2017年9月15日金曜日

ひきこもりと学校制度の見直し

ひきこもりの増加が取り沙汰されていますが、いじめの問題も深刻化しています。旧態依然とする学校システムはそろそろ全面的な見直しが必要な気がします。

ひきこもりの増加には、いじめの問題が大きく関係していると思われます。直接いじめを受けなくとも、意図的に無視・仲間はずれにするといった状況も数多くあると思われます。そうした学校の状況が改善されない中で、自分の生存を守る行為として、ひきこもりは合理的な判断です。

むしろ、世間がひきこもり行為を問題視することで、ひきこもりに罪悪感(うしろめたさ)を覚えさせ、社会や両親からのプレッシャーと、学校でのいじめから逃れたい願望の葛藤によるストレスに耐えられず自殺したり、精神に異常をきたすことにあるではないかと思われます。

もし本気でひきこもりを無くしたいのであれば、学校の環境を変えるべきでしょう。学校を変えることなく、学校へ引っ張ってゆくのは拷問に近い所業です。

学校のどこがまずいのか。恐らく、すべての生徒を特定のクラスに押し込めて集団教育する、まるで工場のような大量生産型の教育に問題があるのではないかと思うのです。確かに大量同時教育は、生産効率が高いでしょう。しかし人間性は考えられていません。人間関係には、合う合わないが必ずあります。合わない人ともうまく連携できる能力を獲得できれば良いのですが、誰でもそれができるわけではありません。する必要もありません。

学校の基本的なしくみ、例えば無作為にクラス分けした多人数集団教育、画一的な教育内容などは相当に古いですから、抜本的に見直しが必要だと思われます。教師や生徒の意識改革でどうになかるとは考えられません。

クラス制や学区制を廃止して、完全にフリーの状態で好きな教室で授業を受けるようにしたり、授業ではなく独学中心(ただし試験で理解度をしばしば確認する)のコースを用意したり、自分達のペースでコミュニケーションすれば済むような環境を整えてやればストレスはかなり軽減されるはずです。クラス単位で強制的に行われる学校行事を止めて、自由参加で行う行事を多数用意するなどの工夫も必要だと思います。

こうした、教育内容の多様性を確保しようとすれば、教師、相談員などの人手がより多く必要になるわけで、もちろんおカネが必要です。しかし、こうした分野こそ人工知能やロボットによって失業が増える時代にあっては、生身の人間の活躍できる場であり、ますます力をいれるべき分野だと思われます。

もちろん財務省のように、口を開けば「財源がー」などと言っていては何もできません。たかだか最近話題の「教育の無償化」すら財源ガーと騒ぐ始末。そんなにカネが惜しいのか。

財源よりも、人の人生、人の命がはるかに大事です。カネなんか刷ればいくらでもできますが、人間の命はそうはいかないのです。