2022年6月25日土曜日

2)円安は国民を豊かにする

  最近の急激な円安を受けて、さかんにマスコミに登場する話は「円安によって国民の生活が貧しくなる」という間違った考えです。確かに円安になれば、短期的には輸入品の価格が上昇しますから、インフレを招き、国民生活は苦しくなります。しかしそれは短期的な話にすぎません。長期的には、円安で輸出が増大することで国民は豊かになります。それは財の生産から見てもあきらかです。

 貿易の本質は物々交換です。おカネを介していますが、やっていることは物々交換です。国内で生産したモノを輸出して、代わりに海外で生産されたものを輸入する。ですから、たくさん輸出すれば、それだけたくさん輸入できます。当たり前の話です。円安になれば、日本で生産した商品が割安になり、どんどん売れますから、どんどん財の生産して、たくさん輸出できます。すると、売れた分だけ外国から財、食料品や石油といった生活必需品をどんどん輸入できます。つまり、生活が豊かになります。財の生産が増えて豊かになるのです。一方、日本の製品がどんなに優れていても、円高だと売れません。売れないから作れない。そして、売れないと、外国からモノを買うことができなくなってしまうのです。ですから、円高になると貧しくなるのです。つまり、長い目で見ると、円安で生活が苦しくなるというのは、まったく間違いであることがわかります。


 市場経済では、自国通貨が安いほど貿易において有利になり、輸出が増加して豊かになります。中国が経済成長できたのも、中国の通貨が安かったからに他なりません。日本の企業の多くが中国に移転したのも、中国の通貨が安かったからです。中国はそれを十分に理解していますから、いまだに為替市場で通貨の取引を完全に自由化していません。そんなことしたら、元が値上がりして元の価値が高くなり、中国経済に大打撃になるからです。つまり、通貨安は自国経済に有利なのです。そのため、多くの国で「自国通貨を安く誘導しよう」とするわけです。これを「通貨安戦争」などといい、アメリカなどは自国通貨を安く誘導する国を「為替操作国だ」と言って非難するほどです。ですから、円安は危機どころか「めったにないチャンス到来」です。


 もちろん、短期的には輸入物価の上昇によるインフレで国民生活が一時的に苦しくなるのは当然ですから、これに対策を講じる必要があります。インフレで生活が苦しくなるのは中・低所得層ですから、そうした人々に給付金を支給することで、生活を支えれば良いのです。やがて、長期的には円安による輸出の増大が賃金の増化に波及するようになると、インフレ率よりも賃金の上昇率が高くなり、所得というおカネの分配面から見ても、国民は豊かになるでしょう。


 ただし、半年や一年でそうなるわけではありません。そもそも失われた20年の間に、慢性的なデフレと円高傾向によって徐々に日本の産業が海外へ逃げ出し、空洞化して、日本の輸出競争力、すなわち「財の生産力」が損なわれてしまったわけですから、半年や一年で財の生産力が回復するはずがありません。政府が、産業の空洞化に対していままで無策で放置してきたわけですから、時間はかかるでしょう。しかし、地道に財の生産力を回復させ、輸出を増やさなければ、輸入を増やすこともできません。


 ただし、注意すべきなのは「貿易黒字が大きいほど良い」というのは間違いである点です。貿易黒字とは、輸出は多いけれど輸入が少ない状態です。もし、本当に国民が豊かな生活を送りたいのであれば、輸出を増やすだけでなく、海外からどんどん財を輸入して、国民に行き渡らせることが大切です。貿易黒字が肥大化した状態とは、海外からモノを買わず、単におカネをたくさん持っているだけの守銭奴であり、ちっとも豊かではありません。生活を豊かにするのは、おカネではなく「財」です。海外で生産された食料や衣料品、家具などです。輸出を増やすと同時に輸入も増やす、バランスの取れた貿易こそが、国民の財を最大化してくれるのです。


2022年6月12日日曜日

1)経済の原点は「財の生産」にある

 このところ、20年ぶりの円安やインフレを受けて世間は大騒ぎです。新聞マスコミには、円安、インフレ、金融緩和、財政再建、そういう話題があふれ、やれ円の価値が損なわれたの、日本は投げ売りされるだの、と大騒ぎしています。その一方で、金融政策にしろ財政再建にしろ、主張する内容がエコノミストや政治家によって異なり、ひどい場合には主張の内容が正反対だったりしますから、おそらく大部分の国民にとっては、何が正しいのか、何を根拠に正否を判断すればよいのか、さっぱり分からないのではないでしょうか。


 しかし、落ち着いて考えてみましょう。財政再建やインフレといった経済の話題の多くは、おカネにかかわる問題ですが、おカネにかかわることよりも、もっと本質的で重要な要素があります。それは「財(モノやサービス)」です。というのも、人々にとって本当に重要な要素はおカネではなく、モノやサービスといった「財」だからです。なぜなら、おカネがいくらあっても、衣食住を満たすための食料や衣類、住居、あるいは電気水道、医療サービスなどがなければ生きていけないからです。だから、本当の意味で必要なのはおカネではなく財なのです。


 日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」です。ここが経済を考えるうえでのすべての原点になります。そこを忘れて、金融政策だの財政再建だのという、おカネに関わる様々な現象をいくら論じても、おカネの理屈に振り回されて、頭が混乱してしまうだけです。頭が混乱したときは、この原則に戻って「財(モノやサービス)」から考えを整理すると、経済を理解しやすくなります。


 結論を言えば、国民全体が豊かに生活するために必要十分な財を生産できれば、すべての国民が豊かになれます。たとえば国民全体で100の財が必要であれば、100の財が生産できれば、国民は豊かになるわけです。本質的にはそういうことなので、財政がどうなろうと、物価がどうなろうと「本質的には」関係ないのです。そんな事は当たり前ですが、多くのマスコミや有識者はそれをスカッと忘れています。そして、やれ金融政策だの財政再建だのと騒ぎ、自ら泥沼のようなややこしい話に飲まれてゆきます。それでは問題解決の正しい方向性を見出すことはできません。日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」なのです。そこが原点です。すると、方向性がすっきりと見えてくるのです。


 ただし、財の生産が十分に行われたとしても、貧困問題が解決しないことはあります。それは財政や物価、円安円高が原因なのではなく、「所得格差」が原因です。どんなに財の生産が増えても、それらの財を一部の国民が独占してしまえば、貧困問題は永遠に解決しません。そして、仮に財政再建をして、物価を下げて、円安を解消したところで、貧困問題は解決しません。それらによって財の生産が増えるわけでもなければ、所得格差を解消するわけでもないからです。本質はそこにはありません。国民が等しく豊かになるには、財の生産と同時に「適切な分配政策」も重要になります。より多くの財を生産し、より広く国民全体に行き渡らせることが日本を豊かにする本質なのです。


 もちろん、金融政策や財政再建がどうでもよいとは言いません。しかし、あくまで財を生産することが最重要であり、財政再建や金融政策はその目的に沿って考え直したり、システムや制度を再設計すべき「二義的な問題」なのです。なぜなら、財政再建や金融政策などの政策が、必ずしも財の生産を増やすとは限らないからです。良かれと思って行うことが、むしろ財の生産を阻害することで、かえって国民生活を貧しくすることもあり得るのです。財政再建の問題は、まさにそこにあります。財の生産を原点として、それらを再評価しなければなりません。しかし、新聞マスコミに登場する記事の多くはこうした視点に欠けており、国民世論を誤った方向へ導くものが少なくありません。


 何度も強調しますが、日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」なのです。ここがすべての原点になります。そしてあらゆる経済政策は、財の生産を増やし、国民に十分に行き渡らせるシステムを構築することにあるのです。そのためにこそ金融政策や財政政策、税制、財政再建は行われるものです。


 とはいえ、まだピンと来ないかも知れません。次回から、もう少し具体的に考えてみましょう。