2015年1月20日火曜日

「社会保障=国民の負担増」 新聞の岩盤常識

とある新聞を読んでいたら、また出ました「社会保障制度を維持するためには、どの政党であっても国民に負担を求める必要がある」だと。頭にきました。どんだけ増税したいのかね。というか、頭が思考停止なんでしょうね。

確かに、既存の価値観そのままに「きわめて常識的に考えれば」そうでしょう。だがそんな考えは小学生でもできる。イノベーションとは既存の常識を超えたところにある。なぜ科学や技術の世界にイノベーションがあって、経済や社会にイノベーションが無いのか?それはマスコミが古臭い常識を死守しようと必死になっているからだと思います。岩盤常識です。すぐに「それは禁じ手だー」というやつです。頭が天動説。そういや、量的緩和も禁じ手だったような・・・・。

そもそも「記者クラブ」「オフレコ取材」で喜々として「官僚にコントロール」されている連中にイノベーションなど期待する方が間違ってると思いますが。

経済の本質はカネではなくてモノ、つまり「財」です。財の生産と分配のためにカネがあるのであり、カネはシステムの構成要素一部に過ぎません。財源論は、そのシステムの一部である「カネ」に意味を持たせすぎている気がします。本当に価値があるのは「財」であり、カネは「システム上の価値がある」に過ぎない。

財の円滑な生産と分配のためにカネが必要なのであり、そのためにカネをどう流すか」を設計する、それが財源の話だと思います。カネは電子情報に過ぎない。それが証拠に、日銀が「量的緩和」で天文学的なカネを瞬時に作り出しています。

では、なぜ社会保障のためにカネを作り出してはいけないのか?無からカネを作っている事に変わりはない。あるのは、どこを起点としてカネを回し始めるかの違いと、それが「誰にとって有利なのか」の違いがあるだけではないでしょうか。それとも、禁じ手だから封印するのでしょうか?

重要なのはシステムです。肝心なのは、システムが機能するかどうかであって、「増税ありき」でもなければ「福祉削減ありき」でもない。そもそもシステムを有効に機能させるためなら「禁じ手」などという岩盤常識には意味が無いと思います。柔軟に発想しなければシステムは麻痺するばかりです。

既存の岩盤常識を押し付けるだけの記事には、非常に腹が立ちます。社会のシステムにイノベーションを起こす必要があります。