2022年5月22日日曜日

円安・円高と日本の価値

このところの円安で「日本が売られている」「日本の価値がー」と騒ぐ人が散見されます。しかし円安なら日本の価値が低いのか、円高なら日本の価値が高いのか、よく考えるとそんな単純な問題ではないことがわかるのです。

 そもそも、為替市場で円安・円高を決めるのはどのような要因があるのでしょうか。様々に考えられますが、主要ないくつかを挙げたいと思います。

①金利の差

②通貨供給率の差

③貿易収支


①金利の差

 今回の騒ぎになってるのは、主にこれです。世界的に需要が回復してインフレ率が亢進しており、各国が政策金利の引き上げに踏み切るなか、日本だけは需要の回復が不十分なために、日銀が金融緩和の維持を決めている。世界の為替ギャンブラーにとっては、金利が高い方が儲かるので、当然ながら円売り・ドル買いをすることになる。

 すなわち、これは単に通貨取引で「儲かる・儲からない」というギャンブラーの下心が反映されたものであり、「日本の価値が低くなったから円が売られている」のではない。ところが、ドサクサに紛れて、円安になったから、日本の価値が低くなったというような非論理的なフェイクを垂れ流す評論家や一般人が少なからず存在するようである。では逆に、日銀が金利を引き上げて円高になったなら、その瞬間に日本の価値が上がるのか?馬鹿げた話である。つまり、金利の差による円高・円安は日本の価値と関係ない。よって、日銀が金利を上げて円を高く維持しても、日本の価値にとって意味はない。金融緩和の継続によって不況を脱し、経済を強くすることが、日本の価値を高めることとなる。

 とはいえ、円安の影響で輸入物価が押し上げられ、消費者の負担が増加することは確かである。ゆえに、インフレの影響を強く受ける低所得層を中心とする、生活支援給付金を支給することで、国民の生活を支援する必要があり、そのために財政出動を惜しむべきではない。

②通貨供給率の差

 おカネといえども、市場(為替市場)で取引される以上は、量が多い通貨は安くなり、量が少ない通貨は高くなる。この「通貨の量」は、日本の価値とは直接に関係しない。なぜなら、経済力と関係なく、おカネは刷ろうと思えば刷れるからである。おカネを刷ったからといって、日本の価値が下がるわけではないし、おカネを刷らなかったら日本の価値が上がるわけではない。ただし、円通貨の量が増えれば、相対的に他の通貨より円の方が安くなるのは当たり前のことである。これは通貨の価値であって、日本の価値ではない。

 では、日本の円通貨の発行量は他の先進国と比べてどうだったのか?実は、バブル崩壊後、失われた20年の間、他の先進国よりはるかにおカネを発行してこなかったのである。日本はカネを刷らない。つまり、円高になる条件を満たしている。円高であるはずだったその当時の為替レートが120円程度だったとすると、仮に他の先進国と同じ程度のおカネを供給していたなら、もっと円安になっていたはず、つまり、130円や140円といった水準になっていたはずである。それが本当の円の実力と言える。

 つまり、バブル崩壊後の失われた20年における120円というレートは、カネの発行をケチることで通貨の価値を高く維持してきた結果に過ぎない。円通貨の本当の価値を通貨のレートに反映したいなら、当然ながら、他の先進国と同じだけのおカネを供給しなければならないからだ。従って、仮に日銀が金利を引き上げたとしても、他の先進国に足並みをそろえて通貨供給を行うならば、1ドル130円、140円といった相場になることも十分にあり得ると考えられる。

 すなわち、1ドル=120円という円相場は、高すぎたのである。もっと早期に円安に転じていれば、産業の海外移転にもブレーキがかかり、今日のように産業が空洞化して、低賃金のサービス業しか残されていない日本とは別の姿になっていたかもしれないのである。

③貿易収支

 おカネと言えども、その価格は市場(為替市場)における需要と供給の関係で決まる。買いたい人が多い通貨高くなり、買いたい人が少ない通貨は安くなる。金利が為替に影響を及ぼすのもそのためだ。しかし、金利による通貨の需要はどちらかといえば「投機的な需要」である。通貨取引で儲けるギャンブルだ。一方で通貨には「実需」がある。例えば輸出企業がアメリカに輸出して代金をドルで受け取った場合、国内の決済などに利用するためには円が必要なので、そのドルを円と交換する必要が生じる。そのため、為替市場でドルを売って円を買うことになる。従って、輸出が大きければ為替市場では円を買う需要が高まって、円高となる。たとえばバブル経済の頃の日本は莫大な貿易黒字を出しており、そのために円高圧力が常に働いていた。

 このように、財の生産と貿易に伴って発生する通貨の需要は「実需」と呼ばれる。こうした円の実需によって生じる円高は、日本の供給力、輸出競争力などを反映するものであるため、日本の価値を反映したものであると言える。逆に日本の供給力が低く、輸出競争力も低ければ、円の実需は低くなり、円安となる。このような円安は、あまり望ましいものではない。

 一方、「通貨安戦争」という言葉があるが、それは、自国通貨の安い方が自国経済にとって有利であることから、各国が自国通貨を安く誘導しようとして争う状態を指して「通貨安戦争」と呼ばれる。このことからわかるように、円安は自国経済に有利であることは明らかである。さかんに「通貨安戦争」という言葉を記事に書いてきたマスコミは、このことは綺麗さっぱり忘れて、今や「悪い円安」を連呼する始末である。所詮は、ご都合主義だ。

 為替というのは、ある意味で「ビルトインスタビライザー」のような働きをしていると考えられる。つまり、輸出競争力が高くなると輸出過剰となり、円高を招くが、円高になると輸出競争力が低下して輸出が減る。ゆえに、為替を意図的に操作する必要はないのだか、それはあくまでも「他の先進国と同じ程度に通貨を供給し、同じように金融政策を実行する」ことが前提となる。つまり、ここでは①と②を他国と同じにしなければならない。これまでの日本はこれが欠けていた。バブル後の通貨供給は他国より少なく、リーマンショック後の金融緩和は他国より遅れ、そのせいで金利の引き上げも遅れている。これでは、まともにビルトインスタビライザーが働くはずがない。

 このように、円の価値は「日本の価値に関係する場合」と「日本の価値に関係しない場合」があり、それらを明確に分けて考えるだけの分析力がなければ、単に「円高は良い」「円安は悪い」という考え方しかできないのである。そして、マスコミはその典型と言える。

 現在の円安は金利差によるものであり、大騒ぎするまでもない。日本の国内需要が金利を引き上げるほど回復すれば、金利は引きあげるのである。通貨の投機需要などどうでもよい。問題は、真の意味での「日本の価値」が低下することであり、それは「日本の供給力が低下すること」である。円安は日本の輸出競争力を高め、産業の空洞化に歯止めをかけ、あるいは日本国内への産業回帰にもつながるものであり、日本の供給力を高めることにつながる。円通貨が安いにもかかわらず、ジャイアン・アメリカwあたりから「為替操作国」とか言われないのだから、むしろ幸いな話なのである。

2022年5月6日金曜日

円安、為替操作より国民に給付金を

急激な円安を受けて、日銀の金融緩和を批判するマスコミ論者があふれている。しかし単に金利引き上げで円安を和らげ、短期的に輸入物価の上昇を抑えたとしても、経済の根本的な問題は何も解決できません。ところが、ネット民の多くはそのことを理解できないようです。

ネット世論を調査する目的で、最近は時々Yahooニュースにコメントを書いて、そのコメントに対するネット民からの反応を観察しています。

それによると、ネット民の多くは、円安を非常に不満に感じているらしいことがわかります。これは、マスコミの報道が「円安=輸入インフレ=生活苦」のような、ほとんど円安のデメリットにばかり偏っていることが深く影響していると思われます。その結果、多くのネット民は、日銀が金利を引き上げるなどして「円安を解消すべき」と考えているらしい。自分は金利による為替操作はせずに、国民にカネを配って国民の所得を底上げする方が良いとコメントを書いたのですが、非常に不評でしたw。

しかし、良く考えてみましょう。そもそも、なぜ日銀がかたくなに金融緩和をやめないのか?日本が不況のままだからです。消費がぜんぜん回復していない。輸入価格が上昇して、わずかにインフレ傾向にあるだけです。アメリカのようにモノがバンバン売れてインフレになるようなら、日銀もとっくに利上げしているでしょう。つまり、「消費が増えて、景気が良くなれば、金利を上げるのが当たり前になる」のです。では、どうすれば消費が増えるのか?まだコロナの影響が残っているとはいえ、国民におカネを配れば、消費が増える。外出しなくとも、ネットでさまざまな商品を購入できる時代なのです。

そして、消費が増えてインフレになれば、日銀は金利を引き上げることになりますから、日米の金利差が縮小し、円安は緩和されます。国民への給付金政策は、景気回復と金利引き上げを実現する一石二鳥の方法です。財源に税金を使う必要はありません。日銀が政府と調整し、永久国債を引き受ければ良いだけの話です。

ところが、大多数のネット民にとって給付金政策はあまり人気がなく、とにかく、円安を解消することばかりに関心があるようです。しかし、仮に日銀が金利を引き上げて円安を解消したところで、景気が良くなるわけではありません。経済の基本基調がデフレ不況のままです。経済成長も望めなければ、賃上げも望めないでしょう。モノが売れなきゃ、賃上げなどできるはずがないのです。

このように、目の前の問題にばかり目を奪われ、喉元過ぎれば熱さを忘れる、またしてもデフレ日本に逆戻り、いや、スタグフレーションの日本になる恐れもあるでしょう。

大部分のマスコミ有識者は、長期的、大局的に経済を見ることができません。今回の円安も、単に日銀の金利政策が原因としか考えていないでしょう。ところが、バブルの時代からずっと長期的に考えてみれば、失われた20年のデフレ放置や民主党政権時代の超円高による製造業の海外移転の加速、金融緩和の遅れといったことが、伏線として脈々と流れている。こうした大きな流れを理解できず、目の前の為替相場で騒ぐだけ。これがネット民に伝染し、愚かな世論を形成していると思われるのです。

それにしても、日銀の頭の悪さには驚くものがあります。前任の白川総裁の時代は「日銀は物価をコントロールできない」などと称してデフレ脱却を投げ出し、諸外国の大規模な金融緩和に後れをとって、民主党政権時代の危機的な円高を容認してしまった。と、次の黒田総裁は、白川総裁とはまるで反対に「金利政策万能論者」に変貌し、ひたすら金利政策でデフレ脱却、経済のコントロールをやろうとする。なんで日本には、こういう極端な連中ばかりいるのだろう。

もう、いいかげんに「すべて金利政策に頼る」のはやめるべきです。これからの新しい時代は「おカネ(マネーストック)の供給は、財政政策と金利政策を並行して行う」ことが、金融の安定化とデフレ・ディスインフレの防止の観点から中心になると思う。つまり、二階建て金融システムです。


2022年4月20日水曜日

騒いでも遅い、円安は当然の成り行き

 最近はマスコミが「20年ぶりの円安だー」などと書き立てるものだから、多くの国民が釣られて「円安で大変だー」と大騒ぎしているが、そんな短期的なことで騒いでも、マスコミに振り回されるだけです。そもそも円安になるような失政をやってきたツケが回ってきたのであって、それを正さなければ、場当たり的に為替や金利を操作したところで、本質的な解決にはなりません。

 なぜ円安なのか?円が実力以上に高すぎたのです。つまり、正常化に向かっているわけです。というのも、日本国(日銀および政府)は、他の先進国に比べて、おカネの発行を常に少なく抑えてきた。おカネの発行量が少ないのだから、日本の円は量が少なく、ゆえに円は、実力以上に高く取引されてきたと考えらます。カネを刷らないことで、円の価値を高めに維持してきたのです。


 ですから、本来、他の先進国と同じ程度におカネを発行(供給)していたなら、円の水準は昨年あたりの110円といった水準ではなく、例えば120円や130円といった水準になっていたとしても不思議はありません。ですから、今日の円安はあるいみ当然と考えられます。

 しかも、このカネを刷らないケチケチ根性のために、リーマンショック後の世界的な金融緩和に乗り遅れ、民主党政権の時代には、円は80円台という異常な高値を付けました。しかも、それを日銀も政府も放置したため、なお一層、日本の企業が中国などに移転し、日本の産業空洞化を加速させました。日本から産業が逃げてしまったのですから、日本から海外への輸出は減少し、これは為替市場における円売り、つまり円安の下地となります。つまり、産業空洞化によって日本の実力はすでに低下していたのです。にもかかわらず、円を刷らないことで、見かけ上、今日まで円の購買力を保ってきたに過ぎません。

 そして、円高放置で産業が空洞化した雇用の穴埋めとして、日本は海外からの観光客に依存するように、産業が急速に変化してきました。産業を中国に移転し、その中国からの観光客に依存する経済構造になったのです。そして、その中国からの観光客が、こんどは新型コロナのパンデミックによって、日本に来なくなった。これで、円安にならないとしたら異常です。

 ところがマスコミは、それら円安の背景にある根本的な原因をすべてスルーし、あたかもすべての原因が「日銀の金融緩和にある」かのような書き方を平気でして、騒ぎ立て、多くの国民を釣っているのが現状なのです。なんという、安易で愚かな連中なのでしょうか?

 では、どうすれば良いのでしょう?

 円安によって購買力が低下するのですから、財政出動として、給付金によって生活を支援すれば良いのです。例えば月額3万円をすべての国民に恒久的に支給します。小額ベーシックインカムです。低所得層(世帯年収200万円以下)に限定した給付でもよい。とにかく財政出動を毎年50兆円くらい行う。そうすると、物価が上昇してくるので、日銀が金利を引き上げることが可能になります。こうして日銀が金利を引き上げれば、アメリカと日本の金利の差は小さくなるため、円安はある程度の水準で落ち着くと思われます。

 つまり、金融緩和でおカネを供給するのではなく、財政出動でおかねを供給し、金利は引き上げる。

 ただし、それらはあくまで短期的な対策にすぎません。根本的には、日本国(日銀および政府)が他の先進国と同じレベルでおカネを供給し続けなければなりません。問題の元凶は「ケチケチして他の国よりカネを刷らない」ということなのですから。そうすれば、民主党政権時代のような異常な円高になりません。また、しばらくは円安を容認すべきです。苦しいかもしれませんが、そうしたなかで、円高放置ですっかり空洞化してしまった産業(生活必需品の供給)を日本国内に再建し、それで雇用を生み、観光客に依存しないバランスの取れたグローバル経済によって、円の水準を安定的に保つべきであると思います。


2021年11月13日土曜日

バブル経済を再評価せよ

2021.11.11

 マスコミや多くの識者は、バブル時代を思い出したくもない、全否定すべき時代のように語る人ばかりです。しかし少なくともバブル時代を経験したことのある人々ならわかるはずです。あの時代の方が、今より遥かに良い時代だったと。

 もちろん、バブル経済、バブルの時代をそのまま受け入れようという話ではありません。バブルと同じことを今日の日本に引き起こせば良いわけではありません。そうではなく、バブル時代の「悪い事」を繰り返すことなく、「良かった事」を今の時代に再び取り戻そうという話です。マスコミや識者のように、短絡的にバブルを悪いものとしてあの時代を全否定するだけでは、何も学ぶことはできないのです。では、当時の日本経済はどんな状況だったのでしょうか。

<バブル時代の日本>

・世の中にカネが溢れていた。何より国民がおカネを持っていた。

・消費意欲が旺盛で、高級品がばんばん売れ、景気は絶好調だった。

・企業利益も増大し、企業の投資意欲も旺盛だった。

・非正規雇用(アルバイト)の所得が正社員より良かった。

・子供の貧困など、貧困問題は少なかった。

・インフレも低い水準だった。

・財政赤字の問題は、無かった。

・「JAPAN AS No.1」と呼ばれた。

 では今日、日本経済が復活できない構造的な要因と指摘されていることが、当時はどうだったのか見てみましょう。

<バブル時代の社会構造>

・賃金は年功序列だった。

・雇用は終身雇用制だった。

・規制は緩和されていなかった。

・グローバル化は進んでいかなった。

・それでも経済が絶好調で「JAPAN AS No.1」と呼ばれた。

 つまり、今日、マスコミや識者がしたり顔で指摘する「日本の悪い点」がすべて、当時の日本社会に装備されていた。にもかかわらず、「JAPAN AS No.1」と呼ばれたほど経済が絶好調だった。これは何を意味するのか。こうした事実に、ほとんどのマスコミや識者は目を背け、口を閉ざします。では、当時と今では何が決定的に違うのか?

・バブル時代には、世の中におカネが溢れていた。

・国民がみんなカネを持っていた。

 これは、マネー供給のグラフを見れば一目瞭然です。


 マネーの供給が劇的に減少したことで、経済が一気に縮小したのです。年功序列とか岩盤規制とか高齢化とか、そういうことが原因で経済が縮小したのではありません。カネが世の中から消えた、そのことが不況と失われた20年の元凶なのです。だからこそ改革と称する方法、つまり、世の中のカネを増やさずに、他の方法で景気を回復させようとする考え方そのものが、大間違いだと確信を持って言えるのです。何を差し置いても、まず最優先に世の中にカネを溢れさせ、国民におカネを持たせなければならないのです。

 しかし、ここで大きな問題があります。どれほどバブル時代が良かったとしても、おカネが溢れることが良かったとしても、それが崩壊してしまったら意味がない、それどころか、かえって大問題を引き起こすことにも成りかねない、という点です。バブル経済の致命的な欠陥は、ここにあります。

 従って、崩壊しない方法で、世の中におカネを供給し続ければ良い、との結論を得ます。

 そんな方法はあるのか?それを考える前に、まず、バブル時代には、なぜ世の中におカネが溢れていたのか?それが、なぜ崩壊するのか?それを理解しなくてはなりません。これは難しいことではありません。

 バブル経済は「バブル」という言葉の通り、資産バブル、すなわち、土地や株式などの資産の価格がどんどん上昇することで生じる好景気の事です。なぜ資産の価格が上昇すると、世の中におカネが溢れるのか?それは、企業や個人が「銀行からの借金によって資産の売買を行う」からです。企業や個人が自分の手持ちのおカネの範囲で資産の売買をするだけでは、資産価格はそれほど値上がりしません。手持ちのおカネの量は限られているからです。ところが銀行から借金したおカネを利用して売買を行なえば、取引に利用されるおカネの量が増えることで、資産価格は大きく上昇します。

 今日の金融制度(準備預金制度)においては、銀行は保有している預金を貸し出すわけではありません。銀行は新たにおカネ(預金)を発行し、それを貸し出します。従って、企業や個人が銀行から借金をすればするほど、世の中のおカネの量が増え、そのために世の中におカネが溢れます。

 ということは、世の中におカネが溢れる一方、企業や個人の借金もどんどん増え続けることになります。バブル経済においては、資産の価格がバブルになるだけではなく、借金もバブルのように膨らみ続けます。そして、中央銀行が金利を引き上げると、それら膨大に膨れ上がった借金の金利を返済できなくなり、経済は一気に崩壊します。ですから、資産価格の上昇によっておカネを増やすことは、非常にリスクが高いことがわかります。では、企業や個人の借金を増やすことなく、世の中のおカネを増やす方法はないのでしょうか?その方法は大きく二つあります。

「世の中のおカネを増やす方法」

①政府がおカネを発行する

②永久国債を日銀が引き受ける

①政府がおカネを発行する:最もシンプルな方法は、政府がおカネを発行することです。これは政府貨幣(政府コイン)と呼ばれます。今日においても、500円や100円のような硬貨は、政府貨幣に該当します。ただし、おカネとしては補助的に使われているに過ぎず、ほとんどのおカネは政府ではなく日本銀行が発行しています。これを法改正などによって、政府が高額なおカネを発行できるようにすれば可能です。

②永久国債を日銀が引き受ける:あるいは政府が永久国債を発行し、それを日銀が直接に引き受ける方法です。なぜそんな面倒な事をするのか?現在の金融システムにおいては、誰かが借金をしなければおカネは供給されません。先ほどご説明したように、銀行はおカネを新たに発行して貸し出しを行いますから、おカネを発行するにはだれかが借金しなければならないわけです。ですから、政府がおカネを世の中に供給するには、国債を発行する必要があるわけです。日銀が国債を買い取る際には、日銀がおカネを発行して買い取りますので、その代金(現金)を政府が受け取れば、財政支出を通じて国民におカネを配ることができます。

①政府がおカネを発行する:この方法であれば、バブル経済のように崩壊するリスクはありません。なぜなら、誰の借金も増えないからです。バブル崩壊の原因は、借金が返せなくなるからです。一方、政府貨幣であれば、借金は一円も増えませんので、崩壊しません。

②永久国債を日銀が引き受ける:この方法は、国債という、いわば政府の借金がどんどん増え続けます。バブル時代のように景気が良くなり、日本経済は復活するかもしれませんが、政府の借金が返せなくなって崩壊する心配はないのでしょうか?その心配は皆無です。永久国債とは、返さなくてよい国債だからです。もちろん、返さなくてもよい借金など、普通の銀行は引き受けるわけがありませんが、政府の銀行である日本銀行なら可能です。なぜなら民間銀行と異なり、日銀は通貨の供給をコントロールすることが使命であって、おカネを儲ける必要はないからです。日銀は民間企業ではないため、経営上は損をしてもまったく問題ありません。なにしろ、自分のところでおカネを発行できるのですから。

 このように、バブルではない仕組みによって、バブル時代と同じように世の中におカネを溢れさせることができれば、そしておカネを国民に十二分に行き渡らせることができれば、日本経済が大きく改善することは疑う余地もないでしょう。つまり、おカネを発行して、それを国民に配る、ヘリコプターマネーと呼ばれる政策です。最初に申し上げたように、年功序列、雇用の流動化、規制緩和、グローバル化、そういう話より、まず最優先に取り組むべきことがここにあります。

 ちなみに、アベノミクスによって推進されてきた日銀の量的緩和政策はおカネを直接に増やす政策ではありません。おカネを増やすための動機を刺激する間接的な方法です。そのため、実際、おカネはあまり増えていません。しかもこの方法は個人や企業の借金を増やす方法論であり、バブル経済におけるおカネの増え方と本質的に同じです。そのため、資産バブルが発生しやすく、その証拠に株価水準が実体経済に比べて高くなっています。ですから今日行われている量的緩和政策ではなく、ご説明した二つのどちらかの方法によって、個人や企業の借金を増やすことなく、直接的に世の中のおカネを増やしてやる必要があるのです。

 バブル崩壊直後にこれをやっていれば、失われた20年は無かったはずです。しかし実際には20年以上の年月が失われてしまい、その間に、日本の産業構造はバブル崩壊当時とは大きく違うものに変化してしまいました。20年を経て変化したのですから、この20年の歳月を取り戻し、正常な経済の姿を取り戻すには、やはり5年や10年といった期間が必要であり、その間に、様々な矛盾や課題が発生するでしょう。しかし、それは乗り越えるべき課題です。そうした課題を恐れて手をこまねいていれば、日本はさらに20年を失うことになるでしょう。

(補足)

 バブル時代の当時と今では状況が違う、今は少子高齢化だ、昔は若い世代が多かったから景気が良かったのだ、という人がいるかも知れません。その場合は、きちんと分析的に考えてほしいと思います。確かに今と昔は環境が異なります。しかし、バブル景気が崩壊した理由は、おカネの供給量が激減したためであり、これは事実です。このことから社会構造や高齢化に関わらず、おカネの供給量が経済活動において決定的に重要であることは明白です。この小論の要点はそこにあります。そのうえで、仮にバブル時代のように十分なおカネが供給されたとしても、バブル時代と同じ経済状況に戻るとは言えません。すでに失われた20年が原因で、日本の産業構造が変化し、少子高齢化も進展しているからです。ですから、改革や成長戦略がまったく必要ないという話ではありません。しかし、おカネの供給量、国民の購買力が経済活動において決定的に重要であることは、今も昔も、何も変わらないのです。


2021年10月24日日曜日

与野党の政策論争は、財政均衡の掌で踊るだけ

 与党も野党も「分配」を言い出したことで、分配をめぐって政策論争になっている。互いに「成長なくして分配なし」「分配なくして成長なし」と言い争っているが、そこに、お呼びじゃない財務省や御用学者が口を出してきて、ほとんど三つ巴のお笑い劇場である。しかし、彼らはすべて「財政均衡主義」という掌の上で踊っているに過ぎない。

 ところで、マスコミは盛んに「バラマキ合戦」などと批判はするものの、与野党のバラマキの違いがどこにあるのか、冷静に考えているとは思えない。分配の政策は手法によって幾つもの種類があり、その方法によって、日本経済にまったく異なる影響をもたらす。そうした論考を抜きにして、やれ分配やら成長やら論じるのは、ほとんどナンセンスに思われる。

1)野党の「分配」は再分配を意味している

 マスコミは、なんでもかんでも「分配」と一括りに扱っているが、野党の主張する分配とは、再分配のことである。野党は大企業や富裕層の課税を強化し、そこから得た税収を、低所得層などへ分配する政策を主張しているからだ。これは分配ではなく「増税による再分配」である。分配と再分配は大きく異なるが、マスコミは何も考えずに「分配」と表現しており、これは重大な間違い、または意図的世論操作であると言える。

 野党の主張は「分配なくして成長なし」ではなく、「増税による再分配なくして成長なし」なのである。確かに、富裕層や大企業が使わずにため込んでいるカネを増税によって回収し、消費意欲の高い低所得層に再分配すれば、消費が拡大することで、経済が成長する可能性はあるだろう。ただし、企業や富裕層への課税強化は、富裕層の消費や大企業の投資を減らしてしまう点には注意が必要だろう。

 一方で、防衛費を削減したり、公共インフラ保全のための財政出動を削減するなどの政策転換が行われないとも限らない。旧民主党時代の「コンクリートから人へ」の前例もある。なぜこうなるのかと言えば、野党が「財政均衡主義」だからである。国家予算が税収の範囲に限られると信じ切っているため、こっちを増やすためには、あっちを切るしかない(ゼロ・サムゲーム)、となるのである。

 そして、野党は財政均衡主義に固執しているため、やがて「消費税の増税」に踏み込むのではないかとの懸念が払しょくできない。コロナ対策のため期限付きの消費税減税を行うというが、その間の穴埋めの財源として国債を発行するという。国民におカネを撒くことは良いのだが、結局のところ「財政均衡(プライマリーバランス)」にこだわれば、やがて借金を返すための「大増税時代」がやってくることは目に見えている。消費税増税はしないと言いながら、掌を返した旧民主党・野田政権の前例がある。目の前の「再分配」だけを論じても、不十分なのである。

2)与党の「分配」は企業頼み

 与党・自民党の「分配」は、企業の賃上げ頼みの分配論である。政府が分配するわけではない。与党は、増税を原資とした再分配には否定的で、それは「金融所得課税の撤回」に表れている。税を取らないのだから政府が国民におカネを配ることはできない、だから、代わりに企業に賃金を上げさせようという話になる。そのために、賃上げに応じた企業の税を軽減したり、景気刺激のための財政出動を行うというのである。企業頼みの分配政策なのだから、企業の売り上げが増加する、つまり、経済が成長しなければ分配は不可能であり、その意味では「成長なくして分配なし」は、彼らの政策からすれば当たり前なだけである。「成長なくして分配なし」が正しいのではなく、彼らの方法論では「成長しなければ、分配できない」だけの話である。

 しかし、成長しなくても分配は可能である。それが再分配であり、野党の主張がそれである。野党の分配は「再分配」を意味しているし、与党の分配は「企業の賃上げ」を意味しているのだから、野党と与党の主張がかみ合うわけがない。

 与党の分配はすべて経済成長の成否にかかっている。成長しなければ分配できない方法論だからだ。安倍政権の時代にも、企業に賃上げの要請を行っており、「官製春闘」と揶揄されたが、結局はそれと同じことをやろうという話である。では、与党の政策で経済が成長できるのか?アベノミクスで10年近くやってきたが、どれほど経済が成長しただろうか?確かにアベノミクスによって経済は成長したが、ほとんど雀の涙のような話である。まったく「力強さに欠ける」。金融緩和頼みでは、カタツムリのような成長速度しか期待できないことが明らかになった。だから財政政策にもっと力を入れなければならないことは明らかである。

 しかし、与党・自民党もまた「財政均衡主義」である。国家予算が税収の範囲に限られていると信じ切っているため、財政出動を行うにも腰が引けているのである。乾ききった畑に多少の水を撒いても、すぐに蒸発してしまう。どうせ撒くのなら、じゃぶじゃぶになるほど撒かないと、作物は育たない。財政がどうのこうのと、言っている場合ではないのである。自民党が財政均衡主義を脱しない限り、彼らの政策には何の期待も持てないのである。それどころか、中途半端に財政出動しても効果が無く、国債の残高だけが増加するという「悪循環」に陥る恐れが極めて大きい(実際、すでにそうなっている)。その先に待ち受けるのは、「デフレ不況+増税地獄」である。

3)財務省を潰せば、与党も野党も丸く収まる

 財務省を潰せば与党も野党も丸く収まる。といっても、財務省を建物ごと爆破するという物騒な話ではなく、たとえ話である。つまり「財政均衡主義」を脱すれば、与党案も野党案も、それはそれで丸く収まるのである。

 野党の分配は「増税による再分配」であり、富裕層の消費や大企業の投資を抑制する恐れもあるのだが、これを再分配ではなく、「通貨発行(=国債の日銀引き受け)による分配」に改めることで、こうしたリスクを抑えることができる。また、防衛費やインフラ投資もいままで通りに維持、あるいは拡大が可能になる。当然ながら、野田政権のように「増税を決められる政治」「ブレない増税」とか言って、増税に猪突猛進する必要もなくなるのである。そして、低所得層をはじめとする消費意欲の高い人々に現金を給付することで消費が拡大すれば、企業の売り上げが増加し、企業利益を押し上げ、利益は再投資へと振り向けられることになる。経済は確実に成長へと向かうはずだ。その意味で「分配なくして成長なし」で良いのである。

 一方の与党・自民党の分配は「経済成長に伴う賃上げ」であり、ここでも「通貨発行(=国債の日銀引き受け)による大胆な財政出動」が極めて重要になる。中途半端で小出しの財政出動ではなく、本当に大胆な財政出動と金融緩和を同時に行うことで、企業の売り上げを増加し、企業利益を押し上げ、再投資や賃金の増加へ繋がることになる。例えば100兆円規模の大胆な財政出動により、成長と分配の好循環を止まらないほど加速してやることができる。十分に加速してやれば、この車輪が簡単に止まることはないだろう。

 つまり、野党案でも与党案でも、どちらも「財政均衡主義」から脱することで、政策として十分に魅力的になるのである。野党案は需要サイドからの景気刺激であり、与党案は供給サイドからの景気刺激となる。個人的には、消費者視点から言えば、国民におカネを撒く方を支持する。野党案も与党案も、財政均衡主義から脱しない限り、その先にあるのは増税地獄か、はたまたデフレ地獄か、あるいは両方である。

4)現代資本主義は、誰かが借金を負わなければ経済が麻痺してしまう

 財政均衡主義から脱するためには、政治家だけではなく、国民も金融の基本システムを正しく理解していなければならない。その仕組みとは「世の中のおカネはすべて借金から作られる」という事実である。これを理解していないと、容易に財政均衡主義の妄想に囚われ、デフレ経済不況の泥沼へ沈んでゆくことになる。

 経済活動のためにはおカネが必要であり、経済活動が活発になればなるほど、経済活動にはより多くのおカネが必要になる。一方、世の中のおカネはすべて借金から作られているのだから、経済活動が活発になればなるほど、世の中の借金は増えなければならない。借金が増えなければ、おカネも増えないのだから当然である。

 これは、逆に言えば、借金が増えなければ経済成長できなくなることを意味する。にわかには信じがたいかも知れないが、日銀の行っている金融緩和・金利政策とは、それに基づいた政策である。日銀は市中銀行の貸出金利を下げる政策を行う。それによって、企業が銀行から借金を増やすことで、世の中のおカネの量を増やし、経済を動かそうとする政策である。日銀は借金を増やす政策を行っている。すなわち、現代の資本主義経済は、すべて借金に依存しているのである。

 誰かが借金を負わなければ、経済は麻痺してしまう。おカネが無くなるからだ。では、誰が借金を負うべきなのか?景気が良い時は、主に企業や家計が借金を負うことで、経済を回している。景気が良ければ企業や家計が借金を負っても、返済は比較的容易である。だから企業も家計も借り入れやローンを組んで、借金を増やす。それによって世の中のおカネの量も増える。それが景気を支え、景気を拡大する。しかし、景気が悪くなると企業も個人も借金を減らそうとする。これは当然である。しかし、世の中の借金が減ると、世の中のおカネの量も減るため、ますます景気が悪くなるのである。とはいえ、景気が悪いにもかかわらず、企業や家計に無理矢理に借金を増やさせることはできない。だから、一旦、景気が悪くなると、どんどん景気が悪くなってしまう。

 誰かが借金を負わなければ、経済は動かない。おカネが足りなくなるからだ。では、誰が借金を負うべきなのか?もし、企業や家計が借金を負わないのであれば、政府が借金を負うしかない。企業も家計も借金を増やさず、しかも政府も借金をしないのであれば、経済は果てしなく縮小を続け、日本経済は荒廃するしかない。そして、財政均衡主義とは、政府の借金を否定する考えである。プライマリーバランスを黒字化するとは、「政府は借金をしません」という意味である。経済が不況の時にこれをやれば、日本経済が荒廃に向かって縮小を続けることは、火を見るよりも明らかだ。その根本的な原因は、現代の金融のシステムがそうなっているからに他ならない。借金が良い事か、悪い事か、という道徳や会社経営の話とは、まったく別次元の問題なのである。残念ながら、物事の善悪や会社経営を基準とした価値観では解決不可能である。

 だが、こんな基本的なシステムでさえ、財務官僚はまともに理解していないし、政治家もマスコミの論者も、あるいは、一部の経済学者も理解していない。おそらく日本国民の90%の人々も理解していないだろう。こんなことでは、まともな経済論争などできるわけがない。つまり、選挙の論戦など茶番劇に過ぎないということだ。

 金融システムをまともに理解していない政治家やマスコミが、やれ分配だ、やれ成長だと騒いだところで、ピンぼけの、ナンセンスな議論に過ぎない。そこに「お呼びじゃない財務省」がしゃしゃり出てきて財政破綻論をぶち上げる始末なのだから、日本の政治はドタバタお笑い劇場と化しているのである。金融に関する無知から生まれる財政均衡主義に固執する限り、日本の未来は絶望的だ。