2019年7月2日火曜日

年金問題は「カネ」ではなく「モノ」で考えよう

老後の年金が足りない、年金問題が盛んに提起されますが、そのほとんどは「カネの収支」の話、つまり、カネをどうするかという話ばかりです。しかし、これはまったくのミスリードだといえます。

老後の生活を支えるのは、本質的にカネなのか?小学生でもわかる話ですが、カネそのものは食えませんし、着れませんし、住むこともできません。カネをモノやサービスといった財と交換することで、初めて人々は生活することができます。

ですから、どんなにカネがあったとしても、あるいは、年金財源がどれほどあったとしても、肝心のモノやサービスが無ければ、一日たりとも生活できないのです。

逆に言えば、モノやサービスが溢れるほど世の中にあるとすれば、カネなど、どうにでもなるのです。なぜなら、カネは「極めて簡単に、必要に応じて発行することができる」からです。つまり、カネが不足するという問題は、為政者が意図的に引き起こさない限り、そもそも、あり得ないのです。もし本当に不足するとすれば、それはカネではなく「モノやサービス」といった財になるのです。

そして、モノやサービスを世の中にたくさん供給するためには、技術力、生産設備、原材料、人材などが必要であり、それらが十分に確保できるなら、世の中には、おおくの財が供給されますから、高齢者の生活に必要な財もまた、十分に供給されます。これこそが、年金の本質的な財源になります。

とはいえ、市場経済においては、生産された財を人々に分配するために「おカネ」という仕組みを利用しなければなりません。そのため、どれほど豊かにモノやサービスが供給されたとしても、おカネが人々の手に行き渡らなければ、せっかく生産されたモノやサービスはムダになってしまいますし、人々の生活も、高齢者の生活も豊かになりません。では、どうするか?

財を生産することと違って、カネを発行することは、瞬間的に、指先一つで何兆円も発行できます。カネを増やすには、技術力も生産設備も原材料も必要ありません。つまり、財が十分に供給されているにもかかわらず、人々におカネが行き渡らないのであれば、単に、カネを発行して人々に給付すれば解決できるのです。

つまり、年金問題の本質は「きわめてシンプル」なのです。もちろん、こうした仕組みを具体的な政策として実行することは、大変な作業になるでしょう。しかし、年金問題の本質を理解し、ビジョンが明確であるなら、方針を立てることは容易です。

しかし、こんなシンプルな年金問題ですら、まともに本質を理解している政党、ビジョンを持った政党は、与野党を問わず、日本には居ないのです。ある意味、あまりのバカバカしさに、恐怖すら覚えます。もちろん、マスコミが先陣を切って年金問題をミスリードしているのですから、お手上げですw。「財源ガー」。

これでは、年金問題は改善するどころか、時間の経過とともに、ますます事態が悪化するであろうことは容易に想像できます。

知恵の足りないエリートに支配された日本の悲哀ですね。