2013年3月10日日曜日

革新政党なき時代の保守政党の争い


日本の政治には革新政党がありません。もちろん中道もありません。あるのは保守政党と宗教政党(共産宗教含む)だけです。国民が革新を望んで政権を託した民主党は、蓋をあけてみるととんでもない保守=シロアリ集団だった。「保守亜流」の民主党に今更国民が望むものは何一つありません。

<民主党は保守亜流のシロアリ集団>

自民党の支持率が高いのは当然です。安倍政権が最優先に打ち出した「金融政策」へのコミットメントが市場に大きな影響を与え、それまで民主党の財務相が必死にわあわあ言っても何の効果もなかった為替相場があっという間に円安となり、株価が上昇して日本経済に明るい兆しが表れ始めました。国民が望んでいたのはこれなのです。

民主党への政権交代前から、金融緩和=リフレ政策の有効性が説かれていました。しかし、当時の自民党はおよび腰だった。だから、政権交代の時に革新であるべき民主党が、すかさず金融緩和を成すべきであったのです。ところが、あろうことか民主党は財務省・日銀のシロアリ集団に取り込まれ、緊縮財政の鬼「与謝野」を喜んで招き入れ、消費税の増税を強行し、泥沼の円高・デフレ不況へと日本経済を陥れたのです。これは典型的な「悪い保守」です。

そして民主党はTPPをなりふり構わぬ推進しました。TPPは保守です。なぜならグローバル経済とは目新しい考えではなく、すでに保守化した概念にすぎないからです。最近は「グローバルに動くことが常識」と多くの人が思い込んでいますので、それは保守(既成の価値観)なのです。その保守概念のままに、猪突猛進した野田は典型的な「保守」です。革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本から死滅しました。

<日本は保守政党だらけ>

革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本には一つもありません。具体的に考えてみましょう。

(保守)別名:右派、資本主義
自民党、民主党、みんなの党、維新の会、公明党

あえてこの単純なフレームで切り取るのは、新聞などが好んで利用する単純なフレーズであり、それが国民の意識を深く支配しているからです。自民党も民主党もみんなの党も維新の会も公明党もすべて保守です。もちろん違いはありますが、所詮は保守の派生形に過ぎません。だから「国民はどの政党も同じに見える」のです。民主党がなぜ独自色を打ち出すのに窮するのか?それは自民と同じ保守だからです。

<日本にあるのは革新ではなく「改革」だけ>

同じ保守でも「改革」という点で政党間に違いがあります。しかし、あくまでも改革は改革であり革新ではありません。たとえば安倍政権は明らかに「改革派」です。しかし既存の経済・社会のシステムの枠内でのみ変化を求めます。だから改革なのです。維新の会も同様です。橋下は安倍よりもさらに強い改革を唱えます。一方で民主党は「反改革派」です。金融緩和に反対し、緊縮財政を堅持せよという、まさに保守の中の保守として振る舞っています。アメリカでは保守政党である共和党の政策がこれと同じです。

<自民と民主の違いは「親米」か「新中」かの違いだけ>

右派・左派という概念はすでに時代遅れにすぎません。その実体は、イデオロギーを隠れ蓑とした「親米派」と「新中国派」の対立であったのです。共産主義のイデオロギーが崩壊したにも関わらず、新聞は未だに右派とか左派とか騒いでいる。変だと思ってよく観察してみると、右派・左派対立は保守とか革新とか、資本主義とか共産主義とかいう対立ではなかった。バックにいる国が資本主義か共産主義かという違いがあっただけなのです。

ですから、本来は革新であるはずの日本の民主党の主張が米国の保守である共和党と類似したり、逆に米国の革新政党である民主党の主張が日本の保守である自民党と類似したりという変な現象が普通に起きるのです。

もはや右派も左派も保守も革新もあったものではありません。その違いは「背景にある勢力(創価学会・外国含む)」なのです。政治は腐りきっています。

<共産党は宗教政党>

共産党が革新であると思うなら、それはとんでもない勘違いでしょう。彼らは共産主義という宗教団体です。神の教えを書いた小冊子を配っている連中と同じで、信じる者の精神は救われるかも知れませんが、世の中を変えることは何もできません。仏壇に向かって「マルクスありがたや・マルクスありがたや」と唱えても現世の人々は救われないのです。

資本主義を超えるためには、資本主義を熟知し、資本主義をコントロールするすべを持たねばなりません。むしろ自民党よりも優れて資本主義をコントロールできなければなりません。そのための究極の知識、資本主義的マクロ経済理論を持たねばなりません。そしてその理論を使って国を富ませ、政権を担ってこそ社会変革が可能となるのです。それこそが野心です。野望です。風車の突撃するドンキホーテではダメなのです。

共産党だからといって最初から死ぬまで共産主義に固執するのは愚かです。

<革新のビジョンが無いという悲劇>

なぜ日本に革新政党が無いのか。これは日本に限られた事ではなく、世界的にも同様だと思います。そのむかし、資本主義の発展形として革新の姿を人々に指し示したかに見えた共産主義は自己崩壊し、もはや世界に革新の価値観が失われてしまったのです。人々は次なる時代の方向性を見失い、政党が乱立し、それこそ「全世界的に決められない政治」になっているのです。

しかしマスコミでは紹介されることのない多くの革新的なアプローチがインターネット上で胎動しています。マスコミは保守の典型であり、革新的な価値観は決して紹介されません。新聞、雑誌、そのた大手マスコミの扱うものはすべて保守です。革新の目指すべきビジョンは、そのヒントすらマスコミから得ることはできないでしょう。

国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。
なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。

<民主党を倒して真の革新政党を>

日本には革新政党がありません。日本には革新政党が必要です。しかし民主党は完全な保守政党です。中道どころか、保守中の保守です。にもかかわらず、いまだに民主党に革新の期待を寄せる国民が居るとすれば、これは日本の真の革新にとって欺瞞でしかありません。

エセ革新政党である民主党を一人残らず雲散霧消させ、日本に真の革新政党を誕生させましょう。もちろん道のりは単純ではありません。民主党は放置しても自滅するでしょうが、失われた「革新のビジョン」を作らねばならないからです。それはもちろん資本主義の次の段階のビジョンでなければなりません。

バブルとバブル崩壊を繰り返し、デフレで自殺者を数万人も生み出す資本主義が「人類至高のシステム」と言えるでしょうか?永久に成長(拡大)しなければ維持不可能な資本主義に地球環境が耐えられるでしょうか?

国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。


なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。