2015年5月28日木曜日

日韓友好の方法論

昨日の続き。では日韓関係がこのような冷え切った関係で良いのかといえば、そんなことはあり得ません。単に仲良くした方が良いという理由だけではなく、隣国との友好関係は経済的にも国防的にも相互に大きなメリットをもたらすはずだからです。

しかし、現在の韓国の状態では日韓友好はあり得ません。韓国における反日感情があまりにも強く、韓国のあらゆる政治的行動が反日活動と化しているような有様だからです。むかし政冷経熱という言葉がありました。それは政治関係においては冷え切った関係でも、民間や経済では交流が盛んな状態を意味します。しかし一時的にそれが可能だったとしても、決して長続きはしません。両国の政治的な対立は、メディアの報道を通じて両国民の感情にも影響するからです。

一時的に「韓流」がブームとなった日本において、その後、急速に「嫌韓、反韓」に転じたのは明らかにそのような背景があるはずです。すなわち李明博大統領の竹島上陸と、天皇陛下侮辱発言、そしてその後の慰安婦問題のような政治的対立がメディアで報道されることにより、「韓流」は跡形も無く消え去ったわけです。

ところが「過激な反日感情の原因は日本にある」と韓国は主張します。これでは永久に問題は解決しないでしょう。反日教育を止めない限り、この先1000年間も同じであることは容易に想像できます。前回指摘したように、韓国の人は反日教育により精神的にかなり大きな傷を負わされており、このことが韓国人の精神構造に大きなゆがみをもたらしています。まず、このような認識、いわゆる「病識」が重要です。つまり自分が病的な状況にある事を認識することが治療の第一歩となります。ところが、これが一番難しいわけです。

ところで、反日教育をやめるとは、歴史教育をやめる事ではありません。不必要なことまで教え込む、刷りこむ必要はないということです。歴史的事実を教える必要はありますが、一般の人が知る必要のない悲惨な事実まで教える必要などありません。一般の人が歴史的事実を正確に知らなくとも、経済活動や日常生活には何ら支障はないからです。誤解を恐れずに言うなら「都合の良い事だけ知っていればよい」のです。そうすれば、韓国の人はいたずらに被害者意識に悩まされる事なく、自信を持って強く生きる事が可能になります。

そもそも世界中の国が自国の歴史として教える内容は、およそ都合の良いことで構成されているはずです。人類の歴史とは決して美しいものではなく、その大部分は殺し合いや侵略、搾取の歴史です。そんな真実を「これでもか」と教えれば、子供はショックを受けるでしょう。そうした事実を無視するわけではありませんが、それは最後に「こういう悲しい事もある」として、少し触れれば良い事です。つまり「教育方法に工夫が必要」です。事実だからと言って、何でもかんでも教えるのが教育ではありません。教育は健全な人格形成が必要です。

科学は解釈の余地が少ない学問ですが、歴史は解釈のウエイトが高い、というか、ほとんど解釈の世界です。歴史的事実は確かに存在しますが、その解釈にこそ大きな意味があります。ですから、日韓併合という歴史的な事実を「どのように解釈するか」によって、人々の見方が180度変わります。日韓併合を屈辱の歴史と見るのか、近代化における過渡的な統治時代と受け流すかで、まったく違った感情を生み出すでしょう。

ですから、韓国においては、むしろ「被害者としての時代」と解釈するのではなく「近代化のための過渡期」として肯定的に解釈すべきです(例えば台湾のように)。実際にそう言えるだけの事実もあるわけです。そのような解釈によって、韓国の人はむしろ精神的に楽になれるはずなのです。なぜか?それまで、悲惨な目に遭わされていた、打ちひしがれていたという意識が、そうではなかったわけです。誤解だったわけです。つまり、被害者として悩む必要は無くなるのです。それは健全なことです。

どうして被害者になりたがるのでしょうか。
事実は被害者ではないのです。

しかし、このような意見が韓国人に受け入れられるとは思えません。恐らく「自分たちは100%正しくて、日本人が100%間違いだ」と考えているでしょうから。取りつく島もないわけです。