2016年11月22日火曜日

自由貿易はロマンチックな夢想

資本主義のロマンチストである安倍首相は、自由貿易至上主義についての信仰心も高い。自由貿易ですべて解決できると信じて疑わないようです。グローバリズムに対する懐疑的なみかたが広がらないよう国民に説明し、自由貿易の利益をひろく行き渡らせるという。しかし、具体的にどんな方法で行き渡るのか?何の説明も無い。説明のしようがないからです。

自由貿易とは、その実際は国際分業です(リカード仮説)。各国がそれぞれの国内で最も生産効率の高い財の生産に特化し、これを貿易で完全に相互分配することで、貿易国の総生産力が貿易する前よりも高まる。これが経済成長であり、これが人々に行きわたれば、貿易する前より豊かになる。そういう考えです。

確かに、生産能力がまだまだ不十分だった過去の時代において、貿易を行う国全体の総生産量を増加させるために、国際分業が有効だったことは間違いないでしょう。しかし、生産過剰、消費不足、投資不足という、新たな時代に突入した現在、自由貿易で、さらに総生産力を増加して、いったい誰が消費するのか。そんなカネは庶民にありません。

自由貿易の利益が国民に行き渡るためには何が必要か。自由貿易によって庶民にカネが行き渡たることです。そうでなければ、企業と資本家だけが利益を得るのです。グローバル化によって、庶民にカネが行き渡ったのか?実際にはバブル崩壊以降、中国への進出などで産業がどんどんグローバル化しましたが、逆にサラリーマンの平均所得は減少し続け、非正規雇用が増加しました。一方で中国の人々はどんどん豊かになった。これを「日本人が働かなくなって、中国の人ががんばったからだ」のように言った、とんでもない政治家が居たが、そういう根性論の話ではない。

国際分業とは、すなわち、国内における生産効率の高い財の生産に「特化」することを意味します。「特化」ですから、必然的に国内で生産効率の低い産業は潰れます。というか、どれかが潰れないと特化になりませんので、国際分業になりません。つまり、倒産と解雇を前提として成り立ちます。理論的に必ずそうなります。たとえば、繊維産業と自動車産業があれば、繊維産業が消滅して、その際、繊維産業で働いていた人々が自動車産業に就職する。そして自動車産業に特化する。これが国際分業です。

もちろん、それほど単純ではないため、ある程度は産業の多様性は保たれますが、基本的に産業の多様性は否定され、単純化されます。多様性は非効率なのです。

そして、国際分業によって潰れた産業から、特化した産業へすべての人が吸収されることで、すべての雇用が維持され、人々の賃金が貿易により増加し、したがって人々の生活が貿易前よりも向上します。ですから、あくまでも、特化した産業にすべての人が吸収されることが前提の仮説です。これなら理論どおりに、自由貿易によって経済成長と国民生活の向上が実現します。

では、実際にはどうか?国際分業によって潰れた産業から、特化した産業へすべての人が吸収されるのか?されません。

人を採用せず、機械を導入するからです。今後は、ますます機械が増えるでしょう。なにせ、国際分業は生産効率が高い産業に特化するんですから、ますます機械化します。したがって、国際分業の名目で押し出された人々のうち、必ず一定の人々は溢れます。ですから、国内において生産効率の高い、国際分業可能な、新たな産業を作り出さねばならなくなります。しかし実際に容易ではありません。それが難しいから問題が生じているのです。だからこそ、労働市場において人手が過剰となり、賃金水準が低下し、そこへ、「低賃金に特化したブラック企業」が誕生し、そこに人々が吸収されてゆくわけです。

しかも、これは日本だけでなく、自由貿易を行うすべての国で、同時に解決しなければならない課題となる。

そうした根本的な問題に、安倍首相は何か解決策を示したのか?
ロマンチックな資本主義の夢に酔うだけだ。

現実は甘くない。資本主義の理想的なメカニズムに沿って動かない。理想論どおりに動かないことに業を煮やして産業界に圧力をかけて、賃上げを呼びかけるのは、いかがなものか。そもそも、根本的なシステムがおかしいのに、理想的なメカニズムなど機能するはずがない。ロマンチストにはそれが理解できないのでしょう。