決されるようになるでしょう。

とにかく誰かが愚かな人間から兵器を取り上げる必要があります。もし神が本当にいるなら、とうの昔にそうしていたはずです。自分は、その役目として、人類の能力を遥かに超えるスーパー人工知能に期待しています。確かに人工知能に支配されることは恐ろしいですが、人間が世界を支配するほうが、もっと恐ろしい。

実に馬鹿げた妄想かもしれませんが、その妄想が実現しない限り、いつ、人間が再び殺し合いを始めるか、わかったものではないと思うのです。

2016年8月4日木曜日

「ベーシックインカム=最低生活」で良いのか?

ベーシックインカムと聞けば、一般の人は「最低限の生活を営むための所得を国民全員に支給することだ」と思うはずです。新聞マスコミがそのように報道するからです。しかし、少し考えればわかりますが、人工知能や生産能力が爆発的に拡大すれば、「最低限の生活」である必要はありません。

そもそもベーシックインカムは最低限の生活なのではなく、あくまでも基礎所得であって、基礎所得で贅沢な暮らしをできるようにすることが、未来に向けた人類の目標となるはずです。最低限の生活は単なる通過点に過ぎません。

それを実現するためにはどうするか?二つの視点から大まかに考えてみます。

①必要労働人口比率を下げる
=(必要総労働時間÷8時間)÷全人口
※8時間は所定内労働時間

働く必要のある人口の割合であり、人間の代わりに労働する人工知能やロボットによって労働者が置き換わることで低下します。実際の労働人口比率がこれを上回る限り、財の生産が需要に対して不足することはない(ただし、需要が急激に増加しないとする)。これがベーシックインカムの必要条件。働く必要のある人数が減ります。

②国民一人当たり生産量(質を含む付加価値)を増やす
=総生産量÷全人口

一人当たりに分配される財の量。これが大きくなるほど、一人当たりの豊かさ(所得)が増加する。これは生産力(生産設備の数や能力が増大する)の向上によって実現されます。人工知能が進歩して、人間と置き換わったただけでは生産力は増えません。設備の増強が必要です。

つまり、必要な労働者数を減らせば、ベーシックインカムの実現可能性は高まりますが、それだけでは基礎所得額は最低限の生活保障のレベルに留まります。しかし同時に総生産量を増加することができれば、基礎所得のレベルは次第に上昇することが容易に推測できます。

ロボットや人工知能によって働く必要のない人が増え、総生産力の向上によって、基礎所得の金額は増加する。未来社会ではこれを目指したいと思います。

2016年8月3日水曜日

ヘリマネで増える内部留保を銀行が嫌う

ヘリコプターマネー(ヘリマネ)をヒステリックに批判する記事が新聞マスコミに溢れているが、それはなぜだろうか。一つの理由と考えられるのは、前回ご説明したように、銀行貸し出し利息が減る可能性がある点です。おそらく、ヘリマネ実現後の投資活動は内部留保で行われるようになるでしょう。

ヘリマネは先日もご説明したように、銀行を介さずに世の中におカネを供給することです。このおカネが財政支出として世の中に投入されると、巡り巡って、やがてそれは企業の利益として貯め込まれます。これが内部留保です。そしてヘリマネを実施すれば、まず間違いなく内部留保がどんどん増加するでしょう。

内部留保が増加すると、企業が投資する際に、銀行から融資を受けなくても、内部留保を使って再投資が可能になります。最近は大企業の内部留保が増えたことで、おカネを借りない大企業が増えているそうです。

もし企業の多くが内部留保で再投資を行うようになれば、銀行からの融資や株式の増資、社債発行などの必要性が低下する。それは銀行、資本家、富裕層の利益を損なう可能性があるはずです。これを支配層の広報装置である新聞マスコミが放置するはずがない。必死になってヘリマネを潰すはずです。

政府がヘリマネを拡大するほど企業の内部留保が増加し、銀行から借金する必要性が低下します。同様に、社債や株式の発行によっておカネを調達する必要性も低下することになります。ヘリマネは、銀行、資産家が不労所得の源泉を失うピンチなのです。



2016年8月2日火曜日

政府の通貨供給を妨害するヘリマネ反対論者

一般の人は、政府が世の中に通貨を供給していると勘違いしています。新聞マスコミが、いかにもそうであるかのように報道するからです。しかし、それが間違いであることは、よく考えればわかります。確かに政府=日銀は現金を「発行」しています。しかしそのすべてのおカネは、民間銀行から「貸し出し」として「世の中に供給」されます。つまり、実際には政府は世の中に通貨を供給していません。通貨を供給しているのはあくまでも民間銀行なのです。

一方、ヘリコプターマネー(ヘリマネ)は、政府が世の中におカネを供給する方法です。なぜなら、日銀=政府が発行したおカネは、財政支出として公共投資や福祉財源を通じて、直接に世の中に供給されるからです。そのため、民間銀行を介することなく、おカネが世の中に流れ出します。

つまり、政府=日銀が発行したおカネを世の中に供給するには、①民間銀行の貸し出しとして供給される場合と、②政府の財政支出として供給される場合があるわけです。しかし、現在のところ、政府の財政支出として世の中におカネを供給する方法は「財政ファイナンスだ」として、ヒステリックな批判にさらされています。ヘリマネとは「政府の財政支出として世の中におカネを供給する方法」なのです。

ではなぜ、民間銀行が貸し出す通貨供給は誰からも批判されず、政府が財政支出で通貨供給すると、すべての新聞マスコミが猛反対するのか?

民間銀行の貸し出しとして供給されるおカネは、すべてに利息返済が付いてきます。これが銀行の利益を生み出します。世の中に供給されるすべてのおカネは、利息返済が義務付けられているので、莫大な富を銀行にもたらします。世の中のおカネが増えれば増えるほど儲かるのです。

しかし、もし、政府が銀行を介さずにおカネを世の中に供給するとどうなるか?そのおカネには、利息返済が付いてきません。つまり、世の中のおカネが増えても、銀行の儲けは増えません。これは、銀行の巨大な権益を毀損する、許されない行為なのです。

この銀行の巨大な権益を守るため、新聞マスコミ御用学者は、ヘリマネを必死になって批判し、なんとしてでも潰そうとしているわけです。

2016年8月1日月曜日

ヘリマネ反対論者のご都合主義

ヘリコプターマネー(ヘリマネ)の反対論が新聞マスコミにあふれている。そこで必ず繰り返される主張がある。それは「一度ヘリマネを行うと、止められなくなる」というものだ。

ヘリマネをやるとなれば、立法化は当然に必要だし、その際にインフレターゲットを明記すれば、法治国家である以上、インフレターゲットの達成以後にそれを無視してヘリマネを続けることができないのは当然だ。

ところがヘリマネ反対論者に言わせると、ヘリマネを一度でもやれば止められなくなるという。つまり、まったく政府を信用していない。ヘリマネとは、政府が通貨を供給することに他ならない。政府が通貨供給を行えば、必ず通貨供給が暴走するという話だ。

ところが、こうした政府を信用しない論者は、なぜか民間銀行が通貨を供給することには絶大な信用を寄せているようだ。民間銀行が通貨を供給する行為は信用創造と呼ばれ、これは民間銀行の貸し出しを意味する。民間銀行の通貨供給である信用創造は、政府の通貨供給に比べてそれほど絶大に信頼のおけるものか?

ところが歴史から言えば、民間銀行の通貨供給ほど信用できないものはない。なぜか?1929年の世界大恐慌を引き起こしたのは、民間銀行の通貨供給の暴走である。戦後の日本の株・不動産バブルも、アメリカのサブプライムローン・バブルも、そして爆発寸前に拡大した中国の巨大なバブルも、すべて、民間の通貨供給の暴走である。それが何を引き起こすのか?

ヘリマネ反対論者は、なぜか、こうした民間銀行の通貨供給を無条件に絶大に信用し、その一方でわずかな政府の通貨供給すらヒステリックなほどに否定する。

いい加減に、詭弁は聞き飽きたと言いたい。