2011年1月22日土曜日

インフレを恐れてインフレを招く日本人

ハイパーインフレを妄信する人々

バブル崩壊後、一貫して通貨の供給を抑えてデフレを維持している日銀。そして日本は未曾有のデフレであるにもかかわらず、なぜかインフレを恐れる人々がいる。お金を刷るとハイパーインフレになると人々を煽り立てる経済評論家だ。何か言えばハイパーインフレになると騒ぐ。それを鵜呑みにする人たちも多いようです。本当にハイパーインフレになるのか?彼らの本を立ち読みしてみましたが、第一次大戦後のドイツやジンバブエのような特殊例を引っ張り出して脅しに使っており、悲惨な人々の写真などを掲載して「ハイパーインフレになると、こんなに恐ろしいんだぞ」と強調しているが、ハイパーインフレの理論的な検証が乏しく、デフレ日本が第一次世界大戦後のドイツやジンバブエのようなハイパーインフレになる理由がわからない。

一方、ある経済学者によれば日本人一人当たり一億円を給付するほどでもしない限りハイパーインフレにはならないという話もあります。ハイパーインフレとは年間に物価が100倍にもなるようなインフレのことですから、余程の事がないかぎりハイパーインフレは起こらないでしょう。お金を刷ってハイパーインフレになるかどうかは定かではありませんが、お金を刷らずにデフレを放置すると、やがて悪性のインフレが発生して日本を破壊することになります。なぜでしょうか。

物価は通貨の量だけで決まるのではない

そもそもインフレとは何で、なぜ発生するのでしょう。インフレとは物価全体が継続的に上昇することですが、一般に世の中に供給される商品の量より需要が多い場合に発生します。世の中のお金の量が多いと、つまり人々の保有するお金の量が多いと需要が増えるのが普通です。ですから、世の中に供給される商品の量よりも世の中のお金が多い場合にインフレになります。おカネを刷って世の中のお金の量が増えると需要が増え、商品の不足が生じることから、商品の価格を上げようとする小売店や製造業者が出てきます。そして小売店や製造業者が商品を値上げすることで物価が上昇することになります。通貨が増えたから物価が上昇したわけではないのです。物価は一般に商品の供給不足と、それに起因する値上げがあって始めて上昇します。商品の供給が不足した場合でも、誰も値上げしなければ物価は上がりません。政府が価格統制を行なえば、実はインフレは発生しません。しかし普通の経済状態であれば価格統制を必要とするほど酷いインフレは発生しませんので、それ以外の方法でインフレをコントロールします。

また、おカネを刷ってばら撒いたからと言って、必ずしも需要が増えるわけではありません。ばら撒かれたおカネがすべて貯金されてしまえば、商品の需要はまったく増えないため、インフレは発生しません。たとえば2兆円の給付金が配られたことがありましたが、今の日本では、あのおカネがどこへ行ったのかわからない程度の需要しか喚起されません。

さらにおカネを刷ったからといって、世の中に出回るとは限りません。そもそも日銀の刷ったおカネはほとんどが民間銀行に渡り、民間銀行がそれを元手に誰かに貸し付けることで初めて世の中におカネが出てきます。現在の金融制度では、誰かが借金をしない限り世の中のおカネが増えない仕組みになっているのです。ですから日銀がバンバンおカネを刷っても、不景気でおカネを借りる人がいなければ民間銀行の金庫の中で唸っているだけでおしまいです。これではインフレなど起こるはずもないのです。以上のように、通貨の量が直接に物価を押し上げるわけではないのです。通貨量はインフレにとって必要条件であっても十分条件ではありません。これではインフレになるとはとても思えませんね。ではインフレになるための条件とは何でしょう。

インフレは好景気の証

どうすればインフレになるのでしょう?一つの条件は需要が増えることです。人々が商品をたくさん買い求めようとすると、商品が飛ぶように売れるようになり、品不足になります。すると小売店が商品を買い付ける卸売市場でも商品が不足し、商品の奪い合いになります。製造業者は少しでも高い値段で売りたいですから、当然、高い値段で買ってくれる小売店に優先して卸すことになります。すると商品を仕入れるためにより高い値段で商品を買い付ける必要が出てくるために仕入れ価格が値上がりし、販売価格が上昇します。品不足が起これば確実に価格が上昇します。以上のように、需要が増えて商品が飛ぶように売れるようになるとインフレが発生します。ということから、景気が非常に良い状態になるとインフレが発生することがわかります。すなわち、インフレとは好景気の証なのです。日本も高度成長期からバブル崩壊までの好景気の時期は、慢性的にインフレでした。ですから、おカネをどんどん刷って国民に給付する事で需要を増やしてやると、インフレになるかもしれませんが日本の景気は大きく回復することになると期待されるのです。日銀や一部の評論家はインフレを過度に恐れているようですが、インフレと好景気は密接な関係があるのです。もちろん、デフレと不況にも密接な関係があります。

デフレ放置はインフレの下地を作る

インフレの条件のもう一つは、商品が不足することです。何らかの理由で小売店の販売する商品の量が減少すると、品不足が発生します。あとはほぼ前述と同じように仕入れ価格が上昇し、販売価格が上昇します。では、どのような理由で小売店の販売する商品の量が減少するのでしょうか。それは国内の生産能力の減少です。当たり前ですが、国内の生産能力が十分に高ければ品不足が発生するわけがありません。ですから、国内の生産能力が低下することでインフレが発生するのです。

そのように言うと、国内の生産能力が低くても輸入すれば商品は十分に供給できると思われるかもしれません。今現在も多くの商品が輸入されています。しかし、貿易で商品を確保するには、対価を支払わねばなりません。基本的には何かを輸出することで何かを輸入できるわけです。つまり輸出する商品を十分に生産できなければ、必要な商品を十分に輸入することはできません。ですから国内の生産力が高く、輸出できる商品を十分に生産できなければ輸入はできません。金融で外貨を稼ぐという考えもありますが、これは曲者です(これは別の機会に触れたいと思います)。原則は商品の輸出があって初めて輸入が可能になるのです。ですから、国内の生産力が低下することになれば、インフレを招く恐れが十分にあるのです。

デフレはインフレとは逆に需要が不足すると発生します。一般に通貨が減ると需要が減少するため、おカネが不足しているためにデフレになっているとも言えます。デフレを放置すると国内の需要はどんどん減少します。このような需要の低迷した状態になると、製造業などは生産調整で生産量を減らします。つまり、生産力が減少します。さらにデフレで国内向けの販売が低迷すると製造業などは海外市場に活路を見出そうと、こぞって海外へ輸出しようと考えますが、これまたデフレによる円高(実はデフレで円高になる)が災いして、輸出競争力が低下したり、為替差損などの問題が発生します。このため、多くの企業が工場を中国などへ移転してしまい、日本の産業が空洞化します。つまり生産力が減少します。このように、デフレを放置すると国内の生産力がどんどん減少し、商品の供給をますます海外からの輸入に依存する傾向が強くなってきます。これはインフレの下地をどんどん強化することになるのです。

その時、日本はインフレで最終的に破壊される

デフレを放置し、国内の生産力が減少し、商品の供給を輸入に頼るようになるとどうなるか。このまま日本が不景気で、貧困化が進み、少子高齢化で日本が消えてなくなるのであれば需要は増えませんからインフレは起こりません。そのかわり日本は二度と復活することもありません。しかし、デフレですっかり国内の生産力が疲弊しきった時に日本の景気が回復し始めたらどうなるでしょう。需要が増え始めたら、日本の金融資産1400兆円がこの時に動き始めたら、これはハイパーインフレになる可能性があるかも知れません。需要の回復速度は生産能力の回復速度より遥かに早い。需要に火が付くのは早いが、一度失ってしまった生産能力を復活するには何年もの期間が必要であるため、市場では物不足が深刻化し、インフレが急速に進行する。さらに、商品の不足分を輸入で補うことになるが、輸入の対価は輸出である。この時すでに産業空洞化が進んだ日本は輸出する商品が無いため、輸出より輸入の方が遥かに多くなり、貿易は赤字になる。貿易が赤字になると為替市場では円を売る圧力が高まるため、円が安くなる。現在の為替はレバレッジによって過剰に反応するため、場合によっては円が暴落する。円が暴落すると輸入品の価格が跳ね上がり、国内のインフレが加速する。このように日本は狂乱物価に翻弄され、経済はさらに不安定となり、貧富の格差はさらに拡大し、ホームレスが巷に溢れ、犯罪が増加する。つまりデフレを放置すると国内生産力が破壊され、日本は二度と復活できない国に没落してしまうのです。こんな状態で移民を受け入れるべきだと、どこかの国の経団連会長が言っていたが、火に油を注ぐことになるでしょう。

インフレを恐れてインフレを招き、最終的にインフレで破壊される日本人はかわいそうだ。

2011年1月16日日曜日

不況の元凶は銀行制度の欠陥にある

経済の基本

経済の基本は、人々が様々な商品・サービス(以降は「モノ」として表記)を生産し、それを互いに交換し合うことで人々の生活を支えているシステムのことです。私たちの生活に必要なモノをみんなで作って互いに交換するシステム。当然ながら、個々の人々がたくさんのモノをつくれば作るほど、人々の手にすることのできるモノの量が増えて、人々の暮らしは豊かになります。そして生産の分業化が進んだ今日では、個々の人々(企業)が生産したモノを十分に交換し合うことができて初めてすべての人々にモノが行き渡り、豊かになることができます。

不況とは

生産の分業化が進んだ今日では、どれだけ個々の人々が頑張ってたくさんのモノを生産しても、それを互いに交換するシステムが滞るとせっかく生産したモノが交換しきれずに余ってしまいます。同時にモノを必要とする人々にモノが行き渡らず、モノ不足を招いてしまいます。たとえば漁師と農家からなる社会を想定してみましょう。漁師は魚をとり、農家はお米を作って、互いに交換して生活しています。漁師が頑張ってたくさんのお魚を生産して在庫を抱えていて、一方で農家が頑張ってたくさんのお米を生産して在庫を抱えていたとして、もし、お魚とお米の交換がスムーズにすすまなければ、お魚もお米も交換しきれずに在庫が残ってしまいます。漁師がもっとお米をほしくても、農家がもっとお魚を欲しくても、交換がスムーズに進まないと彼らは欲しいものを手に入れることが出来ず(モノ不足)、在庫も残ってしまう(モノ余り)。そして、モノが余ってしまうために生産量を減らし、お魚もお米も交換できる範囲の量しか生産しなくなる。生産されるモノの総量が減少する、これが不況です。自給自足で交換を必要としない社会には不況はありません。不況は交換を前提として生まれるのです。漁師も農家も、両者が必要とするお魚やお米の生産能力は十分にあり、それぞれもっとお魚もお米も欲しいと思っていても(潜在需要があっても)、交換がうまく出来なければ、互いに生産量を減らし、互いの生活は貧しくなります。つまり分業化された経済にとって「交換」は極めて重要であることがわかります。

モノの生産量はおカネの量で決定される

物々交換が行われた古代とは異なり、現代社会におけるモノの交換はおカネ(通貨)を媒介として行われます。そのため、世の中のおカネの量が不足するとモノの交換が十分に出来なくなり、人々(企業)の生産したモノが余り(生産過剰)、その一方でモノ不足(貧困化)が同時に発生します。現代においてモノの交換は市場において、売買を通じて行われますが、売買の総額は取引に利用された通貨の量と同じです。当たり前ですが、使える通貨の量が減れば、売買により交換されるモノの量も減少することになります。そのように、世の中のおカネが不足して売れ残りが生じると、人々は生産する量を通貨の量に合わせて減らすことになります。どれだけ潜在的な生産能力が高くても、おカネの量が増えない限り生産しません。そして生産されるモノの量が減るがゆえに人々の暮らしは貧しくなるのです。もちろん、国民全員の生活が一律に貧しくなることはありません。現代の人々の生産活動は企業に雇用されて行われるため、失業した人々から順に、まだら模様的に貧困化が進みます。ちなみにデフレとは物価が持続的に下落することですが、おカネの量がモノの量に比べて不足しているときに発生します。つまり今の日本もおカネが不足しているのです。おカネが不足しているために不況が発生する、これが現在の日本の不況です。

おカネは十分にあると言うが貯蓄されたおカネは死んだおカネです

おカネが不足していると主張すると、おカネは十分にあると反論する方がいます。確かに現金・預金の総額は700兆円を超えているそうです。しかしおカネがいくらあっても貯蓄されたおカネは売買に使われませんので、いわば「死んだおカネ」です。死んだおカネがどれほどたくさんあってもモノの交換には一切関与しませんので、日本は金欠病なのです。貯蓄はモノの交換を停滞させ、不況を助長します。金欠病の日本の景気を回復させる方法は極めて簡単で「生きたおカネ」つまり交換に使われるおカネを増やせば良いだけです。おカネを増やす起点は日本銀行ですが(実際に増やすのは民間銀行)、日本銀行はバブル崩壊後、つい最近までおカネを増やすことに強硬に反対してきました。そのため日本はおカネ不足のために極めて長期的な不況に悩まされ続けてきました。そんな日銀もようやく少しずつ金融緩和政策により通貨を増やすことを始めましたが、効果が見えてきません。発行する通貨の量が不十分であることも原因ですが、そもそも現代の通貨制度は、誰かが銀行に借金をしないとおカネが増えない仕組みになっていますから、不況で借り手が居ない今の日本ではおカネがなかなか増えません。

銀行制度の致命的な欠陥

ところで、おカネはどのようにしてつくられるのでしょう。今回のような金融緩和政策では、まず日銀が現金を発行し、民間銀行から国債などの資産を購入して現金を民間銀行に供給します。しかしその時点ではまだ「生きたおカネ」ではありません。民間銀行の預金として民間銀行が保有しているだけです。民間銀行に流れたおカネは基本的に日銀当座預金として日銀に差し入れられているので、そのままではモノの交換には使えません。ですから、これはおカネであっておカネでないとも言えるでしょう。しかし、民間銀行はこの日銀当座預金として日銀に差し入れている預金の金額に応じて、その数十倍のおカネを民間企業や個人に貸し付けることを許されています。これが銀行の特権です。保有しているおカネの数十倍のカネを貸せるのは銀行だけなのです。おカネを貸し付けるといっても現金(紙幣)を渡すわけではありません。基本的に銀行は現金をほとんど持っていないため、貸し付ける相手の預金通帳に金額を書き込むことで融資を行います。そして、この預金通帳に金額が書き込まれた瞬間に、おカネが生まれます。皆さんの預金通帳に記載されている数字と同じ性質のおカネです。これはモノの交換にそのまま使えるおカネです。これが「預金」と呼ばれるものです。このように、誰かが銀行からおカネを借りて、その預金口座に貸付金が書き込まれた時におカネ(預金)が増えます。それ以外で増えることはほとんどありません。世の中に流通しているおカネはほぼすべてが銀行への借金として生み出されているのです。このため、右方上がりの経済成長を続けている間は借金をして投資をする人や企業が多くなりますから世の中のおカネは増えやすいのですが、低成長時代になると借金をして投資しても利益を出すことが難しくなるため、おカネを借りる人が減少して世の中のおカネはほとんど増えなくなります。それどころか借金を返済する人のほうが借りる人より多くなり、世の中のおカネが減り始める事になります。つまり現在の銀行制度は右方上がりの経済成長を前提としているため、もはや現在の日本の社会では機能しないのです。銀行制度にはこのような致命的な欠陥があるわけです。実際、日銀自身も金融政策でデフレは克服できないと認める趣旨の発言をしているようですし、金融政策は効果がないという評論が巷に溢れているところをみても、もはや銀行制度による通貨供給に頼る時代は終わったと考えるべきでしょう。

消えないおカネ「現金」を経済の中心に

前述のように、今の世の中のおカネはすべて銀行への借金として生み出されるため、必ず銀行へ返済しなければなりません。ところが借金がすべて返済されてしまうと世の中のおカネがすべて消えてしまう。それでは大変なことになってしまいます。だから永久に借金を止めることが出来ない、世の中の誰かが必ず借金をしなければいけないのです。そんな不完全な制度に私たちの生活そのものである「経済」が依存しているということは、極めて大きなリスクであるとわかります。そこで消えることの無いおカネを中心とした通貨制度に改める必要があるのです。それは難しいことでもなんでもありません。消えないおカネとは「現金」のことです。それに対して銀行が貸付金として作り出したおカネは「預金」と呼ばれます。現在はこの「預金」がおカネのほとんどを占めていますが、これを廃止して日銀の発行する「現金」にすれば良いのです。もちろん現金にしたからといって皆さんが紙幣を持ち歩く必要はありません。銀行の口座に入れておけば、今までと同じようにカードで払うこともできます。ただし「預金口座」ではなく「現金口座」になります。ちなみに預金と貯金は混同しやすいですがまったく違います。預金口座は誰かの借金から生まれたおカネ「預金」を貯めておく口座ですが、現金口座は日銀が発行した「現金」を貯めておく口座です。では、どのようにしておカネを世の中に供給すれば良いでしょうか。今までは日銀の発行した現金を元に、民間銀行が誰かに預金を貸し付けることで世の中におカネを供給してきました。今度は日銀の発行した現金を財源として、日本の将来に役立つ分野に直接おカネを使うことによりおカネを世の中に供給するわけです。たとえば風力発電所や海底資源の開発、医療施設、低所得者のための住宅の建設、技術開発のための教育機関や研究所の充実など、日本の将来のためにおカネを使うのです。それらのおカネは日本の社会資本を充実させた後、世の中をめぐりめぐってモノの交換を活性化するために働いてくれるはずです。

2010年12月31日金曜日

年賀状対応ブログ記事


年賀状に書いた「本当か?ウソか?」という問いかけに対する自分なりの回答を書きました。後述の見出しに書いた「俗説」は本当なのでしょうか、考えてみました。

①デフレは消費欲の無い人が増えたために生じている

消費しない若者が増えているという記事があちこちに見られるようになってきました。車を買わない、家も買わない、酒もタバコもやらずに貯蓄する。そしてそのような消費欲がない世代の人々が増えてきたのでモノが売れなくなり、景気が回復しないという。つまり、政府や日銀の政策が悪いのではなくて人々の性質が変わったことが不況の原因であり、モノの時代から心の時代に変化した自然の成り行きであるという。だから減税や給付金でおカネを人々に供給しても貯蓄が増えるだけで消費は増えないし、政府や日銀がどうにかできる問題ではないというわけです。もっともらしく聞こえますが、本当にそうなのでしょうか。

確かに現象として「消費欲が落ちた」のは事実かもしれません。しかしそれが人間としての本質的な消費欲の減退なのか、それともおカネを使わないこと(=禁欲)の馴れからくる消費欲の減退なのか、十分に分析されているとは思えないのです。私ははるか昔から貯蓄指向が強く、無駄なモノを買わず、それこそバブルの時代から贅沢とは程遠い生活をしてきました。つまりモノを買わない世代と同じであったわけです。しかし欲が無いわけではなく、禁欲であることへの馴れが節約や貯蓄という行動をとらせていました。そのような自らの経験から言って、人々の性質が変化したことは本質ではないと考えています。政府や日銀がデフレ不況を長期的に放置した結果、おカネがない状態が極めて長期に、世代の志向性を決定付けるほどに長期間にわたって続いたためにおカネを使わない世代が生まれたと考えています。社会が長期間デフレ不況であり、就職氷河期が続いているなかで、人々は消費しないことに馴れてしまった。そこに本当の原因があると思うのです。しかしこれは一種の「流行」です。社会全体におカネが長期間にわたって潤沢に供給されつづけるなら、多くの人々は、私のような一部の人を除いて必ず消費するようになるはずです。その意味において政府や日銀の責任逃れの口実として流されている「デフレは消費欲の無い人が増えたために生じている、だから政府や日銀に責任は無いし、対策も難しい。」は、私にはとても信じられるものではありません。

②おカネを刷るとおカネの価値が下がってインフレになる

おカネを刷るとおカネの価値が下がるのでしょうか?単純に考えれば世の中のおカネの量が二倍になったら、価値が半分になるような気がします。だからインフレになると思ってしまう人が多いようですが、はたしてそうなのでしょうか?確かに算術の上ではそうですが、実際にはおカネの価値は市場での売買を通じて決まります。はじめにおカネを二倍に増刷した段階ではおカネの価値は変わりません。そのおカネが世の中に出回って、人々の手に渡り、市場において人々が買い求める商品の量が二倍になると、商品の値段が二倍に跳ね上がります。つまり物価上昇(インフレ)となります。そこで初めておカネの価値が半分に下がるわけです。ところがもし人々の貯蓄意欲が高いために増刷したおカネを使わずに、増えた全額を貯め込んでしまったら、市場で人々が買い求める商品はぜんぜん増えません。すると商品の値段は上がりませんので、インフレは発生せず、おカネの価値はそのままなのです。さらに、もしおカネが二倍になって人々が買い求める商品の量が二倍になったとしても、二倍の量の商品が供給されるならば商品の不足が起こらないため値段もあがりませんから、インフレにもならず、おカネの価値も下がりません。

つまり、おカネの価値はおカネを刷るかどうかで直接決まるのではなく、おカネの増刷によって発生する需要の増加と商品の供給量のバランスの問題なのです。そして、もしインフレにならない程度のおカネが増刷され、それが人々に給付されるのなら、貧困が減り、人々の生活は豊かになるのです。「おカネを刷るとおカネの価値が下がってインフレになる」という情報は、紙幣の発行に消極的な日銀の責任を薄める効果はありますが、日本の経済に何らプラスの影響を与えるものではないと思うのです。

③失業が多いのは人々が仕事を選り好みするからだ

失業が多いのは失業者が仕事を選んでいるからで、仕事はいくらでもある。だから失業者に手当てを出したり、生活保護におカネを回す必要は無い。という話を聞きます。本当でしょうか。そもそも不景気で失業が増えるのはなぜでしょう。不景気になるということは、商品が売れなくなることですから、生み出される商品やサービスの量も減少します。生み出される商品やサービスの量は投入される労働時間に比例しますから、商品やサービスの量が減ることは、世の中の総労働時間が減ることを意味します。通常一人当たりの労働時間は大きく変化しません(不況になったからと言って8時間労働が5時間労働にならない)ので、世の中の総労働時間を一人当たりの労働時間で割った値、つまり必要とされる労働者数は減少します。これが失業率の増加する原因です。ですから、不況になれば確実に仕事はなくなるわけで、失業者が仕事を選り好みするから失業率が高くなるわけではありません。そもそもこれは「イス取りゲーム」なのです。イスを求人、イスに座れなかった人を失業者だとするなら、不況で求人が減少し続ける以上、イスに座れない人は確実に増え続けます。自分の努力で資格を取ったりスキルをアップすることでその人はイスに座ることができたとしても、その結果、別の誰かがイスを失うだけなのです。

確かに仕事を選り好みすればなかなか仕事に就けないし、資格をとるように勉強すれば就職に有利になることは間違いありません。しかしそのようなミクロ的に正しいことがマクロ的に正しいとは限らないのです。多くの場合、そこに本質的な問題解決を阻む「落とし穴」が潜んでいるような気がします。

④高齢化や人口減少で景気が悪くなるのは当然だ

高齢化や人口減少で景気が悪くなる。確かに高齢者になれば働き盛りの子育て世代に比べて消費は減りますし、人口が減少すれば売れるモノの量が減ります。これが景気低迷の現況のように聞こえてしまいますが、本当にそうなのでしょうか。これは景気を「量」としか捕らえていないために生じている誤解だと思います。確かに人口が減少したり高齢化すれば必要とされる商品やサービスの総量も減少します。日本のGDPは確実に減少することになるでしょう。しかし、それは「総量」なのです。むしろ重要なのは「一人当たりのGDP」です。高齢化でも人口減少でも一人当たりのGDPが高い水準にあるということは、一人当たりが生産し、一人当たりに分配される商品やサービスが十分に確保されていることを意味します。高齢化や少子化によるGDPの減少は、本来、人口の減少に比例して経済規模が縮小することにより生じる総量の減少であり、経済の質が低下するために生じるわけではないのです。一人当たりのGDPが高い水準にあれば、一人一人が必要とする商品やサービスが人々に行き渡り、貧困や格差が極めて少ない状態が実現します。これなら、たとえ総額のGDPが減少したとしてもそれを不況とは言わないでしょう。

人口が減少しても一人当たりの必要とする商品やサービスの量は減りません。ですから一人当たりの売上高は減少せず、景気の質を悪化させるものではないのです。裏を返せば一人が生み出さねばならない商品やサービスの量も減りません。ですから、一人当たりに要求される仕事の量が減るわけではなく、失業率を増加させる原因とはなりません。経済の総額が減少しても、一人あたりが必要とする商品やサービスを生産し、分配するという質的なレベルでは、まったく減少しないのです。さらに、ここで高齢化が進んで一人当たりの必要とする商品やサービスの量が減ったとしても、高齢者はそもそも働きませんので、若年層が生み出さねばならない商品やサービスの量はむしろ増加するはずで、失業率は逆に改善するはずなのです。繰り返しますが、高齢化や少子化によるGDPの減少は、本来、人口の減少に比例して経済規模が縮小することにより生じる総量の減少であり、経済の質が低下するために生じるわけではないのです。

では、なぜ景気が悪いままなのか?これは「GDPの質」が低下しているためです。そこに政府や日銀の経済政策の責任が問われるべきであるにもかかわらず、「高齢化や人口減少」という「不可避な条件」を、あたかもそれが原因であるかのように示すことで政府や日銀の責任を逃れしているようにしか思えないのです。

⑤世の中のおカネは日銀が作り出して社会に供給している

最も多くの人が誤解しているのは、これでしょう。多くの人は日銀が発行したおカネ「現金」が世の中に循環して経済を支えていると思い込んでいます。しかし実際に世の中に回っているおカネの90%は民間銀行が信用創造で無から作り出した貸付金である「預金」であり、循環しているおカネのほとんどがこれです。世の中のおカネは、もともと誰かが銀行から借りた「借金」であり、それがグルグル回っているわけで、もし世の中の人がみんな銀行に借りたおカネを返済したら、貸付金と預金が相殺されて世の中の90%のおカネは消えてなくなります。まるでなぞなぞですね。

そもそも日本銀行の発行したおカネがどのようにして世の中に出てくるのか?多くの人は理解していません。日本銀行の発行したおカネは、誰かが銀行に借金することで初めて世の中に出てきます。おカネを借りた人が、その借りたおカネで何かを買うことで初めておカネが流通しはじめるのです。おカネを刷るとインフレになると騒ぐ人がいますが、刷ったおカネがどこから世の中に出てくるか知っているのでしょうか?いくらおカネを刷っても、借金する人がいないとおカネは世の中に出てこない仕組みになっているのです。だから日本銀行が金融緩和して、ゼロ金利にして、国債を買い取って、銀行に現金をどんどん供給しても、世の中におカネは流れ出さない。そんな仕組みなのです。

しかし、おカネとは本来、銀行への借金としてあるべきなのでしょうか?おカネとはもともと公共財ではないのでしょうか?では、なぜ銀行に借金しなければ流通できないのでしょうか?この金融制度の基本的構造が唯一絶対に正しい方法であり、他に方法はないのでしょうか?とても面白いテーマだと思いますが、皆様はいかがでしょうか。

2010年9月19日日曜日

(10)バブル経済は本当に悪いだけなのか?

マスコミはバブル経済の負の側面だけを報道しますが、バブル経済で生産力が爆発的に拡大し、雇用が改善し、賃金が伸び、力強い景気に支えられて財政赤字も解消できるというプラス面はほとんど無視されています。バブル経済とは大量の通貨供給が経済に与えるプラス効果の証明なのです。
 
バブル経済をただ「悪いもの」として、そのときの現象すべてを否定することは思考停止にすぎません。確かに銀行制度の「信用創造」が過剰に働き、信用として爆発的な量の「借金」が世の中に流れ出し、それが限界まで膨れて破裂した事は、それに巻き込まれた多くの国民にとって不幸をもたらしました。しかも、それが現在に至るデフレの発端であったかも知れません。ですからバブル経済は決して良い物ではなく、繰り返すべきものではありません。しかし、バブル経済から教訓としてそれだけしか見出すことが出来ないとすれば観察力が不足しています。バブル経済のとき、少なくともその最中は好景気に日本が沸き立っていた。それを忘れてはならないのです。そこから学ぶべきものがあるはずです。

バブルは大量のおカネを作り出します。それは銀行の信用創造が生み出す架空のおカネではありますが、おカネなのです。そのおカネが大量に世の中に出回った結果、日本の景気は絶好調になりました。人々の賃金は伸び、消費は拡大し、雇用は人手不足が社会問題になるほどでした。ブランド品が流行し、高級車が飛ぶように売れる。安物の商品は見向きもされず、高付加価値の商品がどんどん売れる時代でした。これだけ景気が良くなると税収が増えるのは当然です。さて、バブルが悪いものだとしたら、この状況も悪い状況なのでしょうか? そんなはずはありません。崩壊してしまったから、今更のように全否定されていますが、このような状況がずっと続くのなら、人々は今ほど不幸にはならなかったでしょう。ですから本当はこのような好景気を再び実現して継続することを政府や政治家が目標とすべきであり、そこが経済学者の出番なのですが、彼らの多くはこの時代をただ「悪いもの」「まやかし」「虚構の経済」のように批判し、否定するだけで満足しています。これでは得るものは何もありません。

なぜこのような好景気が起きたのでしょう?それは大量のおカネの循環がもたらしました。おカネが消費を引っ張り、消費が生産を引っ張り、経済規模がどんどん拡大する。生産能力の限界までフルに回転する。日本にはそのようなポテンシャルがあったのです。今は当時ほどではないにしろ、日本には潜在的な生産力がまだまだ眠っているのです。そしてバブル経済で明らかになったように、おカネがそのポテンシャルを開放するキーになっているのです。以前の繰り返しになりますが、おカネがなければ経済は成長しません。逆におカネをどんどん増やせば、生産力がどんどん拡大して経済は成長します。成長力の限界以上に通貨を供給するとインフレを誘発しますが、成長力に見合う通貨供給であれば何の問題もありません。そして生産力をフルに生かす事で好景気となり、人々が必要とする様々な物資を十分に生産し、人々に分配する事で豊かな社会が実現するのです。

循環通貨量と生産力のバランスが非常に大切です。生産力に見合うだけの通貨を供給すれば、消費は拡大しますが商品の供給が十分に確保されるためにインフレは発生せず、商品が溢れ、失業も限りなくゼロに近づきます。逆に生産力に比べて循環する通貨の量が少なければ、消費が低迷してデフレとなり、商品の生産は減退し、失業率が増加して、貧富の格差が拡大します。今の日本は循環する通貨の量が減少してデフレ不況なのです。

だからこそ政府がもっとどんどんとおカネを供給すべきなのです。バブルがなぜ崩壊したか?それは通貨供給を「信用創造」が生み出す架空のおカネに依存していたためコントロール不能となり、バブルが発生して信用が拡大しつづけ、世の中に凄まじい量のおカネが溢れ出し、それが限界を超えるとバブルが崩壊し、信用収縮であっと言う間に世の中のおカネが消えてしまったからです。そして銀行への借金だけが膨大に残された。ところが、もし政府が輪転機を回しておカネを刷ったなら、そのおカネは消えることがありません。消えることの無いおカネを使えば、バブルも発生しませんが、バブルが崩壊する心配もありません。消えることの無いおカネこそが好景気を安定的に持続させるのです。

もし、通貨の供給により再びバブルが発生する事を心配するなら、土地や株式などの値上り益(キャピタルゲイン)に課税したり、いよいよとなれば銀行の信用創造に一定の制限(預金準備率引き上げ、金利引き上げ)をかければ済む事でしょう。バブルを元からしっかり予防する事が重要であって、バブルを恐れて通貨供給を渋ることは本末転倒です。通貨供給は経済にとって非常に大切です。

通貨の発行で日銀券の価値が落ちるなどの批判があるようですが、これはナンセンスでしょう。そもそも民間銀行が日銀券を何十倍にも膨らませて貸付けているのですから、それこそ銀行の信用創造が日銀券の毀損の原因そのものであるわけです。しかも社会が経済活動を行うために必要とされる通貨の総量は、経済規模(生産と消費)の拡大に伴って増加するわけですから、経済規模の増加にあわせて日銀券を発行しなければ、日銀券の価値が過剰に評価される事になります。これはデフレの原因に直結します。逆に経済規模が拡大するためには通貨の増量が先行して必要であるため、民間銀行の信用供給が進まない今日では、日銀券を先行して発行する必要があると思います。これが日銀券の毀損であるとするなら、経済成長を否定するようなものです。

バブル経済から学ぶべき事は、通貨の供給が如何に経済を活性化し、生産力を拡大し、失業を減らし、貧富の格差の少ない豊かな社会を実現するか、ということにあります。もちろん再びバブルによる過剰な信用創造によって通貨供給を増やすべきではないでしょう。そうではなくて、日本銀行が人々の経済活動を活性化するために、生産力とのバランスを取りながら現金つまり日本銀行券を積極的に供給し、通貨の循環量を拡大すべきです。もちろん、その通貨を銀行に供給しても何も変わりませんから、政府を通じて社会に直接供給されるべきでしょう。具体的には国民への給付金であったり、社会保障であったり、本当に必要とされるエネルギー自給率向上などの日本の将来のための公共事業であるのです。

2010年9月5日日曜日

(9)おカネが増えなければ経済は成長しない

はるか昔から、おカネを増やすことで国の経済が成長してきました。先におカネを増やすことで後から経済成長が付いて来る。だからこそ銀行は投資によって利益を揚げることができるのです。まずおカネありき。逆におカネが増えなければ経済は成長しない。なぜでしょうか。

身近な視点で考えて見ましょう。ある企業が100円の商品を10個生産していたとします。生み出される価値は金額換算で総額1000円になります。この企業の商品を買い取るために必要なおカネは総額で1000円です。世の中のおカネが1000円あればこの企業の商品はすべて売れますから問題ありません。生産性が向上し、企業の生産量が20個に増加したとします。生み出される価値は2000円になります。ところが世の中のおカネが1000円しかなければ、せっかく増えた商品は売れ残ってしまいます。これでは企業は不幸ですし、人々買える商品の量が増えずに不幸です。そのため、おカネが増えなければ、たとえ企業の生産力が増える潜在的な余力があったとしても、それを発揮することはありません。しかし、そこでたとえば国が1000円のおカネを作って人々に配給したら、世の中のおカネが増え総額が2000円になります。そうすることで、企業の生産した商品がすべて売れるし、人々も今までの二倍の商品を手に入れることができるようになります。生産力の成長に合わせておカネが増えなければ経済は成長できないのです。日本にどれほど生産力・労働力があっても、おカネがなければ決して経済は成長しません。

私たちは個人的な体験を通じて、生産活動や労働の結果としておカネが生まれるような錯覚を持っています。しかし実際にはおカネの方が先にあって、生産活動はあとから付いてきます。ニンジンと馬の関係と良く似ています。何も無い状態で馬を走らせることは難しいですが、鼻先にニンジンをぶら下げてやると走り出します。同じように、経済においては「投資」つまりおカネを先に投入してやることで、生産設備を購入し、労働者を雇用し、生産体制を整えることができるようになります。つまり、先におカネを作り出す必要があるのです。

経済成長するためにはおカネが必要になります。しかもおカネが先に必要なのです。おカネを増やすことで、ニンジンと馬の関係のように、経済がおカネに引っ張られて成長します。歴史的には銀行がこの役割を果たしてきました。銀行は帳簿上でおカネを作り出し、それを実業家に貸し出します。この時点では銀行は何の価値も生み出して居ません。帳簿上でおカネを作っただけです。無からおカネをつくるだけ。そもそもおカネに価値はないのです。ところが実業家がそれを使って工場を建設し、商品を製造することにより価値が生まれるのです。すなわち、おカネには無から価値を生み出す力があるのです。

おカネは無から価値を生み出す力がある。これがおカネのすごいところです。銀行はこれを利用して利息を得てきました。経済の成長に伴って必要になるおカネは増えるのですが、それを先に作って貸し出すことで利息を得るのです。そして銀行は民間企業ですから利益がすべてに優先します。ということは、銀行の作るおカネは、利息を得ることができないなら誰かに貸す事はできません。つまり経済成長が低下した今の日本ではおカネを貸しても利息が取れませんから、貸すことはできないのです。中国のように、まだまだ成長余力のある国に投資したほうが確実に利益になります。日本の世の中には、環境や高齢化、少子化などに伴い、まだまだ必要とされる設備も商品もサービスもあるし、生産設備も労働力も余っているにもかかわらず、利益にならないから作らない。おカネが無いから作れない。利益を得られなければ、何もできない社会なのです。これは潜在生産力を活用せずただドブに捨てているようなもので、非常に非効率的で非生産的です。利益中心のおカネの使い方を改めなければ、毎年何十兆円もの生産力が無駄に消えていくだけなのです。

銀行ができないなら、政府がやればよいではないか?そうです。 利息を得る必要の無い政府が行えば良いのです。銀行は民間企業ですから利益が基準です。非営利組織なら利益ではなく、人々の幸福度を基準におカネを使うことが可能です。最も大切なことは、通貨循環の量を安定させ、経済成長余力にあわせて通貨の量を増やしてゆくことです。それを政府が行えば良いのです。そしてそのおカネを利用することで将来の社会が必要とするもの~たとえば、新エネルギー設備(太陽・風力・波力・地熱などの発電設備)、老人用の施設、海洋食糧生産設備など~をどんどん作り出すことで、環境問題にもエネルギー問題にも高齢化社会にも食糧問題にも対応できる社会資本を充実させることが出来るのです。おカネを増やすと言っても、もちろん限度があります。経済の成長余力を上回る勢いで通貨を増やしても、生産能力が追いつかなくなり、インフレを引き起こす可能性があるからです。政府がおカネをコントロールすることは簡単ですので、その心配は無いでしょう。

経済成長するためにはおカネが必要になります。しかもおカネが先に必要なのです。そして今まではその役割を民間銀行の作り出す「信用創造」に依存してきました。その結果、世界は幾度と無くバブルと不況を繰り返すだけで、そのたびに無関係な人々が巻き込まれて資産を失い、膨大な不幸を生み出してきました。これが理想的な金融システムなのでしょうか?

政府が民間銀行におカネ作りを丸投げすることの問題は、ノーコントロールだという点にあります。民間企業である銀行は収益が最優先ですから、必然的に市場から要求されるがままにおカネを作って貸し出します。それは企業の宿命です。すると実体経済の成長を遥かに超える速度で借金が膨張しバブルが引き起こされ、それが限界まで膨らむとやがて破裂して、急激におカネが世の中から消えて無くなる。銀行は作り出したおカネの担保として人々から不動産などを回収できるから被害は少ないものの、無関係な多くの人々は一方的に巻き込まれて資産を失うことになる。おカネの供給はきちんとコントロールしなければならないのです。そのために日本銀行があると多くの人が信じていますが、日本銀行があっても、1990年頃のバブルはコントロールできす、逆に最近はデフレがコントロールできません。日本銀行にはその能力が無いのです。

政府がおカネを直接きちんと管理して通貨の安定的な供給を直接行うべきなのです。通貨は民間銀行が好き勝手に供給すべきものではなく、公共のものであり、政府が管理すべきものなのです。