2019年7月29日月曜日

「財源の裏づけ」は要らない

政治家や評論家が、したり顔で「野党の政策には財源が無い」と批判することが、しばしばある。しかし「財源が無い」はナンセンスな批判に過ぎません。

経済の本質はカネではありません。財(モノやサービス)を生産し、市場を通じて分配する活動そのものが経済の本質です。カネはそのときに利用されるツールの一つに過ぎず、そもそも、カネそのものには、何の価値も無いのです。なぜなら、もし財が生産されなくなったら、カネなど、まったく無意味な存在に過ぎないからです。

それが理解されるなら、「おカネが無い」という意味での「財源」(通貨の調達)は、本質的な問題ではないことが理解できます。おカネは必要に応じて、いつでも、簡単に発行することができるからです。おカネが足りないなら、発行すれば良い。もちろん、おカネの発行量にもルールは必要ですが、原則的には、必要に応じて発行すれば良いだけですから、超カンタンです。

一方、「財(モノやサービス)」が足りない場合は、簡単ではありません。おカネは指先一つでポンポン増やせますが、財を生産するためには、技術、生産設備や資源、労働力などが必要になるため、もし、財が不足すれば、その供給を増やすことは容易ではありません。教育や学問研究に対する投資、生産設備に対する投資、インフラなど、社会の生産基盤全体を底上げする必要があり、時間も必要です。

ですから、本質的に言えば、もっとも重要な点は「財の供給力」であり、カネの問題など「どうにでもなる」のです。

そして、財の供給力が十分にあるのであれば、それを余すところなく、市場で分配すれば、人々の生活は向上します。ところが、今、日本を低迷させているデフレとは、せっかく生産された財を「余してしまう」あるいは、「供給力を100%発揮せずに、ぶらぶらしている」ような状態のことです。これは、実にムダな話です。

しかも、ムダだけでは済まされない危険性も孕んでいます。もし、デフレの状態が長く続けば、社会の生産基盤全体に対する投資が低迷することになるからです。企業の売り上げが伸びず、おカネが無いため、教育や学問研究、設備投資、人への投資が低迷します。税収も減るため、公共投資も落ち込みます。すると、社会全体の供給能力がどんどん低下して、やがて必要な財を供給できなくなる恐れがあるからです。もちろん、世界経済の進化にも、日本だけが取り残されることになります。

では、なぜデフレなのか?生産された財を市場で交換するためのおカネが不足している、つまり、「人々におカネがないから、財を買えない」状況が生じているわけです。

であれば、解決は極めて簡単です。財の供給力は十分にあって、カネが足りないだけなら、単にカネをポンと発行し、それを国民(消費者)に分配すれば良いだけです。財が足りないなら大変ですが、カネが足りないだけなら、簡単です。すべての国民に、例えば毎月1万円(年間12万円)を給付すれば良いのです。

給付金の話をすると、必ず出てくるのが「財源が無い」というセリフですが、すでにご説明したとおり、この批判にはまったく意味がありません。カネが足りなければ、発行できるのですから。そして、日本の供給力は十分にあるのであり、しかも、デフレを脱すれば企業の投資が増え始めるため、供給力はさらに増加し、経済は成長軌道へと回復するのです。

「財源がない」は、理由にならない。「財源がない」は、子供だましの理屈に過ぎないのです。