2018年1月9日火曜日

財政を家計に例える愚かさ

財政と家計は本質的に違うものです。家計は通貨を発行しないが、政府は通貨を発行する役割を持つ。経済の本質を無視した「財政=家計」のイメージによって大衆操作を行う記事は、フェイクに極めて近い悪質なデマです。

家計はミクロであり、財政はマクロであり、まったく違うものです。

おカネの性質から見ても、違います。ミクロである家計のおカネは一方通行です。収入と支出は完全に分離独立しており、それぞれだけで成り立ちます。たとえば、収入給料)の範囲でしか支出消費)はできません。また支出消費)を増やそうと減らそうと、収入給料)には何ら関係しません。

ところがマクロである財政のおカネは循環しています。収入と支出は相互に関係しており、支出が収入の源になるのです。たとえば、支出歳出)を増やすと経済活動が活発になって収入税収)が増えます。もし支出歳出)のための収入税収)が不足しているのならば通貨を発行して支出歳出)を増やすことができますし、その結果収入(税収)が増えます。

財(物やサービス)の面から見ても、家計と財政はまったく別のものです。

家計の財の消費は、収入によって制約を受けます。世の中にどれほど多くの財が満ち溢れていても、給料が増えない限り、家計の消費できる財の量は給料の金額を超えることはできません。

ところが財政の消費は、世の中の財の量が多ければ多いほど増やすことが可能です。その分だけ通貨を発行すれば消費できるからです。むしろそれを行わなければ世の中の財が大量に売れ残り、デフレの原因となります。

経済の本質を考えるなら、世の中の財の量が多い、言い換えれば財の生産能力が高いほど消費を増やすことができます。そして時代と共に財の生産能力は確実に増加を続けており、それゆえ、財政における消費も確実に増やすことが可能なのです。

但し、そのためにはおカネが必要です。今は貨幣経済の世の中です。おカネがなければ、どれほど多くの財が溢れていても、在庫のまま劣化を待つだけです。あるいは高性能な工場が稼動しないまま老朽化するだけです。あるいは優秀な労働者が働くことなく歳を取るだけです。これがデフレの原因となります。

もしミクロとマクロの区別すらできず、財政をあえて家計と同じだとみなし、通貨発行による財政を「財政ファイナンスがー」と騒いで否定すればどうなるか?それが現在の日本経済の実態なのです。

家計はミクロであり財政はマクロ。消費増税を正当化したいがためだけに、本来はまったく別の性質を持つ両者を、あえて同じように見せかける。まさに悪質な誘導によって、新聞マスコミは大衆操作を行っているのです。