2016年8月22日月曜日

ベーシックインカムを支える公共投資

人工知能と自動生産工場が進歩した未来社会では、労働者が居なくても自動的に財がどんどん生産されてきます。その時、もしすべての人工知能や自動生産工場が、私的(個人あるいは企業)に所有されているのであれば、自動生産工場が生産した財はすべてその所有者のものになります。それが今までの社会常識だからです。

しかし、自動的に財がどんどん生産される一方で、工場には労働者が誰もいませんから、労働者に賃金が支払われることはありません。すなわち自動生産が進むと全員が失業します。すべての労働者が失業すると誰も何の財も買うことができません。かくして、自動生産工場から溢れるばかりに豊かな財が生産される一方、誰もそれを買うことができません。むなしく在庫の山ができるだけです。

未来の経済においても財の分配を市場経済を通じて行うのであれば、通貨循環のシステムを構築しなければなりません。ですから、生産手段の所有者は、無償で給料を人々に支給しなければなりません。そうしなければ誰も何も買うことができず、生産した財は一つも売れないからです。さて、生産手段の所有者にとってこの行為は利潤獲得としての意味を成すでしょうか?おそらく無意味でしょう。つまり、この時点で、生産手段の私的所有が意味を成さなくなります。

ですから究極的に言えば、多くの場合、生産手段への投資は何の利潤も生み出さなくなり、投資は行われなくなります。投資だけでなく、こうした自動生産工場などの巨大なシステムの維持管理すら、利潤にとっては無意味になります。

そこで重要性を増すのが「公共投資」です。公共投資によって、人工知能や自動生産機械を作り出せば、その所有者は公共です。こうした公的な生産手段が自動生産する大量の財は誰のものでしょうか?誰のものでもありません。ですから、大量の財が平等にすべての人に配分されるでしょう。

これはある意味で新たなインフラ投資といえます。社会資本への投資(道路や電気ガス水道と同様)と考えられます。従来のインフラの考えが拡大するのです。こうした生産インフラの生み出す財(物あるいはサービス、利便性、安全性など)は、すべての人に分配されるのです。

もちろん、市場経済を通じて財を分配するのであれば、分配にはおカネが利用されます。政府から消費者に無償で一定の所得が分配され、人々が財を市場で自由に購入すれば、そのおカネは政府へ戻ります。そして政府から再び無償で人々へ支給されるでしょう。それがベーシックインカムです。もちろん最低所得ではありません。循環可能な資源量に応じた最大限度の所得です。

なお、商品の多様性や生産効率、商品開発を維持するため、企業間の競争原理をシステムに採用する必要はありますし、そうした複数の供給ラインを維持するために、人間の知恵や判断力が求められるかも知れません。そうした貴重な仕事に対しては成果主義や能力主義によって非常に高い報酬が支払われるべきでしょう。そして彼らは高い報酬によって希少な資源を手に入れることができるでしょう。それが仕事のインセンティブとなります。

もちろんこれは未来社会の話であって、すぐにそんなことは起きません。しかし、現在が過去と未来の中間点であることを考慮するなら、そうした必要性が徐々に生じていると認識するのは自然だと思います。