2019年1月18日金曜日

経済政策は、政権奪取のための道具なのか

庶民の政治的な関心の中心は、もちろん日々の生活向上であり、生活を支える経済政策、景気対策にあることは当然でしょう。ですから、各政党の経済政策の目的は、生活を向上するためであるはずですが、そうとは限らないようです。

つまりこういうことです。経済政策によって人々の生活を向上させる(あるいはそのような公約を示す)ことによって、選挙を有利に戦い、政権を奪取したなら、もちろん公約に基づいて経済政策を行なうわけです。しかし、彼らの本当にやりたいことは経済政策ではなく、極端に言えば、安倍政権なら「憲法改正」であり、野党なら「米軍を追い出す」ことであるわけです。つまり、本当にやりたいことはイデオロギー(政治信条)のようなものであって、経済政策は、民心を掌握するための道具であるというスタンスです。もちろん、すべてがそうだとは言いませんが。

まあ、それでも庶民としては生活さえ向上すればそれでよし、呉越同舟、同床異夢というところかも知れませんが、何かしっくりこない感じもします。

なぜなら、手のひら返しがあるんじゃないかと心配するからですw。そもそも庶民の生活向上が至上目的ではありませんから、いつなんどき、庶民の生活向上とイデオロギーを天秤にかけないとも限りません。もちろん、そうしたイデオロギーに基づく諸活動もすべて「庶民の生活のためなんだ」と主張することはまちがいありません。なにしろ、消費増税を堂々と主張する大新聞・大マスコミも「庶民のために庶民に増税する」とか平気で言いますから、何とでも言えます。

とはいえ、庶民の生活なんかほったらかしで、イデオロギー論争なんかやっている連中ばかりでは、天上の戦いを見ていうようなもので、庶民にとって政治や選挙なんかまるで無関係なままです。まずは、どうやって人々の生活向上を図るのか、それを活発に議論して欲しいところですし、単なる抽象論ではなく、マクロ経済学的な知見も交えて、より深く、濃い議論が必要です。これまでのような子供だましのレベルではダメですね。

そうした意味では、各政党が政権奪取のために、より、経済政策に磨きをかけ、庶民に提案するようになることは、前進であると思います。

政治なんて、所詮はどろどろした汚いものであって、美しい理想形を求めるのはナイーブ過ぎるかも知れません。互いに利用し、利用され、それでも何かよりよいものを掴み取りたいですね。