2010年7月11日日曜日

(1)経済の理屈に振り回される人々

いま、日本の政治は混迷を極めています。しかし、それ以上に混迷しているのは経済です。バブル時代の政治も確かにろくなものではありませんでした。しかしその当時の日本の景気は絶好調であり、社会は活気にあふれ、人々の所得は今よりずっと多く、格差も少なく、忙しいけれど生活は楽でした。しかし今や経済はデフレによる不況に苛まれ、人々の収入は減少し、格差は拡大する一方です。はたして日本の経済はどうなってしまうのでしょうか。多くの人々は不安を抱えて日々を生活しています。

にもかかわらず、巷に流れる経済の話は理論百出であり、どれが正しくて、何をどうすればいいのか全然わからない。曰く「このままではデフレで経済は崩壊する」「ヘリコプターでおカネをばら撒け」「ばら撒きは財政を悪化させる」「世界一の借金大国が財政破綻する」「インフレターゲットを導入しろ」「ハイパーインフレが日本を襲う」「為替市場に政府は介入すべきでない」「円高で輸出産業は空洞化する」など、まさに百花繚乱。主張の多くは正反対。ばらばらで統一されておらず、まさに混迷を極めています。世論がこんなことでは日本の経済は漂流を続けるばかりです。

なぜ経済に関する世論が混乱しているのか。なぜそうなのか。それは多くの人が細かい理屈の迷路に迷い込んでしまい、経済の本当の姿が見えていないからではないでしょうか。経済の専門家の言葉に惑わされ、必要以上に複雑に考えることでかえって本質を見失っているのではないでしょうか。政治家は自らの利益集団に都合のよい理屈を振り回し、マスコミは批判するだけで建設的な解決策は提示しない。だから人類の知識や科学技術がいくら進化しても、いつまで経っても人々は幸福にたどり着かない。専門家と呼ばれる人々の唱える細かい理屈に惑わされることなく、もっと大きく、経済を全体として捕らえ、その本質から切り込む視点が必要なのではないでしょうか。枝葉末節の理屈ではなく、何が本当に大切なのか?経済の基本に立ち返って、日本の経済を見つめ直すべきではないでしょうか。

そしてそれを探求することは政治家やましてマスコミの役割ではありません。私たち一人一人が、経済の基本をしっかり把握し、そこを起点として自分なりの目指すべき方向性、あるべき日本の政策を考える必要があると思うのです。自らの頭で深く考え、自らの信念を確立することが何より重要です。マスコミや政治家の意見をそのまま聞き入れるのは「自ら洗脳を受け入れるに等しい行為」です。

そして、自らの信念が確立されたならば、その自らの信念に適合する政治家や政党を選挙で選ぶわけです。政治家や政党が与えるビジョンを待つのではなく、自分たちがビジョンを描き、それを実現することのできる政治家や政党を選ばねばならないのです。そうしなければ、我々一般国民は一生涯、政治家やマスコミの言動に振り回され続けるだけで終わってしまうのです。

今の世論は経済の細かい理屈に振り回されて経済の本質を見失っています。しかもその理屈の多くは「おカネの理論」であり、経済の本質である「生産と分配(消費)の理論」ではありません。政治家もマスコミも「おカネの理論」に振り回されて日本のビジョンを描き出すことができません。しかし、細かい理屈などどうでも良いのです。本当に求められるビジョンとは、細部で矛盾があったとしても、重要な基軸をはずす事なく、社会のシステムを大きく捕らえ、全体としてより多くの人々を幸福に導くための統合的な指針であるべきです。そのためには複雑で矛盾する「おカネの理論」で人々の頭を混乱させるマスコミや政治家と距離を置き、私たちの生活に直結するはずの「生産と分配(消費)の理論」に基づく確固たる信念を築くことが必要なのであります。

「おカネの理論」に振り回されて経済の本質を見失ってはいけないのです。