2011年12月24日土曜日

財政危機という壮大な茶番劇

財政危機は壮大な茶番劇です。なぜなら財政危機の本質は日本のバブル崩壊の後始末を国民に押し付けるための空騒ぎだからです。

バブルの産み出すカネつまり負債は、短期間に、しかもレバレッジなどにより実体経済の何倍ものスケールで一気に膨れ上がる。ところが、この負債を返済するために、実体経済は何年も重い十字架を背負わされる事となる。そして多くの場合、その十字架(税金)を背負うのはバブルの当事者ではなく、無関係な多くの一般国民なのです。マスコミも政治家も決して触れない話です。

バブルのツケを国民が払う仕組み

その仕組みはこうです。まずバブルの始まりから見ていきましょう。はじめに銀行が借金を企業に貸し付けます。企業はそれを投資に利用します。銀行は金利を求めてどんどん貸し付けます。それが過熱すると投資は投機へと変化し、やがて経済成長に必要な通貨膨張量をはるかに超えて預金が膨張しバブルが形成されます。それでも銀行は貸し付けを止めません。この時、銀行からの借金もどんどん膨張しています。つまりバブルとは借金がバブルになる現象に他なりません。やがてバブル崩壊。膨れに膨れた大量の負債を抱えた企業はおカネに余裕がありません。利潤のほとんどを銀行への借金返済に回すようになり、世の中のおカネはどんどん銀行へ回収されます。賃金は減り、投資も急速に冷え込んで深刻な不況を引き起こします(バランスシート不況)。また返済が不能になって倒産が続出、回収不能な不良債権が大量に発生。銀行の財務も悪化して貸し渋りが横行し、ますます企業の倒産を助長する事になる。

銀行が勝手に暴走したにもかかわらず、政府が後始末の面倒をみる羽目になります。政府が大量の国債を発行して銀行に公的資金を投入して支えます。さらに国債を発行して公共投資として市中へおカネを流し企業を支えます。景気を支えるという大義名分の裏で、実はこの時、企業の負債が政府へと移動しているのです。企業は公共投資によって下支えされた経済活動で利潤を得て、銀行からの負債の返済を進めます。すると企業の負債は減少します。一方で大量の国債を発行したために、巨額な負債がバブルのツケとして政府に残される事になるのです。つまり企業から政府へ負債が移動しています。そしてこの政府の負債を増税という手段で一般国民に負担させることで、一連の流れは完了するのです。

バブルの際に生まれた銀行への負債は、最初は企業が担い、次に国に移動し、最終的に国民が支払う。そして今、民主党、野田増税内閣の手でバブルの最終負担を国民へ押し付けるための増税が強力に推し進められています。野田増税内閣は国民に十字架を背負わす事に不退転の決意を示した。まさしく壮大な茶番劇だ。どこが「生活が第一」だ?笑わせるな民主党!

さて、誰が得をした?

そもそも預金と現金はまったく違う。預金は銀行の帳簿上で貸付の反対側に生まれるカネなのだから、貸付の回収が不能になれば消えるはずのカネなのです。ところがそんな事をすると大騒ぎになる。預金は保護されると多くの人が信じ込んでいるためです。ところが預金は現金と同じように見えて実はまったく違う。本来、預金は単なる貸し付けの証書のようなものなのです。回収不能なら証書は消える。それを消さないとどうなるか?銀行は預金ばかり膨大に膨らみ、預金金利の返済で押しつぶされる事になります。そのため、ゼロ金利政策が必要となります。ゼロ金利で預金者に金利を払わない事で銀行は守られます。同時に預金も守られるのです。バブル崩壊で経済が大混乱になっても、銀行とその預金者=金持ちだけは保護され、ツケは国民が払うのです。

ところがこの異常な仕組みを批判し、その仕組みを変えようとする識者は極めて少ない。むしろ「このままでは財政が破綻して国が崩壊する」と煽り立て、国民に十字架を背負わそうと必死な連中ばかりがマスコミをにぎわせている。テレビに登場する、したり顔の解説者はこれだ。

バブルとは負債が拡大する現象です。しかし冷静に考えてみると経済成長も負債が拡大する現象という意味ではバブルと大差ありません。なぜなら経済を巡る通貨はすべて銀行からの借金で出来ているからです。経済が成長するということはそこに流通するおカネが増えることであり、おカネが増えるということは負債が拡大するということだからです。ところが日本人の多くは銀行制度とは如何なるものかを知らない。マスコミも識者も決して深く突っ込まない。だからこんな話をしてもほとんどの人はチンプンカンプンなのです。その結果、国民は無知な家畜として日本銀行に好き放題にされているのです。許しがたい現象です。

銀行制度の基本とは何か?おカネが社会に供給される仕組みを見てみましょう。まず日本銀行が現金(紙幣ではなく帳簿上の現金)を発行する。日銀の発行する現金は、日銀当座預金を通じてすべて市中銀行に入ります。そして市中銀行から実体経済に流れ出す時はすべて「貸付」として供給されます。ですから世の中のおカネはすべて借金として供給されるのです。そして銀行の帳簿上では、銀行資産である貸付の反対側にある負債が預金と呼ばれます。これが一般におカネと呼ばれる預金の正体です。世の中のカネはすべて負債であり、経済は銀行からの借金がなければ成り立つことが出来ない仕組みになっている。貸付がなければ世の中からカネ(預金)がすべて消え去るからだ。そうなると市場経済は成り立たない。実に馬鹿げたシステムではないでしょうか?

ところが驚くべき事に、これが唯一絶対の経済の枠組みであると皆が信じているように見える。マスコミも識者も絶対に疑問を挟まない。政治家は野田増税内閣のように、より積極的にこの仕組みを強化する。不思議なものだ。

借金に依存した経済からの脱却

話がそれたが、バブルとは別に特異的な現象ではなく、そもそも銀行の信用創造(預金制度)に由来する現象の延長線上にあるのです。信用膨張がなければバブルはそもそも起こらない。たとえば預金準備率を極端に引き上げておけばバブルなど絶対に起こらない。そうするとノンバンクのように貸出金利がべらぼうに高くなって経済が立ち行かなくなると懸念する向きもあるでしょう。しかし、そもそも銀行の貸し出しが得られなければ成り立たない経済とは正常なシステムなのか?現在の不況は銀行の貸し出しがうまく働かず、実体経済に流れるおカネの量が減少する事で発生している。つまり、貸し出しに依存した経済モデルだからこそ破綻しかかっているのだ。そもそもおカネの供給を銀行の借金に依存する必然性などありません。カネは経済活動に不可欠な道具であり、その道具は銀行の利益のためにあるのではなく、公共のためにあるべきなのです。

つまり、銀行からの借金に依存した経済モデルから脱却し、カネではなく、経済の本質である「生産と分配」を核とした、実体経済中心の新しい経済モデルを構築する必然性があるのです。カネは健全な経済のための道具であらねばなりません。銀行制度のような、金利を稼ぐための道具であっては決してならないのです。もちろんその経済モデルとは共産主義などというゾンビを蘇らす事ではなく、地球環境に適応した持続可能な新しい経済モデルのことなのです。

世の中の識者は「そんなことを実現するのは夢物語だ」と笑うでしょう。しかし、金融資本主義は金利を求めて何度となくバブルとバブル崩壊を繰り返して多くの人々を不幸にしてきました。それは今やグローバリゼーションにより世界規模に拡大し、このままでは世界経済はバブルとバブル崩壊を延々と繰り返し、バブルによる無理な経済成長によりやがて地球は破壊されてしまうでしょう。そして遠くない将来、地球の資源は枯渇し、人類は少ない資源を巡って殺し合い、悲惨な末路へと転落してゆくのです。

銀行制度こそ、世界不況と環境破壊の元凶なのです。