2017年8月4日金曜日

残業代ゼロとロボットによる生産性

残業代をゼロにして生産性を高める必要があるとの主張があります。しかし生産性を向上する上で人間の生産性など取るに足りません。実際に生産性を支えているのは機械だからです。

(じいちゃん)
残業代をゼロにすると生産性が高まると騒いでおる。しかし仕事の効率を高めるなら、残業をゼロにするより機械を導入するほうが遥かに効率的じゃ。じゃからそんなに生産性で騒ぐなら、設備投資を増やすことを最優先に考えるべきじゃな。仕事の効率化など、その効果は知れておるのじゃよ。

(ねこ)
ふにゃ、仕事の効率化なんか知れているのかにゃ。

(じいちゃん)
機械による効率化と仕事の効率化を数値で比較するのは難しいが、そんなことしなくとも、よく考えてみると理解できるはずじゃ。例えば、もし人間が機械に頼らない生産活動を行ったとしたらどうなるか。発電所も工場も停止し、自動車も農耕機械も使わない。すると生産量は10%以下、いや数パーセントにも満たないと思う。こうなるといくら「仕事の効率がー」と言ったところで知れておる。

つまり、生産の効率化のほとんどすべては、機械によって成し遂げられておると考えるのが自然なんじゃ。人間の生産効率性(=能力)は機械のように何十倍、何百倍にも伸びるものではない。せいぜい機械の進歩にあわせて、それに適合するよう労働の内容を変化させるだけなんじゃよ。じゃから「仕事の効率」に血眼になって取り組んでも生産性はあまり増えない。

生産性を向上するための最も効果的な方法は「機械化」なんじゃ。設備投資を増やして生産用の機械を導入し、従業員にそれを操作させることで、生産効率は飛躍的に向上するんじゃ。

(ねこ)
じゃあ、なんで企業は設備投資をせず、新聞マスコミが仕事の効率化にうるさいのかにゃ。

(じいちゃん)
それは単に企業が残業代を払いたくないからじゃろ。「賃金を下げるための、それらしい理由が欲しい」のじゃよ。それはデフレ不況が影響しておる。生産効率を高めるには機械を導入するのが最も有効じゃが、仮に生産効率を上げてより多くの商品を生産したところで、今日のようなデフレ不況では売れ残り在庫の山ができるだけじゃ。そうなると逆に生産性が低下してしまう。じゃから企業は設備投資よりも人件費のカットによる生産性の向上を目指すんじゃ。

(ねこ)
にゃにゃー!不況はろくでもないにゃ。早くおカネを国民に配って、不況を終わらせるべきだにゃ。

(じいちゃん)
まったくその通りじゃな。国民におカネが潤沢にあれば購買力が高まるから、企業が設備投資して機械を導入し、生産量を増やしても売れ残る心配は少なくなる。そういう環境を作り出せば、企業の設備投資によって「企業の生産性」も「社会の生産性」も同時に向上するじゃろう。

また、機械化による生産性の向上は、雇用の流動化と同時に行われることで、より効果が高まるんじゃ。機械が導入されると人手が必ず余るようになる。こうして余剰になった労働者が、新たな機械を使って新たなモノやサービスを生産するようになれば、より多くの種類のモノやサービスが社会に供給されるようになる。

(ねこ)
なるほどにゃ~、国民におカネを支給することと、機械化と雇用の流動化が同時に必要なんだにゃ。

(じいちゃん)
そうなんじゃよ、じゃから必ずしも雇用を守れば良い訳ではない。ただし雇用の流動化は必ず失業を伴うから、失業者を社会的に不利な状態に置けば、みんな失業を恐れて雇用の流動化は低下してしまうじゃろう。むしろ失業あるいは転職を推奨するくらいでちょうど良いのじゃ。政府が「転職推奨金」を出しても良いくらいじゃ。もちろん同時に機械化が行われなけれなければ、雇用だけ流動化してもあまり効果がない。

これまではそれでよかった。ところが最近は「人工知能やロボットが仕事を奪う」という問題が出てきた。これまでは「機械を導入して従業員に操作させる」ことで生産性を高めてきたが、人工知能を備えたロボットの登場で「機械が自動で働くので操作する従業員がいらない」という事態になってきた。こうなると雇用が流動化するのではなく、単に「雇用の切捨て」が行われるようになるんじゃ。なぜ切り捨てるかと言えば、ムダな賃金をカットして生産性を向上するためじゃ。

ムダな賃金をカットする考え方は、残業代ゼロと同じ原理じゃ。しかしムダな賃金をカットするという考えじゃと、人工知能やロボットが普及するにつれて、残業代ゼロはおろか人々の賃金も限りなくゼロに近づくことになるんじゃ。本当にそんなことすれば、失業者がどんどん増加して、国民の総購買力もどんどん低下し、おカネが回らなくなって経済はデフレ縮小の果てに破綻するじゃろう。

人工知能やロボットが普及すると、残業どころか、何ら仕事をしない人にも賃金を支払わなければ、やがて経済が成り立たなくなるのじゃ。すなわち残業代ゼロのような考え方、つまり従業員の数や支払い賃金を減らすことで生産性を高める考え方は、もはや時代遅れなんじゃよ。

(ねこ)
じゃあどうやって生産性を高めるのかにゃ。

(じいちゃん)
労働時間ではなく、生産された付加価値に応じた所得を支給すれば良いのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ、それじゃあ、脱時間給とか成果主義と同じじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
いやいや、脱時間給は「労働時間と関係なく、企業において生産された付加価値=成果に応じて給与を支給する」考えじゃ。これからは「労働時間と関係なく、社会において生産された付加価値に応じて所得を支給する」んじゃ。労働時間ではなく、生産された付加価値に応じて所得が分配される。これが本当の「脱時間給」じゃよ。もちろん国民に均等に所得を分配するのではなく、生産活動への貢献度が高い人により多くの所得が得られる仕組みは必要じゃ。じゃから基本所得となる部分だけ支給する「ベーシックインカム」というわけじゃよ。基本となる所得以外の分配はこれまでの資本主義と市場原理のしくみにまかせるのじゃ。

そして社会の生産性を高めるには、生産量を増やせばよい。生産されるモノやサービスが増えて社会に行き渡るほど、社会の生産性は向上するし、それは企業だけではなく人々も同時に豊かになることを意味するんじゃ。そのためには機械化じゃ。人工知能やロボットの研究開発にもっと力を入れて、社会全体の生産量を増やすんじゃ。同時に資源リサイクルや自然エネルギーの技術開発も重要じゃ。資源を使い捨てる生産様式ではいずれ生産不能になる。将来もきちんと見据えなければ、そもそも生産性を向上する意味がなくなってしまうのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ~、生産性は奥が深いにゃあ。そしてすごく大切だにゃ。

(じいちゃん)
そのとおりじゃ。生産性は一言で片付けられるほど簡単ではない。しかし最も重要なポイントは「何のために生産性を高めるのか」じゃ。それは人々が労働する時間をなるべく減らしながら、より豊かな生活をするためじゃ。もしそうならないのであれば、明らかに間違っておるのじゃよ。

~本編サイトと同時掲載