2010年12月31日金曜日

年賀状対応ブログ記事


年賀状に書いた「本当か?ウソか?」という問いかけに対する自分なりの回答を書きました。後述の見出しに書いた「俗説」は本当なのでしょうか、考えてみました。

①デフレは消費欲の無い人が増えたために生じている

消費しない若者が増えているという記事があちこちに見られるようになってきました。車を買わない、家も買わない、酒もタバコもやらずに貯蓄する。そしてそのような消費欲がない世代の人々が増えてきたのでモノが売れなくなり、景気が回復しないという。つまり、政府や日銀の政策が悪いのではなくて人々の性質が変わったことが不況の原因であり、モノの時代から心の時代に変化した自然の成り行きであるという。だから減税や給付金でおカネを人々に供給しても貯蓄が増えるだけで消費は増えないし、政府や日銀がどうにかできる問題ではないというわけです。もっともらしく聞こえますが、本当にそうなのでしょうか。

確かに現象として「消費欲が落ちた」のは事実かもしれません。しかしそれが人間としての本質的な消費欲の減退なのか、それともおカネを使わないこと(=禁欲)の馴れからくる消費欲の減退なのか、十分に分析されているとは思えないのです。私ははるか昔から貯蓄指向が強く、無駄なモノを買わず、それこそバブルの時代から贅沢とは程遠い生活をしてきました。つまりモノを買わない世代と同じであったわけです。しかし欲が無いわけではなく、禁欲であることへの馴れが節約や貯蓄という行動をとらせていました。そのような自らの経験から言って、人々の性質が変化したことは本質ではないと考えています。政府や日銀がデフレ不況を長期的に放置した結果、おカネがない状態が極めて長期に、世代の志向性を決定付けるほどに長期間にわたって続いたためにおカネを使わない世代が生まれたと考えています。社会が長期間デフレ不況であり、就職氷河期が続いているなかで、人々は消費しないことに馴れてしまった。そこに本当の原因があると思うのです。しかしこれは一種の「流行」です。社会全体におカネが長期間にわたって潤沢に供給されつづけるなら、多くの人々は、私のような一部の人を除いて必ず消費するようになるはずです。その意味において政府や日銀の責任逃れの口実として流されている「デフレは消費欲の無い人が増えたために生じている、だから政府や日銀に責任は無いし、対策も難しい。」は、私にはとても信じられるものではありません。

②おカネを刷るとおカネの価値が下がってインフレになる

おカネを刷るとおカネの価値が下がるのでしょうか?単純に考えれば世の中のおカネの量が二倍になったら、価値が半分になるような気がします。だからインフレになると思ってしまう人が多いようですが、はたしてそうなのでしょうか?確かに算術の上ではそうですが、実際にはおカネの価値は市場での売買を通じて決まります。はじめにおカネを二倍に増刷した段階ではおカネの価値は変わりません。そのおカネが世の中に出回って、人々の手に渡り、市場において人々が買い求める商品の量が二倍になると、商品の値段が二倍に跳ね上がります。つまり物価上昇(インフレ)となります。そこで初めておカネの価値が半分に下がるわけです。ところがもし人々の貯蓄意欲が高いために増刷したおカネを使わずに、増えた全額を貯め込んでしまったら、市場で人々が買い求める商品はぜんぜん増えません。すると商品の値段は上がりませんので、インフレは発生せず、おカネの価値はそのままなのです。さらに、もしおカネが二倍になって人々が買い求める商品の量が二倍になったとしても、二倍の量の商品が供給されるならば商品の不足が起こらないため値段もあがりませんから、インフレにもならず、おカネの価値も下がりません。

つまり、おカネの価値はおカネを刷るかどうかで直接決まるのではなく、おカネの増刷によって発生する需要の増加と商品の供給量のバランスの問題なのです。そして、もしインフレにならない程度のおカネが増刷され、それが人々に給付されるのなら、貧困が減り、人々の生活は豊かになるのです。「おカネを刷るとおカネの価値が下がってインフレになる」という情報は、紙幣の発行に消極的な日銀の責任を薄める効果はありますが、日本の経済に何らプラスの影響を与えるものではないと思うのです。

③失業が多いのは人々が仕事を選り好みするからだ

失業が多いのは失業者が仕事を選んでいるからで、仕事はいくらでもある。だから失業者に手当てを出したり、生活保護におカネを回す必要は無い。という話を聞きます。本当でしょうか。そもそも不景気で失業が増えるのはなぜでしょう。不景気になるということは、商品が売れなくなることですから、生み出される商品やサービスの量も減少します。生み出される商品やサービスの量は投入される労働時間に比例しますから、商品やサービスの量が減ることは、世の中の総労働時間が減ることを意味します。通常一人当たりの労働時間は大きく変化しません(不況になったからと言って8時間労働が5時間労働にならない)ので、世の中の総労働時間を一人当たりの労働時間で割った値、つまり必要とされる労働者数は減少します。これが失業率の増加する原因です。ですから、不況になれば確実に仕事はなくなるわけで、失業者が仕事を選り好みするから失業率が高くなるわけではありません。そもそもこれは「イス取りゲーム」なのです。イスを求人、イスに座れなかった人を失業者だとするなら、不況で求人が減少し続ける以上、イスに座れない人は確実に増え続けます。自分の努力で資格を取ったりスキルをアップすることでその人はイスに座ることができたとしても、その結果、別の誰かがイスを失うだけなのです。

確かに仕事を選り好みすればなかなか仕事に就けないし、資格をとるように勉強すれば就職に有利になることは間違いありません。しかしそのようなミクロ的に正しいことがマクロ的に正しいとは限らないのです。多くの場合、そこに本質的な問題解決を阻む「落とし穴」が潜んでいるような気がします。

④高齢化や人口減少で景気が悪くなるのは当然だ

高齢化や人口減少で景気が悪くなる。確かに高齢者になれば働き盛りの子育て世代に比べて消費は減りますし、人口が減少すれば売れるモノの量が減ります。これが景気低迷の現況のように聞こえてしまいますが、本当にそうなのでしょうか。これは景気を「量」としか捕らえていないために生じている誤解だと思います。確かに人口が減少したり高齢化すれば必要とされる商品やサービスの総量も減少します。日本のGDPは確実に減少することになるでしょう。しかし、それは「総量」なのです。むしろ重要なのは「一人当たりのGDP」です。高齢化でも人口減少でも一人当たりのGDPが高い水準にあるということは、一人当たりが生産し、一人当たりに分配される商品やサービスが十分に確保されていることを意味します。高齢化や少子化によるGDPの減少は、本来、人口の減少に比例して経済規模が縮小することにより生じる総量の減少であり、経済の質が低下するために生じるわけではないのです。一人当たりのGDPが高い水準にあれば、一人一人が必要とする商品やサービスが人々に行き渡り、貧困や格差が極めて少ない状態が実現します。これなら、たとえ総額のGDPが減少したとしてもそれを不況とは言わないでしょう。

人口が減少しても一人当たりの必要とする商品やサービスの量は減りません。ですから一人当たりの売上高は減少せず、景気の質を悪化させるものではないのです。裏を返せば一人が生み出さねばならない商品やサービスの量も減りません。ですから、一人当たりに要求される仕事の量が減るわけではなく、失業率を増加させる原因とはなりません。経済の総額が減少しても、一人あたりが必要とする商品やサービスを生産し、分配するという質的なレベルでは、まったく減少しないのです。さらに、ここで高齢化が進んで一人当たりの必要とする商品やサービスの量が減ったとしても、高齢者はそもそも働きませんので、若年層が生み出さねばならない商品やサービスの量はむしろ増加するはずで、失業率は逆に改善するはずなのです。繰り返しますが、高齢化や少子化によるGDPの減少は、本来、人口の減少に比例して経済規模が縮小することにより生じる総量の減少であり、経済の質が低下するために生じるわけではないのです。

では、なぜ景気が悪いままなのか?これは「GDPの質」が低下しているためです。そこに政府や日銀の経済政策の責任が問われるべきであるにもかかわらず、「高齢化や人口減少」という「不可避な条件」を、あたかもそれが原因であるかのように示すことで政府や日銀の責任を逃れしているようにしか思えないのです。

⑤世の中のおカネは日銀が作り出して社会に供給している

最も多くの人が誤解しているのは、これでしょう。多くの人は日銀が発行したおカネ「現金」が世の中に循環して経済を支えていると思い込んでいます。しかし実際に世の中に回っているおカネの90%は民間銀行が信用創造で無から作り出した貸付金である「預金」であり、循環しているおカネのほとんどがこれです。世の中のおカネは、もともと誰かが銀行から借りた「借金」であり、それがグルグル回っているわけで、もし世の中の人がみんな銀行に借りたおカネを返済したら、貸付金と預金が相殺されて世の中の90%のおカネは消えてなくなります。まるでなぞなぞですね。

そもそも日本銀行の発行したおカネがどのようにして世の中に出てくるのか?多くの人は理解していません。日本銀行の発行したおカネは、誰かが銀行に借金することで初めて世の中に出てきます。おカネを借りた人が、その借りたおカネで何かを買うことで初めておカネが流通しはじめるのです。おカネを刷るとインフレになると騒ぐ人がいますが、刷ったおカネがどこから世の中に出てくるか知っているのでしょうか?いくらおカネを刷っても、借金する人がいないとおカネは世の中に出てこない仕組みになっているのです。だから日本銀行が金融緩和して、ゼロ金利にして、国債を買い取って、銀行に現金をどんどん供給しても、世の中におカネは流れ出さない。そんな仕組みなのです。

しかし、おカネとは本来、銀行への借金としてあるべきなのでしょうか?おカネとはもともと公共財ではないのでしょうか?では、なぜ銀行に借金しなければ流通できないのでしょうか?この金融制度の基本的構造が唯一絶対に正しい方法であり、他に方法はないのでしょうか?とても面白いテーマだと思いますが、皆様はいかがでしょうか。