デフォルト危機に陥ったキプロスへEUが行う融資支援の条件として、キプロス国内の銀行口座の預金に最大10%の課税を求めることがEU財務相会議で決まりました。この提案はキプロス議会で否決されてしまいましたが、それでもこの提案が打ち出されたことの意味は極めて大きいと思われます。なぜなら、どれほど資産家が預金を膨大に貯め込んでいても、これまでは決して課税対象とされたことがなかったからです。地球を丸ごと買い取るほどのマネーが世界に溢れているにもかかわらず。つまり預金は決して課税されることのない、資産家にとっての「聖域」だったのです。
この預金という聖域に切り込むEU財務相の決定は世界に前代未聞の衝撃を与えました。日本のマスコミや評論家は今やTPPで大騒ぎしているため、あまり気が付いていないようですが、これは世界の常識が変化する可能性を示唆しているのです。
<キプロス預金課税は「銀行戦争」か?>
今回の預金課税を正当化する理由として掲げられたのはキプロスの「タックスヘイブン」を利用したロシア資産家のマネーロンダリングへの対処です。キプロスの銀行ではロシア資産家から非常に不透明な資金が莫大に入金され、運用されていたという話です。いかにも悪そうな話に聞こえますが、しかし、このようなマネーロンダリングはユーロ危機以前から存在していたはずで、なぜその時点で放置してきたのかが疑問です。「今頃になって気付いた」などという間抜けな嘘は通用しません。こうなる事を予測して放置した可能性もあるでしょう。つまり「銀行戦争」です。キプロスの銀行を潰すためです。
実際、ロイター3月9日付けのコラム「キプロスの預金課税が正しい理由」という記事において、金融危機に際して銀行救済をしなかった(つまり銀行を潰した)アイスランドを例に挙げて、これを肯定的に紹介しています。
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE92I05G20130319?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0
そして、ブルームバーグでは預金への課税にドイツ財務省が強く関与しているという話を紹介しています。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MJW6HF6JIJUY01.html
しかし、マネーロンダリングも金融に過度に依存した島国「アイスランド」「キプロス」の姿も、程度の差こそあれ世界中にあるわけであり、彼らだけを「悪」と決めつけることができるのでしょうか?
資本主義は競争社会ですから、あらゆる機会を利用して競合他社を排除しようとするのは当然です。そしてそれは「同じ通貨圏」なら国境を越えて容易に行う事ができる。グローバリズムです。金融の暗黒面を批判した日本のアニメ「C The Money of Soul and Possibility Control.」で語られるセリフ「カネは血のにおいがする」を思い出さずにはいられません。
<緊縮財政地獄ギリシアよりは良い措置?>
IMFが融資を行う条件として課してきたのは「緊縮財政」です。しかし緊縮財政は通貨の循環量を減らすことになり、経済が衰退し、とりわけ低所得者に対して過酷です。緊縮財政で失業者が溢れ、社会保障も切り捨てられるからです。しかもこれが何年も何年も続く可能性がある。むしろアルゼンチンのように「破綻して借金を踏み倒した方が経済の再生が早い」のです。アルゼンチン経済は一時的に混乱したものの、破たんしたおかげでむしろ絶好調になりました。
しかし、破たんの道を選ばないなら緊縮財政しかない。それが今までは常識とされてきたのです。ところがキプロス支援では緊縮財政をもとめず、預金への課税を求めてきた。預金は通貨ストックですから、これを失っても緊縮財政のように、通貨の循環量が極端に減ることはありません。つまり過度に経済が冷え込むことはないのです。しかもその損失は低所得者よりもむしろ富裕層が主に引き受ける事になります。富裕層ほど大量の預金を保有しているからです。
これは緊縮財政であえぐギリシアやスペインよりも、キプロスの多くの国民にとってはありがたい方法論なのかも知れません。もちろん富裕層や銀行の猛烈な反対運動が起こるのは当然でしょう。聖域である既得権を失うからです。
ところで、預金課税を広く拡大してゆくと、取り付け騒ぎが発生する可能性があります。取り付け騒ぎが起こると銀行は簡単に破綻します。
もともと預金は現金から派生した通貨ですから、圧倒的に預金のほうが現金より多い。預金を引き出す、つまり預金を現金に交換すると、たちどころに現金が不足する。これを防止する方法はただ一つ。すべての通貨を現金にすること。すなわち「政府通貨」です。
<驚くべき可能性>
資産家と銀行の聖域である「預金」へ課税するという衝撃。キプロス融資の条件として発表された預金課税を「検討が不十分な政策」と批判する向きもあります。本当に検討が不十分なのでしょうか?預金課税が世界の金融システムにどれほど衝撃を与えるメッセージであるかは、素人でもほとんど瞬間的にわかるレベルであり、検討が不十分どころか、むしろ極めて十分に検討された上での発表であると考えるのが自然です。このメッセージがどのような権力を背景に出されたものであるかはわかりませんが、今までの常識を覆す「何か」が起こりつつあると考えるべきでしょう。日本のマスコミも識者もほとんど語りませんが、それを連想させるニュースが昨年ありました。
2012年8月、IMFが民間銀行の信用創造(預金創造)の停止と100%政府通貨についてのレポートを紹介しました。しかもレポートの内容は驚くべきもので、100%政府通貨により政府債務が無くなり、国債デフォルトや信用危機の問題が解決されて、GDPが10%も増加するというのです。つまり、信用創造の停止と100%政府通貨を肯定したレポートをIMFが紹介したのです。これは単なるレポートですからキプロス預金課税のように世界的な騒ぎにはなりませんでしたが、銀行の親玉であるIMFが銀行の存在を脅かすレポートを紹介するなど信じられない出来事です。そして、今回はレポートではなく「預金課税」という強制力を伴う判断が示されました。
何かが変化しています。
もちろんそれはTPPなどのグローバリズムと無関係ではないでしょう。
2013年3月17日日曜日
TPPは国家弱体化への道
TPPで国家が繁栄するといます。確かに「カネ」という守銭奴的価値観によれば繁栄するかに見えるかも知れません。しかし、それが真の意味で国家の繁栄と言えるか、つまり、「カネ」に走ることが国家の繁栄なのか、問われるべきと思うのです。
<効率化は弱体化と表裏一体>
グローバリズムは国際分業という考え方に基づくのでしょう。それは世界全体としての生産性を高めるかも知れません。しかし、それは同時に世界が相互依存性を高める事であり、逆に言えば、国家としての経済的な独立性を失う過程でもあるのです。
たとえば、食料はアメリカとオーストラリアが生産し、自動車は日本が生産し、石油はサウジアラビアが生産するというような分業になったとしましょう。すると生産効率が高まり、商品単価が低下し、余剰生産力を新たな産業へ振り向ける可能性も生まれます。確かにこれだけ見れば良いことのように思われるかも知れません。
しかし、このときすでに、自国は他国に依存することなしに生きられない。
経済的な独立性を完全に失うのです。
これは極めて危険です。
<事件が起これば一気に連鎖崩壊する>
このような時、たとえばアメリカの穀倉地帯が異常気象で壊滅したらどうなるか?その影響は全世界を襲います。高度に分業化されているため、逃げることはできません。アメリカがダメになったら、世界は終わり。それが分業体制の極めて大きなリスクなのです。
一方、現在の日本のように貿易依存度が低く、自前主義で経済的な独立性が高ければ、確かに生産効率は落ちるかも知れません。しかしアメリカの食糧が全滅しても日本は生き残れる。日本の農業の効率化はTPPと無関係に推進されるべき事でしょう。しかし、それはあくまでも「カネ」のためではありません。リスクへの対処のためなのです。
<グローバリズム(効率化)は人類滅亡へのプロローグ>
今から遥か6500万年前、地上で大繁栄していた恐竜は絶滅しました。なぜでしょう?恐竜の繁栄の背景には無駄を徹底して排除し、環境へ適応した生物の姿がありました。環境が安定していれば、効率化=特殊化は生物の生存にとって有利であり、繁栄をもたらします。ただし、あまりにもその環境に適応して特殊化が進んでしまうと、環境が変化しても、もはやその変化を受け入れるだけの柔軟性は失われてしまいます。隕石衝突のような環境の変化があれば、あえなく絶滅します。
そして生き残ったのは、原始的な哺乳類。
原始的とは、まだ特殊化が進んでいない状態です。
つまり、非効率的ですが、何にでも対応できる柔軟性を持っています。
TPPをはじめ、グローバル化は世界の国々を分業化し特殊化を進めます。
それにより生産効率は高まり、カネは儲かるかもしれません。
しかし、国家としての柔軟性を失い、巨大なリスクを抱える事になるのです。
<効率化は弱体化と表裏一体>
グローバリズムは国際分業という考え方に基づくのでしょう。それは世界全体としての生産性を高めるかも知れません。しかし、それは同時に世界が相互依存性を高める事であり、逆に言えば、国家としての経済的な独立性を失う過程でもあるのです。
たとえば、食料はアメリカとオーストラリアが生産し、自動車は日本が生産し、石油はサウジアラビアが生産するというような分業になったとしましょう。すると生産効率が高まり、商品単価が低下し、余剰生産力を新たな産業へ振り向ける可能性も生まれます。確かにこれだけ見れば良いことのように思われるかも知れません。
しかし、このときすでに、自国は他国に依存することなしに生きられない。
経済的な独立性を完全に失うのです。
これは極めて危険です。
<事件が起これば一気に連鎖崩壊する>
このような時、たとえばアメリカの穀倉地帯が異常気象で壊滅したらどうなるか?その影響は全世界を襲います。高度に分業化されているため、逃げることはできません。アメリカがダメになったら、世界は終わり。それが分業体制の極めて大きなリスクなのです。
一方、現在の日本のように貿易依存度が低く、自前主義で経済的な独立性が高ければ、確かに生産効率は落ちるかも知れません。しかしアメリカの食糧が全滅しても日本は生き残れる。日本の農業の効率化はTPPと無関係に推進されるべき事でしょう。しかし、それはあくまでも「カネ」のためではありません。リスクへの対処のためなのです。
<グローバリズム(効率化)は人類滅亡へのプロローグ>
今から遥か6500万年前、地上で大繁栄していた恐竜は絶滅しました。なぜでしょう?恐竜の繁栄の背景には無駄を徹底して排除し、環境へ適応した生物の姿がありました。環境が安定していれば、効率化=特殊化は生物の生存にとって有利であり、繁栄をもたらします。ただし、あまりにもその環境に適応して特殊化が進んでしまうと、環境が変化しても、もはやその変化を受け入れるだけの柔軟性は失われてしまいます。隕石衝突のような環境の変化があれば、あえなく絶滅します。
そして生き残ったのは、原始的な哺乳類。
原始的とは、まだ特殊化が進んでいない状態です。
つまり、非効率的ですが、何にでも対応できる柔軟性を持っています。
TPPをはじめ、グローバル化は世界の国々を分業化し特殊化を進めます。
それにより生産効率は高まり、カネは儲かるかもしれません。
しかし、国家としての柔軟性を失い、巨大なリスクを抱える事になるのです。
2013年3月10日日曜日
カネのちからを知り、新しい時代を作ろう
新しい時代へのビジョンはまだ描ききれません。しかし、そこへ至るための一つのステップとして金融制度改革(通貨改革)がきわめて重要な役割を果たすだろうことに自分は確信を持っています。通貨の性質を数年にわたり考察してきた結果、市場経済を主体とするシステムにおいては、通貨こそが経済のすべてをコントロールする鍵であると確信するに至りました。そしてリフレ政策の重要性を数年前から主張してきましたが、予想通り、安倍政権の「金融政策」で日本経済は劇的に変わろうとしています。カネはちからなり。カネは経済システムのすべてをコントロールし、支配する根本的な力なのです。
<20年のデフレ不況で学んだ国民>
金融制度の善し悪しがどれほど経済に大きな影響を与えるか?多くの日本国民はそれを安倍政権の金融緩和のもたらした威力で知ることとなったでしょう。なぜこれほどまでにカネが力を持つのか?それはカネが人を動かすからです。富とは人が動く(働く)ことで生み出されます。たとえそのカネが偽札であろうと、結果として人が動けば富が生み出されるのです。逆に言えば、どれほど優秀な人が多数いても、カネが無ければ富は何も生まれません。人が動かないからです。
もし、そんな強力な威力を持つカネ、つまり金融制度が「間違っていたら」どうなるのか?それも我々国民は20年間のデフレで学んだはずです。日銀の間違った金融政策がどれほど日本を苦しめたか?そして過去の政権が行った膨大な公共投資も、労働規制緩和も、富裕層の減税も、何の効果ももたらさなかった。ところが安倍が「金融緩和する、日銀法改正も辞さない」と言っただけで、今まで何をしても変わらなかった歯車が逆回転を始めたのだ。まさしくレジームの転換だった。これがカネのちからだ。
<国民の金融制度への無知は国を滅ぼす>
いまこそカネのちからを痛感し、国民は「金融制度」に真剣なまなざしを向けるべき時です。カネが世界を変える。そのカネの仕組みとはいかなるものなのか?ところが、大多数の国民は金融制度(通貨制度)についてほとんど「無知」なのです。驚くべき事に、およそ小学生のレベルを脱しません。嘘だと思うなら、偉そうな説教をたれる会社の上司に「準備預金制度」について訊ねてみましょう。ほぼ確実に何も答えられないでしょう。それなら、もっと簡単なところで「紙幣と硬貨の起源の違い」について上司に訊ねてみてください。「紙と金属の違い」と答えたら幼稚園レベルです。
国民はもっと金融制度を勉強し理解しなければなりません。
金融制度を知らなかったために、われわれは日銀に騙され続け、
20年もデフレに苦しめられてきたのです。
20年もデフレに苦しめられてきたのです。
カネのちからを知る、新しい時代はそこから始まるのです。
革新政党なき時代の保守政党の争い
日本の政治には革新政党がありません。もちろん中道もありません。あるのは保守政党と宗教政党(共産宗教含む)だけです。国民が革新を望んで政権を託した民主党は、蓋をあけてみるととんでもない保守=シロアリ集団だった。「保守亜流」の民主党に今更国民が望むものは何一つありません。
<民主党は保守亜流のシロアリ集団>
自民党の支持率が高いのは当然です。安倍政権が最優先に打ち出した「金融政策」へのコミットメントが市場に大きな影響を与え、それまで民主党の財務相が必死にわあわあ言っても何の効果もなかった為替相場があっという間に円安となり、株価が上昇して日本経済に明るい兆しが表れ始めました。国民が望んでいたのはこれなのです。
民主党への政権交代前から、金融緩和=リフレ政策の有効性が説かれていました。しかし、当時の自民党はおよび腰だった。だから、政権交代の時に革新であるべき民主党が、すかさず金融緩和を成すべきであったのです。ところが、あろうことか民主党は財務省・日銀のシロアリ集団に取り込まれ、緊縮財政の鬼「与謝野」を喜んで招き入れ、消費税の増税を強行し、泥沼の円高・デフレ不況へと日本経済を陥れたのです。これは典型的な「悪い保守」です。
そして民主党はTPPをなりふり構わぬ推進しました。TPPは保守です。なぜならグローバル経済とは目新しい考えではなく、すでに保守化した概念にすぎないからです。最近は「グローバルに動くことが常識」と多くの人が思い込んでいますので、それは保守(既成の価値観)なのです。その保守概念のままに、猪突猛進した野田は典型的な「保守」です。革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本から死滅しました。
<日本は保守政党だらけ>
革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本には一つもありません。具体的に考えてみましょう。
(保守)別名:右派、資本主義
自民党、民主党、みんなの党、維新の会、公明党
あえてこの単純なフレームで切り取るのは、新聞などが好んで利用する単純なフレーズであり、それが国民の意識を深く支配しているからです。自民党も民主党もみんなの党も維新の会も公明党もすべて保守です。もちろん違いはありますが、所詮は保守の派生形に過ぎません。だから「国民はどの政党も同じに見える」のです。民主党がなぜ独自色を打ち出すのに窮するのか?それは自民と同じ保守だからです。
<日本にあるのは革新ではなく「改革」だけ>
同じ保守でも「改革」という点で政党間に違いがあります。しかし、あくまでも改革は改革であり革新ではありません。たとえば安倍政権は明らかに「改革派」です。しかし既存の経済・社会のシステムの枠内でのみ変化を求めます。だから改革なのです。維新の会も同様です。橋下は安倍よりもさらに強い改革を唱えます。一方で民主党は「反改革派」です。金融緩和に反対し、緊縮財政を堅持せよという、まさに保守の中の保守として振る舞っています。アメリカでは保守政党である共和党の政策がこれと同じです。
<自民と民主の違いは「親米」か「新中」かの違いだけ>
右派・左派という概念はすでに時代遅れにすぎません。その実体は、イデオロギーを隠れ蓑とした「親米派」と「新中国派」の対立であったのです。共産主義のイデオロギーが崩壊したにも関わらず、新聞は未だに右派とか左派とか騒いでいる。変だと思ってよく観察してみると、右派・左派対立は保守とか革新とか、資本主義とか共産主義とかいう対立ではなかった。バックにいる国が資本主義か共産主義かという違いがあっただけなのです。
ですから、本来は革新であるはずの日本の民主党の主張が米国の保守である共和党と類似したり、逆に米国の革新政党である民主党の主張が日本の保守である自民党と類似したりという変な現象が普通に起きるのです。
もはや右派も左派も保守も革新もあったものではありません。その違いは「背景にある勢力(創価学会・外国含む)」なのです。政治は腐りきっています。
<共産党は宗教政党>
共産党が革新であると思うなら、それはとんでもない勘違いでしょう。彼らは共産主義という宗教団体です。神の教えを書いた小冊子を配っている連中と同じで、信じる者の精神は救われるかも知れませんが、世の中を変えることは何もできません。仏壇に向かって「マルクスありがたや・マルクスありがたや」と唱えても現世の人々は救われないのです。
資本主義を超えるためには、資本主義を熟知し、資本主義をコントロールするすべを持たねばなりません。むしろ自民党よりも優れて資本主義をコントロールできなければなりません。そのための究極の知識、資本主義的マクロ経済理論を持たねばなりません。そしてその理論を使って国を富ませ、政権を担ってこそ社会変革が可能となるのです。それこそが野心です。野望です。風車の突撃するドンキホーテではダメなのです。
共産党だからといって最初から死ぬまで共産主義に固執するのは愚かです。
<革新のビジョンが無いという悲劇>
なぜ日本に革新政党が無いのか。これは日本に限られた事ではなく、世界的にも同様だと思います。そのむかし、資本主義の発展形として革新の姿を人々に指し示したかに見えた共産主義は自己崩壊し、もはや世界に革新の価値観が失われてしまったのです。人々は次なる時代の方向性を見失い、政党が乱立し、それこそ「全世界的に決められない政治」になっているのです。
しかしマスコミでは紹介されることのない多くの革新的なアプローチがインターネット上で胎動しています。マスコミは保守の典型であり、革新的な価値観は決して紹介されません。新聞、雑誌、そのた大手マスコミの扱うものはすべて保守です。革新の目指すべきビジョンは、そのヒントすらマスコミから得ることはできないでしょう。
国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。
なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。
<民主党を倒して真の革新政党を>
日本には革新政党がありません。日本には革新政党が必要です。しかし民主党は完全な保守政党です。中道どころか、保守中の保守です。にもかかわらず、いまだに民主党に革新の期待を寄せる国民が居るとすれば、これは日本の真の革新にとって欺瞞でしかありません。
エセ革新政党である民主党を一人残らず雲散霧消させ、日本に真の革新政党を誕生させましょう。もちろん道のりは単純ではありません。民主党は放置しても自滅するでしょうが、失われた「革新のビジョン」を作らねばならないからです。それはもちろん資本主義の次の段階のビジョンでなければなりません。
バブルとバブル崩壊を繰り返し、デフレで自殺者を数万人も生み出す資本主義が「人類至高のシステム」と言えるでしょうか?永久に成長(拡大)しなければ維持不可能な資本主義に地球環境が耐えられるでしょうか?
国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。
なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。
2013年1月6日日曜日
経済の本質は「物々交換」 ゆえにインフレは怖くない
経済をおカネで考えるのが現在の主流ですが、その思考法だけに頼ると経済の本質が見えなくなると思われます。そもそもおカネに価値はなく、財と交換できるという約束、信用があるだけの存在です。にもかかわらず、おカネを財と同様の価値あるものとの前提に立つ経済学は、おカネがおカネを生む虚構の経済活動を正当化し、人々を実体のないカネ中心の経済論争に巻き込む危険性があると思われるからです。
<経済の本質は物々交換>
私たちの生活はおカネではなく、消費財を消費する事で成り立っています。それらは財(商品やサービス)と呼ばれます。世間ではおカネも「財産」と呼ばれたりするのでややこしいのですが、おカネは財ではありません。財とはあくまでも私たちの生活を直接支える「モノ」です。そしてこれらのモノは人々が労働して作り出したものです。流通や販売なども、このモノの一部と考える事ができるでしょう。そして、市場という場で、おカネという媒体を用いてモノを交換しあう事で多くの人々に消費財が分配され、経済が成り立ちます。
ですから、経済は物々交換が基本であり、おカネはその媒体です。当たり前の事です。ところが、経済の話になると、なぜかこの基本が忘れ去られて、おカネのやり取りの話が中心に躍り出てきます。モノの生産や分配という本質は捨て置かれ、おカネの収支だとか、おカネの価値(インフレ・デフレ)で経済を論じようとするのです。しかしおカネはモノと交換できる信用によって価値を維持しているのです。モノの生産と分配をほったらかして、おカネの話などいくら論じたところでナンセンスです。まずモノの生産と分配のシステムを活性化することが先決であり、そのためにおカネとはどうあるべきかを考える必要があると考えます。
<物々交換にはインフレもデフレも関係ない>
物々交換の経済には基本的にインフレもデフレもありません。おカネを介さずモノとモノを交換するのですから当然といえば当然です。昨日までニンジン10本と交換できた卵が、あすはニンジン12本、あさってはニンジン15本・・・というように、交換比率がどんどん増える、なんて事は、鳥インフルエンザでニワトリが全滅でもしないかぎり普通ありえません。ニンジンを受け取る側が、そんなにニンジンをもらっても仕方ないですから。ニンジンは腐ってしまいますから、必要以上に交換比率を吊り上げる人はいません。一方、おカネは腐る事がありませんから、いくらでも交換比率は上昇します。インフレです。
もちろん物々交換でも「作りすぎ」という問題が発生するかも知れません。あまりに多くの人が同じモノを作ると余ってしまい「もういらない」といわれてしまう。そんな時は作らなければ良いのです。一方で不足しているモノがあるなら、手分けしてそれを作ればよいのです。人々が分業して必要なモノをすべて作り出すことができれば、モノ不足は解消し、すべての人々に必要な消費財が行き渡ります。人々は生産者であると同時に消費者です。そして、人々が必要だと考えているモノがすべて満たされたなら、何もそれ以上に働く必要はありません。健康を損なうほど必要以上に働いてモノを生産しても無駄に腐るだけです。これは物質的に腐敗する事がない電子機器や家電製品でも同じです。技術の進歩で時間と共に商品が陳腐化するからです。
<インフレで貧しくなる原因は物価高ではなく賃金格差>
経済の基本が物々交換であるなら、たとえ交換におカネが介在したとしても同じ理屈が成り立つはずです。つまり、日本は生産力が十分に高く、人々の必要とするモノを作り出す能力が十分にありますから、モノ不足は生じません。モノは余るほどあるのですから、それを交換し合うだけでよいわけです。それが市場の役割です。
従って、仮にインフレになった場合でも、モノの値段は上がりますが、モノの量は不足しません。おカネの価値が下がったところで、人々が貧しくなる理由は何もありません。モノ不足による貧困は、途上国のように生産能力が低すぎる場合に発生する問題です。モノが十分にあるにも関わらず、人々にモノが十分に行き渡らないとすれば、それはインフレが原因なのではなく、市場の分配機能が麻痺している事が原因です。
通貨は消費者と生産者の間でぐるぐると循環しています。通貨循環です。モノの値段が上がるとモノが売れた時に生産者の受け取るおカネの量が増えます。高く売れるのですから、生産者の売上げは増えます。この場合、生産者は企業という事になりますが、企業は労働者が働く事で成り立っており、企業の受け取るおカネの量が増えれば、必然的に労働者すなわち消費者に分配されるおカネの量も増える事になります。原材料の仕入れ先から会社役員や株主まで含めてこれを生産に関与する労働者として捉えるなら、企業の受け取ったおカネはそれらの人々にすべて行き渡ります。これがキチンと機能するなら、インフレでモノの値段が上がっても、消費者の所得も増加し、モノが買えなくなる事はないはずです(ただし、銀行への借金返済は考慮していません)。
とはいえ、支払われるおカネの分配比率によっては当然ながらインフレ率より多く所得の伸びる人や、インフレ率より少ない分しか所得の伸びない人が生じます。これは所得格差です。この格差が大きくなると、所得の少ない人は賃金が伸びてもインフレに追いつかず、実質的に貧しくなります。つまり、インフレの弊害は物価が上昇する事で発生するのではなく、支払われる賃金の格差によって発生します。一方で、所得が大きく伸びた人は、その伸びた所得の分だけ消費を増やすかといえば、実は増やしません。増やすのは貯蓄です。貧しい人が増えて、逆に貯蓄だけ伸びる。これは問題です。
<モノが不足しないのに物価は上がるのか>
市場原理で物価が上昇する場合、需要が供給を上回る状態がなければならないはずです。日本の供給力が十分にあってモノ不足が生じないなら、市場原理から言えばインフレなど生じないと考える事もできます。確かにタマネギやニンジンなどは、いくら庶民がおカネを持っていても二倍も三倍も食べるようになるわけではありませんから、そのような意味でのモノ不足は生じないでしょう。しかし、ニンジンやタマネギでも単価に差があります。立派なニンジンや上等なタマネギは単価が高いし、量も少ない。庶民におカネがたくさんあると、そのような単価の高い商品が売れるようになると考えられます。
つまり、庶民のおカネにゆとりが生まれると、より品質の高い、付加価値の高い商品へと売れ筋の価格帯がシフトする可能性があると思われます。実はバブル経済の華やかな時代、おカネが有り余った人々は高級品嗜好、本物嗜好となり、高額で品質の高い商品が飛ぶように売れました。おカネにゆとりがあれば、高くても良いモノが欲しい。高くても自然食品が食べたい、健康に良い食事がしたい、中国産ではなく、国産の商品が欲しい、そう思うものです。
このような「商品の高品質化」という形で物価上昇が生じるのであれば、それは人々を不幸にするでしょうか?安ければ良いというデフレの風潮。そして安いから品質は悪く、どこが産地かもわからない食品を食べることに甘んじる、それがデフレ。そんなのはごめんです。インフレがモノ不足ではなく、商品の高品質化、高付加価値化から生じるのであれば、消費者にとってむしろ望ましい変化であると思います。
もちろん、希少品の価格は需要が増えることで上昇すると思われます。高くて買えなくなる人も出るかも知れませんが、おそらく一時的な現象で終わると思います。なぜなら、売れ筋の商品なら、メーカーがこぞって参入するからです。日本の企業を甘く見てはいけません。このような産業に失業者が吸収され、日本の生産力が拡大し、景気は回復してゆきます。
また、余ったおカネは新商品の販売を促進します。新商品は希少なので、みんなが新商品に飛びつくと需要が追いつかず、価格は高くなるでしょう。このような新商品が既存の低価格商品を市場から駆逐しはじめると、物価は上昇すると考えられます。
このような動きは、庶民におカネが十分に行き渡らなければ生じないでしょう。日本の貧困率は15%、OECD加盟国ではアメリカについで高い社会になってしまいました。ですから、所得格差を緩和し、庶民の所得を増やさねばならない、一億総中流の社会へ戻さねばならないのです。そして目指すべきは「一億総上流」の社会です。
<円安による輸入価格上昇で購買力は低下するか>
民主党や一部のマスコミは通貨供給の拡大による「円安」が輸入品の価格を押し上げ、インフレで生活が苦しくなると主張しています。本当にそうでしょうか。もしおカネを増やした結果として円安になり、モノの価格が高くなったとしても、増やしたおカネが庶民に行き渡ることで所得が増えるなら、物価上昇の影響は相殺される事になります。もちろん、おカネの回り方によっては所得の増えるタイミングが早い人もいれば遅い人もいるでしょうから、人によっては一時的に影響を受けるでしょう。しかし長期的に見れば、おカネがきちんと世の中に回り続けるなら、やがて多くの人の所得が上昇します。ですから、問題はおカネを増やすことにあるのではなく、「おカネの循環を妨げる行為」にあるのです。せっかく増やしたおカネを誰かが貯め込めば、所得は減り、購買力は低下するでしょう。
さらに、円安になれば輸出産業が輸出を伸ばす事になります。これらの輸出産業は輸出代価として外貨を受け取りますが、この外貨を売って円を買い、それを国内の設備投資や従業員の給与の支払いへ振り向けます。すると、おカネの循環量が増大し、所得を押し上げます。また貿易黒字の拡大に伴い、外貨を売って円を買う圧力が高まるため、円安にも一定の抑制がかかります。
<物価が上がる事は本質的な問題ではない>
モノの「価値」とは、人々がそれをどれほど必要としているかで決まるものであり、本来はおカネとの交換レートである「価格」で決まるものではありません。インフレは、おカネとモノの交換レートが変化しているだけであり、モノの価値は何ら損なわれていません。経済はモノとモノを互いに交換する活動ですから、その交換の媒体物であるおカネとモノの交換レートすなわち価格が変化しても、交換には影響はありません。
たとえばりんごと靴下の値段が同じ100円だったとすれば、りんごを100円で売って、その100円で靴下を買うと、りんごと靴下の交換が成立します。さて、消費者物価が10倍になり、りんごの値段も靴下の値段も1000円に値上がりしたとします。りんごを1000円で売って、その1000円で靴下を買うと物価上昇前と何ら変わりなくりんごと靴下の交換ができます。
つまり、価格とは媒体物である通貨とモノの交換レートに過ぎないからです。交換レートである「価格」が変化しても、我々にとってのモノそのものの「価値」は依然として変わらないのです。
<インフレを恐れるな、格差こそ貧困化の原因>
以上のように、インフレで人々が貧しくなる理由などありません。もし貧しくなるとすれば、それは賃金格差が拡大する事によって生まれるのです。物事にはバランスが重要です。能力や実績に応じて所得に格差があって然るべきですが、かといって、高給マンションに住む人々とネットカフェ難民が同じ日本に同居する事が健全だとは思われません。一億総中流といわれ、世界的に格差の少ないといわれていた経済成長期の日本が、活力のない社会だったわけではありません。
おカネを増やし、それをいかにして循環させるか。
それが日本を救う唯一の方法です。
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