2022年7月31日日曜日

少子化対策の決定打は

 少子化対策の決定打は「子育て給付金」です。おカネを給付する政策は今までもありましたが、今までの手当のような、みみっちい金額ではありません。20歳未満の子供一人当たり月額5~9万円を支給するという、大胆な政策です。

これまでも、政府や地方自治体はさまざまな少子化対策、人口を増やす対策を行ってきましたが、まったく効果がありませんでした。これは何もしていないのと同じであり、まったくの愚策だったと言えます。今でも「人への投資」などと耳障りのよい言葉は聞こえるものの、所詮、子供が増えなければ投資もへったくれもありません。育児休暇の取得を促進しようが、保育施設の拡充をしようが、結局のところ、子供の養育には莫大な費用が必要であり、それを支援しなければ効果はないでしょう。


しかも、年金制度が普及し、子供を持たなくても老後の生活に心配のない時代になりましたから、個人のレベルでは必ずしも子供を産み育てる必要が無くなりました。また「家」「家系」のような考え方もなくなり、結婚の必要性は低下しました。また、結婚が生活の邪魔になり、必ずしも結婚しようと思わない人も増えてきました。医学が発達して避妊や中絶が当たり前の時代になりました。もはや、昔のように勝手に子供が増える時代ではないのです。


こうした社会状況にあっては、子供を増やすための、より強力な「動機づけ」が必要とされます。これまでの常識を捨て、子供の出産を男女間の個人の動機だけにまかせるのではなく、子供を積極的に持ちたいと思わせる動機を社会が与えなければならないのです。


最も強力な動機は「おカネ」つまり、経済的な支援です。子供を生み育てることは、経済的な負担が大きいだけでなく、精神的・肉体的にも負担が大きいものです。ですから、国家として、こうした苦労に報いる必要があります。また、当然ですが、子供は国家の未来を担うわけですし、日本の人口を維持し、バランスの取れた人口構成を維持することは国家事業として当然であり、おカネを配ることに何ら問題はありません。


この「子育て給付金」の最大の特長は、金額が5~9万円と、高額かつ累進方式であるところです。第一子は月額5万円を支給、第二子は月額7万円、第三子以上は月額9万円を支給します。ただし、貧しいひとり親世帯の場合は、第一子に2万円を加算しても良いでしょう。こうすることで、子供を生み、育てることに対して強力なインセンティブを与えることができます。今の常識では、子供を産めば産むほど生活が苦しくなるわけで、それでは子供が増えるはずはありません。子育て給付金では、子供を産むほど生活が楽になり、子供を産み育てることに大きなメリットが生まれます。これなら、まず間違いなく子供が増えるはずですし、もしこれでも子供が増えないとすれば、もはや打つ手がないほどです。


現在の日本の20歳未満の人口はおよそ2000万人であり、仮に平均して月額7万円を支給したとして、必要な予算は年間約17兆円、これはマネーストックの1.6%程度なので、すべてを通貨発行(すなわち日銀の国債引き受け)で賄ったとしても、インフレの心配はないでしょう。国債は日銀が引き受ければ通貨発行を意味しますので、財源について問題はありません。国債よりも、少子化の方がはるかに深刻な問題です。また、年間17兆円の通貨を供給すれば、当然、景気の押し上げ効果はありますから、完全デフレ脱却と人口増加の2つの効果を得ることができます。


ただし、この給付金を「本当に子育てに使うのか?」という疑問があるかもしれません。つまり、おカネが欲しいから子供を産んで、給付金の多くを自分たちの遊びに使ってしまうという人がいるかも知れません。そうした悪質なケースはどのような政策であっても生じるのであって、完全に防ぐことはできません。大部分の人は、子供の養育に優先的に給付金を利用するでしょうから、それで十分に政策の効果があります。また、仮に子供の養育費をケチったとしても、子供が増えることに違いはありません。


また、こういう政策を打ち出すと、必ず感情論を持ち出して反対する人が出てくるでしょう。例えば、曰く「カネで子供を買うのか」「やりすぎだ」とか。しかし逆に問いたい。代案があるのかと?これまでも政府のエリート連中があれこれ考えてきたにも関わらず、何ら効果が無かった。他に方法があるなら、是非ともおしえていただきたいものです。時代は変わりました。少子高齢化は、感情論や精神論で解決できるほどナイーブな問題ではありません。極めて深刻な事態であり、戦争に等しいほどの国家存亡の危機なのです。感情論や精神論では戦争に勝てません。何としても、結果を出さなければならないのです。そこに感情論や精神論を持ち出して反対するのであれば、日本人が滅亡しても構わないと認めていることになるのです。


「結果を出すこと」。それが何よりも正しいのです。


2022年7月18日月曜日

4)社会保障も「財の生産」が解決

 社会保障の問題を語るとき、新聞マスコミの記事は、かならず財源や税金の話になります。しかし、財源や税金では社会保障の問題はまったく解決できません。社会保障の問題も、その本質は「財の生産」の問題だからです。

 たとえば、日本の全国民が豊かに生活するために必要な財の量が100だったとすると、たとえどれほど高齢化が進んで働く人の数が減ったとしても、日本全体で100の財が生産できれば、日本国民が貧しくなることはありません。ところが、そんな当たり前の話が新聞やテレビのようなマスコミには出てきません。出てくるのは、ひたすら「おカネ」の話ばかりです。つまり、税金や財源です。しかし国民の生活を支えるのは、おカネではなく生活必需品などの「財」であり、おカネがいくらあっても、財源が確保されても、生活に必要な財が無ければ、社会保障制度はなりたたくなります。本当に新聞やテレビの愚かさには驚かされるものがあります。


 ただし、高齢化が進んで働く人が少なくなれば、それまで70人で100の財を生産していたところ、50人で生産しなければならなくなることは間違いありません。つまり、一人当たりの生産量を増やさねばならない、そのことが、働く人の負担を増やすと考えられます。しかし、これは短絡的な結論です。なぜなら、生産技術の向上や生産設備の増加という要素をまったく無視しているからです。


 テクノロジーは進み続けており、人工知能やロボット、あるいは完全自動生産工場という、人手を必要としない生産手段がどんどん増えてきています。つまり、働く人が20人減少しても、それが機械で代替されるなら、財の生産量が減ることはありません。すなわち、社会保障を維持拡大するためには、財源や税制ではなく、技術開発投資や生産設備投資こそ最重要であることが理解できます。しかしながら、そうした視点から社会保障の問題に切り込む新聞マスコミを見たことがありません。すべからく「税制」「年金支給額の減額」といった「おカネの話」に終始しています。恐るべき愚かさです。


 「高齢化社会では現役世代の負担が大きくなるので、現役世代の負担を減らさねばならない」と新聞マスコミは主張しますが、それは前提となるシステムが間違っていることが原因です。本質的に言えば、生産の機械化によって、財の生産は維持、拡大が可能です。しかし、所得税にしろ消費税にしろ、現在の税の多くは「労働者が支払う」=「現役世代が払う」ことになっているため、税収を維持するためには、労働者の数が減ると、労働者の税率を上げなければならないのです。一方、生産の機械化が進んでも、労働者の賃金が同じ率だけ増えるわけではないため、必然的に税収は減り続け、働く人に課税する方式の財源は破綻します。つまり、この財源の考え方が間違っているのです。すなわち、労働者に対する課税のみで社会保障を維持することは理論的に不可能です。


 財源が持続可能であるということは、政府が支出したおカネの全額を世の中から回収しなければなりません。これはプライマリーバランスと言います。しかし、政府が支出したおカネは社会の様々なところへ流れてゆき、使われたり、ため込まれたりしていますから、これを消費税のような単純な一つの税制で公平に回収することは不可能です。様々なところへ流れ、使われたり貯めこまれたりするのですから、税として回収する場合も、それに応じた制度設計がなされなければなりません。消費税のみならず、所得税、法人税、金融資産課税など幅広いシステムが必要です。


 また、資本主義のシステムでは、おカネは資本家・富裕層に集まる仕組みになっていますので、政府の支出したおカネの多くは、そうした資本家・富裕層に集まります。財源を持続可能なものにするには、そうした資本家・富裕層から、ことごとくおカネを回収しなければなりません。しかし、資本主義のシステムにおいては、おカネを増やすことが経済活動の主要な動機となっているため、資本家・富裕層の稼いだお金をことごとく吸い上げると、資本主義のシステムが働かなくなるでしょう。すなわち、政府が支出したおカネをすべて回収するのは(プライマリーバランスは)、間違いなのです。ですから、資本主義のシステムである以上は、政府の財政は常に赤字でなければならず、その赤字は通貨発行によって補填されなければなりません。そこで発行された通貨は、資本家・富裕層の貯蓄になるだけでなく、国民の貯蓄にもなるからです。


 いずれにしろ、社会保障制度の持続可能性にとって最も重要なことは「財の生産」であり、少子化に伴う労働人口の減少をカバーするための技術開発投資や設備投資なのです。それさえ十分に対応できるのであれば、財源として足りない分はおカネを発行して配ればいいだけなのです。


2022年7月3日日曜日

3)インフレが生活を貧しくするのではない

 多くの人はインフレになると生活が貧しくなると思い込んでいますが、インフレそのものが生活を貧しくすることはありません。所得格差が生活を貧しくするのです。物価は国民の豊かさにとって直接に関係するものではなく、本質的には財の生産量が豊かさを決めます。ただしインフレは経済活動に影響してきますので、そういう意味では無視してよいわけではありません。インフレに対して短絡的に騒ぐのが間違いなのです。

 国民生活の豊かさを決めるのは「財の生産量」です。より多くの財を生産できれば、人々は必ず豊かになります。物価は豊かさを決めません。物価によって財の生産量が変わるわけではなく、物価とは、単に市場における通貨と財の交換レート(交換比率)に過ぎないからです。例えば、財の生産が日本全体で100あったとしたら、仮に物価が2倍になったところで、同じ100の生産量が保たれるなら、日本全体として貧しくなるはずがありません。にもかかわらず、貧しくなるのだとすれば、それは同時に分配の不公平、所得格差が生じているはずです。


 物価が2倍になっても貧しくならない理由は、通常、物価が2倍になると賃金も2倍になるからです(三面等価の原則から)。ところが、所得の分配に格差が生じた場合、Aさんの賃金は3倍になり、Bさんの賃金は同じまま据え置き、という事態が生じます。こうなると、インフレであってもAさんは豊かになり、Bさんは貧しくなります。Bさんが貧しくなる理由はインフレではなく、分配に偏りが生じること、つまり所得格差が原因なのです。


 ですから、インフレだけであれば、再分配政策によってすべての国民の生活を公平に保つことが可能なのです。


 ただし、現在起きているようなインフレは少し異なります。これは、国際紛争やコロナによる物流ネットワークの停滞によって、資源・原材料が不足し、コストが上昇し、財の生産そのものが減ることによって生じてきます。財の生産が減るのですから、社会全体として貧しくなることは避けられないと言えます。この場合は、生産量そのものが減るのですから、インフレを無理に抑制したところで、貧しくなることは避けられません。ですから、インフレを抑制することよりも、所得格差を縮小する再分配政策が重要になります。そうしなければ、貧しい人だけが、ますます貧しくなる事態に陥る危険性があります。


 日本の場合は、資源の大部分を輸入に依存していますから、資源価格の高騰は国民の貧困化に大きく影響します。こうした外部の影響を小さくするためには、できる限り国内で資源を調達できるようにしなければなりません。再生可能エネルギーは日本で調達できる資源ですし、食料自給率も高める必要があります。こうした対策には時間が必要ですから、長期的な計画に基づいて国策として実行する必要があります。インフレを本質的に解決するには、この方法しかありません。


 このようなインフレでは、インフレになったからと言って、金利を上げてインフレを抑制すれば問題が解決するわけではありません。過度にインフレを抑制すると、景気が悪くなって、賃金が減るため生活が苦しくなります。結局、財の生産量が減るのですから、インフレを抑えたところで、生活が苦しくなるのは同じことなのです。本質的には財の生産を増やさなければインフレ問題は何も解決できません。


 もしかすると、ウクライナ侵略戦争が終結すれば、資源価格が落ち着いてインフレが早期に解消するかもしれませんが、そうでなければ、インフレが長期化することもあり得ますし、その場合は、先にふれたように、資源の海外依存から脱却するための長期的で地道な努力が必要になると思われます。ですから、その間に人々の生活を守ろうとするなら、社会全体としての貧困化を特定の人々に押し付けることがないように、再分配政策をしっかり行う必要があるでしょう。