2015年12月18日金曜日

ポピュリズムというご都合主義な言葉

ある評論家に言わせると「軽減税率はポピュリズム」だそうな。しかし新聞や評論家が好んで使う「ポピュリズム」という言葉は実にご都合主義的だ。ポピュリズムという評価は、ある政策や考え方に対して貼るレッテルとして、とりわけ財務省筋の御用新聞や論者が好んで使用するようだ。

どのように使うかといえば、新聞や評論家が唱える自説と政府などの政策が反対であり、自説よりも政府などが唱える政策に人気がある場合、政府政策などを「ポピュリズムだ」と決めつけるのに利用する。たとえば民主党政権の増税法案の時に増税反対派に対して新聞マスコミが「増税反対=ポピュリズム」という具合に使った言葉だ。

仮にもし国民に不人気な政策であっても、新聞や評論家の自説にあう政策を政府が行おうとする場合は「決められる政治」と言って政治家をおだてる。また国民に不人気な政策を強いるために「痛みをともなう改革が必要だ」という言葉も好んで使用される。

逆の場合、たとえば新聞や評論家が唱える自説と政府の政策が反対な場合でも、政府の唱える政策よりも自説に人気がある場合は「民意を尊重せよ」「国民の理解が得られていない」という言葉を利用して、国民に人気のある自説を推進するのに利用する。自説がポピュリズムだとは言わない。たとえば安保法案改正の際に左派系新聞マスコミに踊っていた言葉がそれだ。

つまり、民意を都合よく解釈しているだけだ。

「ポピュリズム」
「決められる政治」
「痛みをともなう改革」
「国民の声を聞け」
これらの言葉が出てきたら要注意。
これを使えば、明日から君も御用新聞だ。

基本的に民主主義ならば国民に人気のある政策が推進されるのは当然であり、大衆の意見こそが民主主義の王道である。大衆に人気のある政策をこきおろす目的でポピュリズムという言葉を使うのは、レッテル貼りつまり暗示を埋め込む手法に過ぎない。

まともな新聞や評論家であれば、レッテル貼りではなく、正攻法で国民を説得すべきだろう。それができないからポピュリズムと決めつけるしか方法がないのだと、自ら認めているようなものだ。

おもしろいことに、新聞の軽減税率が認められたためか、「軽減税率はポピュリズムだ」と非難する新聞はないらしい(笑)。