2020年8月18日火曜日

コロナ経済危機の真相とは?第2回

なぜ起きる?感染防止と経済活動のジレンマ

 世界の多くの国では、コロナウィルス感染拡大防止のために設けていた社会・経済活動の制限を緩和する方向へ向かいつつあります。とはいえ、まだコロナウィルスに対するワクチンや特効薬が開発されておらず、コロナウィルス感染症が終息したには程遠い状況です。にも関わらず、なぜ行動制限の緩和を急ぐのか?その理由は政府曰く「感染防止のために社会活動の制限を継続すると、経済が回らなくなる」ということです。街角で一般の人にインタビューしても、「行動規制を続けると経済が回らなくなる」と言う人がいます。しかし、「経済が回らなくなる」という表現は非常にあいまいで、具体的に何を意味しているのかわかりません。なんとなく理解した気になるだけです。具体的に言えば、「経済が回らなくなる」とは、どういうことでしょうか?

 生産活動が行われなくなり、モノやサービスが不足してしまうことを指すのでしょうか?確かにモノやサービスが不足すれば、人々は生活に困ります。では、コロナウィルス対策として、社会・経済活動を制限することで生産活動が滞って、モノやサービスの深刻な不足が生じるのでしょうか?

 ところが、そうではありません。2020年4月7日に政府が発令した「緊急事態宣言」は同年5月25日に解除されましたが、その間、モノやサービスの生産ができなくなり、モノやサービスが不足して人々の生活に多大な支障を生じたことはありませんでした。確かに行動制限によって自由に活動できず、マスクの着用やソーシャルディスタンスなどを強制され、人々にストレスが溜まったことは間違いないでしょう。しかし、スーパーや小売店、ネット販売では、生活関連の商品が潤沢に供給されており、モノ不足で生活に困っている人は、ほとんどいませんでした。

 もちろん、観光や外食、夜の街関連などの産業において、それらを利用するお客様が減り、売り上げは減りました。つまりそれらサービスの生産活動は行われませんでした。しかし、そうしたサービスの生産が減少しても、それだけではあまり問題にはなりません。なぜなら、観光や外食、あるいは接客業は「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる産業」だからです。そのため、観光や外食などが制限されたからと言って、大多数の国民が、ただちに生活に困ることはありません。このような、「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる」という産業は、実は日本経済の大きな部分を占めています。映画やスポーツ観戦、遊園地、イベント、趣味娯楽といった産業は、基本的に「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる産業」です。

 一方で、食料品や衣料品、住宅関連のような衣食住、電気ガス水道のような生活インフラ、スーパーのような小売り、物流、あるいは医療と言った産業は「なければ命にかかわるほど重要な産業」です。前例の産業と異なり、これらの産業の生産活動が減少することは、生活必需品の供給不足を引き起こすため、ただちに人々の生活を困難にします。逆に言えば、こうした「なければ命にかかわるほど重要な産業」の活動を十分に維持できるのであれば、感染拡大対策としての行動制限が経済をマヒさせてしまうことは、本来であれば、ないはずです。だからこそ、2020年3~4月のコロナ感染拡大の急性期において、世界各国の政府は、生活必需品に関連した重要産業の活動を維持しつつも、それ以外の産業の行動を強く制限したわけです。

 生活必需品の供給さえ十分に確保されるのであれば、自粛によって「人々が生活できなくなる」ということは起きないはずです。だから社会・経済活動の制限によって、経済が回らなくなることはないはずです。ところが、今日の経済システムでは、そうはいかないのです。なぜなら今日、膨大な数の人々が「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる産業」に従事しており、それらの産業が活動を停止したままだと、膨大な数の人々が失業(および賃金の減少)を余儀なくされることになるからです。

 膨大な数の人々が失業(および賃金の減少:以後、省略)すれば、社会全体の購買力が大きく損なわれてしまいます。するとモノやサービスが売れなくなって、深刻な不況を引き起こすことになります。また、社会全体の購買力が大きく落ち込むと、「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなるモノ」だけではなく、生活必需品も売れなくなります。あらゆる商品が売れなくなるので、社会全体で生産活動が行われなくなります。そして世の中には生活困窮者が溢れます。社会全体がマヒ状態に陥るのです。これが「経済が回らなくなる」ということです。つまり、経済が回らなくなるとは、社会活動の制限によってモノやサービスの生産に支障が出ることではなく、「失業者が増えてカネが回らなくなってしまう」ことなのです。カネが回らないので、モノが売れなくなり、生産が行われなくなる。こうして経済が破綻します。これは、同じくカネが回らないために経済が疲弊する「デフレ不況」にそっくりです。

 失業が増えると、世の中のカネが回らなくなって経済が破綻する。それを防ぐためには、感染拡大防止策よりも、とにかく失業者を出さないことが優先になるわけです。失業者を増加させないためには、仮に「無くてもなんとかなる産業」であっても、活動を止めることはできないのです。ある意味で、それは「無くてもなんとかなる産業」への「依存状態」であると言えるのです。このように、今日の経済活動の多くは「無くてもなんとかなる産業」、いわば不要不急の産業に依存しており、不要不急の活動を止めることができない「依存症の経済」なのです。

 もちろん、強調しておきたいことは、観光、外食、スポーツ、イベント、趣味娯楽など「無くてもなんとかなる産業」に、存在価値が無いという話ではありません。そうした産業が人々の生活の満足度を高めていることは事実でしょう。そうした意味では、人々の役に立つ、価値のある産業です。しかし、そうした産業に経済そのものが依存し、それなしでは経済が立ち行かない状況にあるならば、経済が健全であるとは言えません。

 本来であれば「経済が立ち行かなくなる」との懸念から、感染の再拡大を恐れつつも、止むに止まれず社会活動を再開するのではなく、新型コロナウィルスのワクチンや治療薬が開発されてから、何の不安もなく堂々と大々的に制限を解除すべきなのです。しかし、現代の経済は「不要不急の産業に依存している」ゆえに、不要不急の行動を制限し続けると、経済に致命的な打撃を与えることになるのです。こうした不要不急の産業への経済依存が、感染防止と経済の両立を難しくさせている根本的な原因なのです。そして、これは市場経済、つまり交換型経済に特有の現象であって、分配型経済には起こらない現象なのですが、それについては第二章で述べたいと思います。