2015年5月26日火曜日

やっぱ嫌韓本くらい書かないとダメか

どういうわけか韓国政府が反日活動を強化すればするほど、日本経済は調子が良くなるようだ。とりわけ「嫌韓ビジネス」とも言うべき、嫌韓本、嫌韓動画が絶好調らしい。テレビも嫌韓だ。「嫌韓はカネになる」わけだ。これはいよいよ、自分も嫌韓本くらい書かないと時代に乗り遅れるのだー。おまけにおカネがないし。

というのは半分冗談だか、最新の著作を執筆する際に銀行の信用創造をいろいろ考えて頭が疲れてしまったので、ちょっと横道に逸れて嫌韓本を書くもの面白そうな気がする。

もちろん嫌韓本を書くにしても、韓国政府の主張に対する反論、あるいは韓国人の失策の上げ足を取るような内容は、ネットにいくらでも氾濫しているので二番煎じに過ぎないし、ヘイトスピーチでは品格が疑われてしまう。ここは自分の興味分野である心理学、精神分析的な視点から韓国人の精神構造における「反日教育」の弊害について検討してみたい。

もちろん、精神分析的アプローチとはいえ自分は専門家ではないので学問的な価値のある本など書けない。だが、素人レベルとはいえ、あまりそのような切り口の韓国分析はネット記事でも見られないので、マイナーな意見として希少性はあるかも知れません。

反日教育が、実は日本よりもむしろ韓国の人々を不幸にしているのが実情だと思います。反日教育で韓国人の精神構造が歪んでしまうからです。その副作用が韓国社会をダメにします。なんて主張すると、日韓関係はすでに「理性」を度外視した感情論の応酬にまでレベルが下がっていますから、私の指摘を冷静に受け止める韓国人は誰も居ないでしょう。おそらく、彼らの目には単なる「韓国人に対する攻撃」としか映らない事は明白です。

しかし、歴史はやがて韓国の反日教育が、どれほど韓国の人々に損害を与えてきたか、証明する日が来るでしょう。ですから、一日も早く韓国の人々がそれに気が付き、「囚われない素直な心」で世界を見る事が出来る日が来ることを願うばかりです。