2018年6月18日月曜日

未来型ベーシックインカムのコンセプト

様々なタイプのベーシックインカムが主張されるなかで、未来型ベーシックインカムがそれらとどのように違うかを簡単にまとめました。

未来型ベーシックインカムのコンセプト
2018.6.18

未来型ベーシックインカムは、人工知能やロボットが普及する未来のベーシックインカムを目指しているのです。それはみんなが働かなくても十分に豊かな生活を送るだけの所得が分配される社会なのです。もちろん明日から直ぐにそうなるわけじゃないけど、今日からそれを目指して前進するのです。

<未来型ベーシックインカムの達成目標>

・保証されるのは最低限の生活保障ではなく、すべての人の豊かな生活の保障
・テクノロジーを担う人には相応の高い報酬
・全人類の幸福と環境に配慮した持続可能な経済成長

<段階的な導入の概念>

未来型ベーシックインカムの物質的な財源の根拠はテクノロジーによる生産性の向上にあります。それらは今でも徐々に進行しつつあり、ゆえに、ベーシックインカムも徐々に導入されて不思議はありません。また徐々に導入することで、働かなくなるなど多くの懸念に対処できます。

①生活補助段階(実質月額1~5万円程度)
主たる財源は通貨発行で一部は税財源としますが、増税はまったく必要ない段階。いわゆるヘリコプターマネーによってデフレを脱却して景気回復すると税収も増大しますので、増税は考えない。この段階では社会保障はそのまま維持しなければなりません(但し、支給額の調整は必要)。

②最低生活保障段階(実質月額8~12万円程度)
財源は通貨発行、社会保障費の付け替え、税収を考えます。国民の所得向上による景気過熱(高インフレ)を抑える目的もかねて徐々に増税を計画します。この段階では社会保障は必要に応じて維持しなければなりません(但し、支給額の調整は必要)。

③ゆとり生活保障段階(実質月額15~20万円程度以上)
年金や生活保護と同レベル以上の支給が可能になるので、それらの社会保障と統合されるでしょう。なお健康保険は趣旨が異なるため(保険と保障は違う)、永久に統合はあり得ません。保険料の無料化の方向へ進むでしょう。

目標達成期間 例えばレベル②までに10年間。

<通貨財源の基本的な考え>

通貨的な財源としては、通貨を発行して投入し、それを回収して再投入することによる通貨循環システムを導入する。未来における通貨循環予想(図)から考えて、基本的に企業サイドで回収する方式とする。ただしインフレなどの状況に応じて家計の通貨回収も検討する。



<課題>

景気が良くなりすぎるため、景気を冷やす必要が生じてくる。そのため増税が検討される。景気が良すぎて増税するのだから、やむを得ない部分があるが、国民の理解を得ることはできるか。

<未来型ベーシックインカムとは対極にある悪いベーシックインカムの例>

・搾取型ベーシックインカム
・貧困型ベーシックインカム
・緊縮型ベーシックインカム
→悪いベーシックインカム には十分な注意が必要です。

本編サイトに同時掲載

2018年6月17日日曜日

悪いベーシックインカムについて

ベーシックインカムにも様々なタイプがあるため、なかには私たちの生活をかえって貧しくしたり、格差を広げるようなタイプがあると思われます。そうしたリスクに注意する必要があるでしょう。

(じいちゃん)
今日は悪いベーシックインカムについて考えてみよう。

(ねこ)
ふにゃ、ベーシックインカムに良いとか悪いとかあるのかにゃ。ベーシックインカムはすべて良いものじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
ベーシックインカムと言えども、何でもかんでも良いわけではないのじゃ。前回も説明したように、ベーシックインカムは様々な立場の人が主張しておる。目的も様々じゃ。じゃから、なかには人々の生活を貧しくしたり、あるいは格差を広げるような「悪いベーシックインカム」が混在しているリスクがある。そのような点に十分に注意して、悪いベーシックインカムが社会に導入されないようにしなければならんのじゃ。

さて、ワシが考えるには、悪いベーシックインカムには3つのタイプがあると思うのじゃよ。

①搾取型ベーシックインカム

ベーシックインカムの定義に「最低限の生活保障」がある。このため、ベーシックインカムによる支給金額をあくまでも「最低限の生活」に制限し、それ以上に増やす必要はないとする規定を制度化する恐れもある。しかし考えれば直ぐわかることじゃが、テクノロジーが進化すれば社会全体の生産能力が向上するのだから、ベーシックインカムによる支給額を最低額に留め置く必要はないはずじゃ。それをあえて最低限に制限すればどうなるか。

テクノロジーが進化するほど人手が不要になるのじゃから、多くの人には仕事がなくなる。そうした多くの人の生活は最低限に留め置かれることになる。仕事に従事してもっと生活を向上させたいと思っても、機械が進化した社会では仕事そのものがないから難しい。一方で生産力が向上してより豊富で高品質な商品やサービスを生産できるが、それらは一部の労働者や生産資本を所有している富裕層だけで独占するようになる。その結果、最低所得に留め置かれた多くの人々と、富裕層労働者や資本家という、二極化した格差社会が生まれるリスクもある。

搾取型ベーシックインカムの主張は、社会の支配層やその代弁者である政治家や企業から出てくる可能性があると思う。彼らの目的は庶民の生活向上より企業利益、株主利益を優先するものになると思われるからじゃ。例えば彼らのベーシックインカムの導入目的は人工知能やロボットによる生産性の向上をスムーズに進めるためかも知れない。もしベーシックインカムなしに機械化を進めれば失業者が増加して社会問題となり、余剰人員の削減に世間の非難が集中するじゃろう。じゃから、不必要になった社員を簡単に解雇することを目的としてベーシックインカムを提案してくる可能性もある。これは搾取型のベーシックインカムになると思うのじゃ。

これらを主張する人の中には、社会保障そのものを削減することを目的とする人もおり、健康保険までベーシックインカムに含めてしまおうと考える人々が居るかも知れないが、これは非常に危険なベーシックインカムになるじゃろう。そもそもベーシックインカムは生活「保障」なのであって、疾病のリスクに対応するための「保険」とは根本的に異なる概念じゃ。ベーシックインカムと健康保険がリンクすることは、あってはならないのじゃよ。

②貧困型ベーシックインカム

この考え方の根底には「日本はもう経済成長しない」という前提があるのじゃ。日本は少子高齢化によって坂を下るように経済が縮小することが避けられない。どうせ貧しくなるのだから「平等に貧しくなろう」という考え方じゃ。しかし考えれば直ぐわかることじゃが、テクノロジーが進化すれば人間ではなく機械が財(モノやサービス)を生産するようになるのじゃから、少子高齢化であっても経済成長が可能であることは明白じゃ。仮に人口が減って総生産量がまったく増えなくとも、人口が減少するのだから1人当たりに分配される財の量は増加する。

しかし、なぜか日本が経済成長することを強く否定し、むしろ国民が貧しくなることを喜ぶような雰囲気さえ感じられる。そこには「豊かさ=悪」「貧しさ=善」のような思想、清貧思想のようなものを強く感じてしまうのじゃよ。まあそう信じるのは人それぞれに勝手じゃが、それが政策内容に影響すると本当に日本全てが貧しい社会になる恐れもある。

例えば通貨供給。経済が成長するためには通貨供給が欠かせない。今日の長期的なデフレ不況も通貨の供給が不足していることに原因があると考えられている。じゃから人工知能やロボットが進化し、社会に普及するに伴って通貨をどんどん供給しなければならないのじゃ。ところが「日本は成長しないのだから、通貨供給はインフレを高めるだけだ」として意図的に通貨供給を絞るリスクがある。

通貨が不足するとデフレ不況に突入するため経済は衰退を始める。当然ながら失業者が増加するが、ベーシックインカムによって失業者の最低生活は保障されているので、社会的大問題にはならないじゃろう。しかしデフレ不況を放置することで日本経済は継続的に縮小を続け、総生産量が減少するためにベーシックインカムの支給額も減り続けることになる。つまり「国民全体が徐々に貧困化する」。最終的に日本経済はデフレで破綻するが「少子高齢化社会だから仕方がない」と言って、済まされてしまう恐れがあると思うのじゃよ。

③緊縮型ベーシックインカム

財政再建や緊縮主義が優先するベーシックインカムのことじゃな。財政再建や緊縮財政を行なうと景気が悪化することはこれまでの経験から明らかじゃ。景気が悪化すると失業が増大して貧困や格差の問題が拡大する。そのことが財政再建や緊縮財政の歯止めになっていると言える。ベーシックインカムを導入すれば、こうした貧困や格差の問題が解決できるため、財政再建や緊縮財政を進めやすくなるじゃろう。しかもベーシックインカムを導入するという大義名分で堂々と消費税を増税することもできる。

財務省やその族議員からこうした考えが出てこないとも限らないと思うのじゃ。この場合、政府は「消費税の増税分はすべてベーシックインカムの財源に使用します」と言いつつ、実際には税収の一部が財政再建のために流用されることになる。そうなると税として集められたおカネの全てが再分配されるわけではないので、徐々に世の中を循環するおカネの量が減り続けてデフレ不況になり、経済成長も阻害されてしまう。しかし財務省に忖度する新聞マスコミが「国の借金を返済するのだから、国民が貧しくなるのは当たり前だ、痛みを伴う改革を受け入れろ」と主張して済まされてしまう恐れがある。

しかし考えれば直ぐわかることじゃが、テクノロジーの進化によって供給力が増大するのだから、本来であれば国民が貧しくなるはずがない。つまりこれは、財政再建や緊縮財政の考え方が根本的に間違っていることを示唆しておるのじゃよ。結論から言えば、カネを発行して財政再建すれば良いだけじゃ。」

(ねこ)
ふにゃ~、悪いベーシックインカムが導入されたら困るのです。

(じいちゃん)
重要なことは「テクノロジーが進化して生産力が増加すれば、国民は必ず以前よりも豊かになるはずだ」という点を忘れないことじゃ。もしテクノロジーが進化しても人々がさっぱり豊かにならない、あるいは逆に貧しくなるようであれば、そのベーシックインカムの方法は根本的に間違っていることは間違いない。

もちろんこれは、今後も順調に人工知能やロボットのようなテクノロジーが進化し、ロボットや自動生産工場の建設等に投資が十分に行われることが前提じゃ。そのためには研究開発や設備投資がとても重要になる。政府の財源が不足しているという理由で研究や投資が十分に行われなければ、悪いベーシックインカムでなかったとしても、人々はあまり豊かになれないかも知れないので注意が必要じゃろう。

(ねこ)
悪いベーシックインカムが導入されたら、もうおしまいなのかにゃ。取り返しが付かないのかにゃ。

(じいちゃん)
そんなことはないぞ。国民運動として支給額の増額を政府に厳しく要求すれば、悪いベーシックインカムを潰すことができる。重要な点は「テクノロジーが進化して生産力が増加すれば、国民は必ず以前よりも豊かになる」じゃ。政府やマスコミの話に納得して、最低限の所得保障に甘んじる必要はないのじゃよ。

本編サイト同時掲載

2018年6月16日土曜日

立場で異なるベーシックインカムの考え

ベーシックインカムは様々な立場の人が主張されており、その立場によって主たる目的が異なる場合があります。そのため同じベーシックインカムでも主張内容に違いがあり、また目指そうとしている社会も違ったものになるかも知れません。

(じいちゃん)
ベーシックインカムと一口に言っても、様々な人の主張内容を聞くと違いが大きいことに気付くはずじゃ。
なぜそうした違いがあるかと言えば、様々な立場の人がそれぞれの目的でベーシックインカムを主張しておるからじゃ。じゃからベーシックインカムは多種多様だといっても過言ではないじゃろう。「すべての国民に基本的な生活を営むためのおカネを無条件に支給する」という点では同じじゃが、それ以外は異なるのじゃ。

(ねこ)
ふ~ん、ややこしいんだにゃ。ただベーシックインカムに賛成あるいは反対という単純な話じゃなくて、どんな内容のベーシックインカムが望ましいかを考える必要があるんだにゃ。

(じいちゃん)
左様じゃ。ではどのような立場でベーシックインカムを主張しているか、ワシなりに分類して考えてみた。

①社会福祉・貧困救済

福祉の向上や貧困救済活動の立場から主張する人々じゃよ。大雑把に言えば左派系じゃな。これは1960年代から1970年代にかけて世界の幾つかの国々で社会運動として行なわれていた。アメリカでは公民権運動で有名なキング牧師もベーシックインカム提唱者だったのじゃ。彼の主張したベーシックインカムは最低限の生活保障ではなく社会の中間の水準の保証であり、また経済成長に比例して所得が増え続けるものだった。こうした運動は黒人、貧しい母子家庭、主婦の間で広がり、イギリスやフランスでも行なわれたという。彼らの目的は貧困の解消であり、女性の所得向上であり、生存権の保障だったわけじゃ。市民運動に近い位置にあるともいえるじゃろう。

②小さな政府・生産性向上

政府による経済や社会への関与を極力減らそうとする立場、いわゆる小さい政府の立場から主張する人々じゃ。現在の社会保障制度には無駄が多いとされる。例えば給付型の社会保障を考えると、年金、失業給付、生活保護、児童手当など多数あってそれぞれが別々に管理運用されておる。これでは管理のために多くのコストが割かれて、国民に再分配される金額が減ってしまう。また生活保護は補足率が非常に低く、本来は保護を受けられる人が受けられなかったり、不正受給の問題も生じる。そこでそれらをベーシックインカムの形に一本化することで行政コストを削減しつつ支給額も増やそうとする考え方じゃ。小さい政府を主張する人々は新自由主義者であるとも言われる。新自由主義を主張する人々は現在の資本主義経済の信奉者でもあって、市場原理を重視し、企業の立場にも近い。

③エンジニア・未来科学者・AI起業家

人工知能やロボットの急速な進化に伴って最近増えてきた立場じゃ。人工知能やロボットが進化すれば人間の労働の価値が低下あるいは不要になってくる。賃金が低下して失業も増大する(技術的失業問題)。こうした事態に対処するためには、労働とは無関係に人々に所得を分配するベーシックインカムが必要不可欠になるとの考えじゃ。これは人工知能の研究者あるいは最先端の起業家、例えばテスラを率いるイーロン・マスク氏、FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグ氏も主張しておる。また理想的な未来社会では自動生産工場やロボットによって生活に必要な生産活動のほとんどが行なわれるようになるはずじゃから、そうした社会に向けてベーシックインカムの制度を徐々に整える必要があるとも考えられる。

④自由主義

人間の自由な活動を大切にする人々じゃ。とはいえ自由主義は説明が難しい。これはいわゆる新自由主義とは異なる。新自由主義は経済活動を中心とした経済学の考え方じゃが、自由主義の考えは人間の行動を束縛するあらゆる物事を極力排除して、人間本来の自由な活動を取り戻したいとする考えじゃ。例えば、今の世の中は自由主義だというが、実際には資本の活動が自由なだけであって、人間の活動が自由だとは必ずしも言えないのじゃ。昔の時代であれば土地や海(生産手段)はすべての人の共有財産じゃった。そうした時代であれば生まれた人間はまさに自分の自由な活動で生活することもできた。しかし現代の生産手段はすべてに所有権があり、資本を持たずに生まれてきた大部分の人々は賃金労働者として生活するしか生存する方法はない(事実上の強制性)。これが「長時間労働」「過労死」のような人々の自由を大きく損なう事態を引き起こしているとも言える。こうした状況を脱するためにベーシックインカムは大変有効だと考えられるのじゃよ。

(ねこ)
なるほどにゃ、ベーシックインカムを主張する立場はいろいろあるんだにゃ。おまけにそれぞれの立場が重複したり、重複のウエイトが異なるから、ベーシックインカムには実に多くのバリエーションが考えられるんだにゃ。

(じいちゃん)
そうじゃな。ベーシックインカムはある意味で「同床異夢」であるとも言える。例えば同じようにベーシックインカムを主張する立場でも、社会福祉・貧困対策を主張する立場は大きい政府だし、市場経済には批判的じゃ。同様にベーシックインカムを主張する小さい政府や新自由主義の立場はどちらかと言えばその反対に位置する。じゃからベーシックインカムが実際に導入される段になれば、誰が主導権を得るか、何を制度に盛り込むかによって激しい対立が生じることがあるかも知れない。

こうした中で、ワシらは「どんなベーシックインカムが良いのか」を自ら考えて選択する必要があるじゃろう。ベーシックインカムのあるべき姿は、マスコミや、まして政治家の話によって決めるべきものではない。支給金額、導入方法、社会保障等との関係などは、「国民が当事者意識を持って決める」ものだと思うのじゃよ。

本編サイト同時掲載

ベーシックインカムに関する特集ページを作りました

本編のサイトに、ベーシックインカムに関する特集ページを作りました。

当サイトの記事を集めたリンクのほか、ベーシックインカムの簡単な歴史、関連情報へのリンク集、最近運用を開始したツイッター「未来型ベーシックインカムBOT」に登録されているツイートを掲載しております。

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/beshikkuinkamu/tokushu_bi

2018年6月12日火曜日

未来型ベーシックインカム・ツイートBOT

ツイッターに「未来型ベーシックインカムBOT」を立ち上げました。ベーシックインカムを推進するツイートを発信すると同時に、未来型と称して、他のベーシックインカムとの違いも打ち出します。

自動でツイートするほか、時々ベーシックインカムのワードで検索し、関連の深そうなツイートをリツイートします(反対意見はリツイートしません)。2018年6月12日現在の登録ツイート数は168あり、5日間で最初に戻ります。ご興味があればアクセスしてください。

https://twitter.com/himaneko100_100

2018年6月11日月曜日

経済をおカネのやり繰りで考えるな

現在は貨幣経済の制度であるため、経済活動において大きく扱われるのはおカネです。そのため、おカネにばかり意識が集中して、経済の本質を忘れてる人が多すぎます。経済の原点は生産と消費です。

これはどんな経済学派でも、その根幹に生産と消費があるはずです。ただし、計画経済とは違って市場経済の場合は供給力を直接に操作するのではなく、おカネを使って(=投資)、より適切な供給力を構築すること、そして消費のための分配の仕組みを構築する必要があります。

ただし、方法が間接的なので、様々な方法論が考えられるわけで、そこで「俺の方が正しい」と喧嘩になるわけです。どの理論が正しいか、それは最終的には結果でしか判断できないかも知れません。

しかし、本質はいかに供給能力(生産力)を高めるか、そして、それによって生産された財をいかに消費(分配)に結びつけるか、これが核心です。大切なのは「モノやサービス」です。

老後のためにいくらおカネを貯めても、それだけで老後の生活が保障されるわけではありません。老後の生活を支えるための供給力をいかに維持拡大するかが重要です。デフレを放置して供給力が低下してしまえば、いくらおカネを貯めても、まったく意味がありません。

もちろん、前世紀のように投資が活発な時代であれば、貯蓄はどんどん投資に向けられますから、貯蓄=供給力の強化になりました。しかし時代とともに経済環境は変化し、今や貯蓄過剰・投資不足です。貯蓄するだけでは、投資は行われません。いつまでも古い時代の常識は通用しません。

こうしたことは、おカネから少し離れて客観的に考えるなら、誰でもわかることでしょう。しかし新聞テレビに出てくる話は「供給力」ではなく、ことごとく「おカネ」なのです。そのため、本質を見通す思考力がすっかり落ちてしまいます。

「借金ガー」というのもカネの話です。財政再建して、それで供給力はどうなるのか?あるいは消費はどうなるのか?そのような視点がまったくありません。あるのはカネの帳尻を合わせることだけ。しかし冷静に考えるなら、財政が破綻するより、供給力が破綻するほうが遥かに深刻な問題です。なぜなら、最悪でも財政の破綻はカネを刷れば解決できますが、供給力の破綻を解決する事は極めて難しいからです。

世界大恐慌は財政破綻が原因じゃありません。デフレです。

世の中のおカネを回し、デフレを解消して供給力を拡大しなければ、財政黒字は達成しても、いずれすべての国民が貧困化してしまうでしょう。


2018年6月10日日曜日

日銀の出口戦略は暴落のシグナル

マスコミはしきりに日銀に出口戦略を求めているが、暢気なモノですね。日銀が出口戦略に踏み切れば、それが株価暴落、デフレ逆噴射のシグナルとなるでしょう。

かつて、日銀が金融引き締めを行なうと、そのほとんど直後にバブルが崩壊し、日本の景気はそのたびに叩きのめされてきた歴史があります。

その始めはおなじみ1991年の日本のバブル崩壊です。その前年の1990年に日銀は大幅な金融引き締めを実施し、その後もさらに引き締めたため、日本経済は完膚なきまで叩きのめされました。

その次は2001年のITバブル崩壊です。その前年の2000年に日銀は金融引き締めを行い、翌年2001年にバブルが崩壊しました。

その次は2007年のサブプライムローン・バブルの崩壊です。その前年の2006年に日銀は金融引き締めを実施し、その翌年にバブルが崩壊しました。このときは日銀がバブル崩壊後も引き締めを継続したため、日本はデフレが悪化してブラック企業が台頭、円が暴騰して産業空洞化もすすみました。

このような歴史を見ると、次のような予測ができます。

①マスコミに押されて日銀が時期尚早の出口戦略を始める。
②同じタイミングで世界のどこかでバブルが崩壊。
③日本がデフレ不況に逆噴射する
④日銀やマスコミがおかしな言い訳を始める。

日銀に対する世間の非難が高まると、俄然としてマスコミが「日銀の独立性は絶対善」と言い出すでしょう。目に見えるような気がします。

しかし冗談ではなく、実際にその危険性はあると思います。なぜなら2019年に消費税が増税され、2020年には東京オリンピックが終了するからです。これは日本にとって間違いなく大きなデフレ圧力になると思われます。ですから、この先しばらくは間違っても出口戦略など実行できないはずなのですが、そこはあの「逆噴射日銀」ですからね、何をするかわかりません。

日銀の出口戦略は暴落のシグナルですから、要注意です。


2018年6月1日金曜日

竹中氏はなぜ嫌われるのか?

例の竹中氏がテレビで高プロに関する発言をし、ネット界隈では非難の声があがっています。なぜ竹中氏が嫌われるのか、それなりの理由があるでしょう。

竹中氏の考え方そのものは奇抜なものではありません。例えば「派遣労働」に関しては、雇用の流動化の考え方があり、これは現在の経済学から言って大間違いの話ではありません。しかし考え方に間違いがなければ、それでどんどん推進すれば良いかと言えば、まったくそうではありません。

様々な政策は、その政策を行なうタイミング、優先順位や同時に行なわれる政策との相互作用が極めて重要になってきます。つまり、個々の政策が一般論として正しい場合でも、その運用を間違えるならかえって社会に害悪を与えることもある、そうした点を考慮することがとても大切です。

こうした考慮を欠き、一般論として正しいからといって強引に推し進め、自らがその改革の結果として利益を得るようなポストに収まっていることが、竹中氏の嫌われる原因であると思います。

では、どうすればよかったのでしょうか?

竹中氏は優先順位として「デフレ脱却」を最優先に推し進めるべきだったのです。もちろん当時は金融緩和も推し進められましたが、デフレ脱却を実現するには至らず、日本の景気はまだ十分に回復していない状況でした。そのため労働者は好むと好まざるとに関わらず、派遣業を利用して仕事を探すしか方法がなく、派遣業者にいいように利用されることになったのです。そして派遣業は大儲けしました。

もし、デフレから完全に脱却し、インフレの状態になり、人手不足によって賃金がどんどん上昇する、労働者にとって売り手市場である経済局面になれば話は別です。こうなれば労働者が派遣業に頼る必要はなく、正社員の雇用も増えます。それでも派遣社員を選択する労働者が居たとしてもそれは個人の自由でしょう。

ですから、もしデフレ脱却を強力に推進してそれを達成し、日本が好景気になってから派遣を解禁したなら、問題はそれほど拡大しなかったと思われます。ただし、その場合は派遣業が儲かるとは限りません。もし、派遣業を儲けさせるために、デフレであるにも関わらず、先行して派遣を解禁したのだとすれば、これは悪質ですが、真相は誰にもわかりません。

一つだけ言える事は、政策の優先順位が間違っていたのであり、高プロのような「脱時間給」にしても同様の傾向が見られます(まだデフレ脱却は不十分、セイフティーネットも不十分)。その点において竹中氏は非難されるに値するし、またそれゆえに嫌われて当然だと思うのです。