2019年1月17日木曜日

マスコミはグローバルの実態を理解しているのか?

マスコミ、あるいはグローバリストの識者は日本のグローバル化を無批判に喜んで勧めてくるが、そのグローバルな世界の価値観に日本がすんなり対応できると考えているのだろうか。

最近、日本に対する風当たりが厳しい。隣の韓国は、日本の自衛隊機に対するレーダー照射問題に対して、ほとんど証拠を示すこともなく、状況からいっても、ほとんど意味のない反論をしてきている。そもそも照射されてもいない日本の自衛隊から、先に抗議するなどありえないのだ。明らかに韓国の主張には不利な状況がある。にもかかわらず、悪いのは日本であるとして、まったく引かない。つまり「どんなに不利でも、仮にウソでも、主張を押し通す」。

これは、日本人的な価値観から言えば、あり得ない非常識な態度であり、日本人の多くが「韓国が悪い」と思うかもしれない。しかし、そうではないと思う。むしろ、韓国の「どんなに不利でも、仮にウソでも、主張を押し通す」態度こそ、世界のグローバルなスタンダードだと理解すべきではないか。

これは、特別背任などの容疑で逮捕された日産のカルロス・ゴーン氏も同じだ。日本人なら、潔くあきらめて罪を認めるのが当然と思うだろう。しかし、「どんなに不利でも、仮にウソでも、主張を押し通す」態度こそグローバルスタンダードなのだ。だから、日本人の目には、ゴーン氏は悪人に見えるかも知れないが、欧米人にしてみれば、あれがあたりまえと思うのではないか。もちろん、それとは別の問題として司法制度の問題はあるが。

つまり、グローバル・グローバルなどと喜んでいるが、そもそも日本人に、こうした「どんなに不利でも、仮にウソでも、主張を押し通す」ことが、自然に、違和感なくできるようにならなければ、とてもじゃないが本当の意味での「グローバル化」など、あり得ない、単にビジネスの上で、金儲けのためのグローバル化にとどまるのではないかと思うのです。

グローバリズムは、単にシステムの問題だけではない。単にシステムだけ同じ土俵の上に載せても、対応はできないのです。しかも、日本人の大部分がそのグローバルスタンダードに合わせて価値観を修正せざるを得ないのだとすると、それは日本人としての特性を失うことを意味する。価値観の多様性はどこへいったのか?

また、逆に言えば、なぜ日本人が欧米の価値観にあわせなければならないのか、むしろ、世界こそ、日本の価値観に合わせるべきだとの視点もあってしかるべきだろう。

もちろん、マスコミやグローバリストはそんな心配はしていないだろう。彼らにとって重要なのは何よりも「カネを儲けること」だからです。