2017年5月22日月曜日

議論より共感戦略が有効な理由

どれほど理論的に整合性がある主張でも、相手の考えを変えることはできません。なぜなら人間は理論を使っている時でさえ、その動機の根底には感情があるからです。真意はその人の発言内容とはむしろ別のところにある。場合によっては、本人が気付いていない、無意識の中にあるからです。

多くの人は理性が感情よりも上位にあり、理性が感情をコントロールすると思い込んでいます。しかし実際には感情が理性の上位にあり、感情が理性をコントロールしています。

感情が理性の上位にあるため、仮に理論的に正しいとしても「納得できない」と感じることが多いのです。そして納得できなければ、理論を駆使して反論しようと試みます。つまり「ああいえばこういう」の水掛け論になります。ところが、理論的にへんな話であっても、感情的に共感すればあっさりと受け入れるでしょう。

もちろん例外はあるでしょうが、基本的な性質として、人間の動機付けは感情が上位にあり、感情が理論をコントロールします。これを理解すれば、なぜ議論より共感戦略が有効であるかがわかると思います。

議論といっても二種類に大別されると思われます。
①論証としての議論
②相手を論破するための議論

①論理的な整合性、実現可能性、機能性などを検証するために、自分の考察だけではなく、他の人の考察を参考にする意味において、議論は有効です。もちろん議論しなくても、他の人の論文を読むとか、自分の考察でも論証は可能ですが、他人との議論を利用することで、新たな気付きを得る(発見)ことができます。基本的に勝敗をつけるものではありませんし、ブレーンストーミングやコーチングの手法にも通じると思います。これには効果的な議論の手法について理解している必要があります。

②議論によって勝敗を付ける、方向性を決める、他の考えを排除する、そうした議論があります。議論で白黒をつける、勝敗をつけることが必要だといって論戦を吹っかけてくる変な人が居ますが、これがそれです。相手の論理展開を行き詰まらせ、黙らせることで相手を排除することに力点が置かれる傾向があるため、論が一方的な押し付けとなり、論証としての参考にならない場合が多いです。また、ほとんどの場合ケンカになり、感情的な対立や遺恨を残します。

さて、ネット等でみられる議論のほとんどは②です。自称①だと言いながら、見ていると最終的には②になります。そのため、議論のほとんどが不毛砂漠の状態になっています。しかし、訓練されていない素人の議論はそうなりがちだと思います。ですから、普通の人が議論で理解を深めたり、相手の考えを変えることはとても難しいと思います。仮に論破したところで自己満足に過ぎず、感情的な対立をあおり、敵を作るだけで終わるリスクもあるでしょう

ですから、一般大衆の意思を変えるには感情に訴えかける「共感」が最も有効です。とはいえ人間は言語(理論構造)を介して理解するため、理論は必要です。ただし、あくまで共感を引き出すための理論だけあれば十分だと思うのです。

民主主義においては、数が勝負ですから、いかに味方を増やすかで勝敗が決まります。ビジネスの世界でも、顧客を論破することは何の得にもなりません。自分達の利益を増やすためには、味方やファンを増やさねばなりません。

ツイッターでも議論はほぼケンカになっています。いちいち他人の異論に腹を立てて批判したり、他人からの批判に応じてケンカするのはバカバカしいので、そんなことはやめて、共感を広める方法を研究すべきではないかと思うのです。

もちろん、新聞マスコミや政治家は徹底的に叩くべきですがw。