2017年8月17日木曜日

機械化で人手不足対応 でも賃金増えないよ

人手不足への対応として「人工知能やロボットを導入せよ」と新聞マスコミが騒いでいますが、機械化で人手不足に対応しただけでは景気は良くなりません。賃金が伸びないからです。

人手不足そのものを解消するのであれば、確かに人工知能やロボットなどの機械によって、人手を補うことは可能です。しかし人手不足が解消されただけで、賃金が増えるわけではありません。売り上げが増えなければ賃金を増やせるわけがないからです。人手不足が供給制約になっていたとしても、インフレ率が極めて低いということは、実質的に供給不足になっていないと考えられるからです。つまり、売り上げは増えない。

それどころか、非常に性能の高い人工知能やロボットが導入されると、むしろ人手不足の解消を通り越して、リストラが可能になる可能性も十分あります。たとえばレジ打ちの自動化などは、人手不足を解消というより、そもそも人手を不要にします。そのような業種が増えると、賃金が増えないどころか、失業を増やすかも知れません。

つまり、人工知能やロボットを導入したところで、それだけでは賃金は増えません。従って消費も増えない、景気は回復しない。もちろん、賃金が伸びないのですから国民の景気の実感など良くなるはずもありません。

ですから、機械化で人手不足に対応するだけでは、不十分であると考えられるのです。もちろん機械化は大切ですが、同時に必要なのは「国民にカネを撒くこと」です。

高額所得者の人たちは、すでに買いたいものは買い揃えていますから、カネがあっても今さら需要が増えるはずもありません。需要があるのは「飢えた人々」、つまりカネが無い人にこそ潜在需要があるわけです。格差の拡大した日本では、そうした人はとても多いといえます(世帯の34%は年収300万円以下)。

人工知能やロボットの高い生産能力を生かすには、それらをフルに活動させることが効果的です。国民におカネを撒けば、それらが消費を促し、人工知能やロボットがフル生産します。そうすると、生産性が向上し、企業の利益も増大し、経済も成長する。そうすれば賃金も引きあがるでしょう。それが経済の好循環です。

先におカネを配らないのであれば、機械化で人手不足に対応しても効果は期待できません。頭がセイの法則で出来ている新聞マスコミが「機械化が促進されても景気が良くならない不思議」とか言ってまた騒ぐだけだと思います。

2017年8月15日火曜日

GDP成長 人手不足さわぐ読売新聞

内閣府によると4-6月実質GDPの成長率が年率換算4%に達したと、歓迎すべき指標が発表されましたが、それと何の関係もないのに読売新聞はすかさず「人手不足」と騒いでいます。

内閣府によれば4-6月期の実質GDP成長率は1.0%(年率換算で4.0%)の高い伸びを示した。そのうち内需が1.3%と好調、外需は逆に減少して-0.3%となった。内需のうち、消費は0.9%、設備投資は2.4%、公共投資が5.1%だった。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/gaiyou/pdf/main_1.pdf

もちろん、賃金の伸びが鈍い状況では、これは一過性に終わる可能性も高いわけですが、こうした「景気のいいニュース」は人々や企業の心理に良い影響を与えるので歓迎すべきです。が、

これに水を差すように読売新聞は「人手不足ガー」始まりました。GDPが高い成長を示しました。ああ、よかったですね、賃金をもっと伸ばしましょう、で終われば十分なのですが、読売新聞はもう、あらゆる機会を使って「日本は人手不足」を国民に洗脳したいようです。

しかも、「伸び悩む賃金と広がる人手不足」により「国民の実感を伴わないまま日本経済が停滞する恐れ」があるというのです(紙面の図に記載されていた)。明らかに変です。

そもそも人手不足だからこそ、労働市場において賃金が引きあがるのです。人手不足が早々に解消したら、賃金は上がりません。人手不足こそが、国民の生活実感を向上させる強力な原動力になるのです。

にも関わらず、判で押したように「人手不足ガー」。人手不足が解消したら、賃金上がらないだろww。そのくせ「賃金が上がらないのが問題」とか言う始末。これに何の矛盾も感じないのだから、読売新聞はオメデタイというより、馬と鹿ですね。

ちょっと失業率が下がったくらいで、もう「人手不足ガー」と大騒ぎする読売新聞。まだ人手不足で賃金も上がっていないのに何を騒いでいるのか。日本のバブル時代を知らんのか。

なぜこんな矛盾したことを平気で言うのか?もちろん移民の推進でしょう。「移民ありき」なので、平気で矛盾したことも言うのです。「反アベありき」と同じです。結論が決まっているので、論がおかしな方向に曲がっていきます。

とはいえ、当の読売新聞の記事には「移民」の話は出てきません。国民の反発が強いことを知っているからでしょう。そこで、最初のステップとして「これでもか」というほど、人手不足というイメージを国民の頭の中に、潜在意識のレベルにまで刷り込むのです。次の段階で「移民」が必ず出てきます。これは手法です。

国民の生活水準の向上に人手不足は「まったく関係ありません」。国民の生活水準は国民1人当たりの生産性で決まります。移民は生産性を高めるものではないので、意味がないのです。


2017年8月10日木曜日

ベーシックインカムの本当の目的

ベーシックインカムには様々な目的が考えられます。平等な社会の実現、経済成長、社会福祉の効率化。主張する人によって様々ですが、人工知能やロボットが急速に進化する今日におけるベーシックインカムの本当の目的は何でしょうか。

(じいちゃん)
今日は「ベーシックインカムの本当の目的」について考えてみたいと思う。これは恐らく人によって違うと思うので、あくまでもワシが考えるところの本当の目的じゃよ。さて、ねこはベーシックインカムは何のために行うべきだと思う?

(ねこ)
う~ん、格差をなくして平等で貧困のない社会を実現するためかにゃあ。

(じいちゃん)
確かにそれは目的の一つとして大切じゃな。もし50年前にベーシックインカムを推進するとすれば、それが最大の目的だったはずじゃ。じゃが今日における目的は、大きく変わりつつあると思う。人工知能やロボットの急速な進化に対応することが最大の目的になると思うんじゃ。テクノロジーの進化によって、ワシら人類の経済は「新しい段階」に移行しつつあると思われるからじゃ。

そもそも、人工知能やロボットを何のために進化させるのじゃ?それは、ワシら人間が働かなくとも豊かに暮らせる社会を実現するためじゃろう。未来のSF科学小説にも出てくるあの暮らしじゃよ。そういう社会になれば、社会には人工知能やロボットが作り出す様々なモノやサービスが格安で豊富に供給されるようになるはずじゃ。すると、結果として人間は平等になるし、貧困も解消されるじゃろう。経済も安定して持続的に成長出来るはずじゃ。もちろん成長と言っても、暮らしの必要に応じた範囲での成長じゃよ。

しかし、逆に最初から平等な社会の実現を目的としたり、経済成長を目的とすると、生産活動の中心が人工知能やロボットに移行する過程において、少々問題が生じるんじゃないかと心配しておるのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ、どんな心配なのかにゃ?

(じいちゃん)
平等な社会「だけ」を目的としたり、経済成長「だけ」を目的として、それさえ達成すれば良いとの考え方になってしまうのではないかと心配しておる。もちろん単なる杞憂かも知れんがの。

たとえば「平等になればよい」と考えると、平等でさえあれば貧しくなっても良いという話になるかも知れん。その結果、平等だが国民すべてが貧しくなる。人工知能やロボットが自動的に富を生み出す時代になれば、国民全員が貧しくなるはずがない。しかし単純に言えば、国民に支給するベーシックインカムの金額を絞ってしまえば、どれほど機械が進化しても国民の豊かさは支給される金額の上限を超えることはない。じゃから財源ばかり気にして配るおカネをケチるとちっとも豊かにならんじゃろう。

あるいは「最低生活が保障されればよい」と考えると、仕事のない人はベーシックインカム以外に収入がないのじゃから、失業者はすべて最低生活水準になってしまう。それで良いと思う人もおるかも知れんが、何しろ人工知能やロボットによって人間の担うべき仕事はどんどん減ってしまうから、失業するのがあたりまえの社会になる。極端に言えば、やがて人口の99%が失業して最低生活となり、仕事にありついた残り1%が残りのすべての富を手にする「究極の格差社会」になるかも知れん。

また「経済成長すればよい」と考えると、とにかく経済規模を拡大しなければ気が済まなくなる。経済規模はモノやサービスの生産量に比例するため、年を追うごとに生産量を増大させることになるが、そんなことをしていたら地球の資源は直ぐに枯渇してしまうし、環境も破壊されてしまうじゃろう。資源がきちんとリサイクルできる範囲に総生産量をコントロールしなければ早晩、経済そのものが破綻してしまう。

まあ、話はかなり極端じゃが、人間は何につけ「極端になる性質」があるみたいじゃから、用心に越したことはないじゃろう。

(ねこ)
うみゃ~、なんか愚かなのにゃ。じゃあ、なにを目的・目標とすればいいのかにゃ。

(じいちゃん)
ワシは「ユートピアの経済システム」を構築することが真の目的じゃろうと考えておる。それは永遠の持続性が必要とされる。そのようなシステムは単に物理的に永続性が確保されるだけでなく、人々によって永遠に認められなければ持続可能であるとは考えない。つまり不幸な人を生み出すようなシステムは持続不能である。

そしてベーシックインカムはあくまでも、ユートピアの経済システムを構築する途上における一つの方法論に過ぎないと考えておるのじゃ。つまりベーシックインカムは到達点ではなく、出発点であると。おそらく未来社会では貨幣すら不要となるはずじゃ。もちろんそれは遠い未来、ワシがもうこの世にはおらん時代の話じゃろう。

そうした社会に一足飛びに到達できるわけではない。ビジョンと計画を持ち、足元をしっかり固めつつ、一歩一歩着実に実現に向けて歩む必要がある。100年レベルの計画じゃよ。そこへ至る過程において、今まさにひとつの山場に差し掛かっておる。それが人工知能やロボットがもたらす失業者の増加の問題じゃ。

そもそも人工知能やロボットが人間の仕事を代わりに行うのだから、これは「働かなくて良い社会」に向けて大きな前進となるはずなのじゃが、驚くべきことに、これが人間の所得を奪う結果をもたらす。これは明らかに現在の経済システムに致命的な欠陥があることを示しておるのじゃ。それが「所得は必ず労働によってもたらされなければならない」というシステムじゃ。

ベーシックインカムの導入によって、このシステム上の欠陥を修復し、山場を乗り越える。それがベーシックインカムの最大の目的であると考えておるのじゃ。そして、それは単に経済システムの進化の過程のおける山場を越えるのみならず、多くのメリットをワシらに与えてくれるのじゃ。それが格差の縮小、貧困の根絶、経済成長などじゃ。じゃから平等社会の実現や経済成長はあくまでも副次的な成果であると思うのじゃ。

~本編サイトと同時掲載



2017年8月9日水曜日

日本にはカネがあるようで実は無い

日本には家計の現金・預金がおよそ900兆円、企業の現金・預金がおよそ250兆円あります。なので「日本にはカネがある」と思っている人は多いでしょう。しかしそれらのおカネのほとんどは、有って無いようなものです。

現金預金は家計と企業の合計で1100兆円を超えますが、そのほとんどは貯め込まれているだけで使われていません。いわば「死蔵」されていると言えます。こうしたおカネは経済活動にほとんど影響を及ぼさないため、有っても無くても同じなのです。

たとえば、今、日本のどこかに徳川の埋蔵金が100兆円あったとしても、無かったとしても、動かないのですから同じことです。家計や企業の貯蓄も徳川の埋蔵金と同じで、動かなければ有っても無くても同じです。

ですから、驚くべきことに日本には「おカネが足りない」のです。おカネが足りないのですから、おカネを増やさなければ経済は決して良くなりません。

もちろん、この「死蔵されているおカネ」が、消費や投資に向かえば、おカネの不足は解消します。しかし、それは非常に難しいでしょう。バブル崩壊以後、日本の現金預金は増え続けており、家計も企業もおカネを使うより、貯め込む傾向が一貫して強いのです。これはもはや日本人の特性なのかも知れません。

それでもなお、社会保障を安定させれば社会不安が解消されて消費が増えるとか、岩盤規制を緩和すれば企業の投資が増えるとかいう主張が見られますが、もう10年以上も同じ主張を繰り返しているにも関わらず、何ら状況は改善しません。いい加減にアプローチの方法を変えるのはあまりに当然ではないでしょうか。

まず、経済活動は世の中を回るおカネの量で決まりますから、最優先にすべきことは、世の中を回るおカネの量を増やすことです。そのためには、政府が通貨を発行して国民に給付する。それだけで良いのです。国民がそのおカネを使うだけで、世の中をおカネが回り始めます。

世の中を回るおカネを増やす。それをしない政党は、どの政党であろうと、まったくダメです。まして、おカネを増やすどころか、世の中を回るおカネの課税を強化して(=消費税増税)、おカネを減らしてしまう(=財政再建)など、正気の沙汰ではないのです。

2017年8月8日火曜日

オイルショックのイメージから脱しない国民

インフレになると生活が圧迫される(生活が貧しくなる)と考える人が今でも多いようです。しかし、実際には「生活が豊かになるからインフレになる」のであって、必ずしもインフレが人々を貧しくするわけではありません。

なぜ生活が豊かになるとインフレになるのでしょう。インフレは消費が増加すると生じます。消費が増加するには、国民の購買力の向上が不可欠であり、それは国民の所得が増えることで生じます。つまり、インフレになるということは、同時に人々の所得が増えているはずなのです。そして消費が増えるために、人々の生活は豊かになるのです。これは「良いインフレ」です。この場合、インフレは好景気と同時に生じます。

逆に言えば、なぜ今の日本がいつまで経ってもインフレターゲットを達成できないかと言えば、それは「国民の所得がちっとも増えていない」からです。そのため消費が増えず、結果としてインフレにならないのです。ですからインフレ目標を達成するには、国民におカネを給付する政策が効果的だと考えられるのです。

では、なぜ多くの人が「インフレになると生活が圧迫される」と信じているのでしょうか。それはおそらく、オイルショックのイメージが人々の意識を支配しているためだと思われます。しかしオイルショックは単なるインフレではなく、スタグフレーションです。これは普通のインフレとは大きく異なります。

スタグフレーションは物価の上昇(インフレ)と不況が同時に起きる状態を指します。これはオイルショックのように、生活に必要不可欠な輸入品が値上がりすることで生じます。スタグフレーションでは、人々の所得が増えることなく、物価だけが上昇しますので、人々の生活が貧しくなります。

オイルショックのように、供給もとの生産量が減ってしまうと、どうすることもできません。どんな景気対策も効果がないのです。基本的にはガマンするしかない、せいぜい、貧しい人の生活必需品が不足することのないよう、再分配政策を強化する程度でしょう。スタグフレーションはそもそもモノが不足する状態になるため、物価を安定化させることは、とても難しくなります。

こうしたスタグフレーションを「インフレだ」と思っている人は多いと思いますが、スタグフレーションとインフレはまったく別物と理解すべきでしょう。スタグフレーションはモノの供給が減少するために物価の上昇と不況が同時に起きますが、インフレはモノの供給以上に需要が伸びるので、物価の上昇と好景気が同時に起こります。

ところで、輸入品について考えると、為替相場の変動によって輸入品の価格が上昇することもあります。つまり円安になると、為替の関係で輸入品が値上がりしてしまうのです。では、この場合はスタグフレーションになるのでしょうか?

例えば、国民におカネを給付金をどんどん支給すると、円の通貨発行残高が増加しますので、為替市場では円安になり、輸入品の価格が上昇してインフレになるかも知れません。しかし、国民におカネが給付されているのですから、負担が増えるどころか、おそらく国民の購買力が増加して、消費が拡大し、景気が良くなると思われます。

また、円安になると日本の輸出競争力が高まるため、輸出が活発化し、これが企業利益を押し上げて、賃金が上昇しますから、景気が良くなります。つまり、国民におカネを給付すると、インフレにはなるものの、同時に景気が良くなるため、スタグフレーションとはまったく違った局面になるでしょう。

ですから、インフレ・インフレと言って、昔のオイルショックのような不況を心配する必要はありません。インフレになるということは、所得が増えることを意味します。天変地異や大恐慌でも生じない限り、所得が増えずにインフレだけ生じる心配をする必要はありません。

最も重要な点は、供給される財(モノやサービス)の量が増加することであり、それが国民にきちんと行き渡るのであれば、物価が上がろうと下がろうと、国民は豊かになるのです。本質的に物価と豊かさは無関係なのです。

2017年8月7日月曜日

マクロを優先しミクロはその後でOK

経済に関係する問題を解決するためには、何よりまずマクロ政策が優先されるべきで、ミクロ政策はその後で行う方が効果的です。そうしなければミクロは無駄な努力になってしまいます。

マクロ政策とは経済の環境を改善する政策です。世の中のおカネを増やし、おカネの循環を良好にしたり、物価を安定させたりすることです。それによって家計や企業などの経済活動を活性化し、社会を全体として豊かにすることも可能です。

例えるなら、それは魚にとっての水質環境のようなもので、いくら素晴らしい、優秀な魚を飼育したところで、水が悪ければ魚はダメになってしまうでしょう。もし水質が最低の環境で魚が育たないのだとすれば、それは魚に責任があるのではなく、環境に原因があることは明白です。

同様に、人間の経済活動においても、経済環境が悪ければ、どんな政策を行っても効果はありません。例えばブラック企業を取り締まり、最低賃金を上げても、あるいは失業者の自己責任を追及して扱いを厳しくしたり、職業訓練を施しても、効果は知れています。こうした政策は経済環境そのものを変えることはできないため、ミクロ政策と呼ばれます。

まずマクロ政策で経済環境を整えることが最優先です。

例えば、低賃金・長時間労働を強いる企業をいくら潰したところで、そうした企業はもぐらたたきのようにいくらでも出てきます。人々は生きるために低賃金・長時間労働でも受け入れざるを得ないため、世の中の仕事の量が少ないと、ブラックと知りつつも、ブラック企業に人がどんどん集まるからです。

また、企業の立場から言えば、デフレ不況の環境下では商品が売れないため、一円でも安く商品を売らなければ市場競争で淘汰されてしまいます。そのため、ギリギリまで人件費と労働時間を厳しくしなければならず、そうでない企業は潰れて消えます。そして最終的にはブラックな企業だけが生き残ります。

これでは、低賃金・長時間労働の問題は解決しません。

ところが、マクロ政策で経済環境を変えると、まるでウソのように物事が反対方向に回り出します。

例えば、おカネを発行して全ての国民に配ると、国民の購買力が向上して消費が増大し、その結果として企業の生産活動が増加して仕事が増えます。仕事が増えれば、何もムリをしてブラックな企業に勤める必要はありませんので、人々はより待遇のよい企業に次々に転職し、ブラック企業は人手がいなくなって潰れます。わざわざブラック企業を取り締まって潰す手間(ミクロ政策)は必要ないのです。

また、企業の立場から言えば、景気がよくなれば商品がどんどん売れるため、ムリに安くする必要はありません。そのため従業員をより高い賃金・短い労働時間で雇用することが可能になりますし、また、雇用条件を良くしなければ、他の企業に人手を引き抜かれてしまいますから、可能な限り労働者の待遇を良くするようになります。

つまり、企業も労働者も、
マクロ環境という釈迦の手のひらの上で踊らされているのです。

マクロのように、経済を全体から俯瞰してみると、「善」も「悪」もありません。企業も家計も単に「環境に適合するように行動している」だけです。その結果が「善」になったり「悪」になったりしているのです。つまり、環境次第で善にも悪にもなるのです。

ブラック企業のような違法な企業は取り締まられて当然ですが、大切なのは、本当に悪いヤツは誰なのかを知ることです。それは「マクロ環境を悪くしている連中」なのです。そいつらのせいで、人々は好むと好まざるとに関わらず「悪人プレイ」を強いられているのです。

2017年8月4日金曜日

残業代ゼロとロボットによる生産性

残業代をゼロにして生産性を高める必要があるとの主張があります。しかし生産性を向上する上で人間の生産性など取るに足りません。実際に生産性を支えているのは機械だからです。

(じいちゃん)
残業代をゼロにすると生産性が高まると騒いでおる。しかし仕事の効率を高めるなら、残業をゼロにするより機械を導入するほうが遥かに効率的じゃ。じゃからそんなに生産性で騒ぐなら、設備投資を増やすことを最優先に考えるべきじゃな。仕事の効率化など、その効果は知れておるのじゃよ。

(ねこ)
ふにゃ、仕事の効率化なんか知れているのかにゃ。

(じいちゃん)
機械による効率化と仕事の効率化を数値で比較するのは難しいが、そんなことしなくとも、よく考えてみると理解できるはずじゃ。例えば、もし人間が機械に頼らない生産活動を行ったとしたらどうなるか。発電所も工場も停止し、自動車も農耕機械も使わない。すると生産量は10%以下、いや数パーセントにも満たないと思う。こうなるといくら「仕事の効率がー」と言ったところで知れておる。

つまり、生産の効率化のほとんどすべては、機械によって成し遂げられておると考えるのが自然なんじゃ。人間の生産効率性(=能力)は機械のように何十倍、何百倍にも伸びるものではない。せいぜい機械の進歩にあわせて、それに適合するよう労働の内容を変化させるだけなんじゃよ。じゃから「仕事の効率」に血眼になって取り組んでも生産性はあまり増えない。

生産性を向上するための最も効果的な方法は「機械化」なんじゃ。設備投資を増やして生産用の機械を導入し、従業員にそれを操作させることで、生産効率は飛躍的に向上するんじゃ。

(ねこ)
じゃあ、なんで企業は設備投資をせず、新聞マスコミが仕事の効率化にうるさいのかにゃ。

(じいちゃん)
それは単に企業が残業代を払いたくないからじゃろ。「賃金を下げるための、それらしい理由が欲しい」のじゃよ。それはデフレ不況が影響しておる。生産効率を高めるには機械を導入するのが最も有効じゃが、仮に生産効率を上げてより多くの商品を生産したところで、今日のようなデフレ不況では売れ残り在庫の山ができるだけじゃ。そうなると逆に生産性が低下してしまう。じゃから企業は設備投資よりも人件費のカットによる生産性の向上を目指すんじゃ。

(ねこ)
にゃにゃー!不況はろくでもないにゃ。早くおカネを国民に配って、不況を終わらせるべきだにゃ。

(じいちゃん)
まったくその通りじゃな。国民におカネが潤沢にあれば購買力が高まるから、企業が設備投資して機械を導入し、生産量を増やしても売れ残る心配は少なくなる。そういう環境を作り出せば、企業の設備投資によって「企業の生産性」も「社会の生産性」も同時に向上するじゃろう。

また、機械化による生産性の向上は、雇用の流動化と同時に行われることで、より効果が高まるんじゃ。機械が導入されると人手が必ず余るようになる。こうして余剰になった労働者が、新たな機械を使って新たなモノやサービスを生産するようになれば、より多くの種類のモノやサービスが社会に供給されるようになる。

(ねこ)
なるほどにゃ~、国民におカネを支給することと、機械化と雇用の流動化が同時に必要なんだにゃ。

(じいちゃん)
そうなんじゃよ、じゃから必ずしも雇用を守れば良い訳ではない。ただし雇用の流動化は必ず失業を伴うから、失業者を社会的に不利な状態に置けば、みんな失業を恐れて雇用の流動化は低下してしまうじゃろう。むしろ失業あるいは転職を推奨するくらいでちょうど良いのじゃ。政府が「転職推奨金」を出しても良いくらいじゃ。もちろん同時に機械化が行われなけれなければ、雇用だけ流動化してもあまり効果がない。

これまではそれでよかった。ところが最近は「人工知能やロボットが仕事を奪う」という問題が出てきた。これまでは「機械を導入して従業員に操作させる」ことで生産性を高めてきたが、人工知能を備えたロボットの登場で「機械が自動で働くので操作する従業員がいらない」という事態になってきた。こうなると雇用が流動化するのではなく、単に「雇用の切捨て」が行われるようになるんじゃ。なぜ切り捨てるかと言えば、ムダな賃金をカットして生産性を向上するためじゃ。

ムダな賃金をカットする考え方は、残業代ゼロと同じ原理じゃ。しかしムダな賃金をカットするという考えじゃと、人工知能やロボットが普及するにつれて、残業代ゼロはおろか人々の賃金も限りなくゼロに近づくことになるんじゃ。本当にそんなことすれば、失業者がどんどん増加して、国民の総購買力もどんどん低下し、おカネが回らなくなって経済はデフレ縮小の果てに破綻するじゃろう。

人工知能やロボットが普及すると、残業どころか、何ら仕事をしない人にも賃金を支払わなければ、やがて経済が成り立たなくなるのじゃ。すなわち残業代ゼロのような考え方、つまり従業員の数や支払い賃金を減らすことで生産性を高める考え方は、もはや時代遅れなんじゃよ。

(ねこ)
じゃあどうやって生産性を高めるのかにゃ。

(じいちゃん)
労働時間ではなく、生産された付加価値に応じた所得を支給すれば良いのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ、それじゃあ、脱時間給とか成果主義と同じじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
いやいや、脱時間給は「労働時間と関係なく、企業において生産された付加価値=成果に応じて給与を支給する」考えじゃ。これからは「労働時間と関係なく、社会において生産された付加価値に応じて所得を支給する」んじゃ。労働時間ではなく、生産された付加価値に応じて所得が分配される。これが本当の「脱時間給」じゃよ。もちろん国民に均等に所得を分配するのではなく、生産活動への貢献度が高い人により多くの所得が得られる仕組みは必要じゃ。じゃから基本所得となる部分だけ支給する「ベーシックインカム」というわけじゃよ。基本となる所得以外の分配はこれまでの資本主義と市場原理のしくみにまかせるのじゃ。

そして社会の生産性を高めるには、生産量を増やせばよい。生産されるモノやサービスが増えて社会に行き渡るほど、社会の生産性は向上するし、それは企業だけではなく人々も同時に豊かになることを意味するんじゃ。そのためには機械化じゃ。人工知能やロボットの研究開発にもっと力を入れて、社会全体の生産量を増やすんじゃ。同時に資源リサイクルや自然エネルギーの技術開発も重要じゃ。資源を使い捨てる生産様式ではいずれ生産不能になる。将来もきちんと見据えなければ、そもそも生産性を向上する意味がなくなってしまうのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ~、生産性は奥が深いにゃあ。そしてすごく大切だにゃ。

(じいちゃん)
そのとおりじゃ。生産性は一言で片付けられるほど簡単ではない。しかし最も重要なポイントは「何のために生産性を高めるのか」じゃ。それは人々が労働する時間をなるべく減らしながら、より豊かな生活をするためじゃ。もしそうならないのであれば、明らかに間違っておるのじゃよ。

~本編サイトと同時掲載

2017年8月3日木曜日

加計騒動とマスコミ扇動政治の危険性

新聞マスコミに煽られて、無意識のうちに新聞マスコミや官僚の片棒を担がされていることに気付かない人は多いようです。日本は民主政治を揺るがす問題に直面しているのです。それが加計学園騒動の核心にあります。

もちろん、政権批判が行われるのは当たり前ですし、たとえばこれが「共謀罪」「憲法改正」「安全保障」といった、国の重大な案件に関して国民が反対運動を展開し、その結果として安倍政権が倒されるとしたら、これはまったく正しい民主主義そのものです。

しかし加計学園騒動は違います。「疑わしきは罰せず」の原則を曲げてまで、推論による断罪によって政権を交代させようとしているのです。しかもその案件は、たかが大学学部新設に対して首相が口利きしたか、していないか、という下世話な話です。その中心に居るのが新聞マスコミです。

マスコミに煽られ、安倍政権を倒すことに目をくらまされ、多くの人々は物事の客観性を忘れて興奮してしまいます。扇動による大衆操作(ポピュリズム)。人類は同じことを歴史の中で、何度も繰り返してきました。それを、文化大革命の写真を用いて表現してみました。



文化大革命では、無実の多くの人たちが「有罪」のレッテルを貼られ、大衆の前に引きずり出されて暴行を受けました。それを人々は熱狂し、大歓迎したのです。

これは安倍政権にかかわるだけの話ではありません。今回は安倍政権だっただけのことで、新聞マスコミがその気になれば、どんな政権でも可能になってしまいます。昔の鳩山政権だろうと野田政権だろうと同じことです。

こうした、新聞マスコミによる扇動政治、しかも官僚がその影に見え隠れする事態に危機感を覚えないとすれば、それこそ危険です。安倍政権を倒したい気持ちは分かりますが、そのためにこうしたマスコミの扇動政治を受け入れてしまえば、マスコミや官僚ははこの手法に味をしめ、大衆は彼らに操られるようになってしまうでしょう。

日本の民主政治に大きな禍根を残すことになるのです。



2017年8月2日水曜日

「人治政治」を望んでも不毛です

一般的な日本人は「よい政治家が政治をすれば社会は良くなる」と考えているのではないでしょうか。これは人が社会を治める「人治政治」の立場ですが、おそらく庶民の願いは永遠にかなわないでしょう。

そもそも「良い政治家」とは何なのかよくわかりません。清廉潔白であれば良いのでしょうか。人間的な魅力があれば良いのでしょうか。ウソを付かなければ良いのでしょうか。つまり「良い政治家」とは具体的な基準がなく、イメージにすぎません。その人が政権に着いたらどんな政策を行うのか、まるでわからないのです。

多くの国民はこの漠然とした「イメージ」の良し悪しで、政治家の良し悪しを判断します。だから、人の良さそうな、人気のあるテレビ・タレントが都知事にしばしは選ばれるのです。

しかし、イメージが良い政治家だからと言って、人々の意に沿う政策をするかどうかはわかりません。政策はイメージではなく具体論なので、政治家が実際に政治を行う段階になって始めて、人々は「現実」に向き合うことになります。そして、騒ぎ始めるのです。「そんなことを望んでいたのではなかった」と。とはいえ、具体的にどんな政策を望んでいるのか事前に何も表明しない大衆の望むことを、的確に予測して政策を立案できる「超能力政治家」はいません。

にもかかわらず、人々が政治家に不満を感じると、こんどは政治家のあら探しが始まります。新聞マスコミがそれを嗅ぎ付けて政治家の周辺をうろつきまわり、疑念を見つけると、政治家を引き摺り下ろそうと大騒ぎが始まります。こうして、何を望んでいるかを明確に示さない大衆によって選ばれた政治家は、長続きできないのです。

これを延々と繰り返します。
なぜそうなるのか?

大衆が「良い政治家に任せれば良い政治になるはずだ」、という人治政治の考え方を望んでいるからです。すでに申し上げたように、そんな都合の良い政治家はいませんので、結局は何回選挙をやっても大衆の望むような政治家は出てきません。

にもかかわらず、大衆の望む政治家が出てこないものだから「政治家はどれもこれもダメだ」と言い出し、それが政治不信を招き、投票率を低下させ、結局は集票のできる既得権益集団を中心とする政治家に多数を支配され、それがさらに政治不信を招くという「悪循環」を繰り返しています。いわば自業自得なのです。そして、これを助長しているのが新聞マスコミです。

そもそも、「良い政治家」を求めることが間違いです。そんなものはいません。国民の望む政策を実行する「国民の操り人形としての政治家」こそ求めるべき政治家です。

国民の操り人形とは、表現が少し極端ですが、要するに国民がどんな政策をして欲しいかを政治家に命令し、政治家がそれに基づいて具体的な政策を立案して実行するのです。そのような政治家と国民のあり方が求められるのです。

今日の一般大衆のように、国民が政治家にぜんぶ丸投げするスタンスは非常に無責任です。これでは、政治はよくなりません。政策の根幹部分を考えるのは国民の責任です。それを具体化して実行するのが政治家の責任です


2017年8月1日火曜日

残業代ゼロと社会の生産性

新聞マスコミは残業代をゼロにして生産性を向上すべきといいます。確かに残業代をゼロにすれば企業の生産性は高まりますが、それで必ずしも社会全体の生産性が高まるとは限りません。

(じいちゃん)
前回説明したことは、残業代をゼロにすれば確かに企業の生産性は高まるが、それは必ずしも仕事の効率が高まることではないし、人々の賃金を下げるだけに終わるリスクもあるということじゃった。ところで残業代をゼロにすれば企業の生産性は高まるが、そのとき、社会全体としての生産性はどうなるじゃろう。

(ねこ)
企業の生産性が高まれば、社会の生産性も高まるんじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
多くの人はそう思うようじゃが、話はそう簡単ではない。残業代をゼロにするとどうなるか、企業と社会で考えてみよう。

企業では、残業代をゼロにすれば賃金カットと同じじゃから、賃金コストが低下することで生産性は向上する。これは前回説明したとおりじゃ。

社会では、残業代がゼロになると給料が減るわけじゃから、国民全体としての総所得は減ってしまう。すると国民の総購買力も低下して消費が抑制されてしまう。消費が減ると企業は生産を縮小するから総生産は減少し、経済は縮小へ向かう。つまり残業代をゼロにすると、社会全体でみれば生産性は逆に低下するリスクがあるんじゃ。

(ねこ)
うみゃ~変だにゃ、同じ生産性でもなんで違う結果になるのにゃ。

(じいちゃん)
企業の生産性と社会全体の生産性は立場が大きく違うからじゃよ。企業の生産性は株主利益の立場から、社会の生産性は国民全体の利益の立場からみた見方なんじゃ。企業の生産性は前回説明したように、次の関係式がある。

企業の生産性=付加価値の生産量÷従業員数

企業の生産性とは、従業員1人当たりの生み出す付加価値のことじゃ。じゃから、より少ない従業員数で生産するほど生産性は向上する。つまり、生産量を減らさないようにしながら、従業員を1人でも多く首にすればそれだけ生産性が高まる(=利益が出る)ことを意味する。じゃから企業は常に余剰労働力の排除(リストラ)を目指しておる。これは企業が悪だからではなく、資本主義とはそういうシステムだからなんじゃよ。

(ねこ)
必然的に失業者を生むシステムなんだにゃ、だから自由放任していると、どんどん失業が増えるんだにゃ。

(じいちゃん)
次に、社会全体の生産性の式は次のように考えられる。

社会の生産性=付加価値の総生産量÷国民の人口

つまり国民1人当たりの生み出す付加価値のことじゃ。企業は余剰になった従業員を首にして生産性を高める。しかし社会は企業とは違って余剰労働力を排除して生産性を高めることはできない。そんなことをすれば、失業者を国外追放したり殺処分しなければならなくなる。企業がいくらリストラして生産性を高めても、社会全体でみれば人口は同じままなので、生産性はまったく上昇しないんじゃよ。従って企業の生産性を高めるだけでは、社会にとって無意味な場合もある。

生産性の式は「社会の生産性=付加価値の総生産量÷国民の人口」なので、もし人口が変わらないなら、生産性を高めるには生産される付加価値の総量を増やす必要があるんじゃ。つまり、より多くの商品が生産されて売れる(分配される)ようになれば生産性が高まる。それはつまり国民1人当たりの生産と消費が増えることであり、国民が豊かになることを意味するんじゃな。

(ねこ)
なるほどにゃ。社会の生産性を高めるのは「総生産量を増やす」しかないんだにゃ。

(じいちゃん)
その通りじゃ、そして総生産量が増えてもそれが売れ残ったのでは、企業はやがて生産を縮小してしまう。じゃから総生産量を増やしつつ、総消費量も増やさねばならんのじゃよ。じゃからこそ、国民におカネを配って消費を刺激するヘリコプターマネーなどが有効なんじゃよ。

社会の生産性は総生産と総消費によって決まる。

(ねこ)
なるほどにゃ、それじゃあ仕事の効率なんか関係ないのかにゃ。

(じいちゃん)
そうではない。仕事の効率を高めると、国民一人ひとりが生み出す時間当たりの付加価値の量が増える。じゃから社会全体として生産されるモノやサービスの量も増えるから、生産性は高まる。じゃから仕事の効率を高めることは大切じゃ。ただしそれだけでは社会の生産性は向上しないという点が重要なんじゃよ。おカネを世の中にどんどん回して、生産した商品を国民全体に行き渡らせなければ、社会の生産性は向上しない。

(ねこ)
生産性はややこしい考え方だにゃ。

(じいちゃん)
そうなんじゃよ。よくよく考えてみると、生産性はかなりややこしいんじゃ。それを忘れて単純に新聞マスコミの「生産性ガー」記事に振り回されると、国民だけが損してしまうリスクもある。基本的にマスコミの記事は疑ってかかることが必要なんじゃな。

まあ、新聞マスコミへの批判はさておき、生産性と言っても、企業の生産性はあくまで株主利益の視点なんじゃ。国民庶民にとって重要なのは「社会の生産性」じゃ。より多くの付加価値を生産し、人々に広く行き渡らせることが社会の生産性を高め、日本を豊かにするのじゃよ。

~本編サイトと同時掲載

2017年7月31日月曜日

「バラマキ=悪」イメージが日本をダメにする

「バラマキ=悪」という、短絡的なイメージを新聞マスコミが世論に定着させたことで、日本経済を回復させることは非常に困難になっています。まさに新聞マスコミは万死に値するのではないでしょうか。

バラマキはマイナスのイメージ用語です。具体的な定義がありません。そのため、あらゆる財政支出について「バラマキだ」と非難することを可能にするのです。つまり「ムダな公共工事」も「社会保障支出」も「教育投資」も、すべて「バラマキだからやめろ」で片付けることができるのです。

もちろん、ほくそ笑むのは財務省です。何しろ財政支出は1円も増やしたくない。そのためには「バラマキ=悪」のイメージは実に役に立つのです。緊縮派の最強のツール、それが「バラマキ=悪」。この最強誘導ツールで、少しでも世の中におカネを流すような政策は、ことごとく「バラマキだー」と騒いで潰すことができます。

本当はバラマキの中身こそ問題なのですが、
そんなことはお構いなし。

このバラマキ思考停止の元凶が新聞マスコミです。「公共工事は効果を精査しながら行う必要がある」、と言えばいいのですが、そういう難しい表現は使いません。短絡的に「公共工事はバラマキだから悪だ」を繰り返したため、国民はよく考えもせずにイメージだけで反射的に反応するようになってしまいました。

こうなると、年金等の社会保障を充実しようとすれば「バラマキ」、生活保護も「バラマキ」、もちろん国民への給付金であるヘリコプターマネーやベーシックインカムは「最悪のバラマキ」という具合です。

そもそもバラマキの何がどうして悪いのか?
国民は理解していないでしょう。

それを理解させ、財政支出の意味や効果などをきちんと評価させるのがマスコミの本来の役目なのですが、そんな意識はまったくないようです。彼らの目的は「とにかく財政支出を減らすこと」なのです。だから、大衆に余計な知識など授ける必要はありません。だから「バラマキ=悪」のイメージだけ刷り込めば、それで良いのです。

その結果、どうなるか。

もし与党が国民に給付金を配ろうとすれば、
→野党が「バラマキだ止めろ」と騒いで妨害。

逆に野党が社会保障を増やそうと主張すれば、
→与党が「バラマキだ止めろ」と騒いで妨害。

なんじゃそりゃw。何があっても国民におカネを渡さない、緊縮アリ地獄かw。ほくそ笑むのは財務省だけです。

2017年7月28日金曜日

残業代ゼロ法案と仕事の生産性

新聞マスコミが「成果による賃金制度を導入し、生産性を向上すべき」と書いています。多くの人は生産性の向上と聞くと「仕事を効率化するから良いこと」と考えます。しかし生産性の向上と仕事の効率は違うのです。

(ねこ)
労働基準法の改正案、いわゆる「残業代ゼロ法案」がまた騒がれ始めたのにゃ。労働時間ではなく成果に基づいて賃金を支払う制度のことにゃ。何時間労働しても、成果が同じなら給料は同じって話だにゃ。成果に基づく賃金制度は新聞マスコミに「生産性が向上する」って書いてあるから、生産性が高まっていいことなのかにゃ。

(じいちゃん)
確かに新聞マスコミには「生産性が高まる」と書いておる。一般の人々は「生産性が高まる」と聞けば良い事じゃと思う人が多いじゃろう。なぜなら「生産性の向上」と聞くと多くの人は短時間の仕事でたくさんのモノやサービスを生産するようになることだと考えるからじゃ。つまり生産性の向上とは、仕事の効率向上(生産効率の向上)のことだと考えておるじゃろう。

(ねこ)
そう思うにゃ。生産性の向上と仕事の効率向上は同じじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
同じ部分もあるが基本的に別だと考えた方が良いじゃろう。仕事の効率とは「モノやサービスで考えた場合」生産性の向上とは「おカネで考えた場合」と考えることができる。

例えば仕事の効率は時間当たりの生産量として考えることができる。だから短時間に効率的に仕事をこなして生産効率が高まるほど、生み出されるモノやサービスの量が増える。モノやサービスが増えれば社会が豊かになると考えられるじゃろう。生産の時間的な効率という視点じゃ。普通の人は生産性と聞くと、これをイメージする。しかし実際の生産性はどうか。

生産性は計算式に基づいて定義されておる。つまり

(生産性)=(付加価値の生産量)÷(総労働時間)じゃ。

この式だけ見れば、仕事の時間効率を高めると生産性があがると思うじゃろう。しかし、付加価値の生産量も総労働時間も金額で換算されるから、この式は次のように書き換えることができる

(生産性)=(売り上げによる利益)÷(賃金コスト)となる。

売り上げによる利益とは、売り上げ金額から製造原価、販売経費などを引いた金額とする。こうしてみると、生産性から「時間」という視点は消えてしまう。つまり生産性は必ずしも労働時間とは関係がないことがわかるじゃろう。

例えば、景気が良くなって売り上げによる利益が増加すると、それだけで生産性が向上することがわかる。つまり世の中の景気が良くなって商品がバンバン売れるようになると、それだけで生産性は向上するんじゃ。

また逆に、景気が悪くて売り上げがまったく伸びなくても、賃金コストが減少するとそれだけで生産性が向上することがわかる。つまり世の中の景気が悪いままでも、リストラや賃金をカットすると、それだけで企業の生産性は向上するのじゃよ。従って、ある意味では生産性の向上と仕事の効率は関係ないと考えることもできる。

まさに「残業代ゼロ」はこれなんじゃよ。残業代をゼロにすれば、それだけで賃金コストが低下するから、仕事が効率化しようがしまいが生産性は向上する。すると新聞マスコミが「残業代ゼロによって生産性が向上しました」と記事に書き、多くの人は「ああ、仕事の効率が高まったんだね、よかったよかった」と言うわけじゃよ。ばかばかしいのう。

(ねこ)
うみゃ~、知らなかったのにゃ。生産性の向上と仕事の効率向上は同じだと思っていたのにゃ。効率よく仕事すれば生産性が上がると思っていたにゃ。

(じいちゃん)
確かに仕事の効率を向上させると、生産されるモノやサービスの量が増えるから生産性が向上する可能性はある。つまり、たくさん生産された分だけ、たくさん売れれば、売り上げによる利益が増えるから、生産性は向上する。しかし消費者におカネがなければ、いくら作っても売り上げは増えないじゃろう。すると、労働者がどれほど苦労して仕事の効率を向上させても生産性があがらないことになる。

(ねこ)
ん~、それじゃあ仕事の効率を高める意味ないにゃ。

(じいちゃん)
ところがそうでもない。仕事の効率が高まると、同じ量の商品を生産するのに必要な労働者の数が少なくなるんじゃ。そこで企業は労働者を首にして、賃金コストを減らし、生産性を高めることができる。じゃから新聞マスコミの「生産性の向上が必要だ」という話をすんなり受け入れてはいかんのじゃよ。

(ねこ)
ひどいにゃ、ひどいにゃ、労働者がふんだりけったりだにゃ。企業も労働者も得する良い方法はないのかにゃあ。

(じいちゃん)
ある。国民に給付金を支給しつつ仕事の効率化、残業時間の短縮化を行えば良いのじゃ。それがヘリコプターマネーやベーシックインカムと呼ばれる手法じゃ。すべての国民に毎月おカネを支給すれば、国民の購買力が高まる。すると仕事の効率向上によってたくさん作られたモノやサービスは売れ残ることなくすべて売れるじゃろう。すると企業の売り上げが増えるから、仕事の効率だけじゃなく、生産性も向上するんじゃ。仮に残業代が減っても、代わりに給付金をもらえるから所得が減る心配も少なくなる。まさに企業も労働者も得をするんじゃ。

(ねこ)
すごいにゃすごいにゃ。ヘリコプターマネーで国民におカネを配りながら、労働時間の効率化をするべきだにゃ。

(じいちゃん)
仕事の効率を高めるのは良いことじゃし、労働時間が短くなるのも良いことじゃ。問題はそれで労働者の所得が減ってしまう恐れがあることなんじゃ。じゃから政府の勧める「仕事の効率化や時間短縮」に反対するのではなく、代わりにヘリコプターマネーやベーシックインカムを要求すれば良いのじゃ。

ところが、拝金主義の自民党は当然としても、どの野党もそんな政策は提案しない。労働組合にもそんな話はまったくない。どの連中も「おカネを国民に配る」ことには反対らしい。国民の生活が第一ならぬ「カネの価値が第一」なんじゃよ。

まあ、そんなわけで、国民の大部分は「生産性の向上と仕事の効率向上」を混同しておる。そして新聞マスコミが「生産性の向上のために脱時間給・・・」と書けば、「しかたない」と納得してしまう。もちろんそれが新聞マスコミの狙いじゃ。だから新聞マスコミは「生産性向上・生産性向上」を連呼し、生産性を錦の御旗にして国民の労働強化に向けてまい進しておるのじゃよ。

騙されてはいかん、まず最初に行うべきなのは「国民におカネを給付して国民の購買力を向上させること」じゃ。そうすることで初めて、みんなが考えている生産性の効果が実現できるのじゃ。

~本編サイトと同時掲載~

2017年7月27日木曜日

リフレ派とケインズ派の喧嘩

ネット上では、しばしばリフレ派とケインズ派が喧嘩しています。自分はリフレとケインズの両方を支持してますから、この喧嘩はアフォらしくて見ていられません。どうして喧嘩になっているのか、自分の見立てを書いてみます。

リフレ派とは「金利操作」による景気や物価のコントロールを主張し、自由主義的な傾向の強いグループです。ケインズ派は「財政出動」による景気のコントロールを主張し、自由主義的な色合いは薄い(ネット上ではむしろ保護主義に近い)グループです。この両者は、民主党政権の頃は「脱デフレ」「金融緩和」で意見が一致して、共闘していました。しかし、アベノミクスで金融緩和が始まると、両者の違いだけが浮き出るようになり、互いに罵りあうようになりました。

リフレ派とケインズ派の喧嘩。自分の見るところ、最初に手を出したのはリフレ派のような気がします。リフレ派の一部の学者が「金融緩和だけすれば財政出動は必要ない」と言い出したと記憶しています。次に自由貿易の国際的なしくみであるTPPで対立。ケインズ派がTPPを批判するところ、リフレ派がTPPを強力に擁護して譲らず、いずれも両者が妥協点を探る気配ありませんでした。

第二次安倍政権の初期段階では物価が上昇し、景気も回復し、金融緩和による効果があるとされ、リフレ派は強気でした。そこでリフレ派の発言も強くなり、ケインズ派は旗色が悪く、押し込まれた状況におかれていたと思います。この段階でケインズ派の内部には相当なストレスが貯め込まれたはずです。

ところが、消費税の増税後、金融緩和の効果はどんどん失速を始め、政府が苦し紛れに「デフレではない」と言ったところで、インフレターゲット2%の達成は先送りされるばかり。失業率が低下しているにも関わらず実質賃金の伸びは鈍く、景気回復に対する国民の実感もほとんどないような状況です。

さらに、低金利で利ザヤの抜けなくなった金融街の連中が日銀の金融緩和には効果がない、出口だ出口だと騒ぎはじめました。そこへ経済素人の野党も便乗して、金融緩和は効果が無い、アベノミクスは失敗だと叫んでいます。

そこで窮地に立たされたリフレ派は「財政出動も同時にやるべき」と言い出し、この発言に最初から財政出動を主張していたケインズ派が激怒。いまさらなんだ、というわけです。そこへリフレ派が「いやいや、財政出動をやるなとは言ってない」と弁解するものだから、ますます炎上。

怒りの収まらないケインズ派は極論に走り始め、金融緩和は効果が無いと言い出し、リフレ派の攻撃に転じています。それが1~2年くらい前でしょうか、そこから先は知りません。あまりにもバカバカしいので、最近はリフレ派にもケインズ派にも、すっかり興味を失い、放置しています。もちろんこれは自分の見立てなので、違う部分があるかも知れませんが。

これが人間の愚かさではないかと思います。
なぜもっと広く、大きく考えられないのか。

どっちの理論が正しいかなんてどうでもいいんです。本当の敵は誰なのか?もう一度よく考えて欲しいですね。しまいには、どっちも愛想尽かされると思います。


2017年7月26日水曜日

加計問題における大衆の心理

加計学園に安倍首相が便宜を図ったかどうかで国会が大騒ぎになっていますが、冷静に状況を判断すれば、結局は空騒ぎに終わると予想できます。しかし、なぜこんな空騒ぎで世論が盛り上がるのでしょうか。

加計学園に首相が便宜を図ったかどうか、この事実関係を確認することは不可能です。言った、言わないの話だからです。推論だけで断罪することはできません。そんなことをすれば世の中は冤罪だらけになってしまいます。ですから首相が交代するかどうかは、最終的に自民党内の権力争いで決まります。

しかし、そう簡単に交代するとは考えられません。FNNの世論調査でも、「今、誰が首相に相応しいか」の問いに、一位は「ふさわしい人がいない」が21.6%で最も多く、石破氏が20.9%、安倍氏が19.7%と、特に決定的な状況が生まれているわけではありません。こうした状況では自民党内で首相の交代を求める声が高まるとは考えられないのです。

ですから、空騒ぎで終わると予想されます。ただし、空騒ぎでも国民は「安倍にお灸を据えてやった」と満足するでしょう。

なぜ、こうした現象が毎度毎度、発生するのでしょうか。これは今回の安倍首相に限りません。福田首相のときも、鳩山首相のときも、国会がつるし上げ大会になり、マスコミが騒ぎ、人々が興奮するのです。左派支持者、右派支持者にかかわらず、3時の奥様向け番組でも大騒ぎなのです。

それは、人々がそれに「快感を覚える」からです。権力者という強い立場の人間をその地位から引き摺り下ろすこと、これに人々は興奮するのです。だから安倍であろうと鳩山であろうと、世間は内心で面白がっているのです。これは人間の「衝動」や「無意識」に近いレベルで生じているので、意識していない人がほとんどでしょう。こうした快感を覚えながら、したり顔で「う~ん、疑惑が・・・」などと言うのです。

また、新聞テレビなどのマスコミで報道される内容は、いつもいつも「政治家が悪いことをした」という内容ばかりです。そのため人々の潜在意識には「政治家=悪いやつ」という観念が完全に刷り込まれています。そのため「政治家がよいことをした」という事実より「政治家が悪いことをした」という事実の方が、刷り込まれた常識にマッチするため「やっぱりそうか」と、共感を覚えるのです。こうした、自分の潜在意識にある常識と一致する現象を人々は好む傾向があります。

また、争いごとは人々を興奮させます。ローマ時代から、大規模な見世物として利用されています。それが国会で行われています。怒声罵声の飛び交う国会に興奮する。まさに劇場ですね。

こうしたことから、国会で政治家・権力者がつるし上げになると右派左派無党派に関わらず、人々は興奮しやすくなります。

そうした大衆の心理に付け込むのが「新聞テレビなどのマスコミ」なのです。大衆扇動の考えから言えば、興奮状態にある人々は、操作しやすいのです。いわゆるポピュリズムの図式がそこにあります。こうして新聞マスコミによって大衆は操作され、政治が動かされてゆくわけです。

悪い政治家が交代するのは問題ありません。しかし、悪いかどうかわからない政治家が、大衆心理をたくみに利用する新聞マスコミなどの操作によって交代させられる可能性があることを、人々はあらかじめ理解しておく必要があると思うのです。


2017年7月25日火曜日

書籍「金融緩和の天国と地獄」改訂版を発売

2015年に発売した書籍ですが、内容を加筆修正して、改訂版として発売しました。電子本のみ300円です。自分の発売した書籍の中では、売れているほうです(たかが知れてますけどw)。

初版では、ちょっと癖があったので(野党をボロクソに批判していたw)、そういう部分はカットして、政治的にはより中立にし、全体的な流れにも手を加えて、より自然な形で理解していただけるよう心がけたつもりです。

加筆については、バランスシートの考え方を利用して、銀行の仕組みや、日銀の金融政策の仕組みなどの説明しています。それを第4章として分離し、強化しました。財政再建も、バランスシートで説明しています。また、100%通貨政策の一つとしてアイスランドの例をご紹介し、それもバランスシートで説明しています。なるべくバランスシートをやさしく説明したつもりです。

なお、内容の詳しいご説明は以下、本編サイトの記事より。
<ここからリンク>
サイドバー(左側)のバナーからもリンクしてます。

なんか、アマゾンもせこくなりつつあり、手数料的なものの他に、配信コストとか抜かれるので、半分は持っていかれますw。仕方ないです。というか、売れても国民年金と健康保険の支払いで消えますw。クソ、年金もらわずに死ねるかw。

2017年7月24日月曜日

マスコミはジャーナリスト囲い込み装置か

なぜ新聞マスコミには画一的で型に嵌った記事しか出てこないのか?不思議で仕方ありませんが、もしかするとマスコミは世論画一化のための「ジャーナリスト囲い込み装置」かも知れません。

新聞マスコミを見ると、同じような論調の記事ばかりです。どの新聞マスコミも、消費税増税の推進、財政支出の削減、自由貿易の促進、金融システムに関する間違った記述などで溢れています。違うのはイデオロギーや外国勢力との関係性に関わる部分だけが、左派系と右派系のメディアで異なる程度です。

金融政策にしても、まるでトンチンカンな話を堂々と書いている。下手をするとマネタリーベースとマネーストックの違いすら理解していないと疑われる記事ばかり。なぜ、こうなのか本当に不思議です。しかし、こうした世論形成は「マスコミによってジャーナリストが囲い込まれている」ことが原因ではないかと思うのです。

マスコミのような「組織」は上下関係があるでしょうし、当然ですが会社の方針もあって、所属のジャーナリストが自由勝手に記事を書くことは不可能だと思われます。またマスコミは、ジャーナリストを希望する若い学生を採用して、いわば何も知らない赤ん坊をマスコミの都合に合わせて育てていくわけです。するとジャーナリストはとりわけ意識することなく、条件反射的にそれぞれのマスコミの主張で記事を書くようになりますし、その内容に疑問を抱くこともないでしょう。

このように、世の中のジャーナリストを特定のマスコミに囲い込み、そこで集中管理、育成、操作を行うことにより、社会の世論を効率的にコントロールすることが可能だろうと推察されるのです。これにより在野のジャーナリストが増加し、支配層にとって都合の悪い情報がどんどん発信されることを防ぐことができます。

そのための装置がマスコミというわけです。

これは陰謀論なんかじゃなくて、マスコミの機能が陥るリスクとして十分にあり得ることだと思います。そうなるリスクがある。絶対権力が絶対に腐敗する現象と同様に、程度の問題はあるにせよ、避けがたく起こりえる可能性が高いと思います。

こうした現象は、マスメディアが少数の大資本によって独占された状態にあると、より容易に起こりえると思われます。つまり、日本のような「大新聞」の支配する世論の場合、その悪影響の度合いはより高くなると思われます。

大メディアの解体。

日本の再生は、まずそこから始めなければならないのかもしれません。

2017年7月21日金曜日

マスコミによる「反復刷り込み」の毎日

NHKを視聴していたら、またしても「消費が伸びない原因は社会保障への不安」と報道していた。しかし、そんなことは誰も証明していないし、証明も出来ない。推測に過ぎないことを何度となく繰り返し報道するのだから、これは世論操作と言えます。

もちろん「~という指摘もある」という言い回しで逃げています。しかし、消費が伸びない原因は他にもいろいろ指摘されているのであって、どれも証明の出来ない推論に過ぎません。人々が消費しないのは社会保障に原因があるかどうか、そんなことは誰も証明できないのです。にもかかわらず、「消費が伸びないのは社会保障への不安」という一つの推論だけを、さもそれらしく取り上げて、何度も何度も報道すれば、それは推論の域を超えて「既成事実」として人々の意識に刷り込まれるのです。

まさに偏向報道による世論誘導です。

結局のところ、新聞マスコミの戦略はこうです。「①デフレの原因は消費が伸びないから→②消費が伸びないのは社会保障に不安があるから→③消費税を増税して社会保障を安定させる」という流れを人々に納得させるための布石なのです。もちろんこれも一つの考え方ではあるが、問題は新聞マスコミがこうした「財務省の筋書き」ばかりを報道し、それを既成事実化しようとやっきになっている点です。

これはNHKのニュース、7月20日の日銀の政策決定会合後の黒田総裁の記者会見で、デフレの達成を6度目の先送りしたニュースの中で言っていたことですが、そもそも、日銀総裁の会見の中に「消費が伸びないのは社会保障への不安がある」なんて話は出てこない。NHKが話を勝手に持ち出したのです。なにげにさらっと、サブリミナル的に。まさにこれが新聞マスコミの常套手段なのです。こうしたことは新聞マスコミの報道を観察すると、ほとんど日常茶飯事であることがわかるでしょう。ネットなどを利用できない「情報弱者」を騙すには最適な媒体です。

ちなみに黒田総裁の発言は「賃金・物価の上がりにくいことを前提とした考えや慣行が企業や家計に残っている、根強いデフレマインドがある。」という内容のようです。

いやはやw。

デフレマインドがあるのは企業や家計だけではない、まさに「財務省」こそデフレマインドの塊ではないか。そもそも財務省が消費税の増税に固執するのは「賃金・物価のあがりにくいことを前提とした考えや慣行」そのものです。なぜなら、賃金・物価が上がれば税収は自然増するため、増税に固執する必要はないからです。「消費税の増税こそデフレマインドである」。

新聞マスコミは偏向報道、財務省はデフレマインド、国会は不毛な権力争い。まったくあきれた世の中です。

2017年7月20日木曜日

経済シミュレーターの実現を望む

地球シミュレーターなるスーパーコンピューターがあるそうです。それなら経済シミュレーターも実現して欲しいと思います。それは様々な経済政策の予測を行う上で大変役に立つと思うからです。

地球シミュレーターとはスーパーコンピューターの驚異的な情報処理能力を活用して膨大な計算を行うことにより、地球の気象、温暖化、地殻変動などのシミュレーションを行うものです。こうしたシミュレーションは宇宙物理学のシミュレーションでもよく見かけますね。シミュレーションは、すでに自然現象の予測や理解に欠かせないものになっています。

しかし、経済分野におけるこのようなシミュレーション装置は聞いたことがありません。是非ともスーパーコンピューターによる経済シミュレーターを実現して欲しいですね。

なぜこれが必要なのか?経済を単純数理モデルだけで予測するのは、そもそも無理な話だと考えているからです。現代の計量経済学は数理モデルを仮定しますが、これは現実を非常に単純化して、それを前提とした数式からなります。ところが実体経済は非常に多数の人々が勝手に活動し、その総合的な形として全体現象が現れてきます。ですから経済は気象や地殻変動のような、単純式で表すことのできない複雑系に近いと考えられます。

こうしたシミュレーション手法は、マルクスはおろか、ケインズやフリードマンの時代には不可能だったことです。これはスーパーコンピューターの出現によって可能になった、新しい手法だからです。この利点はコンピューターの強力な計算能力を生かして、過度に単純モデル化することなく、複雑なものを複雑なまま処理できることにあります。

そのメリットは、予測の確からしさを過去の事例を用いて研究できること、それにより予測の精度を高めることができること、同時に複数項目の予測も可能であることだと思われます。

シミュレーション技術に関して詳しいわけではないので、あまり正確に説明できないのですが、個々の人間や企業の経済活動を個別に計算することで、たとえば1万人、1000社(銀行、製造業など)くらいの社会の経済的な動きをシミュレーションするわけです。個々の人間や企業の行動決定には人工知能の技術が応用できると思われます。いわば「シミュレーション経済学」です。

もちろん、そのためには企業や個人の行動に関する基礎的な研究も必要でしょうし、そう簡単ではないかもしれません。しかし、もし経済の動きが地球シミュレーターなみに予測可能になれば、その過程において経済のメカニズムを深く理解できると同時に、それを具体的な政策立案とその後の効果予測に大変に有効なはずです。

これには膨大な予算が必要かも知れませんが、おそらく「経済活動を左右する」だけに、もし開発に成功すればそのメリットは計り知れないと思います。まさにそうした分野にこそ政府が大々的に予算を投じるべきだと思うのです。

2017年7月19日水曜日

マスコミの財政収支議論は空理空論

またまた新聞マスコミが「基礎的財政収支が赤字だ」と騒いでいます。しかしその内容はほとんど空理空論。前提となる考えが古過ぎるため今日の時代に合わないのです。

21世紀になり、日本をはじめとする現代の先進国経済はデフレが基調となっています。長期停滞論にもあるように、均衡金利はマイナスです。貯蓄がどんどん増え続ける事態を避けることが難しい。こうした経済状況にあって、まるで前世紀のインフレ時代と同じ前提で財政収支を論じても、もはや通用しません。財政収支を均衡させるために歳出を減らして消費税を増税する考えは、おそらく日本経済に「均衡縮小」という害悪をもたらすだけでしょう。

21世紀における日本のマクロ環境は、インフレ基調からデフレ基調へ180度変化したのです。ゆえに新たな財政収支の方法論もこれまでの方法から180度変えなければなりません。まさにコペルニクス的転回が必要です。それは、

①税収はフローからストックへ
②通貨は信用から100%マネーへ

①インフレ時代の税収はもっぱらフロー(循環する通貨)への課税が主流でした。それが所得税、消費税、法人税などです。これらはフローに応じて課税する方式です。そのため、循環する通貨の量が低下すると必然的に税収が減少してしまいます。

インフレ基調の時代は通貨の循環量が増加しやすい性質がありました。だからこそインフレになるのです。ですからインフレ時代にはインフレを抑制するためにもフローに課税することが機能的だったと考えられます。しかしデフレ基調の時代になると、おカネが貯蓄によって退蔵するようになるため、循環する通貨が徐々に減少する性質に変わります。まさに180度、変わってしまったのです。つまり貯蓄が増加しやすい性質に変わったのですから、貯蓄つまりストックへ課税することが機能的だと考えられるのです。

②今までの通貨制度は市中銀行の信用創造によってすべての通貨が供給されてきました。日銀はその元になるベースマネーを発行していたに過ぎません。

インフレ基調の時代は企業の借り入れが増加する傾向にあるため、市中銀行の信用創造によって世の中のおカネはどんどん増え続け、その増えるおカネに乗って経済は拡大しました。しかしデフレ基調の時代になると企業の借り入れは減少し、その結果、信用収縮によって世の中のおカネが減り続ける事態が生じるようになりました。まさに180度、変わってしまったのです。世の中のおカネが減る事態を防ぐために、政府が借金して信用通貨の量を維持しなければならないのです。これが政府債務の増大する遠因なのです。

ですから、財政を健全化するためには、政府が借金することなく世の中の通貨の量を維持することのできる通貨制度、100%マネーに移行することが機能的だと考えられるのです。

残念ながら新聞マスコミには、こうした「インフレ基調からデフレ基調へ」というマクロ環境の決定的な変化がまったく考慮されていません。時代が変わり、21世紀になってもなお、相変わらず新聞マスコミは「頭の構造がインフレのまま」なのです。

このあたりの話は、もう少し丁寧にして、本編サイトの記事にでもしてみようと思います。


2017年7月14日金曜日

賃金上昇なき生産性の向上が推進中

御用組合の親玉である「連合」の神津会長がまたしても「政府に忖度」かw。例の残業代ゼロ法案に修正条件付きで応じるという。消費税の増税容認に続き、さすがは御用組合の親玉という感じですね。

Y新聞には労働基準法改定で「生産性の向上に期待」と書かれてありました。新聞マスコミは相変わらずのんきなものです。とりあえず「生産性の向上」と書いておけば大衆の受けがいいから見出しに書いているだけで、彼らが生産性の意味を深く説明することはありません。都合の悪いことは報道しない自由ですから。生産性の向上には二つの方法があると考えることが出来ます。

①生産効率の向上により、時間当たりの付加価値を増やす
②賃金を払わないことで、時間当たりの人件費コストを下げる

本来あるべき生産性の向上とは、①生産効率の上昇によって高められるべきものですが、②賃金カットによる生産性向上は、生産効率を高める必要はなく、単に賃金をカットするだけで実現します。残業代ゼロ法案はまさに②による生産性の向上なのです。

いくら残業しても一円も払わなくて良いのですから、人件費あたりの生産性(つまり収益性)が高まるのはあたりまえですね。

今回の労働基準法改定案は、その適応範囲が年収1075万円以上のプロフェッショナル職に限定され、全労働者の3%だということですから、今回の改定による影響は少ないかもしれませんが、問題は将来における「なし崩し的な拡大」のリスクでしょう。

残業代ゼロ法案とは、事実上の賃金カットです。つまり残業代カットの対象となる労働者の範囲が広がると、国民に支払われる賃金が減少し、国民総所得が減少するリスクがあります。合法的な賃金カットで国民総所得が減少すれば国民の購買力が低下し、消費が減少する可能性もあるのです。消費が減れば企業の売り上げが減るので、成果給としての賃金はさらに減るでしょう。これはデフレスパイラルと同じ構造を持っています。

つまり、将来的に考えると、なし崩し的な「残業代ゼロ労働者の拡大」によって、デフレが悪化する危険性もあるのです。ですから、もし連合の会長が安倍に条件を突きつけるとすれば、そうした長期的、マクロ的な視点も織り込む必要があるはずなのです。

ところが、悲しいかな目先の「労働者の健康への配慮」があれば容認するという。まさにミクロ脳ですね。ミクロでしか物事を判断できません。だからこそ、消費税の増税も嬉々として受けいれてしまうのでしょう。経団連は論外としても、自民党や民進党に期待できないだけでなく、なんと労働組合まで期待できない。日本国民は絶望的ですね。

自分が連合の会長だったらどうするでしょうか。

国民総所得の増大を条件にします。そうすれば賃金カットによるデフレ、貧困化を防ぐことができます。ミクロなんかどうでもいいので、マクロ政策として、ヘリコプターマネーによる小額ベーシックインカムのスタートを突きつけます。なぜ労働者がだらだら残業するのか?残業しないとまともな給料を得られないからです。逆に言えば、まともな所得があれば、だらだら残業しないでさっさと家に帰ってカネを使うでしょうw(使わないかもしれないけど)。

もちろん小額のままのベーシックインカムでは意味がありません。ベーシックインカム長期プランのロードマップに金額の増額を示し、労働者を含めたすべての国民のセイフティーネットを計画的に確立するビジョンを示します。働き方改革とセイフティーネットは車の両輪です。働き方改革だけではダメです。そして、このビジョンを、ひそかに安倍と交渉するのではなく、まず新聞マスコミにぶち上げて、世論を巻き込み、国民の認識に浸透させてから安倍に突きつけます。

話がでかすぎる?しかし、日本にはなぜ話のでかい野心家はいないのでしょうか。話のでかいのは「イデオロギーに染まったヤツ」か「グローバル拝金主義者」ばっかりです。本当に悲しいと常々思っています。


2017年7月13日木曜日

災害危険地域から計画移転すべきか

毎年のように豪雨災害が発生して多くの人命が失われています。地球温暖化により、こうした豪雨災害はますます増える可能性もあります。こうした状況の中で、土砂災害のような人命に関わるリスクのある危険地域から国策として人々を移住させるべきか、悩ましいところです。

ひとたび豪雨災害が起これば人命が失われるだけでなく、行方不明者の捜索などに自衛隊や消防をはじめとする膨大な人々が投入され、多くの人に苦労をかけることになります。こうした豪雨災害が地球温暖化の影響で今後ますます増えるとなれば、これは単にカネの問題では済まなくなります。

異常な集中豪雨はどこで起きるか分かりません。しかし、もし集中豪雨が襲ったときにどの地域・どの家が人命を失うほどに危険なのかをあらかじめ予測することはある程度可能です。そうした地域・家に住む人々が、もっと安全な地域に移住すれば死亡災害の発生を未然に防ぐことは可能です。

もちろん、そうした地域は全国にとても多いかもしれませんから、優先順位を決めて移住させる必要はあるでしょう。一度に全ては無理です。移転先は同じ地域の高台でも良いですし、別の地域でもかまいません。地域ごと極めて危険であれば、別の地域に集団移転もありえるのではないでしょうか。もちろん、国がすべての費用を負担するのです。カネは刷ればいくらでもあります。

かなり昔、まだアメリカ経済がサブプライムローン・バブルで沸き立っていたころ、テレビ番組で見たことがありますが、それによれば、当時アメリカを襲ったハリケーンによってミシシッピ川下流域が甚大な被害を被った災害を受けて、危険地域の町をまるごと安全地域に移転させる話がありました。もちろんアメリカと日本をまったく同じに考えることはできませんが。

日本社会全体として考えた場合、リスクの高い地域に分散して人々が生活していては、すべての地域の安全性を確保することは難しいですし、災害発生時の対応も大変です。災害対応は工場生産などと違って機械化が難しく、マンパワーが不可欠なので、人口減少社会では災害対応の緊急体制の維持が困難かも知れません。ある程度、安全な地域に人々が集まって生活したほうが、社会全体から見れば運用が楽に出来ます。

とはいえ、災害危険地域やその家に愛着を持って住んでいる多くの人々もいるため、強制的に安全地域に移住させるのはどうなのか、気になるところです。地域によっては廃村になるわけですし、それらが地域文化的に何らかの影響を及ぼさないか心配でもあります。希望者だけ移住させてしまえば、地域社会が成り立たなくなります。

しかし、これまで考えられなかった豪雨災害が多発する日本になってしまうのであれば、災害危険地域の扱いに対して、妥協が可能な何らかの政策を検討する必要があるのかも知れません。悲しいことですが。

2017年7月12日水曜日

官僚の忖度は厳重に禁止すべき

一般の日常生活とは異なり、行政が忖度で動けば不透明性が増します。官僚の忖度行為が公的な利益を損なうことがないよう、忖度を厳しく禁止する必要があります。そうしなければ国民不在の「公益に反する忖度」が続くことになるからです。

忖度とは「他人の心を推しはかること」だそうです。そしてそれは日常生活においては良い意味で効果的です。他人の気持ちを察して、本人が言わずとも行動する、何かをしてあげる。以心伝心。それは社会を円滑にする効果があるとも言えます。

しかし、行政という、きちんとしたシステムにおいて忖度が横行すれば、それは「あいまいさ」を増やすことに繋がります。すなわち「上位者が明確な指示・命令をすることなく、組織が何らかの行政活動を勝手に行なう」ことを意味するからです。責任の所在が不明確になり、行政の暴走を招きます。これは国民の立場から言えば許されるものではありません。

国民はまがりなりにも民主主義によって行政の長を選んでおり、その長の指揮命令に基づいて行政が運営されることを望み、それゆえに「透明性」すなわち、どのような指揮命令によって行政がどのように動いたのかを常に明確にされなければなりません。メモのようないい加減なものではなく、指示書のような、公的な文書です。

ところが忖度が横行すると、「公的な命令書なし」に「行政が勝手に動く」ことになります。国民のあずかり知らぬところで。はたしてこれで民主政治が機能しているといえるでしょうか。

権力者の側からすれば、こんな便利なものはありません。何ら証拠を残すことなく、つまり国民に説明することなく、暗黙の了解の下に、ひそかに行政を動かすことができるからです。忖度とは、官僚がこれに加担することを意味します。

これを防ぐ方法は「官僚の意思決定は公文書においてすべて説明できること」とし、重要事項における忖度を禁じることです。忖度して勝手に動くのではなく、重要案件の意思決定はすべて文書にて確認しなければ動かない。いちいち指示書、命令書を発行するのは面倒かも知れませんが、だからこそ勝手な解釈と行動を許してしまうわけです。

もちろん、言うまでもありませんが、日常業務のすべての指示を文書化しろという笑い話ではありません。

一方、「忖度をされた(させた)」側の責任は問えるかと言えば問えません。なぜなら、忖度は相手が行うことだからです。もし忖度をされた側の責任を問えるなら、相手をいくらでも陥れることが可能になってしまいます。例えば、官僚の側が公的に問題となる忖度行為を行った場合に、その責任を内閣に求めることが出来るとすれば、官僚は悪質な忖度をどんどん行って、政権を交代させることも可能になるからです。

行政の意思決定における忖度行為を法律で厳格に禁じてしまえば、いくら内閣から官僚に無言の圧力があったとしても「命令書が無ければ動かない」と突っぱねることができます。しかも合法的に突っぱねられます。それどころか、その時点で「圧力があった」と合法的に告発することもできます。

もちろん忖度にも違いがあり、公益を害したり、特定の対象に有利に働くような忖度もあれば、逆に公益に貢献する場合もあるでしょう。ですから忖度、つまり相手の意思を推し量ることを禁じるのではなく、その結果として意思決定・行動する場合、それをきちんと上位者に文書として報告すれば良いのです。裏で隠れて忖度する必要はありません。

行政の意思決定における透明性が求められている時代にあって、行政が忖度で動くことは良いこととは思えません。それを防ぐためには、忖度で勝手に動いた官僚を厳重に処分すると共に、その根拠となる法律を作ることが大切だと思うのです。

2017年7月11日火曜日

消費税によるベーシックインカムの問題点

「消費税によるベーシックインカム」を主張する人も居るようですが、これは「国民を平等に貧しくする」リスクがあります。デフレ時代における最適な財源は消費税ではありません。

消費税による税収は国民の総消費量に制約されるため、それを財源としてベーシックインカムを実施したところで消費総量を増やすことはありません。そのためデフレ経済を解消したり、経済活動を活発化させる効果はありません。それではデフレ・供給過剰の時代のベーシックインカムとしては無意味です。なぜでしょうか。

たとえば国民を一つの経済主体として考えた場合、総消費に投じられるおカネが100だったとして、そのうち20が消費税であれば消費税以外の部分は80です。その20をベーシックインカムとして国民に戻したところで、国民が消費に使うおカネの総額は80+20=100のままです。フロー(循環通貨)に課税して財源とすれば当然の結果です。

ただし、国民の総消費が増加しなくとも、再分配としての機能はあります。国民を高所得者と低所得者からなると考えた場合、高所得者の消費が減って低所得者の消費が増えると思われます。貧しい人にはメリットになるでしょう。しかし国民総消費から見れば「取って戻すだけ」なので、意味がありません。それどころか、通貨は循環するうちに一部分が必ず貯蓄つまり「退蔵」されてしまう性質があります。フローがストック(貯蓄通貨)になるのです。そのためフローは徐々に減り続け、社会はジリジリとデフレが悪化し続けます。非常に筋が悪い財源論です。

とはいえ、もし50年前のインフレ時代にベーシックインカムの財源を消費税に求めるとすれば、優れているでしょう。なぜならインフレ時代は供給力が総じて不足しているため、ベーシックインカムによって国民総消費を増やすと、インフレが激化してしまうからです。このため総消費を増やさずに再分配を行うには消費税が財源として適しているのです。

仮に消費税ではなく所得税を財源とした場合はどうでしょう。所得は消費活動の前段階にあります。所得のうち、貯蓄を除いた部分が消費に向かいます。一般に高額所得者ほど貯蓄率は高くなるため、累進課税により高額所得者の所得に課税するほど、貯蓄によって退蔵されるおカネの量(ストック)は減少すると考えられます。つまり有り体に言えば、「貯め込むヤツに渡すカネを減らして、貧しい人に配れば、貯蓄せずに消費に回る」という話です。

ただし、この場合もフローである「国民総所得」がボトルネックになります。国民総所得よりも多くの消費を促進することは、逆立ちしても不可能です。所得税を財源とするベーシックインカム制度は、国民経済からみれば、貯蓄によって退蔵される通貨の量を抑制する効果しかありません。

一方、資産家がしこたま貯め込んでいる「貯蓄」ストックに課税してこれを財源とすれば、貯め込まれて死蔵されていたおカネが世の中に出てきますから、フローが増加して経済活動が活発化する可能性があります。あるいはヘリコプターマネーのように、通貨発行によってフローを増加させても同様です。この場合は循環するおカネの増加によって消費が伸び、国民の経済規模が拡大します。すべての国民が豊かになれます。世の中のカネを回しながら、ベーシックインカムを行う。これが経済的に優れた方法です。

ただし、この方法はテクノロジーが進化し続ける今日のデフレ時代、つまり供給過剰の時代において優れているのであって、50年前のインフレ時代に行ってはいけません。つまり最適財源は「絶対的」に決まるのではなく、経済環境によって相対的かつ柔軟に最適解を求めるべきなのです。

むしろ、絶対的に消費税を財源とするベーシックインカムの論は、財務省による「消費増税のための口実」に利用されるリスクが高いと考えられます。少なくともリベラルな人々は、ベーシックインカムをこうした増税の口実に利用されないように十分な注意が必要だと思います。そのベーシックインカムは、国民を平等に貧しくしてしまいますよ。

頭は常にやわらかく。
本当の財源とは、カネのことではないのですから。

2017年7月10日月曜日

良い国会と悪い国会

安易なタイトルですが、こういう表現が結局のところ解りやすいと思うのです。こんなクダラナイ国会をいつまで続けるのか。どんな国会が良くて、どんな国会が悪いのでしょうか。

良い国会は、国民生活を向上させるための政策に関して、与野党が激論を戦わせる国会です。例えばヘリコプターマネー(ベーシックインカム)や日銀の国債引き受け、消費税減税、金融資産課税と再分配など、国民生活・国民経済に関する議論はいくらでもあるはずです。

野党はこうした政策を打ち出し、「一歩も引かない態度」で議論を行う。国会で未来のビジョンを説明して法案を提出し、自民党を挑発する。学者も動員する。とにかく、口を開けば政策を、しかも具体的で計画的なプランや法案を出しまくる。こういうスタンスで自民党をどんどん攻撃していただきたいのです。

すると、国民の意識も変わる。ヘリマネも日銀の引受も、消費税の減税も税制改革も、国民は意識が低すぎ、ほとんど知識を持っていません。しかし野党が朝から晩まで繰り返すと、国民にも徐々にその知識が浸透してゆくのです。これまでのような「国民の生活が第一」なんてお題目は意味がありません。「具体的な政策と実行計画」がなければ美辞麗句に過ぎないからです。具体的政策、実行計画、法案、学者を巻き込んだ議論などが必要です。

これが行われる国会は、良い国会です。こんな国会は興奮するでしょうねえ。日本はもしかすると変わるかも知れませんよ。わくわくします。若者もきっと政治に関心を持つようになるでしょう。

悪い国会は、国民生活などそっちのけで、政策議論ではなく政権の引き摺り下ろしが目的化している国会です。まさに、「日本の伝統的な国会」がこれです。多少なりとも意識の高い国民は、ヘリマネ、消費税減税、財政支出拡大など国民経済に関して議論が進むことを期待しています。ところがそんなものはおかまいなし。政策議論は一歩も進まず、あいもかわらず、何十年も昔ながらの「政争」が繰り返される日本の国会。

プロ市民の皆様はおお喜びでしょうが、政策で日本を変えたいと願う多くの無党派国民は絶望しています。いったい、何十年おなじことを繰り返すのか?私が死ぬまで、こんな無為無策を繰り返す国会を見せられるのか?

無能の新聞マスコミは「政権を批判することが役割」だと勘違いしているらしい。そのため、とにかく政権をこき下ろせば満足している。紙面やネットで挑発的な記事を書き、国民を煽り立ててポピュリズムを先導しているに過ぎません。冗談ではありません。政策議論を前に進めろと言いたい。どうせ挑発するなら「政策で挑発すべき」です。

騒ぐだけ騒いで、何もなさない、何も残らない。これが延々と繰り返されてきたのが日本の国会です。これで新聞マスコミが「みなさんもっと政治に関心も持ちましょう」など、アホらしいにもほどがあります。こうした新聞マスコミの「政策なき批判」が、ただ単に国会や政治家の不信感を煽り、国会や政治家を頭から「ムダ、無意味」と思わせ、それらに対する関心を失わせてきたのです。

日本は世論を挙げて、政策の論争に明け暮れるべきです。口を開けば政策。そうしなければ、日本はこのまま永遠にずるずると自民党と官僚の利権政治のままに引きずられ、沈んでゆくだけだと思います。

まあ、こんなことを言っても、私が新聞マスコミと一緒になって安倍政権を批判しなければ「安倍信者」のレッテルを張られるんでしょうけどね。情けない人たちです。

2017年7月7日金曜日

しらけた国会、無党派から見れば

安倍一強といわれる中で訪れた、政権攻撃の千載一遇のチャンスに飛びつく野党と大騒ぎのマスコミ。昔ながらの野党の支持者はここぞとばかり喜ぶのでしょうが、一般の無党派国民から見れば「またはじまったわw」という、しらけた印象に過ぎません。

政治家の滑った転んだで、野党やマスコミが大騒ぎするのは「恒例行事」の一つです。恒例行事が終わっても、結果として何も変わりません。政治家が変わったところで、システムは何も変わらないのですから、何も期待できないのはあたりまえです。実際、過去に政治家が交代しても「国民の生活は何も変わらなかった」。だからしらけている。まるで野党に期待してもムダなのです。

確かに野党議員にとって、既存の、昔ながらの支持者のために大騒ぎする気持ちはよく分かりますね。大切な顧客ですから。しかし昔ながらの支持者ばかりでは「ジリ貧」は免れられません。支持者の拡大こそ必要です。なんと国民の4割は支持政党を持たない無党派、しかも自民党支持層の多くも流動的な層に過ぎません。そこから支持者を引き抜かないでどうするんでしょうか。何十年も昔となんら変わらない「労働闘争」みたいな手法で、新たな人々の支持を勝ち取れると考えているんでしょうか。

国民は自民党にも野党にも期待していない。だから東京都知事選では「都民ファースト」のようなイメージ政党にも大量の票が流れる。政権交代を実現するならば、他党を引き摺り下ろすより、こうした現象を参考にすべきだと思います。言っちゃ悪いですが、庶民はあたらしもの好きです。

だから、大胆に政策転換でもしない限り、与野党逆転、政権交代はムリではないでしょうか。確かに大胆な政策転換を実施することはリスクがあります。昔ながらの労働組合活動系の支持者を失うかも知れないからです。野党はそれを恐れているため「極めて保守的な野党」になっている気がします。しかし多数決の民主主義においては、少数のイデオロギーエリートの支持者を得ても、政権は実現できません。きっぱり捨て去るべきだと思います。

自民党の経済政策は、基本的に拝金主義そのものです。その根底に存在するのは「財務省」です。曰く、カネがないから何も出来ない。増税しないと何も出来ない。頭がカネに支配されているのです。こうした自民党の拝金主義の軸に対して、真っ向から対立する、カネの価値に固執せず、供給力の拡大と財の分配のためにカネを大胆に利用する軸を打ち出せば、まさに自民党と大きく差別化できるのです。

野党は国民の度肝を抜くくらいのビジョンを打ち出してみるべきでしょう。もちろん政治家の頭脳では、あまりにも足りないので、多数のブレーンとなる学者を擁して研究会のようなものを立ち上げ、提言をまとめていただくなどの方法も必要だと思います。

そういう度肝を抜く提言を是非みてみたい、
そうして生まれ変わる野党を是非みてみたい。

しかし、今の野党の空騒ぎと、踊るマスコミ報道を見る限り、そんなことは100年経っても不可能だとわかり、絶望してしまうのです。

2017年7月6日木曜日

ベーシックインカム議論に時間軸を

ベーシックインカムに関するネット上の議論で違和感を覚えるのは、それが「今すぐ完全BIをやったらどうなるか」という話が中心になっていることです。しかし段階的に推進する前提で考えるとまた話は別だと思うのです。

ベーシックインカムに反対する人たちの主張は、例えば人々が働かなくなるとか、労働意欲が低下するとか、あるいはそれに伴って供給力が低下してインフレが生じたり、人手不足から介護等が困難になるとか、そういう話です。

しかし、これらは「今すぐに、ベーシックインカムを完全に、つまり月額10万円以上のおカネを無条件にすべての国民に支給するとどうなるか」という懸念です。確かにベーシックインカムはまったく新しい経済システムなので、いきなり毎月10万円以上でスタートすると社会にそうした混乱を招かないと言い切れないでしょう。しかし、そういう前提がそもそもおかしなはなしです。

未経験の制度は段階的に導入されるのが当然であり、それゆえベーシックインカムに関する議論も、段階的な導入を前提として行われるのが妥当だと思うのです。話が極論(ネガティブ)と極論(ポジティブ)のぶつかり合いなので、まるでピンと来ません。

現実的に考えれば、毎月1万円の支給から開始するとか、高齢者年金や子供手当てのような本来養育されるべき人々への支給から開始するとか、そうして段階的にステップアップするはずです。しかし、そうした話が新聞マスコミにはほとんど無い気がします。ネットの話も極論が多い気がします。

ベーシックインカムを支えるためには、財源(カネ)にあまり意味はありませんが、供給力(モノ)が不可欠です。供給力をささえるテクノロジー、人工知能やロボット、生産設備への投資などは徐々に増大しますから、そうした状況から考えても、ベーシックインカムはあくまでも段階的に導入する前提で、そのステップを検討すること、ロードマップを議論することが不可欠だと思います。

いきなり導入したらどうなるか、という議論では、話がかみ合うはずがないとおもいます。だから議論は「やるか」「やらないか」になってしまいます。人工知能とロボットが高度に進歩を続けている現代において必要な議論は「やるか・やらないか」ではなく、「どうやったらスムーズに導入できるか」だと思います。

2017年6月22日木曜日

ベーシックインカムで右派と左派が共闘できるか

右派も左派も一般大衆が大部分なのですから「自分達の生活の豊かさを求める点」で同じはずです。ですから例えばベーシックインカムで右派と左派が協力しても良さそうですが、そう簡単にはいかないようです。「それ以外の違い」が大きな障害になってしまうからです。

なぜなら、もし右派、または左派の政権が誕生したとき、共通の利益とは違う部分の政策において、自分達の考えとは異なる政策が実施されてしまうのではないか、と恐れるからです。

具体的な例では、外交政策があります。仮にベーシックインカム制度の導入に向けて右派と左派の方向性が一致したとします。しかし、仮に左派が政権として主導権を取れば右派が恐れる「中国共産党に親和的な外交」を行われる可能性があるわけです。こうした「恐怖・不信感」が主導権争いを生み、生活の豊かさを求めるべき者同士が互いに潰しあいをします。

それを防ぐ手立ては無いのでしょうか?

連立政権というケースがあります。単独政党で過半数を取れず、連立が必要な状況であれば、両者に共通の政策だけが、まず優先されることになると思われます。

例えばベーシックインカムを主張する左派と、右派が、それぞれに議席の1/3を確保したと仮定すると、その両者はベーシックインカムの推進に関しては一致できます。ですからベーシックインカム政策は推進可能です。外交政策に関しては、他の政党との関連性で決まるわけです。もちろん、そんな都合の良い状況が簡単に生まれるとは思いませんが。

さて、現状の日本でそうした状況が生じるとしたらどんなケースでしょう。たとえば、仮に日本共産党がメイン政策としてベーシックインカムを打ち出したとします。まあまあ、例えばの話ですよw。

もちろん、ベーシックインカム制度にも立場によって違いがあるため精査は必要ですが、仮に十分に評価できる内容であれば、日本共産党の他の政策に大反対であったとしても、ベーシックインカム推進派の右派が、日本共産党に選挙で投票しても良いかも知れません。なぜなら、もし、日本共産党が伸びたところでいきなり政権を取る事はあり得ないので、それほど心配する必要はないからです。

もちろん、それだけでベーシックインカム制度が実現できるはずもありません。しかし、もし共産党がベーシックインカムを前面に押し出して得票を伸ばしたなら、他党は間違いなく危機感を覚えるはずです。すると他党が対抗上、ベーシックインカムを政策として取り入れる可能性が出てきます。あちこちの政党でベーシックインカムを政策に取り入れるなら、投票先政党の選択肢は増えますし、それに比して政策の実現可能性は高まります。

つまり、「右派でも左派でもいいから、朝から晩までベーシックインカムを主張する政党が出てくる」のが望ましい。そして国会でも、与党を攻撃して引き摺り下ろすことに時間を使うのではなく、徹底的にベーシックインカムの議論を吹っかける。口を開けばベーシックインカム。もちろん、人工知能、技術的失業問題など、最先端のテクノロジーや世界的なベーシックインカム推進の動きも交えて。

ですから、ベーシックインカムで右派と左派が共闘するには、日本の野党(このさい右派でも左派でもいい)に、ベーシックインカムを政策として採用させ、それ一本で押させる、あるいはイタリアの五つ星運動のように、ネット運動を通じて、ベーシックインカム一本で押すような政党運動を起こすことが必要かも知れません。そして右派も左派も、とりあえずそこに投票するわけです。

まずは、頭の固い連中の脳みそに風穴を開けることが先決で、そこに右派と左派が共闘できる可能性があるかも知れません。


2017年6月21日水曜日

ベーシックインカムは労働の価値を高める

ベーシックインカムを実施すると働く人が減ると騒がれています。しかし働く人が減れば労働の希少性が高まり、労働の価値が高まります。つまり「労働する人が感謝される社会になる」と思われます。

働かなければ生活できない社会では、労働するのが当然ですから、労働に対する感謝の気持ちが弱まります。すると「安い賃金で働かせても当たり前だ」としか思わない経営者が出てきます。「ブラックのどこが悪い、オレが雇わなきゃお前は死ぬしかないんだ」なんて言うヤツも現れます。

また、一般の消費者の中にも「オレは客だから神様なんだ」と勘違いする人が出てきます。モンスター化し、コンビニの店員に土下座を強要したり、宅配が遅れたと言って集配所にチェーンソーを持って来て暴れ、おまけにツイッターにそれら映像を投稿して自慢するヤツまで現れます。

労働する人に対する感謝の気持ちが欠落している社会。カネ貰ってるんだから、労働するのは当たり前だろ、苦労するのは当たり前だろ、としか思わない社会。これは「労働に対する冒涜」であるとも言えるでしょう。

もし、ベーシックインカムが実現したならば、労働しなくとも所得が保障されるのですから、労働者の立場から言えば、ブラックな経営者やモンスターの客に頭を下げて働く必要はありません。そんな連中のために働く必要はまったくないのです。

労働者は、労働に感謝して敬うことのできる経営者と共に働くことが出来ます。そのような場合は、無償での労働も苦ではないでしょう。また、お客様との立場も逆転します。労働者が客を選ぶ立場になり、横柄な客はサービスを受ける資格を失います。感謝の気持ちを持たない客は客じゃない。感謝してくれる人のために働くのです。そういう社会になるわけです。

労働者はカネのために働くのではなく、人の役に立ち、人から感謝されるために働くようになり、顧客はカネを払っているんだからあたりまえではなく、サービスを提供する人に感謝するようになる。そのような社会では労働は希少であり、労働は尊いものであり、労働は尊敬される行動になるでしょう。


2017年6月20日火曜日

アベの一億総活躍社会は20年古い

安倍政権の推進する一億総活躍社会は20年古い。失われた20年に突入する頃にその政策を唱えたなら、もろ手を挙げて賛同します。しかし人工知能やロボットの本格的な普及を目前にした現代では、もはや時代遅れも甚だしいと思うのです。

理由は簡単です。人工知能やロボットによって労働力が加速度的に必要なくなるわけですから、すべての人を活躍させる(仕事を与える)ことは早晩、不可能になるからです。もちろん1~2年先の話をしているのではありません。ビジョンのことです。ビジョンとして、いまさら「総労働社会」を打ち出しても、すぐに陳腐化するでしょう。これからは「所得保障社会」なのです。

ところで安倍政権は「人材投資」などと言い出しました。これは明らかに民進党などが主張している「人への投資」へのあてつけなのです。実際のところ人への投資は意味のあることです。しかしそれより何より、民進党の主張する政策の「お株を奪う」効果が高いのです。一億総活躍にしろ、人材投資にしろ、賃金の上昇による経済の好循環にしろ、これを自民党がやれば、もはや民進党にはイデオロギーで騒ぐ以外に出番はありません。

なぜ民進党の出番が無いのか?それは民進党が50年くらい古いからです。安倍よりもさらに古い、労働組合運動の華やかなりし時代に、今でも生きているからです。労働者の権利、雇用の確保、賃金引上げの枠でしか政策を考えられないため、それを先に打ち出されてしまえば、もはや民進党に出番はありません。

だから、安倍政権の先を行くビジョンが必要です。

安倍政権のビジョンは古い。だから人工知能やロボットの普及を見据えたビジョンを打ち出すことで、安倍政権の政策を陳腐化することが可能なのです。もちろんビジョンは実行可能なロードマップを示す、具体的な行動手順を示す、など緻密な提案でなければ意味がありません。それこそ技術者を集めて本格的な政策立案を行う必要があるでしょう。また、そうした技術者を集めたオープンな会議や講演会を行うことで、党の先進性を打ち出し、イメージアップや支持率向上を図ることもできるでしょう。

もし優れたビジョンと計画を示すことが出来れば、それこそ政権交代に相応しい政党に生まれ変わるでしょう。そして、それが出来て国民に認められる事で、支持率が高まるわけです。安倍政権を引き摺り下ろせば支持率が高まるわけではありません。

しかし、日本の野党にそれを望むのは無理かも知れませんね。日本の野党はあいかわらず50年前の時代を、いま、生きている人々なのですから。

2017年6月19日月曜日

資源過剰によるデフレは良いデフレ

テクノロジーの進化によって利用可能資源の幅が広がると、資源の供給量が爆発的に増加して、資源価格は暴落するでしょう。すると原材料費が低下して価格が下落し、デフレを引き起こすと考えられます。しかしこのデフレは良いデフレかも知れません。

今日問題になっているデフレは「おカネが回らないことによるデフレ」です。商品も資源も十分にあるにもかかわらず、消費者の購買力が低いためにモノが売れずにおカネがまわらない。モノが売れないために市場競争によって市場における販売価格がますます低下し、結果として失業を生み、格差を拡大してしまいます。悪いデフレです。

一方、資源価格が下落するとコストが低下するため、それに伴って価格が下落し、デフレになる可能性があります。この場合は「売れないから市場競争によって価格を下げざるを得ない」のではありません。原材料費が下がるので、ほとんど自動的に価格が下がります。

価格が下落するため、企業の売り上げ総額が減少するかも知れません。しかし同時に原材料費も減少しているため、利益は減りません。むしろ、価格の低下によって売り上げ数量が増加する可能性があります。売り上げ数量が増加すると、利益総額が増加します。

利益総額が増加すると、企業は投資を増やしますし、また従業員に支払う賃金を増やす可能性もあります。すると、労働者の購買力が拡大し、消費も増加する可能性があります。こうして、物価が下落する、つまりデフレにもかかわらず景気がよくなる現象が生じる可能性があると思います。

不景気とインフレが同時に生じる現象を「スタグフレーション」と呼び、これは資源価格が高騰する(資源が不足する)ことで生じます。ですから、その逆に、資源が供給過剰になれば、好景気とデフレが同時に生じても不思議はありません。こうしたことは今まで考えられなかった事態なので、名称はありませんけど。

してみると、ただ単純に「インフレが良い」「デフレが悪い」だけで判断することが、必ずしも正しいと言えないと思われるわけです。たとえば最近、原油価格の下落によってデフレを増長しましたが、これは必ずしも悪いことではありません。ただし、原油を産出している国にとっては、良いことではありません。世界全体としてみれば資源の供給過剰は悪いことではないのですから、何かしらグローバルな調整が必要な時代なのかも知れません。

テクノロジーの進化は人類のすべての人々にとって、とても重要であり、政府は国を挙げてテクノロジーの進化、資源利用技術の開発に取り組むべきだと思うのです。それによって「モノが安くなって、なおかつ景気が良くて豊かになる」社会が実現するかも知れません。


2017年6月15日木曜日

陰謀論のすすめ

陰謀論を信じない、そう公言する人は大勢居ます。しかし信じようと信じまいと、世の中が陰謀によって動いている事実を曲げることはできません。陰謀であるがゆえに、証明が不可能なだけです。証明出来ないからといって、存在しないわけではありません。

世の中には陰謀(はかりごと)がないどころか、実際の世の中は陰謀抜きに考えることは不可能なほどです。社会に出た事のない学生かお花畑の人ならまだしも、ひとたび社会に出れば、弱肉強食の競争原理の中で、生き残りをかけて、多くの人が、仕事の場面において謀略を経験しているはずです。市場は利益競合する者との戦いだからです。もちろん謀略を行う人が「謀略なんて考えたこともない」と言うのは当然です。下手をすると無意識にやっているかも知れませんね。もちろん犯罪にならない範囲でのことですが。

普通の日常社会においてもそうなのですから、これが国家間となれば、ますます陰謀は重要な役割を果たすようになるでしょう。国家の動きを陰謀論抜きで考えるのは愚かです。中国も韓国もアメリカも日本に陰謀を仕掛けてきますし、もちろん日本も陰謀を仕掛けるでしょう。陰謀なき国家は弱肉強食の世界では食われて滅びるのが宿命です。

ですから、ある意味で陰謀論をお勧めします。

もちろん陰謀をやたらに信じて大騒ぎするのは愚かです。陰謀は陰謀なのですから推測の域を出ないからです。もちろん諜報機関によって陰謀を知ることも重要ですが、限界がありますし、日本ではそんな機関すらありません。ですから、あくまで推測であることを踏まえなら、相手の行動を観察し、何を意図しているのか、隠された意図を探らねばなりません。日常の近所づきあいならまだしも、生き馬の目を抜くような国際社会において、相手の言葉通りに受け止めるのは自殺行為です。

常にあらゆる陰謀の可能性を排除せず、仮にそれが事実である場合にそなえてあらかじめ手を打たねば手遅れになります。陰謀にも過去の事例があるはずなので、そうした陰謀の研究はとても重要だと思います。

近年において陰謀に最も用いられる手法は、プロパガンダではないかと思います。プロパガンダは新聞マスコミを通じて拡散し、世論を誘導します。これは民主主義、とりわけ言論の自由が制限されていない先進諸国において大変に効果的です。

このような陰謀に基づくプロパガンダが、新聞マスコミを通じて常に仕掛けられていると考える必要があります。ですから国民は、新聞マスコミ報道をそのまま信じるのではなく、その隠された意図を推測して備える必要があると思うのです。


2017年6月14日水曜日

報道の自由より偏向報道の自由が問題

報道の自由が大切であることは当然ですが、日本の場合は報道の自由が制限される心配より、むしろ新聞マスコミによる偏った報道やプロパガンダまがいの報道が「自由に」行われていることのほうが遥かに心配です。

新聞マスコミ等のメディアは、ナチス・ヒトラーのメディア戦略でも明確なように、プロパガンダによる国民の洗脳工作に用いられるリスクが内在していると常に認識する必要があります。つまり、報道の自由を保障するとは、裏を返せば「自由に洗脳できることを保障する」意味があるのです。そしてプロパガンダを行うのは何も政府とは限りません。マスコミそのものがプロパガンダを行う可能性を排除することはできません。

もちろん、報道の自由を軽視すべきであるというのではありません。報道の自由は大切です。しかしあくまでも報道の自由は諸刃の剣であり、ただ単純に「報道の自由はすばらしいねー」だけで安心していてはいけないと言いたいのです。メディアは常にウソを流して国民を陥れようとする危険性がある。それを忘れてはいけないわけです。

そうした中で非常に重要なことは、「メディアの多様性の拡大」です。幸いにしてインターネットの普及によりメディアの多様性は拡大し、前世紀のように新聞やテレビがメディアを独占していた次代は徐々に終わりつつあります。しかし、あいかわらず朝日、読売、日経新聞などの大新聞が存在し、かなり高い独占状態にあります。このような少数の資本によるメディアの独占状態こそ、プロパガンダによる国民誘導のリスクを高めるのです。

新聞にしろテレビにしろ、そうした独占状態を打ち壊して、より多くのメディアにより、多様な報道がされることによって、初めて報道の自由の真の価値が発揮されるようになると思います。



2017年6月13日火曜日

排他的民族主義と共生的民族主義

民族主義と聞けば、世間ではナチス・ヒトラーの民族闘争思想のような排他的な民族主義を連想するようです。しかし民族主義はそもそも排他的である必然性などありません。各民族が互いに協力して、それぞれのコミュニティーを高める共生的な民族主義こそが、本来あるべき民族主義です。それは民族をごちゃ混ぜにする資本主義的な、いわゆる「多文化共生」とも本質的に異なる考えだと思います。

近年、拝金主義的なグローバリズムに対する人々の不信感、あるいは過激派のテロ攻撃による社会不安から、各国で民族主義的な動きが高まっています。こうした動きを新聞マスコミは危険視し、ステレオタイプな「排他的民族主義」と断定して、民族主義的な運動に対するネガティブ報道を展開しています。

しかし、少し冷静に考えればわかることですが、「生き残りをかけて民族が戦う」ような帝国主義時代における民族主義思想が現代に通用するはずもありませんし、その必要もありません。それを現代においてやっているのが北朝鮮です。しかしあれでは民族が衰退するばかりであり、民族の幸福と繁栄を実現することは不可能です。誰もそんな民族主義を望んでいるはずがありません。

現代において、民族の幸福と繁栄を実現するためには(多民族国家であったとしても)、自国のエゴだけ押し通すより、むしろ多くの国々(民族)と協調し、共存共栄を図る方が有効です。もし、ある国が貧困状態に取り残され、資源を搾取される立場にあるとすれば、その国が過激な民族主義に染まり、民族の生き残りをかけて戦争をしかける危険な状況に陥るリスクもあります。その意味からも、世界の各民族は互いに自由・平等・博愛の精神で相互支援する必要があります。

ですから、今日、目指すべきは共生的民族主義です。

共生的な民族主義は、まったく過激ではありません。むしろ、いかに他の民族を助けるかが、現代の民族主義にとって重要です。そこには「互いの民族・文化を尊重する」高い意識が必要となります。どれほど経済力が低い国であっても、民族として尊重する、そして尊重される。地球の多様な民族文化を維持発展させるための、グローバルな民族の共同体です。

それは、現代における拝金主義的なグローバリズムとはまったく異なります。拝金主義的なグローバリズムの第一義はカネであり、企業であり、民族ではありません。グローバル大企業の共同体です。そのため、多文化共生といいながら、実際には多文化をごちゃまぜにしてミックスしてしまうことで、民族特性は消し飛んでしまうのです。そして企業と株主の幸福と繁栄が追求される、世界統一拝金社会になるのです。

今日における民族主義運動にも、様々な立場はあると思います。中には戦前の民族闘争思想を持っている時代遅れの人々もいることでしょう。しかし、今日における民族主義的な運動の大部分はむしろ民族としての団結、共同体、文化、アイデンティティーを維持すること、つまり、本当の意味で多文化を維持し続けようとする立場に親和的なはずです。そのためには、民族間には「境界線」による秩序が必要なのであり、拝金主義思想に基づく「ごちゃまぜのカオス世界」を安易に認めてはならないのです。

まったく問題ありません。

問題があるとすれば、その手法が「稚拙」である場合です。たとえば自国内にいる異民族を暴行するとか、ヘイトスピーチするとか、差別するとか、そんな手法はまったく無意味です。彼らの自己満足を満たすだけであり何の解決にもならないからです。





2017年6月12日月曜日

生産性が向上しても投資は増えない

投資が伸びないのは日本の低い生産性に原因がある、などと新聞マスコミは書いています。しかし生産性が向上したところで企業の投資は増えないでしょう。私が株主だったら、生産性が向上しても新たな投資などせず、企業に配当金を要求するだけです。

なぜ企業や投資家が投資をするのか?それは投資に見合うだけの利潤の増加を期待するからです。そのためには、投資することで企業の売り上げが増加しなければならないわけです。

デフレで景気が悪く売り上げが増えないとすれば、投資に対する利潤の増加は見込めません。そんな状況では投資効率が悪すぎてカネをどぶに捨てるようなものです。ただし、企業や社員の努力で日本の生産性が向上すれば利潤は増えますので、配当金を要求します。ただし再投資して供給力を増やすよりもカネを回収したほうが得ですから、再投資せずに配当だけ回収します。

逆に言えば、生産性の如何に関わらず、売り上げ総額が増える見込みがあれば、投資する価値があります。生産性が上昇しなくても投資によって供給力を増やすほど確実に利潤が増えるからです。ですから、ごく当たり前に考えて、生産性の向上よりも売り上げの増加の方が投資を促進するでしょう。

一方、投資によって生産性を向上することで利潤を増やす方法はあります。本当に日本の生産性が低いのなら、投資によって生産性を高めることができます。この場合は新聞マスコミの言うような「生産性が向上することで投資が促進される」のではなく、「投資によって生産性が高まる」のです。つまり新聞マスコミの解釈は本末転倒です。

ただし、投資によって生産性を高めるとは、たとえば人工知能やロボットを導入することを意味します。つまり、それによって従業員をリストラし、人件費コストをカットすることで生産性を向上させるわけです。その結果、失業者が増大して、経済にはデフレ圧力が生じます。しかも、投資家は配当金を抜くだけで、デフレ環境下で事業を拡大しようとは考えません。自分なら抜いた利益で売り上げ増加の見込める途上国に投資します。

ですから、変なことを考える必要はありません、
ヘリマネで国民におカネを配ればよいのです。

そうすれば企業は「売り上げが増える」と予想しますから、企業も資産家も設備投資に動きます。投資増と消費増の両方が期待できます。そして企業の売り上げが増えれば、従業員1人当たりの売り上げ(=生産性)が増加しますから、生産性は必然的に向上すると思います。

2017年6月8日木曜日

失業率低下しても賃金伸びないワケ

新聞マスコミは「失業率が低下しても賃金が増えないのはナゾだ」と騒いでいる模様です。しかし、GDPがお涙程度しか増えていないのに、雇用の大部分を創出している中小企業や派遣非正規の給料が増えるわけないのは当然かも知れません。

労働市場において、労働資源の供給が不足すれば賃金が上がる。確かにそうなんですが、考えてみると、そもそも、より多くの賃金を支払うための「おカネ」(原資)はどこから湧いてくるんでしょうか。売り上げですよね。その売り上げが増えないのに、どうやったら賃金を増やせるんですか。いくら人手不足だってカネがなければ払えないです。

企業の売り上げが増えないと、いくら人手が不足しても、賃金なんか払えませんよね。それ以外にどこからそんなカネが湧いてくるのでしょうか。

あるとすれば、借金です。借金を増やせばおカネが増えますからね。企業が人手を確保するために借金を増やして賃金を上げる(つまり投資)。確かに今は人手が欲しいけど、消費税が2019年に増税されることになっているわけですから、景気がどうなるかわかったものではありません。不況予測が立ちます。不況予測があるのに、借金してまで賃金を増やすなんてリスクが大きすぎますよね。

自分が中小企業の経営者だったら、人手は欲しいけど、カネがないから賃金は上げられない。2019年には不況も待っている。業務の効率化や残業でまず乗り切ろうとします。だから、求人は出すけど(求人倍率の上昇)、賃金は上げない(賃金伸び悩み)。

金融緩和でわずかばかりのGDPが増加したところで、大企業の内部留保と資産家の配当金が増えるだけです。とてもとても国民の大多数を占める中小企業や非正規雇用の賃金なんか増えるはずありませんよ。

くだらないことで悩んでないで、さっさとヘリマネでカネを撒けばいいんです。そしたら、あっという間に企業の売り上げが増えて、賃上げの原資が確保できます。カネがあれば賃金を払えます。ですから、もし人手不足が本当だとすれば、ヘリマネすれば賃金なんかすぐ増えます。

まずそこが好循環のスタートですよね。


2017年6月7日水曜日

アリの貯蓄とヒトの貯蓄の違い

アリと言えば冬を越すために食料を貯め込む、という印象がありますね。アリの貯蓄。ヒトも老後に備えて貯蓄するわけですが、この両者の貯蓄には本質的に大きな違いがあります。それは貯め込むものが「財かカネか」の違いです。

アリの蓄えは食料です、現物ですね。いわば消費「財」です。モノとして貯蓄するわけです。これは貯蓄の最も原初的な形態だと思います。必要な食料を溜め込み、それを直接に消費することで生活できます。これらの消費財は溜め込むときにすでに世の中に存在しているものを利用します。いまあるものを、手元に溜め込んでいます。

ヒトの蓄えはもっぱらカネです。これは「財」ではありません。何しろカネを食べたり飲んだりできませんから。あくまでも、食料などの消費財が必要になったその時に、カネとモノを交換することで手に入れるわけです。つまり、財を溜め込んでいるのではありません。では何が溜め込まれているのか?現在、世の中には存在しない、未来において生産されるはずの何かと交換できるという「約束」です。これは人間社会に独特な、不思議な貯蓄です。

アリの貯蓄は現物ですから、確実です。腐敗するので長期保存の難しいものもあるでしょうが、使用価値そのものを保存するので確実に価値が保存されます。そして貯蓄するときに、食料がたくさんあればよりたくさんの貯蓄が出来ます。すなわち、今、たくさん生産することが重要です。

ヒトの貯蓄はカネですから、確実ではありません。もし将来に国の経済が破綻してしていれば、何も貯蓄しなかった場合と同じになります。使用価値ではなく交換の約束を貯めているだけだからです。そして、貯蓄をする際には、世の中により多くの財があっても無意味です。貯蓄するときに世の中の材がどれほど豊富でも貯蓄とは何の関係も無く、得られる財の質と量は将来に生産されるであろう財によって決まります。

アリの貯蓄は現物を蓄えるので、誰かの蓄えが多いからといって他のアリが困ることはありません。財は毎年のように生産されるため、もし消費しなかった財を毎年のように溜め込んでいっても、世の中の財が足りなくなることはありません。

ヒトの貯蓄はカネですから、誰かがたくさん蓄えてしまうと、他の誰かが困ることになります。カネは財のように毎年生産されるわけではなく、世の中のカネの量はある程度決まっています。そのため、誰かがおカネを溜め込んでしまうと、別の誰かに行き渡るおカネがなくなってしまいます。

つまり、貯蓄の意味がまったく違います。

ところで、もし、ヒトがアリのような貯蓄をしたならば、つまりカネではなくモノ、財で貯蓄するようになれば、世の中はずいぶんと違った世界になるでしょうね。でも、その方が本質的には健全かも知れません。少なくとも、世の中をおカネが回らなくなるといった心配はありません。

その場合における貯蓄の有効性は、いま、生産を最大化することで実現されるでしょうね。

2017年6月6日火曜日

ケインズ派ならベーシックインカム推進で決まり

新聞マスコミは経済を「なんとか派」に分類するのが大好きですか、自分はどうもしっくりこない。でもあえて言えば、ベーシックインカム推進はケインズ派そのものです。財政支出で有効需要を創出するのですから。

いわゆる「ケインズ派、リフレ派」なる世間一般の認識は自分の認識とはだいぶ違います。まず、ケインズ派ですが、世間ではケインズ派と言えばひたすら公共事業推進という認識です。これまでがそうだったからでしょう。しかし考えてみれば、ケインズの本質は「財政支出による有効需要の創出」なのであり、それを公共事業に限定する必要があるとは思えません。ベーシックインカムも含まれるはずです。ケインズ派は「政府の財政支出によって有効需要を増やし」、世の中のおカネを回すことが本質だからです。

一方でリフレ派は基本的に金利です。金利操作によって民間の設備投資を誘導しようとする方法論になります。「金利を操作して民間投資・消費による有効需要を増やし」、世の中のおカネを回すことが本質です。リフレ派におけるインフレ予想もあくまで金利(実質金利)のマイナス誘導が目的です。ここにはベーシックインカムの考え方は微塵もありません。

ですから、ベーシックインカムはあくまでもケインズの有効需要に基づく方法論であり、ベーシックインカム推進はケインズ派の考えに極めて近いのです。ケインズ派の皆様は、ぜひベーシックインカムを積極的に推進して欲しいですね。国民におカネを配っても貯蓄されるだけ?いえいえ、それは人々の貯蓄が少ないからです。好きなだけ貯蓄させてやったら、そのうち使うようになりますよ。それで何か問題あるとは思えません。

もちろんベーシックインカムをやったからと言って、公共工事をやめてしまう必要はないわけです。ただし公共工事は景気の変動に合わせて増やしたり減らしたりするのではなく、必要に応じてしっかりベースアップして、その額を長期安定的に継続する必要があります。企業経営においては「長期安定」が設備投資の判断にとって重要だからです。短期変動では困るのです。

ところで、リフレ派に対する世間的な認識もかなりおかしいです。世間的にリフレ派は世の中のおカネを増やすという認識です。しかし日銀が市中銀行から国債を買っても現金(マネタリーベース)が増えるだけで、世の中のおカネ(マネーストック)は1円も増えません。企業や個人が銀行から借金をしなければ世の中のおカネは増えないわけですが、あたかも日銀が世の中のおカネを増やしていると思われているのです。ネット上の日経新聞のイラストがまさにそれでしたね。ハイパーインフレがー。企業がカネを借りないのに、どうやったらハイパーインフレになるのか摩訶不思議です。

こうしたおかしな認識は、新聞マスコミによって世間に広められ、人々の経済に関する判断力を狂わせていると思います。

ところで、「ケインズ派かリフレ派か」の二者択一である必要なんかありません。ケインズ派とリフレ派の「良いとこ取り」が最もいいです。それがヘリコプターマネーです。財政出動で有効需要を増やし、同時に世の中のおカネ(マネーストック)も増加するからインフレ予想も立つ。公共工事もできる。まさにケインズ派とリフレ派の両方にとって満足できる政策ですよね。

2017年6月5日月曜日

「貯蓄は社会に損害を与える」との認識が必要

生産不足(インフレ)の時代から消費不足(デフレ)の時代へと時代は大きく変化しました。それに伴い、これまでの価値観は大きく見直されるべきでしょう。その一つが貯蓄です。「貯蓄は社会に損害を与える」との認識を持つ必要があります。

戦後の生産不足の時代においては、市中銀行の信用創造が加熱すると、たちまち世の中のおカネが増えて消費が増加し、物不足からインフレを引き起こしてきました。ですからインフレを抑えるためには消費を抑える必要があります。

ですからインフレの時代において「貯蓄は美徳」でした。国民がどんどん貯蓄すればおカネが消費に向けられませんから、インフレを低く抑えることができるわけです。その一方、信用創造で作られたおカネは消費よりも投資へと向かい、日本の生産力をいちはやく向上させることができたわけです。

ところが、日本の生産力が次第に大きくなり、さらには自由貿易で途上国からも商品が供給されるようになった今日、供給力が過剰になり、相対的に消費が不足するようになりました。そうなると商品が売れ残り、商品価格が下落するデフレが生じるようになります。それが企業の収益を悪化させ、従業員の解雇、賃金引下げを引き起こします。

デフレの時代において「貯蓄は悪癖」です。国民が貯蓄すればするほど消費が減り、ますますデフレが悪化してしまうからです。そしてどれほど生産性が向上しても、貯め込まれたおカネが死蔵されたままなのですから、おカネが世の中をまわらず、デフレスパイラルへと落ちてゆきます。貯蓄が経済をダメにしてしまうのです。

貯蓄は社会に損害を与える。
「過剰な貯蓄は罪である」との常識が必要です。

時代が変われば常識が変わる。絶対王政の時代は王による統治が常識でしたが、そんな常識は時代の変わった現代では通用しません。同様に、時代が変われば貯蓄に対する人々の常識も大きく変えていかねばなりません。もちろんある程度の貯蓄が社会にとって有益であることは確かです。ベーシックインカムのようなセイフティーネットがない、今日の原始的な社会にあっては、貯蓄は人々の生活をリスクから守る有効な手段です。とはいえ、限度があります。

「貯蓄は社会に損害を与える」のですから、これを政策的に抑制する必要が生じるのは当然でしょう。それが「金融資産課税」あるいは「マイナス金利」です。おカネがおカネを生み出す。おカネを貯め込めば貯め込むほど得をする、そんな都合の良い時代は終わったのです。これからの時代は、おカネを貯め込むことで社会に与える損害を補填してもらう必要があると思うのです。

2017年6月2日金曜日

二つの異なるグローバリズム

グローバリズムは大きく異なる二つの種類がありますが、新聞マスコミはその二つをごちゃ混ぜにしてグローバリズムと呼んでおり、それが大きな誤解を招いています。その二つとは、

①世界規模の課題解決としてのグローバリズム
②拝金主義的な単一市場化のグローバリズム

①世界規模の課題解決のためのグローバリズムに反対する人々がいるとは思えません。人類の活動が世界にわたり、かつ大規模化することにより生じてきた、環境問題、人口爆発などの地球規模の危機への対応。あるいは全人類的な貧困撲滅、疾病の根絶など、今日におけるグローバルな協力関係が重要であることは疑いもありません。こうしたグローバリズムはますます活発化すべきでしょう。世界はグローバルに協調すべきです。

問題は②拝金主義的な単一市場化のグローバリズムです。

世界に広がる民族主義や社会主義的なうねりは、拝金主義的な単一市場化のグローバリズムが生み出す「経済格差、失業者」に原因があります。それは反グローバリズム運動が右派にも左派にもあることからわかります。民族主義的な色合いの濃い右派、例えばフランスの国民戦線やイギリス独立党もあれば、左派ではスペインのポデモス、また中道としてはイタリアの五つ星運動があります。

彼らの共通点は「拝金主義の追放」です。

カネ儲けのために行き過ぎた市場原理主義が容認され、世界を強制的に単一市場化し、それを新聞マスコミがやれグローバル化とはやし立ててきました。その結果、貧富の格差が拡大し、失業者が生まれ、人々が苦しんでいる。政治家もマスコミも御用学者も、上っ面で「チェインジ」などと言いながら、根本的な問題解決を放置してきたのです。

現在のEUで何が起きているのか?金融のグローバル化がもたらした巨大バブルとその崩壊を発端とする緊縮政策。それによって失業者が溢れ、格差が拡大する一方で、グローバル資本とその関係者だけが利益を独占する。この状況に対する人々の怒りが反グローバリズムを押し立てています。

ですから、反グローバリスムの共通にあるのは「拝金主義の追放」であって、自由、平等、博愛を追求するグローバルな取り組みに対しては、何ら反対するものではないのです。

しかし新聞マスコミはこうした論点にはあまり触れようとせず、グローバリズムに批判的な右派政党の民族主義的な側面を捉えて、グローバリズムに反対する人々は「極右や反知性主義の台頭だ」と決め付け、あるいはそうした人々が増えている現状を「ポピュリズムだ」と批判しています。

新聞マスコミの一面的な報道によって、
問題の本質は大きく歪んでゆく。

多くの人々は、民族同士が争う世界や排他的な社会を望んでいるのではなく、極めて単純な動機で動いています。「まともな生活がしたい」。それだけ。にもかかわらず、政府も御用学者もマスコミも、拝金主義に染まり、そうしたごく普通の庶民の夢と希望を打ち砕いてきたのです。

国際分業やテクノロジーの進化の恩恵を多くの人々に分け与えるのでなければ、庶民にとって経済的なグローバリズムは何のメリットもありません。緊縮財政をただちに中止し、ベーシックインカムなど分配政策を推進する必要があります。そんなものはシステムとしては単純なので、政府がその気になればすぐにできます。

それが行われない限り、市場原理主義に基づく、単一市場化のグローバリズムは格差や貧困を生み出すだけであり、絶対に受け入れるわけにはいかないのです

2017年5月22日月曜日

議論より共感戦略が有効な理由

どれほど理論的に整合性がある主張でも、相手の考えを変えることはできません。なぜなら人間は理論を使っている時でさえ、その動機の根底には感情があるからです。真意はその人の発言内容とはむしろ別のところにある。場合によっては、本人が気付いていない、無意識の中にあるからです。

多くの人は理性が感情よりも上位にあり、理性が感情をコントロールすると思い込んでいます。しかし実際には感情が理性の上位にあり、感情が理性をコントロールしています。

感情が理性の上位にあるため、仮に理論的に正しいとしても「納得できない」と感じることが多いのです。そして納得できなければ、理論を駆使して反論しようと試みます。つまり「ああいえばこういう」の水掛け論になります。ところが、理論的にへんな話であっても、感情的に共感すればあっさりと受け入れるでしょう。

もちろん例外はあるでしょうが、基本的な性質として、人間の動機付けは感情が上位にあり、感情が理論をコントロールします。これを理解すれば、なぜ議論より共感戦略が有効であるかがわかると思います。

議論といっても二種類に大別されると思われます。
①論証としての議論
②相手を論破するための議論

①論理的な整合性、実現可能性、機能性などを検証するために、自分の考察だけではなく、他の人の考察を参考にする意味において、議論は有効です。もちろん議論しなくても、他の人の論文を読むとか、自分の考察でも論証は可能ですが、他人との議論を利用することで、新たな気付きを得る(発見)ことができます。基本的に勝敗をつけるものではありませんし、ブレーンストーミングやコーチングの手法にも通じると思います。これには効果的な議論の手法について理解している必要があります。

②議論によって勝敗を付ける、方向性を決める、他の考えを排除する、そうした議論があります。議論で白黒をつける、勝敗をつけることが必要だといって論戦を吹っかけてくる変な人が居ますが、これがそれです。相手の論理展開を行き詰まらせ、黙らせることで相手を排除することに力点が置かれる傾向があるため、論が一方的な押し付けとなり、論証としての参考にならない場合が多いです。また、ほとんどの場合ケンカになり、感情的な対立や遺恨を残します。

さて、ネット等でみられる議論のほとんどは②です。自称①だと言いながら、見ていると最終的には②になります。そのため、議論のほとんどが不毛砂漠の状態になっています。しかし、訓練されていない素人の議論はそうなりがちだと思います。ですから、普通の人が議論で理解を深めたり、相手の考えを変えることはとても難しいと思います。仮に論破したところで自己満足に過ぎず、感情的な対立をあおり、敵を作るだけで終わるリスクもあるでしょう

ですから、一般大衆の意思を変えるには感情に訴えかける「共感」が最も有効です。とはいえ人間は言語(理論構造)を介して理解するため、理論は必要です。ただし、あくまで共感を引き出すための理論だけあれば十分だと思うのです。

民主主義においては、数が勝負ですから、いかに味方を増やすかで勝敗が決まります。ビジネスの世界でも、顧客を論破することは何の得にもなりません。自分達の利益を増やすためには、味方やファンを増やさねばなりません。

ツイッターでも議論はほぼケンカになっています。いちいち他人の異論に腹を立てて批判したり、他人からの批判に応じてケンカするのはバカバカしいので、そんなことはやめて、共感を広める方法を研究すべきではないかと思うのです。

もちろん、新聞マスコミや政治家は徹底的に叩くべきですがw。

2017年5月19日金曜日

日銀にも国民審査制度が必要

司法には最高裁判所裁判官の国民審査という「国民の審判」があります。民主主義なら当然に必要だと思います。しかし国民の主権である通貨発行権を預かる日本銀行は国民の審判を受けません。これは非常に大きな問題だと思います。日銀が主権の外にあることになるからです。

日本銀行のような中央銀行は政府から独立しているのが望ましいとされています。しかし、国民の主権から独立しているなら、それは国民主権の侵害に当たります。国民主権を担保するには、政府から独立している司法と同じように、国民審査が不可欠です。

一般に金融政策は専門性が高く、それゆえ政府からの独立が許されていますが、専門性が高いのは司法とて同じことです。専門性を口実として、国民の意向を無視した権限の乱用を許すわけにはいきません。

「どうせ国民に金融はわからないだろう」では済まされません。金融の専門家、経済学者は何のために居るのか?それこそ様々な意見を専門家、経済学者から集めて新聞マスコミで紹介する必要があります。むしろそのような活動によって、初めて国民の意識が高まり、国民の金融リテラシーが向上することになるでしょう。

それをやらずに日銀に好き勝手にやらせた結果、日銀が暴走し、日本に失われた20年をもたらした、とも考えられます。

日銀の総裁、副総裁、審議委員の国民審査を行うべきです。それぞれの委員がどんな発言をし、政策決定においてどんな意見をあらわしたか。これは毎年、複数の専門家が分析して、評価レポートを書き、国民に新聞マスコミを通じて公表する。それを参考にしながら、たとえば参議院選挙と同時期に国民が国民審査投票を行うような方法です。

実際には、ほとんどの人は無関心か、分からないかもしれません。しかしそれでも、日銀の国民審査があれば、日銀に対する国民の意識を少しでも高める効果はあります。国民経済の最重要インフラである金融や通貨に関する国民の関心、理解を少しでも高める必要があると思うのです。