2017年5月22日月曜日

議論より共感戦略が有効な理由

どれほど理論的に整合性がある主張でも、相手の考えを変えることはできません。なぜなら人間は理論を使っている時でさえ、その動機の根底には感情があるからです。真意はその人の発言内容とはむしろ別のところにある。場合によっては、本人が気付いていない、無意識の中にあるからです。

多くの人は理性が感情よりも上位にあり、理性が感情をコントロールすると思い込んでいます。しかし実際には感情が理性の上位にあり、感情が理性をコントロールしています。

感情が理性の上位にあるため、仮に理論的に正しいとしても「納得できない」と感じることが多いのです。そして納得できなければ、理論を駆使して反論しようと試みます。つまり「ああいえばこういう」の水掛け論になります。ところが、理論的にへんな話であっても、感情的に共感すればあっさりと受け入れるでしょう。

もちろん例外はあるでしょうが、基本的な性質として、人間の動機付けは感情が上位にあり、感情が理論をコントロールします。これを理解すれば、なぜ議論より共感戦略が有効であるかがわかると思います。

議論といっても二種類に大別されると思われます。
①論証としての議論
②相手を論破するための議論

①論理的な整合性、実現可能性、機能性などを検証するために、自分の考察だけではなく、他の人の考察を参考にする意味において、議論は有効です。もちろん議論しなくても、他の人の論文を読むとか、自分の考察でも論証は可能ですが、他人との議論を利用することで、新たな気付きを得る(発見)ことができます。基本的に勝敗をつけるものではありませんし、ブレーンストーミングやコーチングの手法にも通じると思います。これには効果的な議論の手法について理解している必要があります。

②議論によって勝敗を付ける、方向性を決める、他の考えを排除する、そうした議論があります。議論で白黒をつける、勝敗をつけることが必要だといって論戦を吹っかけてくる変な人が居ますが、これがそれです。相手の論理展開を行き詰まらせ、黙らせることで相手を排除することに力点が置かれる傾向があるため、論が一方的な押し付けとなり、論証としての参考にならない場合が多いです。また、ほとんどの場合ケンカになり、感情的な対立や遺恨を残します。

さて、ネット等でみられる議論のほとんどは②です。自称①だと言いながら、見ていると最終的には②になります。そのため、議論のほとんどが不毛砂漠の状態になっています。しかし、訓練されていない素人の議論はそうなりがちだと思います。ですから、普通の人が議論で理解を深めたり、相手の考えを変えることはとても難しいと思います。仮に論破したところで自己満足に過ぎず、感情的な対立をあおり、敵を作るだけで終わるリスクもあるでしょう

ですから、一般大衆の意思を変えるには感情に訴えかける「共感」が最も有効です。とはいえ人間は言語(理論構造)を介して理解するため、理論は必要です。ただし、あくまで共感を引き出すための理論だけあれば十分だと思うのです。

民主主義においては、数が勝負ですから、いかに味方を増やすかで勝敗が決まります。ビジネスの世界でも、顧客を論破することは何の得にもなりません。自分達の利益を増やすためには、味方やファンを増やさねばなりません。

ツイッターでも議論はほぼケンカになっています。いちいち他人の異論に腹を立てて批判したり、他人からの批判に応じてケンカするのはバカバカしいので、そんなことはやめて、共感を広める方法を研究すべきではないかと思うのです。

もちろん、新聞マスコミや政治家は徹底的に叩くべきですがw。

2017年5月19日金曜日

日銀にも国民審査制度が必要

司法には最高裁判所裁判官の国民審査という「国民の審判」があります。民主主義なら当然に必要だと思います。しかし国民の主権である通貨発行権を預かる日本銀行は国民の審判を受けません。これは非常に大きな問題だと思います。日銀が主権の外にあることになるからです。

日本銀行のような中央銀行は政府から独立しているのが望ましいとされています。しかし、国民の主権から独立しているなら、それは国民主権の侵害に当たります。国民主権を担保するには、政府から独立している司法と同じように、国民審査が不可欠です。

一般に金融政策は専門性が高く、それゆえ政府からの独立が許されていますが、専門性が高いのは司法とて同じことです。専門性を口実として、国民の意向を無視した権限の乱用を許すわけにはいきません。

「どうせ国民に金融はわからないだろう」では済まされません。金融の専門家、経済学者は何のために居るのか?それこそ様々な意見を専門家、経済学者から集めて新聞マスコミで紹介する必要があります。むしろそのような活動によって、初めて国民の意識が高まり、国民の金融リテラシーが向上することになるでしょう。

それをやらずに日銀に好き勝手にやらせた結果、日銀が暴走し、日本に失われた20年をもたらした、とも考えられます。

日銀の総裁、副総裁、審議委員の国民審査を行うべきです。それぞれの委員がどんな発言をし、政策決定においてどんな意見をあらわしたか。これは毎年、複数の専門家が分析して、評価レポートを書き、国民に新聞マスコミを通じて公表する。それを参考にしながら、たとえば参議院選挙と同時期に国民が国民審査投票を行うような方法です。

実際には、ほとんどの人は無関心か、分からないかもしれません。しかしそれでも、日銀の国民審査があれば、日銀に対する国民の意識を少しでも高める効果はあります。国民経済の最重要インフラである金融や通貨に関する国民の関心、理解を少しでも高める必要があると思うのです。

2017年5月18日木曜日

野党に期待できない理由は「緊縮」だから

安倍自民党はダメだが、野党もまるでダメ。なぜなら野党も基本が「緊縮財政」だからです。カネの使い道が違うだけで、カネをケチる点では自民党と大差ありません。日本はケチな政党ばかりです。

まるで日本全国が財務省の「緊縮毒雲」に覆われているかのように、与党も野党も基本は緊縮財政です。おカネを増やして国民の購買力を高めよう(内需拡大)と考える政党はありません。

日銀が現金(日銀当座預金)を発行していますが、あれは国民の購買力を高めているのではなく、「貸し出し用の元手」を民間銀行に与えているだけです。だから、日銀がいくらおカネを発行しても、誰かが銀行から借金しないと世の中のおカネは一円も増えません。自民党も基本は「緊縮」なのです。

もちろん、企業が民間銀行から借金すれば、その借金が巡り巡って国民の手に渡る可能性はあります。ところが、日銀の金融緩和すら反対しているのが、民進党をはじめとする野党ですから、野党は自民党に輪を掛けて「ド緊縮」なわけです。

また、日銀が国債を買い取れば、それだけで国民の借金負担は減るのですが、これにも野党は反対しています。国民の負担を軽減するどころか、民進党は消費税を増税して、国民に「借金はびた一文残さず払え!」と迫ります。

まるで日本全国が財務省の「緊縮毒雲」に覆われているかのように、与党も野党も「緊縮!緊縮!」ですから、こんな状況では仮に野党に政権交代したところで、やはり「緊縮」ですw。カネの使い方が違うだけで緊縮!緊縮!。期待するだけバカを見ます。

内需拡大、デフレ脱却、国民所得向上のために、世の中のおカネを増やして国民に撒く。こういう政党が日本に無いのは驚くべきことです。しかも、これが1900年代のインフレ時代ならまだわかります。それが、あろうことか生産過剰、消費不足、デフレ、技術的失業の時代になっても、まだやってるw。いやはや・・・。

そんなに世の中のおカネを増やしたくないのかよ。
つまり、与党も野党も「金貸しの利益」が優先だ。

世の中のカネの量が少なければ少ないほど、通貨需要は増大し(金利が高くなる)、通貨を貯め込むほど利子がたんまり稼げる。自民党ならいざ知らず、左派のはずの民進党、それどころか共産党までが金貸しに協力的だw。

こんな状態で、野党なんか期待できるわけがない。

2017年5月16日火曜日

BS知らなければ金融政策は理解不能

BS(バランスシート)を知らなければ金融政策を理解することは不可能です。新聞マスコミを読んで金融政策を知ったようなつもりで居ると、間違いなく御用学者に騙されてしまうでしょう。BSを知らなければ赤子同然なのです。

新聞マスコミはBSを用いて金融政策を説明しません。恐らく、その方が簡単に庶民を騙せるからだと思います。BSを用いて説明すべきことを、言葉だけで説明しようとすると、相当な困難に直面します。もちろん、BSを知っている人ならBSを用いない説明を聞いても意味を理解できます。しかし、BSを知らない人が聞いても、まるでチンプンカンプンか、トンでもない誤解をしている可能性が高いでしょう。BSは図で説明しなければ理解は困難だからです。

そして、金融政策とBSは不可分です。
ゆえに、BSを知らなければ金融政策を理解できないのです。

新聞マスコミが金融政策に関して偉そうなことを書いていても、それをBSで書かないのは非常に怪しい行為です。実のところ、BSで書くと「逃げがきかない」のです。言葉だと、ああいえばこういう式に逃げられますが、BSは数式のごとく厳密なので、誰も逃げられない。ウソだったら、たちどころに炎上します。

たとえば、民間の国債購入、日銀の国債買い入れ、財政再建まですべてBSで説明できます。政府、日銀、銀行、民間のBSをならべて変化を追うのです。それをやると、新聞マスコミの説明とは別のことが、いろいろ見えてくるのです。これがまずいんでしょう。庶民が余計な知識を膨大に身につけてしまうことになるからです。

「国の借金ガー」「ハイパーインフレガー」を垂れ流している評論家の本も、BSが書かれていない場合は、ウソ八百を流している場合があるかも知れません。BSを使わなければ、ああいえばこういう式に、どうとでも言えてしまうからです。

BSの基本的な概念は決して難しくありません。もし、新聞マスコミが庶民を騙すつもりでないのであれば、BSの初歩から国民に説明を尽くすべきだと思います。


2017年5月15日月曜日

反グローバリズムの成果が現れたG7

米国の保護主義的な政策、欧州各国における反グローバリズム政党が台頭する中で行われた5月のG7財務省会議において、格差是正が声明に取り上げられました。これは反グローバリズムの高まりがもたらした「成果」かも知れません。

引用:G7声明は世界経済が成長する一方で、低・中所得者に影響が大きい格差の拡大に直面してきたと指摘。「経済成長の果実が広く共有され、成長率を引き上げることに取り組む」とし、格差是正に向けた政策課題を示した付属文書をまとめ、各国に実行を促した。(時事通信)

こうした格差是正の声明が盛り込まれた理由は、米国や欧州において高まっている反グローバリズムに対する政治支配層の危機感でしょう。反グローバリズム運動によって彼らの足元が危なくなって、ようやく事態を改善しようとする姿勢を示したわけです。所詮、それがなければ既存の政治家は何もしない。

もちろん、こんな声明一つで何が変わるとも思えないですし、単なるガス抜きのリップサービスだと思われます。それでも公式声明があるだけでもマシでしょう。まだ、始まったばかりです。つまり、

ますます反グローバリズム運動を高める必要がある。

政治支配層のリップサービスだけで終わらせないよう、実際の効果があらわれるまで、反グローバリズム運動を継続しなければなりません。その意味で、欧州における極右政党の台頭は「怪我の功名」かも知れません。そんなことを言えば彼らには失礼かも知れませんが、ある意味「極右政党という武器をチラつかせないと、既存の政治支配層は何もしない」。

極右、極左政党の台頭を歓迎しよう。

毒をもって毒を制する。それくらいのしたたかさがなければ、政治支配層には対抗できないかも知れません。冗談がきついと思われるかも知れませんが、大衆はそれくらい怒っているのです。極右政党は大衆にとって最終兵器かも知れません。もちろん兵器は諸刃の剣です。しかし肉を切らせて骨を絶つしか道は無いかも知れないのです。

大衆に最終兵器を使わせるとしたら、
それは既存の政治家の責任である。

2017年5月12日金曜日

地動説が一般化するまで約100年

人々が天動説を信じる世の中で地動説を唱えればまさに「異端」扱いです。地動説が世の中であたりまえだと思われるようになるまで約100年を要しました。「ベーシックインカムはあたりまえ」との認識が普及するのは容易ではありません。

コペルニクスが地動説を発表したのは1543年です。彼はその直後に病死しますが、その後に地動説を唱えたジョルダーノ=ブルーノは教会から「異端」とされて1600年に処刑されました。その後、ガリレイが地動説を支持するも異端とされて、1633年、地動説を取り下げました。それからケプラー、ニュートンを経てようやく地動説は「あたりまえ」と人々から認識されるようになりました。

その間およそ100年。それでも、一説によれば今もなおアメリカ人の4人に1人は天動説を信じているとされます。こと、自然科学においてすらそうなのですから、思想・信条の問題であれば、その程度はさらに大きくても何ら不思議ではありません。

生まれてからずっと「所得は労働の対価」である、と信じてきた多くの人々にとって、「所得は必ずしも労働の対価である必要は無い」との考えは、極めて異端でしょう。人間は常識に依存して生活する動物ですから、そうした人々を責めることはできません。そのような人間の常識を変えるには、どうすれば良いでしょう。

常識によって彼らが得ている利益は何かを明らかにし、その利益を尊重しながら、さらに彼らの利益を増やす方法として、「所得は必ずしも労働の対価である必要は無い」という、新しい常識を理解してもらうしかありません。焦りは禁物です。イライラして天動説の人に噛み付いても、迫害されるのは少数派の方ですから、にこやかに粘り強く、ウンザリするほど繰り返すしかないような気がします。マスコミの財源ガーなみに同じ事を繰り返すわけですw。

焦らなくても、古い常識に縛られた人々の考え方を変えるための条件は整いつつあります。テクノロジーの爆発的な進化です。これがあれば、「所得は必ずしも労働の対価である必要は無い」ことが明白になるのは時間の問題であり、早晩、「いつから、どんな手順でそうするか」だけが論点になるはずです。

2017年5月10日水曜日

フランを仮想通貨で復活したらどうか

ユーロの緊縮政策がもたらす失業と格差に苦しむフランス。通貨を収奪の手段に利用する勢力に対抗するため、フランスの通貨「フラン」を、ビットコインと同じ仮想通貨として復活させたらどうだろうか。それならユーロ圏の離脱は必要ない。

フランスに足りないのは労働力でもなければ、生産性でもない。おカネが足りないのです。おカネが自由貿易と市場原理によってどんどん他の国に吸い上げられてしまい、経済活動のために循環すべき通貨が不足している。しかし、通貨発行権のないフランスは逆立ちしてもユーロを増やせない。しかも、国民はユーロというカネの幻想から醒めないまま。

なら、フランスの通貨「フラン」を仮想通貨で復活してはどうか。

もちろん、フランを法定通貨とすればEU内は大騒ぎになってしまうでしょう。法定通貨である必要はありません。ビットコインが法定通貨でないのと同様に、法定通貨でなくとも通貨は機能するのです。

仮想通貨は金利が付かない、ですから「貯め込む」利点はありません。しかし手数料を格安、あるいは無料化できるでしょう。つまり貯め込むのではなく「財やサービスを交換する」のであれば、法定通貨でなくとも利点が大きいのです。つまり当初は「取引専用通貨」として、利便性をてこに普及を図るのです。

珍しいことではありません。取引専用通貨なら、電子マネー、SUICAなどと同じなのです。ユーロからフランへの交換は1:1、フランからユーロへの交換はなし。それでもSUICAと同じように、利便性によって利用者が増大する可能性は十分にあります。もちろん電子マネーの一種として、ビットコイン同様、政府はこれを禁止できません。

そして、フランが十分に利用されるようになれば、仕掛けるのです。
ベーシックインカムを組み込んだ通貨として。

一定割合で万人に分配される通貨の働きにより、おカネの不足は解消されます。フランスに足りないのは労働力でもなければ生産性でもない、まして財は有り余っています。足りないのは、おカネです。

そして、テクノロジーの進化と共に、「貯め込むためのユーロ」は流通しなくなり、「使うためのフラン」が流通の中心になるはずです。通貨は使うからこそ普及するのです。そして使われるからこそ価値が担保されるのです。

ユーロの緊縮に苦しむフランス人のために、
フランを仮想通貨で復活したらどうか、と思うのです。

2017年5月9日火曜日

ルペン氏は民族主義に頼りすぎている

反グローバリズム運動は民族主義ではなく、経済政策の見直しがその本質です。しかしルペン氏は経済よりも民族主義的な反グローバリズムの色彩が強い、これでは左派系の人々の支持を得ることは難しい。失業と格差を解消すべく、経済的な政策を強化すべきでしょう。

まずルペン氏が行うべきは、国民にグローバル経済の課題を理解させることにあります。フランス国民の多くは、通貨統合ユーロが今日の経済的な不況、高い失業の原因であることを理解していないようです。なぜなら世論調査においてユーロからの離脱を望む人が少ないからです。これはかなり致命的だと思います。

もちろんユーロに加盟したままであっても、ECBが今よりさらに拡張的な金融政策を行い、加盟各国の財政政策のためにヘリマネのような支援を実施すれば良いのですが、今の緊縮状況では、明らかに通貨統合が裏目にでているだけです。これなら独自通貨の方が、マクロ経済政策を駆使できる分だけ、経済を立て直すには有効なのです。

こうしたことを理解させなければ、広く国民の支持を得ることはできません。多くのフランス人は深く考えることなく、新聞マスコミのばら撒く「統合のばら色イメージ」を漠然と信じて、感情で動いているからです。もちろん、新聞マスコミのばら撒く「極右のマイナスイメージ」も、漠然と人々の感情に影響しています。

民族主義だけで経済の問題を解決することは不可能です。

民族主義的な立場、つまりフランス・ファーストとして、輸入品に関税を掛けるだけでは経済は立ち行かないです。移民を制限しただけでも経済は立ち直りません。経済の問題は経済の理論を使って解決する必要があるのですが、ルペン氏にはそれが弱い。

テロリズムによる社会不安の増大や、それに伴う排他的民族主義の高まりを支持基盤としても長続きはしません。治安が回復すれば用済みになるだけです。しかし、治安が回復しても失業や格差が改善することはありません。だからこそ、長期的には失業や格差を解消することが政策として最も重要です。

ユーロ離脱がなぜ失業や格差の改善に役立つのか、デフレの解消に役立つのか、そうしたことを十分にフランス国民に理解させること無く、民族主義的な、主権独立の精神だけで「ユーロ離脱」を唱えたところで、支持を広げることは難しいでしょう。

民族主義的な枠組みを超え、右派左派の壁を超えて、経済分野における「反グローバリズム」勢力の幅広い結束を実現する。それこそ、一般民衆が拝金主義・グローバル資本の世界支配に打ち勝つ唯一の方法だと思います。

2017年5月8日月曜日

マクロン氏はEU財政統合を目指すべき

マクロン大統領の誕生で、フランスが「失われた20年」に陥るリスクが非常に高まりました。金融・財政政策が使えないからです。この状態を打破するためにはEU財政統合しかありません。一言で言えば「ドイツのカネをフランスに再分配しろ」です。

フランスはユーロ(通貨統合)によって通貨発行権を失い、その結果、国家の二大マクロ経済政策である、金融政策と財政政策の両方を失いました。金融政策はECBに握られ、財政政策はEUから緊縮を強制されています。この状態でフランスに残された政策余地は、国民を市場原理・自由競争でさらにしばく政策、つまり「規制緩和」「構造改革」だけでしょう。

「緊縮+構造改革」は日本における失われた20年そのもの。
ようこそ、フランス。失われた20年へ。

フランスはデフレと失業から抜け出せず、「勝ち組み」と「負け組み」の社会分断はさらに深まることになるでしょう。

マクロン氏がマクロ政策で今できることは、ECBに泣きつくことだけ。なんとも情けないですねw。しかし、欧州統合派のマクロン氏にも逆転の目がないわけではありません。逆転満塁ホームラン級の手があります。それが「EU財政統合」です。財政統合なら、EU統合にも矛盾しません。マクロン氏が進めるべきはこれでしょう。

財政統合を簡単に言えば、市場競争を通じてユーロを吸い上げているドイツに課税して、そのおカネでフランスの財政政策を賄うというものです。簡単に言えば、統合EUにおける再分配政策です。国境を越えて再分配を行うのです。

通貨統合でカネは国境を越えて吸い上げられるのに、再分配は国境を越えないのが今のEUです。これでは、同じEU内でも国家間で格差が激しくなるのは当然です。日本でも地方への再分配が無くなれば、地方が疲弊してしまいますが、それとまったく同じです。

ドイツで課税してフランスに再分配する。その再分配で財政政策として社会保障はもちろん、インフラ投資、産業育成なども行えばよいでしょう。それなら、通貨統合に伴って損なわれた財政政策の自由を回復することが出来ます。

そんなに「統合」が好きなら、
財政も統合して、きちんと再分配すべきです。

そうそう、もう一つ、すごい方法(冗談)もありますよ。財政が統合できないなら、フランス人がドイツに民族大移動するんです。そしてドイツ人になる。「人の移動は自由」なのだから、フランス人がドイツに大挙して押し寄せて、ドイツを占拠して権利を主張すればいいんですw。民族統合ということで。

2017年5月3日水曜日

9条護憲運動をより効果的にする方法

憲法9条の考えは素晴らしいと思いますが、日本の憲法だけに9条があっても平和への効果は限定的です。世界中の国の憲法に同じ条文を載せて、初めて効果的に機能します。9条護憲運動の前提は、そこになければならないと思います。

憲法9条の考えが素晴らしいことは疑いの余地もありません。しかし、日本が外国に武力行使しなくとも、外国が日本に武力行使する可能性は排除できません。それは誰でも理解できることです。ですから、平和な世界を実現するには、日本の憲法9条と同じ「不戦の誓い」「武力放棄」を世界中の国の憲法に明記させる必要があります。つまり、そうした運動が欠かせないと思われます。

もちろん世界中を飛び回ってデモ活動するのは難しいですが、少なくとも日本と外交関係があり、日本国内に大使館があるすべての政府に対しては、それらの国の大使館前でデモを行い、各国政府に啓蒙活動を行うことは十分に可能だと思われます。とりわけ日本に地理的に近い国において、その優先度が高いのは明らかです。中国、韓国、北朝鮮の大使館(北朝鮮は大使館が無いので、朝鮮総連でOK)には、ぜひ「憲法9条の精神を、貴国の憲法にも反映させよ」との啓蒙デモ活動を行うべきではないかと思うのです。そして、中国、韓国、北朝鮮の政府関係者から、自国の憲法に不戦の誓いを反映する是非について、コメントを求めるのです。それを新聞マスコミで大々的に報道します。

自国の憲法については、それぞれの国民が考えること、そう思われるかも知れませんが、平和とは国家間の関係性で成り立ちますから、自国だけでは意味がありません。当然ですが、他国の国民に働きかける必要があり、その一つの方法として外国大使館に働きかけるというものです。その映像がマスコミを通じて、その国で報道されれば、その国の国民にも影響を与えます。

憲法9条はすばらしい、しかし日本政府だけに求めても効果は極めて限定的で、あまり期待できません。憲法9条の精神を全世界の憲法に乗せるべく、護憲派デモの皆様には世界の大使館前で啓蒙デモ活動を行っていただきたいと思います。イヤミで言っているのではありません、行うのであれば、より有効性を高める方法を検討するのは当然だろうと思うのです。

逆に、日本政府だけに「不戦」「武力放棄」を求めれば、それは図らずも、結果的に「外国勢力を利する」ことになってしまう場合があります。それは不本意なことです。そうした意味からも、是非、中国、韓国、北朝鮮の大使館にも押しかけて、「憲法9条の精神を貴国の憲法にも乗せろ大運動」を繰り広げてくださるよう、心よりお願い申し上げます。

2017年5月2日火曜日

日本も大統領制で政治に責任を

アメリカでは既存の政治勢力に属さない大統領が誕生し、今回のフランス大統領選挙でも同じ傾向が見られます。イギリスのブレグジットも国民投票という、民意を直接に反映する方法でした。日本にもそうした「直接民主主義」が必要だと思います。

もし日本が議員内閣制じゃなくて大統領制だったならどうでしょうか。マスコミの世論調査によれば、日本では既存のどの政党も支持しない無党派層が40~50%を占めていますから、日本でも同様に「既存の政党に属さない指導者」が誕生する可能性があるかも知れません。

もちろん、それが結果として国民にとって吉と出るか凶と出るか、何ともいえません。何しろ国民の質が政治家を決めてしまいますから、上っ面だけ良くて、まったく無能な指導者が選出される危険性もあります。しかし、そうした「痛い目」を見ることで、逆に国民の政治的な自覚・責任を促す効果もあるはずです。

マスコミはこれまで「国民は被害者」というスタンスで報道を繰り返して国民のご機嫌を取ってきました。そのため大衆には「国民は被害者」としての意識ばかりが強くなり、自分達に政治の責任があるとの意識は薄いと思われます。

議院内閣制であれば「首相は自分達が選んだのではない」との逃げ道があります。そのため、国民はマスコミと一緒になって無責任に首相を批判していれば不満を解消できるわけです。ところが大統領制になれば、その大統領を選んだのは国民であり、それこそ「任命責任」は国民にある。

こうした、いいわけが効かない立場に国民を置き、国民の責任で政治を担うのが本当の民主主義でしょう。

間接性の強い民主制度は、中間ですべて中和されてしまいます。国民の要望も中和されますが、責任も中和されてしまう。しかし、これが既得権者の大衆支配のセオリーなのかも知れませんね。そのため、既存の支配層は国民の政治意識を高める「直接民主制」に強い危機感や拒絶反応を示しています。新聞マスコミを通じて、さかんに直接民主制に否定的な記事を流すのはそのためではないでしょうか。

それが、「ポピュリズム(大衆主義)」に対してさかんに行われる批判、あるいは「直接民主制の限界」のような評論家の記事として新聞の紙面に出てきているのだと思います。

しかし、民主主義こそ「痛みを伴う改革」が必要ではないでしょうか。国会議員に行政の長たる首相を任命させておいて、自分達が選んだんじゃないから、なんて言わせない。自分達が選んだ大統領に自分達が責任を持つ。

そうした甘えの無い、緊迫した政治が日本には必要だと思います。

2017年5月1日月曜日

日本人は「しばきあげ社会」が大好き

日本人はよほど「しばきあげ」が大好きなようです。根性論で戦争を押し進め、国民を弱肉強食の戦地に送り込み、前代未聞の損害を与えた「軍官僚の暴走」の過去を反省したほうが良いと思います。

日本は「一億・総しばきあげ社会」です。まず失われた20年。技術革新による人手余りで、徐々に労働環境が悪化しているのに、財務省は緊縮財政で国民をしばき。日銀はデフレを放置で国民をしばき。企業は低賃金・長時間ブラック労働でしばきw。

仕事が減っているというのに、「所得の低下と失業は自己責任だー、社会(マクロ)に責任を転嫁するなー」と叩きまくる奴らが大量に発生してしばきw。新聞マスコミが総出で「消費税の増税と社会保障の削減をしろ」としばき、労働者の政党であるはずの民主党(当時)が消費税の増税法案を強行して、止めを刺す。

近頃、金融緩和でようやく人手不足になってきたと思ったら、人材派遣会社が賃金をピンはねでしばき。新聞マスコミは人手不足だと大騒ぎするが、企業は消費税の増税が先に見えているから、安易に正社員を増やすより派遣を増やして様子を見るのは当然です。もし増税不況になったら、派遣切りでしばく気が満々w。同一労働、同一賃金でも、首を切られりゃあ元からパアだね。

マスコミ御用学者一体で、そんな茶番を繰り広げる一方で、政府は一億総活躍と称して、老若男女すべてを労働に刈り出すど根性政策にまい進。なんとしても働かなければ、国民に一円も与えない。女性が働かなくても子育てできる「所得保障社会」を実現するんじゃなくて、女性を働かせるための政策を推進。女性を労働に駆り立てるために、新聞マスコミがイクメンなどとはやし立てるありさま。

すばらしき、一億・総しばきあげ社会。

何のために科学技術が進歩してるのか、お答えください。
(答え:しばき拷問装置を高度化するため)

本日はブラックきつめの一杯でしたw。