2018年7月31日火曜日

やればいいじゃん、通貨安戦争w

マスコミは「通貨安戦争だ」とか騒いでいるようですが、個人的に通貨安戦争は大歓迎ですね。とはいえ、為替市場に介入しても面白くありません。カネを発行して国民に配る。世界が「国民にカネを配る競争」こそ歓迎です。

通貨安戦争といえば、一昔前は「為替市場へ政府が介入する」ことでした。例えば「日銀砲」なんていわれましたが、円高に対しては政府が為替市場で円を売ってドルを買う。円をバンバン発行してドルを買うことで、円を安く維持(あるいは誘導)できるわけです。

しかし、政府がドルを買い込んで円安が維持されたところで、国民が直接にその恩恵を受けることはありません。輸出産業が円安で売り上げを拡大し、貿易黒字を出し、そのカネが日本経済を循環するカネの量を増やすことによって、間接的に国民の所得が向上するわけです。あくまで、間接的ですし、そもそも、輸出が増えないとダメです。

しかし、政府・日銀が円を発行してそれを国民に配れば、国民は直接にその恩恵を受けることになります。輸出産業の輸出が増えようが増えまいが、基本的には関係ありません。そして、国民の消費が拡大することで日本経済を循環するおカネの量が増え、それが、為替市場に波及して円安を招くかもしれません。そして円安が輸出産業の輸出を拡大するかもしれません。

つまり、一昔前の為替介入による通貨安とは「まるで逆の流れ」が生じるわけです。一昔前は文字通りの「通貨安政策」であり、為替介入による通貨安を目的としたものです。その場合、「通貨を発行して為替に介入する→円安になる→輸出が増えて企業が儲かる→国民に波及する」。つまり企業が儲かることが先です。

一方、カネを刷って配ることは通貨安を目的としません。国民所得の向上を目的とします。その場合、「通貨を発行して国民に配る→おカネの循環量が増える→円安になる→輸出が増えて企業が儲かる」。つまり、まず国民が豊かになることが先です。まるで違うわけです。

ですから正確に言えば、通貨を発行して国民に配る政策は「通貨安戦争」ではありません。しかし常に印象操作を目的とするマスコミは、彼らが反対する政策に対しては、読者に悪いイメージを与える報道をするはずなので、恐らく、「どっちも通貨が安くなるから同じ」という理屈を押し出して「おカネを発行して国民に配るのは通貨安戦争だ」と言い出すでしょうね。だから、それを見越してあえて通貨安戦争だと言っておきましょう。

そういう通貨安戦争なら大いに歓迎です。世界中の国がおカネを発行して国民に配る、そういう競争を行なうわけです。国民にどんどんおカネを配りましょう。

もちろん、自国における財の生産能力、生産資本の程度を無視して無茶苦茶におカネを発行するのは論外と言うか、バカな行為です。そんなことは子供でもわかるでしょう。

ではどれくらいのおカネが発行できるか、それはインフレターゲットで決めることができるでしょう。過去の例(経済成長の時代)から考えれば、年率5%程度のインフレなら国民生活に悪い影響を与えるとは思えません。また同様に、過去の通貨供給量から言えば、毎年5%~10%程度(今なら約45兆円~90兆円)の範囲に通貨供給をコントロールすると考えることもできます。もちろん、インフレのコントロールのためにも、ソブリンマネーを導入したほうが良いでしょうね。

世界中が、5%程度のインフレを指標とする範囲で「カネを発行して国民に配る」という競争をすると、世界同時不況など、即座に消し飛んでしまうと思います。


2018年7月28日土曜日

米国に必要なのは関税ではなくヘリマネ

トランプ米大統領は自国の貿易赤字を問題として、関税の引き上げに踏み切りました。しかし米国民の生活向上と貿易赤字解消には、関税よりもヘリマネによる国民給付が有効でしょう。

なぜ貿易赤字が問題なのか?その理由として「雇用が増えない」「賃金水準が低くなる」ことがあげられるでしょう。つまり、安い輸入品との競争によって米国内における生産活動が妨げられ、米国民の失業が増え、また生産コスト競争によって賃金が下がる。そこで海外から輸入される安い商品に関税を掛けて国内価格を上げ、国内生産を維持し、雇用や賃金の向上をもたらそうと考えるわけでしょう。

しかし、いまここで関税を引き上げる必要はあるのでしょうか?おそらく関税よりも、ドルを発行して国民に給付金をどんどん配る「ヘリコプターマネー」の方が方法としてはスマートでしょう。

ヘリマネを実施すれば、雇用や賃金の引き上げによらずとも、米国民の生活水準を確実に引き上げることができるからです。考えてみれば、ドルの発行に必要は原価は、ほぼ「タダ」です。いわば、紙切れをバンバン発行して(電子的には印刷すら必要ない)、海外の労働者が働いて生産した「財」を、実質的に「タダ」で手に入れることができるわけです。

しかも、米国民の購買力を引き上げるだけではありません。トランプ氏は日本などに対して「通貨安を誘導している」と非難していますが、米国がヘリマネを実施すればドルは安くなるでしょうから、ドル安によって貿易赤字が縮小し、米国の輸出産業がダメージを受けることにも歯止めが掛かるわけです。

そもそも現在、米国のFRBが自国の国内的な事情によって金利を引き上げているのですから、ドル高になるのは当然の流れであって、にもかかわらず日本などを「為替安を誘導している」などと非難するのは筋違いも甚だしいところです。

また関税を利用することで貿易赤字を無理に解消することは、これまでの米国の方針を突然に、しかも急激に変更することであり、あまりに唐突な態度です。世界の他の先進国にとって、そのやり方は受け入れがたいでしょう。もっと時間や協議が必要です。

ヘリコプターマネーによって米国民の国民所得を引き上げ、その結果としてドル安になれば、必然的に輸入の拡大にも歯止めがかかるようになるはずです。その方が、米国民にとっても、世界の他の先進国にとっても、よりプラスになる対応策だと思うのです。

(追伸)

そういえば、大統領選挙では、中・低所得層の減税も公約にしていた記憶があるけど、ヘリマネで減税という方法もある。




2018年7月25日水曜日

「財源がない」はナンセンスな考え

何か新しい政策を提案すれば必ず出てくる「財源は?」の質問。しかし財源がないとの考え方はナンセンスに過ぎないのです。真に必要な政策であれば、財源を問う必要はありません。

財源とは単に「通貨調達の方法論」に過ぎないからです。もし公的な政策を行なうために通貨が必要であれば、それは単に通貨を発行することで調達することに何ら問題はありません。なぜでしょう。

国民の代表である政府には、主権である「通貨発行権」を国民から預かり、行使する権限を有します。ゆえに政府が公的な理由で必要と判断すれば、通貨を発行することは当然の責務であり、義務だからです。もしそれを怠るなら、国民主権を損なう行為と言えましょう。

例えば豪雨災害あるいは震災による被災地の復興および被災者の生活支援のために、公共投資や公的扶養が必要であれば、その政策のために「財源は?」と問う必要はまったくありません。ただちに日本銀行が通貨を発行し、それらの政策を速やかに実行する必要があります。ですから、財源のために増税をする必要はまったく皆無なのです。

もちろん、日本銀行が通貨を発行するには、政府の新規国債(例えば災害復興国債)を直接に引き受ける、あるいは政府が政府通貨を発行して日本銀行に預け入れる等、テクニカルな方法の検討が必要であることは言うまでもありません。そんなものは手続きに過ぎません。重要な点は「通貨を発行すること」です。

こうした、必要な公的政策のために通貨発行を財源に用いること(=ヘリコプターマネー)は、これからますます重要になってくるでしょう。安易に増税すれば景気を悪化させ、経済をデフレ化するだけだからです。テクノロジーの進化(生産性向上)による供給過多の傾向にある現代資本主義先進国では、増税によって財源を確保する必要性は低い状況にあります。

何か新しい政策を提案すれば、マスコミの記者から必ず出てくる「財源は?」の質問。実にナンセンスですね。おカネが無ければ刷りなさい。それは国民の権利(主権)です。

もちろん100兆円も200兆円もいちどに発行して良いなどという極論ではありません。現在のマネーストック900兆円のおよそ2%を供給する程度で、18兆円もの通貨が確保できるわけです。

そして通貨発行による高インフレの心配もありません。過去には毎年5%以上のおカネが供給されてきたのに、今では3%程度しか供給されていません。ですから、18兆円程度(2%)を発行したところで、逆立ちしても高インフレなどにはならないのです。

2018年7月12日木曜日

財政再建に通貨収縮以外の意味はない

財政再建には特段の意味でもあるかのようにマスコミでは報じられますが、財政再建によって生じる現象を客観的に観察するなら、財政再建に通貨収縮以外の意味はありません。

世俗的・通念的に言えば、財政再建は何やら道徳的な意味合い、借りたカネを返すとか借金財政からの脱却といった意味が付与されるようです。しかしマクロ経済的すなわち科学的に言えば、財政再建によって生じる現象は、世の中の通貨量(マネーストック)あるいは通貨供給(マネーサプライ)の縮小です。それ以外のことは直接に生じません。つまり、マクロ的に言えば、そうしたマスコミが騒ぐような世俗的・通念的な特段の意味は意味を持ちません。

そのようなマクロ経済の観点からニュースの見出しを見直せば、つまり、「財政再建を通貨収縮と読み替える」なら、例えば「財政再建の必要性」とは「通貨収縮(通貨供給の抑制)の必要性」と言っていることになります。「財政再建目標の達成」とは「通貨収縮(通貨供給の抑制)目標の達成」を意味します。そう理解すれば、途端に、マスコミの見出しから受ける印象が変わってきます。「何かへんだな」と感じるはずです。

マクロ経済的に考えると、マスコミの言うほど財政再建に特段のすばらしい意味が無いことは誰にでもすぐに理解できます。なにしろ財政再建とは「世の中のおカネを減らせ、おかねを増やすな」と言っているだけのことなのです。それだけのことです。財政再建という、世の中のおカネを減らす政策にどれほどの意味があるのか?

もちろん、仮に現在の経済がインフレ年率10%を超えるような状態にあるのなら、財政再建は世の中のおカネを減らすことでインフレを抑制する点において意味がある政策と言えるしょう。すなわちインフレ時における財政再建は効果的と言えます。しかし現状はどうでしょう?デフレ状態にあります。つまり「使われるおカネが足りない状態」にあるわけです。こんなデフレのときに財政再建によって世の中のおカネを減らすど、まったくのナンセンスに過ぎないのです。これはマクロ経済的つまり科学的に言えば当たりまえのことです。

財政再建の意味を世俗的・通念的な道徳心によって理解することは誤解と弊害にしかなりません。科学的に言えば、財政再建は通貨収縮政策にすぎません。「財政再建を通貨収縮と読み替える」ことで、世俗的なマスコミ報道のミクロ脳思考を超えて、経済を科学的・客観的に理解する必要があると思うのです。

もし財政再建を科学的・客観的な立場からではなく、世俗的・通念的な道徳観などに基づいて「借金は返すべき」などと主張するなら、まさに非科学的な、それこそ中世の「天動説」を信じているようなものです。その弊害は説明するまでもないでしょう。

残念ながら、新聞マスコミは世俗的・通念的な常識にどっぷり浸かっているままであり、科学性や客観性は欠落したままですが。