2012年12月8日土曜日

カネの理論では何も解決しない

最近出てくる経済学者は論拠が一様に「カネの論理」に依存しており、カネの収支を最優先に考えるようです。いわゆる財源論です。この場合、あくまでも主役はカネであり、帳簿が合うかどうかであり、人間の経済活動の基本である「財の生産と市場における交換」を中心にすえた議論を進める学者はとんとお目にかからない。これでは失われた15年と同じ事の繰り返しになる恐れがあります。 

 <収支が合っても人々は幸福にならない>

 彼らの主張は「政府が借金したんだから、それが民意に基づくものであろうとなかろうと、カネを返せよ。国民に依頼されてやった借金じゃないが、そのツケは国民が払えよ。」そういうことです。政府の勝手で借金を作っておいて、そいつを国民に払えというのだから驚きですね。そのツケは、まずは政府=官僚が負担すべきですが、そういう良識はないらしい。公務員改革はどうなったのでしょうか。

 官僚は自分たちの責任を国民に転嫁するため、国債が暴落するぞとか言って恫喝を繰り返す、実に姑息です。しかし、財政収支が合ったところで、別に国民の生活が改善するわけでもなんでもないのです。国民が失政の尻拭いをしているだけにすぎません。つまり幸福になるのは官僚だけなのです。 

 <収支を合わせるなら通貨発行でOK>

 もちろん、現代の社会システム上、収支を無視するわけにもいかないでしょう。収支を合わせるには通貨発行すればよいのです。帳簿の仕組み上、つじつまが合うので問題ありません。収支とは、そもそもそういうものです。増税の必要がないので、これなら国民の生活も圧迫されません。 というわけで、自分は自民党の安倍の金融緩和政策に賛成しています。

金融緩和と言ってもカネを刷って借金を直接返せというのではありません。そうまでしなくとも、経済の名目成長が復活すれば、カネの循環が増えますので、増税しなくとも税収は必然的に増加します。おそらく消費税の税率引き上げは、官僚の主張よりも低く抑える事ができるでしょう。つまり、はっきり次のようにいうべきだと思うのです。 

カネの問題は、収支が合えば解決する。 
収支が合う以上、誰にも文句を言われる筋合いはない、と。

 そもそも経済は収支計算を合わせるためにあるのではありません。
 収支計算は人々を豊かにするための手法として存在します。
 収支の合わせ方にはいろいろやり方があるのです。
 人々を不幸にする収支の合わせ方は間違っています。
 人々を幸福にする収支の合わせ方を選ぶべきです。
 それが「金融緩和」なのです。 

 <物価が低ければ豊かになれるわけではない>

 さて、経済の本質へと回帰する必要があります。
 それこそがカネの問題ではなく、国民生活の問題です。
 収支が合っても、国民生活は豊かにならないからだ。
 重要なことは
「いかに多くの財(商品)を生み出し、市場でそれを円滑に交換するか」。

 通貨とは、貯め込む為にあるのではない。

 通貨を発行するとインフレで生活が破綻するとか極論を騒ぐ連中が現れます。 それは意味不明です。 物価とは、財と通貨の交換レートに過ぎません。 我々の生活は交換レートの高い・低いで決まるのではなく、どれほど豊かに財を生産出来るか、それで決まるのです。

 昔、ソビエトという社会主義の国がありました。社会主義国家は価格を政府がコントロールできるので、物価は安かったはずです。物価が安いから人々の生活は楽だったのか?答えはNOでしょう。商店に行っても「商品がない」という話が頻繁に聞かれました。肉なんか、ぜんぜんなかったうようです。いくら安くても、商品がなければ買えませんね。つまり人々は飢える事になります。 つまり、人々の生活は、物価ではなく、モノが豊かにあるかどうか、で決まるのです。 

 <生産力があればインフレは怖くない>

 「モノがあったって、高くて買えないなら同じじゃないか」という人も居るでしょう。しかし、日本は物価統制が可能なソビエトではありません。市場経済では、高くて買えない商品は値下がりするメカニズムになっています。売れなければ、値下げしないと商売になりません。 そもそも、物価が上昇する原因は、高いカネを払ってでも商品を買うという人が居るからです。庶民におカネがない状態であれば、そもそも「買えない」。つまり、売れ残る。そうなると価格は上がるどころか、むしろ下がるようになります。つまり、庶民がモノを買うにも困るほどの金欠であれば、インフレなど起こらないのです。

 つまり、問題は生産力、供給能力である。

 貧困はインフレで生まれるのではなく、カネ持ちと貧乏人の持っている「カネの量の差」で生まれます。それは所得(おカネ)の再分配で緩和することが可能です。カネが循環すれば人々の所得は確実に増加するし、増加しなければインフレは起こらない。最も恐ろしいのは、デフレで生産力が破壊される事です。それは「真の貧困」を生み出すのです。

<社会保障にはデフレギャップの解消が最優先>

 社会保障も財源とかいう話になるが、これもナンセンスです。そもそも年金生活者を支えているのも、カネではなく、最終的には財(商品やサービスなどの実物)です。年金生活者は、おカネを食べて生きているわけではなく、おカネをモノと交換する事で生活できるのです。財源は「収支」という仕組みであり、その仕組みはカネさえ発行すれば合わせる事が出来ます。しかし、収支が合っても、財の生産力が強化されなければ、やがてモノ不足となり、ソビエトのようになってしまいます。

 その意味で、使われていない生産力が放置されている事態は、絶対に避けねばなりません。それがデフレギャップです。失業者そして休眠中の生産設備です。これが毎年毎年20~30兆円あるというのだから驚きですね。消費税10%の財源がが毎年消えているようなものです。極めて深刻な「無駄」です。

 このデフレギャップの解消のためには「金融緩和」によるデフレ脱却が必要なのですが、そもそも資本主義は「借金するやつが居ないとカネが回らない」経済システムです。だから今の日本は、銀行にジャブジャブカネがあっても借り手が居ないから、景気はまったく良くならない。だからこそ、日銀の国債引受による余剰生産力の活用なのです。金融緩和と同時に行なう事でそれが呼び水となる。 

 <日銀法改正こそ起死回生のチャンス>

 「増税します」のシグナルを市場に送ったところで、せいぜいマイナスがゼロになる程度の話でしょう。しかし、先日、安倍が金融政策を訴えたところ、市場の反応はどうでしたでしょう?すごい反響でした。マイナスがプラス100くらいになる熱気を感じましたね。いままでいかに日銀が怠慢であり、国民を欺いてきたかが白日の下にさらされました。それが真実です。

 日銀こそ国民の敵です。
 日銀の独立性の美名の下に金融政策が日銀に奪われました。
 日銀法改正で、奪われた金融政策を国民の手に取り戻しましょう。