2013年7月14日日曜日

日本経済は引き裂かれている

経済の本質とは、人々が生活に必要とする財を互いに生産し分配(消費)する活動です。ところが、こんな単純明快なことが円滑に行われていません。現代の経済は金融バブルとバブルの崩壊を繰り返し、そのたびに財の生産が停滞し、財の分配が機能せず、多くの不幸な人々を生み出しています。なぜこんなバカげたことを繰り返すのでしょうか?

<現代の市場経済は「生産」と「分配」(金融)の機能が分裂している>

まだ通貨による取引が経済の中心ではなかったはるか昔のころ、生産と分配はほとんど一体のものでした。集落の中で分業が発達しても、収穫した食料は互いに持ち寄り、全員で分けていたと思われます。初期の市場が生まれた頃も、取引は物々交換であり、通貨が経済活動を支配するのではなく、小麦や羊毛のように、生産して作り出した「財」を交換していました。ですから、小麦や羊毛といった生活物資を作ることが経済の中心であったわけです。いかに多くの財を作り出すかで豊かさがきまりました。おカネはほとんど意味を持ちませんでした。

ところが現代社会では「生産」が「通貨」に支配されています。それはどういう意味でしょう?現代のデフレ社会を観察すれば一目瞭然です。デフレになると、工場は生産能力がまだまだ十分にあるにも関わらず動きません、消費財を作り出しません。なぜならおカネが無いからです。消費財が必要とされていないのではありません。日本には貧困層が人口の15%もおり、かれらは貧しい、つまり消費財を欲しているのです。もし、昔の頃のように生産と分配が密接な時代だったなら、動いていない工場を動かして消費財を作り、消費財の不足している人に分配すれば良いだけのことなのですが、それができない。市場を介して通貨が循環しなければ、何も生み出せないし、何も分配できない。それが現代の経済の矛盾です。

つまり、本来は極めて密接な関係にあるはずの「生産」と「分配」の機能のリレーション(関連性)が破壊されています。それを担う市場、そして「金融」があきらかにおかしいのです。生産能力はあるのです。にもかかわらず人々に消費財が行き渡らない。その原因は分配系(金融)にあるのです。

<生産系は着実に進歩している>

現代の政治家やエコノミストの多くが忘れている事は「日本には有り余るほどの生産能力がある」ということです。税収を増やさないと財政危機になるとしきりに唱えたり、高齢化社会が到来するから社会保障費が不足すると騒ぐ人々は、おカネの理屈で経済を考え、経済の本質である「生産と分配」は頭にないのです。だからひたすら「カネの収支」に固執し、財政再建や社会保障の抑制、つまり帳尻合わせを唱えるのです。

しかし、カネが足りるか、足りないかは問題ではありません。国家経済の根本的な問題は人々の要求する消費財(食料品だけでなく、自動車も家も)を十分に生産して供給できるかどうかなのです。それはカネがあれば解決する問題ではまったくないのです。国家の生産力そして財の耐用年数(商品の品質)こそが問題なのです。人々の生活を支えるのはおカネではなく、財だからです。

今の日本はデフレギャップがあると言われますが、デフレギャップとは使われていない生産力の事です。年間20兆円とも言われていますから膨大な量です。この20兆円は毎年毎年使われずに、いわば「失われて」いるのです。ところで、生産力とは財源の裏付けであり、デフレギャップの20兆円はいわば財源と同じです。消費税1%で税収約2兆円といいますから、消費税約10%分の生産力がおカネがないばかりに毎年失われているのです。ですから、増税よりまずこの生産力を活かすことが国家を豊かにするためには先決なのです。しかし、カネに目がくらんだ人々にはそれが理解できません。国を豊かにするより、帳簿上の収支が大切なのです。帳簿上の収支が合えばそれで良いと考えているのです。

また、毎年毎年、新しい技術が開発され、生産性は確実に向上し続けています。つまり、仮に日本の労働人口が高齢化で減少したとしても、技術革新によって国民一人あたりの生産力が向上し続けるなら、国民が得る事の出来る消費財が減ることは決してありません。国民一人あたりの生産力こそが、人々の豊かさを支えるのです。そして、国内調達のできない消費財は輸出で得るわけですから、やはり輸出するための商品を生み出す生産力が重要です。生産力が国を支えるのです。ですから生産設備の近代化と技術の研究開発が高齢化社会のために最も大切なのです。これは増税しても解決できません。

そして今、日本の生産力は有り余るほどあり、その能力が十分に発揮されるなら、日本のすべての人々にゆきわたるのに十分な量の消費財が生産できるのです。量が十分に作れるにもかかわらず、モノが行き渡らない現象つまり「貧困(格差)」が生じるという事は、貧困(格差)の原因が生産系の問題ではない事がわかります。生産系には何の問題もない、つまり生産性を高めるとされる規制緩和とか自由貿易を推進すれば社会保障や格差の問題が解決するわけではありません。分配系のシステムすなわち金融に問題があるのであり、これを根本的に正さない限り解決できないのです。

<分配系は荒廃している>

市場における高度な分業を円滑に実現するために、貨幣制度や金融制度が発達してきたのだと考えられてきました。しかし、実態はそうではありませんでした。むしろ分業の障害となり、生産と分配の分断を引き起こし、金融なしでは成り立たない病的な経済システムを生み出してしまったのです。金融に依存する経済は、確かに効率的である半面、非常に不安定で、崩壊すると世界中の人々を不幸にするという重大な欠陥を抱える事になりました。

その主たる原因は貨幣の3つの機能のうちの「価値保存」の機能にあると考えられます。貨幣は、市場を通じて様々な種類の財を生産して円滑に交換するための「交換機能」を有します。しかし同時に、貨幣には価値保存機能があるため、貨幣を使わずに貯め込むことが行われるようになります。特に近代において産業規模の拡大に伴い所得の格差が拡がり始めると、おカネが大量に貯め込まれるようになりました。所得の多い資産家や大企業はおカネをそれほど使う必要がありませんから、貨幣を使わずに貯め込むのです。貨幣の偏在です。おカネが貯め込まれてしまうと、市場において循環する貨幣の量が減少し、貨幣の「交換機能」がマヒしてしまいます。そのため、生産して交換される財の量が減少し、不況になる。これがデフレです。

それを防ぐ方法として有効と考えられてきたのが「投資」であり、その動機となるのが「金利」です。つまり「金融システム」です。金融システムにより、貯め込まれた貨幣が再び市場に流れるよう、投資が行われます。投資によりあらたな企業が生まれると、通貨不足で生じているデフレギャップすなわち余剰生産力を吸収して、新たな商品を作る生産力となります。投入された通貨は、新たに生まれた商品の生産と分配のために市場で再び循環をはじめます。新たな通貨の循環は経済成長と呼ばれます。この流れが資本主義の基本的な経済成長システムです。投資することでデフレを避け、資本主義システムを成長させ、維持できるのです。

ということは、資本主義の経済システムは、次々に新しい投資、すなわち、新しい商品を生み出し、大量生産、大量消費を続けなければデフレで経済がマヒするという宿命を負っている事になります。なぜ世界が血眼になって「経済成長」を叫び、東南アジアや中国に進出しようとするのか?それは、資本主義が永久に成長を続けなければ破綻するシステムだからなのです。

しかも最も大きな問題は、今日の経済が、世界の人々を豊かにするために消費財を生産しているのではなく、むしろおカネを循環させてシステムを持続させる目的のため、あるいは利潤を追求しておカネを増やす目的のために消費財を生産するようになっていることです。金融とは「おカネを増やす事が目的」だからです。金融が発達し、金融が力を持つようになり、その傾向は時代と共に顕著になってきました。人々の暮らしのために消費財を生産しているのではなく、おカネを増やすために商品を作っているのです。だから大量生産・大量消費で売り上げがどんどん増える事が美徳とされる。おカネが経済活動のためにあるのではなく、経済活動がおカネのためにあるのです。おカネの暴走です。貨幣経済の発達に伴い、経済はおよそ健全さを失いつつあるのです。

<金融の暴走が分配系をさらに破壊する>

経済活動のためにおカネがあるのではなく、おカネを増やすために経済活動がある。その不健全さは今日の「金融」においてますます深刻化しています。おカネがおカネをうむシステム。株式市場、先物市場、債券市場、それらの取引を過激化するレバレッジという仕組み。もはやそこには生産活動すら介在しません。「生産と分配」の経済とは完全に分裂して、おカネの仕組みだけが独立して暴走を続けています。消費財を何も生み出さないのに、おカネだけが増え続ける。

本来、おカネは消費財などの生産に裏付けられたものでなければなりません。そして消費財を生み出した代価としておカネが存在しなければなりません。そしてより多くの財を生み出した人ほど多くのおカネを受け取ることができる。それが健全な意味での競争であり格差です。

しかし、金融では、おカネがおカネを生むシステムにより、何の財を生み出すことなく、おカネだけを増やすことができます。単に仕組みを利用して機械的におカネを増やすのです。そしてその代価として資産家や金融街の人々は膨大なおカネを受けとり、労することなく消費財を思うままに買い取り、浪費することが出来るのです。どんな理屈をつけても、これが健全であるはずがありません。

<それでもカネに依存せざるを得ない悲惨な経済システム>

しかし金融バブルの崩壊で世界的に明らかになったことは、もはや世界経済が金融街の生み出すカネに依存するような体質に成り下がってしまっていることです。金融バブルが崩壊すると実体経済が崩壊するのです。そして金融バブルが復活すると実体経済が良くなるのです。バブルが生み出すカネそして、そのカネの循環が実体経済を支えているということです。それはなぜか?経済にはおカネが必要だからです。たとえそれが偽札だろうと黒いカネだろうと関係ありません。人々がおカネだと信じているモノが供給されれば経済は動くのです。では、もはや世界経済は金融街が作り出すバブルに依存し続ける宿命なのでしょうか。そんなことはありません。

金融街の生み出すおカネはすべて「信用創造」によって金融街の民間銀行が作り出しています。政府ではありません。あくまでも金融街の民間銀行が信用創造によっておカネを作り出しているのです。しかも、これは貸し付けによって社会に流れ出す仕組みです。つまり、だれかが借金をすることでおカネが生み出される仕組みです。そして実のところ、バブルはこの借金と密接な関係があります。借金から生まれたおカネに依存してバブルがどんどん成長します。バブルが成長すればするほど民間の借金は増大します。そのため、バブルが崩壊すると後には膨大な「借金の山」つまり不良債権が残され、通貨循環が凍りつき、つまり経済がマヒします。

経済混乱の最大の原因は「借金でおカネが生み出されるシステム」にある。

ですから、金融街が信用創造を介して借金として膨大なおカネを作り出すのではなく、政府がおカネを作ればよいのです。日本で言えば、日本銀行だけがおカネを作るのです。あるいは政府通貨でも良いのです。そうすることで、債務や債権を増やさずにおカネを市場へ供給することができます。現代の経済システムは借金の量が多すぎるのです。債権や債務に頼りすぎているのです。債権があれば、当然ながら不良債権が生じるリスクが高まる。債権や債務が増えすぎるから、資産価格の暴落などが引き金となって経済がマヒするのです。債権や債務に過度に依存することは不健全です。債権を発行してまでおカネが必要なのであれば、通貨を発行すれば良いのです。

実際、昨年にIMFから紹介された論文によれば、民間銀行が信用創造でおカネを作りだすのを止めて、すべてを政府通貨の発行に置き換えると、GDPが10%成長し、政府の債務もゼロになるのだそうです。

<貯蓄への課税が根本的な解決>

しかし、政府通貨の発行には根強い反対があり、特に銀行にとっては死活問題ですから、本当にそれをやろうとすると多数の暗殺が発生しかねません。実際にリンカーンやケネディは政府通貨を発行し、あるいは、発行しようとして暗殺されています。

ですから、別の方法として、使われずに死蔵されている貯蓄に課税して徴収し、そのおカネを市場へ供給するという方法も検討すべきと思われます。

つまり不況の基本的な原因が、おカネが使われずに貯め込まれること、つまり「通貨の退蔵」にあるのですから、それを修正することが最も理にかなっています。もちろん貯蓄の「価値保存機能」は人々の生活を安定する上で有効な機能であることは間違いありません。しかし限度があります。あまりにも多すぎる貯蓄は経済や社会に悪影響を与えるため、その代価を支払う義務があるでしょう。たとえば、1000万円以上の預金資産に対して、段階的に課税をかけてゆくといった方法が良いと思います。

そして、資産(ストック)への課税を強化すると同時に、逆に所得や消費(フロー)への課税は軽減します。特に消費税はインフレターゲットの目標物価を超えるようになるまでは、ゼロにすべきです。おカネを循環させることが市場経済を十分に機能させるためには最優先です。また、高額所得者の資産には高率な課税がされるようになりますので、逆に所得税率は軽減しても良いでしょう。たくさん稼ぐのは悪い事ではありません。しかし、それを貯めこむことは悪い事です。たくさん稼いでたくさん使っていただくことが、経済を活性化させるでしょう。税制もそのようにすべきです。

<カネの収支ではなく生産と分配を中心に経済を考えるべき>

私たちの生活を支えるのは財であり、それを作り出すための生産力こそが国を支えます。生産のための工場やオフィス、店舗などがあり、そこで私たちが働くこと、すべての人が働く職場を持つことが豊かな社会を生み出します。貿易を行うにしても商品価値の高い財を生み出すことが基本です。そしておカネは生産活動と分配機能を円滑に働かせるための道具であって、カネそのものには価値はない。そこを基本に経済を再構築することが求められていると思います。