2015年11月19日木曜日

攻めの農業に意味はあるか

攻めの農業というワンフレーズがマスコミで踊っているが、果たして攻めの農業には意味があるのでしょうか。もちろん最終的には農家の方が決めることですから、部外者がいろいろ言っても始まらないのですが。

攻めの農業のアウトライン的な資料をネットで引っ掻けて見る限り、農産物の輸出に相当の力点が置かれているように思われます。単純に言えば、日本の農産物は国内では高く売れないので、海外で高く売れという話です。市場原理から言えばまったく正解ですが、それが日本の農業のあるべき姿なのでしょうか。日本の農家が作った農産物を外国の富裕層が食べる。そのかわり日本の大衆は外国から安い農産物を輸入して食べる。それに違和感を覚えるか、覚えないか、価値観の違いがあるかも知れません。

農産物のブランド化、高付加価値化は以前から推進されていますが、これは農業がいくらがんばっても、市場がデフレ不況だと売り上げは伸び悩むことになります。現代社会はますます富の再分配機能が低下して格差が拡大しており、中間所得層の減少によって高付加価値商品の市場は縮小傾向です。富裕層の市場は「量」が小さいため、自動車などと違って農産物のように「量」で売る必要のある商品には不利でしょう。所得の構造的な問題が解決しないと、この攻めの農業はあまり通じないかも知れません。

攻めの農業の考えのベースはあくまでも現在の市場システムに適応することを前提としており、農産物の商品化を徹底的に推進する姿勢です。そして工業製品と同じように、商品としての採算性が取れなければ倒産・廃業は当然とする立場です。

こうして日本の農産物が徹底的に商品化されるなかで、世界の人口は今も爆発的に増加し続けており、将来的に世界の食料資源が枯渇する恐れがあることを忘れてはならないと思うのです。その時になって「日本の農業政策は正しかった」と言えるのか?それを心配しています。