2016年4月4日月曜日

成長戦略という妄想

成長戦略ほど効果のない政策は見たことがない。失われた20年の間にも、耳にタコができるほど成長戦略を聞かされてきたが、実現したのは非正規雇用者の爆発的増加とブラック企業の台頭だけだ。実に馬鹿げている。

金融政策が行き詰まり、内需の低迷が景気に悪影響を及ぼしている現在、これは世界大恐慌の後のデフレとよく似た状況だ。その当時、ケインズ経済学が登場し、アメリカではニューディール政策、ドイツでもアウトバーン整備など大規模な財政支出によってデフレ不況から脱却している。つまり、必要なのは有効需要だ。

ところが、相変わらず「成長戦略」を連呼するおかしな学者がいる。もちろん成長戦略が不必要だとは思わない。しかし、どんな政策でも「時と場所」を間違えると意味がない。お題目のように、いつでもどこでも成長戦略を唱えてばかりでは、無意味どころか、逆効果ですらある。

驚くべきことだが、「生産性の向上で国民の所得が向上する」と盲目的に信じている学者がいる。あきれるばかりだ。生産性の向上で国民所得が向上するには、ある条件が必要だ。その条件を満たさなければ、逆に国民所得が減少するリスクもある。

仮に生産能力が向上したとしよう。すると生産量が増加する。もし増加した生産物がすべて売れるのであれば、生産性は向上する。しかし、売れる量が同じであれば、どれほど生産能力が向上しても、生産性は向上しない。その理由は、

生産性=(売れた商品の)付加価値÷従業員数

だからだ。売れなければ付加価値は生まれない。もし付加価値が生まれないままに、生産性が上昇するならば、式より、従業員数が減少すると導かれる。つまり、解雇である。生産性が向上すればたしかに一人の従業員に注目してみると(ミクロ)賃金は上がるかもしれない。しかし同時に多くの従業員が解雇されるため、社会全体でみると(マクロ)、賃金の総額は増加しない。

ただし、条件にかかわらず生産性の向上によって必ず増加するものがある。それは企業の利益であり、資本家への配当金である。

盲目的な成長戦略は、そこに狙いがある。