2016年11月7日月曜日

「ケインズ主義=公共事業」ではないだろ

様々な場面において、世間では「ケインズ主義=公共事業」という思い込みが強すぎる気がします。そもそもケインズは公共事業「信者」ではなく、流動性の罠の状況下における、有効需要の創出の必要性を指摘したのであり、その方法の一つとして公共事業を取り上げたに過ぎないはずなのです。

有効需要とは「所得に裏付けられた消費意欲」のようなものであり、人々の懐におカネが行き渡らなければ有効需要は生まれません。ですから、金利を引き下げただけでは、永遠に需要不足の経済収縮(デフレ)から脱却できないと指摘したわけです。この「人々の懐におカネを行き渡らせる方法」の一つとして公共事業を取り上げたわけです。ですから、ただ単に失業しておカネが無い人におカネを給付しても同じことです。

ただし、その当時においては、人々の労働力は大切でしたから、こうした労働力を活用して、まだ不十分だったインフラの建設を行えば一石二鳥であると考えられますから、公共事業によって人々の懐におカネを行き渡らせる手法は、単なる給付金よりも大きな意味があったと思われます。

しかし、科学技術の進歩(機械化)により、労働力は急速に過剰になりつつあります。また、戦前とは異なり、インフラもかなり蓄積されております。こうした状況下にあって、有効需要を創出するためには、必ずしも公共事業である必然性は薄れつつあるはずです。

もちろん、過去に作られたインフラは老朽化しますから、こうした部分のメンテナンスや建て替え、あるいは新技術によるインフラの新設もあります。また自然災害への防災、震災の復興、あるいは僻地における適度なインフラの整備など民間が関与しない分野もあります。ですから、公共事業が不要になる、などということは未来永劫にありえないでしょう。

ですから、これからの時代は、こうした状況を見極めつつ、有効需要の創出方法として、公共事業だけではなく、定額給付金、子供手当てなどを含めた、幅広い政策をバランスよく行うことが大切だと思われるのです。

ところが、世間を見てみるとどうも理解できない主張が多い気がします。ケインズと聞けば反射的に「公共事業=ばら撒き」と反応し、頭から公共事業を悪と決め付ける人々がいると思えば、「ひたすら公共事業を推進すれば万事解決する」という人も居て、彼らは給付金を批判してくる。重要なのは公共事業の是非ではなく、有効需要の拡大にあるはずです。

日銀が行う金利政策はあくまでも「民間投資」がなければ機能しませんが、民間投資は利潤がなければ行われないわけです。しかし利潤は必ず時間とともに(資本蓄積とともに)減少するため、やがて投資が減少して、貯め込まれたおカネが死蔵され、デフレから逃れられなくなる。これが現在の経済システムの致命的な欠陥です。利潤とは結局のところ通貨膨張であり、こうしたバブルの上でしか現在の資本主義(民間投資主導経済)は維持できません。

それでもなお、現在の経済システムを維持させるのであれば、通貨を膨張させて企業に利潤を発生させるしかないと思われます。これには金利政策は効果が無く、有効需要の拡大が必要であり、これを行うのがケインズ主義の目的だと思うのです。つまり、公共事業だろうと給付金だろうと、とにかく人々の懐におカネを増やし、有効需要を増加させるべきでしょう。

だから、ヘリコプターマネーと公共事業の両方をやれば良いと思うのです。が、物事を「ばら撒きか、そうでないか」、という判断でしか考えられないマスコミとそれを信じている世間の人々には、残念としか言えません。