2017年9月25日月曜日

マクロ政策争点なき衆院選は不毛

衆院選の各党マニフェストはまだですが、方針概要が新聞等で報道されています。しかし各党ともミクロ政策ばかりで、これでは何回選挙をしたところで同じことの繰り返しです。

自民党は人づくり革命や全世代型社会保障(教育の無償化・支援)であり、民進党もほとんど同じ社会保障や同一労働同一賃金といったあたり。ちょっとした騒ぎになっている小池氏がらみの新党(希望)も、しがらみのない政治とかワイズ・スペンディング(支出)を掲げるらしい。これらはほどんどがミクロ政策です。

経済政策において国政が地方政治と決定的に違うのは「マクロ政策」があることです。ある意味でミクロ政策は地方自治体でもできます。そして地方自治体こそ限られた財源の中で、いかに公共のための政策を行うか=ワイズスペンディングが重要です。地方はまさに家計簿の世界です。

しかし国政はマクロ政策として、国家経済全体を大きく動かす重大な政策を担ってます。マクロ政策の柱は財政政策と金融政策の二本柱であり、これをどうするかが課題です。

教育の無償化や同一労働同一賃金もマクロに与える影響は当然にあるわけですが、基本的にマクロはおカネの量が重要になります。財政政策の内容は当然重要ですが、全体としての財政出動をどれくらいの規模で行うか、が重要です。こうした報道がほとんどありません。

また、もう一つの柱である金融政策については各党ともまるでありません。金融政策は日銀の専権事項ではないのです。国民の意思を反映しなければ、金融政策は日銀の「恣意」で動かされてしまいます。それは民主主義ではありません。たとえば金融緩和はどうするべきか、インフレターゲットはどうあるべきか、それらの目標は国民が決めなければなりません。つまり公約です。

その上で、日銀が目標を達成するための手段として、具体的な金融政策の運用判断を行うのが日銀の専権事項なのです。何から何まで日銀の好き勝手にすればいいのではありません。

その意味で各政党の公約には、まるで期待できません。

そもそも成長戦略などと言って、ミクロ政策を下手に増やせば、それだけ手間が必要となります。結果、役人の仕事が増えて、ますます役人の権限が肥大化し、官民癒着の温床にもなります。

そうではなく、マクロ政策で経済環境をスッキリ良くして、あとは民間が好きなようにすればいい。政府は貧富の格差が拡大しないように再分配政策だけシッカリやればいいと思うのです。そもそも自由主義経済ってそういうことです。成長戦略なんか政府の仕事ではありません。民間の仕事です。

いやはや、何回選挙やっても、これじゃ何も変わらんでしょ。マクロですよマクロw。いくら財政出動するの、金融政策はどうすんの、消費税はどうすんの、それが最重要ですよ。政治家には少しは真面目に仕事していただきたいと思います。

マクロ政策なき衆議院選挙は何回やっても不毛です。