経済システムは複雑です。しかし良く考えてみると、豊かな社会を築くための基本的な原理はわずか2つだけであり、それを原点に考えると経済はすっきりわかります。
①より多くの財(モノやサービス)を生産すること
②生産される財の量に見合う必要かつ十分なおカネを配ること
基本原理はわずかこの2つだけです。御用学者や新聞テレビのごちゃまぜ情報で頭が混乱するならば、まさにこの2つの立場から考えを整理すればスッキリするでしょう。
どうすれば社会が豊かになるか?それにはまず、財(モノやサービス)をより多く生産すればいいのです。財が多ければ多いほど、社会が豊かになるのは当然だからです。ですから、まずこれが第一の原理になります。これに異論を唱える人は、さすがに居ないでしょうw。
次に、財がどれほど豊富にあっても、それを買うためのおカネが人々に十分に行き渡らなければ、単に在庫の山ができるだけで、人々はちっとも豊かになりません。国民におカネを行き渡らせることが、第二の原理になります。これも異論はないと思います。
ほとんど、小学生でもわかる話ですね。しかしこれこそが、豊かな社会を築くための基本原理であり、経済政策の根本的な目的となるのです。
もちろん、この2つの原理をいかにして達成するか、その方法は様々であり、それゆえに経済論には多くの流派が存在すると考えられます。しかし、その中でもこの2つの原理に明らかに反している考え方が存在しています。まったく論外の考えです。
それが「緊縮財政」です。
この緊縮財政を推進する財務省の御用学者の記事が、なんと10/4付け読売新聞の1面のド真ん中に、堂々と掲載されていました。つまり、読売新聞のスタンスは緊縮財政です。
その記事は「安倍政権が全世代型社会保障で若者への給付を増やすなら、高齢者への社会保障は抑制すべき」と主張します。しかし、これでは高齢者の年金は減少してしまいます。あっちを増やせば、こっちを減らす。こんな発想では社会は豊かにならないのです。
そもそも、技術革新によって日本の生産能力はこれからもますます拡大するはずです。人工知能やロボットによって、生産能力は飛躍的に増加するでしょう。社会全体の財(モノやサービス)の生産量が増えるのですから、どうして高齢者をわざわざ貧しくする必要があるのか?
社会全体の生産量が増えるなら、あっちを増やせば、こっちを減らす必要はありません。両方増やすことが可能なはずなのです。ところが、財務省の御用学者はこんな小学生レベルの理屈すら理解できません。次のように主張します。
「高齢化社会で生み出される富の量は減るのだから・・・・」
さすがに、腰が抜けるほど驚きましたねw。これがどこそこの研究員だそうですよ。この人は未だに人間が財の生産の主力だと思い込んでいます。まあ100年前の人ですね。今日、財の生産は機械が行います。生産設備つまり「資本装備率」こそが生産量の最も大きな要因なのです。
財務省の御用学者も読売新聞も、「日本はもうダメ、貧しくなる」という、根拠のない後ろ向きの悲観論が前提なのです。こんな前提では国民生活が良くなるはずがありません。
このように、緊縮財政は「豊かな社会を築く基本」に明らかに反しています。経済政策の考え方には、いわゆるリフレ派、ケインズ派といった考えの違いはあります。しかし方法論の違いはあれ、両者ともに基本原理に反するものではありません。しかし緊縮財政だけは明らかに違うのです。
緊縮財政。これこそが、日本の生産力を毀損し、国民を貧困化する忌むべき考え方なのです。
ワイズスペンディング(賢い財政支出)の考え方は、歳出の総額を増やさずに内容を最適化する方法です。しかしこの方法は掛け声だけで何もできなかった「旧民主党政権」と同じ考えです。所詮、おカネがなければ何もできないのです。
旧民主党政権においても、ワイズスペンディングによって社会を変えようと考えられていました。おカネの使い道を変えるのだと。そして実際、民主党が打ち出したのがコンクリートから人へ、つまり「人」への投資であり、また少子化対策としての「子供手当て」であったわけでしょう。
人への投資や子供手当ての考え方は極めて正しい政策であり、それは今の安倍政権が似たようなことをしていることからも明らかです。安倍政権が最近打ち出した「全世代型社会保障」など、政策名が違うだけで、目指す方向は同じです。だから、民進党は安倍の争点潰しにあってしまったわけです。
では、旧民主党政権の何が根本的に間違っていたのか。財源に関する考え方です。あくまでも歳出を増やさず、限られた税収の範囲で、歳出の使い道の変更によって人への投資を実現しようとしたことです。これこそが、民主党の非常に甘い点だったのです。
予算の付け替えだけで、それほどの予算は捻出できません。あれだけ事業仕分けだなんだと大騒ぎしても、出てくるおカネは微々たる金額に過ぎません。それでは大きな政策を打つことなど不可能なのです。だから掛け声だけで何もできずに終わってしまった。もしあの時、旧民主党が頭を切り替えていれば、今頃は社会も大きく変わり、自民党の1人勝ちに終止符が打たれていたかも知れません。
しかし旧民主党は金融政策に関して極めて保守的な考え方しか持ち合わせておらず、もっと言えば、おカネの仕組み、意味をまるで理解していませんでした。そのため、ヘリコプターマネーはおろか、日銀の量的緩和政策にすら考えが及ぶことはなかったわけです。
世の中はカネの手当てができなければ何もできません。しかし、カネさえ手当てできれば、それを生かす生産力・技術力のパワーは日本に余るほどあるのです。実際にパワーが余っている(労働力・資本過剰)からデフレなのであり、賃金が低下してしまうのです。もしパワーが足りないのならデフレではなく、日本はとうの昔にインフレになっているはずです。つまり、足りないのはおカネなのです。
そうした極めて簡単な、小学生でもわかる理由に気付けば、今まさにおカネを発行し、それを財源として大胆な政策を打つべき絶好のタイミングであると理解できるでしょう。まさに絶好のタイミングなのです。今しかない。なぜそれをミスミス逃してしまうのか。
もし、小池氏の希望の党がワイズスペンディングで世の中を変えられると考えているのであれば、それは旧民主党政権とまったく同じです。実に甘い。予算の付け替えで出たショボイ財源で打てる政策など知れています。その場合、結果は見るまでもなく、旧民主党と同じ結果になるはずです。つまり、希望の党はイメージだけ良くて結局は何もできないまま終わるのです。
衆院選の争点が様々に言われますが、最終的に選挙で何が決まるのか?安部内閣の継続か、それ以外の自民党の総理に代わるか、その選択だけでしょう。政権選択(与野党交代)の選挙ではありません。
民主党が政権交代を実現した2009年の時に比べて、安倍内閣の支持率がそれほど低いわけではありません。ですから、新たな政党である「希望の党」が単独で政権を確保できる可能性は高くないと思われます。とすれば、もし仮に自民+公明が過半数を割り込んだとしても、希望の党との連携のような形になるはずであり、新しい政党への政権移行はありえないと思われます。
そうであるなら、次のような図式になるはずです。
①自民+公明で過半数の場合
=安倍政権の継続
②自民+公明で過半数割れの場合
=安倍以外の自民党政権
つまり、衆院選挙の後でも、自民党政権であることは変わらず、安部自民党政権か、それ以外の自民党政権か、その選択になるわけです。
つまり、新聞マスコミの解説するような争点など、あって無いようなモノだと思います。事実上、投票からもたらされる結果は①または②なのですから。ですから、あまり争点を複雑に考える必要はなく、むしろ複雑に考えるほど頭が混乱して判断を誤るだけ、そんな気もするのです。
とにかく、安倍以外なら誰でもいい、政策なんかどうでもいい、つまり「安倍おろしが目的化している」人にとってはチャンスかも知れません。そういう人は財務省や文科省をはじめとする官僚には多いでしょうね。安倍は政治主導の下に官僚と厳しく対立していますから。左派系の中にも、とにかく安倍でなければ誰でもいい、という人はいるようですし。
それにしても、希望の党からは、なにも政策が出てきません。とりわけ国民の最大の関心事項であるはずの経済政策、マクロ政策についてはまったく不明です。消費税の増税延期だけでは、あまりにも不十分です。どんなマクロ政策で行くのか。新聞マスコミも、ドタバタ劇で騒ぐのは好きでも、まともに取材しません。
しかし、新しい政党がこんなザマでは、また安倍自民党に投票するしか選択肢がないという、馬鹿げた事態になりそうな予感がします。各政党とも、一刻も早くマニフェストを発表して、マクロ経済政策に関するスタンスを明確にして欲しいですね。
希望の党に投票するかどうかは、マクロ政策で決めます。
新聞もたまには良い記事を掲載します。ノーベル生理学・医学賞受賞の大隅教授の講演会の記事がありました。博士の言葉「ゆとりがなければ科学は育たない」。
大隅教授は日本の科学・学問の置かれた現状に危機感を覚えているという。このままでは日本の学問研究は衰退してしまうかも知れない。公演の中で博士はこう述べられたという。
「今の日本はゆとりを失っている。ゆとりがない心から、おもしろい科学は生まれない。社会が役に立つことばかり求めていては、科学は育たない。ある研究が花開くのは10年後なのか100年後なのかは、誰にもわからない。本当に知りたいことを蓄積していく先に人類の将来はある。」(引用)
まさに正しい見解です。学問研究に成果や効率を求めることがそもそも異常なのです。とりわけ基礎科学の分野は、大隅教授のオオートファジーにしろ、何の役に立つのかまるでわからない。しかしそんなことは考えずに研究を始めたといいます。興味があるから、おもしろいから研究に没頭したわけです。
こうした研究は下手をすると本人が生きている間に何の成果(経済的効果)を得ないことすらあります。しかし、それらは確実に経験として積み重なり、世代を超えて大きな成果を生み出すこともありえるのです。実際、人類の科学や技術の進歩は世代を超えて受け継がれ、蓄積されることで発展してきたものであり、一個人の努力や才能の成果ではないのです。人類総がかりで生み出す、社会財産なのです。
それを、たかだか数年単位で学問研究に成果を求める姿勢は傲慢であり、科学に対する冒涜です。その根本には「投資効率」という「拝金主義」が存在しているのです。カネ、カネ、カネ、カネ。そんなにカネが惜しいのか。
マスコミ記者の質問は「何の役に立つんですか、成果はあるんですか」。財務省は「財源ガー、無駄遣いの排除」。まさに頭の中はカネ、カネ、カネ。
科学とは無駄遣いの大いなる成果である。
そんなこともわからん拝金主義者、財政再建カルトの連中によって、日本の研究学問、そして経済活動が潰されてゆくのは、極めて残念であるし、強い憤りを感じざるを得ないのです。
新聞テレビはしきりに成長戦略の必要性を報道しますが、具体政策は何も出てきません。結果として、単に人々の関心を成長戦略に向けさせているだけなのです。何十年を経ても成長戦略は出てこない。無いからです。
そもそも成長戦略を政府が考えることは不可能です。不確実性の時代になると、民間でも成長戦略を成功させることはとても難しい。唯一の方法は「数撃てば当たる」という確率論方式です。つまり、チャレンジの数が多ければ、失敗の山の中から成長戦略が生まれてくる。
しかし、そんなことを政府がやったら大変です。誰が失敗の山の責任を取るのか?それこそ新聞マスコミがよってたかって叩くでしょうww。だから民間が失敗の山を作る役割を引き受けなければならない。
重要なことは、人々の購買力を強化することです。カネがなければ、いくら良い製品が生まれても売れない。もちろん「超ウルトラ級の画期的商品」なら、人々におカネが無くても売れるかも知れませんが、そんな製品はめったに生まれない。つまり、失敗する可能性が高くなる。チャレンジャーは次々に討ち死にしてゆくでしょう。
一方、人々に購買力があれば、そこそこ良い製品であれば、そこそこ売れるはずです。そうすれば、チャレンジャーのリスクは軽減されるので、新たにチャレンジする人は増えてくるはずです。もちろん銀行や投資家の投資機会も増えますよw。
つまり成長戦略に必要なのは「モノやサービスが売れる経済環境」です。まずこれが大前提のはずなのです。カネがなくて売れないのに、成長戦略もあったものではありません。
日本の成長が止まったのは、バブル崩壊後に金融が引き締められて以来です。それ以来、基本的に金融はずっと引き締められ続けており、おカネの供給は減ったままです。バブル崩壊と同時に成長戦略が無くなったわけではありません。
成長戦略ではなく、おカネの供給が経済成長を支えていたのです。そんな簡単なこともお忘れですか?
ですから、もう何度も主張するように、給付金・ヘリコプターマネーなのです。成長戦略より、まずモノやサービスが売れる経済環境を作る必要があります。そこをまったくスルーして成長戦略の必要性を、しかも一つの具体論も出さずに記事を書く新聞テレビには呆れてしまいます。
そんなに新聞テレビは、国民にカネを配るのが嫌なのか。