2012年3月4日日曜日

混迷の経済論を読み解く鍵は?

久々に書店へ行ってみました。混乱する政治経済情勢を反映して経済関係の書籍は百家争鳴の様相です。財政破綻とハイパーインフレ論一色だった以前の品揃えに比べれば喜ばしい事かもしれません。しかし正反対のことを正しいと主張する書籍が隣同士に山積みされていて、多くの読者にとっておそらく何が正しいのかわからない。勢いテレビ・タレント経済評論家の言う「わかりやすいフレーズ」に流されてしまう危険性すらある。では何をもって混迷する経済を読み解いていけばよいのか。経済活動の本質の中に必ず答えはあるはずです。

生産と分配を原点とした発想が無い

経済活動の根本は、人々が労働して財(商品やサービス)を生み出し、それを市場で互いに交換することにあります。より多くの価値ある財を産み出し互いに交換することで人々は豊かになります。ですから、経済の書物は根本にその原点を持っていなければならないはずです。ところが財政再建だの、税と社会保障の改革だの、およそカネの収支の話ばかりが先行し、カネの収支さえ合えばすべてが丸く収まるかのような話です。

実際のところ最貧国であっても財政の収支を合わせることはできます。しかし財政の収支が合ったからと言って最貧国を脱する事が出来るわけではありません。財政再建は帳簿の問題に過ぎないのです。国家にとって最も重要なのは財政を健全化することではなく、いかに多くの財を生産し人々に分配するか、すなわち国民の幸福実現のためなのです。そのためであれば、財政は赤字でも問題などありません。帳簿上の赤字を消す方法ならいくらでもあるからです。たとえば通貨を膨張させて名目GDPを増やせば税収は増加する。日銀が国債を引き受ける方法もあり、政府通貨もある。それをルール違反というなら、帳簿の数字に縛られて国民に不幸をもたらす事がルール違反ではないというのでしょうか?

社会保障問題にしても、増える高齢者を支えるには生産能力を高めてゆくしか解決の方法は無いのですが、どういうわけか税の徴収の話に摩り替っています。税をいくら徴収しても、高齢者の需要を支えるための生産力が無ければ社会保障は成り立たないのですが、そのような生産と分配の視点から問題を解決する話はありません。働きたい高齢者に働いていただくなどと言うが、そんなことをすれば若者の失業を助長する事になり、若者の貧困化による人口減少がさらに加速する。人口減少は生産性の向上でカバーできます。国民の豊かさは総額としてのGDPで決まるのではなく、国民一人当たりのGDP、つまり生産年齢人口一人当たりがどれだけの財(商品やサービス)を産み出すかで決まる。だから日本のGDPが減少しても、国民一人当たりのGDPが増えるなら、むしろより豊かになるのです。従って、増税ではなく、生産性の向上を目指すことが問題解決になるのです。

およそカネの収支から経済問題の解決を図ろうとするアプローチは迷宮入りします。経済の本質は生産と分配であり、そこから離れて問題の解決法を検討する事はナンセンスです。カネの収支では問題は解決しません。なぜなら、簡単に言えばカネは刷れば増えるし、バブルで膨らませる事もできますが、カネが増えたからといって生産される財が増えるわけではないからです。デフレギャップを解消し、日本の持てる生産能力をフルに活用し、生産される財をいかに増やすかが財政再建や社会保障問題の根本的な解決方法なのです。

構造改革は生産性を高めるか

生産性を高める方法として構造改革が取り上げられます。確かに規制緩和などで競争を高めれば企業単体の生産性は高まるでしょう。ただし、それは個々の企業の収益性の向上すなわち株主利益となるだけで、日本経済全体の生産性を高めて豊かな社会を実現する事には繋がっていません。むしろ競争激化によるリストラ、賃下げ、非正規雇用労働者の増加により、日本全体としての支払い賃金を引き下げることになります。これによる可処分所得の減少が需要をますます低迷させ、デフレ悪化の元凶とすらなるのです。

では構造改革は無意味なのか?そうではありません。日本全体としての可処分所得を増加させる事が同時に行われるなら、需要は維持され、新しい産業も生まれます。非効率的な産業を効率化することで生じる余剰労働力を新規の産業に吸収することで、不幸な人々を大量に生み出すことなく本当の意味での産業構造改革が成し遂げられるのです。小泉改革の失敗は規制緩和と同時に行われるべき国民の可処分所得の増加政策を怠ったことにあります。金融政策を日銀にまかせ、規制緩和だけで構造改革をしようとした事が大きな過ちだったのです。日銀は何もしない。空軍の支援なき陸軍はどれほど優秀でもボロ負け必至、それと同じです。日本全体の可処分所得を増加させるには、通貨を膨張させ、名目GDPを増加させることで可能です。もっと強力に行うなら、国債の日銀引受を財源とする公共事業で市場へ直接に通貨を供給すること、あるいはヘリコプターマネーすら有効でしょう。

ところが書店に並ぶ構造改革本には、このような視点が完全に欠落していました。財政政策と並ぶ政府の最も重要な政策である「金融政策」に触れていない。これでは小泉改革の二の舞です。エセ構造改革論は単にデフレを悪化させ、株主利益を増やすためだけの愚策に終わるのです。

生産と分配は通貨の量に依存する

配給経済ではなく市場経済であれば、財(商品やサービス)の交換は市場において通貨を介して行われます。そのため、市場において交換される財の総量は社会に流通する通貨が多いほど活発に行われます。そして交換される財の総量が多いほど生産活動は活発になり、生産性が高まり景気が良くなります。これが「貨幣数量理論」です。

バブルでなぜ景気が良くなるのか?これは貨幣数量理論で簡単に説明されます。バブルでは信用創造と呼ばれる方法で民間銀行が大量の預金マネーを作り出し、企業や個人にどんどん貸し付けます。この貸し付けにより生じた大量の預金通貨が社会に流通すると、このマネーに引っ張られて生産活動が活発化し、より多くの財が産み出されて分配され、人々が豊かになるのです。ところがバブルが弾けてカネを借りない、貸さない状態になると、世の中のおカネが急速に消えてなくなります。信用収縮とよばれる通貨の消失現象です。企業からも人々からもおカネが無くなり、あっという間に市場における取引が減少して生産活動が低下、人々に行き渡る財の量も減少して国民は貧しくなります。

バブル経済をすこし観察すればわかる事ですが、このようにカネが増えれば景気が良くなり、カネが減ると景気が悪くなる。非常にわかりやすいのです。

通貨を増やすとハイパーインフレになるか

通貨を発行するとおカネの価値が下がってインフレになる~そう思い込まされている人々にとって、ハイパーインフレが実際に起こり得る錯覚に囚われるでしょう。しかしそれは経済の原則を忘れているために誤解をしているに過ぎません。物価は必ず市場取引を通じて形成されます。通貨を発行したら翌朝におカネの価値が下がっているわけではありません。おカネを手にした人や企業は、それを使って財(商品やサービス)を購入します。そして財がどんどん売れ、売れすぎて在庫が不足するようになると財が値上がりするのです。そして財の価格が値上がりすることが、すなわちおカネの価値が下がることなのです。今の人々は無欲になり、消費しなくなったといいます。もし本当にそうなら、いくらおカネを増やしてもモノは売れませんから、インフレには決してならないでしょう。しかし実際にはおカネが無いだけで、ほとんどの人はモノを欲しがっているはずです。だからおカネを増やして人々に供給すれば、必ずモノが売れるようになり、デフレを脱却し、景気が回復してインフレになるでしょう。

では、景気が回復するとハイパーインフレになるか?なりません。日本はジンバブエのような生産力の無い国ではありません。世界第3位のGDPつまり生産力があるのです。しかもデフレつまり生産力が過剰なのです。そんな生産能力絶大の日本でハイパーインフレを起こすには、いったいどれほど莫大な量のモノを市場で買わねばならないでしょうか。そもそもそんなに大量のモノを買っても、保管できるんでしょうか?あるいは新品を買い、買っては捨て、捨てては買うのでしょうか?ハイパーインフレになるほど買うモノがあるの?無欲の時代とか言ってるのに。

インフレを止めるのは簡単です。消費税を増税すれば良いのです。極端な話を言えば消費税100%とかにすると、たちまち消費が冷え込んでインフレどころかデフレになるでしょう。

経済論を読み解く鍵は「カネ」ではなく「モノ」

経済論を読み解く鍵は「カネ」ではなく「モノ」にあります。カネで考えると必ず迷宮入りしてしまいます。カネは数字に過ぎません。実態は何も無いのです。経済を考える時、私たちの生活を支えている財(商品やサービス)を常に意識する事が大切です。すべての正解は「より多くの財を生産し、人々に分配すること」という経済の原則の中にあります。