2018年9月21日金曜日

増税論者は供給力の話をスルーする

相変わらず新聞の紙面には「増税せよ」の論客が次々に登場する。しかし、すべての増税論者に共通する点があるようです。それは一様に「供給力には触れない」ということです。

もちろん、すべての増税派の主張を読んだわけではないので、100%とは言い切れませんが、自分の記憶にある限り、消費増税を主張する論の中に、供給力の話が出てきた記憶はありません。なぜ供給力の話が出てこないのか?供給力の話をすると、増税する必要性のないことがバレるからだと思います。

ほとんどの増税記事に出てくるのは「少子高齢化とカネ」の話でしょう。高齢化によって必要となる社会保障費が増大し、少子化つまり労働力人口の減少によって税収が減るという話が出てくるはずです。もちろん、その部分だけを論拠にするならば、増税やむなしとの結論に容易に結びつけることができるでしょう。

しかし、1900年代の社会ならいざ知らず、経済環境は時代と共に変化し続けているのです。とりわけ生産資本の蓄積と、テクノロジーの進化に伴う生産性の劇的な向上が続く現代では、これまでの時代とは比較にならないペースで供給力が増大しているわけです。それが日本においても「デフレ」つまり、供給力の余剰という形で現れています。

以前から何度も申し上げているように、社会保障を実際に支えるものは、おカネではなく「財」=モノやサービスであり、それらを供給する供給力です。ですから、社会保障制度の持続可能性を決めるのは、おカネつまり「財源」ではなく「供給力」なのです。

その供給力が今の日本では余剰だからデフレなのです。つまり、モノは余るほどある。しかも絶えざる生産資本(工場・生産設備)の増加とテクノロジーの進化(生産性の向上)によって、おそらく少子高齢化を上回るペースで供給力を増大させることも、可能なはずです。

もちろん、供給力を増大させるためには「投資」が必要です。つまり、社会保障を持続可能にするためには、増税ではなく、供給力を増大させるための投資が必要であることは明白です。そして、高齢者の生活や介護を支えるために必要十分な財を供給するだけの供給力さえあれば、財源などどうにでもなる話なのです。逆に言えば、いくら増税によって財源を確保したところで、供給力が不足すれば社会保障は破綻するのです。

ところが、増税論者の話には、供給力の話は出てきません。おそらく、社会保障の本質である「供給力」を論じれば、増税の必要がないことが即バレになってしまうからではないかと思います。財源を確保するだけの話なら、増税をまったくせずに、おカネを発行すれば済む話だからです。

もちろん、供給力が十分にあれば、通貨発行に伴うインフレの心配はありません。なぜなら、供給力が需要を裏付けしているからです。通貨発行がインフレを伴うのは、需要に供給力が追いつかない場合のみです。十分な供給力があればインフレは起こりません。

増税論者は供給力に触れたがらない。供給力は無視して、おカネの歳入と歳出の話だけをする。そして歳入が足りないから、増税しなければ社会保障が維持できないと主張する。こうした欺瞞が新聞マスコミで毎日のように繰り返されているのです。