2022年7月31日日曜日

少子化対策の決定打は

 少子化対策の決定打は「子育て給付金」です。おカネを給付する政策は今までもありましたが、今までの手当のような、みみっちい金額ではありません。20歳未満の子供一人当たり月額5~9万円を支給するという、大胆な政策です。

これまでも、政府や地方自治体はさまざまな少子化対策、人口を増やす対策を行ってきましたが、まったく効果がありませんでした。これは何もしていないのと同じであり、まったくの愚策だったと言えます。今でも「人への投資」などと耳障りのよい言葉は聞こえるものの、所詮、子供が増えなければ投資もへったくれもありません。育児休暇の取得を促進しようが、保育施設の拡充をしようが、結局のところ、子供の養育には莫大な費用が必要であり、それを支援しなければ効果はないでしょう。


しかも、年金制度が普及し、子供を持たなくても老後の生活に心配のない時代になりましたから、個人のレベルでは必ずしも子供を産み育てる必要が無くなりました。また「家」「家系」のような考え方もなくなり、結婚の必要性は低下しました。また、結婚が生活の邪魔になり、必ずしも結婚しようと思わない人も増えてきました。医学が発達して避妊や中絶が当たり前の時代になりました。もはや、昔のように勝手に子供が増える時代ではないのです。


こうした社会状況にあっては、子供を増やすための、より強力な「動機づけ」が必要とされます。これまでの常識を捨て、子供の出産を男女間の個人の動機だけにまかせるのではなく、子供を積極的に持ちたいと思わせる動機を社会が与えなければならないのです。


最も強力な動機は「おカネ」つまり、経済的な支援です。子供を生み育てることは、経済的な負担が大きいだけでなく、精神的・肉体的にも負担が大きいものです。ですから、国家として、こうした苦労に報いる必要があります。また、当然ですが、子供は国家の未来を担うわけですし、日本の人口を維持し、バランスの取れた人口構成を維持することは国家事業として当然であり、おカネを配ることに何ら問題はありません。


この「子育て給付金」の最大の特長は、金額が5~9万円と、高額かつ累進方式であるところです。第一子は月額5万円を支給、第二子は月額7万円、第三子以上は月額9万円を支給します。ただし、貧しいひとり親世帯の場合は、第一子に2万円を加算しても良いでしょう。こうすることで、子供を生み、育てることに対して強力なインセンティブを与えることができます。今の常識では、子供を産めば産むほど生活が苦しくなるわけで、それでは子供が増えるはずはありません。子育て給付金では、子供を産むほど生活が楽になり、子供を産み育てることに大きなメリットが生まれます。これなら、まず間違いなく子供が増えるはずですし、もしこれでも子供が増えないとすれば、もはや打つ手がないほどです。


現在の日本の20歳未満の人口はおよそ2000万人であり、仮に平均して月額7万円を支給したとして、必要な予算は年間約17兆円、これはマネーストックの1.6%程度なので、すべてを通貨発行(すなわち日銀の国債引き受け)で賄ったとしても、インフレの心配はないでしょう。国債は日銀が引き受ければ通貨発行を意味しますので、財源について問題はありません。国債よりも、少子化の方がはるかに深刻な問題です。また、年間17兆円の通貨を供給すれば、当然、景気の押し上げ効果はありますから、完全デフレ脱却と人口増加の2つの効果を得ることができます。


ただし、この給付金を「本当に子育てに使うのか?」という疑問があるかもしれません。つまり、おカネが欲しいから子供を産んで、給付金の多くを自分たちの遊びに使ってしまうという人がいるかも知れません。そうした悪質なケースはどのような政策であっても生じるのであって、完全に防ぐことはできません。大部分の人は、子供の養育に優先的に給付金を利用するでしょうから、それで十分に政策の効果があります。また、仮に子供の養育費をケチったとしても、子供が増えることに違いはありません。


また、こういう政策を打ち出すと、必ず感情論を持ち出して反対する人が出てくるでしょう。例えば、曰く「カネで子供を買うのか」「やりすぎだ」とか。しかし逆に問いたい。代案があるのかと?これまでも政府のエリート連中があれこれ考えてきたにも関わらず、何ら効果が無かった。他に方法があるなら、是非ともおしえていただきたいものです。時代は変わりました。少子高齢化は、感情論や精神論で解決できるほどナイーブな問題ではありません。極めて深刻な事態であり、戦争に等しいほどの国家存亡の危機なのです。感情論や精神論では戦争に勝てません。何としても、結果を出さなければならないのです。そこに感情論や精神論を持ち出して反対するのであれば、日本人が滅亡しても構わないと認めていることになるのです。


「結果を出すこと」。それが何よりも正しいのです。


2022年7月18日月曜日

4)社会保障も「財の生産」が解決

 社会保障の問題を語るとき、新聞マスコミの記事は、かならず財源や税金の話になります。しかし、財源や税金では社会保障の問題はまったく解決できません。社会保障の問題も、その本質は「財の生産」の問題だからです。

 たとえば、日本の全国民が豊かに生活するために必要な財の量が100だったとすると、たとえどれほど高齢化が進んで働く人の数が減ったとしても、日本全体で100の財が生産できれば、日本国民が貧しくなることはありません。ところが、そんな当たり前の話が新聞やテレビのようなマスコミには出てきません。出てくるのは、ひたすら「おカネ」の話ばかりです。つまり、税金や財源です。しかし国民の生活を支えるのは、おカネではなく生活必需品などの「財」であり、おカネがいくらあっても、財源が確保されても、生活に必要な財が無ければ、社会保障制度はなりたたくなります。本当に新聞やテレビの愚かさには驚かされるものがあります。


 ただし、高齢化が進んで働く人が少なくなれば、それまで70人で100の財を生産していたところ、50人で生産しなければならなくなることは間違いありません。つまり、一人当たりの生産量を増やさねばならない、そのことが、働く人の負担を増やすと考えられます。しかし、これは短絡的な結論です。なぜなら、生産技術の向上や生産設備の増加という要素をまったく無視しているからです。


 テクノロジーは進み続けており、人工知能やロボット、あるいは完全自動生産工場という、人手を必要としない生産手段がどんどん増えてきています。つまり、働く人が20人減少しても、それが機械で代替されるなら、財の生産量が減ることはありません。すなわち、社会保障を維持拡大するためには、財源や税制ではなく、技術開発投資や生産設備投資こそ最重要であることが理解できます。しかしながら、そうした視点から社会保障の問題に切り込む新聞マスコミを見たことがありません。すべからく「税制」「年金支給額の減額」といった「おカネの話」に終始しています。恐るべき愚かさです。


 「高齢化社会では現役世代の負担が大きくなるので、現役世代の負担を減らさねばならない」と新聞マスコミは主張しますが、それは前提となるシステムが間違っていることが原因です。本質的に言えば、生産の機械化によって、財の生産は維持、拡大が可能です。しかし、所得税にしろ消費税にしろ、現在の税の多くは「労働者が支払う」=「現役世代が払う」ことになっているため、税収を維持するためには、労働者の数が減ると、労働者の税率を上げなければならないのです。一方、生産の機械化が進んでも、労働者の賃金が同じ率だけ増えるわけではないため、必然的に税収は減り続け、働く人に課税する方式の財源は破綻します。つまり、この財源の考え方が間違っているのです。すなわち、労働者に対する課税のみで社会保障を維持することは理論的に不可能です。


 財源が持続可能であるということは、政府が支出したおカネの全額を世の中から回収しなければなりません。これはプライマリーバランスと言います。しかし、政府が支出したおカネは社会の様々なところへ流れてゆき、使われたり、ため込まれたりしていますから、これを消費税のような単純な一つの税制で公平に回収することは不可能です。様々なところへ流れ、使われたり貯めこまれたりするのですから、税として回収する場合も、それに応じた制度設計がなされなければなりません。消費税のみならず、所得税、法人税、金融資産課税など幅広いシステムが必要です。


 また、資本主義のシステムでは、おカネは資本家・富裕層に集まる仕組みになっていますので、政府の支出したおカネの多くは、そうした資本家・富裕層に集まります。財源を持続可能なものにするには、そうした資本家・富裕層から、ことごとくおカネを回収しなければなりません。しかし、資本主義のシステムにおいては、おカネを増やすことが経済活動の主要な動機となっているため、資本家・富裕層の稼いだお金をことごとく吸い上げると、資本主義のシステムが働かなくなるでしょう。すなわち、政府が支出したおカネをすべて回収するのは(プライマリーバランスは)、間違いなのです。ですから、資本主義のシステムである以上は、政府の財政は常に赤字でなければならず、その赤字は通貨発行によって補填されなければなりません。そこで発行された通貨は、資本家・富裕層の貯蓄になるだけでなく、国民の貯蓄にもなるからです。


 いずれにしろ、社会保障制度の持続可能性にとって最も重要なことは「財の生産」であり、少子化に伴う労働人口の減少をカバーするための技術開発投資や設備投資なのです。それさえ十分に対応できるのであれば、財源として足りない分はおカネを発行して配ればいいだけなのです。


2022年7月3日日曜日

3)インフレが生活を貧しくするのではない

 多くの人はインフレになると生活が貧しくなると思い込んでいますが、インフレそのものが生活を貧しくすることはありません。所得格差が生活を貧しくするのです。物価は国民の豊かさにとって直接に関係するものではなく、本質的には財の生産量が豊かさを決めます。ただしインフレは経済活動に影響してきますので、そういう意味では無視してよいわけではありません。インフレに対して短絡的に騒ぐのが間違いなのです。

 国民生活の豊かさを決めるのは「財の生産量」です。より多くの財を生産できれば、人々は必ず豊かになります。物価は豊かさを決めません。物価によって財の生産量が変わるわけではなく、物価とは、単に市場における通貨と財の交換レート(交換比率)に過ぎないからです。例えば、財の生産が日本全体で100あったとしたら、仮に物価が2倍になったところで、同じ100の生産量が保たれるなら、日本全体として貧しくなるはずがありません。にもかかわらず、貧しくなるのだとすれば、それは同時に分配の不公平、所得格差が生じているはずです。


 物価が2倍になっても貧しくならない理由は、通常、物価が2倍になると賃金も2倍になるからです(三面等価の原則から)。ところが、所得の分配に格差が生じた場合、Aさんの賃金は3倍になり、Bさんの賃金は同じまま据え置き、という事態が生じます。こうなると、インフレであってもAさんは豊かになり、Bさんは貧しくなります。Bさんが貧しくなる理由はインフレではなく、分配に偏りが生じること、つまり所得格差が原因なのです。


 ですから、インフレだけであれば、再分配政策によってすべての国民の生活を公平に保つことが可能なのです。


 ただし、現在起きているようなインフレは少し異なります。これは、国際紛争やコロナによる物流ネットワークの停滞によって、資源・原材料が不足し、コストが上昇し、財の生産そのものが減ることによって生じてきます。財の生産が減るのですから、社会全体として貧しくなることは避けられないと言えます。この場合は、生産量そのものが減るのですから、インフレを無理に抑制したところで、貧しくなることは避けられません。ですから、インフレを抑制することよりも、所得格差を縮小する再分配政策が重要になります。そうしなければ、貧しい人だけが、ますます貧しくなる事態に陥る危険性があります。


 日本の場合は、資源の大部分を輸入に依存していますから、資源価格の高騰は国民の貧困化に大きく影響します。こうした外部の影響を小さくするためには、できる限り国内で資源を調達できるようにしなければなりません。再生可能エネルギーは日本で調達できる資源ですし、食料自給率も高める必要があります。こうした対策には時間が必要ですから、長期的な計画に基づいて国策として実行する必要があります。インフレを本質的に解決するには、この方法しかありません。


 このようなインフレでは、インフレになったからと言って、金利を上げてインフレを抑制すれば問題が解決するわけではありません。過度にインフレを抑制すると、景気が悪くなって、賃金が減るため生活が苦しくなります。結局、財の生産量が減るのですから、インフレを抑えたところで、生活が苦しくなるのは同じことなのです。本質的には財の生産を増やさなければインフレ問題は何も解決できません。


 もしかすると、ウクライナ侵略戦争が終結すれば、資源価格が落ち着いてインフレが早期に解消するかもしれませんが、そうでなければ、インフレが長期化することもあり得ますし、その場合は、先にふれたように、資源の海外依存から脱却するための長期的で地道な努力が必要になると思われます。ですから、その間に人々の生活を守ろうとするなら、社会全体としての貧困化を特定の人々に押し付けることがないように、再分配政策をしっかり行う必要があるでしょう。


2022年6月25日土曜日

2)円安は国民を豊かにする

  最近の急激な円安を受けて、さかんにマスコミに登場する話は「円安によって国民の生活が貧しくなる」という間違った考えです。確かに円安になれば、短期的には輸入品の価格が上昇しますから、インフレを招き、国民生活は苦しくなります。しかしそれは短期的な話にすぎません。長期的には、円安で輸出が増大することで国民は豊かになります。それは財の生産から見てもあきらかです。

 貿易の本質は物々交換です。おカネを介していますが、やっていることは物々交換です。国内で生産したモノを輸出して、代わりに海外で生産されたものを輸入する。ですから、たくさん輸出すれば、それだけたくさん輸入できます。当たり前の話です。円安になれば、日本で生産した商品が割安になり、どんどん売れますから、どんどん財の生産して、たくさん輸出できます。すると、売れた分だけ外国から財、食料品や石油といった生活必需品をどんどん輸入できます。つまり、生活が豊かになります。財の生産が増えて豊かになるのです。一方、日本の製品がどんなに優れていても、円高だと売れません。売れないから作れない。そして、売れないと、外国からモノを買うことができなくなってしまうのです。ですから、円高になると貧しくなるのです。つまり、長い目で見ると、円安で生活が苦しくなるというのは、まったく間違いであることがわかります。


 市場経済では、自国通貨が安いほど貿易において有利になり、輸出が増加して豊かになります。中国が経済成長できたのも、中国の通貨が安かったからに他なりません。日本の企業の多くが中国に移転したのも、中国の通貨が安かったからです。中国はそれを十分に理解していますから、いまだに為替市場で通貨の取引を完全に自由化していません。そんなことしたら、元が値上がりして元の価値が高くなり、中国経済に大打撃になるからです。つまり、通貨安は自国経済に有利なのです。そのため、多くの国で「自国通貨を安く誘導しよう」とするわけです。これを「通貨安戦争」などといい、アメリカなどは自国通貨を安く誘導する国を「為替操作国だ」と言って非難するほどです。ですから、円安は危機どころか「めったにないチャンス到来」です。


 もちろん、短期的には輸入物価の上昇によるインフレで国民生活が一時的に苦しくなるのは当然ですから、これに対策を講じる必要があります。インフレで生活が苦しくなるのは中・低所得層ですから、そうした人々に給付金を支給することで、生活を支えれば良いのです。やがて、長期的には円安による輸出の増大が賃金の増化に波及するようになると、インフレ率よりも賃金の上昇率が高くなり、所得というおカネの分配面から見ても、国民は豊かになるでしょう。


 ただし、半年や一年でそうなるわけではありません。そもそも失われた20年の間に、慢性的なデフレと円高傾向によって徐々に日本の産業が海外へ逃げ出し、空洞化して、日本の輸出競争力、すなわち「財の生産力」が損なわれてしまったわけですから、半年や一年で財の生産力が回復するはずがありません。政府が、産業の空洞化に対していままで無策で放置してきたわけですから、時間はかかるでしょう。しかし、地道に財の生産力を回復させ、輸出を増やさなければ、輸入を増やすこともできません。


 ただし、注意すべきなのは「貿易黒字が大きいほど良い」というのは間違いである点です。貿易黒字とは、輸出は多いけれど輸入が少ない状態です。もし、本当に国民が豊かな生活を送りたいのであれば、輸出を増やすだけでなく、海外からどんどん財を輸入して、国民に行き渡らせることが大切です。貿易黒字が肥大化した状態とは、海外からモノを買わず、単におカネをたくさん持っているだけの守銭奴であり、ちっとも豊かではありません。生活を豊かにするのは、おカネではなく「財」です。海外で生産された食料や衣料品、家具などです。輸出を増やすと同時に輸入も増やす、バランスの取れた貿易こそが、国民の財を最大化してくれるのです。


2022年6月12日日曜日

1)経済の原点は「財の生産」にある

 このところ、20年ぶりの円安やインフレを受けて世間は大騒ぎです。新聞マスコミには、円安、インフレ、金融緩和、財政再建、そういう話題があふれ、やれ円の価値が損なわれたの、日本は投げ売りされるだの、と大騒ぎしています。その一方で、金融政策にしろ財政再建にしろ、主張する内容がエコノミストや政治家によって異なり、ひどい場合には主張の内容が正反対だったりしますから、おそらく大部分の国民にとっては、何が正しいのか、何を根拠に正否を判断すればよいのか、さっぱり分からないのではないでしょうか。


 しかし、落ち着いて考えてみましょう。財政再建やインフレといった経済の話題の多くは、おカネにかかわる問題ですが、おカネにかかわることよりも、もっと本質的で重要な要素があります。それは「財(モノやサービス)」です。というのも、人々にとって本当に重要な要素はおカネではなく、モノやサービスといった「財」だからです。なぜなら、おカネがいくらあっても、衣食住を満たすための食料や衣類、住居、あるいは電気水道、医療サービスなどがなければ生きていけないからです。だから、本当の意味で必要なのはおカネではなく財なのです。


 日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」です。ここが経済を考えるうえでのすべての原点になります。そこを忘れて、金融政策だの財政再建だのという、おカネに関わる様々な現象をいくら論じても、おカネの理屈に振り回されて、頭が混乱してしまうだけです。頭が混乱したときは、この原則に戻って「財(モノやサービス)」から考えを整理すると、経済を理解しやすくなります。


 結論を言えば、国民全体が豊かに生活するために必要十分な財を生産できれば、すべての国民が豊かになれます。たとえば国民全体で100の財が必要であれば、100の財が生産できれば、国民は豊かになるわけです。本質的にはそういうことなので、財政がどうなろうと、物価がどうなろうと「本質的には」関係ないのです。そんな事は当たり前ですが、多くのマスコミや有識者はそれをスカッと忘れています。そして、やれ金融政策だの財政再建だのと騒ぎ、自ら泥沼のようなややこしい話に飲まれてゆきます。それでは問題解決の正しい方向性を見出すことはできません。日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」なのです。そこが原点です。すると、方向性がすっきりと見えてくるのです。


 ただし、財の生産が十分に行われたとしても、貧困問題が解決しないことはあります。それは財政や物価、円安円高が原因なのではなく、「所得格差」が原因です。どんなに財の生産が増えても、それらの財を一部の国民が独占してしまえば、貧困問題は永遠に解決しません。そして、仮に財政再建をして、物価を下げて、円安を解消したところで、貧困問題は解決しません。それらによって財の生産が増えるわけでもなければ、所得格差を解消するわけでもないからです。本質はそこにはありません。国民が等しく豊かになるには、財の生産と同時に「適切な分配政策」も重要になります。より多くの財を生産し、より広く国民全体に行き渡らせることが日本を豊かにする本質なのです。


 もちろん、金融政策や財政再建がどうでもよいとは言いません。しかし、あくまで財を生産することが最重要であり、財政再建や金融政策はその目的に沿って考え直したり、システムや制度を再設計すべき「二義的な問題」なのです。なぜなら、財政再建や金融政策などの政策が、必ずしも財の生産を増やすとは限らないからです。良かれと思って行うことが、むしろ財の生産を阻害することで、かえって国民生活を貧しくすることもあり得るのです。財政再建の問題は、まさにそこにあります。財の生産を原点として、それらを再評価しなければなりません。しかし、新聞マスコミに登場する記事の多くはこうした視点に欠けており、国民世論を誤った方向へ導くものが少なくありません。


 何度も強調しますが、日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」なのです。ここがすべての原点になります。そしてあらゆる経済政策は、財の生産を増やし、国民に十分に行き渡らせるシステムを構築することにあるのです。そのためにこそ金融政策や財政政策、税制、財政再建は行われるものです。


 とはいえ、まだピンと来ないかも知れません。次回から、もう少し具体的に考えてみましょう。

2022年5月22日日曜日

円安・円高と日本の価値

このところの円安で「日本が売られている」「日本の価値がー」と騒ぐ人が散見されます。しかし円安なら日本の価値が低いのか、円高なら日本の価値が高いのか、よく考えるとそんな単純な問題ではないことがわかるのです。

 そもそも、為替市場で円安・円高を決めるのはどのような要因があるのでしょうか。様々に考えられますが、主要ないくつかを挙げたいと思います。

①金利の差

②通貨供給率の差

③貿易収支


①金利の差

 今回の騒ぎになってるのは、主にこれです。世界的に需要が回復してインフレ率が亢進しており、各国が政策金利の引き上げに踏み切るなか、日本だけは需要の回復が不十分なために、日銀が金融緩和の維持を決めている。世界の為替ギャンブラーにとっては、金利が高い方が儲かるので、当然ながら円売り・ドル買いをすることになる。

 すなわち、これは単に通貨取引で「儲かる・儲からない」というギャンブラーの下心が反映されたものであり、「日本の価値が低くなったから円が売られている」のではない。ところが、ドサクサに紛れて、円安になったから、日本の価値が低くなったというような非論理的なフェイクを垂れ流す評論家や一般人が少なからず存在するようである。では逆に、日銀が金利を引き上げて円高になったなら、その瞬間に日本の価値が上がるのか?馬鹿げた話である。つまり、金利の差による円高・円安は日本の価値と関係ない。よって、日銀が金利を上げて円を高く維持しても、日本の価値にとって意味はない。金融緩和の継続によって不況を脱し、経済を強くすることが、日本の価値を高めることとなる。

 とはいえ、円安の影響で輸入物価が押し上げられ、消費者の負担が増加することは確かである。ゆえに、インフレの影響を強く受ける低所得層を中心とする、生活支援給付金を支給することで、国民の生活を支援する必要があり、そのために財政出動を惜しむべきではない。

②通貨供給率の差

 おカネといえども、市場(為替市場)で取引される以上は、量が多い通貨は安くなり、量が少ない通貨は高くなる。この「通貨の量」は、日本の価値とは直接に関係しない。なぜなら、経済力と関係なく、おカネは刷ろうと思えば刷れるからである。おカネを刷ったからといって、日本の価値が下がるわけではないし、おカネを刷らなかったら日本の価値が上がるわけではない。ただし、円通貨の量が増えれば、相対的に他の通貨より円の方が安くなるのは当たり前のことである。これは通貨の価値であって、日本の価値ではない。

 では、日本の円通貨の発行量は他の先進国と比べてどうだったのか?実は、バブル崩壊後、失われた20年の間、他の先進国よりはるかにおカネを発行してこなかったのである。日本はカネを刷らない。つまり、円高になる条件を満たしている。円高であるはずだったその当時の為替レートが120円程度だったとすると、仮に他の先進国と同じ程度のおカネを供給していたなら、もっと円安になっていたはず、つまり、130円や140円といった水準になっていたはずである。それが本当の円の実力と言える。

 つまり、バブル崩壊後の失われた20年における120円というレートは、カネの発行をケチることで通貨の価値を高く維持してきた結果に過ぎない。円通貨の本当の価値を通貨のレートに反映したいなら、当然ながら、他の先進国と同じだけのおカネを供給しなければならないからだ。従って、仮に日銀が金利を引き上げたとしても、他の先進国に足並みをそろえて通貨供給を行うならば、1ドル130円、140円といった相場になることも十分にあり得ると考えられる。

 すなわち、1ドル=120円という円相場は、高すぎたのである。もっと早期に円安に転じていれば、産業の海外移転にもブレーキがかかり、今日のように産業が空洞化して、低賃金のサービス業しか残されていない日本とは別の姿になっていたかもしれないのである。

③貿易収支

 おカネと言えども、その価格は市場(為替市場)における需要と供給の関係で決まる。買いたい人が多い通貨高くなり、買いたい人が少ない通貨は安くなる。金利が為替に影響を及ぼすのもそのためだ。しかし、金利による通貨の需要はどちらかといえば「投機的な需要」である。通貨取引で儲けるギャンブルだ。一方で通貨には「実需」がある。例えば輸出企業がアメリカに輸出して代金をドルで受け取った場合、国内の決済などに利用するためには円が必要なので、そのドルを円と交換する必要が生じる。そのため、為替市場でドルを売って円を買うことになる。従って、輸出が大きければ為替市場では円を買う需要が高まって、円高となる。たとえばバブル経済の頃の日本は莫大な貿易黒字を出しており、そのために円高圧力が常に働いていた。

 このように、財の生産と貿易に伴って発生する通貨の需要は「実需」と呼ばれる。こうした円の実需によって生じる円高は、日本の供給力、輸出競争力などを反映するものであるため、日本の価値を反映したものであると言える。逆に日本の供給力が低く、輸出競争力も低ければ、円の実需は低くなり、円安となる。このような円安は、あまり望ましいものではない。

 一方、「通貨安戦争」という言葉があるが、それは、自国通貨の安い方が自国経済にとって有利であることから、各国が自国通貨を安く誘導しようとして争う状態を指して「通貨安戦争」と呼ばれる。このことからわかるように、円安は自国経済に有利であることは明らかである。さかんに「通貨安戦争」という言葉を記事に書いてきたマスコミは、このことは綺麗さっぱり忘れて、今や「悪い円安」を連呼する始末である。所詮は、ご都合主義だ。

 為替というのは、ある意味で「ビルトインスタビライザー」のような働きをしていると考えられる。つまり、輸出競争力が高くなると輸出過剰となり、円高を招くが、円高になると輸出競争力が低下して輸出が減る。ゆえに、為替を意図的に操作する必要はないのだか、それはあくまでも「他の先進国と同じ程度に通貨を供給し、同じように金融政策を実行する」ことが前提となる。つまり、ここでは①と②を他国と同じにしなければならない。これまでの日本はこれが欠けていた。バブル後の通貨供給は他国より少なく、リーマンショック後の金融緩和は他国より遅れ、そのせいで金利の引き上げも遅れている。これでは、まともにビルトインスタビライザーが働くはずがない。

 このように、円の価値は「日本の価値に関係する場合」と「日本の価値に関係しない場合」があり、それらを明確に分けて考えるだけの分析力がなければ、単に「円高は良い」「円安は悪い」という考え方しかできないのである。そして、マスコミはその典型と言える。

 現在の円安は金利差によるものであり、大騒ぎするまでもない。日本の国内需要が金利を引き上げるほど回復すれば、金利は引きあげるのである。通貨の投機需要などどうでもよい。問題は、真の意味での「日本の価値」が低下することであり、それは「日本の供給力が低下すること」である。円安は日本の輸出競争力を高め、産業の空洞化に歯止めをかけ、あるいは日本国内への産業回帰にもつながるものであり、日本の供給力を高めることにつながる。円通貨が安いにもかかわらず、ジャイアン・アメリカwあたりから「為替操作国」とか言われないのだから、むしろ幸いな話なのである。

2022年5月6日金曜日

円安、為替操作より国民に給付金を

急激な円安を受けて、日銀の金融緩和を批判するマスコミ論者があふれている。しかし単に金利引き上げで円安を和らげ、短期的に輸入物価の上昇を抑えたとしても、経済の根本的な問題は何も解決できません。ところが、ネット民の多くはそのことを理解できないようです。

ネット世論を調査する目的で、最近は時々Yahooニュースにコメントを書いて、そのコメントに対するネット民からの反応を観察しています。

それによると、ネット民の多くは、円安を非常に不満に感じているらしいことがわかります。これは、マスコミの報道が「円安=輸入インフレ=生活苦」のような、ほとんど円安のデメリットにばかり偏っていることが深く影響していると思われます。その結果、多くのネット民は、日銀が金利を引き上げるなどして「円安を解消すべき」と考えているらしい。自分は金利による為替操作はせずに、国民にカネを配って国民の所得を底上げする方が良いとコメントを書いたのですが、非常に不評でしたw。

しかし、良く考えてみましょう。そもそも、なぜ日銀がかたくなに金融緩和をやめないのか?日本が不況のままだからです。消費がぜんぜん回復していない。輸入価格が上昇して、わずかにインフレ傾向にあるだけです。アメリカのようにモノがバンバン売れてインフレになるようなら、日銀もとっくに利上げしているでしょう。つまり、「消費が増えて、景気が良くなれば、金利を上げるのが当たり前になる」のです。では、どうすれば消費が増えるのか?まだコロナの影響が残っているとはいえ、国民におカネを配れば、消費が増える。外出しなくとも、ネットでさまざまな商品を購入できる時代なのです。

そして、消費が増えてインフレになれば、日銀は金利を引き上げることになりますから、日米の金利差が縮小し、円安は緩和されます。国民への給付金政策は、景気回復と金利引き上げを実現する一石二鳥の方法です。財源に税金を使う必要はありません。日銀が政府と調整し、永久国債を引き受ければ良いだけの話です。

ところが、大多数のネット民にとって給付金政策はあまり人気がなく、とにかく、円安を解消することばかりに関心があるようです。しかし、仮に日銀が金利を引き上げて円安を解消したところで、景気が良くなるわけではありません。経済の基本基調がデフレ不況のままです。経済成長も望めなければ、賃上げも望めないでしょう。モノが売れなきゃ、賃上げなどできるはずがないのです。

このように、目の前の問題にばかり目を奪われ、喉元過ぎれば熱さを忘れる、またしてもデフレ日本に逆戻り、いや、スタグフレーションの日本になる恐れもあるでしょう。

大部分のマスコミ有識者は、長期的、大局的に経済を見ることができません。今回の円安も、単に日銀の金利政策が原因としか考えていないでしょう。ところが、バブルの時代からずっと長期的に考えてみれば、失われた20年のデフレ放置や民主党政権時代の超円高による製造業の海外移転の加速、金融緩和の遅れといったことが、伏線として脈々と流れている。こうした大きな流れを理解できず、目の前の為替相場で騒ぐだけ。これがネット民に伝染し、愚かな世論を形成していると思われるのです。

それにしても、日銀の頭の悪さには驚くものがあります。前任の白川総裁の時代は「日銀は物価をコントロールできない」などと称してデフレ脱却を投げ出し、諸外国の大規模な金融緩和に後れをとって、民主党政権時代の危機的な円高を容認してしまった。と、次の黒田総裁は、白川総裁とはまるで反対に「金利政策万能論者」に変貌し、ひたすら金利政策でデフレ脱却、経済のコントロールをやろうとする。なんで日本には、こういう極端な連中ばかりいるのだろう。

もう、いいかげんに「すべて金利政策に頼る」のはやめるべきです。これからの新しい時代は「おカネ(マネーストック)の供給は、財政政策と金利政策を並行して行う」ことが、金融の安定化とデフレ・ディスインフレの防止の観点から中心になると思う。つまり、二階建て金融システムです。


2022年4月20日水曜日

騒いでも遅い、円安は当然の成り行き

 最近はマスコミが「20年ぶりの円安だー」などと書き立てるものだから、多くの国民が釣られて「円安で大変だー」と大騒ぎしているが、そんな短期的なことで騒いでも、マスコミに振り回されるだけです。そもそも円安になるような失政をやってきたツケが回ってきたのであって、それを正さなければ、場当たり的に為替や金利を操作したところで、本質的な解決にはなりません。

 なぜ円安なのか?円が実力以上に高すぎたのです。つまり、正常化に向かっているわけです。というのも、日本国(日銀および政府)は、他の先進国に比べて、おカネの発行を常に少なく抑えてきた。おカネの発行量が少ないのだから、日本の円は量が少なく、ゆえに円は、実力以上に高く取引されてきたと考えらます。カネを刷らないことで、円の価値を高めに維持してきたのです。


 ですから、本来、他の先進国と同じ程度におカネを発行(供給)していたなら、円の水準は昨年あたりの110円といった水準ではなく、例えば120円や130円といった水準になっていたとしても不思議はありません。ですから、今日の円安はあるいみ当然と考えられます。

 しかも、このカネを刷らないケチケチ根性のために、リーマンショック後の世界的な金融緩和に乗り遅れ、民主党政権の時代には、円は80円台という異常な高値を付けました。しかも、それを日銀も政府も放置したため、なお一層、日本の企業が中国などに移転し、日本の産業空洞化を加速させました。日本から産業が逃げてしまったのですから、日本から海外への輸出は減少し、これは為替市場における円売り、つまり円安の下地となります。つまり、産業空洞化によって日本の実力はすでに低下していたのです。にもかかわらず、円を刷らないことで、見かけ上、今日まで円の購買力を保ってきたに過ぎません。

 そして、円高放置で産業が空洞化した雇用の穴埋めとして、日本は海外からの観光客に依存するように、産業が急速に変化してきました。産業を中国に移転し、その中国からの観光客に依存する経済構造になったのです。そして、その中国からの観光客が、こんどは新型コロナのパンデミックによって、日本に来なくなった。これで、円安にならないとしたら異常です。

 ところがマスコミは、それら円安の背景にある根本的な原因をすべてスルーし、あたかもすべての原因が「日銀の金融緩和にある」かのような書き方を平気でして、騒ぎ立て、多くの国民を釣っているのが現状なのです。なんという、安易で愚かな連中なのでしょうか?

 では、どうすれば良いのでしょう?

 円安によって購買力が低下するのですから、財政出動として、給付金によって生活を支援すれば良いのです。例えば月額3万円をすべての国民に恒久的に支給します。小額ベーシックインカムです。低所得層(世帯年収200万円以下)に限定した給付でもよい。とにかく財政出動を毎年50兆円くらい行う。そうすると、物価が上昇してくるので、日銀が金利を引き上げることが可能になります。こうして日銀が金利を引き上げれば、アメリカと日本の金利の差は小さくなるため、円安はある程度の水準で落ち着くと思われます。

 つまり、金融緩和でおカネを供給するのではなく、財政出動でおかねを供給し、金利は引き上げる。

 ただし、それらはあくまで短期的な対策にすぎません。根本的には、日本国(日銀および政府)が他の先進国と同じレベルでおカネを供給し続けなければなりません。問題の元凶は「ケチケチして他の国よりカネを刷らない」ということなのですから。そうすれば、民主党政権時代のような異常な円高になりません。また、しばらくは円安を容認すべきです。苦しいかもしれませんが、そうしたなかで、円高放置ですっかり空洞化してしまった産業(生活必需品の供給)を日本国内に再建し、それで雇用を生み、観光客に依存しないバランスの取れたグローバル経済によって、円の水準を安定的に保つべきであると思います。