2011年12月31日土曜日

増税論に鉄槌を

政治家としての集大成が増税という異常な首相とそれをサポートするマスコミも、ここまで徹底されると陰謀すら感じるようになる。オフレコ取材で何か情報談合したのか?

①増税は問題の本質を先送りするだけ

少子高齢化で税収が落ちるというのは単なる収支の問題であって本質ではない。社会保障に必要なのはカネではなく財(商品やサービス)だ。日本国民が必要とする財(輸入代価としての輸出分も含めて)の生産能力を維持する事こそが、少子高齢化における安定した社会保障実現のための本質的対策となる。カネは財の市場における交換のための道具に過ぎない。カネさえあれば社会保障が実現するわけではない。むしろ増税により経済活動がさらに低迷すれば財の生産能力はさらに低下する。増税は本末転倒の行為なのだ。ゆえに増税は単なる帳尻あわせであって問題本質の先送りに過ぎない。

②少子高齢化でも生産能力は不足しない

生産能力は単に労働可能な人口だけで決まるのではない。技術革新による生産性の向上は人口一人当たりの生産量を増やす事になり、少子高齢化においても日本の総生産力を維持あるいは向上させることが可能だ。むしろ人口減少と高齢化により日本で必要とされる財の総量が減る事を考慮すれば、少子高齢化が生産能力の不足を招くとは到底考えられない。ましてや現在の日本はむしろ深刻な「人余り」であり、生産能力の不足どころか過剰が問題である。吹雪の中で熱中症の心配をして体を冷やすヤツも珍しい。

③増税が消費税である必然性が無い

現在の日本が深刻なデフレであることは論を待たない。デフレの原因は需要不足、つまり国民が消費をしないことに原因がある。その消費に懲罰的な課税を強化すれば消費が減少してデフレを悪化させる事は明白です。では、消費をせずに何をしているのか?カネを貯め込んでいるのです。使わずにカネを貯め込むからデフレになるのです。ゆえに、課税するのであれば金融資産とくに現金・預金に課税すべきです。デフレ環境下では消費ではなく貯蓄に懲罰的な課税を行うべきです。年金や住宅ローンの頭金などの例外を設けて、たとえば1000万円以上の金融資産に一律2%の課税をします。すると使わないで貯め込まれていたカネも動き出します。

消費税はインフレ環境下の税制です。諸外国はインフレターゲットにより経済をインフレ化しておりますから、消費税率で税収をコントロールするのは一定の道理があります。ところが日本は日銀の政策失敗により事実上のデフレターゲットで経済がデフレ化しています。デフレなのに消費税率で税収をコントロールするなどまったく意味不明、支離滅裂です。

④年金財源が税である必然性が無い

税方式の年金は世界の常識とかけ離れているそうです。年金は自己責任で自分たちが働いて積み立てたおカネの範囲で行うべきです。国の使い込みがバレないように税を導入してうやむやに解決しようとしているとしか思われません。年金額の少ない低所得高齢者の貧困対策はいわゆる「生活保護」として行うべきで、これが本当の社会保障です。そのためにこそ財源を確保すべきでしょう。

⑤給付付き税額控除は官僚得意のゴリ押し

そもそも、逆進性が高い消費税を強化することが税制のゆがみを生んでいるのだ。給付付き税額控除の考えは、わざわざ必要ないゆがみを作っておいてから矯正するという、ビジネスの世界では理解不能の非生産的アプローチだ。つまり増税は逆進性の低い税目で行うというのが役人以外の普通の常識です。もちろん増税の必要性はないが。

まずデフレを解決し、税収を増やす事が先決。順番が極めて重要なのはビジネス社会では常識だが、お役所は違うのか?順番を間違えると結果は180度ちがった事になる。

2011年12月30日金曜日

増税は避けられないというウソ


まるで消費税増税で社会保障が安定するかのようなウソが繰り返されている。しかも歳出削減すれば増税の影響が軽減されるかの如きマヤカシのおまけまで付いてきた。消費税を増税しても歳出を削減しても、財政再建の問題も社会保障の問題も根本的に何も解決しない。マスコミは最も重要な問題から逃げている。

デフレ脱却なくして財政再建も社会保障の安定も無い

原則はデフレ脱却です。このがん細胞を放置したまま単に鎮痛剤を与えたり栄養剤を補充しても、一時的に症状は良くなるが患者はじわじわと死んでゆく。デフレの最も恐ろしい影響は、日本の生産能力を破壊する事にあります。生産能力が人々の生活を支える財(商品やサービス)を作り出す。これが破壊される事は致命的なのです。財政が破綻してもインフレになるだけで商品量は不足しないが、デフレを放置すると生産能力が破壊されてモノ不足の貧困社会になる。

どれほど少子高齢化が進んでも、日本国民の需要を満たすだけの生産力があれば、何も恐れる事などありません。技術革新による生産性の向上は単位人口当たりの生産能力を向上させることにより人口減少下においても生産能力を維持・拡大させる事を可能とします。ましてや日本には活用されていない生産力(デフレギャップ)が20兆円以上あります。まずこれを活性化することが財政再建や社会保障制度の安定に不可欠なのです。

循環する通貨を増やしてデフレ脱却せよ

①日銀は通貨を発行し、買いオペではなく、直接国債を引き受けよ
②または政府通貨を発行し、社会保障・震災復興に投入して需要を高めよ
③するとデフレで大量にある余剰生産力が活用される=失業が改善する
④循環通貨量が増大して税収が増える
⑤通貨量の増大により円高が解消されて輸出企業の収益が改善
⑥法人税の税収が増大する

貯蓄の減少は国家バランスシートの縮小が原因に過ぎない

民間の貯蓄が減って国債を買い支えられなくなる、というウソも流されている。簿記のシステムにおいて、資産と負債の合計は同じです。経済の主体を「民間」「政府」「企業」とすれば、民間預金が減れば、その分が必ずいずれかへ行く。この場合は企業へいく。企業の預金が増えれば、それを預かる銀行はやはり国債を買うだろう(もちろん設備投資にまわしてくれれば経済回復するので財政再建できるが)。つまり企業と民間の預金の合計は減らない。だから国債を買い支えられなくなることはない。もし預金の総額が減るとすれば、それは銀行への借金を減らした場合だ。預金(資産)は借金(負債)の裏返しなので、銀行への借金が減れば預金総額が減る事になる。これが国家バランスシートの縮小。つまり、だれかが借金しなければ成り立たない現代経済システムにおいて「誰が借金するか」という問題なのです。この狂った借金経済システムこそが元凶。

このシステムにおいて、バランスシートの縮小を防ぐには政府が債務を増やすしかありません。ただし金利負担のない債務で行う必要があるのです。これが日銀の国債引受に他ならない。実に簡単ですね。バランスシートの拡大を民間に売却する国債(返済利息付きの国債)でやらなければならない理由は無い。そんなことをするから国が借金の奴隷になるのです。

「痛み」に陶酔するマスコミ

マスコミは「痛みを伴う改革」を連呼する。お得意の繰り返し報道だ。「痛みを伴う改革」が良い事のように刷り込みたいらしい。ところが「痛みを伴う改革」と「痛みを伴う改悪」は異なる。マスコミはよほど苦行がスキなのか、痛みを伴う変化は常に良い事と信じているようだ。苦行における自己陶酔や宗教における神との契約を彷彿させる禁欲ぶりではないか。そのような精神主義では太平洋戦争の二の舞だ。戦時下の翼賛報道と同じ。

小手先の低所得者対策というマヤカシ

失業は貧困の極めて大きな原因となる。失業をもっとも悪化させるデフレを放置したまま低所得者対策を行ってもきりが無い。穴の開いたバケツに水を入れるようなものだ。まずバケツの穴をふさぐ事。フィリップス曲線も知らんのか?

日銀の忠実な下僕

誰の事かな?


2011年12月24日土曜日

財政危機という壮大な茶番劇

財政危機は壮大な茶番劇です。なぜなら財政危機の本質は日本のバブル崩壊の後始末を国民に押し付けるための空騒ぎだからです。

バブルの産み出すカネつまり負債は、短期間に、しかもレバレッジなどにより実体経済の何倍ものスケールで一気に膨れ上がる。ところが、この負債を返済するために、実体経済は何年も重い十字架を背負わされる事となる。そして多くの場合、その十字架(税金)を背負うのはバブルの当事者ではなく、無関係な多くの一般国民なのです。マスコミも政治家も決して触れない話です。

バブルのツケを国民が払う仕組み

その仕組みはこうです。まずバブルの始まりから見ていきましょう。はじめに銀行が借金を企業に貸し付けます。企業はそれを投資に利用します。銀行は金利を求めてどんどん貸し付けます。それが過熱すると投資は投機へと変化し、やがて経済成長に必要な通貨膨張量をはるかに超えて預金が膨張しバブルが形成されます。それでも銀行は貸し付けを止めません。この時、銀行からの借金もどんどん膨張しています。つまりバブルとは借金がバブルになる現象に他なりません。やがてバブル崩壊。膨れに膨れた大量の負債を抱えた企業はおカネに余裕がありません。利潤のほとんどを銀行への借金返済に回すようになり、世の中のおカネはどんどん銀行へ回収されます。賃金は減り、投資も急速に冷え込んで深刻な不況を引き起こします(バランスシート不況)。また返済が不能になって倒産が続出、回収不能な不良債権が大量に発生。銀行の財務も悪化して貸し渋りが横行し、ますます企業の倒産を助長する事になる。

銀行が勝手に暴走したにもかかわらず、政府が後始末の面倒をみる羽目になります。政府が大量の国債を発行して銀行に公的資金を投入して支えます。さらに国債を発行して公共投資として市中へおカネを流し企業を支えます。景気を支えるという大義名分の裏で、実はこの時、企業の負債が政府へと移動しているのです。企業は公共投資によって下支えされた経済活動で利潤を得て、銀行からの負債の返済を進めます。すると企業の負債は減少します。一方で大量の国債を発行したために、巨額な負債がバブルのツケとして政府に残される事になるのです。つまり企業から政府へ負債が移動しています。そしてこの政府の負債を増税という手段で一般国民に負担させることで、一連の流れは完了するのです。

バブルの際に生まれた銀行への負債は、最初は企業が担い、次に国に移動し、最終的に国民が支払う。そして今、民主党、野田増税内閣の手でバブルの最終負担を国民へ押し付けるための増税が強力に推し進められています。野田増税内閣は国民に十字架を背負わす事に不退転の決意を示した。まさしく壮大な茶番劇だ。どこが「生活が第一」だ?笑わせるな民主党!

さて、誰が得をした?

そもそも預金と現金はまったく違う。預金は銀行の帳簿上で貸付の反対側に生まれるカネなのだから、貸付の回収が不能になれば消えるはずのカネなのです。ところがそんな事をすると大騒ぎになる。預金は保護されると多くの人が信じ込んでいるためです。ところが預金は現金と同じように見えて実はまったく違う。本来、預金は単なる貸し付けの証書のようなものなのです。回収不能なら証書は消える。それを消さないとどうなるか?銀行は預金ばかり膨大に膨らみ、預金金利の返済で押しつぶされる事になります。そのため、ゼロ金利政策が必要となります。ゼロ金利で預金者に金利を払わない事で銀行は守られます。同時に預金も守られるのです。バブル崩壊で経済が大混乱になっても、銀行とその預金者=金持ちだけは保護され、ツケは国民が払うのです。

ところがこの異常な仕組みを批判し、その仕組みを変えようとする識者は極めて少ない。むしろ「このままでは財政が破綻して国が崩壊する」と煽り立て、国民に十字架を背負わそうと必死な連中ばかりがマスコミをにぎわせている。テレビに登場する、したり顔の解説者はこれだ。

バブルとは負債が拡大する現象です。しかし冷静に考えてみると経済成長も負債が拡大する現象という意味ではバブルと大差ありません。なぜなら経済を巡る通貨はすべて銀行からの借金で出来ているからです。経済が成長するということはそこに流通するおカネが増えることであり、おカネが増えるということは負債が拡大するということだからです。ところが日本人の多くは銀行制度とは如何なるものかを知らない。マスコミも識者も決して深く突っ込まない。だからこんな話をしてもほとんどの人はチンプンカンプンなのです。その結果、国民は無知な家畜として日本銀行に好き放題にされているのです。許しがたい現象です。

銀行制度の基本とは何か?おカネが社会に供給される仕組みを見てみましょう。まず日本銀行が現金(紙幣ではなく帳簿上の現金)を発行する。日銀の発行する現金は、日銀当座預金を通じてすべて市中銀行に入ります。そして市中銀行から実体経済に流れ出す時はすべて「貸付」として供給されます。ですから世の中のおカネはすべて借金として供給されるのです。そして銀行の帳簿上では、銀行資産である貸付の反対側にある負債が預金と呼ばれます。これが一般におカネと呼ばれる預金の正体です。世の中のカネはすべて負債であり、経済は銀行からの借金がなければ成り立つことが出来ない仕組みになっている。貸付がなければ世の中からカネ(預金)がすべて消え去るからだ。そうなると市場経済は成り立たない。実に馬鹿げたシステムではないでしょうか?

ところが驚くべき事に、これが唯一絶対の経済の枠組みであると皆が信じているように見える。マスコミも識者も絶対に疑問を挟まない。政治家は野田増税内閣のように、より積極的にこの仕組みを強化する。不思議なものだ。

借金に依存した経済からの脱却

話がそれたが、バブルとは別に特異的な現象ではなく、そもそも銀行の信用創造(預金制度)に由来する現象の延長線上にあるのです。信用膨張がなければバブルはそもそも起こらない。たとえば預金準備率を極端に引き上げておけばバブルなど絶対に起こらない。そうするとノンバンクのように貸出金利がべらぼうに高くなって経済が立ち行かなくなると懸念する向きもあるでしょう。しかし、そもそも銀行の貸し出しが得られなければ成り立たない経済とは正常なシステムなのか?現在の不況は銀行の貸し出しがうまく働かず、実体経済に流れるおカネの量が減少する事で発生している。つまり、貸し出しに依存した経済モデルだからこそ破綻しかかっているのだ。そもそもおカネの供給を銀行の借金に依存する必然性などありません。カネは経済活動に不可欠な道具であり、その道具は銀行の利益のためにあるのではなく、公共のためにあるべきなのです。

つまり、銀行からの借金に依存した経済モデルから脱却し、カネではなく、経済の本質である「生産と分配」を核とした、実体経済中心の新しい経済モデルを構築する必然性があるのです。カネは健全な経済のための道具であらねばなりません。銀行制度のような、金利を稼ぐための道具であっては決してならないのです。もちろんその経済モデルとは共産主義などというゾンビを蘇らす事ではなく、地球環境に適応した持続可能な新しい経済モデルのことなのです。

世の中の識者は「そんなことを実現するのは夢物語だ」と笑うでしょう。しかし、金融資本主義は金利を求めて何度となくバブルとバブル崩壊を繰り返して多くの人々を不幸にしてきました。それは今やグローバリゼーションにより世界規模に拡大し、このままでは世界経済はバブルとバブル崩壊を延々と繰り返し、バブルによる無理な経済成長によりやがて地球は破壊されてしまうでしょう。そして遠くない将来、地球の資源は枯渇し、人類は少ない資源を巡って殺し合い、悲惨な末路へと転落してゆくのです。

銀行制度こそ、世界不況と環境破壊の元凶なのです。

2011年12月8日木曜日

良いインフレと悪いインフレ

財源はカネの問題なので、不足したなら通貨を発行して配れば良いだけだ。問題は通貨の供給に見合うだけの量の財(商品やサービス)を生み出す事ができるかどうかだ。

財の生産力が十分にあれば、インフレなど何も恐れることはない。その場合、インフレは財の単価が上昇するだけであって、財そのものが不足するわけではないので、通貨の発行と分配によって国民の豊かさは保たれ、社会保障は維持される。これは「良いインフレ」だ。しかし財の生産力が低下してインフレを引き起こすようになったら、日本はおしまいだ。いくらカネがあっても、必要な財が供給できないのだから、国民は貧困化し社会保障は破綻する。これが「悪いインフレ」だ。

日本はデフレなので、もし今、通貨を供給して経済を活性化した場合に生じるのは「良いインフレ」だ。デフレとは生産力が余って、生産の担い手である労働者が大量に失業している状態だ。つまり潜在的な生産力が大量にあるため、財の供給が不足する心配が薄い。今の段階で通貨を供給すれば生産活動が活発化して、生産力が維持される。もしインフレが生じても、この場合のインフレは財の不足を伴わない良いインフレとなる。

ところがデフレを放置すると生産設備が使われず老朽化したり、海外への移転が加速して日本の生産力がガタガタになってしまい、供給力が低下してしまう。すると、カネがあっても財が不足した状態が生じてインフレが発生し、人々に商品やサービスが行き渡らなくなる。財そのものが不足するので、いくら通貨を供給してもインフレが悪化するだけという恐ろしい事態となる。国民を貧困化する悪いインフレだ。

だから日本の財の生産力をいかに維持・拡大するかに腐心すべきなのだ。

残念ながら日本は今、財務省と日銀の政策失敗によって「悪いインフレへの階段」を上り続けている。そして、インフレになってからその事に気づいた時は手遅れだ。生産力が破壊されるのは実に簡単だが、失った生産力を回復するには長い年月と努力が必要なのだ。


2011年8月21日日曜日

増税工作のために円高対策を放置する政府


現在(2011.8.21)、円は一時戦後最高値を付け、日本経済への懸念が高まっている。しかし政府は未だに「為替介入」「金融緩和」を検討するだけで、円通貨の大量発行という根本的な方法を避けている。そこには、日本経済より増税を最優先に考える財務官僚の下心が見え透いている。

円高対策は通貨の増量しかない

円高対策の根本は通貨の増量しか方法が無い。リーマンショック以降、米ドルが150兆円分も増えたのだから、相対的に円高になるのは当然。大量に流れ出したドルは円を買う圧力となる。それでなくとも日本円の需要が高いのに、日本円の供給を増やさないとなれば、市場で値上がりするのは市場原理そのものだ。米ドルが150兆円分も増えたのに、たかだか4~5兆円の為替介入など焼け石に水です。むしろ介入は投機筋を喜ばせ、絶好のマネーゲームの機会を与えるだけです。政府はもちろん百も承知だろう。では、なぜ通貨を増量しないか?

なぜ通貨を増量しないか?
通貨を増やすと増税に支障が出るからだ


どのようなメカニズムで、通貨を増やすと増税に支障を与えるのか?量的緩和の効果が限定的なのはすでに証明済みなので、たとえば同じ通貨供給でも、市場に直接おカネを投入する「東北地方への復興国債の日銀引受」という方法を取るとします。たとえば30兆円ほど引き受けて復興へ投入すると、GDPが30兆円増加し(成長率6%)、消費税だけでも1.5兆円の税増収となる。しかもこれが呼び水となって民間の震災復興が本格化すれば、税収は一気に増えて財政が好転する。「このままでは財政は悪化して財政破綻する」とさんざん危機を煽っていた財務省は、増税のタイミングを失う。政府=財務省=民主党の最も恐れるシナリオが「増税前の景気回復」なのだ。

仮に経済が実質的に成長しなくとも、循環通貨の量を増やせば名目成長により税収が確実に増加するのは周知のこと。これが財務省にとっては最大の懸念。だから必死に「円高は投機が原因だ」とか「アメリカや欧州の経済が原因だ」とか言ってごまかしている。やるだけ無駄な介入にも言及する。円の希少性には絶対に触れたくない。何としても通貨の増量を防ぎ、名目経済成長を止めたい。すべて増税のためだ。日本経済などどうなってもかまわないのだ。これでも日本の政府なのか?

おかしな政策はいらない
円高対策とデフレ対策だけで十分


円高で産業空洞化だというと、すぐに出てくるのが「法人税率の軽減」「労働規制の撤廃」「TPPへの対応」「産業育成政策」などだ。しかしこれらはすべて円安になれば不用になる。円安で日本製品の価格競争力が高まるからだ。複雑な事はする必要が無い。それは官僚の仕事を増やし、官僚を喜ばせるだけ。シンプル・イズ・ベスト。いますべき事は円高対策とデフレ対策そして復興。これだけです。これらの分野で確実に成果を出せば、政府が余計な事をしなくとも日本経済は自然に復活するのです。

円安になれば日本製品の競争力が強化されて輸出が伸びますし、輸入品の価格が上昇して内需産業も輸入品に対抗できる。インフレになれば死蔵されていた貯蓄が再び動き出して消費や投資にまわります。すると需要が増えて生産が拡大し労働者の所得が向上して失業が減少する。それにより国民の購買力が高まる事で新しい産業が成長する下地ができる。そうすれば、何も政府があれこれ関与する必要はないのです。政府は経済環境を整えるだけで良い。

日銀は復興国債を30兆円引き受けよ

残念ながらデフレが酷すぎて買いオペは効果が期待できない。となれば金融緩和の手段は「日銀の国債引受」しかない。もはや猶予ありません。増税工作のために通貨供給を渋る財務省と日銀を許せば、日本は終わってしまいます。

2011年8月14日日曜日

インフレで蘇る日本(2)



インフレとは「需要が供給を上回る状態」です。つまり基本的にインフレ=好景気なのです。景気が回復すれば雇用が増えて失業率は改善し、貧困化や格差の問題が解決されるのです。インフレ政策を悪魔と罵る与謝野や日本銀行は国民の貧困や格差を解決する事よりも、円の価値を最大化し、インフレによる資産の目減りから富裕層の資産を守ることだけを考えていると断じざるを得ません。

インフレとは単に物価が上昇する現象ではない

インフレと言うと、ただ商品の値段があがるだけと考える人が多いようです。しかし、インフレと同時にさまざまな状態が発生します。そもそもインフレになるには世の中のおカネの量が増えると言う現象が先んじて必要になります。おカネが増えないのにインフレになる事は(例外を除いて)ありません。世の中のおカネが増えると、その増えたおカネが国民に分配され、国民の購買力が高まります。すると国民の消費が活発になり、モノがどんどん売れるようになって商品が不足してきます。すると市場のメカニズムによって商品が値上がりします。これがインフレです。ですからインフレの前にはおカネが増えて、国民所得が増えます。

たとえばおカネを増やす最も効果的な方法は、復興国債の日銀引受です。これは日本銀行が現金を発行し、その現金で政府の発行する復興国債を買い入れます。現金が政府にわたり、政府は被災地のインフラ、道路、建物の復旧のためにおカネを使います。このおカネは建設会社の売上げを増やし、その従業員の所得を増やし、小売店の商品の売上げが増加します。するとメーカーの売上げが増え・・・というように、どんどんおカネが回転して財(商品やサービス)の生産を促し、富を生み出します。これが循環するおカネの効果です。おカネが増えると財の生産が増加するため、人々の暮らしは向上します。ただし、おカネの増加は財の生産の増加と同じ程度でなければなりません。財の生産の増加を上回る速度でおカネが増えると、需要だけが増加する事になり、インフレが酷くなってしまいます。しかし現在の日本は20兆円もの生産能力が余っており(=デフレギャップ)、おカネを増やしても生産増がすぐに追いつきます。ですから、その程度のおカネを復興国債として投入したところで、日本の抱える膨大な余剰生産力が動き出し、失業者を吸収して景気が回復するだけで、インフレはほとんど起きません。ところが日本銀行は復興国債の引き受けを断固として拒絶しています。為替介入に使うためのカネは数兆円刷っても、被災地の人々のためにはびた一文刷らんというのです。

経済成長の引き金になるのは常におカネです。まずおカネが国民所得として行き渡ると、消費が増え、その消費に引っ張られて企業は生産を増やし、設備投資も行います。まず先行しておカネを増やす必要があり、先行しておカネが増えれば、消費が先行するために市場においてはインフレ傾向になります。このようなインフレは経済成長に伴って必ず発生しますので、悪いものではなく、むしろ経済成長の証といえるのです。だからこそ先進国の多くはインフレターゲット政策を採用しているのです。

フィリップス曲線の意味を無視する日本銀行

需要が増えるからインフレになる。インフレは好景気の証です。インフレになると雇用も増えます。実際にインフレ率と失業率の関係をグラフ化したものがフィリップス曲線と呼ばれる図表です。インフレ率が高まると、失業率が低下します。これは非常に有名なグラフであるため、日本銀行がこれを知らないなどということは絶対にありません。つまり日本銀行はインフレにすれば失業率が低下する事を知っていながら、インフレターゲット政策を拒否し「ハイパーインフレが起こるぞ、起こるぞ」と言いながらデフレを継続しているのです。つまり日銀は失業率を改善する気がまったく無いのです。日本は毎年3万人の人が自殺しており、経済的な理由での自殺も多いと言います。その原因を作り出しているのが日本銀行です。

アメリカのFRBは、その政策目標に「失業率の最小化」をあげており、その達成の是非がFRBの責任として問われます。ところが日本銀行には失業率に関する目標がありません。そのため、どれほど失業が増えようと責任を取る必要はありません。つまり「好き勝手」なのです。日銀の独立性に守られているために誰も手出しができない。そういう独裁システムなのです。「日銀ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。

世界の先進国の多くはインフレターゲット政策を採用し、インフレに誘導しています。失業対策と言う視点からもインフレターゲット政策は有効なのですが、日本銀行はこれも徹底的に否定します。

インフレで動き出す貯蓄

資産家にとって、デフレで物価が下落する現状では、おカネを使わずに通貨のままで保有する事が最も有利な選択となります。通貨はインフレさえ無ければ劣化の心配が無い。それどころかデフレで黙っていても通貨の価値が上昇するとなれば誰がリスクを犯しておカネを投資するでしょうか。ところが、もしインフレになれば、だまって貯蓄していても通貨の価値が低下してしまいます。それなら商品や不動産などが値上がりする前に手に入れようとします。また、ただ貯め込むだけではおカネの価値が減ってしまいますから、投資して利息を稼ぐ必要も出てきます。

このように、インフレになるとそれまで貯め込まれるだけだったおカネが、取引に使われ始めるようになります。すると、不動産や株式などの資産価格は値上がりし、企業の財務状況も改善します。すると、企業の投資意欲も向上します。インフレは需要が増加した状態ですから、経済は成長軌道にあり、投資するチャンスとなります。

インフレで財政再建が進む

現在の日本の名目経済成長率はほぼゼロからマイナスです。1990年頃からほとんど変わっていません。失われた20年なのです。こんな状況ですから、税収も伸びるはずはありません。現在の税収のほとんどは循環するおカネ(フロー)に依存するため、名目GDPの伸びがなければ増える事はありません。名目経済成長率の増加は財政再建の最優先課題なのです。ところが政府のプライマリーバランス(財政収支)の試算の前提条件は、名目成長がゼロ+復興増税だそうです。それで「税収が不足する」と威張っています。とんでもない欺瞞です。

名目成長率3%でも税収が不足すると言っておりますが、実は名目成長率4%~5%の数値は公表しません。その成長率であれば、税収増によりプライマリーバランスは黒字化するといいます。多くの人は「20年間もゼロ成長だったのだから、成長率5%なんて無理」と思われるでしょう。しかし名目成長率は世の中に循環するおカネを増やすだけで自動的に増加します。成長戦略など無関係に、機械的に増やすことが可能です。

最も簡単な方法は、復興国債の日銀引受です。現在のGDPは500兆円です。その5%は25兆円です。25兆円の現金を刷って、復興のために使用すれば5%成長になります。おカネを発行して使えば機械的に成長するのです。実に簡単です。実際には乗数効果がありますので、そんなに必要ありません。たとえば、初年度が20兆円、翌年が15兆円、翌々年が10兆円のように逓減させます。その後も名目成長率が5%になるように、日銀が国債を買い取り続ければよいのです。もし被災地の復興需要が本格化すれば、国債に頼る必要はなくなります。名目成長率5%、物価上昇率2%とすれば、実質成長率2.9%です。ここ10年ほどの日本の実質成長率は2%程度ですから、名目成長5%は無茶な数値ではありません。しかし長期的な成長を持続するためには実質成長のための成長戦略も必要でしょう。そして、万一インフレ率を2%以下に抑えるために名目成長を5%以下に下げざるを得なかったとしても、復興国債などで景気が十二分に回復していますから、徐々に消費税率などの税率を上げてゆくことも可能になっているはずです。つまり税収にまったく問題はありません。

むしろ、財務省のゼロ成長を基準とする試算に基づく経済運営を行うなら、「永久に増税を続けなければ財政が破綻する」と言うトンデモナイ結論が導き出せるでしょう。これが与謝野と財務官僚のシナリオなのです。

財の生産力があれば何の心配も無い

インフレとは単に商品の値段の問題であり、商品が不足することではありません。日本の生産力が十分に大きく、物資が十分に豊かにあるのなら、あとは分配の問題に過ぎません。社会制度でいくらでも対応できるのです。しかし、本当に恐ろしいのは生産力の低下による品不足です。人々の必要とする物資が不足すれば、品不足となり、もはやどうすることもできません。これを原因とするインフレは極めて悪性なものになります。

一番危険なのは、このままデフレを放置する事です。デフレにより日本国内での生産力が破壊され、生産力が海外へすべて移ってしまうとどうなるか?日本の生産力はガタガタになります。今は円高なので海外から物資を輸入すれば良いですが、もし円安に振れ始めたら大変な事になります。一刻も早くデフレを解消し、内需を拡大して国内生産力を維持しなければなりません。そのためには、おカネを増やして国民の所得を向上させ、円安に誘導する事が必須なのです。

一刻の猶予もありません、ただちに復興国債20兆円を日銀が引き受けねばなりません。

2011年7月31日日曜日

インフレで蘇る日本(1)

この15年間、日銀の独立性を信じ続けた日本経済は瀕死の状態になりました。あまりの日銀の無能さにあきれて、国債の日銀引受によって通貨を発行すべきと発言する政治家も増えてきたようです。しかし菅内閣は日銀・財務官僚の言いなりであり、与謝野にいたっては「インフレ政策は悪魔」と発言するありさま。ところがインフレ政策は悪魔どころか、世界の経済政策の基本であり、日本を蘇らせるための非常に有効な手段なのです。ところが巷には「金融緩和=ハイパーインフレ」を吹聴する御用エコノミストが徘徊しているありさまです。まず、このような暴論を否定する事が大切です。

ハイパーインフレは起こらない

日銀は必死に「円を供給すると円通貨の信用が低下する」と主張していますが、「信用を失う」という言葉で人々の不安を煽り、心象操作を行うために意図的に発言しているにすぎません。実際の通貨供給で起きる事は、単に為替の交換レートが機械的に下がるだけです。そこには「信用」など関与しません。ドルやユーロがその良い例です。リーマンショック以降にドルやユーロの総量は200%~300%に増やされましたが、ドルやユーロの信用が崩壊したなどという馬鹿げた話は聞いたことがありません。単に円との交換レートが低下しただけです。このようにメディアを通じた心象操作を意図的に仕掛ける日銀は非常に危険であり、日銀の独立性を認める事は詐欺師に権威を与えるに等しい行為だといえます。

ところがいまだに御用エコノミストなどがしきりに「通貨発行=ハイパーインフレ」を主張しています。ところが「どのようなメカニズムでハイパーインフレになるのか」まともな説明を聞いたことがありません。出てくるのは「ジンバブエ」「第一次大戦後のドイツ」です。こんな荒廃状態にある国と日本を並列に扱うのですから恐れ入ります。なぜこんな無茶苦茶な例を引っ張り出すのか?それはハイパーインフレが極めて稀で起こりにくい現象だからです。ハイパーインフレの実例を探すのが困難なのです。供給力の優れる先進国でハイパーインフレが起こったためしはない。ところが日銀や御用エコノミストに言わせると、通貨を増やすと「たちどころに信用が崩壊して円が紙くずになる」という話です。では、いったいどれ程の通貨を供給したらハイパーインフレになるのか?誰も答えられないのです。話があまりにも極端で驚かされます。過激な右翼も顔負けの極論主義です。

さらに国債の「日銀引受」も極論です。ちょっとでも引き受けたら、たちどころに無制限に引き受けるようになって、ハイパーインフレだそうです。日本は法治国家ですから、日銀引受を無制限にやりたくてもできない仕組みになっています。日銀引受は国会の承認が必要とされています。太平洋戦争前の状況を引っ張り出して「引き受けに歯止めが掛からなくなった」と言いますが、すでに軍官僚に支配されていた日本では、法律による政治がまともに動いていたとは思えません。現在の日本もすでに財務官僚と日銀に支配されているとはいえ、少なくとも戦時下でない法治国家ですから「無制限引き受け」などあり得るはずが無いのです。驚くべき極論主義です。

ハイパーインフレを予防するのは簡単

ハイパーインフレを防ぐのは恐ろしいほど簡単です。そもそもハイパーインフレの前に普通のインフレになります。その時に手を打てば防げます。それだけの事です。朝目覚めたら突然ハイパーインフレになっているわけではありません。先進国は長年インフレに悩まされ続けてきたため、通常のインフレに対処する手段は非常によく発達しております。金融政策では金利を高く誘導したり、国債などの資産を売却して市中からおカネを引き上げます。税制では消費税や所得税を増税して市中からおカネを引き上げます。世の中からおカネがなくなれば、需要が減少してインフレが収まるという簡単な話です。ところが「カネの価値」なる妄想を信じ込まされている多くの人にはこれが理解できません。

御用エコノミストの誘導によって「インフレとは通貨の価値が落ちるから発生するのだ」と信じ込まされている人が居ますが、これは原因と結果が完全に逆です。原因として、まず需要が供給を上回る状態になります。モノが売れまくり、品薄になります。するとモノの市場価格が上昇します。これがインフレです。結果として通貨の価値(モノとカネの交換レート)が落ちるのです。結局のところ「インフレとは需要が供給を上回るから発生する」のであり、その結果として「おカネの価値が落ちる」のです。もちろん、おカネの信用がなくなるからインフレになるというのも真っ赤なウソです。そんな理論は経済学にありません。信用などの感情で物価が決まるのではなく、モノの量と循環するおカネの量の比率だけが物価を決めます。ですから、インフレをコントロールする事は極めてたやすい事なのです。

輸入価格が跳ね上がる

次に出てくるのが「通貨を供給すると円相場の下落で輸入品のコストが上昇してハイパーインフレになる」という話です。これほど円高で産業空洞化の危機が叫ばれているにも関わらず、こんな話が堂々と出てくることが異常です。リーマンショック以降、ドルは発行残高を3倍にしていますが、円はほとんど増やしていません。つまり円はかなり通貨を供給できる余力があるのです。現在は極めて行き過ぎた円高にありますから、むしろ他国並みに通貨を供給して円高を是正する必要があります。つい5年ほど前まで1ドル110円程度だったのです。ですから、まず110円まで戻してもハイパーインフレにはなりませんね。御用エコノミストは「通貨を増やすとたちどころに円が暴落してハイパーインフレになる」と極論を主張しますが、通貨発行量を3倍にしたドルが暴落しましたか?ドルは基軸通貨だから需要が多いというなら、ポンドは2倍、スウェーデンのクローナは4倍になりました。暴落しましたか?それらの国がハイパーインフレになりましたか?悪質な御用エコノミストはこのような事実を隠し、人々の不安に付け込む方法を用いて、多くの国民に誤った考えを広めているのです。

スタグフレーションも起こらない

さらに悪質な例では「スタグフレーションが起こる」と騒ぐケースです。スタグフレーションとは「インフレと不況が同時に起こる」ことです。通貨の発行により円が暴落して輸入品の価格が上昇してインフレになり、同時に不況もそのまま継続するという話です。こんな馬鹿馬鹿しい話がまかり通るのですから、国民もかなり舐められていますね。まあ、仮にインフレが生じたとします。その上で次のようなことが考えられます。

発行された通貨はどこへ行きますか?日銀が国債を引き受けた場合は国の予算となります。この予算を用いて将来の世代のための公共事業などへ投資します。すると失業しておカネが無かった人々にもおカネが渡ります。すると消費が拡大します。消費拡大で景気が回復すると通貨の循環量が増加するため多くの人々の所得も向上します。つまり、仮にインフレで物価が上昇しても、人々の所得も同時に増えるために生活が苦しくなることはありません。

また、円が安くなるということは、輸出産業の収益性が改善し、輸出競争力が高まる事を意味します。輸出産業は活気を取り戻し、景気が回復し、失業を吸収し、賃金も上昇します。つまり、仮にインフレで物価が上昇しても、人々の所得も同時に増えるために生活が苦しくなることはありません。それどころか、失業率が改善して貧困率が低下し、自殺も減り、社会不安も減少し、人口の減少も抑制され、社会福祉の負担も減り、税収が増加して財政再建も可能になるのです。インフレになってもまったく問題ありません。

景気が回復しても人々の賃金が増えない?それはありえません。求人倍率が上昇するにつれて企業はより優秀な人材を求めて賃上げを行うからです。賃上げを行わない企業からは人材が流出し、そのような企業は淘汰される運命にあります。景気が回復して求人が改善すれば必ず賃金は上がります。企業は国内での求人を増やさずに海外に移転する?この場合は通貨発行で円の価値が低下するという条件ですから(たとえば1ドル200円とか)、企業の海外への移転するメリットはかなり減ります。もし景気が回復しても賃金が上がらない場合は、企業が労働者に分配せずに内部留保を積んでいるだけですので、企業の内部留保に課税する税制で対応し、再分配すれば良いだけです(実際には景気拡大期に内部留保を積むのんきな企業などない)。

最近はテレビも新聞も見なくなりましたが、それでもネットの情報を見ると、とんでもない珍説がしばしば流されているようです。民主主義ほど大衆を操作しやすいシステムは無いのかも知れません。ヒトラーの時代から現在に至るまでマスコミの役割は一貫しているのです。

2011年7月18日月曜日

インフレアプローチとデフレアプローチ

あらゆる政策の良し悪しは、それ単独で決まるものではありません。その時の経済環境や同時に組み合わされる政策によって非常に効果がある場合もあれば、逆にトンでもない害悪になることもあります。状況判断と政策の組み合わせが非常に重要です。ところが現在の日本政府はその基本がまったくできていない。まるで「海水パンツをはいて雪山登山に行く」ような支離滅裂な政策をしているとしか思えないのです。

ガラパゴス日本

欧米先進国ではインフレターゲットを採用することで経済のベースをインフレに誘導しています。インフレに誘導する理由はさまざまあると思われますが、インフレの方が金融政策による景気のコントロールが容易ということがあります(もちろん今の通貨制度の欠陥をカバーする意味でも避けられないが)。インフレであれば金利が高めになるため、日本のように「流動性のわなにはまり込む」ことで金融政策の機能不全に陥る心配が小さいからです。またインフレとは一般に「需要過剰」な状態であるため、企業は生産を増やそうとします。すると雇用が増えて失業率が必然的に低下します(フィリップス曲線)。これもインフレに誘導する大きな理由でしょう。さらに通貨供給による「通貨発行益」を社会資本の充実に活用することも出来るでしょう。この通貨発行の原資となるのは技術革新による生産余力です。一方、インフレベースの場合の税制ですが、インフレの場合、消費は常に過熱気味となりますので、需要を抑制する意味で消費税の役割は重要になります。インフレが過度に進む場合は金融引き締めと消費税の増税という「金融・財政の両面」からコントロールすることができます。

ところが日本だけはこの世界の常識が通用しない「ガラパゴス」です。その先頭に立つのが与謝野氏と財務省・日銀です。与謝野氏は「インフレ政策は悪魔」のような発言をし、財務省と日銀を擁護して消費税の増税を狙っています。与謝野氏によれば、世界は悪魔に支配され、日本だけが健全な金融政策を行っているということになります。およそ理解ができません。

支離滅裂な日銀・財務省

インフレターゲット政策を必死に否定する日本銀行は日本経済を良くしたのか?日本銀行は「デフレ退治に全力を尽くしています」と言う。口では何とでも言えますが、実際には15年もデフレのままですから、結果としてデフレに誘導していると言えます。デフレでゼロ金利のため、金融政策がほとんど効かない状態に陥っております。ところが、みずからデフレを容認して機能不全に飛び込んでおきながら「金融政策には限界がある」というようなことを発言しています。そしてデフレを容認しているために失業率は一向に回復しません。そのため国民の貧困化が進行し、「相対的貧困率」が2009年には16.0%になったそうです。日銀は自らの主義・主張を実行するために国民の貧困化を容認しているのです。そして、欧米先進国がリーマンショック以降に軒並み通貨発行量を2~3倍にしていますから、日本もせめてその半分程度は供給しても良さそうですが、これを猛烈に拒否しています。政府が通貨発行益を利用することができる「日銀の国債引受」も断固拒否。そのためデフレで膨大に余っている生産余力も使われることの無いまま無駄になっているのです。このデフレギャップによる遺失利益は毎年20~30兆円です。

税制はどうでしょう。日本のようにデフレの場合、需要は常に不足気味となるため需要を抑制する消費税は減税する必要があるのです。デフレの場合は金融緩和と減税と言うのが世界の常識です。ところが日本政府は経済環境がどうであろうと関係なく「他国なみの消費税率にする」という盲目的な政策です。他国がインフレターゲットを採用して通貨を潤沢に供給し、インフレベースの経済運営を行っていることは無視しているのです。こんな支離滅裂な方法では景気が回復しないのも当然でしょう。

デフレアプローチ

日銀は1997年に日銀法が改正されて、その独立性が強化されたことを盾にして政府の意向と無関係に「独立した判断」で金融政策を行ってきました。なんと1997年の日銀法改定とほぼ同時に日本がデフレに突入したのです。それ以降、マスコミも政治家もまるで「日銀の独立性」が神から与えられた永遠不変の原理であるかの振る舞いをしてきました。こうなるとお手上げとなりそうですが、実はデフレのままでも対策はあります。

欧米先進国が標準的なインフレターゲット策によりインフレアプローチを行っていると例えるなら、ガラパゴス日本は、デフレアプローチを検討すべきでしょう。

市場経済における経済政策は「通貨の循環を維持・拡大すること」が基本となります。なぜなら経済の根幹である「生産と分配」は通貨の流通量に支配されるからです。通貨の流通を妨げる事があれば、経済は停滞します。ですから、通貨の流通を妨げる状況を排除することが基本的な方針となります。では現在、何が通貨の流通を妨げているのか?それは貯蓄過剰です。カネが貯め込まれて使われない状態であり、貯め込まれたカネを開放し、カネを循環させることが急務なのです。

デフレアプローチは税制改革で

現在の日本の税制はインフレ経済をベースに考えられているため機能不全を起こしています。デフレの場合はカネの循環を増やす税制でなければなりません。それが貯蓄への課税です。貯蓄に課税することで使われずに死蔵されているおカネを税金として吸い上げ、それを日本の将来のための公共事業に投資するのです。たとえば自然エネルギー発電施設の建設、さらなるリサイクル技術の開発、食料自給率の向上などです。近い将来において世界人口は爆発し、必ず資源枯渇に直面します。それに備えたインフラの整備を行うのです。これこそが将来の世代への「本当の貯蓄」なのです。カネは使われなければ社会にとって何の役にも立ちません。壷に入ったまま土の中に埋まっている金貨のようなものです。そもそも税とは何のためにあるのか?それは国を豊かにするためにあるのです。確かに金融資産は「カネからカネを」生み出しますが、財(商品やサービス)は何も生み出しません。カネは実物経済に利用されて始めて財を生み出します。デフレ環境にあって、消費税は財の生産を抑制して国民を実質的に貧しくします。一方で貯蓄への課税は財の生産を拡大して国民を実質的に豊かにします。

現在、民間の貯蓄は約700兆円、企業が200兆円あるので合計で900兆円。1%課税すればおよそ10兆円もの税収が得られるのです。わずか1%です。もちろん低所得者の貯蓄にまで課税するのは問題ですから、最低課税対象額を1000万円以上とするなどの配慮が必要でしょう。

おカネが海外へ逃げる?

 「貯蓄に課税すればおカネが海外へ逃げる」という人がいるでしょう。そもそもそれを心配するならデフレベースの経済ではなく、インフレベースの経済政策を行うべきです。デフレを維持するのですから、これは避けられないリスクです。しかし日本がデフレ政策を取っている以上、円は最強です。その最強の通貨をわずか1~2%課税されたからと言って簡単に手放すでしょうか?欧米先進国はインフレ政策を取っているため、毎年確実に通貨価値が下落します。アメリカはドルを刷りまくっています。それでも外国通貨が良いと判断するでしょうか?

そもそも貯蓄の多い人は毎年得られる所得も多いため、貯蓄への課税で失われる程度のカネは気にならないかも知れません。お金持ちは使い道の無いカネがどんどん懐に入ってきます。まして「カネは天下の回り者」ですから、課税でおカネを失ってもカネが回りだすことで景気が回復し、逆に所得の増加する可能性があります。

日本政府はどっちつかずの最悪パターン

今の日本は金融政策でデフレに誘導しておきながら、税制はインフレベースのままという奇妙な経済政策を行っています。インフレベースにはインフレベースに相応しい金融政策と税制の組み合わせがあり、デフレベースにはデフレベースに相応しい金融政策と税制の組み合わせがある。ところが日本は首が西を向き、体が東に進んでいるという支離滅裂な状態です。これはまさに「縦割り行政の弊害」そのものです。政治主導が未発達で、国家を統合的に司る機能が欠落しているためです。政党が国家戦略なき「烏合の衆」である限り、政権与党が民主党になろうと自民党になろうとこの異常事態は変わらないでしょう。

各政党は早急に強力なブレーン集団を形成し、緻密で実現可能性の高い国家戦略を作り上げ、それをマニフェストとして国民に示すことが求められていると思います。


2011年7月10日日曜日

金融改革なければ税制改革なし

 一部メディアは「社会保障と税の一体改革」と称し、あたかも今回の増税を「税制改革」と混同させる言い方を好んで用いますが、実際には単なる増税に過ぎません。社会保障制度と税の一体改革は単なる消費税の引き上げ時期の論争であり不毛です。

ストックへ課税するかフローへ課税するか

 それよりまず「税制改革」を議論すべきです。国家の歳入をどのように確保すべきかをしっかりと決めるべきです。その争点とすべきは「ストックへ課税するかフローへ課税するか」という点です。フローとは循環するおカネのことで、商品の売買に伴うおカネの移動であり、生み出される付加価値を表します。フローへの課税は、消費税、所得税、法人税などです。現在はフローへの課税が基幹税となっています。一方、ストックとは資産の事で、預金、証券・債券、不動産などです。特に金融資産は「カネからカネを」生み出しますが、財は何も生み出しません。ストックがフローとして利用されて始めて財を生み出します。現在のストックへの課税は、固定資産税、相続税などですが、果たしてこれだけで十分なのでしょうか。

 1995年頃にバブルが崩壊して以来、それまでインフレベースだった日本経済は一転してデフレベースの経済へと大きく反転しました。ところが国の経済ベースが反転したにも関わらず、税の根本的な基盤に対する議論が何もなされていません。これだけ長期のデフレ環境にも関わらず税制はインフレをベースに考えられたままなのです。インフレベースとデフレベースでは通貨の循環の性質が大きく変わります。インフレは通貨膨張であり、デフレは通貨縮小であり、正反対なのです。通貨のある段階に課税する制度である税制に改革が必要なのは当然です。

 税制改革として良く引き合いに出される「直間比率」はどちらもフローへの課税であり、その比率は単なる付け替えなので、あまり意味がありません。こんなものは税制改革ではありません。もっと根本的な改革、つまりフロー・ストックの比率を変える必要があるのです。

財政危機はフローへの課税が原因

 現在の税収の構造は明らかにフローへ偏りすぎています。デフレベースの経済ではフローが減少し、ストックが増加します。そのことが景気を悪化させる原因ともなっています。またデフレではフローが減少するために、フローに依存する税制のままでは税収は減少を続けます。これでは財政再建など夢のまた夢です。財政再建が難しいのは税率が低いからではなく、経済ベースに適した税制を実施していないことが原因です。政府の財政再建策は本末転倒で無意味です。

 ですから、日本がデフレベースの経済を継続している以上、税制はフローではなく、ストックへの課税を中心に組み立てられなければなりません。デフレ環境においてもストックは減りませんので、これに課税すれば常に安定した税収を確保できます。このように税制は現在のようなフロー課税偏重ではなく、経済ベースの変動に応じてストック中心の課税へと柔軟に改革すべきです。

 もちろん、日本の経済ベースをインフレベースに戻すのであれば、インフレベースを前提としている現在の税制を大きく変える必要は無く、税率の変更だけで対処するのは可能だと思います。そのためにはインフレターゲットのような物価の能動的なコントロールに対する政策が不可欠です。インフレベースの税制はインフレ環境でこそ効果的です。そんなことも考慮しない税制議論など馬鹿馬鹿しくて話になりません。

税制は金融政策と一体のもの

 税制は税制だけの問題ではありません。インフレにはインフレに、デフレにはデフレに適した税制がある。インフレかデフレかを決定付けるのはひとえに金融政策です。従って税制は常に経済ベースを決定付ける金融政策と一体であり、「税制と金融政策の一体化」を常に考えないと税制改革は確実に失敗します。金融政策に踏み込まずに税制を議論するなど子供の遊びのようなものです。もちろん金融政策なしに財源を考えるなど論外です。

 最も重要なのは国家全体を総合的に判断する事です。税制だけ、金融政策だけ、財政政策だけというバラバラな縦割り行政そのものの政治では機能しません。各省庁の横断的な統合能力が国家戦略と共に必要なのです。それが本当の政治主導です。


2011年6月26日日曜日

地獄の輪転機「金融街」

 「C」The Money of soul and possibility control.というタイトルのアニメが完結した。タイトルは英語だが日本のアニメで、金融街(民間銀行、株式・証券債権などの市場)をテーマにした深夜アニメ作品です。日本のマスコミがびびって扱わないような金融の異常さに堂々と切り込んで見せた意欲的な作品です。恐らく日本ではなく外国で評価が高まるでしょう。その内容について少し考えてみました。

核となる設定は「金融街の黒いカネ」

 主人公は余賀公麿(よがきみまろ)という大学生である。親が失踪して叔母にお世話になり育ち、大学へ進学してもおカネが無くバイトの掛け持ちでなんとか生活する毎日。そんな折、深夜に試験勉強する公麿の元に、ミダス銀行通商部を名乗る真坂木(まさかき)という奇妙な男が現れる。真坂木の言うには、現実の世界と平行した異世界に「金融街」が存在し、そこで行われる取引に参加して他の参加者と金融で勝負すれば楽におカネが儲けられるという。そのおカネは現実世界でも自由に引き出して使えるから、公麿にもぜひ参加するように勧める。そしてその元手となるおカネをミダス銀行が貸し付けるというのだ、公麿の未来を担保にして。

 自分の未来を担保にして借り入れたおカネを使って金融街では「ディール」と呼ばれる勝負が参加者同士で繰り返される。勝てば相手の資産を奪うことでおカネを手にすることが出来る。しかし勝負で負ければ、担保として差し入れている自分の未来がミダス銀行に奪われることになるのだ。そして最悪にも破産した参加者は自分の未来をすべて担保としてミダス銀行に取られて廃人同様となり、自殺したり、事故で死んだりして人生を終える。

 そしてミダス銀行の発行するミダスマネーを現金自動支払機から引き出した公麿が目にした紙幣は真っ黒い色をした「黒いカネ」だった。

 これはすごい設定です。挑戦的過ぎて驚きます。このアニメの監督の勇気には驚きますね。こういう金融の核心部分をマスコミは逃げて絶対に触れないからです。金融街のバトルで負けて破産した人は担保として差し入れていた未来をミダス銀行にすべて奪われることになる。金融街のために多くの人が破産してミダス銀行に次々に未来を奪われていく。これは私たちの現実社会の金融制度そのものです。

「黒いカネ」に依存する現代経済

 金融街の中心的存在であるミダス銀行は巨大な輪転機を持っており、この輪転機が人々の未来を次々に吸い取っておカネに変えています。まさに地獄の輪転機です。そこから吐き出される膨大な黒いマネーが現実社会にも流れ出して、物語の現実経済に大きな影響を与えています。私たちの現実世界でも金融街から流れ出すマネーに経済活動は大きく依存しており、依存するがゆえに金融街の影響が大きくなってきました。影響が大きくなるとますます依存するようになり、経済はいつしか金融街の生み出す黒いカネなしで立ち行かなくなりました。そして金融街がまるで経済を支えるかのように人々が思い込むようになる。何か金融街が非常に重要なものであると思い込むようになる。そのため、たとえ未来をすべて担保にしたとしても何も不思議に思わないようになる。恐ろしいことです。

 なぜ金融街の黒いカネに経済が依存するのか?市場経済のメカニズムにおいては、カネが無いと経済が動かないからです(カネが無くとも機能する経済の仕組みもあるが、今はどの国も採用していない)。市場経済のメカニズムにおいては、おカネの循環に乗って財(商品やサービス)の生産と分配が行われる仕組みなので、おカネが潤沢に出回れば経済は活性化して人々の生活は豊かになる。一方、おカネが貯蓄されるなどして滞るようになると、経済は低迷して人々の生活は貧しくなり貧富の格差も広がる。つまりおカネが必要なのです。だから何でも良いからおカネがあればよい。黒いカネだろうと偽札だろうと無関係です。人々が「おカネであると信じているもの」があれば、経済は活性化するのです。そのため、それが黒いカネであると知りながら、世界は未来を担保にしてまで黒いカネにすがるのです。

 金融街は地獄の輪転機で凄まじい量のミダスマネーを供給します。金融街の生み出す膨大な黒いカネこそがインフレの原因であり、バブルの原因でもあるのです。アニメではやがてミダス銀行による「決済」が行われます。ミダス銀行の決済により、ほとんどの人々の未来は銀行に奪われ消えてゆきます。

黒いカネの正体は「預金通貨」

 この地獄の輪転機が生み出すカネ、つまり金融街が生み出す黒いカネは中央銀行が発行する銀行券つまり現金とはまったく別のモノです。現実社会では輪転機は中央銀行が有するので、ミダス銀行を中央銀行と勘違いしそうですがそうではありません。中央銀行が発行する銀行券は担保を必要としませんし、決済もありません。ミダス銀行とは民間銀行のことです。現実の世界では、民間銀行が担保と引き換えに「貸付け」することでおカネを生み出すのです。この行為を「信用創造」といい、そのおカネが「預金通貨」と呼ばれます。これは現金と同等に扱うことが出来るよう決められているので、多くの人は現金と見分けが付きません。ところが驚くことに預金は銀行間の決済に使うことが出来ません。黒いカネだからです。銀行間の決済には預金ではなく現金(日銀当座預金)が使用されるのです。つまり私たち国民だけが黒いカネを掴まされていると言えるでしょう。

 地獄の輪転機はとどまることなく黒いカネを生み出し、バブルを引き起こしては崩壊し、莫大な人々の未来を決済により吸い取り続けています。最終的に人々から奪った担保を手に入れている奴は誰なのか?物語は何も語りません。真坂木が意味深な台詞を残して消えてゆく以外に。

おカネの存在意義を問い直そう

 最終的にこのアニメは解釈の難しいエンディングを迎えます。主人公とその仲間は金融街を崩壊させるべく、金融街の生み出した膨大なミダスマネーを一気に現実社会へ流出させてハイパーインフレを起こさせ、おカネの価値を崩壊させます。その上で地獄の輪転機を逆回転させて、未来を担保に発行したミダスマネーを消し、かわりに担保に差し入れていた未来を取り戻します。

 現実社会でこんなことをすれば社会は大混乱になるでしょう。しかし、それはありかも知れません。人々にとって本当に大切なのはカネの価値ではなく、人々の生活を支える財(商品やサービス)の生産と分配です。財の生産と分配がしっかり機能すればカネの価値など1万分の一になっても関係ないのです。人々の生活に必要な財が必要な量だけ生産されるなら、「配給経済」で人々は生活できるのです。配給経済なら通貨価値や物価などという概念すら存在しなくなる。SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)のように高度な情報物流網の発達した今日の社会では、市場によらない生産と分配という経済形態が模索されても良いと思うのです。もちろん今すぐに実現は無理ですが。

 「C」The Money of soul and possibility control.は非常にすばらしい試みです。今の日本人のおカネに関する知識レベルはほとんど「文盲」です。おカネの稼ぎ方は理解していても、おカネの本質を知る者は極めて少ない。多くの日本人がおカネの本質とは何かを真剣に考えることが出来るようになったとき、日本は次の時代へと踏み出すことができると思います。果たしてその時が来るのでしょうか・・・・・。

2011年6月19日日曜日

陰謀論の薦め


陰謀論というと胡散臭いというのが世間の常識です。もちろん私の常識でもありました、最近までは。しかし、世界の常識とあまりにかけ離れた政治・金融の政策が次々に打ち出される様を観察していると、その理由の説明がつかないのです。もちろん「政治家や日銀がとてつもない馬鹿」という仮説も考えられますが、それは酷すぎます。ところが陰謀論を仮定すると非常にスムーズな説明が可能となります。

そもそも世の中は陰謀だらけ

陰謀論を否定することが善であるかのような常識を語る人が多いですが、世の中の実態はどうなのでしょうか。40年以上も生きていると、実は陰謀で社会が成り立っていることに気が付きます。笑い事ではありません。政局は陰謀なしの美しいものでしょうか?民間の社内権力争いも陰謀なしの美しいものでしょうか?はては恋敵を蹴落とすための陰謀が無いとでも?素直な、謙虚な気持ちになって事実をよく観察し直すなら、程度の差があっても、そこに陰謀を見出すことができるはずです。信じたくありませんが陰謀とは人間の真理です。それを拒絶して誠実だけで生きようとすることは尊いことですが、だからと言って「陰謀が無い」とするのは、あまりにナイーブに過ぎます。

警察の捜査は「陰謀論」が前提

疑わしきは罰せず。確かにそうですが、疑いを掛けなければ警察の捜査も進みません。人間がすべて誠実であると考えて捜査をすれば、すべての事件は迷宮入りしてしまうでしょう。犯人と思しき人物に疑いを掛け、尾行して行動を観察し、状況を積み上げます。科学も仮説を立てることで成り立ちます。疑いを掛けるわけです。そして注意深く観察し、再現性を検証します。「背景に何かある」と考えなければ、科学すら成り立ちません。とりわけ人間の社会は人間が動かしていますから、誰かが何かのために行動することが社会現象を決定付けます。周知の事ですが人間の行動を決定するのは残念ながら理論ではなく欲求です。陰謀論が説得力を持つのもそのためです。

陰謀論の着眼点は「誰が得をしているか」

何をしているか、何を発言しているかを観察しても真実は何も見えてきません。どんな行動をし、誰がどんな得をしているかという「結果」に着目し、仮説を立てます。日本銀行はバブル崩壊後「日銀はデフレ脱却のために努力しています」と15年も発言し続けてきましたが、結果は一度としてデフレ脱却に成功していません。知的レベルの高い官僚の間では、何の結果が出なくとも「努力しています」といえば高い評価が得られるようですが、知的レベルの低い民間では「努力しています」と言って結果が出ない場合は「努力していない」と評価されます。つまり、民間の常識で言えば、日銀が「デフレ脱却に努力しています」と言い続けて出てきた結果が「15年のデフレ継続」であれば、そもそも日銀はデフレに誘導する目的があったのではないかと疑います。それが警察の立場であり、科学的立場です。そうすると、なぜデフレに誘導する必要があったかを説明する必要がありますが、それは、日本の長期デフレが誰に利益をもたらしたかを観察することで説明できます。

日本がデフレや円高で苦しむ中、まるで国策のごとく産業が中国へ移転し始めました。デフレ不況で引き起こされる「より安い商品が売れる」という状況は、人件費の安い中国への産業移転を加速させる誘因となります。また、デフレは必ず円高を引き起こしますので、デフレにより日本から海外へ輸出することがコスト的にどんどん厳しくなります。これも産業の移転を加速させます。つまり、長期のデフレ維持は、日本の産業を中国に移転し、中国の発展をもたらす結果になりました。

また、産業が移転するためには「投資」が必要となります。資金です。多くの場合これは銀行からの借り入れによってまかなわれる事になります。これにより銀行は莫大な利益を得ることができます。日本はデフレ不況のままなので、国内への投資はすすまず、銀行は金利を稼ぐことができません。企業がこぞって中国へ移転すれば、そのための資金需要は半端でありません。中国への産業移転で日本国民は仕事を奪われ苦しんでいますが、銀行は大儲けしたはずです。また産業移転で中国へ流れ込んだおカネはバブルという連鎖反応を引き起こし、金融関連企業に莫大な利益をもたらしています。

肯定する証拠を出すことも、否定する証拠を出すことも困難です。だからといって「証拠が無いから嘘だ」という考えは、ナイーブに過ぎます。証拠が無いのであれば、状況を用いて真偽の評価をするのが普通です。日銀の行動は何も変化しておらず、一貫しています。過去15年にわたってデフレが改善されなかったにもかかわらず、その方策を一切改めようとせず、なおも同じ方策を継続しています。普通は結果が出せないなら方針を転換し、様々なアプローチを行います。しかし、日銀はまったく同じ事を繰り返すだけ。つまり日銀にはデフレ脱却の意図が無いことを意味します。中国や金融社会との関連性については、日銀の方針が転換したときに、誰かが何かの行動を起こすという形で表面化するはずです。注意深い観察が必要です。

真実は「ある」のではなく「作られる」

私たちが真実と信じているものの多くは作られたものです。目に見えているものは、まさに目に見えているままなのですが、目に見えないもの、抽象的な概念、社会の常識などは「それが真実である」と思い込まされることによって真実となります。人間がある事象を信じるか信じないかは無意識下に刷り込まれた暗示が決定します。催眠術で嘘を信じ込まされるのは、催眠術により無意識下に暗示を埋め込むことができるためです。人の意思と行動は無意識が支配します。これは変な考えではなく、心理学のごく初歩的な知識です。その無意識の暗示を打ち破る手段は一つだけ。「疑うこと」です。暗示は本人がそれを疑った瞬間に解けます。

「陰謀論は胡散臭い」という常識も作られた真実です。もちろん陰謀を信じるか信じないかは個人の自由です。しかし、陰謀が社会を動かすということを否定してなお、すべての社会現象に説明が付く人が居るとすれば、もはや神の領域に達しているとしか思えないのです。

人を疑わない態度は美しく見えますが、それは暗示のままにコントロールされて生きることを嬉々として受け入れている姿勢にすぎません。出来ることなら人など疑いたくもありませんが、そういう人間は利用され、淘汰さえる社会であることを忘れてはいけないと思います。

2011年6月10日金曜日

貯蓄が減る?では減ったおカネはどこへ

日本の貯蓄率が低下し続けています。そのため、将来において国債を買い支えるための貯蓄が無くなり、国債価格が暴落して金利が上昇すると騒いでいます。ところで、家計の貯蓄が減少するとすれば、その分のおカネはどこへ行くのでしょうか?

誰も何も書きませんが、貯蓄が減った分だけ、そのおカネがどこかへ行くはずでしょう。それとも、消えてしまうのでしょうか。企業へ流れるのでしょうか。企業に流れたとしても、民間の貯蓄は減りますが企業の貯蓄が増加しますので、貯蓄の総量は減りませんよね。銀行へ流れる。銀行の貯蓄が増えるので、貯蓄の総量は減りませんよね。海外へ流れる?貿易黒字の国の通貨が海外へ流出するとは普通考えられませんよね。アメリカは貿易赤字なのでドル垂れ流しですが日本は真逆です。もし海外へ流れても、海外の円貯蓄が増えるので、円としての貯蓄総額は減りません。残る経済主体は日本国政府だけですが、もとより負債しかありません。では、貯蓄率が低下して減ったおカネはどこへ行くのでしょうか?誰も何も書きません。書くと嘘がばれるからです。

では、本当に円通貨圏の全体の貯蓄が減る心配はないのでしょうか?実は減る心配があります。それは、貯蓄の減った分だけおカネがどこかへ行ってしまうからなのではなく、おカネそのものが消滅するからです。


現在おカネとして流通している「預金」は債権です。債権とは誰かがおカネを借りて、その借りた人が返済するという約束(信用)が価値として認められ、流通しているものです。預金とはだれかが借金することで生まれたおカネなのです(ちなみに預金と貯蓄の違いがわからない人は、預金制度の基礎を知る必要があります)。ということは、誰かが返済するとおカネは消えます。それでも世の中のおカネがすべて消えて無くならないのは、返済される借金が毎日大量にある一方で、新たに借りられる借金も大量にあるからです。おカネは常に生まれたり消えたりしているのです。ところが、借りる人より返す人が多くなると、世の中の預金はどんどん減少し続けます。

つまり、貯蓄が無くなるのは、貯蓄率が低下するために起こるのではなく、デフレ不況でおカネを借りる人がどんどん減っているのが原因なのです。 マスコミはこの事に決して触れませんので、専門家を除いてこれを理解している人は世の中にほとんど居ませんです。

そうは言っても、不況で借金をする人が減っているにもかかわらず日本の預金総額そのものは大きく減少していません。なぜでしょうか?誰かが借金することで預金が生まれているなら、いったい誰が借金をしているのでしょうか?それは日本国政府です。

デフレ不況でおカネを借りる人が激減し、本来であれば世の中のおカネが消えてしまうのですが、日本国政府が国債を発行することで、世の中のおカネの総量を維持してきたのです。ですから、国債の発行を減少させると預金総額が減少し、社会に循環する通貨が激減し、貯蓄そのものも急速に減少します。つまり、今の貯蓄は国債によって支えられているのです。マスコミはこのことを一切書きません。 貯蓄が減って国債を買えなくなるなど笑止であり、実際には国債が貯蓄を支えているのです。

余談ですが、麻生太郎はそのこともよく理解していたと思われます。「不況で誰も借金をしないから政府が借金をして経済を支えているのだ」という趣旨の発言をしています。さらに、借金として生まれる「預金」に依存する現代経済システムが限界に来ている事を知っていたらしく、政府通貨の発行を検討していました。政府通貨とは「消えることの無いおカネ」です。しかし、そのことが麻生政権の命取りとなりました。歴史上、政府通貨を検討した政権は必ず潰される。ケネディなど暗殺されたほどです。実際に政府通貨を発行して南北戦争に勝利したリンカーンも暗殺されています。案の定、麻生政権は社会の支配階層であるマスコミから総攻撃を受けて崩壊することになりました。

麻生は愚にも付かない失言を除けば、近年まれに見る優秀な政治家でしたので、実に残念ですが、これが民主主義の実態です。

2011年6月4日土曜日

財源の本質とは何か

財源をおカネだと考えている人がほとんどですが、本当の財源とはおカネではありません。年金の財源といえば、おカネだと考える人がほとんどですが、おカネなどなくとも老後の生活の保障は可能なのです。財源とは富を生み出す生産力にあるからです。

年金財源はおカネではない

人々が生活するために本当に必要なのは生活物資です。衣食住の物資であり、保健医療、娯楽、教養などのサービスです。大切なのはおカネではなく、これらの生活物資をいかに生産し、人々に分配するかということです。そのための方法の一つとして年金制度があるのです。もし年金制度が機能しておカネを高齢者にきちんと配分することができたとしても、生活物資やサービスの絶対量が不足してしまえば、老後の生活など保障できるはずもないのです。年金制度とは、おカネの制度を利用してはいますが、実際には生産した生活物資やサービスを高齢者に分配するためのシステムにほかなりません。社会の活力を高め、その余力によって高齢者に分配する商品やサービスを生み出すことこそ年金制度の本質なのです。高齢者に分配する財を生産すること。財務省や日本銀行の理論が空虚なのは、このような視点が決定的に欠落しているからです。彼らにあるのは生産ではなく「カネの収支」「カネの交換レート(物価)」だけなのです。これでは年金制度など崩壊して当然なのです。

カネの収支やカネの交換レートが大切といわれる理由は、それが社会の活力を高め、生産余力によって高齢者に配分するための財を生み出すために必要だと考えられるからであります。しかし、デフレや不況により社会の活力を失ってまでカネの収支やカネの交換レートを守ろうとすることは、本末転倒です。これではカネの収支は合っても生産が滞り年金制度は本質的に崩壊する。官僚にかぎらす、組織はその性質から言って国家の全体最適化ではなく、その省庁の目的を最適化しようとする傾向があり、たとえ国家を破滅に導くとしても組織の目的に向かって猛進します。それは太平洋戦争へ突き進んだ軍官僚組織にあきらかです。戦前の軍官僚と同じように、いままさに財務官僚と日銀官僚が組織の目的のために暴走し、日本を太平洋戦争以来の破局に導こうとしているとしか思えません。すくなくとも、政治主導ではなく、官僚主導の政治が堂々と行われている今日は、戦争へと突入して行った、軍官僚主導の戦前日本と酷似していると言えるのではないでしょうか。

カネを抜いて考えてみる

現在の経済は市場とカネを通じて財の分配が行われるため、生産と分配という経済の根本的なシステムが見えにくくなってしまいました。モノ余りの時代と言われる一方で、モノの不足した貧困層が増加する日本。そこで、おカネを目に見えないように透明化して、財の生産と分配だけを見てみましょう。このためにアリの社会を想定してみます。このアリは人間には見えない特殊な化学物質を「おカネ」として使っているとしましょう。彼らの社会では物資の交換におカネが使われているのですが、私たちには見えません。すると、おかしなことに気がつきます。食料が大量に生産され余っている一方、そのすぐ横では満足な食料を得ることのできないアリが餓死していくのです。普通のアリの社会であれば、こんなことはあり得ないでしょう。食料の足りないアリは余った食料を食べて、アリの巣全体で餓死など出るはずはありません。それが普通です。ところがこのアリの社会では食料が余って腐る一方で、その横で餓死するアリが大量に発生するのです。余っているのだから分け与えればよいのですが、それはしません。その理由は、飢えているアリにおカネが無いからなのですが、私たちにはおカネが見えないので、そのアリに食料が分配されない理由は外から見てもわかりません。なぜか食料が余っているのに、一部のアリには食料が分け与えられないのです。その一方で食料が余ってしまうため、生産余力があるにも関わらず、食料の生産を減らしてしまいます(生産調整)。なぜ餓死するアリが大量に居るのに生産を減らすのか?そのアリに言わせると「需要が無いから」だそうだ。だがその矛盾を指摘するアリは居ない。そして「需要が無いのは人口が減少しているからだ」という。それが正論としてアリの社会では信じられているのです。飢えているアリが何万匹も居ても、需要が無いと平気で信じています。このようにカネは人々の考えを混濁させ、本質を覆い隠してしまうのです。カネを抜いて考えてみると、この矛盾に誰もが気がつくはずでしょう。日本の社会がおかしくなっている原因は人口が減っていることではありません。おカネの存在こそが災いの元凶なのです。

もちろん通貨を廃止せよなどと言うのではありません。通貨制度は多大な矛盾を孕んでいるとしても重要な制度です。通貨制度に代わる生産と分配のシステムを実現することは簡単でないからです。そうではなくて現代の拝金主義、カネベースでしか物事を考えることのできない偏った政治家や官僚に任せていては、本質を見失い、国家を破綻させる危険性があることを指摘したいのです。そして、通貨制度は憲法と同様に永遠普遍のものではなく、時代とともに常に改革され、それによって生産と分配を最適化し、不幸な人々を減らす必要があるはずなのです。財務省も日本銀行も官僚であり、官僚にはそれができない。リスクを負えない官僚組織は宿命的にイノベーションを実行できないのです。それゆえ企業であればトップが、国家であれば政治がリスクを背負ってイノベーションを行わねばならない使命にあります。政治主導の意味はそこにあるのです。

財源とは生産能力そのものである
ゆえに生産能力を増やすことが財源の確保となる

財源をおカネではなく、財を生み出す生産力であると考えることが必要です。財源とは普通「税金」を意味します。しかし税金はそれを使うことで何らかの財(公共設備や公共サービスなど)を生み出していますので、一定の生産力を背景に必要としています。国全体の生産力から税によって費やされる生産力を引いた残り、この残りの生産力が民間の生活必需品の生産と消費に費やされます。おカネを使って財を生み出す以上、財源とは生産力のことなのです。生産力なくして財源は成り立ちません。そして、増税するということは、国全体の生産力のうち税金によって費やされる分の生産力を増やし、民間の生産と消費に費やされる分の生産力を減らすことを意味します。増税によって人々の生活が苦しくなるのは、国全体の生産力のうちの多くを、税金というかたちで奪われてしまうからなのです。表面的には税金という形でカネとして奪われていますが、本質的には生産力を奪われているのです。そして政府が税金として徴収した生産力を政府として使っています。これが財源です。

財源を考えることは、国全体の生産力の振り分けを考えることであることがわかります。予算とは、その振り分けをおカネを使ってやっているに過ぎません。国全体の生産力をどのように配分して使用するのか。社会主義であればそのすべてを国家が管理しますが、資本主義では税を用いて公共と民間の配分を決める以外は、民間に任されることになります。

生産力の振り分けをおカネを用いて行うことが可能なのはなぜか。それは生産量が循環する通貨量によって決まるからです。年間に生産される財は市場においてほぼ完全に売買されるので、生産量は財の売買に使われたおカネの総額、つまり循環するおカネの量に等しいわけです。そして、売買に使われるおカネの量に応じて生産量が決まります。つまり、たくさん売れればたくさん生産されるのです。従って売買に使われるおカネの量、つまり循環する通貨の量が増えれば生産力も増加します。しかし最大生産力を超えることはありません。最大生産力は生産余力および経済成長力の合計です。つまりデフレ日本のように工場や労働者が余っている状態であれば、生産余力がありますし、生産技術があれば生産能力の向上、つまり経済成長が期待できます。その範囲であれば循環する通貨量を増やせば増やすほど生産力が増加します。

すぐに気が付くと思われますが、生産力を高めて、その高まった生産力を政府が利用するのであれば、民間消費に必要な生産力が奪われることなく、公共設備や公共サービスなどを実現することが可能であることがわかります。ところが財務省が行おうとしているのは、生産力を高めることなく、政府で使用する分の生産力を民間から奪おうとする行為ですから、どうやっても民間の貧困化は避けられません。しかも、いまある生産力を振り分けるという行為だけを続けていても、日本の生産力が向上することなど無く、財務省の行為は、ただ場当たり的に問題を先送りしているに過ぎないのです。

財源を確保するとは、今ある生産能力の範囲で振り分けを考える事で実現できるのではありません。財源の裏づけとなる日本の生産力を高めることによって初めて可能になることなのです。そして、生産力は最大生産力を超えない限り循環する通貨の量を増やすことによって高めることができる。これを基本として財源を考えるべきだと思うのです。

2011年5月29日日曜日

8)おカネの二面性という欠陥

 日本を蝕むデフレは、富の源泉である国の生産力を徐々に破壊し、格差を助長し、貧困を生み出しています。それは現在の経済の中心を担う「市場」がその本来の目的である財(商品やサービス)の交換という機能を失ったためです。このままでは市場経済よりも計画経済の方が遥かにましな時代が訪れることになるでしょう。なぜこのような事になったのか。その根本的な原因はおカネの二面性という、それ自身の宿命的欠陥にあると思われます。

デフレの原因は財の生産に見合うだけのおカネが使われない事

 おカネには二つの大きな側面があります。第一は市場における交換の媒体としての役割。市場における財の交換機能です。第二は価値の保存機能です。それが貯蓄です。市場を麻痺させている原因は、第二の機能である貯蓄にあります。おカネの本来の機能は第一の機能、つまり市場における財の交換の媒体としての役割です。もちろん第二の機能である貯蓄の機能も非常に大切です。財の生産や需要には個々に変動があるため、市場において、その変動による短期的な供給不足や需要不足を緩衝する機能を果たすからです。また社会全体の経済システムが安定しているなら、個人にとって事故などの環境変化による収入の減少、途絶などに備えて貯蓄は極めて有効です。ですから、ある程度の貯蓄は許されるべきで、むしろ推奨されるべきだと思います。しかし無制限に貯蓄するとどうなるか?社会に存在するおカネの量には制限があるため、おカネが貯め込まれてしまうと、第一の機能である「市場における財の交換」のために必要とされるおカネが足りなくなってしまうのです。これによりデフレーションが発生します。

 現代の市場では物々交換という仕組みが失われたために、市場における交換は必ずおカネを媒介とするようになりました。国民の生産した様々な財(商品やサービス)は必ず市場を通じて人々に分配されますから、おカネは非常に重要であり、交換の媒体としてのおカネが不足すると、すぐに財(商品やサービス)の交換機能が失われ、片方で財が余ってしまう一方で、財が人々に行き渡らず不足するという事態が同時に発生します。つまり、「モノ余りとモノ不足が同時に起こり」ます。これがデフレ状態です。現代の日本でも、生産過剰と言われる一方でモノが不足した人々(貧困層)が増加する事態となっています。生産力があって工場が遊んでいる一方で、モノが手に入らない人々が増加するという奇妙な現象が発生するのです。これは資源の最適配分の問題ではなく、単に財の交換に使われるおカネの量の不足していることが原因なのです。

 もし日本が社会主義の計画経済であれば、国が失業者を雇用して遊休工場を稼動させ、財を生産してその財を失業者に分配すれば貧困問題は解決します。ところが市場経済ではそういうことはできません。市場経済でこのような事態が発生する原因は、財の生産量に見合うだけの十分なおカネが財の交換に使われていない事によります。それ以外に原因は無いのです。なぜそのような事態が発生するのか?それは貯蓄です。

貯蓄が人々を貧しくする

 マクロ経済において、国民が受け取る所得の総額(労働者の賃金、経営者の収入や株主への配当などをすべて合わせた総額)は、企業などで人々が働いて生み出した財(商品やサービス)の販売価格の総額と同じです。販売して得たおカネの総額が所得の大元になっているのですから当然ですね。ですから、国民が所得のすべてを財の購入に当てるなら、生産した財は余ることなく売り切れ、人々に行き渡ることになります。すべての商品が売り切れるので、国民の所得はすべて企業の売上げとなります。企業の売上げは再び国民への所得となります。この状態ではデフレもインフレも発生することはありません。

 ところが、もし受け取った所得を使わずに貯めたらどうなるか。貯蓄したらどうなるか。使わずに貯めたおカネの総額分だけ生産した財が売れ残ることになります。売れ残ると、販売総額が減ってしまいます。この販売総額が次の回における国民が受け取る所得の総額となります。つまり、売れ残った分だけ、次の回には所得が減ります。減った総額から、また一定の割合で人々が貯蓄すると、またもや売れ残りが生じ、販売総額が減り、国民所得が減少する。このようなスパイラルにより、貯蓄すればするほど国民所得は減少を続けます。そして生産される財の量も減り続け、人々はどんどん貧しくなってゆくのです。

 貯蓄は人々を貧しくさせているのです。貯蓄は罪悪でもあるのです。

既存の常識を捨てることが重要

 もちろん、何時いかなる時代にあっても貯蓄が罪悪であったわけではありません。日本が発展途上にあった頃、その頃は日本の総生産能力が人々の総需要に比べて低い状態にあり、生産能力を高めて人々の需要を満たす必要がありました。この場合、財の生産は消費財にすべて向けられるのではなく、生産設備の生産に向けられる必要があります。人々の生活物資を作るために日本の生産能力のすべてを振り向けるのではなく、工場や製造機械などの生産設備を拡充することが重要だったのです。資本主義経済において、おカネは投入資源の配分を決める道具でもあります。もし、この頃の日本人が貯蓄をせず、生活物資の購入にすべての収入を当てていたらどうだったでしょうか。すると生産能力のすべては消費財の生産に振り向けられてしまいます。生産力を高めるための生産設備の拡充はないがしろにされてしまいます。

 しかし、日本人の高い貯蓄性向が貯蓄を増やすことになりました。この貯蓄は、消費財の生産を控えることにより、生産余力が発生した事を意味します。消費財を作らない分だけ生産設備に余力が生まれることを意味します。この余力を用いて日本は生産設備を次々に拡張し、現代日本の膨大な生産力を生み出したのです。おカネの側面から見れば、貯蓄は死蔵されることなく設備投資という名目で循環するカネの流れに加わったのです。国の発展途上において貯蓄は非常に有効で、生産設備を拡大することで人々を豊かにします。

 ところが、現代の日本は生産力が有り余るほどに拡大してしまいました。こうなると、貯蓄は正反対の意味を持つようになります。前述のように、貯蓄で人々は貧しく、不幸になるのです。数学や物理学などと異なり、複雑系である経済問題の解は、環境条件が変わると正反対に変化したとしても不思議はありません。

おカネの本来の機能を取り戻せ

 おカネの第一の機能は市場における財の交換です。これが十分に果たされていないことがデフレ不況の原因です。一方で第二の機能である貯蓄は異常なまでに膨らんでいます。実体経済つまり財の生産と分配であるGDPは500兆円ですが、金融資産という実体経済とは無関係の資産が1400兆円もあるのです。そして今も第一の機能は減り続け、第二の機能だけが膨張を続け、第一の機能をどんどん圧迫しているのです。

 おカネを貯め込んでも人々は豊かになれません。おカネを循環させること、肥大化した第二の機能を抑制し、第一の機能を回復することこそ大切だと思います。

2011年5月28日土曜日

7)借金を返すとおカネも消滅する


 「借金を全部返すとおカネもすべて消滅する」財政再建をどうこう考える前に、まずこの事実をきちんと理解しておかなければなりません。「人々が借金をすべて返済すると、世の中のおカネもすべて消滅する」。民主党は明らかにこの事を理解していないのです。

 なぜ借金をすべて返済するとおカネがすべて消滅するのか。それはおカネが借金の裏返しとして作られているからなのです。現在の金融制度はそういう仕組みなのです。そしてその仕組みを負債と資産の関係から表現したものがバランスシートです。

 バランスシートは左側に資産、右側に負債を計上します。それらの合計は基本的にゼロになります。他の項目としてバランスシートにある純資産は後ほど考えるとして、基本的に負債と資産の合計はゼロになります。それはなぜでしょうか。おカネは銀行が作り出していますが、銀行の作るおカネは必ず借金と対になって生み出されるからです。銀行は貸し出しの際におカネとして「預金」=「資産」を作り出しますが、同時に同額の「借金」=「負債」も作り出しているからなのです。そして、負債は返済すると資産と相殺されて消えてしまいます。そうです、おカネとはもともと何も無いところからマジックのように作られたものなのです。これを信用創造と言います。だから返済すると消えるのです。


 仕組みは簡単です。借り手から見た場合の借金つまり負債を-(マイナス)、おカネつまり資産を+(プラス)で表現した場合、100のおカネが生み出される手順は


 0 → (+100) + (-100) です。


 資産と負債が同時に生まれましたので、帳簿上は問題ありません。そして、それゆえに必ず資産と負債の金額は同じになります。そして負債は借り手に残り、資産は「預金」として世の中に流通し始めます。預金は、やがて借り手の借金返済により相殺されて消えるおカネなのです。現代の通貨制度では、おカネとは債権の一種なのです。これが、借金をすべて返済すると世の中からおカネがすべて消滅するという理由です。

 しかし、もし世の中からすべてのおカネが消えてしまったら大変な事になります。ですから、今の金融制度ではすべての借金を返済することは不可能であり、必ず誰かが借金を続ける運命にあるのです。誰かが必ず借金をして利息を負担しなければならない。まず、この事実を確実に理解する必要があります。なぜ国の借金がなくならないか?その理由もここにあるからです。

2011年5月27日金曜日

おカネの価値など無意味

人々の豊かさはカネの価値で決まるのではなく、
人々に行き渡る財(商品やサービス)の量によって決まる。


人々に行き渡る財(商品やサービス)の量は、
カネの価値で増減するのではなく、
生み出される商品やサービスの量で決まります。
カネの価値が高くても、財が不足すれば
人々は貧しくなります。


デフレは財の生産を減少させるので貧しくなる。
インフレは財の生産を増やすので豊かになる。


もしインフレで貧しい人が増えるとすれば、
所得の再分配が機能していないためです。
高額所得者の課税を強化し、
通貨の再分配を図れば、
社会全体としては、必ず豊かになります。


生み出される財の量が増えれば、
必ず国民は豊かになる。
おカネの価値など関係ありません。


何を最優先に考えるべきか、
答えは誰にでもわかるはずです

2011年5月25日水曜日

日銀の国債引受を否定する日銀総裁の欺瞞

国債引受を「無から有を生み出す打ち出の小槌」とは笑止千万です。民間銀行の預金制度って何ですかね。現金を元に、その何倍ものおカネを無から生み出して貸し付けているのは、まさに「銀行の便利な道具」ではないのですか?

 おカネを生み出すのは、銀行はOKだが、政府はダメ。なぜなら、銀行の絶大な権力が揺るがされるから。日銀総裁の必死の形相が目に浮かぶようです。
 まず被災地を助けることが先決ではないのですか。インフレになろうが、財政規律が乱れようが、そんなものは後から正せば良いのです。日銀は被災者が苦しもうが死のうが、銀行の利益のほうが優先なのか?納得できません。


以下、記事掲載します。
復興財源に「打ち出の小づち」なし=国債引き受け、明確に否定―白川日銀総裁
時事通信 5月25日(水)17時0分配信
 日銀の白川方明総裁は25日、内外情勢調査会(会長・中田正博時事通信社長)で東日本大震災後の日本経済をテーマに講演し、国の借金である国債を日銀が直接引き受けることについて「無から有を生み出す打ち出の小づちのような便利な道具はそもそも存在しない」と述べ、明確に否定した。与党内の一部には、震災の復興財源を捻出するため、日銀の国債引き受けを求める声があるため、こうした動きを念頭に置いたものとみられる。
 白川総裁は「財政規律の低下を招きやすいという深刻な副作用がある」とも指摘。その上で、震災以降も国債が順調に消化されていることを踏まえ「市場の安定が保たれている間に、成長力の強化と財政の立て直しに向けた動きを進めていくことが不可欠だ」などと強調し、中期的な財政再建への道筋を早急に示すよう政府に促した。

2011年5月15日日曜日

6)おカネを刷るとハイパーインフレになるのか

最近はやや大人しくなった感がありますが、それでも未だに「おカネを刷るとおカネの価値が下がってハイパーインフレになる」と頑固に主張する人が居ます。そもそもおカネを刷ってもインフレになるとは限らない。ましてや、どうすればハイパーインフレになるのか私には理解できません。


おカネを刷るからおカネの価値が下がるわけではない


単純に考えれば、おカネを刷ればおカネの価値が下がる気がするのは当然です。しかしそれは算数の話であって、実際にはおカネの価値は通貨の総量の変化ではなく、市場取引で決まります。市場における財(商品やサービス)とおカネの交換レートがすなわちおカネの価値であり、物価です。これは需給の関係で決まるのであり、発行通貨の総量で決まるのではありません。国際間の為替取引においても、おカネは市場取引で決まります。まずそこを間違えると迷宮入りします。日銀が「円の毀損」などという感情的な表現を意図的に使うので惑わされますが、円の毀損などという発想がそもそも意味不明です。円の単位価値が下落しても、取引に使用される円の量が増え、取引される財の総量が同じであれば、国民への財の配分が減ることはありません。人々の生活で最も大切なのは通貨の単位価値ではなく、財(商品やサービス)の取引量なのです。


おカネを刷っても世の中に出回らない社会


では、どのような状況にあってもおカネの価値が下がらないのかといえば、そんなことはありません。一般にはおカネを刷ると、そのおカネが国民の所得を増やし、その所得を使って財(商品やサービス)を買おうとする人が増えます。この時、財の供給が間に合わない場合には、財の市場価格が上昇する事になります。これが物価全体で生じる場合にインフレと呼ばれ、おカネの価値が減ったと考えることができます。


では、現在の日本を考えてみます。ところで日本銀行の刷ったおカネはどのように経済に還流するのでしょうか?刷ったおカネはすべて民間銀行の当座預金に入ります。そして民間銀行が企業や個人にこのカネを貸し付けることで初めておカネが人々の手に渡ります。この貸付けたおカネが「預金」と呼ばれるものです。日銀の刷ったおカネは「預金」に変化してから「借金」として世の中に流れ出します。刷ったおカネがそのまま世の中に流れ出すことはありません。必ず「借金として」流れ出します。つまり、デフレ不況で借り手が居ない今の日本では、刷ったカネは利用されません。借りる人が減る一方で、銀行が過去に貸し付けたおカネの元本と利息は必ず返済しなければならないので、世の中のおカネはどんどん減る方向にあります。


そもそも現在の金融制度では、おカネは負債としてのみ社会に供給される仕組みです。おカネ(預金)はそれが生まれた瞬間に返済と利息を支払うことを義務付けられているのです。ですから、おカネを永久に増やし続けない限り利息を支払うことができずに経済は崩壊します。「おカネを刷らない」などというのは現代の金融制度を否定するのと同じことです。以下のビデオに詳しいので、ぜひご覧ください。





国債を日銀が引き受けると世の中におカネが出る


では、日銀が強力に拒否している「国債の直接引き受け」はどうでしょうか。刷ったおカネは銀行を経由せず公共事業などに直接使われますので、社会に直接還流し、国民所得を押し上げます。国民所得が増加するので財の需要が増加します。この時、財の供給が間に合わなければ物価は上昇することになります。一方で、今の日本では生産能力が有り余っており、デフレギャップが30兆円あるともいわれています。常識的に考えても、これだけ失業率が高いということは、潜在生産力がかなり大きいことが直感で理解できます。このような生産余力の十分にある環境では、需要の増加に対して供給をすばやく増加することが可能です。従って物価が大きく上昇するとは考えられません。仮に他の先進国レベルのインフレ(2~3%)になったとしても、循環通貨量の増加により財(商品やサービス)の生産総量は増えているのですから、国民への富の分配量は減るどころか、むしろ増えるはずです。もし減るとすれば所得の再分配機能が不全を起こしている場合ですので、その仕組みを調整すれば良いだけです。簡単に言えば、企業や高額所得者へ課税し、低所得者へ支給するということで格差が広がり過ぎないように調整するということです。


ちなみに国債を日銀が引き受けると、国債発行残高が増えて財政が破綻すると思うかも知れませんが、日銀は政府の銀行なので(最近は独立性を盾に国民を無視しているが)、利息を日銀に支払ったとしても、それは国庫に収められるので、国の歳入になります。おまけに借り換えを続ければ元本の返済すらする必要はありません。日銀が国債を引き受けると歯止めが利かなくなるという人が居ますが、議会が存在する法治国家でそんな事はありえません(一党独裁の国家ならあり得るが)。法治国家なら法律に明記すれば済むだけのことです。それが守られないなら、それは財政ではなく法律の問題です。


日銀が国債を引き受ける事と同じ機能を果たすものとして「政府通貨」があります。これも日銀が強固に反対していますが、政府通貨はすでに日本でも発行されており、それが「硬貨」です。硬貨には「日本国」と刻印されています。政府通貨を用いて公共事業などを行った場合も直接おカネが社会に還流します。政府通貨は借金として生まれたおカネではないので、銀行に返済する必要が無く、利息を課せられることもないのです。これが本当の意味での「通貨発行」なのかも知れません。余談が長くなりすぎました。


おカネを刷っても為替が暴落するとは限らない


おカネを刷ると為替が暴落すると信じ込まされている人も多いようです。もちろん一時的な暴落はあると思います。なにしろ今の為替市場は巨大な「カジノ」と化しており、「市場」などと呼ぶのもおこがましい状況です。ですから当然ながら暴落、暴騰を引き起こして互いにカネを奪い合う動きが出ます。今は世界の中央銀行が通貨をどんどん膨張させている一方で、日銀は通貨を出し惜しみしているために円高が進行しています。ギャンブラーなら、いずれ日本が金融緩和を推し進めざるを得なくなると踏んで、今のうちに円を買い漁ろうとするでしょうから、ますます円が高くなる。そして高値で売り抜こうとすれば、日銀が円を刷り始めたタイミングで一気に売りに走っても何ら不思議はないでしょう。当然、暴落すれば底値で買い戻そうとするので、再び戻る。もはや「市場の信認」とは「ギャンブラーの信認」という有様です。


ギャンブルのために上下にブレルことはあっても、為替相場の平均値は各国の通貨の発行量に応じて一定の値になると思われます(ならないとギャンブルが成立しないでしょうし)。片方の通貨だけが落ち続けるというメカニズムは存在しないと思います。通貨の信認が決定的に損なわれるのは、日本という国が財を生み出せなくなったとき、つまりデフレを放置して生産力が破壊された場合です。おカネを刷って景気が良くなれば、通貨価値のベースとなる財の生産力が維持されるため、おカネの増量による相場の相対的下落はあっても、暴落はありえないでしょう。


おカネを刷っても輸入が増えるだけ?


余談ですが、おカネを刷っても輸入が増えるだけで国内経済は活性化しないという話も出ます。そうでしょうか?輸入して販売した場合でも、仕入れ価格そのもので売るわけではありませんので、小売が活性化すれば当然ながらGDPは増加します。日本のGDPに占める輸入依存度は10%に満たないので、刷ったおカネの90%は国内で使われることになるはずです。しかも震災復興はインフラ(道路、橋、建物など)が大部分なので、輸入で対応できるものではありません(原料は輸入するが、もともと国内調達が低いので関係ない)。


さらに言えば、日本が輸入を増やすことは、世界の景気を活性化します。活性化した世界には日本の輸出品を購入する余力が生まれます。輸出が増えれば日本の景気は良くなります。マクロ経済は常に「循環」を前提に、連鎖反応を考えねば迷宮入りします。輸入を増やすことは輸出を促進することでもあるのです。そもそも輸出超過である日本は輸入を増やすのは当然で、それは円高を解消する事にもなります。


インフレとは単に通貨の価値の問題に過ぎません。通貨の価値が上がろうが下がろうが、人々に行き渡る財(商品やサービス)の量が維持・向上するなら何の問題もありません。通貨の価値を維持する事が人々の生活を保障するわけではありません。より多くの財を生み出し、より多くの人々に供給するためのシステムを考えるべきであり、通貨はそのための道具に過ぎません。


道具に振り回されて本質を見失うことは悲劇だと思います。

2011年5月8日日曜日

5)財源と経済成長を同時に実現(修正

復興にかかる財源は通貨発行または資産課税により確保することが最適で、消費税や所得税などを財源とするのは不適当です。なぜなら、消費税のようにフローへ課税することは国民の富を奪う一方で、日本にある生産余力をまったく活用しない方法だからです。

通貨量と生産量の関係

財源をおカネという視点だけから考えると、迷宮入りする危険性があります。日本には莫大な生産余力があります。それがデフレギャップと呼ばれるものです。デフレギャップが無いという人も居ますが、これは単純に考えてもおかしな話です。なぜなら失業率が非常に高く、労働力という最高の資本が余っているからです。失業者とは生産余力そのものであり、それはデフレギャップなのです。デフレギャップが無いという人は、本質を間違えていると思います。

活用されていない労働力、生産設備などを100%活用することが復興の財源になるはずです。しかし、現在財務省などが推し進めようとしている消費税や所得税の場合は、これらの生産余力を無視して、現在ある生産力を裂いて復興財源とするものです。これでは国民は貧しくなり、余っている労働力も活かされないのです。それを図で考えてみました。この図は、経済を生産量と通貨量を使ってモデル化したものです(ちなみに素人考えなので、この図を引用・転写されても責任は持てません)。



この図は、おカネと財(商品やサービス)の関係を示したもので、おカネの価値の裏打ちとして、財の生産があるということから、通貨と生産を対比して示したものです。財が生産されて初めておカネは価値を持ちますから、おカネの価値の裏側には常に生産があります。循環通貨量(売買に使用されるおカネの総額)は、実生産量(売買された財の総額)と同じです。つまり国民は通貨を使って財を購入するのですから、支払われたおカネの総額と実際に生産されて国民が受け取った財の総額は同じになります。財とは実態のある商品やサービスのことで、これが本当の意味で「富」と言えます。国民が受け取る富の量は、循環する通貨の量によって決まります。循環する通貨の量が増えるということは、国民の富が増えることを意味します。循環通貨はGDPと同じ額です。

一方、貯蓄は生産活動に影響を与えず、単に貯めこまれているだけです。貯蓄が増えようが減ろうが、国民の受け取る富の量には何ら影響を与えません。貯蓄とは「そこにおカネがある」というだけです(もちろん、貯蓄が投資として活発に循環していれば別ですが)。しかも貯蓄には裏づけとなる財の生産がありません。つまり貯蓄の価値は将来の生産力を担保としているのです。将来世代への負担です。その意味で、経済にとって貯蓄とは借金に近いものです。

一方、生産力は余っています。この生産余力が稼動すると生み出される財の量が増えますので、国民の受け取る富の量も増える事になるのですが、市場経済においては、財が売買されるためにはそれに見合うだけの通貨が必要となるため、循環通貨の量が増えない限り、生産余力が活かされることはありません。生産余力に見合うだけの通貨が不足しています。

消費税では生産余力を活かせない


次に、消費税や所得税を増税し、それを財源とした場合を考えます。消費税や所得税は循環通貨に課税されますので、国民所得が減ります。所得が減りますので、国民が受け取る富も減少します。そして減少した富の部分を財源として利用することになります。つまり国民生活に必要な富を生み出す生産を減らして、その生産を財源として振り替えている事になります。国全体としての生産量は不変なので、生産余力はそのままです。しかしすぐに気づきますが、なぜ、使われずに余っている生産力を利用しないのでしょうか?なぜ生産余力を使わず、わざわざ実生産を裂いて財源にしなければならないのでしょうか。不思議です。では、生産余力を活かす方法を考えてみます。

生産余力を財源とする方法

①通貨の発行益を利用する方法


増税のかわりに生産余力に見合うだけの通貨を発行して財源とします。するとそれに応じて生産が増加し、GDPが成長します。この増加する生産量が財源の裏打ちとなるのです。もちろん、これは経済がインフレ環境下のような、生産余力の無い状況ではできません。しかし現在の日本では物価下落が止まらず、高い失業率を示しており、デフレは解消されていません。つまり生産余力がまだまだ大きいのです。ですから、不足している分の通貨を発行し、生産余力を活用することができるはずです。これによりGDPは成長し、失業は減り、デフレも解消し、税収も増加して財政再建へも近づくことが可能なはずなのです。

この場合は政府通貨または特別な復興国債を日銀が引き受けることで可能となります。ところが、どちらも日銀が猛反対しています。政府通貨は現在も発行されています。それは「硬貨」です。硬貨は日銀とは別に政府が独自に供給している通貨です。ですから、それを増額するだけでこれは可能なのです。しかし日銀は猛反対しています。彼らの権益を侵すからです。通貨発行権とは国家を左右するほどに絶大な権力なので、これを独占する日銀は絶対に反対するのです。しかし通貨の発行権は主権であり、国民の侵してはならない権利です。

②貯蓄に課税する方法


消費税や所得税、法人税等と異なり、貯蓄への課税は循環通貨を奪うものではありません。それどころか循環通貨を増やす働きがあります。貯蓄に課税しても国民所得は減少しませんので、国民への富の配分が減ることはありません。そして貯蓄への課税で得た通貨を公共事業や給付金などに使用することで循環通貨が増加します。その増加した通貨に見合うだけGDPが成長し、それが財源となるのです。つまり資産への課税はGDPを増加させ、経済を成長させて国民を豊かにし、消費税や法人税などの税収が増加して財政再建も実現へ向けて近づくことになると思われます。

ただし、通貨の発行も貯蓄への課税も、それを財源として投資する対象を間違えると効果が損なわれてしまうのではないかという心配があります。たとえば失われた10年の間に国が借金して使われた600兆円もの公共投資は、経済を活性化することなく、高額所得者の金融資産と大企業の剰余金に化けてしまったからです。

そして、資産への課税は、これら600兆円の国の借金を資産として貯めこんだ人々から、それを返していただく事に他なりません。通貨が負債として供給されている現在の金融制度においては、やむを得ないと思います。

2011年5月5日木曜日

緊急!NHKがプロパガンダ

5/4ニュース9において「消費税=思いやりの心」という印象操作が行われました。

ニュースとは別枠で組まれた10分ほどのコーナーで、コメンテーターとして何処かのボランティアの代表らしき人物が登場し、当初は大震災で活躍するボランティアの話をしていた。そして、ボランティアに参加する心ある人々が、若者を中心にどんどん広がっているという話をしていた。日本人は思いやりの心を持っていると持ち上げた。突然、消費税の導入の是非に関する世論調査を円グラフ化したフリップが映し出された。

「消費税導入に30%以上の人が賛成しています。このように自分のためだけでなく、他者を思いやる心を持った人が30%以上にも増えて来ているのです。すばらしい。」という趣旨の発言をし、同席のアナウンサーも同感を示し「経済の事よりも、思いやりの気持ちが大切なんですね」のような発言。

消費税に賛成する=思いやりの気持ち、すばらしい、暖かい。
という印象操作。これは暗に
消費税に反対する=思いやりが無い、経済優先、冷酷。
という印象操作。を行っていることになります。

たとえば、これが「税」ではなく「寄付」の話であるなら、これはすばらしいことです。寄付とは善意です。強制ではなく、思いやりの心だからです。ところが「税」は根本的に違う。自分以外の他者にも強制力を持つ制度のことだからです。他人を強制的に巻き込む事、それは善意ではなく、政治の問題なのです。こんな初歩的な事をNHKが知らずに放送するはずがありません。

しかも巧妙なことに、このコーナーは消費税の話で終わる事無く、即座にボランティアの話に戻り、話を続けて終わる。サブリミナル的な手法も心得ています。

恐るべきNHKのプロパガンダ放送。

日本は再び戦前の暗黒時代に逆戻りするのでしょうか?

2011年4月24日日曜日

4)おカネの価格は何で決まるのか

<通貨の意味を問い直す時代に>

最近、日本銀行に対して金融緩和や国債引受の圧力が高まり、日銀はしきりに「円通貨を増やすと円が毀損する」と発言するようになりました。円の毀損とか日本売りなどの扇動的な表現が先行していますが、そもそも円の価値とは何でしょう。そして、円の価値は円を増やすと本当に毀損するのでしょうか?

おカネの価値は生産力で決まる

おカネには実需を満たすための何の価値もありません。おカネを持っているだけでは、空腹も満たせませんし、雨風をしのぐ事もできません。おカネを食べ物や住む場所と交換することで初めて人々は豊かな生活を送る事が出来ます。おカネがたくさんあっても、それと交換できる商品やサービスの量が不足していればおカネの価値は損なわれてしまいます。つまり、おカネの価値とは、交換可能な財(商品やサービスのこと)とおカネの量のバランスで決まることがわかります。基本的に、生み出される財の量は国内の生産能力によって決まるので、おカネの価値は財の生産能力によって担保されていることがわかります。

現代は経済のグローバル化が進んだため、財の供給は国内生産によってのみ行われるわけではありません。しかし、貿易で必要な財を輸入するためには、それに見合うだけの財を輸出する必要があるため(貿易均衡)、結局のところ国内の生産能力がおカネの価値を支えています。

円通貨を発行しないことが円を毀損する

ですから、もし日本銀行が現金を1円も発行しなかったとしても、日本の経済が不況のままで生産能力が崩壊を続ければ、円の価値は間違いなく毀損することになるのです。つまり円の価値を維持する方法は、円の発行を控えることではなく、財の国内生産力を高めることであることがわかります。財の国内生産力を高めるために円通貨の発行を増やした方が良いのであれば、円通貨の発行は円の毀損ではなく、むしろ円通貨の価値を維持するための積極的な行動であると捉えることもできるのです。経済は複雑な連立方程式であるため、円を発行することだけで円が毀損するという単純な事は起こらないのです。

円の価値が低下しても貧しくならない

多くの人は円の価値が低下すると生活が貧しくなると心配します。しかし実際には逆の現象が起きています。今の日本はデフレで円の価値はどんどん上昇していますが、国民生活は一部の富裕層を除いて苦しくなる一方です。人々の豊かさは円の価値で決まるのでは無いことが証明されているのです。では人々の豊かさは何で決まるのでしょう。これも財の生産力で決まります。

経済は生産と分配が基本です。市場経済の場合、分配を担うのが市場と通貨です。生み出された財の量と交換に用いられた通貨の総額の比率で価格が決まります。これがおカネの価値(おカネと財の交換レート)になります。交換の際に使われるおカネの総額が増加すれば交換レートが上昇してインフレとなります。しかしインフレになったとしても、生産された財はすべて交換されたわけですから、人々に分配され、人々が手にしたことになります。仮にインフレが毎年進行したとしても、生産され、交換される財の量が毎年増え続けるのであれば、人々が手にする財の量は増え続け、人々の生活は豊かになるのです。

つまり人々の豊かさはおカネの価値で決まるのではありません。より多くの財が生み出され、それが市場を通じてより多く人々に分配されることによって人々は豊かになります。おカネの価値とはその市場における財とおカネの交換レートに過ぎません。交換レート(おカネの価値)がどうなろうと、より多くの財が生み出され、より多くの財が交換されるなら何の問題があるでしょうか。

貧困はおカネの価値ではなくおカネの分配の問題

生産される財の量が増えるなら人々は必ず豊かになります。もしそうならないのであれば、それはおカネの価値の問題ではなく、おカネの分配の問題です。市場経済では財はおカネを介して分配されますので、おカネの分配が適切に行われなければ、せっかく大量に生産された財も必要とする人々に行き届かないことになってしまいます。これが貧困です。どれほど財の生産が増えて豊かな社会になっても、おカネの分配が適切に行われなければ貧困が発生します。貧困はおカネの価値が落ちるから発生するのではなく、おカネの分配が適切に行われないために発生します。逆にどれほどインフレになってもおカネの分配が適切に行われ、財の生産が円滑に行われるなら、貧困が発生することはありません。

積極的に円を毀損する必要アリ

デフレはインフレの逆で、おカネの価値が高い状態です。ではおカネの価値が非常に高い今の日本は豊かになったのでしょうか?実際には日本の生産力はデフレとそれを原因とする円高のために衰退しています。中国をはじめとする諸外国に生産拠点がどんどん移転しているのです。それでも日本が悲惨な状況に陥らないのは、移転しているのが低付加価値の商品の生産であり、生産総量が減少しても額で持ちこたえているからです。しかし低付加価値商品を生産してきた国内産業は壊滅し、失業者が溢れてしまいました。

このまま円の価値が高い状態が続けば、いよいよ高付加価値商品の生産も海外へ移転してしまうでしょう。産業の空洞化はTPPなどでカバーできるレベルではないのです(焼け石に水)。すると日本の生産能力は壊滅状態となります。それまで円の価値を支えてきた日本の生産力は崩壊し、円は為替市場において暴落することになります。

デフレで円が暴落、そして財政破綻。これが日銀のシナリオなのです。非常に危険です。これを防ぐためには、異常に高すぎる現在の円の価値を、むしろ積極的に毀損する必要があるのです。円を毀損することで、より深刻な円の毀損を食い止めることが出来る。禅問答でも何でもありません。経済は複雑なフィードバック・システムです。

民間銀行は円を毀損することで利益を得てきたのか?

円を増やすと円が毀損するというのであれば、民間銀行こそ円通貨毀損の元凶であると言えます。なぜなら、民間銀行は自らが保有する「現金」を元に信用創造という手法で「預金」というおカネを作り出しているからです。預金は現金と同じ扱いを受けていますので、その預金を作り出す行為は円通貨の毀損に該当します。現在の「預金」は「現金」の8倍くらいですから、民間銀行は円の価値を8倍も毀損したことになります。そしてこの預金を企業や個人に貸し付けることで銀行は利息を得てきました。ではなぜ円が暴落しないのか?それは、それに応じて生産と消費、つまり経済規模が拡大したからです。

つまりおカネを作り出すことが通貨の毀損であるという考えは根本的におかしいのです。おカネは経済規模の拡大に不可欠なものであり、おカネを増やさない限り経済は拡大しません。そればかりか、おカネを増やさない限り、銀行への利息さえ支払うことが出来なくなるのです(おカネの総額を利息の分だけ増やさないとシステムが破綻する)。

おカネを毀損するとかしないとか、そんなことは経済の本質ではありません。経済の大樹は生産と分配にあります。おカネはその道具に過ぎません。道具に振り回されること無く、本質を見据えたビジョンが今の日本に必要だと思います。

(つづく)

2011年3月27日日曜日

3)「おカネに価値がある」は都市伝説


<通貨の意味を問い直す時代に>

おカネの始まりは「物」

おカネというものが存在しなかった時代の人々は、基本的には自給自足だったでしょう。それでも、たとえば内陸に住む人が木の実や獣の干し肉などを携えて海岸に住む人の村へ行き、魚介類の干物などと交換するという、物々交換は行われていたと思われます。木の実も魚介類もそのものが消費財であり、それそのものに価値があります。しかし木の実などは秋にしか取れませんし、たとえば海の村に出かけたとしても、たまたま欲しい魚がなかったりするかも知れません。そこで、後から自分の欲しいモノと交換出来るように、一時的に別のものと交換しておけば良いと考えるでしょう。それに適しているのは、小さくて持ち運びに便利で保存が利き、多くの人にとって価値のあるもの。たとえば古代の日本では矢尻やその材料となる黒曜石などが交換の媒介に使われていたとの話もあります。これも実用品であると共に希少品ですから、それそのものに価値があります。後から欲しい物と交換できるという約束の証明だけであれば、そのものに価値が無くても良いですから貝殻なども使われたようですが、やはり、それそのものに価値が無いとダメだったのでしょうか、やがて金属を用いた貨幣が使用されるようになりました。金属は希少品ですから、そのものに価値がありますし、偽造することも難しくなります。その代表格は金貨でしょう。この時代の通貨はそれそのものに普遍的な価値がありました。これが今の紙幣とまったく異なるところです。

紙幣の誕生とおカネの価値の喪失

おカネの使用が始まってからも、人々の生活は基本的に自給自足が中心であり、分業化が進んだ現代のようにおカネが無いと生活できないということはありませんでした。おカネはごく一部の支配者層を中心とする都市部で利用されている程度のことでした。日本でも江戸時代は米が経済の中心だったと言います。

しかし商業が発達して交易が拡大するにつれておカネの需要がどんどん高まり始めました。おカネは携帯に便利で、しかも人々の間で普遍的な価値があったので取引の媒体として最適だったのでしょう。おカネの需要増に応えるために鉱山がどんどん開発されて、金や銀などが供給され、通貨がどんどん増えるようになりました。ところがそれでもおカネの供給量が間に合いません。市場経済は通貨を媒介にして、生産した財を取引で交換することによって成り立ちますので、取引量は取引に使用できるおカネの総量によって上限が決まります。また、金貨や銀貨を誰かが貯め込んでしまうとおカネが不足してしまいます。そしておカネが不足すると経済が停滞してしまいます。経済におけるおカネの重要性が高まってきました。

やがて銀行が生まれました。銀行は金貨や財宝を預かるための貸し金庫として始まったそうです。貸し金庫に金貨を預けるという貯金がはじまりました。貯金した人は、何かの支払いのたびにいちいち金庫を開けて金貨を持ち出すのは面倒でしたので、そのかわりに銀行が発行する、金貨の証明書を持ち歩いて、支払いなどに当てていました。これが紙幣の始まりです。紙幣は金貨を保管する銀行が、金貨の証文として発行したのが始まりで、携行が便利で安全でもあるためにおカネとして普及したのです。これが銀行券です。金貨と異なり紙幣には物質的な価値はありませんが、金貨と1対1で交換できるという裏づけがありました。交換比率は1対1です。やがて銀行は金貨のかわりに、この銀行券を人々に貸し付けることで利息を得るようになりました。

ところで、経済がどんどん拡大するにつれ、その経済活動を支えるために必要なおカネの量はどんどん増えていきました。多くの人が銀行からおカネ=銀行券を借りるようになり、金庫にある金貨の量をはるかに上回るおカネの需要が生まれてきました。そこで、紙幣と金貨との交換比率を下げることにしたのです。いよいよおカネの物質的な価値が消え始めました。同時に、このとき始めて「取り付け騒ぎ」という概念が生まれました。裏づけとなる金貨よりも多くの紙幣が発行されるようになったため、人々が一斉に紙幣を持って金貨と交換に銀行へ行くと支払いできる金貨が足りないのです。最初は金庫に預かっている金貨の3倍の紙幣を発行できる程度でしたが、やがてその比率はどんどん低くなってゆきました。つまり元となる金貨の量をはるかに超えるおカネが印刷されるようになりました。

管理通貨制度

それでも、この頃の通貨制度は「金本位制」と言って、紙幣はいくらかの金の裏づけを持っていたのです。ところが産業革命や科学技術の進歩で経済は爆発的に成長し、いよいよおカネが不足してきました。また国際貿易が活発化して貿易格差が拡大したために、世界的な金保有量の偏在という問題なども発生し、おカネの不足が経済を混乱に陥れるようになり、ついに、おカネを金の裏づけなしに自由に発行できる「管理通貨制度」になりました。管理通貨制度の通貨はいちおう何らかの資産の裏づけの上で発行してはいますが、それはすでにおカネそのものの価値とは完全に切り離され、形骸化されたと考えるのが自然です。ついにおカネはすべての物質的な価値を失い、人々がそれを「おカネ」と信じていることと、「法貨」として法律で支えられていることだけが根拠となったのです。

信用創造で膨らむあぶく銭「預金」

管理通貨制度によるおカネの発行は国立の銀行、つまり中央銀行の話です。日本では日本銀行です。しかし実際に世の中を流通しているおカネのほとんどは中央銀行が作ったおカネ、つまり「現金」ではありません。民間銀行は自ら保有する現金を元手に「預金」を作り出しますが、流通するおカネのほとんどをこの「預金」が占めています。預金とは、誰かにおカネを貸した際に作り出される債権であり、返済されるという「信用」が裏づけとなったおカネの一種(現金同等品)です。ですから預金は現金である「日本銀行券」などと根本的に異なる別のものです。銀行は保有している現金の10倍、20倍の預金を企業や人々に貸付けします。つまり預金とは誰かの借金なのです。この借金がめぐりめぐって私たちの給料として振り込まれたり、私たちが大切に貯金したりしているわけです。これが預金のしくみです。預金は「返済される」こと(信用)を前提として成り立つため、バブル崩壊などで多くの企業が返済できない状態になると、連鎖的に崩壊します。元となる現金はわずかなのに、返済をあてにして、その何倍も貸付を行うのですから当然のことです。ですから、もし取り付け騒ぎで預金者が預金を引き出しに行っても、そもそも銀行の保有する現金が足りるはずが無いのです。ちなみに「預金を引き出す」と言いますが、これは正確には預金を現金に交換する行為であり、預金はそもそも現金ではありません。預金とは単なる信用なのです。

「おカネに価値がある」は都市伝説

このように中央銀行が金貨の裏づけ無しで現金を自由に発行し、その現金を元に民間銀行がその何倍も企業や人々に預金を生み出して貸し付ける現在の通貨制度において、おカネに価値があるなどというのは都市伝説のようなものです。もちろん交換の媒体として、経済活動に果たすおカネの意味は非常に重要でしょう。しかしおカネそのものの価値は完全に喪失しました。未だに古典的なおカネの価値を信じる政治家も多いようですが、そのことが、現在の日本のデフレを長期化させ、泥沼から抜け出せない原因であるような気がします。

おカネに価値はありません。経済活動を活性化させるための「媒介」あるいは「記号」に過ぎないのです。おカネに対する古い常識を捨て、経済活動を活性化するために「あるべきおカネの姿とは何か」を考える時代なのではないでしょうか。 (つづく)

2011年3月5日土曜日

2)「欲しい物が無いから需要が増えない」はウソ


<通貨の意味を問い直す時代に>

需要はおカネが支える

「人々はおカネを持っているが、世の中に欲しい物が無いから需要が増えない。」との主張が聞かれます。おカネが不足しているのではない、おカネをいくら供給しても需要は伸びない、だからデフレは解消しないという主張です。しかし世の中に魅力的な商品があるかないかで景気が変動するなど聞いたことがありません。景気の巨大な変動は「欲しいモノの有無」で説明ができません。もちろん魅力的な商品が登場すれば、その商品の需要は拡大しますが、他の商品の需要が同時に伸びるという根拠にはなりません。国民一人当たりの購買力が変化しなければ、むしろある特定の商品が売れるようになった結果、他の商品が買い控えられることになり、社会全体の需要を押し上げることにはなりません。ですから規制緩和や新産業の育成により魅力的な商品が生まれたところで、国民の購買力、つまり国民所得が増加しなければデフレは解消しません。

 一方で、好景気は必ずバブルを伴っています。高度成長期には土地神話を背景とする土地バブル、1990年頃の日本のバブルは加えて株バブル、その後のアメリカのITバブル、サブプラムローンなどのバブル。いずれも日本や世界がバブルで好景気に沸き立っていました。バブルは資産価格が連続的に高騰する状態ですが、その際には大量の信用通貨=預金が生み出され、それらが市場における資産の売買を通じて通貨のフロー系に大量に流れ込みます。国民所得とはフロー系で成り立つため、バブルにより国民所得が直接に向上し、購買力が高まります。しかも需要の増大でインフレが発生するために、おカネを貯蓄するよりも、モノに変えた方が得になるため、デフレ期のように貯蓄が増えて消費が停滞することはありません。企業の設備投資は旺盛な消費に支えられて拡大します。まさに好景気です。

ストック系はおカネがじゃぶじゃぶ、フロー系はカラカラの金欠

 つまり好景気を支えているのは新産業でも規制緩和でも何でもありません。バブルによって生み出される大量の預金通貨により需要が生み出されるのです。しかも、おカネがフロー系に流れ込むことが重要です。まずこの事を明確に認識する必要があります。バブルで生まれたおカネは不動産や株式の売買を通じてフロー系に流れ込みます。これが好景気を支えます。確かに現在も日銀の金融緩和により大量の現金を民間銀行に流し込んでいますが、これはストック系のおカネを増やしているだけです。ストック系のおカネがフロー系に流れ込むには「誰かが借金をしなければならない」のです。デフレがここまで悪化してしまった日本では、誰も借金など好き好んでするはずがありません。つまりストック系にはじゃぶじゃぶに現金が溢れていますが、フロー系はカラカラに干からびた金欠状態が続いているのです。これが根本的に問題です。

 ですから日本銀行が金融緩和政策でストック系の現金の量を増やすよりも、この現金を直接にフロー系へ流し込むことが、より効果的であることがわかります。つまり増やしたおカネを、これからの日本を支えるための社会資本や基幹産業の育成に投資することで雇用も同時に生み出し、買い物割引クーポン券やエコポイントの拡大で国民の購買力を直接に底上げするなどの、フロー系を直接活性化するための財政政策が必要です。そのためには、現金を大量に供給する必要があり、それは日本銀行が国債を直接に引き受けることで可能となります。

バブル期でもハイパーインフレは起きなかった

日銀が国債を直接に引き受けると「ハイパーインフレ」という話が必ず出てきますが、それではなぜ「バブルがハイパーインフレを引き起こす」と主張しないのでしょうか。国債引受は日銀がおカネを作る行為ですが、バブルは民間銀行がおカネを作る行為です。同じ信用創造なのになぜ日銀の信用創造はハイパーインフレと主張し、民間銀行の信用創造は何も言わないのか?しかも日銀の発行するおカネより銀行が作り出す預金通貨の方がはるかに多いのです。そして、バブルで何度も経験しているように民間に通貨供給を依存するとノーコントロールとなり無制限に膨張して崩壊してしまう。こちらの方がはるかに問題です。景気が回復して好景気になればインフレになるのは当然です。しかしインフレとハイパーインフレは根本的に違うものです。供給能力が十分にある状態(むしろ過剰供給)でハイパーインフレが発生した前例など聞いたことがありません。インフレとハイパーインフレは発生する危険度もメカニズムも異なると考えるべきです。

デフレが解消しなければ新産業の育成も規制緩和も失敗する

新産業の育成も規制緩和も必要でしょう。しかしそれはデフレ不況の下では極めて低い成果しかあげることはないでしょう。新産業によりどれほど魅力的な商品やサービスが生まれても、国民所得が向上しなければそれらは売れることがありません。売れたとしても従来商品と単にシーソーゲームをするだけです。また規制緩和で生産性が向上すれば、逆に人手が余るために失業率が上昇し、国民所得が減少して景気がますます悪化してしまいます。それらの余剰労働力を吸収するための新産業は、好景気でなければ成長できません。新産業の育成も規制緩和も必要ですが、それでデフレを克服することは不可能で、逆にデフレを脱却した後にこそ、それらを強力に推進する意味があるのです。

(つづく)

2011年2月27日日曜日

1)デフレは財政再建のチャンス?


<通貨の意味を問い直す時代に>

国債が支える現在の日本の経済

現在の日本はデフレです。需要が冷え切って物が売れず、企業の投資も非常に低調なためにおカネが世の中に回らない状態が続いています。そんな中で、政府が国債によって家計や企業のおカネを吸い上げて需要を生み出すことで、かろうじてデフレ大恐慌を防いでいる状況です。その仕組みは以下のようなものです。

①家計や企業の貯蓄から国債としておカネを集めて国が投資する
②そのおカネで財が生産される、国の豊かさは維持される
③そのおカネは家計や企業の貯蓄となる
④その貯蓄から国債としておカネを集めて国が投資する
⑤永久に国債は膨張するが、経済は循環する

以上の仕組みから以下の二つのことがわかります。
A)国債に依存しても、おカネの循環が維持されれば人々の生活は保たれる。
B)家計や企業の資産が膨張し続け、国債も破綻するまで膨張し続ける。

おカネと財の生産

A「国債に依存しても、おカネの循環が維持されれば人々の生活は保たれる。」の現象は、借金だろうがなんだろうが、おカネがあれば生産力は維持・拡大され、人々の生活が向上することを意味しています。これはおカネの本質的な機能である「財の交換」が働くためです。この場合のおカネは国債に基づくものでも良いし、新規に発行された通貨でも良いし、下手をするとニセ札でも同じ効果があります。つまり、おカネには本来価値はなく、価値あるものと人々がみなすことで、それが動機となって人々が働いて、本物の価値である財(商品やサービス)が生み出される。おカネさえあれば、それがニセ札であろうと、財を生み出し人々を豊かにする。生産力が活かされる。これが通貨の循環系、フローと呼ばれる部分です。おカネが流れること、循環通貨の流れに乗って生産活動が行われます。ですからおカネを刷り続ければ経済が成り立つ。これは明白な事実です。実際にアメリカの経済はドルの信用を背景にすさまじい量のおカネを刷る事で維持されているわけです。財を生産し、人々の生活を豊かにしてくれるのは、おカネの流れ、循環通貨です。循環する通貨の量は名目GDPの額と同じであり、名目GDPの成長とは循環する通貨の量が増えることです。循環系はおカネの本質的な機能です。

貯蓄という問題

B「家計や企業の資産が膨張し続け、国債も破綻するまで膨張し続ける。」の問題は要するに財政赤字問題ですが、これはおカネの調達を国債ではなく通貨の新規発行でまかなうことで簡単に解決します。政府の財源を通貨発行でまかなってはいけないというのは単なるルールに過ぎないからです。しかしこれによって財政赤字の問題は解決する代わりに、新たな問題~C)通貨は永久に増え続け、家計と企業の貯蓄も永久に膨張し続ける~が発生します。

貯蓄はストックと呼ばれるものです。このストックは幾ら増えても財を生み出すことはありません。ゆえに貯蓄はおカネの本質ではなく、副次的な機能です。フロー系が筋肉だとしたら、ストック系は皮下脂肪です。飢えに備えるためにはいくらか必要ですが、増えすぎると経済に成人病をもたらします。なぜ貯蓄が増え続けるのでしょうか。国内生産力がまだ不十分だった高度成長期の頃の日本では、経済成長に伴う循環通貨の膨張が必要でしたから、投資という手段で、膨張する循環通貨から利息を得ることは簡単でした。ですから、貯蓄されたおカネは投資として通貨の循環系、フローへ投入され、それが生産と消費を押し上げることで経済成長を支えてきました。しかし生活水準がある程度満足できるレベルに達した現在の日本では、高度成長期のように爆発的に需要が伸びることは難しく、それどころか、日本は世界的に異常とも言える長期デフレに突入したままです。デフレとは循環する通貨の膨張が止まり、逆に減少する状態です。循環通貨の膨張の無いところに利息は生まれませんから、デフレ経済で投資する奇特な人はいません。つまり経済がデフレであり続ける限り、家計と企業の貯蓄は投資に振り向けられることは無く、永久に膨張を続けるのです。

デフレが続く限りおカネを刷り続ける事が出来る

おカネを刷ってフロー系に投入すれば、財が生み出されて人々は幸福になる。一方で家計と企業の貯蓄が無限に増大する。もし、この構造がそのままずっと続くのであれば、実は問題は何もありません。全員がハッピーです。まずこの事をしっかりと認識する必要があります。おカネを刷り続ける事が道徳的におかしいとか、そういう常識問題で考えることは無意味です。常識はしばしば本質を見誤らせます。フロー系をいかに活性化させて人々を幸福たらしめるか。そのためにこそおカネの存在価値があるはずです。問題が発生するとすれば、家計と企業が貯まったおカネを使おうと考え始めたときに発生します。おカネを使おうと考えるとは、需要がどんどん高まることですから、つまり好景気です。好景気になると、貯まったおカネが需要に向けられますので、それをカバーするだけの国内生産力や輸入が確保できなければインフレになります。逆に永久に日本が好景気にならないのであれば、永遠におカネを刷り続けても問題ないことになります。

デフレは財政再建のチャンス

巷には「デフレは不可避」「少子高齢化でデフレ」という話が続々と流れてきますし、日銀もデフレに誘導しているようですから、日本経済は永久にデフレ不況かも知れませんね。デフレ不況である限りは、貯蓄は消費に向けられる心配はありません。しかもデフレは永久に続くという論調が支配的ですから、これはおカネを刷り続けることのできる絶好のチャンスでしょう。つまり、日本のデフレは不可避で永久に続くという論が、通貨の永久増発の根拠なのです。国債の新規発行はただちに中止し、財政再建のために通貨を発行すべきです。デフレが永久に続くのであれば、これは財政再建のチャンスなのです。

本当にデフレは永久に続くのか?

通貨を発行し続ければ必ずデフレは脱却できます。ですから実際にはすべての財政赤字を通貨発行で埋め合わせる前に、デフレが解消されますから、それ以上の通貨発行は不可能になるはずです。もしデフレが続くのであれば、すべての財政赤字を通貨発行で返済でき、さらに財源をすべて通貨発行に頼る無税国家が誕生してしまいます。

(つづく)

2011年1月30日日曜日

財政再建で何が起きるか国民は知らなすぎる

マスコミの書かないことを書きます。公然の秘密なので、書くのは少々危険なのですが。まず、しっかり理解しておかねばならないことがあります。それは、

通貨は負債として生まれる。ゆえに、利息を支払うため通貨総量は膨張し続けなければならない。

ということです。世の中を流通している、いわゆる「おカネ」の大部分は預金です。現金はほとんどありません。では世の中のほとんどのおカネである「預金」はどのようにうまれるのでしょう。日銀が発行する?いえ違います。それは銀行が企業や人々に貸付を行うことで「信用通貨」として生まれます。

簡単に言えば、誰かが借金をすることで、その借金したおカネが世の中を回っているということなのです。だから、このおカネは借金を返済すると消えてしまいます。もう少し詳しく見てみましょう。銀行はBS(バランスシート)という帳簿を用いておカネを作り出します。BSの左(資産)にあるのが貸付金。右(負債)にあるのが預金です。Aさんに銀行が貸付を行う場合、左の貸付金(資産)の金額を増やすと同時に、右の預金(負債)の項目を同額だけ増やします。このときに預金=おカネが発生します。不思議な気がしますが、これがおカネです。そしてこの預金の名義をAさんに移すと貸付完了です。このように銀行が貸し付けを行う際にはBSの中の右と左は同額、貸付金額と預金金額は同じになっています。世の中の銀行全体の貸付総額と預金総額も同じになっています。そして返済するときは左の「貸付金」と右の「預金」を相殺して、おカネは消えてしまいます。不思議な気がしますが、そういうことです。

問題はここからです。借りたおカネは利息を付けて返済しますが、利息のおカネはどこから生まれるのでしょう?やはり誰かが借りた借金から生まれることになるのです。借りたおカネより返すおカネの量が常に多い。ということは貸付金額を増やし続けなければ成立しないのです。もう少し詳しく見てみましょう。返済する金額は貸し付けた金額に利息が加算されますので、貸付総額より多くなっています。返済する金額の総額が預金総額より大きくなるため、計算上は返済できないはずです。ではなぜ返済できるのか。貸付から返済までには時差がありますから、この間に預金の総額が利息の支払い分だけ増えていれば返済できると考えることが出来ます。すなわち、利息を返済するためには常に預金を増やす必要がある、そのためには貸付金を増やし続ける必要があるのです。つまり通貨の量を膨張させ続ける必要がある。これが、銀行制度が右方上がりの経済成長でしか成り立たない理由なのです。そしてこの経済成長は名目であっても成り立ちます。

そのことを理解している世界はインフレターゲットを用いて、常に一定のレベルで通貨を膨張させており、名目経済成長率を維持していると考えられます。これによりデフレに陥る危険性を回避しています。ところが日本ではインフレターゲットを用いていないため、膨張する通貨の量が少なすぎるのです。そのため借金の返済によりおカネが不足して深刻なデフレに陥っています。実際、企業の借金はバブル崩壊後減り続け、なんと300兆円以上も減っているのです。これほどのおカネが世の中から消滅すると経済は大混乱になるはずですが、そこまで酷い状態にはなっていません。なぜなら、企業の代わりに国が借金を700兆円増やしているからです。逆に400兆円もおカネが増えたのだからインフレになると思われますが、その間に家計が金融資産として400兆円も貯め込んでしまったのでインフレは発生しませんでした。つまり、銀行が300兆円も借金を減らし、家計が400兆円も資産を増やせたのは、合計700兆円を国が借金してくれたおかげなのです。もし国が借金をしていなければ、日本はすでに滅茶苦茶なデフレで経済が破綻していたはずです。永久に借金は無くなりません。借金がなくなるとおカネが世の中から消滅して経済が破綻します。

こんな状態なのに、財政再建で国の借金をゼロにするという計画が実行に移されると何が起きますか?家計の金融資産400兆円が吹っ飛び、民間企業は300兆円の借金を増やさねばなりません。「誰かの資産は誰かの負債」という現在の金融システムである「バランスシート(BS)」に基づいて考えれば、必然的にこのような結論になります。

BSの仕組みをよく理解している「企業」はいち早くそのことに気付いています。借金をさせられてはたまりませんので、日経連は「増税」を支持しているのですね。もし企業が借金を増やさないというのであれば、それはすべて家計に降りかかることになります。合計700兆円の資産が家計から吹っ飛びます。財政は黒字化しますが、経済は不況のどん底に叩き落されます。

それを受け入れる覚悟が国民にあるのであれば、どうぞ財政再建を押し進めてください。

国家経済は家計簿ではありません。国の負債を返す必要はないのです。現在の金融システムは資産と負債を増やし続けなければ成立しません。BSを永久に拡張し続ける必要があるのです。問題は負債を返済することではなく、現在の金融制度に適合してバランスをとることなのです。

2011年1月22日土曜日

インフレを恐れてインフレを招く日本人

ハイパーインフレを妄信する人々

バブル崩壊後、一貫して通貨の供給を抑えてデフレを維持している日銀。そして日本は未曾有のデフレであるにもかかわらず、なぜかインフレを恐れる人々がいる。お金を刷るとハイパーインフレになると人々を煽り立てる経済評論家だ。何か言えばハイパーインフレになると騒ぐ。それを鵜呑みにする人たちも多いようです。本当にハイパーインフレになるのか?彼らの本を立ち読みしてみましたが、第一次大戦後のドイツやジンバブエのような特殊例を引っ張り出して脅しに使っており、悲惨な人々の写真などを掲載して「ハイパーインフレになると、こんなに恐ろしいんだぞ」と強調しているが、ハイパーインフレの理論的な検証が乏しく、デフレ日本が第一次世界大戦後のドイツやジンバブエのようなハイパーインフレになる理由がわからない。

一方、ある経済学者によれば日本人一人当たり一億円を給付するほどでもしない限りハイパーインフレにはならないという話もあります。ハイパーインフレとは年間に物価が100倍にもなるようなインフレのことですから、余程の事がないかぎりハイパーインフレは起こらないでしょう。お金を刷ってハイパーインフレになるかどうかは定かではありませんが、お金を刷らずにデフレを放置すると、やがて悪性のインフレが発生して日本を破壊することになります。なぜでしょうか。

物価は通貨の量だけで決まるのではない

そもそもインフレとは何で、なぜ発生するのでしょう。インフレとは物価全体が継続的に上昇することですが、一般に世の中に供給される商品の量より需要が多い場合に発生します。世の中のお金の量が多いと、つまり人々の保有するお金の量が多いと需要が増えるのが普通です。ですから、世の中に供給される商品の量よりも世の中のお金が多い場合にインフレになります。おカネを刷って世の中のお金の量が増えると需要が増え、商品の不足が生じることから、商品の価格を上げようとする小売店や製造業者が出てきます。そして小売店や製造業者が商品を値上げすることで物価が上昇することになります。通貨が増えたから物価が上昇したわけではないのです。物価は一般に商品の供給不足と、それに起因する値上げがあって始めて上昇します。商品の供給が不足した場合でも、誰も値上げしなければ物価は上がりません。政府が価格統制を行なえば、実はインフレは発生しません。しかし普通の経済状態であれば価格統制を必要とするほど酷いインフレは発生しませんので、それ以外の方法でインフレをコントロールします。

また、おカネを刷ってばら撒いたからと言って、必ずしも需要が増えるわけではありません。ばら撒かれたおカネがすべて貯金されてしまえば、商品の需要はまったく増えないため、インフレは発生しません。たとえば2兆円の給付金が配られたことがありましたが、今の日本では、あのおカネがどこへ行ったのかわからない程度の需要しか喚起されません。

さらにおカネを刷ったからといって、世の中に出回るとは限りません。そもそも日銀の刷ったおカネはほとんどが民間銀行に渡り、民間銀行がそれを元手に誰かに貸し付けることで初めて世の中におカネが出てきます。現在の金融制度では、誰かが借金をしない限り世の中のおカネが増えない仕組みになっているのです。ですから日銀がバンバンおカネを刷っても、不景気でおカネを借りる人がいなければ民間銀行の金庫の中で唸っているだけでおしまいです。これではインフレなど起こるはずもないのです。以上のように、通貨の量が直接に物価を押し上げるわけではないのです。通貨量はインフレにとって必要条件であっても十分条件ではありません。これではインフレになるとはとても思えませんね。ではインフレになるための条件とは何でしょう。

インフレは好景気の証

どうすればインフレになるのでしょう?一つの条件は需要が増えることです。人々が商品をたくさん買い求めようとすると、商品が飛ぶように売れるようになり、品不足になります。すると小売店が商品を買い付ける卸売市場でも商品が不足し、商品の奪い合いになります。製造業者は少しでも高い値段で売りたいですから、当然、高い値段で買ってくれる小売店に優先して卸すことになります。すると商品を仕入れるためにより高い値段で商品を買い付ける必要が出てくるために仕入れ価格が値上がりし、販売価格が上昇します。品不足が起これば確実に価格が上昇します。以上のように、需要が増えて商品が飛ぶように売れるようになるとインフレが発生します。ということから、景気が非常に良い状態になるとインフレが発生することがわかります。すなわち、インフレとは好景気の証なのです。日本も高度成長期からバブル崩壊までの好景気の時期は、慢性的にインフレでした。ですから、おカネをどんどん刷って国民に給付する事で需要を増やしてやると、インフレになるかもしれませんが日本の景気は大きく回復することになると期待されるのです。日銀や一部の評論家はインフレを過度に恐れているようですが、インフレと好景気は密接な関係があるのです。もちろん、デフレと不況にも密接な関係があります。

デフレ放置はインフレの下地を作る

インフレの条件のもう一つは、商品が不足することです。何らかの理由で小売店の販売する商品の量が減少すると、品不足が発生します。あとはほぼ前述と同じように仕入れ価格が上昇し、販売価格が上昇します。では、どのような理由で小売店の販売する商品の量が減少するのでしょうか。それは国内の生産能力の減少です。当たり前ですが、国内の生産能力が十分に高ければ品不足が発生するわけがありません。ですから、国内の生産能力が低下することでインフレが発生するのです。

そのように言うと、国内の生産能力が低くても輸入すれば商品は十分に供給できると思われるかもしれません。今現在も多くの商品が輸入されています。しかし、貿易で商品を確保するには、対価を支払わねばなりません。基本的には何かを輸出することで何かを輸入できるわけです。つまり輸出する商品を十分に生産できなければ、必要な商品を十分に輸入することはできません。ですから国内の生産力が高く、輸出できる商品を十分に生産できなければ輸入はできません。金融で外貨を稼ぐという考えもありますが、これは曲者です(これは別の機会に触れたいと思います)。原則は商品の輸出があって初めて輸入が可能になるのです。ですから、国内の生産力が低下することになれば、インフレを招く恐れが十分にあるのです。

デフレはインフレとは逆に需要が不足すると発生します。一般に通貨が減ると需要が減少するため、おカネが不足しているためにデフレになっているとも言えます。デフレを放置すると国内の需要はどんどん減少します。このような需要の低迷した状態になると、製造業などは生産調整で生産量を減らします。つまり、生産力が減少します。さらにデフレで国内向けの販売が低迷すると製造業などは海外市場に活路を見出そうと、こぞって海外へ輸出しようと考えますが、これまたデフレによる円高(実はデフレで円高になる)が災いして、輸出競争力が低下したり、為替差損などの問題が発生します。このため、多くの企業が工場を中国などへ移転してしまい、日本の産業が空洞化します。つまり生産力が減少します。このように、デフレを放置すると国内の生産力がどんどん減少し、商品の供給をますます海外からの輸入に依存する傾向が強くなってきます。これはインフレの下地をどんどん強化することになるのです。

その時、日本はインフレで最終的に破壊される

デフレを放置し、国内の生産力が減少し、商品の供給を輸入に頼るようになるとどうなるか。このまま日本が不景気で、貧困化が進み、少子高齢化で日本が消えてなくなるのであれば需要は増えませんからインフレは起こりません。そのかわり日本は二度と復活することもありません。しかし、デフレですっかり国内の生産力が疲弊しきった時に日本の景気が回復し始めたらどうなるでしょう。需要が増え始めたら、日本の金融資産1400兆円がこの時に動き始めたら、これはハイパーインフレになる可能性があるかも知れません。需要の回復速度は生産能力の回復速度より遥かに早い。需要に火が付くのは早いが、一度失ってしまった生産能力を復活するには何年もの期間が必要であるため、市場では物不足が深刻化し、インフレが急速に進行する。さらに、商品の不足分を輸入で補うことになるが、輸入の対価は輸出である。この時すでに産業空洞化が進んだ日本は輸出する商品が無いため、輸出より輸入の方が遥かに多くなり、貿易は赤字になる。貿易が赤字になると為替市場では円を売る圧力が高まるため、円が安くなる。現在の為替はレバレッジによって過剰に反応するため、場合によっては円が暴落する。円が暴落すると輸入品の価格が跳ね上がり、国内のインフレが加速する。このように日本は狂乱物価に翻弄され、経済はさらに不安定となり、貧富の格差はさらに拡大し、ホームレスが巷に溢れ、犯罪が増加する。つまりデフレを放置すると国内生産力が破壊され、日本は二度と復活できない国に没落してしまうのです。こんな状態で移民を受け入れるべきだと、どこかの国の経団連会長が言っていたが、火に油を注ぐことになるでしょう。

インフレを恐れてインフレを招き、最終的にインフレで破壊される日本人はかわいそうだ。

2011年1月16日日曜日

不況の元凶は銀行制度の欠陥にある

経済の基本

経済の基本は、人々が様々な商品・サービス(以降は「モノ」として表記)を生産し、それを互いに交換し合うことで人々の生活を支えているシステムのことです。私たちの生活に必要なモノをみんなで作って互いに交換するシステム。当然ながら、個々の人々がたくさんのモノをつくれば作るほど、人々の手にすることのできるモノの量が増えて、人々の暮らしは豊かになります。そして生産の分業化が進んだ今日では、個々の人々(企業)が生産したモノを十分に交換し合うことができて初めてすべての人々にモノが行き渡り、豊かになることができます。

不況とは

生産の分業化が進んだ今日では、どれだけ個々の人々が頑張ってたくさんのモノを生産しても、それを互いに交換するシステムが滞るとせっかく生産したモノが交換しきれずに余ってしまいます。同時にモノを必要とする人々にモノが行き渡らず、モノ不足を招いてしまいます。たとえば漁師と農家からなる社会を想定してみましょう。漁師は魚をとり、農家はお米を作って、互いに交換して生活しています。漁師が頑張ってたくさんのお魚を生産して在庫を抱えていて、一方で農家が頑張ってたくさんのお米を生産して在庫を抱えていたとして、もし、お魚とお米の交換がスムーズにすすまなければ、お魚もお米も交換しきれずに在庫が残ってしまいます。漁師がもっとお米をほしくても、農家がもっとお魚を欲しくても、交換がスムーズに進まないと彼らは欲しいものを手に入れることが出来ず(モノ不足)、在庫も残ってしまう(モノ余り)。そして、モノが余ってしまうために生産量を減らし、お魚もお米も交換できる範囲の量しか生産しなくなる。生産されるモノの総量が減少する、これが不況です。自給自足で交換を必要としない社会には不況はありません。不況は交換を前提として生まれるのです。漁師も農家も、両者が必要とするお魚やお米の生産能力は十分にあり、それぞれもっとお魚もお米も欲しいと思っていても(潜在需要があっても)、交換がうまく出来なければ、互いに生産量を減らし、互いの生活は貧しくなります。つまり分業化された経済にとって「交換」は極めて重要であることがわかります。

モノの生産量はおカネの量で決定される

物々交換が行われた古代とは異なり、現代社会におけるモノの交換はおカネ(通貨)を媒介として行われます。そのため、世の中のおカネの量が不足するとモノの交換が十分に出来なくなり、人々(企業)の生産したモノが余り(生産過剰)、その一方でモノ不足(貧困化)が同時に発生します。現代においてモノの交換は市場において、売買を通じて行われますが、売買の総額は取引に利用された通貨の量と同じです。当たり前ですが、使える通貨の量が減れば、売買により交換されるモノの量も減少することになります。そのように、世の中のおカネが不足して売れ残りが生じると、人々は生産する量を通貨の量に合わせて減らすことになります。どれだけ潜在的な生産能力が高くても、おカネの量が増えない限り生産しません。そして生産されるモノの量が減るがゆえに人々の暮らしは貧しくなるのです。もちろん、国民全員の生活が一律に貧しくなることはありません。現代の人々の生産活動は企業に雇用されて行われるため、失業した人々から順に、まだら模様的に貧困化が進みます。ちなみにデフレとは物価が持続的に下落することですが、おカネの量がモノの量に比べて不足しているときに発生します。つまり今の日本もおカネが不足しているのです。おカネが不足しているために不況が発生する、これが現在の日本の不況です。

おカネは十分にあると言うが貯蓄されたおカネは死んだおカネです

おカネが不足していると主張すると、おカネは十分にあると反論する方がいます。確かに現金・預金の総額は700兆円を超えているそうです。しかしおカネがいくらあっても貯蓄されたおカネは売買に使われませんので、いわば「死んだおカネ」です。死んだおカネがどれほどたくさんあってもモノの交換には一切関与しませんので、日本は金欠病なのです。貯蓄はモノの交換を停滞させ、不況を助長します。金欠病の日本の景気を回復させる方法は極めて簡単で「生きたおカネ」つまり交換に使われるおカネを増やせば良いだけです。おカネを増やす起点は日本銀行ですが(実際に増やすのは民間銀行)、日本銀行はバブル崩壊後、つい最近までおカネを増やすことに強硬に反対してきました。そのため日本はおカネ不足のために極めて長期的な不況に悩まされ続けてきました。そんな日銀もようやく少しずつ金融緩和政策により通貨を増やすことを始めましたが、効果が見えてきません。発行する通貨の量が不十分であることも原因ですが、そもそも現代の通貨制度は、誰かが銀行に借金をしないとおカネが増えない仕組みになっていますから、不況で借り手が居ない今の日本ではおカネがなかなか増えません。

銀行制度の致命的な欠陥

ところで、おカネはどのようにしてつくられるのでしょう。今回のような金融緩和政策では、まず日銀が現金を発行し、民間銀行から国債などの資産を購入して現金を民間銀行に供給します。しかしその時点ではまだ「生きたおカネ」ではありません。民間銀行の預金として民間銀行が保有しているだけです。民間銀行に流れたおカネは基本的に日銀当座預金として日銀に差し入れられているので、そのままではモノの交換には使えません。ですから、これはおカネであっておカネでないとも言えるでしょう。しかし、民間銀行はこの日銀当座預金として日銀に差し入れている預金の金額に応じて、その数十倍のおカネを民間企業や個人に貸し付けることを許されています。これが銀行の特権です。保有しているおカネの数十倍のカネを貸せるのは銀行だけなのです。おカネを貸し付けるといっても現金(紙幣)を渡すわけではありません。基本的に銀行は現金をほとんど持っていないため、貸し付ける相手の預金通帳に金額を書き込むことで融資を行います。そして、この預金通帳に金額が書き込まれた瞬間に、おカネが生まれます。皆さんの預金通帳に記載されている数字と同じ性質のおカネです。これはモノの交換にそのまま使えるおカネです。これが「預金」と呼ばれるものです。このように、誰かが銀行からおカネを借りて、その預金口座に貸付金が書き込まれた時におカネ(預金)が増えます。それ以外で増えることはほとんどありません。世の中に流通しているおカネはほぼすべてが銀行への借金として生み出されているのです。このため、右方上がりの経済成長を続けている間は借金をして投資をする人や企業が多くなりますから世の中のおカネは増えやすいのですが、低成長時代になると借金をして投資しても利益を出すことが難しくなるため、おカネを借りる人が減少して世の中のおカネはほとんど増えなくなります。それどころか借金を返済する人のほうが借りる人より多くなり、世の中のおカネが減り始める事になります。つまり現在の銀行制度は右方上がりの経済成長を前提としているため、もはや現在の日本の社会では機能しないのです。銀行制度にはこのような致命的な欠陥があるわけです。実際、日銀自身も金融政策でデフレは克服できないと認める趣旨の発言をしているようですし、金融政策は効果がないという評論が巷に溢れているところをみても、もはや銀行制度による通貨供給に頼る時代は終わったと考えるべきでしょう。

消えないおカネ「現金」を経済の中心に

前述のように、今の世の中のおカネはすべて銀行への借金として生み出されるため、必ず銀行へ返済しなければなりません。ところが借金がすべて返済されてしまうと世の中のおカネがすべて消えてしまう。それでは大変なことになってしまいます。だから永久に借金を止めることが出来ない、世の中の誰かが必ず借金をしなければいけないのです。そんな不完全な制度に私たちの生活そのものである「経済」が依存しているということは、極めて大きなリスクであるとわかります。そこで消えることの無いおカネを中心とした通貨制度に改める必要があるのです。それは難しいことでもなんでもありません。消えないおカネとは「現金」のことです。それに対して銀行が貸付金として作り出したおカネは「預金」と呼ばれます。現在はこの「預金」がおカネのほとんどを占めていますが、これを廃止して日銀の発行する「現金」にすれば良いのです。もちろん現金にしたからといって皆さんが紙幣を持ち歩く必要はありません。銀行の口座に入れておけば、今までと同じようにカードで払うこともできます。ただし「預金口座」ではなく「現金口座」になります。ちなみに預金と貯金は混同しやすいですがまったく違います。預金口座は誰かの借金から生まれたおカネ「預金」を貯めておく口座ですが、現金口座は日銀が発行した「現金」を貯めておく口座です。では、どのようにしておカネを世の中に供給すれば良いでしょうか。今までは日銀の発行した現金を元に、民間銀行が誰かに預金を貸し付けることで世の中におカネを供給してきました。今度は日銀の発行した現金を財源として、日本の将来に役立つ分野に直接おカネを使うことによりおカネを世の中に供給するわけです。たとえば風力発電所や海底資源の開発、医療施設、低所得者のための住宅の建設、技術開発のための教育機関や研究所の充実など、日本の将来のためにおカネを使うのです。それらのおカネは日本の社会資本を充実させた後、世の中をめぐりめぐってモノの交換を活性化するために働いてくれるはずです。