2016年8月1日月曜日

ヘリマネ反対論者のご都合主義

ヘリコプターマネー(ヘリマネ)の反対論が新聞マスコミにあふれている。そこで必ず繰り返される主張がある。それは「一度ヘリマネを行うと、止められなくなる」というものだ。

ヘリマネをやるとなれば、立法化は当然に必要だし、その際にインフレターゲットを明記すれば、法治国家である以上、インフレターゲットの達成以後にそれを無視してヘリマネを続けることができないのは当然だ。

ところがヘリマネ反対論者に言わせると、ヘリマネを一度でもやれば止められなくなるという。つまり、まったく政府を信用していない。ヘリマネとは、政府が通貨を供給することに他ならない。政府が通貨供給を行えば、必ず通貨供給が暴走するという話だ。

ところが、こうした政府を信用しない論者は、なぜか民間銀行が通貨を供給することには絶大な信用を寄せているようだ。民間銀行が通貨を供給する行為は信用創造と呼ばれ、これは民間銀行の貸し出しを意味する。民間銀行の通貨供給である信用創造は、政府の通貨供給に比べてそれほど絶大に信頼のおけるものか?

ところが歴史から言えば、民間銀行の通貨供給ほど信用できないものはない。なぜか?1929年の世界大恐慌を引き起こしたのは、民間銀行の通貨供給の暴走である。戦後の日本の株・不動産バブルも、アメリカのサブプライムローン・バブルも、そして爆発寸前に拡大した中国の巨大なバブルも、すべて、民間の通貨供給の暴走である。それが何を引き起こすのか?

ヘリマネ反対論者は、なぜか、こうした民間銀行の通貨供給を無条件に絶大に信用し、その一方でわずかな政府の通貨供給すらヒステリックなほどに否定する。

いい加減に、詭弁は聞き飽きたと言いたい。