2010年7月17日土曜日

(2)経済の基本は「生産と分配(消費)」

経済とはそもそも何でしょう。経済とは私たちが生活の糧を得るための最も基本的な活動の総称でしょう。ではそれは具体的には何か。私たちが生活に必要とする物資やサービスを生産すること、そしてそれを他の人と分け合うこと、交換することです。経済の本質はカネを生み出す活動ではないのです。

この本質を忘れて、経済の話というと「お金の収支の話」「おカネの価値の話」に迷い込んでいる人々があまりに多いのではないかと感じるのです。曰く、やれ国債の発行で国の借金がGDPの二倍だ。増税しなければ財政破綻する。通貨発行はハイパーインフレになる。すべておカネの理論ばかりです。それならば、カネの問題が解決すればそれで良いのでしょうか。国債を発行しなければ景気が良くなるのでしょうか。消費税の増税で国の財政収支が合えば人々は幸福になるのでしょうか。インフレさえ起こらなければデフレで国内の生産力がどんどん衰退しても、失業が減るのでしょうか。マスコミをにぎわす「おカネの理論」は、ただ人々の不安を煽り立てるだけで、統合的に課題をまとめ、解決策を提案することがないのです。これは大問題です。

おカネ中心の物の見方から少し離れて経済の基本である「生産と分配(そして消費)」の視点から同じ現象を分析してみると、違った側面が見えてきます。考えればすぐわかることですが、私たちの生活に必要なのはカネでは無くてモノやサービスです。住宅も衣類も食品も、家具も家電製品も、すべてモノですし、医療や福祉や観光や娯楽はサービスです。カネが幾らあっても、モノやサービスが不足していれば人々の生活は貧しくなるのです。逆に財政赤字だろうが、インフレだろうが、モノやサービスが十分に生産されるなら、人々の生活は豊かになるはずです。

ところが、現実の社会ではそうなっていません。たしかに世の中にはモノやサービスが溢れています。つまり人々が必要とするだけの十分なモノやサービスが供給されています。むしろ余っています。生産過剰なのです。にも関わらず一方ではモノやサービスを十分に得ることの出来ない人々、いわゆる「貧困層」「ワーキングプア」などの人々がどんどん増加しています。これはある意味で大変に不思議な現象です。人々のニーズを満たすのに十分すぎる生産力(供給力)がありながら、その一方で貧困(供給不足)が生まれている。失業により収入を絶たれた人々が増え、その一方で仕事のある人々には労働が集中し、サービス残業や過労死の問題が蔓延している。明らかにバランスを欠いています。その原因は生産と分配を無視したおカネの理論にあるのですが、そのことは徐々に分析してゆくことにします。

経済の原点は「生産と分配」です。おカネではありません。もちろん、実際におカネは大変に便利なものであり、おカネの利点を否定することはできません。おカネは生産と分配の仲介あるいは経済成長の先導の役割を担っており、その意味で極めて重要です。しかし忘れてならないのは「おカネは手段に過ぎない」ということです。このおカネと言う手段があまりに強力であるため、その威光に目を眩まされて、あたかもおカネが経済の主体であり、守るべき価値があるかのように感じてしまう人がほとんどです。しかし「おカネは手段に過ぎない」のであり、経済の本質は「モノやサービスを生産し、人々に供給すること」なのです。ゆえにモノやサービスが十分に生産できなければ、おカネの価値など吹き飛んでしまいます。むしろ、もしモノやサービスが十分に生産され、それがおカネを利用しなくとも人々に分配できる方法があるなら、世の中におカネなど必要ありません。

おカネで私たちは幸せになれるのではありません。おカネで手に入れる「モノやサービス」で幸せになれるのです。おカネは道具であり、それ自身が富であることは決してないのです。