2017年6月15日木曜日

陰謀論のすすめ

陰謀論を信じない、そう公言する人は大勢居ます。しかし信じようと信じまいと、世の中が陰謀によって動いている事実を曲げることはできません。陰謀であるがゆえに、証明が不可能なだけです。証明出来ないからといって、存在しないわけではありません。

世の中には陰謀(はかりごと)がないどころか、実際の世の中は陰謀抜きに考えることは不可能なほどです。社会に出た事のない学生かお花畑の人ならまだしも、ひとたび社会に出れば、弱肉強食の競争原理の中で、生き残りをかけて、多くの人が、仕事の場面において謀略を経験しているはずです。市場は利益競合する者との戦いだからです。もちろん謀略を行う人が「謀略なんて考えたこともない」と言うのは当然です。下手をすると無意識にやっているかも知れませんね。もちろん犯罪にならない範囲でのことですが。

普通の日常社会においてもそうなのですから、これが国家間となれば、ますます陰謀は重要な役割を果たすようになるでしょう。国家の動きを陰謀論抜きで考えるのは愚かです。中国も韓国もアメリカも日本に陰謀を仕掛けてきますし、もちろん日本も陰謀を仕掛けるでしょう。陰謀なき国家は弱肉強食の世界では食われて滅びるのが宿命です。

ですから、ある意味で陰謀論をお勧めします。

もちろん陰謀をやたらに信じて大騒ぎするのは愚かです。陰謀は陰謀なのですから推測の域を出ないからです。もちろん諜報機関によって陰謀を知ることも重要ですが、限界がありますし、日本ではそんな機関すらありません。ですから、あくまで推測であることを踏まえなら、相手の行動を観察し、何を意図しているのか、隠された意図を探らねばなりません。日常の近所づきあいならまだしも、生き馬の目を抜くような国際社会において、相手の言葉通りに受け止めるのは自殺行為です。

常にあらゆる陰謀の可能性を排除せず、仮にそれが事実である場合にそなえてあらかじめ手を打たねば手遅れになります。陰謀にも過去の事例があるはずなので、そうした陰謀の研究はとても重要だと思います。

近年において陰謀に最も用いられる手法は、プロパガンダではないかと思います。プロパガンダは新聞マスコミを通じて拡散し、世論を誘導します。これは民主主義、とりわけ言論の自由が制限されていない先進諸国において大変に効果的です。

このような陰謀に基づくプロパガンダが、新聞マスコミを通じて常に仕掛けられていると考える必要があります。ですから国民は、新聞マスコミ報道をそのまま信じるのではなく、その隠された意図を推測して備える必要があると思うのです。