2016年4月6日水曜日

右派でも左派でも中道でもないスタンス

右派も左派も、いずれも教条的でイデオロギーに先導されています。中道は右派でも左派でもないですが、単に中途半端でどっちつかずなだけです。

なので、どの主張も話を聞く前から結論がわかっています。ほとんど聞くに値しない話ばかりだ。つまり右派と左派の両極にある自民党の主張と共産党の主張は、聞く前からおよそ内容がわかるわけです。いちばんわけのわからないのは民進党ですが、聞いても訳が分からないので聞く必要を感じません。

いささか乱暴ですが、率直な印象です。

こんな不確かな時代では、明確なビジョンを持ち、短期的な政策と長期的な政策をきちんと使い分け、国内国外の状況に応じて右でも左でも使い分ける適応性に優れた政党が必要ですが、残念ながらそういう政党は日本にはありません。世界にも無いかも知れません。

なぜでしょうか。よく分りませんが、政党という存在が、ある特定の利益集団の代表であるからではないでしょうか。だから、その利益集団の「利益」に従って動くわけです。ですから教条的になります。もし、本当に国民全体としての公益を優先するなら、その方法論は状況によって常に変化するはずであり、柔軟性の高いものでなければならないはずです。

右派、左派という分類は、それぞれが教条的であるから可能なのであって、柔軟性が高ければ右派、左派の定義は常に変化するため、分類そのものが成立しません。

自分は右派でも左派でもない、まして中道でもないスタンスなので、新聞マスコミの右派左派報道を聞けば聞くほど、教条的で頭の固い連中の話ばかりで辟易します。ステレオタイプばかりです。もっと柔軟で適応性の高い政治家やマスコミが生まれない限り、日本や世界の政治は絶望的な気がします。